実は違反スレスレだった 大躍進の04年 BARホンダで起こっていた事とは?【F1歴史解説】【BAR 006】
HTML-код
- Опубликовано: 4 янв 2024
- ◆動画について
今回は2004年にジェンソン・バトンと佐藤琢磨がドライブした、BARホンダ006のエピソードについて解説します。
◆関連コンテンツ
【モーター天国NEXT】
/ @motortengoku_next
F1以外のモータースポーツ、市販車の歴史等解説チャンネル。
【投稿者Twitter】
/ motortengoku
投稿者(ただのレースファン)レインのツイッター
◆動画内の画像について
この動画では解説内容の補足のためテーマに関連する画像を使用しています。
各画像の引用元は下記を御覧ください。
sites.google.com/view/mortert...
また当チャンネルでは引用要件を遵守し著作権を侵害しないよう注意を払っておりますが
万が一使用画像について問題がある場合は大変恐れ入りますが下記までお問い合わせいただけますと幸いです。
logist121212@gmail.com
◆その他の動画もぜひご覧ください! - Авто/Мото
現在日本人最上位の3位は3人並んでるけど、日本GP以外で表彰台に立てたのは琢磨だけ。
その相性の良いサーキットで後にインディカーで2勝をマークするいわば金字塔を打ち立てる。
この表彰台はまだ序章に過ぎなかった。
佐藤琢磨は4輪レースを20歳から始めてたった5年でF1に昇格してる天才というか変態(褒め言葉)なんだけど、逆にデメリットとしてレース経験値がまだ圧倒的に足りてなかったんだと思う。
接触やミスが目立つとこがあったもんね
9:30
こうやって後から「アレはレギュレーション違反だコレはレギュレーション違反だ」となると、FIAは開幕前によくマシンを検査しないのか、仮に検査したとしてもその時は問題無しなのに、何で後から違反だとなるのか、係員は本当にレギュレーションを知っている上で車検をしているのか
甚だ不思議ですね。
そりゃフェラーリ側からの忖度ですよ
長らくF1見るのを遠ざかっていた中、久しぶりに見たのが04年だったので琢磨の表彰台は当時アメリカは数少ない生中継だったのでリアルタイムで見ていました!日本人が戦える事を見せてくれてとても興奮したのを覚えてます。
当時自分はそれまで予選をそんなに見ていなかったけど佐藤琢磨が予選めちゃくちゃ速くてずっと観てた
このマシンと言えばインディアナポリスの琢磨の3位表彰台ですね。
月曜日の早朝でしたが、表彰台に登った琢磨は同じ日本人としてとても誇らしかったです。
チームメイトのバトンばかりが表彰台に登って居たので…きっとこの後沢山の表彰台やもしかすると日本人初のF1ウィナーが誕生するかもと期待しながら観ていた思い出があります。
けど…この後F1で琢磨には厳しい状況が続いてしまうとは夢にも思わなかったです。
あぁ、この年のウイリアムズはあのセイウチノーズだったんだw
この年のニュルは琢磨のF1ベストレース。無防備のバリチェロのインにかまして最後は派手なエンジンブローでリタイヤ。最高にカッコよかったぜ!!
当時の、フェラーリに抗議されれば、それは本物と言う事だね。
しかし、禁止までの流れが早い…お蔵入りのは一度どんな効果を、発揮したのか映像で見たかったな。
2004年のBARホンダはホントに見てて楽しかった。
結果的にフェラーリの独走で終わってはしまったけれども、あんなにもワクワクしてBARホンダの応援をしたのはあれが初めてでしたね~。
翌年はフェラーリが大失速してチャンスが到来したのにBARホンダがこの調子を維持できずルノーとマクラーレンに先を行かれるとは・・・
2005年はタイヤ交換禁止ルールが導入され、供給先がフェラーリ、BAR、ミナルディしかなくなったブリヂストンは圧倒的にテスト不足で、ミシュランの圧勝を許す形になりましたね。
BARホンダの影響で当時から今でもラッキーストライクを吸っていますw
琢磨がいた時は、ホンダから琢磨応援スタンドとか、各ディーラーから何人か招待チケットプレゼントとか盛り上がっていたけど、今の角田はそんなに盛り上ってないのが残念…
コレ、琢磨さんには本当に夢見させて貰いましたわ。だからこそ勝てなかったのが本当に残念だぁ~(-_-;)
2004年は日本人ドライバーが優勝できる可能性があったシーズンだったのかも知れませんね
それぐらいBAR006は速かった
今も昔もどのマシンも規則ギリギリなところを攻めてるんだろうね。
そこがすごいと思う。
そうしないと勝てないから当然
去年のアブダビGPの角田のラップリーダーはヨーロッパGPの佐藤琢磨以来と言われていました。
あとはアメリカGPの3位から13年後に同じインディアナポリスで開催したインディ500で優勝していましたね。
2004年のヨーロッパGPは角田のメキシコなんて比じゃないレベルのやらかし案件ですよね...でもあそこで行かないのは琢磨じゃないし、琢磨じゃなければ勝利はない。熱いドライバーです。
琢磨は毎戦なにか成し遂げてくれるんじゃないかと本気で期待させてくれた。予選や決勝スタートでは血管が切れるほど興奮させてくれた。2004年はいずれにしろ素晴らしい年だった。
レースになると毎回ダメだった印象が強い
チームも無線で「行け!」と言っていたね。
しかし今見返しても、あそこは突っ込むタイミングじゃないんだよなあ・・。
2位になるには突っ込むしかないのはわかるが、今ならペナもらうケース。
No Challenge, No Chance としても、成熟した考察がないとリスクが大きすぎる。
インディに行った後もしばらく失敗が続いたが、この考察ができるようになってから琢磨は伝説のドライバーになった。
誰かが他で指摘していたが、20歳から始めたレースキャリアだけに、ヨーロッパGPの件は経験が足りなかったのかもしれないね。
良いポジションまで上り詰めたシーズンだったけど、出る杭は打たれる…やっぱり成長著しい新興チームとホンダ…とあってはフェラーリ様とFIAは、やっぱり良しとしないんですよね~…
2004年自宅にCSアンテナを建てリアルでラップタイムモニター見ながら映像を見て興奮しました
動画配信ありがとうございました。個人的にこの時期の車のデザインが一番美しく思っています。またエンジンのサウンドも同様です。各車の弱点を修正した車が走るクラシックF1GPを開催して欲しいと思うのは私だけでしょうか。
かつて2輪レースと同様にコンチネンタルサーカスと呼ばれたF1世界のヨーロッパ主導の影響を改めて感じた1年でした。個人的には、琢磨くんはChampに届くかは懐疑的な気持ちもありましたが、F1winnerには十分になり得る希少な日本人ドライバーだったと今も思います。それだけ、ヨーロッパのレース世界では、HONDAが常に脅威だったのだと思います。
バトンもこのマシンに乗って初表彰台を
ゲットしましたね
有る意味❗、
その2年後のハンガリーGPで!?
第3期Hondaとジェンソン・バトンは初優勝🎉しましたねぇ~😖😤🙆👍🏎️☄️💨🏆🏁🎌🇬🇧❗❗
BARホンダはFIAから出る杭は打たれるみたいに、目の仇にされていた挙げ句に05年の出場停止を喰らう位だし、政治力は圧倒的に良くなかった。
琢磨さんは04年の開幕戦でポイント手前9位完走だったのは惜しかった、02年の最終戦5位・03年の最終戦は6位・3年跨ぎで3戦連続ポイントゲット出来る珍記録寸前だったのは惜しかった
そもそもF1=欧州白人文化の極み(当時)でしたから。
第2期(ターボ時代)にも当時のF1のボス、ジャン=マリー・バレストルから
『F1にイエローは要らない』とか言われてましたし。
それからインド人ドライバーや中華ドライバー、果てはロシア人富豪ドライバーも現れました。あのバレストル氏ならキレ散らかしていたかも知れません。東洋人や非白人をあからさまにヘイトしまくった、上から目線のバイアス爺です。
この年は食い入るように見てたな。琢磨のアメリカGPは深夜の生放送だったが頑張って起きて見てた。
当時のアメリカGPリアルタイムで見てました。眠かったですが、琢磨が表彰台に登ったことで、一気に眠気が吹き飛びました。
2005年のBARは明らかに2004年の成功で有頂天になっていましたね
レギュ変更でフロントウィングの最低地上高が変更されダウンフォース削減策が取られた中、BAR以外のトップチームは努力の末にダウンフォース低下を防いだ中、BARは規定変更通りのダウンフォース削減量になるという、開発失敗という失態をおかしました。この帰結は新車発表会で公開された、何か余裕かましたようなテザー画像からも予測できたことを覚えています。
2004年の1年で成長した琢磨がトップトームとしてどんな活躍をするのか期待していただけに残念でした。
このシーズンから今年で丁度20年、ミハエル×フェラーリ黄金期の最後のWタイトル獲得のシーズンでもありました。><
翌年の007がコレを上回るポテンシャルと速さを持っていたらルノー&フェラーリのWフルワークスチームに打ち勝ちWタイトル獲得も有ったかもしれませんね!^^
そして今年でローランド及びセナの事故死から丁度30年になりますよ。><
思えばこの車で佐藤琢磨がアメリカGPで3位に入ったのって今年でもう20年前なんだな…
バーレーンでは一時トップを走る場面もあったっけ
やはり垂れ気味
ローノーズとショートホイールの方がいいかもですね💦
その後の年の後発
マシンを見ていく限り。
ミシュランタイヤの
選択は成功ですが
ブリヂストンのあの方からはちょっと嫌味言われてました。
赤いヘッドカバーが
市販車タイプR
やインディープロジェクトのHPDの雰囲気を
出して良いですね。
翌年
2005年のFIAからの
妙なウィング形状の
規定変更が影響したのか悪くなる始末。
このマシンにカムイが乗ってたら優勝してたかもしれない
優勝は無くとも、複数回表彰台は確実にあったな
琢磨さんが最も輝いたシーズン。本音は鈴鹿で表彰台に上がって欲しかった…
バトン3位、琢磨4位ですからね...ものすごく惜しかった。
04年の006は戦闘力も見た目も鈴鹿で生観戦したV10のエンジンサウンドも全てが最高だったな。
バトンは表彰台の常連だったが未勝利、琢磨は表彰台1回だけで正直両ドライバーがもっと良ければ勝てたと思うし、あれだけフェラーリの独壇場にはならなかったと思う。
例えばアロンソがこのマシンに乗ってたら何勝かしてたと思うと残念なんだよな。
2004年って分裂騒動が起こり出してた時でしたっけ?FIAのマークが厳しくなったのってそれが関係してたりするのかな?
琢磨くん3位やコンスト2位には驚いたけどあと一歩足りなかった
バトン氏は後年ワールドチャンピオンに。流石の腕でした。佐藤氏のやらかし、バトン氏とのポイント差はそのままドライビング技術・経験値の差でしたね。
Fは勿論のこと、複数のMは、実は違反スレスレだった?
「違反スレスレ」と言う事は違反じゃないんじゃね?
Super H2o飲みまくってた
僕もです!
この年のBARのマシンは何故か琢磨のマシンに不可解なまでにエンジントラブルが頻発しましたね。
日本GPは1デーレースになったためにミシュラン1年目のデータ不足が災いしたかウィリアムズの後塵を拝し、琢磨のホームGP表彰台は果たせませんでしたが、それでも4位で悔しいと思えるドライバーが登場したことには感慨深いものがありました。
シフトダウンが下手くそだからだよ
このマシンで表彰台1回じゃ
チームもがっかりだっただろう
琢磨は速いけどレースではミス多すぎたよ
何故かトゥルーリがモナコで勝ってたという。
確か、セーフティーカー先導中にトップのミハイル・シューマッハが周回遅れのモントーヤにぶつかって、両者リタイアだったと思います。
フェラーリ独走のシーズンで
その他の中では最上位だったのがこのチームってだけ。
10:32〜 FIA意味不明やな。
この時からFIAとフェラーリの癒着は凄まじくて勝てるレースでも勝てなかった。
マシーン自体とは無関係なんだけど、タバコ広告ってなんであんなにカッコいいんだろ?w
この時期に規制の関係で混在し始めて、今では皆無になっちゃったけど、化粧の上手いブスみたいだったよねw
ちなみにタバコは大嫌いな人ですがw