名門復活決意した直後にチーム売却 突然訪れた名門ティレルの最後【F1解説】【ティレル024 025 026】

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  • Опубликовано: 19 июн 2023
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    今回は片山右京、中嶋悟、高木虎之介、ヤマハなど、日本とも馴染みの深い名門ティレルの消滅までの歴史を解説します。
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Комментарии • 139

  • @user-bt3gq5oz6m
    @user-bt3gq5oz6m Год назад +37

    タバコスポンサーを禁止しなかったらティレル・ロータス・ブラバムの運命は変わったカモ。

  • @Ayrtonkazu
    @Ayrtonkazu Год назад +45

    90年に突然タイヤをピレリに変更したのが、チーム消滅への始まりだったのかも。タイヤを変更することを伝えられた中嶋も思わず絶句したって話もありました。とにかく中嶋の最期の2年間はピレリに足を引っ張られて幾度もポイント獲得を阻まれてた印象しかないです。この件も、結局はグッドイヤーへのタイヤの使用料支払いをケチったケン・ティレルがピレリの無償供給に飛びついたことが原因でした。そんなこともあって、私はピレリタイヤのイメージが悪くなり、自分の車のタイヤを買い替える時にはピレリは常に選択の対象外で、一度もピレリタイヤを買った事はありませんでした。

  • @ruria-windman228
    @ruria-windman228 Год назад +55

    ティレルは中嶋さんが91年に引退してから大きなスポンサーが無くて苦しかったね。その後の右京さんも虎之介さんも凄い苦労したはず。

  • @mt5415
    @mt5415 Год назад +19

    右京さんは94年のシーズンオフにブリアトーレの言う通りにベネトンと契約していればまた違ったキャリアになっていたはず。

  • @user-dv6ts1xj7j
    @user-dv6ts1xj7j Год назад +13

    マーチとブラバムとロータスに続いてティレルの晩年ですね。これでかつての名門の晩年が出揃いましたね。

  • @zeekrb15h37
    @zeekrb15h37 Год назад +18

    97年アロウズに箱替えしたヤマハは、皮肉にもハンガリーであわや優勝していた

  • @user-ty3zn1ky9d
    @user-ty3zn1ky9d Год назад +13

    そして今、ウィリアムズが晩年を迎えてる、、、

  • @hib-ra319s
    @hib-ra319s Год назад +42

    こんな状況でポイント取ってたサロってやっぱ良いドライバーだったよね、99年にシューマッハ父の代役でフェラーリ行けたけどもっとトップチームで走るの見たかった。

  • @fuugetsukachou4797
    @fuugetsukachou4797 Год назад +20

    ティレル消滅の後を追うようにハーヴェイさんケンティレルさんが亡くなったのはなんの因果か…

  • @user-qe6py8tk3k
    @user-qe6py8tk3k Год назад +23

    ティレル⇒BAR⇒ホンダ⇒ブラウンGP⇒メルセデス。買収後でチームは変わりましたが、ある意味興味的。

  • @user-zx4ur3so9c
    @user-zx4ur3so9c Год назад +25

    ティレルがB・A・Rに買収されましたが、エンジニアスタッフやデザイナーも引き継がれず、工場、社屋も新設。

  • @user-bd1um7on4c
    @user-bd1um7on4c Год назад +18

    日本企業や日本人ドライバーと縁が深かったからティレルの当時の公式ホームページの最後が「SAYONARA(さよなら)」で終わってたのとケン御大の死去が2001年当時のF1速報(たしかイタリアGPか総集編かそれくらい)の途中のページの端っこのに小さくアルボレートの死去と一緒に特集ページも組まれるでもなく今年の出来事枠に寂しく載ってたのがなんとも物悲しかった記憶がある。

  • @tanurinra7409
    @tanurinra7409 Год назад +32

    今にして思えば、ジャッキー・スチュワートが在籍してた時代から六輪P34が一世を風靡したあたりがティレルの一番の黄金期のような気がする。

  • @kazunobu8745
    @kazunobu8745 Год назад +22

    良くも悪くも「レース屋」だった思います。時折り斬新な発想を見せるけど、長続きしないというか、トレンドに乗り切れない、或いは乗り遅れる。

  • @suteki_na_obaka
    @suteki_na_obaka Год назад +7

    1994年が最後の輝きだったんでしょうね。

  • @1000ey145
    @1000ey145 Год назад +11

    みんなに好かれるチームほど消える時代でしたねぇ。そりゃモータースポーツはサーキットの外でも競争やから負け続ければそうなるのも仕方ないとは言え、寂しいもんでした。

  • @user-jp2xx1vc6g
    @user-jp2xx1vc6g Год назад +14

    ベネトン、キャメル、ブラウン、ノキア・・・。単発的にビッグスポンサーがつくことはあっても、2年続かなかったのが90年代から慢性的な経営難に陥っていった理由かも。ステファン・ベロフとマーティン・ブランドルのコンビなんかはすごく夢があったと思うし、ベロフがもしも「ミスター・ティレル」としてずっと乗れて、そのご縁で一時期噂になったロスマンズとのスポンサー契約がまとまっていたら、もうちょっと違う未来があったんじゃないかな・・・。あとは素性の良いマシンだった022の時に、せめてマシンパーツをもうちょっとやりくりできる程度の資金力があったら。

  • @chaotic-track

    ホンダエンジンの時に飛躍出来なかったのが痛かったですね。

  • @usamaru.
    @usamaru. Год назад +23

    ティレルには悪いですが024のスポンサーがショボいマシンだと、とてもシンプルに見えて格好良かったです(速いとは言ってない…)

  • @user-us7fy9uq7o
    @user-us7fy9uq7o Год назад +3

    ティレルって