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ウォーキンショーの通った跡は、雑草も生えない(笑)
この割り切ったカラーリングにバーナードのデザイン好きだったなぁ。惜しむらくはヤマハを怒らせたこと。ヤマハに対してリスペクトを持っていればなぁと。
スーパーアグリの車として蘇るとかこの時は誰も思わなかっただろうな。
アロウズの一番輝いていたシーズンは97年のヒルがドライブした時でしたね。白にブルーのストライプが清潔感あって良かった…その前のタキ井上が乗ってたユニマットカラーも良かったな~
98年の総集編、バルセロナでのアロウズ2台エンジンブローの時のナレーションの「ヤマハエンジンを追い出したトム・ウォーキンショーの大失態! つけは必ず出るのだ。」が印象的
そのヤマハはルノー休止によりワークスエンジンを失う事が確定していたウィリアムズと組めばどうなっていたと思いますか?
ヤマハ追い出しではなく、ハートオジサンに面倒みさせようとしたんでしょ?😅
このオッチャン、そのままにしとけば良いのに、余計な色気を出してドツボに嵌まるね。ヤマハ然り、ルマンでの日産然り。
日産で何かありましたっけ?
策士策に溺れるですね~
R390の事ですかね。あの時も日産としては結果はともかく色々とあったみたいですね。
データ取る必要があるからと、何度も治して走らせてるNISMOをバカにしてたんだっけ?
このイギリスのオッチャンも裏と表ばかりだし癖があるからしょうがないでしょう。
これだけ長くやったのだから一回くらい勝ってほしかっtがヒルがファイナルラップで抜かれた時は本当に残念でした。
トム・ウォーキンショーは「策士策に溺れる」を地で行っちゃったんですね。
ジャガーでの成功やリジェの実績で自惚れちゃたんだろね。
@@義朗青木もはや詐欺だね。
アロウズはUSF&Gでしょ
個人的にはデーモンがヤマハをかってあわや優勝の97年が輝いていた。アロウズって元来のオーナー時代、フットワーク時代、井上隆智穂がいたシーズン、TWS時代、晩年etcとやる事がいつも中途半端だった印象だった…
ヒルは、良いタイミングで、別れましたね~
翌年のベルギーGPでジョーダンの初優勝に貢献しましたね。
もともと一年契約のチームを探していて、その中からバーナードの加入が決まっていたアロウズを選んだ、と語っていましたよ。その後はニューウェイの居るチームに入りたかったから、だそうです。ただし、ロン・デニスのヒルの評価はとても低かったので、実現しませんでしたが
@@石山善之-c5v元々1年契約だったんですね。
@@櫃本賢治 ザウバーやスチュワートは、複数年かつ、かなり良い条件だったそうです。先見の明があったのか、運が良かったのか、上記二つのチームから比べると、アロウズ→ジョーダンという選択は正しかったですね
オレンジ色のカラーリング悪くなかったんやけどなあ…
アロウズはトム・ウォーキンショー体制以降は自業自得感が満ち溢れてますねw判断ミスというより欲得に任せ動いた結末という印象です。
アロウズの広告に載っているレッドブルがその後のF1を支配することになるとはその当時誰が考えただろうか
そして、フェルスタッペンの息子がそのレッドブルでF1の王者に…
フレンツェンってホントチームに恵まれなかったような…腕だけならもっと評価があっても良いドライバーでしたね。
彼女もシューマッハに取られたんでしたっけ?
@@mogu1mz正確には破局後に急接近して、結婚に至りました。
マネージャーをきちんと雇ってれば。基本的に一人で契約とかも行うために同日に2国で仕事を入れてしまったという某狂言師ばりのダブルブッキングもやってしまったことも。うまいこと時間ずらしてあとは本人のドライビングテクニックでなんとか2国間を2時間足らずで駆け抜けてうまく切り抜けたけれどこうした契約事のアバウトさもチャンピオンまで登れなかった遠因となったのかも。
ブリアトーレに対抗心バチバチだったトム・ウォーキンショーはチーム代表になる器ではなかった。チームマネージャーが適任だったな。経営者として失格だったし。
今にして思えばチームマネージャーが適任でしたね!
アロウズとは奇妙な縁があったりする…鈴木亜久里さん…。
あとウオーキンショウもね。
博打打ちの山っ気がチームを潰した形。ヤマハを裏切ったところから崩壊は始まってた。
あまりF1中継も見なくなっていたので、初めて知ることも多かったです。アロウズといえば、個人的にはチーバーとワーウィックの時代だけどチーム終盤のオレンジ色のカラーリングはカッコよかったね。
ウォーキンショウ&フラビオ、当時実況の古舘伊知郎氏が「ポパイとブルータス」なんて言ってました(笑) いかにもな黒い二人(笑) 虎之介も懐かしいです。あと、黒いパパフェルスタッペンも、黒い方が多数登場しました。
むしろウォーキンショーさんはよく延命したと思うけどな...オリバーさんが運営し続けてたらもっと早く死んでた。
@@義朗青木 実際ウォーキンショーさんに高く売りつけた形ですね。ただ1994年から3年間も購入者を募集続けたという点で、当時ウォーキンショーさん以外にアロウズを欲しがった人がいたのか怪しいと思っていたり。
F1にかかわった人の多くは不幸になる
フレンツェンとベルノルディは途中でシートが無くなって可哀想と思った。幸いフレンツェンはザウバーに座れたけどベルノルディは…
フレンツェンは古巣ザウバーに戻りましたね。
フレンツェンはマッサのペナルティの回避するため、アメリカに代役で参戦し、翌2003年フル参戦も最後のシーズンに。
ベルノルディはそれこそ当時はレッドブルのサポートでザウバーの話がありましたが…しかし、スーパーライセンス発給がアヤシイながら物凄く速いドライバーがそのザウバーへ…そのドライバーこそキミ ライコネン!!
バーナードと言えばマクラーレンでカーボンモノコックを導入したりフェラーリでもF189でフルカーボンのサスペンションアームを採用したりとカーボン信仰というか、他所のやらない事を先んじてやるのが好きだったんよね。(セミATも然り)
吊り下げウイングもバーナードのB191が初だったね。フットワークの一本ステーは置いておこう。
モンツァでバカ速かったイメージ😂
そのARROWSのFACTORY買取ったのは、TEAMS亜久里。初年度は3年落ちのARROWSマシンで走ってたな…。中嶋さんが移籍すると言ってたがEPSON絡みで契約に至らず。中嶋さん以外でカメラ付けてたのはARROWSでしたね。後方カメラでしたな。
困った時のコスワース!
永世中立NAエンジン
昔のF速だったかな?チーム末期にはウォーキンショー自身が所有していた、フットボールチームへ顔出す日のほうが多かったという記事を思い出しました😅
A21がお気に入りでした。実戦では信頼性に泣かされ、成績が伴いませんでしたが、デザインではこの年参戦したマシンの中でベストだと思っています。
しかし、そのアロウズの車体が後のスーパーアグリで型落ちとし使うこととは。。
あのFIAにレース時に採用不可にされた小型のノーズはドライバーからすればたまったもんじゃありませんね💦それは許可されない。アジアテックってあとはミナルディにも積んでましったけ?アロンソ氏やマレーシアのユーンというドライバーが乗ってた時期。
直 線 番 長 ヨ ス フ ェ ル ス タ ッ ペ ン
リーフィールドのファクトリーは別名呪われたファクトリー関わったチーム全て消滅して今は放棄されてるんでしたっけ
やはりヤマハの呪いと言われたバルセロナのダブルブローが・・・
フットワークアローズは懐かしい、例のポルシェエンジンで大損害の……
ジャッキー・オリバーだと90年代で早々に潰れていたと思う。19:30ここまでして参加しようとするのには驚く。
個人的には好きなオーナーやったな。マフィアみたいな見た目で色々やり手?なイメージやったがやり方が強引過ぎたのがな。。
いつかスパイカーF1の解説して下さい!
丁寧な説明でよくわかりました。こんなことになってたんですね。
ウォーキンショーと言えば監督兼運転手だった80年代の活躍が印象的でした重く大きいジャガーXJ-Sを軽快なドライビングで走らせていましたね
マツダとチームを組んで初代RX-7でスパ24時間を走り優勝を果たした経験もありましたね。
アローズといえば、ジル•ヴィルヌーヴの弟のジャックが在籍していたチーム。その当時、ジル曰く『このマシンじゃぁ、勝てないよね』と弟ジャックに言っていた、という事を思い出した。
一瞬、?と思ったが、ジョセフ(シニア)の方ですね。
マリク王子「俺は無罪やな!」
アロウズって確か、🇯🇵人オーナーで一世風靡した人でしたね。確かフットワークって言う運送業。
今で言う、アストンマーティンとランス・ストロールの関係か…?亜久里とフットワークの関係は…フットワークは確かTOLL EXPRESSに買収された企業です。
去年のマクラーレンMCL36を見たときオレンジアロウズを思いだいました(笑)
パパ・フェルスタッペンが好きでした(^_^)
策士、策に溺れる。
1978年に新コンストラクターとしてF1に登場した時は、 いきなりShadowとのパクリ裁判で話題になり、MonzaのRonnieの事故の原因とされたPatreseの件もあり、クリーンなイメージがとても薄かった。それが25年もの間、F1世界にとどまり、しかも『未勝利』で終わったことに不思議な感動(?)を覚えました。
98年の真っ黒なアロウズが登場した時、「あ、シャドウだ」って記事にしてたのは西山ヘイさんだったか林信次大先生だったか・・・預言的中でしたね。
ツインキールのA23は、めちゃくちゃ格好良かったですよね。
ヤマハがもっと供給していたら…どうなったかなと思いますが…?
ジャイアンツカラーのアロウズ好きだったなあ。それにしてもバーナード&ウオーキンショウの没落を見せてくれる貴重な体験だった。
オレンジと黒という点ではF1を走るジャイアンツカラーでしたね。
@@櫃本賢治 ですよね(^ ^)
怪しいスポンサーって沢山存在する
初期の「アンブロシオ銀行」だってかなりヤバイ😅
15:27 この年のモナコは第7戦です。
オレンジアロウズのカラーリング大好きでした。大好き過ぎてミニチャンプスのミニカー買ったくらいw
いつも楽しませていただいております。アロウズは設立時からミソが付いたチームでしたね。シャドウのデザインパクって参戦しましたから。そのクルマもエンジン排気量疑惑が持ち上がって(シャドウとほとんど一緒なのに、フェラーリよりもアルファロメオよりもストレートが速い)エンジン開けられそうになったり、胡散臭さのデパートですもん、最初から。前にも取り上げられたフットワークの話とかいろいろありすぎましたよね。豆ですが、アローズの最後のファクトリーはまだ空き家のようです。なんでも「呪われたファクトリー」として業界では認知されてるらしく借りてがつかないそうです。潰れてもなおアローズはアローズですね。
アロウズ→スーパーアグリ→ケータハム
@@RUclipsr-ii9tq 呪いの三連チャン🤣😭
サウスゲートの設計だから、似ているのはしょうがない
個人的にレプソルカラーのa20すき
アロウズ、ありましたね。
当時はマクラーレンフェラーリ2強対決からシューマッハ1強時代で中堅チームは成績もイマイチでテレビに全く映らなかった。
好きだったARROW'sが、消滅したのは悲しかったですね。。。
俺の心の中では、マイクコフランにいい思い出ないなあ。
アロウズ懐かしすぎる。下位チームの定番だつたリジエと並ぶブラバムもいた。
アローズと言ったら「エディ・チーバー」だなあ
オレンジ時代のアロウズ待ってた
そもそもこのチームってシャドウからの分裂でコピーマシン裁判っていう設立経緯からして曰くつきのチームでしたからね。中堅どころとして頑張っていましたが、80年代後半~90年代にジャパンマネー流入で持ち慣れない大金が入って運営を見誤ったところがありましたよね。ポルシェV12獲得とか。頼みのジャパンマネーがバブル崩壊でなくなると一気に資金難になって…というのはレイトンハウスマーチも同様ですよね。TWRがこの倒産寸前のF1チームを買収した時点でお互いの命運は尽きていたのでしょうね。ウォーキンショー自身はチームマネージャーとしてチーム強化・発展に適性のある人ですが、ブリアトーレに影響されたのかF1に来てからは強引な手法が悪目立ちしていました。ブリジストンのF1参入に大きな可能性を見出したまではよかったのですが、初手でヤマハエンジンを切ったのは結果的に致命的になりました。ヤマハのバックにいたトヨタやほかの日系企業との可能性…と考えることができなかった。ヤマハを切り捨ててエンジン供給先に苦労した挙句、飛びついたのが謎のアジアテックってところにこの人のアジア人観が見て取れるような気がします。怪しげなナイジェリアの王子に騙されたり、エンジンをコロコロ変えたりなど場当たり的な運営などを見るに経営者としての器ではなかったのかもしれません。ジョンブル気質といえばそれまでですが、F1では時代遅れになりつつあったのに気付かなかったのは致命的で、ブラバムやロータス、ティレルといった英国のレースビルダーと同じようにTWRも淘汰される運命にあったのでしょう。
ジャガーがF1参戦する際アロウズを買収してジャガーアロウズとして参戦していれば面白い事になっていたと思いませんか?^^
全く思わない
ウォーキンショーの通った跡は、雑草も生えない(笑)
この割り切ったカラーリングにバーナードのデザイン好きだったなぁ。
惜しむらくはヤマハを怒らせたこと。ヤマハに対してリスペクトを持っていればなぁと。
スーパーアグリの車として蘇るとかこの時は誰も思わなかっただろうな。
アロウズの一番輝いていたシーズンは97年のヒルがドライブした時でしたね。
白にブルーのストライプが清潔感あって良かった…その前のタキ井上が乗ってたユニマットカラーも良かったな~
98年の総集編、バルセロナでのアロウズ2台エンジンブローの時のナレーションの「ヤマハエンジンを追い出したトム・ウォーキンショーの大失態! つけは必ず出るのだ。」が印象的
そのヤマハはルノー休止によりワークスエンジンを失う事が確定していたウィリアムズと組めばどうなっていたと思いますか?
ヤマハ追い出しではなく、ハートオジサンに面倒みさせようとしたんでしょ?😅
このオッチャン、そのままにしとけば良いのに、余計な色気を出してドツボに嵌まるね。ヤマハ然り、ルマンでの日産然り。
日産で何かありましたっけ?
策士策に溺れるですね~
R390の事ですかね。
あの時も日産としては結果はともかく色々とあったみたいですね。
データ取る必要があるからと、何度も治して走らせてるNISMOをバカにしてたんだっけ?
このイギリスのオッチャンも裏と表ばかりだし癖があるからしょうがないでしょう。
これだけ長くやったのだから一回くらい勝ってほしかっtが
ヒルがファイナルラップで抜かれた時は本当に残念でした。
トム・ウォーキンショーは「策士策に溺れる」を地で行っちゃったんですね。
ジャガーでの成功やリジェの実績で自惚れちゃたんだろね。
@@義朗青木
もはや詐欺だね。
アロウズはUSF&Gでしょ
個人的にはデーモンがヤマハをかってあわや優勝の97年が輝いていた。
アロウズって元来のオーナー時代、フットワーク時代、井上隆智穂がいたシーズン、TWS時代、晩年etcとやる事がいつも中途半端だった印象だった…
ヒルは、良いタイミングで、別れましたね~
翌年のベルギーGPでジョーダンの初優勝に貢献しましたね。
もともと一年契約のチームを探していて、その中からバーナードの加入が決まっていたアロウズを選んだ、と語っていましたよ。
その後はニューウェイの居るチームに入りたかったから、だそうです。
ただし、ロン・デニスのヒルの評価はとても低かったので、実現しませんでしたが
@@石山善之-c5v元々1年契約だったんですね。
@@櫃本賢治
ザウバーやスチュワートは、複数年かつ、かなり良い条件だったそうです。
先見の明があったのか、運が良かったのか、上記二つのチームから比べると、アロウズ→ジョーダンという選択は正しかったですね
オレンジ色のカラーリング悪くなかったんやけどなあ…
アロウズはトム・ウォーキンショー体制以降は自業自得感が満ち溢れてますねw判断ミスというより欲得に任せ動いた結末という印象です。
アロウズの広告に載っているレッドブルがその後のF1を支配することになるとはその当時誰が考えただろうか
そして、フェルスタッペンの息子がそのレッドブルでF1の王者に…
フレンツェンってホントチームに恵まれなかったような…
腕だけならもっと評価があっても良いドライバーでしたね。
彼女もシューマッハに取られたんでしたっけ?
@@mogu1mz正確には破局後に急接近して、結婚に至りました。
マネージャーをきちんと雇ってれば。
基本的に一人で契約とかも行うために同日に2国で仕事を入れてしまったという某狂言師ばりのダブルブッキングもやってしまったことも。
うまいこと時間ずらしてあとは本人のドライビングテクニックでなんとか2国間を2時間足らずで駆け抜けてうまく切り抜けたけれどこうした契約事のアバウトさもチャンピオンまで登れなかった遠因となったのかも。
ブリアトーレに対抗心バチバチだったトム・ウォーキンショーはチーム代表になる器ではなかった。チームマネージャーが適任だったな。経営者として失格だったし。
今にして思えば
チームマネージャーが
適任でしたね!
アロウズとは奇妙な縁があったりする…鈴木亜久里さん…。
あとウオーキンショウもね。
博打打ちの山っ気がチームを潰した形。ヤマハを裏切ったところから崩壊は始まってた。
あまりF1中継も見なくなっていたので、初めて知ることも多かったです。
アロウズといえば、個人的にはチーバーとワーウィックの時代だけど
チーム終盤のオレンジ色のカラーリングはカッコよかったね。
ウォーキンショウ&フラビオ、当時実況の古舘伊知郎氏が「ポパイとブルータス」なんて言ってました(笑) いかにもな黒い二人(笑) 虎之介も懐かしいです。あと、黒いパパフェルスタッペンも、黒い方が多数登場しました。
むしろウォーキンショーさんはよく延命したと思うけどな...オリバーさんが運営し続けてたらもっと早く死んでた。
@@義朗青木 実際ウォーキンショーさんに高く売りつけた形ですね。ただ1994年から3年間も購入者を募集続けたという点で、当時ウォーキンショーさん以外にアロウズを欲しがった人がいたのか怪しいと思っていたり。
F1にかかわった人の多くは不幸になる
フレンツェンとベルノルディは途中でシートが無くなって可哀想と思った。幸いフレンツェンはザウバーに座れたけどベルノルディは…
フレンツェンは古巣ザウバーに戻りましたね。
フレンツェンはマッサのペナルティの回避するため、アメリカに代役で参戦し、翌2003年フル参戦も最後のシーズンに。
ベルノルディはそれこそ当時はレッドブルのサポートでザウバーの話がありましたが…しかし、スーパーライセンス発給がアヤシイながら物凄く速いドライバーがそのザウバーへ…
そのドライバーこそキミ ライコネン!!
バーナードと言えばマクラーレンでカーボンモノコックを導入したりフェラーリでもF189でフルカーボンのサスペンションアームを採用したりとカーボン信仰というか、他所のやらない事を先んじてやるのが好きだったんよね。
(セミATも然り)
吊り下げウイングもバーナードのB191が初だったね。
フットワークの一本ステーは置いておこう。
モンツァでバカ速かったイメージ😂
そのARROWSのFACTORY買取ったのは、TEAMS亜久里。
初年度は3年落ちのARROWSマシンで走ってたな…。
中嶋さんが移籍すると言ってたが
EPSON絡みで契約に至らず。
中嶋さん以外でカメラ付けてたのは
ARROWSでしたね。後方カメラでしたな。
困った時のコスワース!
永世中立NAエンジン
昔のF速だったかな?
チーム末期にはウォーキンショー自身が所有していた、フットボールチームへ顔出す日のほうが多かったという記事を思い出しました😅
A21がお気に入りでした。実戦では信頼性に泣かされ、成績が伴いませんでしたが、デザインではこの年参戦したマシンの中でベストだと思っています。
しかし、そのアロウズの車体が後のスーパーアグリで型落ちとし使うこととは。。
あのFIAにレース時に採用不可にされた小型のノーズはドライバーからすればたまったもんじゃありませんね💦
それは許可されない。
アジアテックってあとはミナルディにも積んでましったけ?
アロンソ氏やマレーシアのユーンというドライバーが乗ってた時期。
直 線 番 長 ヨ ス フ ェ ル ス タ ッ ペ ン
リーフィールドのファクトリーは別名呪われたファクトリー
関わったチーム全て消滅して今は放棄されてるんでしたっけ
やはりヤマハの呪いと言われたバルセロナのダブルブローが・・・
フットワークアローズは懐かしい、例のポルシェエンジンで大損害の……
ジャッキー・オリバーだと90年代で早々に潰れていたと思う。
19:30ここまでして参加しようとするのには驚く。
個人的には好きなオーナーやったな。
マフィアみたいな見た目で色々やり手?なイメージやったがやり方が強引過ぎたのがな。。
いつかスパイカーF1の解説して下さい!
丁寧な説明でよくわかりました。
こんなことになってたんですね。
ウォーキンショーと言えば監督兼運転手だった80年代の活躍が印象的でした
重く大きいジャガーXJ-Sを軽快なドライビングで走らせていましたね
マツダとチームを組んで初代RX-7でスパ24時間を走り優勝を果たした経験もありましたね。
アローズといえば、
ジル•ヴィルヌーヴの弟のジャックが在籍していたチーム。
その当時、ジル曰く『このマシンじゃぁ、勝てないよね』と弟ジャックに言っていた、という事を
思い出した。
一瞬、?と思ったが、ジョセフ(シニア)の方ですね。
マリク王子「俺は無罪やな!」
アロウズって
確か、
🇯🇵人オーナーで
一世風靡した
人でしたね。
確かフットワークって言う運送業。
今で言う、アストンマーティンとランス・ストロールの関係か…?亜久里とフットワークの関係は…フットワークは確かTOLL EXPRESSに買収された企業です。
去年のマクラーレンMCL36を見たときオレンジアロウズを思いだいました(笑)
パパ・フェルスタッペンが好きでした(^_^)
策士、策に溺れる。
1978年に新コンストラクターとしてF1に登場した時は、 いきなりShadowとのパクリ裁判で話題になり、MonzaのRonnieの事故の原因とされたPatreseの件もあり、クリーンなイメージがとても薄かった。それが25年もの間、F1世界にとどまり、しかも『未勝利』で終わったことに不思議な感動(?)を覚えました。
98年の真っ黒なアロウズが登場した時、「あ、シャドウだ」って記事にしてたのは
西山ヘイさんだったか林信次大先生だったか・・・
預言的中でしたね。
ツインキールのA23は、めちゃくちゃ格好良かったですよね。
ヤマハがもっと供給していたら…どうなったかなと思いますが…?
ジャイアンツカラーのアロウズ好きだったなあ。
それにしてもバーナード&ウオーキンショウの没落を見せてくれる貴重な体験だった。
オレンジと黒という点ではF1を走るジャイアンツカラーでしたね。
@@櫃本賢治
ですよね(^ ^)
怪しいスポンサーって沢山存在する
初期の「アンブロシオ銀行」だってかなりヤバイ😅
15:27 この年のモナコは第7戦です。
オレンジアロウズのカラーリング大好きでした。大好き過ぎてミニチャンプスのミニカー買ったくらいw
いつも楽しませていただいております。アロウズは設立時からミソが付いたチームでしたね。シャドウのデザインパクって
参戦しましたから。そのクルマもエンジン排気量疑惑が持ち上がって(シャドウとほとんど一緒なのに、フェラーリよりも
アルファロメオよりもストレートが速い)エンジン開けられそうになったり、胡散臭さのデパートですもん、最初から。
前にも取り上げられたフットワークの話とかいろいろありすぎましたよね。豆ですが、アローズの最後のファクトリーは
まだ空き家のようです。なんでも「呪われたファクトリー」として業界では認知されてるらしく借りてがつかないそうです。
潰れてもなおアローズはアローズですね。
アロウズ→スーパーアグリ→ケータハム
@@RUclipsr-ii9tq 呪いの三連チャン🤣😭
サウスゲートの設計だから、似ているのはしょうがない
個人的にレプソルカラーのa20すき
昔のF速だったかな?
チーム末期にはウォーキンショー自身が所有していた、フットボールチームへ顔出す日のほうが多かったという記事を思い出しました😅
アロウズ、ありましたね。
当時はマクラーレンフェラーリ2強対決からシューマッハ1強時代で中堅チームは成績もイマイチでテレビに全く映らなかった。
好きだったARROW'sが、消滅したのは悲しかったですね。。。
俺の心の中では、マイクコフランにいい思い出ないなあ。
アロウズ懐かしすぎる。下位チームの定番だつたリジエと並ぶブラバムもいた。
アローズと言ったら「エディ・チーバー」だなあ
オレンジ時代のアロウズ待ってた
そもそもこのチームってシャドウからの分裂でコピーマシン裁判っていう設立経緯からして曰くつきのチームでしたからね。
中堅どころとして頑張っていましたが、80年代後半~90年代にジャパンマネー流入で持ち慣れない大金が入って運営を見誤ったところがありましたよね。ポルシェV12獲得とか。
頼みのジャパンマネーがバブル崩壊でなくなると一気に資金難になって…というのはレイトンハウスマーチも同様ですよね。
TWRがこの倒産寸前のF1チームを買収した時点でお互いの命運は尽きていたのでしょうね。
ウォーキンショー自身はチームマネージャーとしてチーム強化・発展に適性のある人ですが、ブリアトーレに影響されたのかF1に来てからは強引な手法が悪目立ちしていました。
ブリジストンのF1参入に大きな可能性を見出したまではよかったのですが、初手でヤマハエンジンを切ったのは結果的に致命的になりました。ヤマハのバックにいたトヨタやほかの日系企業との可能性…と考えることができなかった。
ヤマハを切り捨ててエンジン供給先に苦労した挙句、飛びついたのが謎のアジアテックってところにこの人のアジア人観が見て取れるような気がします。
怪しげなナイジェリアの王子に騙されたり、エンジンをコロコロ変えたりなど場当たり的な運営などを見るに経営者としての器ではなかったのかもしれません。
ジョンブル気質といえばそれまでですが、F1では時代遅れになりつつあったのに気付かなかったのは致命的で、ブラバムやロータス、ティレルといった英国のレースビルダーと同じようにTWRも淘汰される運命にあったのでしょう。
ジャガーがF1参戦する際アロウズを買収してジャガーアロウズとして参戦していれば面白い事になっていたと思いませんか?^^
全く思わない