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デイモン・ヒルのマシン開発能力は、歴代でもトップクラスだと思います。
デーモンも K. ロバーツjr も偉大な父親と比べられる重圧に打ち勝ってチャンピオンになったのは素直に凄いことだと思います。
「マシンのおかげで優勝できた」と言われていたヒルでしたがアロウズで凄い走りをしたおかげで評価があがりましたね。
ジョーダン無限ホンダでも優勝したしね😊
速いマシンで優勝できたのではなく、優勝できる速いマシンを作っていたのはヒルだったことが、97年からの3年間で証明されましたもんね。
逆にこんなヒルを追放したウィリアムズには「ザマアww」って感じですね
ヒルの実力を最も評価していたのがエイドリアン・ニューウェイ。ニューウェイにはドライバー選考で権限が有ったのに、フランク・ウィリアムズやパトリック・ヘッドがヒルを勝手解雇した事で離脱を決意した。 この様にドライバーやスタッフの功績を正しく評価しなかったからウィリアムズは落ちぶれることになった。自業自得だよ。
@@カイザーソゼ-r2e 慢心はいかん❗️ちゅうことですな
この年のオーストラリア予選でそこかしこでズルズルと滑っていたA18が後にハンガリーで優勝目前までいくとは想像も出来なかったウィリアムズを放出されたヒルが真の実力を見せることが出来たのも最高に嬉しかった
放出してからのウイリアムズの急凋落ぶりがそれを証明していますよね。
アロウズの奇跡というべき97シーズンですね!!ハンガリーGPは本当に惜しかった・・・。私も当時、TV中継でこのレースを観ていて「いよいよアロウズ、ヤマハ、そしてBSの初優勝が見れる!!」と興奮していましたが残り2周でスローダウンした時「噓だろー」と叫んでいました。アロウズにとってもヤマハにとっても最後の最高のレースとなってしまいましたが今でもこの走りは私の目に焼き付いています!!いい動画をありがとうございました!!
同じくあの日深夜にTVの前で絶叫したヤマハエンジンマニアです🎹
自分も見てました。夢を見ました。。鈴木アナが興奮して叫んでましたな
@@マジックリンT あれがそのままストップだったら悲惨だったな。
チャンピオン取ったときよりウイリアムズを追い出されたあとの方が評価上がっていった稀有な例
逆にウィリアムズ出た後、1勝も出来ずに全く鳴かず飛ばずやったビルヌーブの方が、評価は疑問
アラン・プロスト ナイジェル・マンセル リカルド・パトレーゼが認めた開発能力が有ったからこそ ウィリアムズが最強マシンであり 放出後も所属した2チームでもしっかりとしたマシンに仕上げる事が出来、あの成績、且つ デーモンは早いドライバーと証明しましたね。
下位を走ってた時は平凡なデザインにみえたのにトップ集団を走るようになったA18はカッコよく美しくみえた不思議なマシン
ニキ・ラウダもほぼ同じことを言ってましたね。昔F1雑誌で関係者向けのアンケートで一番美しいと思うマシンの項目に特定のマシン名を書かずに「速いマシン」と書いて、醜いと思うマシンの項目に「遅いマシン」と書いてたのを見たことがあります。
速ければかっこよく見え、遅ければかっこ悪く見えるだけのこと。バイアスがかかりまくるからね。
美しいから速いのか、或いはその逆か。
トップドライバーがトップチームから転落すると這い上がれない物だけどデーモンヒルはこのアロウズYAMAHAでも色褪せなかったしジョーダン無限HONDAでも最後に一花咲かせたよね。記憶に残る良いドライバーだった
80年代からF1ファンやってますけど、当時F1をみてたファンに97年ハンガリーって言うと絶対思い出しますよね。元々ヤマハ党な上に、デイモンヒルの私設ファンクラブに入っていた自分は、一生わすれられない最高のレースだったと思います。ウィリアムズが速かったからチャンピオンをとれただけって言う人もいるなか、自分はそのマシンをつくったのはヒル自身だと思っていたのが、見事に証明してくれたのが本当にうれしかったのを覚えています。ハンガリーGPでマシンがおかしかったのに2位に入れたのもヒルの技量があったからだと思います。みんな言うようにカラーリングもあわせてマシンもかっこいいんですよね。いやーほんとに、このレースをとりあげてくれてありがとうございました!
勝ちまくっていたウイリアムズ時代よりある意味ヒルの評価が上がった1年だった気がしますヒルのフィードバックと開発能力の凄さを思い知ったかなと思いますね
確かプロストさんは評価していましたよね。
マンセルさんもですね。
16:1😊‥😊😊😊😊😊に😊😊😊😊😊😊😊😊。😊😊、し肚は、ハラ😊秘。ララ、ャランチややㇵ!ハヤハヤハルるは絽LE、レルする、ってさとは。より!をしているというくらいのほどにはできるまでとしますかとして下さいというかのがする、などには!を!ろ。…。…?…、…。……。…、…、・、‥!?は、ヤン等…、や、、など?!、のしてはとしたというかたちにはできる!との。というかが😊 😊😊
デイモン・ヒルのキャリアの中で一番好きなマシン。A18でヒルのマシン開発能力と予選での強さを自ら証明した。ジョーダン無限ホンダも好きだがウイリアムズ時代に散々他のドライバーやマスコミ連中にバカにされてきた中でそれを実力で黙らせたのは本当に爽快。ハンガリーGPは何回も見返してしまう。残念なのは翌年にヤマハエンジンを捨てて低迷していく自業自得アロウズ。そのおかげでスーパーアグリに繋がると考えると複雑だが。
当時ヒルファンの自分としてはめちゃくちゃ興奮したのを覚えています。散々マシン開発に貢献したにも関わらず放出させられたウィリアムズに溜飲を下げさせたのが気持ちよかった!
放出したウイリアムズはあっと言う間に凋落していきましたね。
自分ではカーナンバー1を手みやげにマクラーレンに行けると思って居たみたいですけどね。
デザイン的には平凡だけど青と白のクリーンなカラーリング、何と言ってもチーム史上唯一のカーナンバー“1”が鮮やかなマシンでしたね。あとこのマシンといえば個人的にはもう一つ、日本GPで周回遅れながらトップのシューマッハを半周にわたって抑え込んだシーンが印象的でした。相手の行こうとする先を絶妙に塞いで行く巧みなライン取りにヒルの上手さを改めて実感するとともに「タイトルが欲しいなら自分を抜いてみろ」というチャンピオンの意地みたいなものが感じられたのを覚えています。
あのハンガロリンクでジャックに抜かれるとは分かっていてもマシンを右左にブロックするヒルに気持ちが伝わってきて泣けた。
ヒル、、流石チャンピオンです!
この年のヒル、めちゃくちゃかっこよかった‼️96年にチャンピオンになり移籍して97年開幕してみたら車が遅くて😱でもハンガリーGPでは優勝目前までいったヒルって本当に素晴らしいドライバーだと思います‼️テレビ放送ではヒルがチェッカーフラッグを受けた瞬間が映ってなくて焦りました😅
青白カラーのアロウズヤマハ美しいマシンですね😊👍
ドライバースーツの青い色のトーンと併せ、この年のアロウズはチーム史上最高のカッコ良さやった
ジョン•バーナードってホントに凄いデザイナーだよね、当時ヒルが1番好きなドライバーだったのでこのレースは嬉しかったです。BSもYAMAHAも日本の誇り!
今でも見たいベストレースデーモンヒルの凄さが引き立ってました。ウィリアムズ時代マシンコントロールやタイヤマネージメントがうまいと思ってましたがマシンが良いからと評価されて無かったのが一気に絶賛されたレースでもありました。今では渋いおぢさんになりましたが憧れの人である事は変わりませんね
オールドファンにはイギリスのロマン役ってイメージがありますが色々ありましたよね。こちらのチャンネル、たいがいは既知のナイヨウが多いのですが、簡潔に流れを分かりやすくまとめていらっしゃるので大変便利にかんじてます。こういう奇を衒わないチャンネルもありなんだと実感します。これからも着実な記事の持続を期待してます。
フジテレビF1中継の歴史上、これほどまでに栄光を汚されたカーナンバー1は他にないだろう。屈辱に挫けてしまってもおかしくないのに、ハンガリーまで持っていったヒルは立派。
やはり、ヒル。技術面のみならず、マーケティングやらなんやら、存在感は圧倒的だったのかもしれませんね‼️
このマシンは印象が強い。ヒルは間違いなく優勝だと思ったけど...ね
デーモン・ヒル&ヤマハファンだった僕は96年にワールドチャンピオンを獲得したことも嬉しかったのですが、97年のハンガリーGPの活躍が1番嬉しかったですね!あと、97年のハンガリーGPといえば『アーバンテサンバイン』ですね(笑)
ヒルの奮闘ばかりがクローズアップされるけど、この解説動画を見ると、意外とディニスも頑張っていたんですね。
それもヒルとバーナードのタッグが強力だったからこそ、かもしれない。
ディニス本人も、その後の自分の実力が上がったことについてヒルから凄く学んだからと言ってますもんね。
デイモン・ヒルのF1ドライバーとしての本当の実力を示してくれた貴重なマシン・・・(*^^)v
あのハンガリーはマシンの熟成、ヒル、BSタイヤのパッケージが合わさって出来た事。決してフロックじゃないのは事実
創設期の78年からアロウズのファンでした。この年のハンガリーGPは、アロウズの初優勝が見られると興奮していましたが、残り二周の悲劇に脱力感が・・・。パトレーゼの78年の南アフリカGPでのトップ走行も期待しましたが、エンジンブローでのリタイアには泣きましたよ。TWR-アロウズときたら、パワーホースがスポンサー時代の、赤いチームスタッフが着用していたシャツを今でも持っています。
トム「アロウズでの1勝は、ウィリアムズでの10勝に値する」あと一歩のところで1勝が遠く(;_;)
97年のハンガリーグランプリ、残り2周でスローダウンしたとき、メカニックが「Come on! Come on!」って連呼してたのには、涙が出ましたね。
若干当時のウィリアムズと被るけど、青と白のアロウズとしては珍しいマシンかっこよかったな!はじめの頃はミナルディやティレルより遅かったのはシンジラレナイ!優勝してほしかったな!
開幕戦ではウェイトバランスが無茶苦茶だったという話だなあ。バーナードを招聘してからはマシンの信頼性、性能、何よりチーム力が上がって行った。ハンガリーGPではチーム、マシン、エンジン、タイヤ、コース特性などがピタリと一致した上、何よりヒルのテクニックが光った。コーナー最低速部分でのキャリースピードの高さが際立っていた。最終戦では動画にもある通り、目の前で右京がスピンしなければPPが取れたハズ。ちなみにPPから3番手までが同タイムという凄い予選だった。
しかし千分の一秒まで同じタイムが、3人も出るかぁ😵💫
しかも左右のホイールベースがズレていたって噂も…。
ウィリアムズ時代、バトルでシューマッハを抜いた記憶…思い出せないのですが、この日は見事にパス!喜びと驚きを一度に味わいました。このレースを生で観ていた深夜、本当に熱くなりました。まさに真夏の夜の夢。不器用でドジもするけど、諦めない粘り強さがあるヒルが好きでした。
あのハンガリーGPに涙しない漢はいない・・・このレースで、デーモン・ヒルは父親という高い壁を越えたと自分は感じた。「最強のウイリアムズだからチャンピオンを取れた」という人が居なくなってしまいましたねw
私も涙しました。
誇り高き2位でした。
翌年はハートエンジンに拘らずヤマハを積んでればねぇ・・・。バーナードの作ったカーボン・ギアボックスの新車も速そうだったし相乗効果はかなり高かったんじゃないかな。93年のティレル・ヤマハからずっと応援していたのでこんな形でのヤマハの撤退はとても残念でした、OX11のその後を見たかった!
ヒルがいなければヤマハでも入賞がやっただろう
まだまだ無知だった当時中学一年生だった私は、アロウズでも現チャンピオンのヒルが乗れば開幕の予選順位は8〜10位までは来れると思っていたら、あわやの107%不通過レベルで、「ヒルは所詮マシンのおかげでのチャンピオン」と思い込んでしまいました。ハンガリーグランプリの快走は掌返しに充分過ぎるもので、可能なら直接会って「今までマシンのおかげなんて思ってごめんなさい。」謝りたくなったくらいです。
このレース、ヒルは残念だったけど本当に凄かった!また、当時プロストに在籍していた中野信二選手がエディーアーバインにうっちゃりかませて6位入賞したんですよね。本当に最高のレースでした😄
中野信治○中野信二✕
プロストGPからの参戦が決まってすぐの富士でサインいただいたので6位は嬉しかったですね😊
バーナードとヒルの底力見たり、と興奮させてくれました。最終戦なんてポールまであと一歩でしたね
ヒルの開発能力の凄さが分かるシーズン
ヤマハエンジンが優勝に手が届きかけた最初で最後の1戦。
興味を待たれたらGPカーギャラリーのA18特集号も読まれる事を強くお勧めします。7:48コレが逆に不調の元凶に…ただダーニーもエンジン決定が遅すぎた中での仕事だったのは同情します。バーナードはマシンを素晴らしく矯正したと思います。ノーズに12kgもバラストを入れたり。コレでフロントが機能するようになりハンガリーのパフォーマンスに繋がったかと。ハンガリーはスロットルシステムにOリングが詰まったりしなければ優勝でした。が、開幕時点から油圧ラインの設定値が合うことが無かった事からも伏線が最悪のタイミングで回収されたとも言えますね。98年マクラーレンのオファーはサイン前迄進んだものの無償+100日のプロモーション等の条件からデイモン自身は“お呼びでないよ”とデニスからの遠回しの返答と捉えたようですね。「もうたくさんだ」と彼のプライドがそうさせたのでしょうがもし加入していたら…と思わせます。何より年間予算の半分しか確保しない中シーズンを始めたウォーキンショウ…関わった皆「彼に騙された」と言っているのは面白いです。彼の嘘で“別のプロジェクトで見せられない部屋(空き部屋)”がたくさんあったTWRのリーフィールドは後のスーパーアグリでありケータハム。その後は廃墟のままですね…
ヒルはウィリアムズだから勝てたとか、チャンピオンになれたとか言われてたのが、あのハンガリーから変わりましたね。
ハンガロリンクはもう最高で、でも悔しくて、ヒルファンには何とも言えない印象的なレースでした。
あれで優勝できないのも粘って2位に導いたのもヒルらしい。
14:17 2位でも凄いんだけど、優勝してほしかった!!ヒルを放出したウィリアムズに後悔させてやりたかった・・・と、思っていました。しっかし、アロウズみたいなチームのゼッケンに1がつくとは・・・
97年のアロウズはカッコいい‼️ハンガリーでの後一歩だった優勝争いワクワクしました。ドライバーはF1チャンピオンのデイモン…私はマクラーレンを応援してましたがこの時だけはアロウズ・デイモンに優勝して欲しかったです‼️
1997年 アロウズにカーナンバー1が灯った時期で昨年ウィリアムズでチャンピオンになったデーモン・ヒルが二位になったのは健闘でした。
ハンガリーGPでジャックが真後ろに迫った時の今宮さんの絶叫が印象的でした
ハンガリーGPの奇跡ですね。アロウズの大活躍もそうですが、鈴木敏宏アナウンサーの「アーバンテサンバイン!!」の迷実況でも有名ですねw。
日本人はこう言う雰囲気の方は好きですよね。私もその一人ですけど。
あのコースがクネクネしたハンガリーで、あれだけの走りをしたってことはヒルって人間トラクションコントロールだったってことだよね。
ヒルの頑張りにチームが応えたのもあるけど、ヤマハ&ブリヂストンと日本が誇るメーカーが光ったレース…形式上は関係ないだろうけど、ルマンプロジェクトでTWRに多額の金を支払った日産も多少なりとも貢献していたのかなぁ…
当時、ヒルを応援してた自分にとってアロウズは好きなチームでした。最後はあれでしたが。。でもTWRが頑張ったと思いましたハンガリーの後やったか前やったか忘れたけどジョン・バーナードが加わってチームがいい感じみたいな記事を見たな。二人のツーショットの写真見たときは何処のマフィアのボスやねん思ったなw
開幕戦の予選とか見るとアライメント狂ってるみたいにやたらフラフラだったから相当ポテンシャル低かったんだなぁと
ウィリアムズ時代のヒルファンにはたまらないレース!
当時テレビ中継見てましたがあれは久しぶりに興奮しました。
┐( ̄ヘ ̄)┌ しかも予選のアタックラップもシューをぶち抜く瞬間も完全スルーしてた中継に激怒したおまけ付きでしたwww
フラビオ・ブリアトーレとトム・ウォーキンショー、そしてバーニー・エクレストン…この三人にかかるとどんなビッグチームでも生き残れない。
97年ハンガリーはヒルも良かったけど見事なロケットスタートを決めてサンバインに浮上したアーバンテもよかったよね
ハンガリーグランプリは凄かったです。あと少しでのところで優勝を逃したとはいえ、ヒルの激走はお見事でしたし、バーナードの立て直しも良かったです。その年のディニスもドライバーとしての腕を上げたシーズンの一方、前半は低迷したいわば「天国と地獄」を味わったシーズンと思います。クルマは素晴らしく、好きなクルマです。エンジンの性能差が出にくいテクニカルサーキットとはいえ、ヒルの開発能力とバーナード、ヤマハエンジン、ブリジストンタイヤの努力が実ったハンガリーグランプリの激走と思います。当時愛読していたF1情報誌のハンガリーグランプリ号のレースダイジェストの見出しは「現役王者は彼である」的を得た見事な見出しと思いました。
D.ヒルのハンガロリンクの奇跡は忘れない!感動しました(*^^*)
デイモンの走りはお見事!!一方でディニスもがんばってました…
結構好きなマシンa18
ウィリアムズ時代は「マシンが良いだけ、アレなら誰でも勝てる」とヒルの事をボロクソに貶していたミハイルが、ハンガリーGP後に「ヒルの腕前は前から評価していたんだよ」と言い訳、手のひらクルクルしたのは(笑)翌年のアロウズはヒルがジョーダンGPに移籍、エンジンをヤマハからハートに変更したが、コンストラクターズランキングは97年の8位を上回る7位を獲得しているのだけど、ハンガリーGP程の衝撃は無いから皆忘れているんだよね。
コンストラクターズが上がったのはプロストが崩壊したからの面が大きいんだけどね
YAMAHAエンジンをティレルから引き抜き、ドライバーは行き場がなかったとはいえヒルと契約しデザインに喝を入れるべくバーナードを連れてくる。まさに策士ウオーキンショウの面目躍如と言った活躍❕ある意味ドライバーよりもウオーキンショウの活動に目を引かれた97年だったなあ…
アタックラップで前を走るマシンがスピン。片山右京の事ですね。
アロウズとヤマハとしては良い年だったことでしょう👍ブリヂストンとしても初の初陣でいきなりまずまずの好成績ですね。BSとしては次の年のマクラーレンベンツへの手応えにもなったはずです。
デイモンはウイリアムズ時代はメンタルが弱いと言われてましたね。それは結果からも言われて仕方がない所ははります。チャンピオン争いをしたのもルーキーのジャックでしたから…。しかし、遅いドライバーはチャンピオンにはなれません。そしてプレッシャーから抜けたデイモンは順位は下の方に下がりましたが、ウイリアムズ時代よりも輝いていましたね。2世ドライバーは数人いますが、親子でチャンピオンはヒル家だけてすからね。素晴らしいドライバーです。
親子でチャンピオンはロズベルグもそうだと思います本当に親子でチャンピオンは言葉に言い表せないほど凄いことですよね
そうでした…。
このヒル、ロズベルグ…二人共ウィリアムズ絡みのドライバーですね。
この頃のアロウズって時々凄い走りする車作ってたよね。ストレートだけ馬鹿っ速い車とか。
ハンガリーGPは、本当に惜しかったですねヤマハの初優勝、と思いきや残念、ぬか喜びでしたでも、ヒルの走りは夢を与えてくれました。
迷走後の話も聞かせてください♪ この頃のF1は本当に面白かったですね~
突然速くなったので、飛び飛びに視聴していた当時の私は何が起こっているのか???だった記憶があります。クルマって各エレメントの優秀さも大切ですが、組み合わせがすごく大切なんだって知らなかった頃の話です。
開幕前F1雑誌の新車紹介で、マシンデザインとカラーリングが格好良くてしかもヤマハエンジンか、と興味を惹かれたアロウズA18。ヒルが好きだったので、勿論ハンガロリンクの激走を興奮しながらTV放送を観ていました。しかし残り2周で発生したギアボックストラブル、せめて5速か6速で固定だったら良かったんですが、2速固定ではね…(泣)それでもこのレースは、それまで過小評価されていたヒルの開発能力と運転能力の実力を皆に思い知らせた一戦でした。
デーモン・ヒル アイルトン・セナに続いて2番めに好きなドライバー ジャック・ビルヌーブは前年チャンピオン取ったデーモン・ヒルを追い出してウィリアムズでチャンピオン取ったけどそれ以降は低迷したね。下位チームに行ったデーモン・ヒル 多くのレーサーが優勝経験しなく去っていく中優勝もしたし立派なもんよ。
ヤマハエンジンは実際ジョン・ジャッド協力の元開発されていました。完璧なワークスエンジンと言われると疑問が残るのはその点ですね。ジャッド自身の開発手法や施設の老朽化等も挙げられます。折角あの時代フェラーリよりも30kgは軽いエンジンを設計したものの少し残念な事を言うと関係者からの評価は馬力がなくその馬力の測定手法も正確では無いというものでした。(バーナードは評価していた)手を組む相手が違っていたら、また純ワークスでの開発費用があったら…と思います。
ドライバーからだけでなく業界関係者からの評価が高いヒル。それはタイヤエンジニアやヘルメットメーカーまでに及ぶ。そして、人柄の良さ👍
ヒルは凄いドライバーだったんだなと思う。ただ時代は凄い車を作る凄いドライバーよりも凄いチームを作るドライバーが勝つ時代になっていく。その時代に埋もれたドライバーだったんだろうと思う。本当この時代大好き
ヒルは97年の移籍先にグッドイヤータイヤを使う事と条件を付けていたんですけどね、得意なハンガリーGPでトップ争いする彼の走りには感動しましたよファンレター書こうかなと思っちゃいました。
優秀なドライバーのDNAはラウダ、プロスト、ヒル、ディニス…と受け継がれていきましたね。特にヒルはプロストからどれだけ影響を受けてチャンピオンを獲得出来たか…?
ウォーキンショーは日産が近い将来ツーリングカーでR32を使い無双しまくると匂わす発言をしていたなぁ…。
今の1~2戦で、下手したら開幕前のテストで1年がすべてわかってしまうF1とは大違いだな
下位のチームが優勝や上位争いをする場合は雨やクラッシュなどで上位陣が総崩れする場合がほとんどハンガリーはそうでなくブッチギリだから序盤でトップを走るシューマッハをオーバーテイクでぶち抜いてトップ独走だからすごいトラブルで優勝しなかったがレース内容はちょっと見たことない感じだね
ニューウェイとヒルのタッグをマクラーレンでも観たかったな
ヴィルヌーヴとヒルとハーバートの表彰台はロックバンドみたいなカッコ良さだね😉情状酌量の余地があるにせよダーニーは空力エンジニア向きだったな~
圧倒的な車で圧倒的に勝つのではなくこのくらい車でもそれなりの結果を出す、という地味な偉大さがデイモンヒル
プロストやマンセル、ニューウェイに認められた開発力を見せつけたウィリアムズ離脱後のキャリアだったよな。勿論予選やレースでも強さを見せつけたけどさ。
生中継で観た、まじか!と思ったがヴィルヌーヴファンだったから複雑
ヒルはハンガロリンクでは完走率100%、入賞率87.5%…だけど一番最高のハンガリーグランプリは文句無しで1997年ですね!
今のマシンで例えると、ハースのマシンで表彰台争いをするぐらいの感覚かなぁ?
A18の開幕当初のマシンはかつての弱小チーム、バージングランプリに似た感じかなと思います。途中から95年頃のジョーダングランプリみたいなかんじ。
このような背景を知ると、ハンガリーは残念だな
デイモンの実力+ジョン・バーナードの加入が大きかった。
この頃がバーナードの神通力が通用した最後の頃というか、翌年バーナードがゼロから設計した黒いフェラーリことアロウズA19は本家の足許にも及ばね成績しか残せませんでした。
ヒルとヤマハがいなければ97年も大した成績は残せなかっただろう
ヒルは大好きだけど、あえて他の事を称えるならば、高回転ハイパワー時代の中でヤマハエンジンの軽量コンパクトも賞賛されるべきではないだろうか。
この年のアロウズは、元チャンピオン、辣腕デザイナー、参戦カテゴリーでは全てチャンピオンを獲ったウォーキンショーと、役者が揃ってたんですよね。で、この後マリク王子がT minusとともにやって来る…
意外とイケるぞアロウズハート
以前、興味を感じて調べたのですが、メインスポンサーの「DANKA」が何なのか、分かりませんでした。ご存知の方がいらしたら、教えてください。
今のアルファタウリもそうなって今の鈴鹿に表彰台に角田くんが獲得したりアロンソが最下位チームに来たりしてほしいと思うぐらいです。
開発の高さ、ヒルでならですね。1994年のウィリアムズ、開幕戦は神経質で扱いづらいマシンだったのに、終盤はワールドチャンピオン争いになったもんな。
デイモンにはスチュワート、アロウズの他にもプロストGPからもオファーが届いていたそうですよ、若しプロストへ移籍していたらこの奇跡はプロスト無限ホンダに起きていたかもしれませんね。^^bそしてこのヤマハV10が98年以降のウィリアムズに搭載されウィリアムズヤマハが誕生していたらそちらもどうなっていたか気になると思いませんか?^^y
@@孫悟空-q5i マジですか、若しベネトンのヤマハV10獲得が実現していたらベネトンヤマハとして98年以降は戦いトヨタのF1参戦時もヤマハを載せていたベネトンのチーム株式を取得してベネトンヤマハ→トヨタワークスの流れになっていたでしょうね!^^
可能性、大、ですね👍
@@孫悟空-q5i ベネトン→トヨタワークスの流れが実現していたらどうなっていたと思いますか?^^b
優勝(何回か?)してたかもしれませんね
@@孫悟空-q5i モナコGPを制覇したらそれこそルマン連覇も果たし残すはインディ500、と言う事になっていたでしょうね。^^
ヘレスでスピンしたマシンが片山。あれさえなければヒルがPPだったはず。開幕戦最後尾だったドライバーが最終戦でPPという前代未聞の下剋上のチャンスを片山が潰してしまった。
トップチームから下位チームへの移籍は最近ではサインツに起きそうだが彼はヒルになれるかな?
デイモン・ヒルのマシン開発能力は、歴代でもトップクラスだと思います。
デーモンも K. ロバーツjr も偉大な父親と比べられる重圧に打ち勝ってチャンピオンになったのは素直に凄いことだと思います。
「マシンのおかげで優勝できた」と言われていたヒルでしたがアロウズで凄い走りをしたおかげで評価があがりましたね。
ジョーダン無限ホンダでも優勝したしね😊
速いマシンで優勝できたのではなく、優勝できる速いマシンを作っていたのはヒルだったことが、97年からの3年間で証明されましたもんね。
逆にこんなヒルを追放したウィリアムズには「ザマアww」って感じですね
ヒルの実力を最も評価していたのがエイドリアン・ニューウェイ。
ニューウェイにはドライバー選考で権限が有ったのに、フランク・ウィリアムズやパトリック・ヘッドがヒルを勝手解雇した事で離脱を決意した。
この様にドライバーやスタッフの功績を正しく評価しなかったからウィリアムズは落ちぶれることになった。
自業自得だよ。
@@カイザーソゼ-r2e 慢心はいかん❗️ちゅうことですな
この年のオーストラリア予選でそこかしこでズルズルと滑っていたA18が後にハンガリーで優勝目前までいくとは想像も出来なかった
ウィリアムズを放出されたヒルが真の実力を見せることが出来たのも最高に嬉しかった
放出してからのウイリアムズの急凋落ぶりがそれを証明していますよね。
アロウズの奇跡というべき97シーズンですね!!
ハンガリーGPは本当に惜しかった・・・。
私も当時、TV中継でこのレースを観ていて「いよいよアロウズ、ヤマハ、そしてBSの初優勝が見れる!!」と興奮していましたが残り2周でスローダウンした時「噓だろー」と叫んでいました。
アロウズにとってもヤマハにとっても最後の最高のレースとなってしまいましたが今でもこの走りは私の目に焼き付いています!!
いい動画をありがとうございました!!
同じくあの日深夜にTVの前で絶叫したヤマハエンジンマニアです🎹
自分も見てました。
夢を見ました。。
鈴木アナが興奮して叫んでましたな
@@マジックリンT あれがそのままストップだったら悲惨だったな。
チャンピオン取ったときよりウイリアムズを追い出されたあとの方が評価上がっていった稀有な例
逆にウィリアムズ出た後、1勝も出来ずに全く鳴かず飛ばずやったビルヌーブの方が、評価は疑問
アラン・プロスト ナイジェル・マンセル リカルド・パトレーゼが認めた開発能力が有ったからこそ ウィリアムズが最強マシンであり 放出後も所属した2チームでもしっかりとしたマシンに仕上げる事が出来、あの成績、且つ デーモンは早いドライバーと証明しましたね。
下位を走ってた時は平凡なデザインにみえたのにトップ集団を走るようになったA18はカッコよく美しくみえた不思議なマシン
ニキ・ラウダもほぼ同じことを言ってましたね。昔F1雑誌で関係者向けのアンケートで一番美しいと思うマシンの項目に特定のマシン名を書かずに「速いマシン」と書いて、醜いと思うマシンの項目に「遅いマシン」と書いてたのを見たことがあります。
速ければかっこよく見え、遅ければかっこ悪く見えるだけのこと。バイアスがかかりまくるからね。
美しいから速いのか、或いはその逆か。
トップドライバーがトップチームから転落すると這い上がれない物だけどデーモンヒルはこのアロウズYAMAHAでも色褪せなかったしジョーダン無限HONDAでも最後に一花咲かせたよね。記憶に残る良いドライバーだった
80年代からF1ファンやってますけど、当時F1をみてたファンに97年ハンガリーって言うと絶対思い出しますよね。元々ヤマハ党な上に、デイモンヒルの私設ファンクラブに入っていた自分は、一生わすれられない最高のレースだったと思います。ウィリアムズが速かったからチャンピオンをとれただけって言う人もいるなか、自分はそのマシンをつくったのはヒル自身だと思っていたのが、見事に証明してくれたのが本当にうれしかったのを覚えています。ハンガリーGPでマシンがおかしかったのに2位に入れたのもヒルの技量があったからだと思います。みんな言うようにカラーリングもあわせてマシンもかっこいいんですよね。いやーほんとに、このレースをとりあげてくれてありがとうございました!
勝ちまくっていたウイリアムズ時代よりある意味ヒルの評価が上がった1年だった気がします
ヒルのフィードバックと開発能力の凄さを思い知ったかなと思いますね
確かプロストさんは評価していましたよね。
マンセルさんもですね。
16:1😊‥😊😊😊😊😊に😊😊😊😊😊😊😊😊。😊😊、し肚は、ハラ😊秘。ララ、ャランチややㇵ!ハヤハヤハルるは絽LE、レルする、ってさとは。より!をしているというくらいのほどにはできるまでとしますかとして下さいというかのがする、などには!を!ろ。…。…?…、…。……。…、…、・、‥!?は、ヤン等…、や、、など?!、のしてはとしたというかたちにはできる!との。というかが😊 😊😊
デイモン・ヒルのキャリアの中で一番好きなマシン。
A18でヒルのマシン開発能力と予選での強さを自ら証明した。
ジョーダン無限ホンダも好きだがウイリアムズ時代に散々他のドライバーやマスコミ連中にバカにされてきた中でそれを実力で黙らせたのは本当に爽快。
ハンガリーGPは何回も見返してしまう。
残念なのは翌年にヤマハエンジンを捨てて低迷していく自業自得アロウズ。
そのおかげでスーパーアグリに繋がると考えると複雑だが。
当時ヒルファンの自分としてはめちゃくちゃ興奮したのを覚えています。
散々マシン開発に貢献したにも関わらず放出させられたウィリアムズに溜飲を下げさせたのが気持ちよかった!
放出したウイリアムズはあっと言う間に凋落していきましたね。
自分ではカーナンバー1を手みやげにマクラーレンに行けると思って居たみたいですけどね。
デザイン的には平凡だけど青と白のクリーンなカラーリング、何と言ってもチーム史上唯一のカーナンバー“1”が鮮やかなマシンでしたね。
あとこのマシンといえば個人的にはもう一つ、日本GPで周回遅れながらトップのシューマッハを半周にわたって抑え込んだシーンが印象的でした。
相手の行こうとする先を絶妙に塞いで行く巧みなライン取りにヒルの上手さを改めて実感するとともに「タイトルが欲しいなら自分を抜いてみろ」というチャンピオンの意地みたいなものが感じられたのを覚えています。
あのハンガロリンクでジャックに抜かれるとは分かっていてもマシンを右左にブロックするヒルに気持ちが伝わってきて泣けた。
ヒル、、流石チャンピオンです!
この年のヒル、めちゃくちゃかっこよかった‼️
96年にチャンピオンになり移籍して97年開幕してみたら車が遅くて😱
でもハンガリーGPでは優勝目前までいったヒルって本当に素晴らしいドライバーだと思います‼️
テレビ放送ではヒルがチェッカーフラッグを受けた瞬間が映ってなくて焦りました😅
青白カラーのアロウズヤマハ美しい
マシンですね😊👍
ドライバースーツの青い色のトーンと併せ、この年のアロウズはチーム史上最高のカッコ良さやった
ジョン•バーナードってホントに凄いデザイナーだよね、
当時ヒルが1番好きなドライバーだったのでこのレースは嬉しかったです。
BSもYAMAHAも日本の誇り!
今でも見たいベストレース
デーモンヒルの凄さが引き立ってました。ウィリアムズ時代マシンコントロールやタイヤマネージメントがうまいと思ってましたがマシンが良いからと評価されて無かったのが一気に絶賛されたレースでもありました。今では渋いおぢさんになりましたが憧れの人である事は変わりませんね
オールドファンにはイギリスのロマン役ってイメージがありますが色々ありましたよね。こちらのチャンネル、たいがいは既知のナイヨウが多いのですが、簡潔に流れを分かりやすくまとめていらっしゃるので大変便利にかんじてます。
こういう奇を衒わないチャンネルもありなんだと実感します。これからも着実な記事の持続を期待してます。
フジテレビF1中継の歴史上、これほどまでに栄光を汚されたカーナンバー1は他にないだろう。屈辱に挫けてしまってもおかしくないのに、ハンガリーまで持っていったヒルは立派。
やはり、ヒル。技術面のみならず、マーケティングやらなんやら、存在感は圧倒的だったのかもしれませんね‼️
このマシンは印象が強い。
ヒルは間違いなく優勝だと思ったけど...ね
デーモン・ヒル&ヤマハファンだった僕は96年にワールドチャンピオンを獲得したことも嬉しかったのですが、97年のハンガリーGPの活躍が1番嬉しかったですね!
あと、97年のハンガリーGPといえば『アーバンテサンバイン』ですね(笑)
ヒルの奮闘ばかりがクローズアップされるけど、この解説動画を見ると、意外とディニスも頑張っていたんですね。
それもヒルとバーナードのタッグが強力だったからこそ、かもしれない。
ディニス本人も、その後の自分の実力が上がったことについてヒルから凄く学んだからと言ってますもんね。
デイモン・ヒルのF1ドライバーとしての本当の実力を示してくれた貴重なマシン・・・(*^^)v
あのハンガリーはマシンの熟成、ヒル、BSタイヤのパッケージが合わさって出来た事。決してフロックじゃないのは事実
創設期の78年からアロウズのファンでした。
この年のハンガリーGPは、アロウズの初優勝が見られると興奮していましたが、残り二周の悲劇に脱力感が・・・。
パトレーゼの78年の南アフリカGPでのトップ走行も期待しましたが、エンジンブローでのリタイアには泣きましたよ。
TWR-アロウズときたら、パワーホースがスポンサー時代の、赤いチームスタッフが着用していたシャツを今でも持っています。
トム「アロウズでの1勝は、ウィリアムズでの10勝に値する」
あと一歩のところで1勝が遠く(;_;)
97年のハンガリーグランプリ、残り2周でスローダウンしたとき、メカニックが「Come on! Come on!」って連呼してたのには、涙が出ましたね。
若干当時のウィリアムズと被るけど、青と白のアロウズとしては珍しいマシンかっこよかったな!
はじめの頃はミナルディやティレルより遅かったのはシンジラレナイ!
優勝してほしかったな!
開幕戦ではウェイトバランスが無茶苦茶だったという話だなあ。
バーナードを招聘してからはマシンの信頼性、性能、何よりチーム力が上がって行った。
ハンガリーGPではチーム、マシン、エンジン、タイヤ、コース特性などがピタリと一致した上、何よりヒルのテクニックが光った。
コーナー最低速部分でのキャリースピードの高さが際立っていた。
最終戦では動画にもある通り、目の前で右京がスピンしなければPPが取れたハズ。
ちなみにPPから3番手までが同タイムという凄い予選だった。
しかし千分の一秒まで同じタイムが、3人も出るかぁ😵💫
しかも左右のホイールベースがズレていたって噂も…。
ウィリアムズ時代、バトルでシューマッハを抜いた記憶…思い出せないのですが、この日は見事にパス!
喜びと驚きを一度に味わいました。
このレースを生で観ていた深夜、本当に熱くなりました。まさに真夏の夜の夢。
不器用でドジもするけど、諦めない粘り強さがあるヒルが好きでした。
あのハンガリーGPに涙しない漢はいない・・・このレースで、デーモン・ヒルは父親という高い壁を越えたと自分は感じた。
「最強のウイリアムズだからチャンピオンを取れた」という人が居なくなってしまいましたねw
私も涙しました。
誇り高き2位でした。
翌年はハートエンジンに拘らずヤマハを積んでればねぇ・・・。
バーナードの作ったカーボン・ギアボックスの新車も速そうだったし相乗効果はかなり高かったんじゃないかな。
93年のティレル・ヤマハからずっと応援していたのでこんな形でのヤマハの撤退はとても残念でした、OX11のその後を見たかった!
ヒルがいなければヤマハでも入賞がやっただろう
まだまだ無知だった当時中学一年生だった私は、アロウズでも現チャンピオンのヒルが乗れば開幕の予選順位は8〜10位までは来れると思っていたら、あわやの107%不通過レベルで、「ヒルは所詮マシンのおかげでのチャンピオン」と思い込んでしまいました。
ハンガリーグランプリの快走は掌返しに充分過ぎるもので、可能なら直接会って「今までマシンのおかげなんて思ってごめんなさい。」謝りたくなったくらいです。
このレース、ヒルは残念だったけど本当に凄かった!
また、当時プロストに在籍していた中野信二選手がエディーアーバインにうっちゃりかませて6位入賞したんですよね。
本当に最高のレースでした😄
中野信治○
中野信二✕
プロストGPからの参戦が決まってすぐの富士でサインいただいたので6位は嬉しかったですね😊
バーナードとヒルの底力見たり、と興奮させてくれました。最終戦なんてポールまであと一歩でしたね
ヒルの開発能力の凄さが分かるシーズン
ヤマハエンジンが優勝に手が届きかけた最初で最後の1戦。
興味を待たれたらGPカーギャラリーのA18特集号も読まれる事を強くお勧めします。
7:48コレが逆に不調の元凶に…ただダーニーもエンジン決定が遅すぎた中での仕事だったのは同情します。
バーナードはマシンを素晴らしく矯正したと思います。ノーズに12kgもバラストを入れたり。
コレでフロントが機能するようになりハンガリーのパフォーマンスに繋がったかと。
ハンガリーはスロットルシステムにOリングが詰まったりしなければ優勝でした。
が、開幕時点から油圧ラインの設定値が合うことが無かった事からも伏線が最悪のタイミングで回収されたとも言えますね。
98年マクラーレンのオファーはサイン前迄進んだものの無償+100日のプロモーション等の条件から
デイモン自身は“お呼びでないよ”とデニスからの遠回しの返答と捉えたようですね。
「もうたくさんだ」と彼のプライドがそうさせたのでしょうがもし加入していたら…と思わせます。
何より年間予算の半分しか確保しない中シーズンを始めたウォーキンショウ…
関わった皆「彼に騙された」と言っているのは面白いです。
彼の嘘で“別のプロジェクトで見せられない部屋(空き部屋)”がたくさんあったTWRのリーフィールドは後のスーパーアグリでありケータハム。
その後は廃墟のままですね…
ヒルはウィリアムズだから勝てたとか、チャンピオンになれたとか言われてたのが、あのハンガリーから変わりましたね。
ハンガロリンクはもう最高で、でも悔しくて、ヒルファンには何とも言えない印象的なレースでした。
あれで優勝できないのも粘って2位に導いたのもヒルらしい。
14:17 2位でも凄いんだけど、優勝してほしかった!!
ヒルを放出したウィリアムズに後悔させてやりたかった・・・と、思っていました。
しっかし、アロウズみたいなチームのゼッケンに1がつくとは・・・
97年のアロウズはカッコいい‼️ハンガリーでの後一歩だった優勝争いワクワクしました。ドライバーはF1チャンピオンのデイモン…私はマクラーレンを応援してましたがこの時だけはアロウズ・デイモンに優勝して欲しかったです‼️
1997年 アロウズにカーナンバー1が灯った時期で昨年ウィリアムズでチャンピオンになったデーモン・ヒルが二位になったのは健闘でした。
ハンガリーGPでジャックが真後ろに迫った時の今宮さんの絶叫が印象的でした
ハンガリーGPの奇跡ですね。アロウズの大活躍もそうですが、鈴木敏宏アナウンサーの「アーバンテサンバイン!!」の迷実況でも有名ですねw。
日本人はこう言う雰囲気の方は好きですよね。
私もその一人ですけど。
あのコースがクネクネしたハンガリーで、あれだけの走りをしたってことは
ヒルって人間トラクションコントロールだったってことだよね。
ヒルの頑張りにチームが応えたのもあるけど、ヤマハ&ブリヂストンと日本が誇るメーカーが光ったレース…
形式上は関係ないだろうけど、ルマンプロジェクトでTWRに多額の金を支払った日産も多少なりとも貢献していたのかなぁ…
当時、ヒルを応援してた自分にとってアロウズは好きなチームでした。
最後はあれでしたが。。
でもTWRが頑張ったと思いました
ハンガリーの後やったか前やったか忘れたけどジョン・バーナードが加わってチームがいい感じみたいな記事を見たな。
二人のツーショットの写真見たときは何処のマフィアのボスやねん思ったなw
開幕戦の予選とか見るとアライメント狂ってるみたいにやたらフラフラだったから相当ポテンシャル低かったんだなぁと
ウィリアムズ時代のヒルファンにはたまらないレース!
当時テレビ中継見てましたが
あれは久しぶりに興奮しました。
┐( ̄ヘ ̄)┌ しかも予選のアタックラップもシューをぶち抜く瞬間も完全スルーしてた中継に激怒したおまけ付きでしたwww
フラビオ・ブリアトーレとトム・ウォーキンショー、そしてバーニー・エクレストン…この三人にかかるとどんなビッグチームでも生き残れない。
97年ハンガリーはヒルも良かったけど見事なロケットスタートを決めてサンバインに浮上したアーバンテもよかったよね
ハンガリーグランプリは凄かったです。
あと少しでのところで優勝を逃したとはいえ、ヒルの激走はお見事でしたし、バーナードの立て直しも良かったです。
その年のディニスもドライバーとしての腕を上げたシーズンの一方、前半は低迷したいわば「天国と地獄」を味わったシーズンと思います。クルマは素晴らしく、好きなクルマです。
エンジンの性能差が出にくいテクニカルサーキットとはいえ、ヒルの開発能力とバーナード、ヤマハエンジン、ブリジストンタイヤの努力が実ったハンガリーグランプリの激走と思います。当時愛読していたF1情報誌のハンガリーグランプリ号のレースダイジェストの見出しは「現役王者は彼である」
的を得た見事な見出しと思いました。
D.ヒルのハンガロリンクの奇跡は忘れない!感動しました(*^^*)
デイモンの走りはお見事!!
一方でディニスもがんばってました…
結構好きなマシンa18
ウィリアムズ時代は
「マシンが良いだけ、アレなら誰でも勝てる」
とヒルの事をボロクソに貶していたミハイルが、ハンガリーGP後に
「ヒルの腕前は前から評価していたんだよ」
と言い訳、手のひらクルクルしたのは(笑)
翌年のアロウズはヒルがジョーダンGPに移籍、エンジンをヤマハからハートに変更したが、コンストラクターズランキングは97年の8位を上回る7位を獲得しているのだけど、ハンガリーGP程の衝撃は無いから皆忘れているんだよね。
コンストラクターズが上がったのはプロストが崩壊したからの面が大きいんだけどね
YAMAHAエンジンをティレルから引き抜き、ドライバーは行き場がなかったとはいえヒルと契約しデザインに喝を入れるべくバーナードを連れてくる。
まさに策士ウオーキンショウの面目躍如と言った活躍❕ある意味ドライバーよりもウオーキンショウの活動に目を引かれた97年だったなあ…
アタックラップで前を走るマシンがスピン。片山右京の事ですね。
アロウズとヤマハとしては良い年だったことでしょう👍
ブリヂストンとしても初の初陣でいきなりまずまずの好成績ですね。
BSとしては次の年のマクラーレンベンツへの手応えにもなったはずです。
デイモンはウイリアムズ時代はメンタルが弱いと言われてましたね。それは結果からも言われて仕方がない所ははります。チャンピオン争いをしたのもルーキーのジャックでしたから…。しかし、遅いドライバーはチャンピオンにはなれません。そしてプレッシャーから抜けたデイモンは順位は下の方に下がりましたが、ウイリアムズ時代よりも輝いていましたね。2世ドライバーは数人いますが、親子でチャンピオンはヒル家だけてすからね。素晴らしいドライバーです。
親子でチャンピオンはロズベルグもそうだと思います
本当に親子でチャンピオンは言葉に言い表せないほど凄いことですよね
そうでした…。
このヒル、ロズベルグ…二人共ウィリアムズ絡みのドライバーですね。
この頃のアロウズって時々凄い走りする車作ってたよね。ストレートだけ馬鹿っ速い車とか。
ハンガリーGPは、本当に惜しかったですね
ヤマハの初優勝、と思いきや残念、ぬか喜びでした
でも、ヒルの走りは夢を与えてくれました。
迷走後の話も聞かせてください♪ この頃のF1は本当に面白かったですね~
突然速くなったので、飛び飛びに視聴していた当時の私は何が起こっているのか???だった記憶があります。クルマって各エレメントの優秀さも大切ですが、
組み合わせがすごく大切なんだって知らなかった頃の話です。
開幕前F1雑誌の新車紹介で、マシンデザインとカラーリングが格好良くてしかもヤマハエンジンか、と興味を惹かれたアロウズA18。
ヒルが好きだったので、勿論ハンガロリンクの激走を興奮しながらTV放送を観ていました。
しかし残り2周で発生したギアボックストラブル、せめて5速か6速で固定だったら良かったんですが、2速固定ではね…(泣)
それでもこのレースは、それまで過小評価されていたヒルの開発能力と運転能力の実力を皆に思い知らせた一戦でした。
デーモン・ヒル
アイルトン・セナに続いて2番めに好きなドライバー
ジャック・ビルヌーブは前年チャンピオン取ったデーモン・ヒルを追い出してウィリアムズでチャンピオン取ったけどそれ以降は低迷したね。
下位チームに行ったデーモン・ヒル
多くのレーサーが優勝経験しなく去っていく中優勝もしたし立派なもんよ。
ヤマハエンジンは実際ジョン・ジャッド協力の元開発されていました。
完璧なワークスエンジンと言われると疑問が残るのはその点ですね。
ジャッド自身の開発手法や施設の老朽化等も挙げられます。
折角あの時代フェラーリよりも30kgは軽いエンジンを設計したものの
少し残念な事を言うと関係者からの評価は馬力がなくその馬力の測定手法も正確では無いというものでした。(バーナードは評価していた)
手を組む相手が違っていたら、また純ワークスでの開発費用があったら…と思います。
ドライバーからだけでなく業界関係者からの評価が高いヒル。
それはタイヤエンジニアやヘルメットメーカーまでに及ぶ。
そして、人柄の良さ👍
ヒルは凄いドライバーだったんだなと思う。ただ時代は凄い車を作る凄いドライバーよりも凄いチームを作るドライバーが勝つ時代になっていく。その時代に埋もれたドライバーだったんだろうと思う。本当この時代大好き
ヒルは97年の移籍先にグッドイヤータイヤを使う事と条件を付けていたんですけどね、得意なハンガリーGPでトップ争いする彼の走りには感動しましたよファンレター書こうかなと思っちゃいました。
優秀なドライバーのDNAはラウダ、プロスト、ヒル、ディニス…と受け継がれていきましたね。特にヒルはプロストからどれだけ影響を受けてチャンピオンを獲得出来たか…?
ウォーキンショーは日産が近い将来ツーリングカーでR32を使い無双しまくると匂わす発言をしていたなぁ…。
今の1~2戦で、下手したら開幕前のテストで1年がすべてわかってしまうF1とは大違いだな
下位のチームが優勝や上位争いをする場合は雨やクラッシュなどで上位陣が総崩れする場合がほとんど
ハンガリーはそうでなくブッチギリだから
序盤でトップを走るシューマッハをオーバーテイクでぶち抜いてトップ独走だからすごい
トラブルで優勝しなかったがレース内容はちょっと見たことない感じだね
ニューウェイとヒルのタッグをマクラーレンでも観たかったな
ヴィルヌーヴとヒルとハーバートの表彰台はロックバンドみたいなカッコ良さだね😉
情状酌量の余地があるにせよダーニーは空力エンジニア向きだったな~
圧倒的な車で圧倒的に勝つのではなくこのくらい車でもそれなりの結果を出す、という地味な偉大さがデイモンヒル
プロストやマンセル、ニューウェイに認められた開発力を見せつけたウィリアムズ離脱後のキャリアだったよな。
勿論予選やレースでも強さを見せつけたけどさ。
生中継で観た、まじか!と思ったがヴィルヌーヴファンだったから複雑
ヒルはハンガロリンクでは完走率100%、入賞率87.5%…だけど一番最高のハンガリーグランプリは文句無しで1997年ですね!
今のマシンで例えると、ハースのマシンで表彰台争いをするぐらいの感覚かなぁ?
A18の開幕当初のマシンはかつての弱小チーム、バージングランプリに似た感じかなと思います。途中から95年頃のジョーダングランプリみたいなかんじ。
このような背景を知ると、ハンガリーは残念だな
デイモンの実力+ジョン・バーナードの加入が大きかった。
この頃がバーナードの神通力が通用した最後の頃というか、翌年バーナードがゼロから設計した黒いフェラーリことアロウズA19は本家の足許にも及ばね成績しか残せませんでした。
ヒルとヤマハがいなければ97年も大した成績は残せなかっただろう
ヒルは大好きだけど、あえて他の事を称えるならば、高回転ハイパワー時代の中でヤマハエンジンの軽量コンパクトも賞賛されるべきではないだろうか。
この年のアロウズは、元チャンピオン、辣腕デザイナー、参戦カテゴリーでは全てチャンピオンを獲ったウォーキンショーと、役者が揃ってたんですよね。
で、この後マリク王子がT minusとともにやって来る…
意外とイケるぞアロウズハート
以前、興味を感じて調べたのですが、メインスポンサーの「DANKA」が何なのか、分かりませんでした。
ご存知の方がいらしたら、教えてください。
今のアルファタウリもそうなって今の鈴鹿に表彰台に角田くんが獲得したりアロンソが最下位チームに来たりしてほしいと思うぐらいです。
開発の高さ、ヒルでならですね。
1994年のウィリアムズ、開幕戦は神経質で扱いづらいマシンだったのに、終盤はワールドチャンピオン争いになったもんな。
デイモンにはスチュワート、アロウズの他にもプロストGPからもオファーが届いていたそうですよ、若しプロストへ移籍していたらこの奇跡はプロスト無限ホンダに起きていたかもしれませんね。^^b
そしてこのヤマハV10が98年以降のウィリアムズに搭載されウィリアムズヤマハが誕生していたらそちらもどうなっていたか気になると思いませんか?^^y
@@孫悟空-q5i マジですか、若しベネトンのヤマハV10獲得が実現していたらベネトンヤマハとして98年以降は戦いトヨタのF1参戦時もヤマハを載せていたベネトンのチーム株式を取得してベネトンヤマハ→トヨタワークスの流れになっていたでしょうね!^^
可能性、大、ですね👍
@@孫悟空-q5i ベネトン→トヨタワークスの流れが実現していたらどうなっていたと思いますか?^^b
優勝(何回か?)してたかもしれませんね
@@孫悟空-q5i モナコGPを制覇したらそれこそルマン連覇も果たし残すはインディ500、と言う事になっていたでしょうね。^^
ヘレスでスピンしたマシンが片山。あれさえなければヒルがPPだったはず。開幕戦最後尾だったドライバーが最終戦でPPという前代未聞の下剋上のチャンスを片山が潰してしまった。
トップチームから下位チームへの移籍は最近ではサインツに起きそうだが彼はヒルになれるかな?