復活目指すもありえない設計ミス 強豪の失態にマンセルがブチギレた!【F1解説】【マクラーレン MP4/10】
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- Опубликовано: 22 июн 2023
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今回はメルセデスとの提携1年目となり、ナイジェル・マンセル、ミカ・ハッキネンらがドライブした1995年のマクラーレン、MP4/10について解説シていきます。
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大失敗作で2位を2回ゲットした
ハッキネンはすごすぎる👏👏👏
7:28 若き日のクルサード。そして四角い。
マンセルがコクピットが狭いから乗れないって言っていたのはワガママじゃなくてホントに深刻な問題だったんですね。
この時にミカは
『アイルトンからはF1レーサーとしてどう行動するべきかを学んだ。ナイジェルからはF1レーサーとしてどう行動してはいけないかを学んだ』と述べていましたね。
歴史に残るクセ強ドライバー2人に影響を受けて、ミカみたいなぐう聖が出来上がるこの不思議。
見た目だけで判断するのは良くないと思いつつも、どう見ても速そうには見えなかった。
偶然なのか90年代のマクラーレンで一番どん底だった1995年のMP4/10はデザインも野暮ったくてかっこ悪い。
マクラーレンは歴史的にチームの強さとマシンデザインの良さが割とリンクしてる気がするんだよね。
セナ・プロ無双だった1988年のMP4/4とかハッキネンが活躍した1998~2000年のマシンはスタイルが洗練されてた。
一瞬だけだったけどマクラーレンにマンセルが乗る事は絶対にないだろと思ってた自分にはマルボロカラーのマシンに乗るマンセルが見れて嬉しかったなあ
フェラーリ、ウィリアムズはここ数年今一つだし、マクラーレンにもこういう時代があるしでF1って本当に難しい世界なんだなって思うよ
すっかり没落したマクラーレンとウィリアムズはともかく
フェラーリはシューマッハーがいた頃が特別だっただけで
本来は今のようにトップチームの少し下あたりが定位置のような気もする
@@miceli2363 ニキ・ラウダ「俺のときも特別かい?」
@@miceli2363 シューマッハとジャントッドが最強だったようなもんだからね
ジャン・トッドじゃなくてシューマッハとロス・ブラウン
Mブランデルは96年からCART参戦して97年からメルセデスエンジンを使用しチームメイトはグージェルミンでR9
ポートランドで初優勝しトロントやR17でハイスピードオーバルでも勝ち3勝を上げましたランキング6位で終了しました❗
スティーブ・ニコルスが復帰した時にマシンをボロクソ言っていたのを思いだした、コックピット1つとてセナやプロストは事細かに注文をつけていたようだ、ベルガーは満足するまで3年かかったとか、ましてやマンセルが満足出来るコックピットなんて。。。 代役ブランデルは肘当て・膝当てを使ってもアザがいくつもあった話もあったし。
確かハッキネン、豪のレースで舌を噛み切った際の血液で窒息しかけてたんじゃなかったかな。
代走のブランデルはよく頑張りましたね。
マンセルとデニス
夢(悪夢の方)のコンビが上手くいくわけなかった
このマシンで2位2回のハッキネンは流石ですね
ハッキネンは今でも続くこの年の大クラッシュの後遺症がなければもっと長く現役も続けていただろうしタイトルももっと取っていたんだろうなって思いますね
まぁこれがなければあの婦人と結婚もしていなかったんだろうけど…
って結局離婚したのはびっくりしましたがw
2001年の開幕戦のクラッシュと95年の事故も要因ですが、前半で優勝しポイントも獲ってチャンピオン争いに残っていれば違ったのではないかと思っています。リタイアもしくは「スタートできず」が多く早い段階で戦線離脱してしまい、モチベーションを失った事による部分も大きかったのではないでしょうか。
ハッキネンは、デーモン・ヒルと共に紳士的な、ドライバーだな。奥さんも漫画化で、怖いイメージだが、気の弱い彼には、良妻だったのでは😂
マンセルもF1とカートでの連続チャンピオンの偉業の後、自身の履歴を貶めたな。
革新的なマシンを設計した95年のマクラーレンはメルセデス(イルモア)エンジンに変えたことで信頼性とパワーを手に入れたものの如何せんマンセルに合わないマシンを作ってしまいマンセルを怒らせてしまい途中で離脱…このドタバタでまたもや優勝なしで終わってしまう結末に。
それ以前にクルサードの契約問題でも揉めましたね…ホンダ撤退後のマクラーレンは低迷を極め翌年にはメインスポンサーのマルボロはそんなマクラーレンに見切りをつけて支援をフェラーリへの1本化を決意。しかし、WESTがメインスポンサーになってメルセデスとのコネが強くなったことで翌年復活してチャンピオンへの道を歩むことに…
マンセル離脱後にロン・デニスが当時ルノーとの契約終了したプロストにオファーをしてテスト走行をしていました。
この時は「復帰するのか?」と言われていましたがチームのテストドライバーとテクニカル・アドバイザーとして就任していました。
いくら強豪と言えど、トップカテゴリーで勝ち続けるのは大変・・・
センターウイングの役割ってダウンフォース獲得よりも、スピード抑制のために義務付けられたインダクションポッド後ろのエア抜き穴から出た空気がリアウイングに当たって挙動を乱さないようあそこで跳ね上げる、じゃなかったっけ。
途中のウイングって、それが起こした乱流がリアウイングに悪影響を与えるとしか素人目には見えないんだけど…。
マンセルはマシン開発に長けたドライバーだったから、ちょっと乗って「こりゃ見込みなし」とすぐにわかったんじゃないでしょうかね。それからのわがままっぽい言動はとにかく乗らないで済むようにする言い訳だと思う。
あのロン様が毛嫌いしてたマンセルを乗せることになったが・・・案の定すぐ崩壊。
ウィリアムズからニューウェイが離脱しなかったら名門復活はなかっただろうな
ロータスやブラバムみたいになってたと思う
早ければ文句を言われなかったかもね。
WSPCのジャガーXJR14なんかも、窓を外して乗り込む車で、大柄のニールセンが乗れないような車だったけど
圧倒的だったしね
ドライバーラインアップ…ハッキネンやマンセル、テストドライバーに当時ロン・デニスの秘蔵っ子だったヤン・マグヌッセン(ケビンの父)。ずいぶん若いけどこの時点で息子ケビンは約2歳。(19歳でヤンは父親になっている)。しかしヤンは当時からはかなりイメージ変わったなぁ。
マンセルはブリブリ怒って辞めましたね(笑) ハッキネンのクラッシュはショックでした。通勤時に買ったトーチューの記事覚えてます。 あっ、ミニウィングのマンセル&ハッキネンのミニカー持ってます。
この間発売された、GPCar HistoryのMP4-12の中では、スティーブニコルス曰く95年半ばにチームに戻って、未だにアクティブありきのピッチ制御をしていて他にもあらゆる面で酷かった、とのこと
ブランデルって何気にすごいよね。
マンセルが急に辞めて急遽レギュラーになって一応ハッキネンとポイントはそんなに差はない。
どんなチームでもそこそこの成績は出す職人さんか。
ただなぜかリジェとティレルで表彰台上がれたのにマクラーレンでは上がれなかった。
最終戦オーストラリアGPでは予選10番手スタートながら13番手スタートで尚且つマクラーレンより劣るアロウズのモルビデリに3位を攫われるというのが…
そんなブランデルの待遇はテストドライバー並みの薄給だったんですよね…それが翌年のインディ転向に繋がってしまった。
MP4/10はカーナンバーの位置が先端すぎてかっこ悪さに更に拍車がかかってたな
このマシンを初めて見た時は…ハイノーズにセンターウイングと非常にびっくりしたのを思い出します。
おまけに、絶対あり得ないと思って居たマンセルがマクラーレンに入ると聞いて更に驚きました。
けど…マンセルが始めて乗った時点でこのマシンは駄目だったと話してましたよね。シートとモノコックを換えて雨のイモラで再登場しましたが次戦のカタロニアに乗った後去っていきましたよね。
この年のマクラーレン覚えてる!凄いカッコ悪くて遅そうだなぁと思ったら本当に遅いしハッキネンたしかクラッシュして危なかった記憶がある
もしマンセルがウィリアムズ残留でクルサードがマクラーレンだったら95年はどうなっていたでしょうね?
センターウイングは積極的にダウンフォースを得ようとする設計だったのが無駄に抵抗を生んだのでは?と思っている。後のシャークフィンやTウイングは補助的な役割に留まっているし。
マンちゃん起用の時は驚いたなぁ…しかし
ロン様「オレは世界中で契約できるドライバーがマンセルだけになったとしても、ゼッテー採用しねぇ!」
しかし、最終的に採用せざるを得なかったロン様の胸中はいかに???
色々ゴチャゴチャしてて、しかも洗練されてないから
見た目からして遅そうなんよな
配信お疲れさまです!面白かったです!
マクラーレンの傲慢さが左右された感じですね…
ホンダパワーでモノを言わせ勝ち取ったけどその後はダメダメ…ホンダ復帰後もホンダ非難…マクラーレンの体質が変わってなかったっだなと思いましたね
ロンデニスがマクラーレンに居たらホンダ非難なんてしなかったと思いたいです。
シートベルトって300km/hくらいでクラッシュすると。30cmくらい伸びるって聞いたことがある
サムネが「痛恨の設定スミマセン」に見えた
クライスラーV12(ランボルギーニV12)を搭載した
世界線を見たかったなぁ…。
少なくとも…プジョーよりもマシだったと思う(笑)
パワーはあったと思うけど、V12エンジンはデカく重くてマシンのトータルパッケージ重視にシフトし始めてきた当時から時代遅れの代物になってきたからね。どこかで行き詰まってランボルギーニも関係解消になってたと思う。メーカー的に路線変更でV10エンジン作りそうにないし…
ロン・デニスとナイジェル・マンセルが仲悪いってのは有名なんだけど、
そもそも何故仲が悪いのかね??
誰か知っている人、教えてください!
1989年のポルトガルグランプリでの事件かもしれません。
@@tatsuyatravelingalone なるほど、あの有名な「マンセル黒旗事件」ですか!
そういわれると、あのときマンセルは黒旗無視して、マクラーレンのセナとやりあって両者接触でリタイアとかいう、マクラーレンからすればブチギレ案件でしたね。
ありがとうございます!
@@user-bm6ql2wt7u そりゃセナを”撃墜”したんですもん。ロン様がブチキレて当然。
歴代F1で恐らく不人気車であろう95年マクラーレンMP4/10‥一般人には受け入れ難いデザインと成績低迷中のマクラーレンだったけど、私はF1史上最も個性的で美しいと思っております。
このMP4/10のカラーリングはいいんだけど、後先に影響になったマシンなのは確か
センターウイングも当時は失敗作、最終戦のハッキネンの大クラッシュによりMP4/11はステアリングにどデカいパットを付けることになった。
そしてこれがほとんどのF1オタクが知らないこと、それは
「MP4/10に使用したノーズは、96年シーズンから使用が禁止されたこと」(゜ロ゜)!?
当時は情報が入りづらくて確かマクラーレンはマンセル
と聞いていたのになぜブランデルが?と思っていました。
結果的にはそのほうが良かったようにも思いますが…
しかしハッキネンは盲腸でパシフィックGP欠場の後鈴鹿で
表彰台に立って最後はクラッシュと出入りが激しい年でした。
マグヌッセンももうすこしやれると思ったんだけど…
ハッキネンって割と不死鳥よね
身体をねじ込んで、物凄い寝そべった姿勢でペダル踏めるのかと思った車体。普通のクルマだと考えられんと思ってた。
大部分の人がダサいと思うこのマシン。でもこの年は岡山と鈴鹿で2週連続で見れたのだった。この後、かのエイドリアン・ニューウェイがやってきて、マクラーレンは低迷期を脱する。良くも悪くもF1はニューウェイ次第なのか。
マンセルにMP4/10はカッコ悪いと愚痴りたかった(・_・;)。
マクラーレンが
低迷するなんて
私は本当にF1
中継を観なく
なったので。
1985年~1995年くらいのマクラーレンは、ホンダエンジン頼みだったような気がする。ホンダエンジンがなくなったら、迷走し始めた。
ん? 英田のやつか?
MP4/10はデザインが酷すぎて、応援する気には全くならなかったなぁ。
身長差や肩幅の違いでモノコックのサイズが云々は当時よくあった話だけど、
マクラーレンのは前述のデザインの酷さもあって
「ギャラの安い学生デザイナーと契約したんだよ」とか言われてたな。
3:19 空飛ぶメルセデスの時の監督のハウグさん!?
走らないマクラーレンMP4/10Bで
2位入賞2回獲得したハッキネンは
すごかった
マンセルとロンデニスはやっぱ仲悪いだろって思い出しました。このころのマクラーレンって外観もかっこ悪かったよなぁ。
マンセル、ミカ、マーク、そしてマクラーレン
、、、ドM?(´・ω・`)ヤメロヨ
メルセデスも
正面から見ると案外カッコイイんだよね。横からは最悪だけど。
ハイノーズもハイノーズでかっこいいけどね
コックピットが狭すぎて、ティレルから前年参戦したブランデルがマンセルの代役で出走。しかしマンセルはわずか2戦だけ参戦して本当に終わりとなり、残りはブランデルが参戦。
4コマ漫画では作り直したモノコックにマンセルが収まり、ユルいと言ってデニスを困らせた。
MP4/8からトレンドを満載して進化した見た目で、個人的には好きなんですけどね。速く無いんじゃ意味ない。😢
第三のウイング以外にも、ハイノーズも不格好ですね…
前年のMP4/9もそうなんだけど、ノーズの先端にカーナンバーが付いてるのがアンバランスな感じがして気持ち悪かった。
せめてメルセデスのマークとナンバーが逆だったらまだ見れていたかも😅。
やはり、デザインがカッコ良いマシンは速い!レイトンハウスも、NAエンジンながら鈴鹿でターボ車をブチ抜いたからね!😂
まさか25年後にマクラーレンやウィリアムズがワークスでもなくただのプライベーターで、しかも下位チームの仲間入りをする事になるとは。
ベネトンもアルピーヌ(ルノー)になって中団が限界のチームですし。
当時のトップチームで現在もその地位にあるのが俺たちのフェラーリだけという…。
地位が変わらないのは
さすがフェラーリですよね👏👏
ある意味で凄いですよ、フェラーリさんは。
フェラーリもウィリアムズやマクラーレンが大活躍していた80年代後半は沈んでいましたよ。
不況だろうが成績不振だろうが、とにかく参戦し続けるフェラーリ。エンジンも車体も一貫して自社で賄い続けているのもあのチームだけです。
マクラーレンMP4/10は失敗作だった
マンセル以前にMP4/8シリーズから明らかに後退した空力が原因
前から見るとシャープなノーズコーンがカッコいいんだが側面から見るとインダクションポッド周辺がブサイクなんだよなぁ。
センターウィングさえ無ければ見た目はカッコいいマシンだったのに走ればトラブル多発でまともに走らない、コックピットの狭さに加えマンセルがウィリアムズ時代に比べ約6kgも体重が増えていたというマンセル太りすぎ問題も影響してダメだったのが残念でした。
1994年の内からプジョーV10ではなくランボルギーニV12を載せていたらこのシーズンはシャーシ等もランボルギーニが大幅なメス入れを施し、尚且つエンジンもフェラーリと同じくV12になっていたかもしれませんね。^^
マンちゃんとマクラーレンは違和感しかないですよね、マンちゃんファンからしてもそう思いますよ。赤いスーツはウィリアムズでも着てたのにマクラーレンの赤いスーツは見てる方も着心地の悪さが伝わってきました。
マシン開発能力やレースをしっかり完走する確実性からしても、最初からブランデルをレギュラーに据えたらよかったのに。ブランデルの過小評価を感じる1年でもありました。
でも、個人的にはMP4/10は好きでした。シャープなハイノーズがマルボロカラーとマッチしてましたし、センターウィングも空力厨の僕には奇抜なアイデアというだけでとても魅力的に映りました。
でも、速くてナンボの世界、結果出ないとこう言われるのも仕方ありません。ファンではないですが、やっぱりマクラーレンはいつの時代も勝てるチームであってほしいものです。
ほんま長くなってスミマセン。マンちゃんファンとしてほんま思うことのあり過ぎるシーズンやったんで、つい。
マクラーレンメルセデスとペンスキーメルセデスは同じマルボロカラーでペンスキーは2000から
HONDAエンジンへ。ペンスキーHONDAはマクラーレンHONDAにそっくりでチャンピオンシップをブラジル人ドライバージルドフェランが獲得❗
92年のホンダの敗北感は悲惨だった
セナってセッティングが合えば非力でもそれなりに走れてしまったからなあ…それを引き摺ってしまった感じ
93年シーズンがそんな感じでしたよね。更に、ウィリアムズに対して相対的に戦闘力が見劣りしだしていた91シーズンや、明らかにウィリアムズに完敗だった翌92シーズンもセナのテクニックで 勝ちをもぎ取っていた感じでした。
ケツから火花出なくなってから終わったよF1は
何かそれまで、ホンダにワガママ放題だったツケが一気に出て、収拾つかなくなった感じだったんですかね?
速い遅い以前にカッコ悪すぎる
ちょんまげみたいなウィングなかったらだいぶマシなデザインなのに
マクラーレンメルセデスもここから始まった
細いが縦に分厚いノーズに対し、同じ角度でノーズ下にもフィンがあるフロントウイング。
どう考えても空気つっかえるだろ。
と見た瞬間思った。
マクラーレンにマンセルが乗っていたのは、初耳で以外でした。
ハイノーズのデザインはかっこよくない。速さを求めるとマシン本体のデザインが悪くなるのは比例するのでしょうか。
マクラーレン史上、三本の指に入りそうなブサイクさ。早くなくてホッとした記憶がありました 笑
1995年は大ファンだったセナの死の悲しさからしばらくF1から興味が無くなり、観てなかったんですが、まさかマクラーレンにマンセルが乗っていたなんて知らなかった💦