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この頃、ホントにチーム数が半端なかったですよね。こういうチームが気になって、F1速報とかGPXとか買いまくってたな。AGSのストレイフはなかなかの実力派だったし、89年のモナコ、メキシコのタルキーニは素晴らしかった。
ポルトガルGPで表彰台に上がったヨハンソン選手と、モナコGPであのアンドレア・モーダで奇跡の決勝進出を果たしたモレノ選手はスゴイですね
92年のモナコは、片山右京が予備予選で自滅してしまったこともあったんです〜
@@ゆう21確か決勝進出寸前だったモノの、最後はフォンドメタルのチェザ(アンドレア・キエーザ)に逆転され通過出来なかったんでしたっけ?
画面にほとんど映らなかったマシン達だけどデザインは個性的で面白い。
これらのチームを見てるとミナルディはいいチームだったんだなって思ったな。
ミナルディの表彰台無しは残念。
@@ノリヱ藤島 4位はあったんですよね…
ご飯美味しい良いチーム
@@しよう砂原 パスタが凄く美味しくてセナもよく食べに来てたらしいですね。
でもミナルディの後継チームのトロロッソ(レッドブルのジュニアチーム)でベッテルが初優勝してしまったからなぁ〜
当時は良い時代でした。参戦しているのが奇跡のチームにあっても情熱は伝わってきました。情熱だけでマシンは走らないと言われたらそこまでですが、中でもコローニがアンドレア・モーダになってモレノのモナコで予備予選&予選通過はかなり嬉しかったです。
僕は鈴鹿の予備予選観戦したことあります。リアルとかダラーラ、AGSとか走っていました。やはり遅いマシンはサウンドまでヤバイ。割れている。だけど必死なのはわかる。最初はよく、だんだんタイム更新されていく。後、3分しかありません。さあ、最後のアタックに出ているのは3台、ここでタルキーニ更新しましたが、安心はできません。なんとも切ない。タルキーニさんはグリッドにつきました。
アンドレアモーダのシャシーは94年から出走したシムテックに引き継がれました。またチームスタッフは元ブラバムの人達がメインだったそうです。
この頃の新チームや下位チームは予備予選に入れられるので決勝進出が大変ですよね。入賞も6位までのこの時代で下位チーム・新チーム所属で入賞できたドライバーは偉大だと思います。
91年などジョーダンは前半で予備予選免除、ヤマハのブラバムが予備予選へ。あの辺りからブラバムは落ち始めた。
6:15F1では不遇な時期が長かったモレノが好きでした。ベネトンでよぅやく青い鳥が来たかと思いきや、ピレリタイヤに足元をとられ、突然の移籍に資金力が弱いゆえすぐにシートを失い…今、自分の脳天がモレノみたくなりましてさらに親近感です(笑)
グスタフブルナーのザクスピード好きなマシンでした。アンドレアモーダのマシンも良かったです
個人的には89年のB級チームは豊作だったと思います。特にアロウズとミナルディ、スクーデリアイタリアは個人的に好きでした。
アロウズは辛うじて、この面々とは違うようにも思うけど…でも89年くらいの下位争いは面白すぎましたね。誰が来るか、毎回展開が違っていて上位争い以上に予想できなかった
モレノやガショーみたいなB級チームを渡り歩く苦労人ドライバーがたまらなく好き…
タルキーニとかもいましたね。性能の低い車で頑張っているところにむしろ惹かれます。
大抵の職人系苦労人ドライバーはミナルディを経験してる説。
ガショーはジョーダンで花開くかと思った矢先にケチが付いてしまったのが痛かった。
特に モレノは二位入賞の時 グランドスタンドの観客の歓喜を覚えています🙇♂️実際三位の亜久里はほぼスルーされていた😮
@@t.t9596なおルマンで栄光を掴んだ模様
スクーデリア・イタリアとザクスピードは今でもレーシングチームとしては存続してるのが凄い何気にどちらもツーリングカーレースでは今でも名門チームだし、だからこの動画でも順番が最後になったのかなぁ
スクーデリア・アルファタウリ………💦
ザクスピードはむしろ「なんでF1では失敗したんだ?」レベルのチームだからなあまあ、箱車とフォーミュラじゃあ勝手が違うってことなのかもしれないけど
誰も突っ込みを入れてないので入れますが、コローニがスバルエンジンを搭載したのは90年ですよね。
私もそれコメントしようと思ってました(^^)91年はJORDANの初年ですね。
91年はコスワースのV8で挑んでたらしいですが。そこにある日本人レーサーが。
@@user-td2nr4ni3服部氏かな?
@@じの-w4p 確かそうでした!👍👍👍👍👍服部尚貴さんでしたか〜名前の読みはちょっと忘れちゃいました💦自分は最近彼がF1ドライバーだったのを知りました😅どちらかというとJGTCやチャンプカーのイメージでした。当時はあまり知らないので家のビデオとわずかな雑誌ぐらいでしか知識ないので💦
A級 資金もあるし勝てるチームB級 資金はあるけど勝てないチームC級 資金もないし勝てないチームZ級 参戦していること自体が奇跡のチーム
ミナルディはケータリングは一番だとあのセナが通い詰めていたくらいでしたからね。
この頃のF1は、出走台数が多かったので、弱小チームは予備予選、予選通過がかなり厳しかったものの、今と比べれば完走率も低かったため、完走できれば弱小チームでも入賞できる可能性もあったので、ハラハラしながらテレビ観戦していたのを思い出しました!
TV中継終わりの月曜で、学校での朝の挨拶代わりに「F-1見たか?」とか言ってたなぁ…
何かといい時代だった。
スポンサーステッカーが剥がれていくほどドンドンかっこよく成っていく漆黒のアンドレアモーダはマシンだけはかっかよかったんだよねえ。あとこのころスクーデリアイタリアに使われてたフェラーリエンジンを乗せても遅かったダラーラシャーシはもうダメなんだろうなっておもってたら、その後どうなったのかっていうとめちゃくちゃ世界中のフォーミュラカテゴリーで成功していてビックリなんですよね。世の中わからないものです
ローラやマーチも同じく👍
インディカーシリーズでもお馴染みでしたね。
ホンダの技術者たちがどれだけ難しいことをやっていたのかわかる動画
中古のレインタイヤを強要、エンジンオイル無しで送り出す、資金持ち逃げ、ボス批判で立ち入り禁止、初歩的なミス連発と、チームの最大の敵はチーム内部に居るという。😱
マッカーシーさん可哀想過ぎる。ステアリングが壊れた状態で走れというのは、『タヒね』と言ってるのと同じ。サセッティは○人未遂で逮捕案件だよ😱😱😱😱
もしそれでドライバーが事故死してたら殺人罪で訴えられてもおかしくないレベル・・・・・
当時はセナと中嶋以外は、弱小チームを応援していました。
伝説の亜久里全戦予備予選落ちは置いといて、この中ではオニックスとスクーデリアイタリアが速かった気でいてる。オニックスはグッドイヤータイヤだったけどスクーデリアイタリアが履いてたピレリのQタイヤ、ミナルディも履いてたけど予選一発走れば皮むきして再使用、ミナルディはフロントロー取るしスクーデリアイタリアも2列目か3列目取ったよな?そして決勝ではズルズル後退。あの頃、正月になれば決まってベルトラン賀正ww
89年のザクスピードで参戦してた鈴木亜久里のヘルメットに「GEO」がカタカナで「ゲオ」だったのが印象的だった
モレノやメカニックにギャラが支払えなかったり、昼飯がマクドナルドだったりしたAGS。
でも、何故か後年オーナーがリジェを買収したんだから、一体何に金を使っていたのか?挙句、汚職で捕まりましたね
この中ではダラーラは実績面では別格の様な気がするな・・・。殆ど決勝で見られなかったけど、アンドレアモーダとモデナランボ、マシンはかっこよかったな!
第二弾も期待しとります!
97年開幕戦のみ参戦して撤退したローラも
マシンデザインはカッコいいんだよなあ
何らかの大冒険をしなければいけないのでトップチームの型にはまったデザインから見たらホント カッコ良くなりますね😃
これが 🐴 の影響力の高さか (¯―¯٥)イタリアってF1やりたがる率 高し。
無理矢理「サンマリノGP」開催してますから
オニクスは中嶋さんにオファーを出してましたね。ザクスピードは一方的にホンダにエンジン無償供給を申請。メンテナンスは自社。
リアル、ユーロブルン、オゼッラ→フォンドメタル、シムテック、パシフィック、フォルティコルセ、ローラetc...いや、スパイカーやヒスパニアやヴァージン辺りも。
決勝ではめったに見かけないチームがたくさんで興味深かったです。ステファン・ヨハンソン好きでした。インディ移籍後も観てました。ランボルギーニは変な野望出さなきゃ成長できたかもだし、鈴木亜久里も長く活躍の場が得られたかもですね
リアルやホンドメタルの特集もお願いします。
アンドレア・モーダにマシンを提供したシムテックは自ら参戦するも、ラッツェンバーガーの悲劇が起きてしまう。スクーデリア・イタリア、ミナルディ、さらにはフォンドメタルまでが合併したものの、ダメでした………私の中では1999年でF1は終わっています。
89年のオニクスだけは良かった。ヨハンソンの表彰台もありましたし。あの表彰台は何故ヨハンソンだけ後から登場したんでしょう?
確かチェッカー受けた後にコースの途中でガス欠して表彰台まで走って戻ったと思ってましたよ😅
@@ちぬ-q1k ありがとうございます!謎が解けました!待ってあげても良かったんじゃ?と、少々思います。
@@infiniti-bc9bc 優勝セレモニーが勝手に進行してましたからね~💦それでもシャンパンファイトには間に合ってたので良かったですよ👍
C3Bはカラーリングも含めて好きなマシンです。速いかどうかは関係無いwトンデモチームはアンドレア・モーダとライフだけでお腹一杯w
モレノの92年モナコリアル…アンドレアモーダに乗って奇跡の予選通過六田登『F』…(エントリー上)メタモルフォーゼに乗って快走
片山右京が予選落ち
AGSも入れて欲しかったな。
わかる!ちなみに、モレノも大好きですが、ガブリエル・タルキーニも大好きです!(両者ともAGSだし)
ついでにATSの方も
スポンサーを獲得出来ずボディ側面に???って書いていたのが印象に残っています。
パスカル・ファブル。動くシケイン。
40台近くエントリーしてた時代でも表彰台争いに入れるのはトップ4チームくらいだったしね‥参加台数を増やすよりトップ争いができるチームを増やした方がレースは面白くなる
短命ではあったけどスーパーアグリはこの動画で紹介されたチームとは違って良いチームだったなぁ😌😌😌
ホント スポンサーがよくカネを出した❗と
亜久里さんって、結局ESPOやフットワークのようなバブルに踊った企業に支えられていた時代の感覚のまま、F1オーナーになってしまった気がする。スポンサーにいいようにやられすぎだったし、一気に萎んでいってしまった…
和製アンドレア・モーダが有ったなぁ。
懐かしい話ですねコローニライフって言うF1チーム
92年のスクーデリア・イタリアの低迷は高額な割にフェラーリエンジンが非力だったのが大きいと思うな
本家も微妙でしたからね。。
しかも翌年、シャシーをダッラーラからローラに替えて地獄行き…
ライフのW型エンジンは、後にVWパサート・アウディA8・ブガッティ ヴェイロン/シロンで再び脚光を浴びることになる。
6;40 辺りのアンドレアモーダの写真に注目ペリー・マッカーシー、この人はジェームズハントやジルビルヌーヴ等の自分が好きだったドライバーのヘルメットデザインで走っていたのでこの写真ではジルのデザインのヘルメットだったりします(笑その後BBC Top Gearの初代The Stig、通称黒Stigになるも、技量が不安定で降ろされてしまいましたね
ユーロブルンも弱かったけど問題あるチームじゃなかったんだな
80年代後半から90年代前半は、こういうトンデモチームが多数いましたね。😅
B級チーム大好きな自分としては夢の時代でしたw
F1ブーム期はターボ禁止のビッグチャンスを狙った各エンジンビルダーに振り回された弱小チームが多い。だからこそ、ターボ期から参戦を続けたオゼッラやザクスピードがより輝いて見える。
スクーデリア・イタリアの解説ですが、レートが加入したのは91年でチェザリスが表彰台登壇した翌々年です(90年はデチェとピロ)。
チェザリスは89年カナダGPで3位表彰台JJレートは91年イモラで3位表彰台
解説の誰だか忘れたけどJJレートをずっとレトーって言ってヤツいたよな。雨宮だったか?
13:19「その後やっぱり供給継続することに」には笑いこけました🤣❗16:20 フジテレビ制作の91年総集編のビデオで今宮純に「汚いマシンですよね」と揶揄されたサイドポンツーン。22:47ヨハンソンは、この3位をアピールしてどこか他のチームとすぐに契約すべきだった。26:37これは翌々年(91年)の誤りですね。90年のチェザリスとピロは空気状態で何ら活躍してないです。
あの段階でヨハンソンが離脱して他チームと契約するというのは流石に厳しかったと思いますね。
ステファンヨハンソン選手はF-1では良いチームに巡られずに結局93年からはCARTへルーキー参戦。ベッテンハウゼから、ペンスキーシボレーグッドイヤータイヤ。R13ヴァンクーバーで3位表彰台獲得しました。
フェラーリやマクラーレン乗ってた時に勝っていたらと思います。あとは88年に乗ったリジェが稀代のクソ車JS31だったという災難。
いずれも№2扱いながら、フェラーリとマクラーレンの時はそこそこの成績を上げていたし、このクラスのチームに乗れたのは、それなりに実力を認められていたのでしょう。新興チームのオニックスで3位になったのは見事でした。
クロスノフと絡んだのが残念無念。
アンドレアモーダのS921、シムテック設計なので真の実力がどのくらいなのか気になってます。
こうやってダメチームを見ると80年代〜90年代初頭はどんなダメマシンでもドライバーの腕さえあれば一瞬とは言え状況を逆転できる可能性があったんですね。まだドライバーが自身の腕と知性と戦略で何とかできた時代。92年からそんな事は不可能になって行くんですが・・・。あの時代に踏ん張ったミナルディってホント凄かったんですね!そう言えば89年のロータスもダメダメっぷりで危うく予備予選落ちの危機だったんだよなぁ。
これにすらエントリーされないマスターカードローラ。(泣)
時代が結構後の方なので...
ミナルデイにすら戦闘力を疑われるスバルさんよ・・・。まぁミナルデイの見立ては正しかったんだけど。
でもあの頃のミナルディは一応は中堅やったし。。
元々あのエンジンはモトールモデルニの開発だったし、ミナルディのターボエンジンにも使われていたから素性はわかっていたから使わなかったと思われる。イタリアのチームとしては珍しいくらいに慎重かつマネージメントのしっかりした玄人集団。それがミナルディ。
11:21 志はロータスに振られた第一期ホンダと一緒。
モデナにはモデナが乗ってほしかったなw
アンドレア・モーダにはチェザリス。ストリートファイターだけに、モナコで2台グリッドに並んだかも。夢物語だが、チェザリスなら資金持ち込むから、上向いたかも知れない。
80年代後半から90年代初頭あたりは車、バイクのメーカーに大きな変革が求められてた混沌とした時代だったからF1スポーツもその流れで変なの入ってきてたんだなぁw
F1史において暗黒歴史の一つのアンドレア・モーダしかしマシンのシルエットは結構カッコいい
金金金金技術金 F1には魑魅魍魎が跋扈する
しかし金だけでは勝てないのもF-1・・・・・
全戦予備予選落ちの方が不名誉か、途中撤退の方が不名誉か
チーム運営自体が不可能になった後者かなぁ・・・・・
古いけど、1963年のATSも紹介して欲しかった
モデナがランボルギーニのワークスのはずながら。ランボルギーニのほとんど成績自体は90年ならロータスや91年時ならリジェが稼いじゃってますね💦👍ダラーラのF3000マシン?が他のローラだかレイナードに似てますね💦
当時はなぜ12気筒がもてはやされたのか...重い、デカい、パワー無い。ここに出てないポルシェのなんちゃってv12やヤマハox、もヤバすぎた。
ついでにスバルも
当時V10構造が難しく資金が掛り、予算があるルノー、ホンダのみ。それよりも資金が掛からずV8よりも開発余地があるV12に流れたのでは。V8はほぼ完成されていましたから。
懲りずに公道のスポーツカーにまでV12を伝統に依存してたランボルギーニ。V12にランボルありですね。
@@じの-w4p コローニとスバル水平対向エンジンは目と目があったらミラクル。
純粋なカスタマーV12はランボルギーニだけ。
コローニスバルは1991年ではなく1990年ですぬ。
AGSのお話もいずれお願いいたします。
カラーリングだけ一丁前
拝見しました。服部選手が乗ったコローニはスバルエンジンじゃ無かったんですね。予備予選通過してほしかったです。
ここに登場するチームはたとえ弱かったり、運営体制自体に問題があったとしても、実働部隊レベルにおける情熱だけはどこにも負けないチームばかりだったと思う。
コローニの水平対向12気筒エンジンはスバルが開発じゃないもん……モトーリの「ぼくのかんがえたさいきょうのエンジン!」だもん……スバルはネームバッジぐらいだもん……
なるほど💦それでヘッドカバーがいつかのフェラーリやアルファロメオのような黄色っぽい色してたのか〜。
本当 訳が分からんメーカーだなぁ…WRCで無双しだすのはちょっと後だし…
ミナルディがスバルエンジンを始動する時に車で引っ張って動かしていたのには困惑したなぁ…
それはアカン(汗)
あの時にメインスタンドにいてたけど観客のほとんどが モレノの二位に歓喜して亜久里の三位はほとんどスルーされていたのダよ😃テレビでは 亜久里持ち上げオンリーだったけど
今の時代にこれらのような弱小チームは出てこないと思う…出ようとしても、資金面で頓挫すると思うわ…
条件がいろいろと厳し過ぎるからなぁ…年間GP開催数も増え過ぎだよなぁ…
パンフレット買ったら参加チームに聞いた事ないチーム名が幾つか載っていて驚いた記憶がある。
イタリア率の多さよw
88年から93年まで見てたけど、全然覚えてないチームや選手ばかりだ。
バン・ロッセムの純度100%怪しいおっさんぶりに草
「ボクサーエンジンが詰まっていた空間にコスワースDFRを突っ込むことがどれだけ困難なことだったか、君達に分かるか‼️」byエンツォ・コローニさん
その頃のスバルは何を考えていたのだろうか?日産に買収されかかっていたのになぁ…話がずれててすみません
@@すすきウト 別の方が作った動画を見たことありますが、F1挑戦に関しては割と軽いノリだったようですよ。その後WRCで天下取るのが素晴らしい。
スバルコローニは確かもともとDFR搭載を前提としたモノコックに無理やりフラット12気筒を載せてたんじゃなかったっけ・・・・・?
クソチームに共通してるのが金策に失敗→逃亡とかとにかく金集め絡みでのトラブルw
20:58 いわゆる投資ジャーナルですね。
アンドレアモーダはやばかったなぁ。オーナー逮捕されとるからな。見た目も怪しげだった
昔はそんなにF1人気あったんですねぇ
さすがにチャンピオン候補とは言えないけれど意外と実力派だったドライバーがこんなチームで走り、たまに目を見張るレースを演じたりしていた時代は、いまよりレースが面白かったように思いますね。ヨハンソン、モレノ、ラリーニ、デ・チェザリス、ガショー…
89ポルトガルGPでヨハンソンが表彰台に上がったのは、やはり元フェラーリドライバーは伊達では無いんだなと当時思いました。
70年代の日本のF1チー厶で、コジマはそれなりの結果を残しましたが、もう一つのマキは、志は高いのにお金がなくて結果が残せなかったのが残念なチー厶でしたよね。
ヨハンソンの表彰台は驚いた
紹介されたチームのオンボード無いでしょうけど 見たいですねー。
5:28 トラバントだ
F1が華やかであった時代、今は、見る影もない。10代や20代のほとんどが興味無し。
クソかどうかはあれだけど、バブルの頃日本資本で参戦してたチームもあったよねレイトンハウス、フットワーク、ブラバム、ラルース とか皆きれいにふっとんだけど、資金が有り余っていたことの証左でしょう。
俺たちの固まりWWWWWWW
毎回 楽しませてもらってます❤ 1つ いいですかね。サムネイルでクソって言葉を使わない様にして欲しいですね。好きなモータースポーツ。その頂点のF1です。見る前から気分が良くないので
リアルタイムどころか産まれてもすらいない時代だけど、この辺の時代のF1が一番好きかもバトルは面白いは色んな形やカラーリングのマシンが走っていたし
面白いけど、未払い、偽造、と人が騙される話が多くて悲しくなる。
漫画みたいなチームばかり😂
スバル製水平対向12気筒OHCでもOHVでも良いからアルシオーネに載って欲しかったですね!(泣)
童夢と共同開発するスーパーカーに載せる計画で、コンセプトカーまでは作ったんですよ。
服部尚貴の耳なし芳一号。
東北出身・在住として、是非東北へ色々食べに来てほしい東北が生んだ若き英雄の言葉を借りると『憧れるのをやめましょう』ってやつかただし、3-4キロ太る事はご覚悟を
やっぱりライフでしょ。
カネがなかったらファーストドライバー(モレノ)に全て廻すの当たり前❗なんだけど好き嫌い関係なく
この頃、ホントにチーム数が半端なかったですよね。
こういうチームが気になって、F1速報とかGPXとか買いまくってたな。AGSのストレイフはなかなかの実力派だったし、89年のモナコ、メキシコのタルキーニは素晴らしかった。
ポルトガルGPで表彰台に上がったヨハンソン選手と、モナコGPであのアンドレア・モーダで奇跡の決勝進出を果たしたモレノ選手はスゴイですね
92年のモナコは、片山右京が予備予選で自滅してしまったこともあったんです〜
@@ゆう21
確か決勝進出寸前だったモノの、最後は
フォンドメタルのチェザ(アンドレア・キエーザ)
に逆転され通過出来なかったんでしたっけ?
画面にほとんど映らなかったマシン達だけどデザインは個性的で面白い。
これらのチームを見てるとミナルディはいいチームだったんだなって思ったな。
ミナルディの表彰台無しは残念。
@@ノリヱ藤島
4位はあったんですよね…
ご飯美味しい良いチーム
@@しよう砂原
パスタが凄く美味しくてセナもよく食べに来てたらしいですね。
でもミナルディの後継チームのトロロッソ(レッドブルのジュニアチーム)でベッテルが初優勝してしまったからなぁ〜
当時は良い時代でした。参戦しているのが奇跡のチームにあっても情熱は伝わってきました。情熱だけでマシンは走らないと言われたらそこまでですが、中でもコローニがアンドレア・モーダになってモレノのモナコで予備予選&予選通過はかなり嬉しかったです。
僕は鈴鹿の予備予選観戦したことあります。リアルとかダラーラ、AGSとか走っていました。やはり遅いマシンはサウンドまでヤバイ。割れている。だけど必死なのはわかる。最初はよく、だんだんタイム更新されていく。後、3分しかありません。さあ、最後のアタックに出ているのは3台、ここでタルキーニ更新しましたが、安心はできません。なんとも切ない。タルキーニさんはグリッドにつきました。
アンドレアモーダのシャシーは94年から出走したシムテックに引き継がれました。
またチームスタッフは元ブラバムの人達がメインだったそうです。
この頃の新チームや下位チームは予備予選に入れられるので決勝進出が大変ですよね。
入賞も6位までのこの時代で下位チーム・新チーム所属で入賞できたドライバーは偉大だと思います。
91年などジョーダンは前半で予備予選免除、ヤマハのブラバムが予備予選へ。あの辺りからブラバムは落ち始めた。
6:15F1では不遇な時期が長かったモレノが好きでした。ベネトンでよぅやく青い鳥が来たかと思いきや、ピレリタイヤに足元をとられ、突然の移籍に資金力が弱いゆえすぐにシートを失い…
今、自分の脳天がモレノみたくなりましてさらに親近感です(笑)
グスタフブルナーのザクスピード好きなマシンでした。
アンドレアモーダのマシンも良かったです
個人的には89年のB級チームは豊作だったと思います。
特にアロウズとミナルディ、スクーデリアイタリアは個人的に好きでした。
アロウズは辛うじて、この面々とは違うようにも思うけど…でも89年くらいの下位争いは面白すぎましたね。誰が来るか、毎回展開が違っていて上位争い以上に予想できなかった
モレノやガショーみたいなB級チームを渡り歩く苦労人ドライバーがたまらなく好き…
タルキーニとかもいましたね。性能の低い車で頑張っているところにむしろ惹かれます。
大抵の職人系苦労人ドライバーはミナルディを経験してる説。
ガショーはジョーダンで花開くかと思った矢先にケチが付いてしまったのが痛かった。
特に モレノは
二位入賞の時 グランドスタンドの観客の歓喜を覚えています🙇♂️
実際三位の亜久里はほぼスルーされていた😮
@@t.t9596なおルマンで栄光を掴んだ模様
スクーデリア・イタリアとザクスピードは今でもレーシングチームとしては存続してるのが凄い
何気にどちらもツーリングカーレースでは今でも名門チームだし、だからこの動画でも順番が最後になったのかなぁ
スクーデリア・アルファタウリ………💦
ザクスピードはむしろ「なんでF1では失敗したんだ?」レベルのチームだからなあ
まあ、箱車とフォーミュラじゃあ勝手が違うってことなのかもしれないけど
誰も突っ込みを入れてないので入れますが、コローニがスバルエンジンを搭載したのは90年ですよね。
私もそれコメントしようと思ってました(^^)91年はJORDANの初年ですね。
91年はコスワースのV8で挑んでたらしいですが。
そこにある日本人レーサーが。
@@user-td2nr4ni3
服部氏かな?
@@じの-w4p 確かそうでした!👍👍👍👍👍服部尚貴さんでしたか〜名前の読みは
ちょっと忘れちゃいました💦
自分は最近彼がF1ドライバーだったのを知りました😅
どちらかというとJGTCや
チャンプカーのイメージでした。
当時はあまり知らないので家のビデオとわずかな雑誌ぐらいでしか知識ないので💦
A級 資金もあるし勝てるチーム
B級 資金はあるけど勝てないチーム
C級 資金もないし勝てないチーム
Z級 参戦していること自体が奇跡のチーム
ミナルディはケータリングは一番だとあのセナが通い詰めていたくらいでしたからね。
この頃のF1は、出走台数が多かったので、弱小チームは予備予選、予選通過がかなり厳しかったものの、今と比べれば完走率も低かったため、完走できれば弱小チームでも入賞できる可能性もあったので、ハラハラしながらテレビ観戦していたのを思い出しました!
TV中継終わりの月曜で、学校での朝の挨拶代わりに
「F-1見たか?」
とか言ってたなぁ…
何かといい時代だった。
スポンサーステッカーが剥がれていくほどドンドンかっこよく成っていく漆黒のアンドレアモーダはマシンだけはかっかよかったんだよねえ。あとこのころスクーデリアイタリアに使われてたフェラーリエンジンを乗せても遅かったダラーラシャーシはもうダメなんだろうなっておもってたら、その後どうなったのかっていうとめちゃくちゃ世界中のフォーミュラカテゴリーで成功していてビックリなんですよね。世の中わからないものです
ローラやマーチも同じく👍
インディカーシリーズでもお馴染みでしたね。
ホンダの技術者たちがどれだけ難しいことをやっていたのかわかる動画
中古のレインタイヤを強要、エンジンオイル無しで送り出す、資金持ち逃げ、ボス批判で立ち入り禁止、初歩的なミス連発と、チームの最大の敵はチーム内部に居るという。😱
マッカーシーさん可哀想過ぎる。
ステアリングが壊れた状態で走れというのは、『タヒね』と言ってるのと同じ。
サセッティは○人未遂で逮捕案件だよ😱😱😱😱
もしそれでドライバーが事故死してたら殺人罪で訴えられてもおかしくないレベル・・・・・
当時はセナと中嶋以外は、弱小チームを応援していました。
伝説の亜久里全戦予備予選落ちは置いといて、この中ではオニックスとスクーデリアイタリアが速かった気でいてる。
オニックスはグッドイヤータイヤだったけどスクーデリアイタリアが履いてたピレリのQタイヤ、ミナルディも履いてたけど予選一発走れば皮むきして再使用、ミナルディはフロントロー取るしスクーデリアイタリアも2列目か3列目取ったよな?
そして決勝ではズルズル後退。
あの頃、正月になれば決まって
ベルトラン賀正ww
89年のザクスピードで参戦してた鈴木亜久里のヘルメットに「GEO」がカタカナで「ゲオ」だったのが印象的だった
モレノやメカニックにギャラが支払えなかったり、昼飯がマクドナルドだったりしたAGS。
でも、何故か後年オーナーがリジェを買収したんだから、一体何に金を使っていたのか?挙句、汚職で捕まりましたね
この中ではダラーラは実績面では別格の様な気がするな・・・。
殆ど決勝で見られなかったけど、アンドレアモーダとモデナランボ、マシンはかっこよかったな!
第二弾も期待しとります!
97年開幕戦のみ参戦して撤退したローラも
マシンデザインはカッコいいんだよなあ
何らかの大冒険をしなければいけないので
トップチームの型にはまったデザインから見たらホント カッコ良くなりますね😃
これが 🐴 の影響力の高さか (¯―¯٥)
イタリアってF1やりたがる率 高し。
無理矢理
「サンマリノGP」開催してますから
オニクスは中嶋さんにオファーを出してましたね。
ザクスピードは一方的にホンダにエンジン無償供給を申請。メンテナンスは自社。
リアル、ユーロブルン、オゼッラ→フォンドメタル、シムテック、パシフィック、フォルティコルセ、ローラetc...いや、スパイカーやヒスパニアやヴァージン辺りも。
決勝ではめったに見かけないチームがたくさんで興味深かったです。ステファン・ヨハンソン好きでした。インディ移籍後も観てました。ランボルギーニは変な野望出さなきゃ成長できたかもだし、鈴木亜久里も長く活躍の場が得られたかもですね
リアルやホンドメタルの特集もお願いします。
アンドレア・モーダにマシンを提供したシムテックは自ら参戦するも、ラッツェンバーガーの悲劇が起きてしまう。スクーデリア・イタリア、ミナルディ、さらにはフォンドメタルまでが合併したものの、ダメでした………私の中では1999年でF1は終わっています。
89年のオニクスだけは良かった。ヨハンソンの表彰台もありましたし。
あの表彰台は何故ヨハンソンだけ後から登場したんでしょう?
確かチェッカー受けた後にコースの途中でガス欠して表彰台まで走って戻ったと思ってましたよ😅
@@ちぬ-q1k
ありがとうございます!
謎が解けました!待ってあげても良かったんじゃ?と、少々思います。
@@infiniti-bc9bc 優勝セレモニーが勝手に進行してましたからね~💦
それでもシャンパンファイトには間に合ってたので良かったですよ👍
C3Bはカラーリングも含めて好きなマシンです。速いかどうかは関係無いw
トンデモチームはアンドレア・モーダとライフだけでお腹一杯w
モレノの92年モナコ
リアル…アンドレアモーダに乗って奇跡の予選通過
六田登『F』…(エントリー上)メタモルフォーゼに乗って快走
片山右京が予選落ち
AGSも入れて欲しかったな。
わかる!
ちなみに、モレノも大好きですが、ガブリエル・タルキーニも大好きです!(両者ともAGSだし)
ついでにATSの方も
スポンサーを獲得出来ずボディ側面に???って書いていたのが印象に残っています。
パスカル・ファブル。動くシケイン。
40台近くエントリーしてた時代でも表彰台争いに入れるのはトップ4チームくらいだったしね‥参加台数を増やすよりトップ争いができるチームを増やした方がレースは面白くなる
短命ではあったけどスーパーアグリはこの動画で紹介されたチームとは違って良いチームだったなぁ😌😌😌
ホント スポンサーがよくカネを出した❗と
亜久里さんって、結局ESPOやフットワークのようなバブルに踊った企業に支えられていた時代の感覚のまま、F1オーナーになってしまった気がする。スポンサーにいいようにやられすぎだったし、一気に萎んでいってしまった…
和製アンドレア・モーダが有ったなぁ。
懐かしい話ですね
コローニ
ライフって
言うF1チーム
92年のスクーデリア・イタリアの低迷は高額な割にフェラーリエンジンが非力だったのが大きいと思うな
本家も微妙でしたからね。。
しかも翌年、シャシーをダッラーラからローラに替えて地獄行き…
ライフのW型エンジンは、後にVWパサート・アウディA8・ブガッティ ヴェイロン/シロンで再び脚光を浴びることになる。
6;40 辺りのアンドレアモーダの写真に注目
ペリー・マッカーシー、この人はジェームズハントやジルビルヌーヴ等の
自分が好きだったドライバーのヘルメットデザインで走っていたので
この写真ではジルのデザインのヘルメットだったりします(笑
その後BBC Top Gearの初代The Stig、通称黒Stigになるも、技量が不安定で降ろされてしまいましたね
ユーロブルンも弱かったけど問題あるチームじゃなかったんだな
80年代後半から90年代前半は、こういうトンデモチームが多数いましたね。😅
B級チーム大好きな自分としては夢の時代でしたw
F1ブーム期はターボ禁止のビッグチャンスを狙った各エンジンビルダーに振り回された弱小チームが多い。だからこそ、ターボ期から参戦を続けたオゼッラやザクスピードがより輝いて見える。
スクーデリア・イタリアの解説ですが、レートが加入したのは91年でチェザリスが表彰台登壇した翌々年です(90年はデチェとピロ)。
チェザリスは89年カナダGPで3位表彰台
JJレートは91年イモラで3位表彰台
解説の誰だか忘れたけどJJレートをずっとレトーって言ってヤツいたよな。雨宮だったか?
13:19「その後やっぱり供給継続することに」には笑いこけました🤣❗
16:20 フジテレビ制作の91年総集編のビデオで今宮純に「汚いマシンですよね」と揶揄されたサイドポンツーン。
22:47ヨハンソンは、この3位をアピールしてどこか他のチームとすぐに契約すべきだった。
26:37これは翌々年(91年)の誤りですね。90年のチェザリスとピロは空気状態で何ら活躍してないです。
あの段階でヨハンソンが離脱して他チームと契約するというのは流石に厳しかったと思いますね。
ステファンヨハンソン選手はF-1では良いチームに巡られずに結局93年からはCARTへルーキー参戦。ベッテンハウゼから、ペンスキーシボレーグッドイヤータイヤ。
R13ヴァンクーバーで3位表彰台獲得しました。
フェラーリやマクラーレン乗ってた時に勝っていたらと思います。あとは88年に乗ったリジェが稀代のクソ車JS31だったという災難。
いずれも№2扱いながら、フェラーリとマクラーレンの時はそこそこの成績を上げていたし、このクラスのチームに乗れたのは、それなりに実力を認められていたのでしょう。
新興チームのオニックスで3位になったのは見事でした。
クロスノフと絡んだのが残念無念。
アンドレアモーダのS921、シムテック設計なので真の実力がどのくらいなのか気になってます。
こうやってダメチームを見ると80年代〜90年代初頭はどんなダメマシンでもドライバーの腕さえあれば一瞬とは言え状況を逆転できる可能性があったんですね。
まだドライバーが自身の腕と知性と戦略で何とかできた時代。92年からそんな事は不可能になって行くんですが・・・。あの時代に踏ん張ったミナルディってホント凄かったんですね!
そう言えば89年のロータスもダメダメっぷりで危うく予備予選落ちの危機だったんだよなぁ。
これにすらエントリーされないマスターカードローラ。(泣)
時代が結構後の方なので...
ミナルデイにすら戦闘力を疑われるスバルさんよ・・・。まぁミナルデイの見立ては正しかったんだけど。
でもあの頃のミナルディは一応は中堅やったし。。
元々あのエンジンはモトールモデルニの開発だったし、ミナルディのターボエンジンにも使われていたから素性はわかっていたから使わなかったと思われる。イタリアのチームとしては珍しいくらいに慎重かつマネージメントのしっかりした玄人集団。それがミナルディ。
11:21 志はロータスに振られた第一期ホンダと一緒。
モデナにはモデナが乗ってほしかったなw
アンドレア・モーダにはチェザリス。ストリートファイターだけに、モナコで2台グリッドに並んだかも。夢物語だが、チェザリスなら資金持ち込むから、上向いたかも知れない。
80年代後半から90年代初頭あたりは車、バイクのメーカーに大きな変革が求められてた混沌とした時代だったから
F1スポーツもその流れで変なの入ってきてたんだなぁw
F1史において暗黒歴史の一つのアンドレア・モーダ
しかしマシンのシルエットは結構カッコいい
金金金金技術金 F1には魑魅魍魎が跋扈する
しかし金だけでは勝てないのもF-1・・・・・
全戦予備予選落ちの方が不名誉か、途中撤退の方が不名誉か
チーム運営自体が不可能になった後者かなぁ・・・・・
古いけど、1963年のATSも紹介して欲しかった
モデナがランボルギーニの
ワークスのはずながら。
ランボルギーニのほとんど
成績自体は90年ならロータスや91年時ならリジェが稼いじゃってますね💦👍
ダラーラのF3000マシン?が他のローラだかレイナードに似てますね💦
当時はなぜ12気筒がもてはやされたのか...重い、デカい、パワー無い。ここに出てないポルシェのなんちゃってv12やヤマハox、もヤバすぎた。
ついでにスバルも
当時V10構造が難しく資金が掛り、予算があるルノー、ホンダのみ。
それよりも資金が掛からずV8よりも開発余地があるV12に流れたのでは。
V8はほぼ完成されていましたから。
懲りずに公道のスポーツカーにまでV12を伝統に依存してたランボルギーニ。
V12にランボルありですね。
@@じの-w4p コローニとスバル水平対向エンジンは目と目があったらミラクル。
純粋なカスタマーV12はランボルギーニだけ。
コローニスバルは1991年ではなく1990年ですぬ。
AGSのお話もいずれお願いいたします。
カラーリングだけ一丁前
拝見しました。服部選手が乗ったコローニはスバルエンジンじゃ無かったんですね。予備予選通過してほしかったです。
ここに登場するチームはたとえ弱かったり、運営体制自体に問題があったとしても、実働部隊レベルにおける情熱だけはどこにも負けないチームばかりだったと思う。
コローニの水平対向12気筒エンジンはスバルが開発じゃないもん……
モトーリの「ぼくのかんがえたさいきょうのエンジン!」だもん……
スバルはネームバッジぐらいだもん……
なるほど💦それでヘッドカバーがいつかのフェラーリやアルファロメオのような黄色っぽい色してたのか〜。
本当 訳が分からんメーカーだなぁ…
WRCで無双しだすのはちょっと後だし…
ミナルディがスバルエンジンを始動する時に車で引っ張って動かしていたのには困惑したなぁ…
それはアカン(汗)
あの時に
メインスタンドにいてたけど
観客のほとんどが
モレノの二位に歓喜して
亜久里の三位はほとんどスルーされていたのダよ😃
テレビでは 亜久里持ち上げオンリーだったけど
今の時代にこれらのような弱小チームは出てこないと思う…出ようとしても、資金面で頓挫すると思うわ…
条件がいろいろと厳し過ぎるからなぁ…
年間GP開催数も増え過ぎだよなぁ…
パンフレット買ったら参加チームに聞いた事ないチーム名が幾つか載っていて驚いた記憶がある。
イタリア率の多さよw
88年から93年まで見てたけど、全然覚えてないチームや選手ばかりだ。
バン・ロッセムの純度100%怪しいおっさんぶりに草
「ボクサーエンジンが詰まっていた空間にコスワースDFRを突っ込むことがどれだけ困難なことだったか、君達に分かるか‼️」byエンツォ・コローニさん
その頃のスバルは何を考えていたのだろうか?
日産に買収されかかっていたのになぁ…
話がずれててすみません
@@すすきウト 別の方が作った動画を見たことありますが、F1挑戦に関しては割と軽いノリだったようですよ。その後WRCで天下取るのが素晴らしい。
スバルコローニは確かもともとDFR搭載を前提としたモノコックに無理やりフラット12気筒を載せてたんじゃなかったっけ・・・・・?
クソチームに共通してるのが金策に失敗→逃亡とかとにかく金集め絡みでのトラブルw
20:58 いわゆる投資ジャーナルですね。
アンドレアモーダはやばかったなぁ。オーナー逮捕されとるからな。見た目も怪しげだった
昔はそんなにF1人気あったんですねぇ
さすがにチャンピオン候補とは言えないけれど意外と実力派だったドライバーがこんなチームで走り、たまに目を見張るレースを演じたりしていた時代は、いまよりレースが面白かったように思いますね。ヨハンソン、モレノ、ラリーニ、デ・チェザリス、ガショー…
89ポルトガルGPでヨハンソンが表彰台に上がったのは、やはり元フェラーリドライバーは伊達では無いんだなと当時思いました。
70年代の日本のF1チー厶で、コジマはそれなりの結果を残しましたが、もう一つのマキは、志は高いのにお金がなくて結果が残せなかったのが残念なチー厶でしたよね。
ヨハンソンの表彰台は驚いた
紹介されたチームのオンボード無いでしょうけど 見たいですねー。
5:28 トラバントだ
F1が華やかであった時代、今は、見る影もない。10代や20代のほとんどが興味無し。
クソかどうかはあれだけど、バブルの頃日本資本で参戦してたチームもあったよねレイトンハウス、フットワーク、ブラバム、ラルース とか
皆きれいにふっとんだけど、資金が有り余っていたことの証左でしょう。
俺たちの固まりWWWWWWW
毎回 楽しませてもらってます❤ 1つ いいですかね。サムネイルでクソって言葉を使わない様にして欲しいですね。好きなモータースポーツ。その頂点のF1です。見る前から気分が良くないので
リアルタイムどころか産まれてもすらいない時代だけど、この辺の時代のF1が一番好きかも
バトルは面白いは色んな形やカラーリングのマシンが走っていたし
面白いけど、未払い、偽造、と人が騙される話が多くて悲しくなる。
漫画みたいなチームばかり😂
スバル製水平対向12気筒
OHCでもOHVでも良いから
アルシオーネに載って
欲しかったですね!(泣)
童夢と共同開発するスーパーカーに載せる計画で、コンセプトカーまでは作ったんですよ。
服部尚貴の耳なし芳一号。
東北出身・在住として、是非東北へ色々食べに来てほしい
東北が生んだ若き英雄の言葉を借りると『憧れるのをやめましょう』ってやつか
ただし、3-4キロ太る事はご覚悟を
やっぱりライフでしょ。
カネがなかったら
ファーストドライバー(モレノ)に
全て廻すの当たり前❗なんだけど
好き嫌い関係なく