すぐ壊れるマシンにやる気無くした王者..00年代前半の名門に起きていた大問題【F1歴史解説】【マクラーレン MP4-15/MP4-16】
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- Опубликовано: 18 дек 2023
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今回は2000年代前半のマクラーレンのエピソードについて解説していきます。
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ハッキネンの頭の中に『移籍』する考えがあまり無かったのはマクラーレンの居心地が良かったのか他チームでは勝てるマシンが無かったか、政治的な駆け引きは全然聞かなかったな。 ハッキネンはシューマッハと違ってクリーンなレーサーのイメージ、少し泣き虫だったが。
当時ハッキネンを応援していた自分にとって2001年はマジで地獄でした、2戦に1回はリタイアしてるのを見ると現代のF1は信頼性すごいなぁと思います。
ハッキネンのモチベーションが落ちる中でクルサードが奮闘が目立った。だけどクルサードの速さもこの辺りがピークだったかな?
この頃のマクラーレンがいちばん格好いいと感じる
2001年のスペインGPのハッキネンのレースを見てこんな事があるのかとショックを覚えました。このレースがきっかけで本格的にF1にハマり、今に至ります。。ハッキネンの引退は悲しかった…。この年の鈴鹿でハッキネンを見れたのは非常に良い思い出になっています。
ニューウェーイ氏は、レイトン在籍時も攻め過ぎた車を制作していた。ニューウェーイ氏には行き過ぎる設計を舵取りする番頭さん(ウィリアムズのPヘッド氏みたいな)が必要なのだろう。
このあたりで一度やる気をなくしたのか、ニューウェイさんもマクラーレン離脱まですっかり地味になっちゃったよね。そして台頭したのがマイク・コフラン。
ハッキネンとクルサードのバランスって今で言う強化版ルクレール&サインツだよね
2000-2001年のマクラーレンは2台合わせてDNF17回(ハッキネン11回、クルサード6回)、さらに言えば翌2002年シーズンもDNF15回(クルサード4回、ライコネン11回)でその殆どはマシントラブルに起因するものだったので、トップチームとしてはあまりに信頼性が低かった…
ハッキネンが引退してからF1がつまらなくなったな~
ハッキネンの後、ライコネンもメルセデスの信頼性には苦しめられたな
2000年のベルギーのオーバーテイク
ミカファンとして、2001年のスペインGPは絶対に忘れられない。
ハッキネン、栄光(2年連続のチャンピオン)から引退までがあっという間だったような印象でしたね。
グラデーションカラー&ニューウェイのマクラーレンは本当に美しいですね。タミヤのプラモデルではグラデーションをドットでごまかしてましたが。それにしてもハッキネンの引退はビックリしましたね。
ハッキネン自身も「ガラスのメンタル」でした。気の毒な程、繊細だし、優し過ぎました。
90年代のF1マシンのNo.1デザイナーといえばエイドリアン・ニューウェイを挙げる人が多いと思います。
ミカ大好き‼️今でもミカの大大大ファンです‼️
チムニーダクトに始まる、F1が「異形の形容し難きもの」になる直前のマシンま美しかった時代かな...。
2001年のマクラーレン、特にハッキネンにはなんでこんなに不運なことが起きるんだろうってずっと思ってました。