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Комментарии

  • @mayumi3300
    @mayumi3300 15 часов назад

    吉野の奥深い景色を ありがとうございます♪ 幾重にも重なった歴史が 感じられますね。 大海人皇子が吉野の国栖に助けられ、 感謝をしているのは 確かでありますが、 この吉野の不思議な人たちが 正史に登場するのは、 そのせいではないと思います。 前回動画の碑は 明治になって建てられたものでしょう。 ですが、 この紀伊半島の山奥に、 井光族が縄文時代から 住んでいたことは確かであり、 その子孫もまた、 ずっと住み続け、 朝廷との関わりを続けて来たと 思われます。 井光は、 大海人皇子の時代よりずっと以前から、 ヤマトでも丹波でも しっかりお祀りされています。 その子孫たちは 重要な役割を請け負っています。 【長尾神社】 葛城市長尾471 ご祭神に 【水光姫】→井光 【白雲別命】→村雲 がおられます。 社伝では、 水光姫命は応神天皇の治世に 三角岩(葛城市竹内)に降臨し、 子孫の【加彌比加尼】(かむひかね) に命じて長尾に祀らせたもので、 姿は白蛇であって、 今、神社の東北に藤をもって 覆われている 御陰井の藤の花がそれであるという。 【加彌比加尼】(かむひかね)とは おそらく、 前回動画で映してくださった 碑に書いてある名ですね。 長尾氏の祖神となります。 井光の子孫がお祀りしてゆきます。 鎮座地は竹内街道、長尾街道、 横大路が交差する交通の要衝であり、 古代から重要なポイントでした。 八衢ですね。 壬申の乱でも 通った道であると思われます。 『日本書紀』の崇神天皇6年の条。 宮中に天照大神と 倭大国魂の二神を祭っていたが、 天皇は二神の神威の強さを畏れ、 宮の外で祀ることにした。 天照大神は豊鍬入姫命に託して 大和の笠縫邑に祭った。 倭大国魂は渟名城入姫命に預けて 祭らせたが、 髪が落ち、体が痩せて祀ること ができなかった。 この後、【倭大国魂】は 【市磯長尾市】に祀らせることに なります。 【市磯長尾市】は長尾氏です。 要するに、 井光の子孫に 祀らせたということです。 宮中から出された 天照大神は【三輪山の太陽の女神】 各地を放浪したあげく、 伊勢にご鎮座します。 【倭大国魂】は 大地主神であり、 【八千矛と村雲】のことです。 つまり、 磯城王朝が物部に追い出された ということを記しています。 【大和神社】で 【市磯長尾市】という、 村雲と井光の子孫に お祀りさせたということです。 とても重要な逸話です。 井光は丹波でもお祀りされています。 【伊加里姫神社】 西舞鶴市にあり、 現在は【藤森神社】となっています。 西側の山は【白雲山】 【真名井の清水】もあります。 どちらも村雲を表すキーワードです。 【伊加里姫】は井光のことで、 海部家第4代天御影 (椎根津彦・珍彦)の母です。 第3代が村雲ですね。 天御影か その御子【笠水彦】の時代に 丹波へ戻ったと思われ、 そちらで祖神である井光が お祀りされてゆきます。 壬申の乱の遥か以前から、 国母としてお祀りされているのが 井光です。 井光の出身部族が 縄文から続く丹生族であり、 【吉野の国巣】なのです。 正に、 【ヤマト政権の巣】となった人たちで、 吉野に逃げた大海人皇子は 母の実家、つまり おじいちゃん、おばあちゃんを 頼っていったという感じです。 この場合、 大海人皇子の母ではなく、 皇室の母という意味です。

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280 Час назад

      つい最近までは吉野であったり宇陀であったり、殆ど興味の無い地域でしたが 井光の存在を教えて頂き次から次へと魅力ある興味の山が現れた感じで 楽しい現地探索させて頂いています お陰様でありがとうございます また、その都度詳しくコメント頂き大変勉強になります あの地域訪ねるたびに謎や不思議がゴロゴロ出て来て 現在頭の中がもつれています まだまだ当分楽しみは続きそうですのでよろしくお願いします 因みに、長尾神社は近々アップする予定です あそこは周囲の住宅街化が進む中決して広くは無い森ですが 不思議な異空間の雰囲気がありなんとも言えない趣きを感じました 言われるように切り込みの角度もいくつもあるようですので 今少し頭の整理が必要です それもまた楽しい事でもあり、そんな日常に感謝です ありがとうございました

  • @サイノカミ
    @サイノカミ 3 дня назад

    櫛明玉は富(向)家の分家の人で、勾玉や管玉を作る為にメノウ原産地・花仙山(かせんざん)近くに居住していた長です。糸魚川産ヒスイも取り寄せて玉類を作っていた。少名彦・八重波津身が遭難死後に、その子供達を中心として出雲族の約半数がヤマトに集団移住した時に櫛明玉の一族も 玉作りする為に同行したと、伝わっています。

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280 2 дня назад

      コメントありがとうございます おっしゃる通りの事のようですね ただ私はどうもまだスッキリしていないと言うか それ程単純では無いようにも思います 何がどうなのかと聞かれても上手く言えませんけど 故にもどかしいとも言えます その内どこかで光が刺してくる事も良くありますので 取り敢えず一旦保留状態です 何か面白そうな展開があればまた教えて下さい よろしくお願いします

  • @いずみ岬
    @いずみ岬 3 дня назад

    ありがとうございます。 人の声で、ほっと致します。人工音声が凄く苦手で聞いているのはストレスなので、とても聞きやすいです。 不可思議だらけの古代史ですね。「くず」と聞けば「葛」を思い浮かべます。

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280 3 дня назад

      国栖から葛になって葛城になったそうですので、 イメージの進行方向は間違っては無かったようです 私の音声もまだまだ未熟で問題点も多いですが頑張ります 励みになるコメントありがとうございました

  • @サイノカミ
    @サイノカミ 3 дня назад

    神話物語から古代史を読み解くには、現地探索は欠かせませんね。国柄も古来からの地元豪族だったでしょうか?一次二次物部東征に纏わる協力者、抗らう勢力など奥は深いだけにロマンたっぷりですね。

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280 3 дня назад

      おっしゃる通りだと思います 昔から百聞は一見にしかず、と言われますが私はその通りだと思いますね 兎に角そこへ行く事、それこそが最大の目的で良いと思います 明日からまたウロツキに行ってきます コメントありがとうございました

  • @ロハン-q2v
    @ロハン-q2v 10 дней назад

    参拝にすごく良さそうなところですね! 吉野首などになると、大海人皇子とつながっていた気がしますが。 なかなかいけない秘境までありがとうございます。

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280 10 дней назад

      良くキャッチコピー的に「呼ばれなければ行けない神社」とかありますが なかなか呼ばれても行けない所だと思います 全く異空間でもありました 大海人皇子は確実に繋がっていると言うか 贄物も国栖もイヒカも記紀の話の元は彼でしょうね 次回の国栖の話で決定的です だとしたら神武が紀伊から熊野に回ったとされる東征神話にも 別の意味で、無意味の意味が変わってくる様で 更に面白いですよね どう思われますか? 近々、五瀬の御陵と竈山神社も行って見ようかとも思っています

    • @ロハン-q2v
      @ロハン-q2v 9 дней назад

      @@kanji-kun1280 倭姫が回っているのは、鸕野讚良(持統天皇)が天武天皇になるまでに巡ったところとほぼ同じだということです。母親は遠智娘(蘇我倉山田石川麻呂の娘)で石川麻呂は入鹿を殺させらたあと天智天皇に殺され、夫が父を殺すという境遇の越智郎もすぐに亡くなり複雑ですね。さらに鸕野讚良になるともっと複雑だったと思います。 紀伊から熊野は紀氏が大きくかかわっていると思います。(天武、持統期には重要な位置にいます。) 大海人皇子の高向王(用明天皇の孫)と宝皇女(皇極天皇)で、 高向王は父、当麻皇子(「万葉歌の天才」)、母は石寸名(蘇我稲目の娘)です。 天皇の血筋としては遠くなってきているための血の信憑性を高めた説が有力だと思いますが。 蘇我氏の祖は武内宿禰で、武内宿禰は高倉下(紀の国造の祖であり、海部氏)の子孫、 漢皇子から大海人皇子に名をかえたのもこの関係らしいです。 竈山神社は深そうですね。楽しみです!!

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280 8 дней назад

      @@ロハン-q2v様 いつもながら深くて濃いコメントありがとうございます ポンポンと色んな方々が登場するので 頭がこんがらがってオーバーヒート気味ですが 有り難く勉強させて頂きます 因みに最近、丹敷戸畔でしたか、小魚の小骨の如く何か引っかかってます 神武東征に戸畔は何人か出て来ますが、いずれもサラッと一行程度ですので 余計に気になります 困ったものです

    • @ロハン-q2v
      @ロハン-q2v 5 дней назад

      @ 名草戸畔はわかるんですが... 勉強不足です。 有力で強かったのは間違いないですね!!

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280 5 дней назад

      「丹敷」で「にしき」ですよね、同じく若狭小浜のお水送りの鵜の瀬の川が 「遠敷」で「おにゅう」川なんですよ で、お水取りの二月堂と那智の滝が南北一直線なんですが 先日、丹生川上神社下社に行ったと時やはりあそこもレイラインで 若狭の御神島の事があそこの神社便りに書いてあったのですよ そこには二月堂も那智の滝も書いては無かったのですが 御神島と鵜瀬、二月堂、丹生川上神社下社、那智の滝は全部レイラインなんですよ キーワードは水なんですが、水銀も被るんです で、那智熊野でその丹敷戸畔でしょ 遠敷の敷を「にゅう」とは読まないのに何故「おにゅう」と読むのか? 方や丹敷は「にしき」 何処かに接続ピースが入れば何かが落ちて来そうな気がするんですが どう思われますか? 多分、「ふーん」で片付けられる気がしますのでそれはそれで良いのですが 何かの時に思い出して貰えたらと思って書いておきます

  • @ヨシヨシコンブ
    @ヨシヨシコンブ 10 дней назад

    妖精王に出演していた。笑笑。

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280 10 дней назад

      イヒカ、私はこの響き好きですね 漫画の登場人物に使う気持ちわかります けど、イヒカの事知っていた事には感心します 妖精王、ですか?見て見たいですね ありがとうございました

  • @サイノカミ
    @サイノカミ 10 дней назад

    タカミムスビノ神は徐福が佐賀県に一緒に連れて来た母・高木タクハタチヂ姫で高木ノ神とも言われる。第二次物部東征で、瀬戸内海・吉備に勢力を張る吉備王国軍との8年間に渡る戦いだった。制圧した物部勢が夜に山に登って星神を拝んだのでしょう。小さく有名で無い神社や磐坐にも古代の歴史が沢山褄ってますね。体力も必要ですが今後も配信頑張って下さい。

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280 9 дней назад

      ありがとうございます 磐座、巨樹、滝、泉、元々の神様の拠り所、そんな神社がたまらなく好きで 気になったら行って見ないと気が済まない困った性格です 応援のお言葉をありがとうございます これからも飛び回りますので よろしくお願いします

  • @幕張メッセンジャー
    @幕張メッセンジャー 14 дней назад

    完全に観光地化している宮崎の高千穂よりも当地の方がよりパワーを 感じる💪

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280 14 дней назад

      天の岩戸と言うより 高天原と言われた方がイメージが合いそうね場所でした と言ってもどちらも見た事もないのでなんとも言えませんが まあ、想像の世界ですけど コメントありがとうございました

  • @kiyotokoyama
    @kiyotokoyama 14 дней назад

    片井の墓に鴨之助があって掃部の助かと思っていたが、鴨一族?高野山成慶院文書に方井蔵之助。家紋は丸に三つ蔓柏、事代主系だったなぁ!やっぱり  ありがとうございます、

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280 14 дней назад

      私のレベルでは意味不明ですが 何かのお役に立てたようですので 嬉しいです コメントありがとうございました

    • @kiyotokoyama
      @kiyotokoyama 2 дня назад

      @@kanji-kun1280 神武の旧地片居、磐余の地名から片井と思ったが、八耳さんが先祖だ?科野国造金刺氏神谷井耳は八耳系

  • @kitayosidu
    @kitayosidu 16 дней назад

    ヤタガラスのヤタはアタ族の訛という気もした。

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280 16 дней назад

      言われてみればありでしょうね アタ族を絡めて考えればいろいろ出てくる様な気もしますね 隼人は相当後の時代で付けられた名前でしょうから その陰に隠れた見逃していた様な気がします あと、久米族も熊襲の元かどうか分かりませんが 地域的には重なる様に思いますし、アタ族と隼人の例と共通する様にも思います どうでしょうか? 宮中での重用されてる事も共通する様に思いますし 歴史の不可解な部分の解明の一つのヒントにもなる様な気がします どう思われますか? コメントありがとうございました

  • @ロハン-q2v
    @ロハン-q2v 16 дней назад

    奈良にいたときに行けていない神社で面白かったです。 近くの「比売火懸の森」(ひめしかけの森)もあり、木花咲耶姫でしょうね。 阿多=吾田=阿陀(もあったか) ご祭神を見ると豊玉姫もいてもよさそうですが隠されていますしね。 大山祇神社のご祭神の三嶋明神の別名は吾田国主事勝国勝長狭です。祖神なので当然ですが。 隼人の楯の渦からも、「死と再生」の呪術を大切にし、 物部は統治で、隼人(=阿多(吾田)=大山積(三島溝咋耳))は祭祀を司っていたと思いますが。 隼人は鵜飼いですし。(出雲は鷺です) 隼人が「まつろわぬ民」ではなく、裏で協力していたことを言いたかったのではと思ったりします。 近くに高鴨神社もありますし面白いですね。 他の2つは全く無知なので次回から楽しみです。

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280 16 дней назад

      いろいろ深いところ教えて頂きありがとうございます 助かります 吉野、宇陀周辺、入ってみると大変面白いのでビックリしています で、神武東征とか物部東征とかで忘れていた事ですが、壬申の乱?でしたか、大海人皇子の足跡がかなり残っているのも驚きです なので、神武東征神話には相当思い入れが影響している気がしています その辺りもまた面白いです 引き続きよろしくお願いします ありがとうございました

    • @ロハン-q2v
      @ロハン-q2v 16 дней назад

      @@kanji-kun1280 最近、大元出版さんの柿本人麿系や山本恵子さん、その他、聖徳太子の時期から持統天皇までの流れを読み漁っていたので、 大海人皇子のころは好きではないですが 記紀の内幕がのぞけるようになって面白いですね。 「談山神社」が山の上で綺麗ですよね。

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280 15 дней назад

      談山神社に行った時にたまたま韓国からの研究団が来ていて、 乙巳の変の巻き物を広間に広げて説明していた場面に出会い 特別に一緒に説明を聞かせて頂いた時に 入鹿に最初に切りかかった人の絵の時に、最初に切り掛かった人は誰ですか? と聞いたら、佐伯のイタチ丸、だと言われました 実はその頃厳島神社の研究団体さんと関わりがあって佐伯氏について 調べていた時でして、厳島神社の最初の神主が佐伯クラモトでしたので 佐伯氏について調べていた時ですので、佐伯今蝦夷系で佐伯が繋がった 超貴重な思い出があります いずれ、厳島神社、宮島も特に地元ですので動画上げたいと思っています 宮島は神武東征とも関わりますし、宇佐神宮にも負けないくらい 面白い深掘りもあります 話が逸れてすいません 談山神社の名前出て来たのでつい語ってしまいました すいません、困ったもんですご容赦ください

    • @ロハン-q2v
      @ロハン-q2v 15 дней назад

      @@kanji-kun1280 貴重なお話ありがとうございます。佐伯クラモトは知っていましたが、イタチ丸は初めて聞きました。 佐伯家は深いですよね。 厳島神社楽しみにしています!

  • @mayumi3300
    @mayumi3300 16 дней назад

    【阿陀比賣】とはやはり ご祭神を見ても 【神阿多都比売】 →木花咲耶姫の実家 【阿多隼人】の祀る神社でしょうね。 出雲の伝承では アタツヒメは イクメ王の母ですから、 第二次東征時には 多くの隼人がイクメ王の元で 東征に加わったと思われます。 第一次東征でも 五瀬やウマシマジたちは 南九州で兵を集めて 久米の子らや隼人などを引き連れて やって来ますね。 そして、 阿陀の鵜養の祖【贄持之子】とは… 正史は 実はキャラクターや エピソードに 複数の意味がかけてある と分かるようになりました。 和歌の手法ですね。 言葉数が少ないからこそ、 ひとつの言葉に いくつもの意味を含めて、 深いメッセージを伝えられるのです。 普通、神社の構造は 縄文の信仰が奥宮の磐座にあり、 時代が下がるにつれ、 山を折り、 麓に遙拝所ができ、 更に社を造るようになって、 その時代ごとに入って来る氏族の 氏神さまたちが 上書きされてゆきます。 阿陀比賣神社の場所は 東征のルートというより、 どちらかと言えば、 紀の川から入って来たような 位置に観えます。 縄文時代から おそらく、このあたりまで 既に隼人が来ていたのでは… と想像します。 その時は 隼人とは呼ばれていなかったかも 知れません。 ですが、そうとう古い時代から、 南方の貝が 日本のあちこちで出土しています。 後に隼人や熊襲と言われる 南方系の海人族が その機動力を使い、 日本中で交易を行っていたはずなのです。 紀伊半島の鉱物資源を扱う 井光族とともに、 この地に縄文時代から 南九州人が住み着いていても おかしくないですね。 むしろ、そのような海人族が 鉱物を流通させる役割を 請け負っていたとも考えられます。 ウマシマジらが 吉野を通ったとき、 祖を同じくする隼人たちは、 同じ氏神を一緒に 祀るようになったかも 知れません。 更に、正史が編纂され、 阿多隼人は アタツヒメとともに 天皇家の親族として 描かれるようになり、 社を建てるようになると、 正史の記述がその御由緒に 記されてゆきます。 それからもう一つ、 竈山神社に 五瀬命が葬られ、 その子孫たちがそこを 護ってゆきます。 神職は明治まで 代々鵜飼家(うがいけ)が 世襲した。 鵜飼家は、『古事記』[原 1]において 吉野川(紀の川)で 魚を取ったと見える人物・贄持之子 (苞苴擔之子、阿陀之鵜飼の祖・ 阿太養鸕部の祖)に始まるという[4]。 古くは永徳元年(1381年)の 日前宮文書で、 鵜飼新五郎の神主補任の記載が 見える[3]。 鵜飼家文書によれば 弘治年間(1555年-1557年)の 鵜養半太夫ママまで 79代を数えたという[3][4]。 一族は官幣中社列格の際に 禰宜を任じたが、 数年で郷里を出たため 91代で社家としては断絶した[4]。 元々、紀の川(吉野川)沿いにいた 縄文系の隼人たちと 東征してきた新しい隼人、 そして、五瀬の子孫たちが 重なっているように観えます。 アタカタスと 多岐津姫命の【アタ】は わたしもとても気になっていますが、 まだ、整理がつきません。 そのうちに また、ストンと落ちることも あるだろうと 温めています。

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280 16 дней назад

      ありがとうございます 後ろ盾を頂いた気分です で、この辺り、吉野、宇陀を彷徨いていると 大海人皇子の足跡が意外に強い事がわかりました 記紀に神武との関わりを強めた?引き立てた? そうして宮廷との関わりを更に深くして地位を上げて行った その様にも思えます 壬申の乱に於いてもかなりの活躍があったのでしょう 記紀編纂の時期とも重なり、その辺の上塗りが現代に残っている そんな気がします 何れにしても、あの地域、楽しいですね 始まりは、井氷鹿ですので、初めて聞いたこの言葉からが始まりですので 更に面白いです いろいろありがとうございました

    • @mayumi3300
      @mayumi3300 13 дней назад

      ​​@@kanji-kun1280さま​ 吉野川が山間部へ くねくねと入り込んでゆくところに 【宮滝遺跡】があります。 その地域には、飛鳥時代に 斉明天皇が吉野に造られた 離宮があります。 【吉野宮】です。 以来、大海人皇子 (後に天武天皇)、 持統天皇、文武天皇、元正天皇、 聖武天皇などの行幸がありました。 特に、大海人皇子が 吉野宮に来られた時には、 壬申の乱という 大きな内乱の起点となり、 古代史上、大きな役割を果たしました。 また、天皇の行幸と共に、 万葉集などの歌が詠まれました。 宮滝遺跡では これまでの調査で 飛鳥時代~奈良時代だけでなく、 古くは縄文時代から、 最近では江戸時代までの遺物も 見つかっています。 複合遺跡なのです。 天武天皇だけでなく、 後醍醐天皇も逃げ込み、 落ち延びて来た皇族を 受け入れる風土がありますね。 それは何かというと、 縄文時代から栄えて来たこの地域は、 紀伊半島を支配して来た 井光一族がいたであろうと 思います。 村雲の妃となり、 多くの皇族たち、 特に海部家・尾張家の 祖となった井光族は、 その後もずっと、 内部抗争で敗れた皇族たちを 懐深く支えて来たのだと思います。 大海人皇子は 安曇氏に育てられたと言います。 海部氏の一族です。 ですので、 【大海人】と言われます。 敵対する天智天皇側は 【息長・中臣】勢が 支えていました。 大海人皇子側には 中臣に排除された蘇我グループや 尾張氏がつきます。 吉野の国栖たちは 井光の子孫である 大海人皇子を 喜んで迎えたでしょう。 元々、深い繋がりが あるのです。 助けられた天武天皇が 国栖たちを優遇したのは 言うまでもありません。

    • @mayumi3300
      @mayumi3300 13 дней назад

      ​@@kanji-kun1280さま 返信を送ったのですが、 見えていますでしょうか?!

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280 13 дней назад

      ありがとうございます 私のボヤッとした考察にキッチリ言葉を付けて頂いた感じです いつもながら流石ですね 私は今まで吉野と言えば千本桜の吉野山をイメージしていましたが 宮滝遺跡辺りの事は全く頭に無くて新鮮な発見でした で、その宮滝遺跡からもうひと曲がりした所に岩神神社があり更にもうひと曲がりした所に 浄見原神社があります まさに、飛鳥の浄御原宮ですよね、実はそこから大海人皇子に繋がりました 両神社共川のそばで素晴らしいです その浄見原神社で行われる、国栖舞とか国栖奏でしたかその元は 久米唄とも呼ばれていた様です 久米族は球磨川流域の部族で物部東征で相当頼りにされてた様ですよね なので、それも有りかと思えば更に複雑ですよね 一つだけ教えてください 大海人皇子が井氷鹿の子孫である事はどの様に辿ったら良いのでしょうか? どうも、井氷鹿は、国栖とか贄物達とは種類が違う様にも思えるのですが イマイチ霧の中です

    • @mayumi3300
      @mayumi3300 12 дней назад

      ​​@@kanji-kun1280さま 吉野の深い細い道を 分け入ってゆく大海人皇子を 想像していましたが、 清見原神社を見たとき、 「あ〜船だ…」と思いました。 船でしか行けない 断崖絶壁に貼り付くように 小屋が建てられ、 皇子をお護りしていたのでしょう。 国栖奏が久米歌…😍 繋がるじゃないですか。 阿陀の鵜飼たちは、 南方系の海人族であった可能性が あります。 鉱山を抑えている井光族とは 遥か縄文の時代から 婚姻関係があったと思います。 井光は初代大王【村雲】の 妃として迎えられ、 御子たちを生みますが、 皇統を継いでいったのは タタラ五十鈴姫の血統でした。 しかしながら、 村雲の子どもたちは沢山いて、 異母兄妹同士で結婚したり、 その後も井光の子孫たちは 皇族の中で婚姻を繰り返します。 ですので、 大王家には必ず、 井光の血統が入っているのです。 村雲の沢山ある別名のひとつに、 【剣根命】という名があり、 【葛城国造】の祖となっています。 葛城→【葛(くず)】です。 国栖族を束ねるのも 大王家の子孫でありました。 大海人皇子の母は 斉明天皇ですので、 大王家の血統は しっかり受け継いでいます。 井光の血統も備わっているのですね。 そして、 海部氏の親族であった 【安曇氏】は、 長江流域と九州を往復していた 海人族で、 徐福の来日の際の足として、 その航海を受け持ったであろうと 想像します。 その安曇氏に育てられたのが 大海人皇子です。 吉野川の鵜飼たちは 元々、九州南部の海人族であり、 安曇族とも同族であっただろうと 推測します。

  • @サイノカミ
    @サイノカミ 17 дней назад

    薩摩の豪族・竹屋ノ守の娘・阿多津姫(コノハナサクヤ姫)が祭神。姫は物部イニエの妻となり物部イクメを産んだ。物部一次二次東征(神武)に関係していますね。

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280 16 дней назад

      そう言えばそうでしたね その辺サラッと通り過ぎていました 物部東征軍には、球磨川流域の久米族と南薩摩のアタ族が相当いた という事ですよね、勿論宇佐族もでしょうけど 物部=徐福、ばっかり気にしてて不覚にも抜けてました ありがとうございました

  • @TK-bm6cu
    @TK-bm6cu 17 дней назад

    初見分です。面白い考察ありがとうございます。個人的には神武東征問題?は保留(笑)です。出雲口伝には敬意を表してますが、物部東征(論)はまだ難しい(個人的に)です。ただ何かの東征がモチーフとは思ってますし、薩摩隼人に関連させたのには面白いですし感心しました。神功皇后の経路(別視点ですが)に関連性があるのか?勘繰ってみたくなりました。

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280 17 дней назад

      複雑で微妙な考察過程の気持ちよく分かります 口伝が元とも言いながら相当な考察が入っていますので 著者の方の微妙のな迷いも感じ取れます あの地区、吉野、宇陀辺りは大海人皇子(天武天皇)が壬申の乱でしたか の時に大変お世話になった地域ですので、後に相当お礼の意味で 引き立ててる様ですね、宮廷への献上品(贄物)や大嘗祭での舞や奏等に久米唄や国栖舞 神様として神社に祀ったりと、恐らく記紀編纂時に神武天皇との絡みを作って 付加価値を付けた どうもそんな感じが見えて来たような気がして来ました 特に宇陀は持統天皇と柿本人麿も縁が深かった所の様ですので 記紀編纂とのタイミングはバッチリだと思います この考察、どうでしょうか? コメントありがとうございました

  • @石井健次-h1n
    @石井健次-h1n 17 дней назад

    確か伝承で隼人族は物部東征に参加するのを嫌がったッて書いてあったような〜

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280 17 дней назад

      ほんまですか? 調べて見ます

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280 17 дней назад

      調べて見たですが、薩摩隼人を兵士として集めた、とありました 球磨川流域でも相当の兵士達を集めたようですね 彼らの事はクメの子と呼ばれたそうです 確か神武東征のどこかで、久米唄が出て来ますよね それも繋がるんでしょうかね? 薩摩の事は今まで見逃していました 結構面白いですね

    • @石井健次-h1n
      @石井健次-h1n 17 дней назад

      お疲れ様です。俺の記憶が曖昧でスミマセンデス〰😅 確か伝承のほんかトゥーランブイログのYou Tubeか何かです〰 何か印象に残ってたッて感じです〰😂

  • @いずみ岬
    @いずみ岬 17 дней назад

    阿多と吾田 読みは同じですよね。いい線いってると思います。

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280 17 дней назад

      仲間が増えた気がします 漢字の当てはかなり後からですから 色んな漢字が当てられたと思います ありがとうございました 今日は良い日になりそうです

  • @恵口百山
    @恵口百山 22 дня назад

    カカシ、ガマ蛙、蛾の羽、芋、小人 トーテムにカカシがあるので水耕以降の神様で、蛾の羽の色から想像すれば、田んぼに降りるシギ、チドリの類を神格化したのでしょう 国に稲田が増えて豊かになる象徴だと思いますね 旅鳥なので、繁殖期が終わると南方へ飛び去っていなくなります

  • @7tomoasis26
    @7tomoasis26 23 дня назад

    今も鶏肉、卵を食べないようにしている地域があるみたいですね

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280 23 дня назад

      ほんまですか? 良質のタンパク源?と言われてませんかね ヤバイでしょう 美保関辺りですかね? 昔バスガイドさん達がそんな事言ってました 本当だったんですね ありがとうございます

    • @7tomoasis26
      @7tomoasis26 23 дня назад

      @kanji-kun1280 自分が聴いたのは、美保関辺りと、東出雲辺りの地域ですね。ピンポイントでは分かりませんが。 こういう話は出雲に限らず全国にありますよね。見てはいけない神事があったり、飲食物の禁忌など。

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280 21 день назад

      ありますね 犬を飼わないとかも最近ありましたね、そう言えばキリスト教はタコを食べない、とかもありましたね

  • @mayumi3300
    @mayumi3300 24 дня назад

    出雲の元々の蛇信仰が 色々と発展し、 月日を重ね、 美しい芸術作品として それ自体も生きているようですね。 荒神さんはアラハバキ 【ハハ】とは 蛇の古語だそうです。 木や磐は 社を作る以前からの 神の依り代として、 神聖なる命とエネルギーを そこに見出だし、 お祀りして来た先人たちの 信仰の中心であり、 星を拝んで来た徐福族が、 その藁蛇を斬って周った と伝えられる伝承は、 両者の信仰の違いと、 それ故に起こった摩擦を 具体的に感じられる逸話ですね。 一番目の藁蛇は 正に、八岐大蛇そのもの。 斬られた大蛇の尾から 天叢雲剣が出て来るのも、 斬られても死なない魂の 蘇りを思い知らされます。 2本の紐がより合うことで 縄ができ、 更にその縄をまた捻り合う。 男女の絡み合いと、 DNAの螺旋が、 新しい命を生み続け、 永遠の命を謳ってゆきます。 注連縄に込められた 結びの本質は サイノカミの本質であり、 【アラハバキ・道祖神】という 民間信仰として根付いてゆきます。 稲作を始めた縄文人も、 信仰の中身は全く変わらず、 藁を通して その本質を表現し、 現代まで生き生きと 受け継がれていることに 感動しますね。✨

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280 24 дня назад

      多分、元々は思いも形もシンプルだったのでしょうけど 長い年月でそれぞれの人間、家族、村の状況によって 様々な表現形態が出来上がったのだと考えればやはり歴史ですよね まさにそれこそが人々の営みの歴史なのでしょう 今でも神社さんが主体ではなく地域の方々がそれを奉納しているそうです ので、古代からの原理も受け継がれている気がして 嬉しいですね 出雲の神社さんはどんな山奥でも荒廃してほったらかしの神社さんに出会いません 寧ろいつ誰が管理しているのだろうかと感心します 恐らく長い歴史の中で育まれ受け継がれてきた地域の宝だと思います そんな地域の方々の温もりが感じられる出雲が私は好きです

  • @nihontaro9
    @nihontaro9 24 дня назад

    明けましておめでとう御座います。 イラスト🐍が良いですね。 今年もよろしくお願いします。

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280 24 дня назад

      そこですか? 確かどっかのパクリだったように思います 今年も遊び心のマイペースで頑張りますのでよろしくお願いします

  • @サイノカミ
    @サイノカミ 24 дня назад

    出雲族の竜蛇神信仰は、神木(岩)にワラヘビを8回(聖数)巻き付けカマ首を上部にして、こちらに向ける。雨乞い、魔除け、金運ご利益あり。地域荒神、屋敷荒神、同族荒神が多数祀られている。祟りは強い神様です。

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280 24 дня назад

      でしょうね、元々の地神、先祖神様への信仰は、誓い?約束? 「朝から晩まで一生懸命働きますので、どうか豊作をよろしくお願いします」 「世のため人の為に尽くして参りますので、どうか家族の健康をお願いします」 怠ったら祟りがある、祟と崇、表裏一体ですよね 現代のようにお参りとご利益は都合が良すぎ? まあ時代でしょうけど、人気の神社さん以外の廃墟化は何とかしないといけないですね? 頑張りましょう!

  • @いずみ岬
    @いずみ岬 24 дня назад

    みごとな藁蛇を見せていただき、ありがとうございます! 巨木も素晴らしいです!

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280 24 дня назад

      藁蛇の魅力分かって頂けて嬉しいです まだまだ、独特の藁蛇沢山ありますので又いずれご案内したいです コメントありがとうございました

  • @ロハン-q2v
    @ロハン-q2v 24 дня назад

    藁蛇すごくおもしろいです。出雲の歳ですね! 興味も尽きないですね。 個人的には都我利神社のわら蛇が好きです。 創られた方の思いがこもってるんでしょうね! 生と死、破壊と再生、陰陽、 昔から生命の原則を大切にしていたのも、 祀られている神様にもうかがえて感謝です!!

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280 24 дня назад

      都我利神社、私もあそこの藁蛇大好きです、木の根元のとちゃんと台の上の岩のと両方ありますよね 何かの機会に紹介したい神社だと思っています ご祭神が味鋤タカヒコ君なのが又何かありそうです良いですよね 裏の森も何かありそうだし、更にずっと奥の山、旅伏山?でしたか あそこら辺にも繋がりそうで、何か情報ありましたら是非 教えて下さいよろしくお願いします

    • @ロハン-q2v
      @ロハン-q2v 23 дня назад

      ​@@kanji-kun1280 旅伏山は行ったことがないのです。 都武自神社 速都武自和気命 (八束水臣津野命と習合?) 都武自神社は他に直江に2つあってそっちは行ったことがあります。 深堀りしていくとて八束水臣津野命に行きつきます。 国引き神話の要石もあるらしく興味が出てきました。 私は出雲神奈備神社、伊努神社、都我利神社のセットが好きで行かせてもらっています。 出雲神奈備神社 ご祭神はたくさんおられますがもともとは後ろの鼻高山を猿田彦(ドラビダ語では「サルタ」を「長鼻」)として遥拝するための場所だったようです。 鼻高山から、西の山谷は「神門谷」(ごうどだに)といい、出雲王家の「神門臣家」が住んでいた名残りだと思われます。偲フ花さんから抜粋しました。 現地でお山を拝ませてもらえれば個人的にもその方がしっくりきます。 伊努神社(西の宮) ご祭神 赤衾伊努意保須美比古佐倭氣命(八束水臣津野命」の子神) 配祀神に妻神の「天之甕津比賣命」も祀られていて「天香香背男」(「天津甕星」日本書紀で国譲り後、唯一悪神とされ「武葉槌神」に平定された。)と兄妹説もあり、カカ=蛇、甕(ミカ)=カメと遠く離れた関係も気になるところです。     都我利神社(東の宮) ご祭神 阿遅志貴高彦根命 ご神体 神戸の剣(かんどのつるぎ)アジスキタカヒコの持っていた剣 神門臣家と分かる品でオオってなります。 個人的には合祀された伊佐波神社は御祭神が泣澤女命(かイザナミ)であったというところが気になります。水の神、延命の神、「哭女(なきめ)」の表象で、その儀礼の起源にまつわる生命復活の神とする説があり、ここも隠された古代の信仰につながっていると思います。 ここは神社の後ろの荒神様、塞ノ神様、治兵衛さんのお話しがいいですね。 振り返ると仏教山も見えるらしいです(知らなくて見たことないですが) peshimane.net/wp/wp-content/uploads/2014/06/2013-45%E5%87%BA%E9%9B%B2%E5%BB%BA%E5%9B%BD%E3%81%AE%E5%9B%BD%E5%BC%95%E3%81%8D%E7%A5%9E%E8%A9%B1%E3%81%A8%E3%81%8B%E3%82%93%E3%81%AA%E3%81%B3%E5%B1%B1%E5%90%89%E7%94%B0%E8%96%AB.pdf 八束水臣津野命のところの国引きの流れが参考になると思います。 「都牟自神社(つむじじんじゃ)」の1つ 出雲市斐川町直江520 御祭神:天津枳値可美高日子命(あまつきちかみたかひこのみこと) で神魂命の御子であるので、 直江一帯から出雲大社(富神社、阿吾神社、曽枳能夜神社、長浜神社)のほうまでつながっていて、 神門臣家であるならアジスキタカヒコともつながっていき、真ん中の伊努、左右のアジスキタカヒコ、もとの八束水臣津野命と面白い関係だと思います。 まとめれずに長くなってしまってすいません。

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280 23 дня назад

      @@ロハン-q2v様 流石にくまなく歩き回っておられますね 国引きはミズオミズ君含めて面白いですね 神奈備山が何故大船山なのが私には不思議です あと伊奴谷峠辺りが気になります 鰐淵寺の影響があの峠と谷を伝って南に入って来た? 渡来系でしょうけど 都武自神社、やはり旅伏山登って見ないと見えて来ない感じですね 今年の目標に加えておきます あと、阿吾神社はどう捉えたら良いのでしょうか? 背景に何か見えそうな気もしますが姿が見えないのです あとついでに布須神社、私には謎の神社です 何かご存知でしたら又教えて下さい よろしくお願いします いろいろありがとうございます

    • @ロハン-q2v
      @ロハン-q2v 23 дня назад

      @@kanji-kun1280 ひとつ前の返信が消えてしまいましたね。 八束水臣津野命とこの近辺は触れにくいのですかね。 鰐淵寺に駐車場から登っていく途中に、すごく丸みの帯びた大きくてきれいな磐座が川辺にあったり、 神社もあり、滝の不道明王もお寺以前から崇拝されていたと思われますね。山の民がいたのでは。 山陰の名所旧跡 大元出版では 天台宗ではサルタ彦大神を尊崇し、サルを眷属として「山王神」として拝んでいる。 また、猿田彦を摩多羅神と名を変えて祀ったという。それで鼻高山の北の谷に、鰐淵寺が建てられたらしい。境内に摩多羅神社がある。 とあります。

    • @ロハン-q2v
      @ロハン-q2v 23 дня назад

      阿吾神社 第二次物部・豊国連合軍の日本海東征コースは、西都原 ~宇佐~大田市静間川河口・流れ戸~吉永・物部神社地(本陣)~朝山町朝倉・朝倉彦命神社地(休憩)~多岐町小田神社地(前線)~山崎ケ丘・王宮~古志町久奈子神社地・講和条約締結。しかし、不服出雲兵を討伐の為、物部軍は斐川町・阿吾神社地に前線基地を置いて、仏教山周辺で最後の激戦があったという。 阿吾神社と小田神社は第2次物部東征の最前線基地 ご祭神は「彦火々出見尊」、「豊玉姫」で、 「彦火々出見尊」は物部のイクメ王に相当する神の名で後からご祭神は変わったと思われます。 阿吾神社の合祀された支比佐社の伎比佐加美高日子命があり、 支比佐社は曽枳能夜神社の境内社支比佐社とする説があるとあります。

  • @しずり-y6c
    @しずり-y6c Месяц назад

    八重垣神社の優しく柔らかい雰囲気が大好きです。 「鏡の池」では、赤蛙やクロハライモリのお出迎えが可愛いです。 玉作湯神社は10年前に数回、参拝しました。 若い人たちが多く、石の前で行列。 本殿に参拝もせずに列に並ぶ人が多く、何しにきてるのかと呆れてしまいました。 八重垣神社も大勢の女性が来たかと見ていたら、本殿にお参りもせずに、「鏡の池」へ直行。 女性にとって『結婚!』は一番大事だと、女性たちの迫力に驚いた。

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280 29 дней назад

      どんな形でも神社に興味を持ってもらいたい気持ちはありますが やや複雑でもありますね 神社さんも最近ではあの手この手で趣向を凝らして受けようとしている傾向が あるものどうかと思いますね 経営や維持管理上仕方ないとも言えるのでしょうが 本来の神社の姿が無くなるのは一番問題だと思いますね なんとか頑張ってもらいたいです

  • @しずり-y6c
    @しずり-y6c Месяц назад

    明けましておめでとうございます! 一昨年、田中神社で悪縁を切り、佐太神社へ参拝。 その際、「やまかがし」のお出迎えもあり、やはり『龍蛇神』をお祀りする神社はほかとは違うと思ってしまった。 勿論、仕事上の悪縁はきれ、良縁はあったと娘が喜んでいました。  私は参拝の時にスマホで撮った狛犬を待ち受けにします。 今年は蛇年なので。

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280 29 дней назад

      ヤマカガシですか? 私は蛇の種類に詳しくないですが その、ヤマカガシとかに出会った事ないですね むしろ山ではマムシにはよく出会いますし マムシは顔つきが精悍で好きですのでよく捕獲して帰ります が、蛇には興味がないと言うのもありますけど ただ出雲の藁蛇は好きですね 近々藁蛇特集やろうかと考えてもいます お楽しみに・・・

  • @mayumi3300
    @mayumi3300 Месяц назад

    楽しい神社、盛りだくさん、 ありがとうございます♪ 参加型の参拝は 楽しいですよね。 それぞれの想いが 神さまに触れ合います。❣️ 中でも【田中神社】は 凄いですね。 これこそ、サイノカミです。 【佐太神社】にご鎮座されるわけですね。 元々、【切る・結ぶ】は 2つでひとつ、セットです。 これを繰り返すことが、 トキを刻むことであり、 宇宙の法則として 在りて在るものなんですね。 【生死】【開閉】【入出】などと 同じことです。 お互いがあって成立します。 辻に立つ【八衢彦】(猿田彦)も、 必要なものは受け入れ、 害になるもには 集落に入るのを防ぐ役割です。 それを 木花咲耶姫と磐長姫で 表現しているわけですね。 神社の名も、 田→➕️(統合) 中→┃(分割) と、そのままを表しています。 素敵な神社のご紹介、 ありがとうございました♪

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280 Месяц назад

      そこまでの深いご考察、素晴らしいですね 佐太神社さんは、ご祭神や摂社など含めてまだまだ面白いですね こちらのご祭神の二柱のお姫様も何故ここなのかも不思議です 縁があるとすれば北殿にお祀りされている瓊瓊杵命でしょうけど それも何故ここに? 南殿の秘説四座も謎ですし 興味が尽きそうに無いです お陰様で、たびたびお参りさせて頂けそうです

    • @mayumi3300
      @mayumi3300 Месяц назад

      ​@@kanji-kun1280さま 田中神社は北殿の摂社ですので、 瓊瓊杵尊から引き出された 御神体でしょう。 ざっと見回しても、 正史を彩る神々が 勢揃いしていますので、 営まれて来た歴史の上で 融合された日本の状況を 映し出していると言えます。 正中には出雲の本質的神を置き、 日本全体の調和を 正史に乗っ取って表現しながら、 細かな配慮まで感じられる配置です。 そこには勝った負けたなど超越して 全てを包括して デンと構えている佐太大神がいます。 出雲系の神々が ほとんど見られないのも、 おそらく秘説四座に おられるのでしょう。 一番、重要な神々を 隠すことで護っている気がします。 木花咲耶姫と磐長姫は 【結ぶ・切る】という性質と 反対の性質もあります。 【散る桜・永遠の磐】という 【滅ぶ肉体・永遠の魂】です。 そこに更に、 【弥生・縄文】も掛けられ、 史実を彩り、 多くのメッセージを伝えています。 本当に古事記の作者は 天才的才能を持っていたと思います。

  • @サイノカミ
    @サイノカミ Месяц назад

    田中神社は以前「コノハナサクヤ姫社」と「イワナガ姫社」が並立していた。参拝者が間違えて逆拝みもあったようですが、今は背中合わせにされ良く分かる様になっています。約1800年前に 実在した姉妹です。

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280 Месяц назад

      実在の伝承があるわけですか? と言う事は一般的な瓊瓊杵命とか、大山祇命の娘とか神話の話とは 全く関係ないお話があると言う事ですね どうもその神話の話とここがどう繋がるのかそこが不思議でした ありがとうございます よろしければその実在のお話教えて頂ければ嬉しいです よろしくお願いします

  • @nihontaro9
    @nihontaro9 Месяц назад

    明けましておめでとうございます。 いつか行ってみたいです。ご紹介ありがとうございます😊

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280 Месяц назад

      頑張って行ってみて下さい 今年もよろしくお願いします

  • @サイノカミ
    @サイノカミ Месяц назад

    奈良時代以前の出雲古代史は、「記紀」「風土記神話」を基軸とされ、通説・常識になっています。残念ですが、 真実の歴史探求は出雲ではタブーのようです!

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280 Месяц назад

      今の時代、GHQも憲兵も、タブーもないとお思いますけど、更に出雲に限らず 皇統においても逮捕される事もないでしょうからお好きにやられたら良いのでは? と思いますけど、

  • @mayumi3300
    @mayumi3300 Месяц назад

    明けましておめでとうございます🌅 年末は家族中、 風邪で寝込んでおりました。 日常のありがたさを 改めて思います。 昨年は沢山の素敵な神社のご紹介 ありがとうございました。 今年も楽しみにしています。 みなさまにとって 健やかで素敵な 一年になりますように… 遠隔参拝 🙏 略式ですいません。

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280 Месяц назад

      こちらこそ本年もよろしくお願いします RUclipsで本格的にリアル神社でのアップもほぼ2年になりますが 2,024年はほぼ出雲とヤマトでしたので教えて頂いた出雲口伝の 本は大きな世界への入り口となり実に楽しく勉強させて頂く 貴重なきっかけとなりました 私の場合何より現場主義ですので資料、文献では全く現場で見えなかった 物が、あの本のお陰で事実として理解できる様になりました 「人間は一生のうち会うべき人に必ず会える しかし内に求める心なくば眼前にその人ありと言えども縁は生じず」 私の恩師の方がよく言っておられた、森信三さんのお言葉が 最近理解できる気がします mayumi 様とのご縁には感謝しかありません いつもいろいろありがとうございます 今年も引き続きよろしくお願いします ごか族の皆様のご健康お祈り申し上げます

  • @石井健次-h1n
    @石井健次-h1n Месяц назад

    今年も出雲の伝承楽しく拝見させて貰いました、来年もどうぞ宜しくです〰棟梁と奥様、身体には気おつけて下さいね〜😊 それではまた来年、良いお年を〜

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280 Месяц назад

      今年もいろいろお世話になりました 来年も頑張りますのでよろしくお願いします ありがとうございました

  • @user-8107-d2s
    @user-8107-d2s Месяц назад

    飛騨のさるぼぼが沢山掛けられているのに驚きました。繋がりを紐解いて下さい

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280 Месяц назад

      猿ボボに反応しましたか? 猿田彦からの猿かとも思いましたが 一応心に留めとけば何処かで繋がる事もよくあるので 案外飛騨との縁も有るのかも? いろいろありがとうございました

  • @しずり-y6c
    @しずり-y6c Месяц назад

    須佐男命(崇拝しているので)に関係する神社と知り、参拝しました。 本殿に参拝した後、 「龍蛇神」の力が凄すぎて、須佐男命のことは頭から消えてしまいました。 須佐男命は当時の政治にからみ鎮座、「龍蛇神」が昔からお祀りしている神様ではないでしょうか? 地元の人に「龍蛇神」の始まりから現在のことを詳しく聞きました。 全て事実だとの話しの内容に驚くばかり。 お祀りしている人は富と名誉を得る。 しかし、その力は大きく、誰もがお祀りできるものではありません。 かなりの額の寄進があるのではないでしょうか? ちなみに「龍蛇神」は本殿内でお祀りされています。

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280 Месяц назад

      そうでしたか、特に龍蛇神に拘ってみた事が無かったのであらためて 新発見です、ありがとうございます 経島の少し沖に海底遺跡があり神殿の形態もある様ですので 出雲特有の蛇神信仰から水神、海人、そして龍神へと繋がるのは 充分理解、納得出来ますよね 豪雨で崩れた道も仮設で何とか復旧しているみたいですので こらこら頑張ってもらいたいですね コメントありがとうございました

  • @しずり-y6c
    @しずり-y6c Месяц назад

    命主社は数年前から3度、参拝しました。 『真名井遺跡』は知らなかったので、今年の11月に行ってきました。 風の強い日だったのですが、『真名井遺跡』前でお祈りをささげていると、音がしないのです。 さっきまで頭上で泣いていた鳥の声、遺跡の背後にある竹藪のザワザワという音。 全ての音がなく、無音の世界。 私はわけがわからず、その場で固まってしまいた。 やはり、この場所は神聖な場所なのだと感じた瞬間でした。

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280 Месяц назад

      貴重な体験でしたね 多分あそこのエネルギー凄くて他の波動が遮断されたのでしょうか あそこの巨樹を見れば如何にエネルギーが強いところか 証明していると思います 私もあの場所は大好きで出雲では一番の拠り所です 数年前から3度と言われる気持ち分かります 多分何かある毎にこれからも行くでしょうね お互い、でしょうけど コメントありがとうございました

  • @ロハン-q2v
    @ロハン-q2v Месяц назад

    四国は行きたいですね。 星神社最高でした。 物部中心の後半良かったです。 出雲族といっても一括りではなく色々な流れがあり、 古代からの流れは意外と人つなぎで つながっているのが面白い一年でした。

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280 Месяц назад

      確かに楽しい一年でした、昨年はほぼ阿波でしたが 今年はヤマトと出雲で自分でも勉強になりました 考察の結論としては何も出て無い反省もありますが、それは又来年の課題として 頑張りたいと思います 阿波は実に面白いですが、古事記に拘りすぎてる方が多いので 元々の神社の魅力が見逃されている感じで、もったい無い気がします いずれそのうちまた阿波、高知、だけでなく四国全土も掘り起こしてみたいと思っています 掘れば掘るほどいろいろ出て来て面白いですので楽しみが多いです 来年もよろしくお願いします

    • @ロハン-q2v
      @ロハン-q2v Месяц назад

      @kanji-kun1280 四国は古事記とアークですよね。 個人的には、空海、忌部氏、三島に興味ありますが。 来年も楽しみに拝見させて頂きます。 ありがとうございます。

  • @tomomitty
    @tomomitty Месяц назад

    ありがとうございました。 赤嶺神社,行きたくなりますね。 来年もよろしくお願いします😊

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280 Месяц назад

      ありがとうございます こちらこそ 来年もよろしくお願いします 因みに、赤嶺神社ではなく、赤岩神社が正解だと思います ありがとうございました

    • @tomomitty
      @tomomitty Месяц назад

      @ 赤岩神社でした。磐座の神社は凄いです。

  • @道端のポコちゃん
    @道端のポコちゃん Месяц назад

    このチャンネルに感化されて星神社へお参りに行きましたよ~ なんともヘンピなド田舎ですけど近くの吉備中央町の 役場に「首都岡山」の垂れ幕が掛かっていて まぁそんなんなっても東京みたいな派手には絶対ならないだろうな~ って思った次第。

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280 Месяц назад

      ありがとうございました 吉備中央町は、現在の首都東京は地震とかの災害の危険があるので もしかの場合、即座に移転できる所の第一候補のようですよ 一番の理由はすぐそばに3000メートル級の滑走路の岡山空港があり 高原の平地で建物もすぐ出来るので首都機能が素早く移せる だそうです、ので、ならば有事の前に移したらどうか、と言ってるみたいですよ まあそれは置いといて、感化されたのが嬉しいです これからもよろしくお願いします ありがとうございました

  • @サイノカミ
    @サイノカミ Месяц назад

    徐福(和名・ホアカリ)が石見に渡来した史実は、家来のホヒ、タケヒナドリ親子と共に出雲王を餓死させた悪行を隠滅する為に「化身・スサノオ尊降臨神話」に変えられています。よって徐福渡来の事実は地元の大田市でも知られていません。痕跡⇒五十猛神社、五十猛町、丹波、大屋町、鬼村、大屋姫神社、大年神社、大仙山、仙ノ山、仙山、宅野(栲の木による織物)等々。

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280 Месяц назад

      そうですね、具体的な悪行を隠す事もあるでしょうけど 徐福そのものの存在を消さなければならなかったと言う事では無いですかね 最大の目的は皇統を守るため、そして守り続けた皇統を御印として 日本は神の国であるとの教育を受けていた為に 地元であっても徐福伝説は禁句となり、差別までも恐れたでしょう、 そして次第に埋もれて行った その様な事では無いですかね、大屋姫神社も大年神社も 今のその姿からそんな大それた歴史に繋がるとは近所の方も思って無いようですね 私は五十猛町は海も含めて好きですけど

  • @mayumi3300
    @mayumi3300 Месяц назад

    【登美家の系図】 富士林さんの本からですね。 この【建津乃身】のカッコ内に もう一つ【大賀茂津身】と あるはずです。 この人、 超重要人物です。 わたしは富士林さんの この部分には ちょっと異論があるのですね。 何故なら、 第二次東征時の登美家の当主が この【大賀茂津身】なのです。 富士林さんの図ですと、 大田田根子と同年代に見えますね。 ですが、どう考えても、 大田田根子→第一次東征 大賀茂津身→第二次東征 です。 ここで三輪高宮家の系図を 見てみます。 天日方奇日方命  | 飯肩巣見命  | 建甕尻命  | 豊御氣主命  | 大御氣主命  | 阿田賀田須命→宗像へ 建飯賀田須命  | 大田田根子命💜  | 大御氣持命  | 大鴨積命❤️→(鴨君・賀茂朝臣祖) 大部主命  | 大友主命💛→(神君・大神朝臣祖) という具合に繋がります。 💜大田田根子の孫の代が ❤大鴨積です。 これですと、 時代的にはぴったりです。 第二次東征時には 登美家は三輪山を追い出され、 山城国へ避難します。 ですが、 その一部がもう一度 三輪山を奪還するのです。 大部主→大友主💛 と続く血統が ヤマトに戻り、 大物主神を祀り、 三輪山祭祀を続けてゆく家系です。 一方、大賀茂津身は 【山城国】の方へ拠点を移し、 この家系が後に 平安遷都を画策し、実行するのです。 賀茂神社の社家になる人たちですね。 ですので、 第二次東征時に 2つの血統に分かれるのです。 平安遷都にあたって、 三輪山伝説は 丹塗矢伝説として リニューアルされて 賀茂神社の御由緒となります。 三輪山伝説は 玉依姫が初代皇后タタラ五十鈴姫を 大物主神との間にもうける話です。 丹塗矢伝説は 玉依姫が別雷命を 火雷大神との間に もうけます。 この別雷命がクシヒカタにあたります。 賀茂神社の御由緒では、 玉依姫の父が 【賀茂建角身】となっています。 この場合、 【三島溝杭耳】のことですね。 ですので、 【賀茂建角身】=【八咫烏】とは ①三島溝杭耳 ②大田田根子 ③大賀茂津身 の3人が重なっていると思います。 ①は村雲の時代の建角身  ヤマト政権創設を導きます。  玉依姫を生んだという意味で。 ②は第一次東征時の建角身  神武天皇を導きます。 ③は第二次東征時の建角身  都を山城国(平安京)へ導きます。  賀茂氏の祖です。 神武天皇が何人も重なっているように 建角身も複数いるというのが 個人的な考えです。

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280 Месяц назад

      確かに、ご説明のご考察を理解するには少し時間が必要ですが 建角身が何人もいると言うのは、私もそうでは無いかと思います 又、ツノミとフツノミタマが最初から引っかかってて何処かでモヤってます それにしてもいろいろありがとうございます 勉強になります

  • @サイノカミ
    @サイノカミ Месяц назад

    創作物語に基づき創建された神社及び祭神、物部一次・二次東征に因む架空の天皇など、芋掘りにはロマン溢れますが、真実の歴史探求に期待しています。

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280 Месяц назад

      芋掘りにそれ程ロマンは感じませんが、歴史考察はロマンだと思っています 歴史は人間の歴史ですので過去の真実は永遠に分かる事は無いとも思っています 意味の無い事の意味? 禅問答の様ですが最近そんな事も有りかと 思ったりもしています コメントありがとうございました

  • @mayumi3300
    @mayumi3300 Месяц назад

    伊那佐山、ありがとうございます♪ ここが本来の【国譲り】でしょうね、 第一次物部東征時に ウマシマジ(神武)軍が通ったとき、 大田田根子の先導により、 この地に住んでいた 井光の子孫たち (吉野の丹生族)が 恭順の意を示したということでしょう。 初代大王の妃【井光】を出した 人たちであり、 勿論、磯城王朝の元で 暮らしていた部族です。 この【伊那佐山】の【イナサ】が 国譲りのタケミカヅチの言葉 【否(いな)?然(さ)?】 に使われ、 出雲の【稲佐浜】の名や タケヒナドリの別名 【イナセハギ】に なっただろうと思います。 こちらの伊那佐山の方が 先であろうと思うのは、 本当は【稲佐浜】では 国譲りは行われていないからです。 タケミカヅチが 剣を逆さまにして その上に座るというのも 突拍子もない話ですが、 それよりも何よりも、 出雲王国は 大国主や事代主の時代より 更に400年近く続いており、 全く国は譲っていないからです。 あのお話は ヤマト政権が出来るきっかけを 説明しているものであり、 とても重要なシーンです。 なので、敢えて創作して、 その裏にある意味を残したのです。 それに【国譲り】を 本当に迫られた宇陀の人たちの この地域の神名備の名を 重ねてあると思います。 八咫烏神社の場所では、 伊那佐山を神名備山として、 春分秋分の日には そこから昇る太陽を拝し、 大祭が行われていただろうと 推測できます。 少なくとも磯城王朝時代は 決定的ですが、 それ以前、縄文時代も 行われていた可能性があります。 第二次東征以降も、 三輪山から伊勢までの 倭姫の巡幸ルート上に この地域が入りますが、 その時も神名備は伊那佐山だったかも 知れないですね。

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280 Месяц назад

      伊那佐山は登って見るといろいろ納得できる感じです 途中に大きな池が二つありました 勿論多少は人工的に手は加えてると思いますが元からの池の基はあった感じです どこの山からの伏流水かは分かりませんが 水は重要だっただろうと思います あと、いまだに熊野に回った意味が消化出来てなく、更に北山川経由も怪しいし 宇陀から井光に引き返したのではなく、宇陀から何かの理由で井光にわざわざ行った 理由は水銀に絡む事だったのでは無いかと思います どうも、そう考えると物部勢には余裕があったのでは無いかとも思えるし 熊野まで迎えには行って無い様に思いますし 元々熊野には徐福系の先住民が居たのでは無いかとか そんな気もしています 何れにしてもあの辺り結構気に入ってます 見落としてる所も有りますので近々また行こうと思っています

    • @mayumi3300
      @mayumi3300 Месяц назад

      ​@@kanji-kun1280さま 安曇族や熊襲などが 黒潮に乗って、 この辺りにも来ていたでしょうね。 徐福族となると、 紀元前3世紀以降ですが、 徐福の足となった海人族は、 既にこの地にいたかも知れません。 井光は当然、水銀朱を 採集流通させていた部族であろうと 思います。 大田田根子が物部との中に立って、 仲介をしたために 受け入れたのではと感じます。 紀伊半島の水資源ですが、 【大台ケ原】が 全国でも有数の 雨量が多い地域だそうです。 紀伊半島の甕壺です。

  • @サイノカミ
    @サイノカミ Месяц назад

    最終17代王・山崎帯に因んだと考えられる「山崎ケ丘」と呼ばれていたが、明治40年大正天皇が当地に行幸され、「真幸ケ丘」となった。手薄な丘の北(海)側から物部・豊国連合軍は侵攻して来た。神門(郷戸)家の将軍・振根と富家の将軍・飯入根が、創作物語では国造系図に組み込まれていますので要注意。

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280 Месяц назад

      国造系図とは、ホヒ系と言う事ですか? 振根については口伝では詳しく書かれて無い様ですが 私が見落としているのかわかりませんが、後にヤマトタケルとイズモタケルのお話の時に出て来ますが 実際には将軍となっている様ですが どうゆう立場でどの様なお方だったのでしょうか? 気になりますので出来ればご教示の程よろしくお願いします

  • @drk671FUJIsun
    @drk671FUJIsun Месяц назад

    阿波には天照様のお生まれになった場所、高天原から降臨した場所、お亡くなりになった場所などがありますよね。ということは、天照様は実在した姫巫女のような存在だったということなのでしょうか?阿波は忌部氏が開拓した土地ということですので、出雲系。神武天皇より5代上の阿波に実在したお方であるというのが、この地方の方々が語り継いできているという理解でよろしいのでしょうか?忌部氏といえば平安時代に中臣(藤原)氏と伊勢神宮の宮司か何かで揉めて、裁判にして勝ち取ったという話があった気がするのですが。今でも、皇室と深い関係があるとも聞いております。

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280 Месяц назад

      忌部氏については元々役職名だったので各地に存在する様ですね あと、阿波では神話と実在が相当混在している様ですので 考察は難しいようです 多分、ですが古事記の神話を元に地域の方々が伝承地を掘り起こして やや強引に結び付けた綻びが相当出て来ている そんな印象を受けています 出雲でもヤマトでもですが神話となったモチーフの事実がありますが 阿波にはそのモチーフの人物とかフールドが無いので 神話そのものを現実と錯覚している方々多い様に思います 素晴らしい所がいっぱいあって魅力たっぷりの所ですけど 勿体無い様に思います

    • @drk671FUJIsun
      @drk671FUJIsun Месяц назад

      @@kanji-kun1280 様 役職名ですか?はつみみです。オオクニヌシ、スクナヒコと同様ですか? 後付けの地名というのはおおいですよね。神社も。

  • @LoveLayLand3588
    @LoveLayLand3588 Месяц назад

    こんなところもあるんですね。驚きました。動画有難うございます。🙏

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280 Месяц назад

      あるんですよね 私は特にこの様なスピリチュアルな所が好きですので 皆さんに知っていただけて嬉しいです 出来れば是非訪ねてみて下さい コメントありがとうございました

  • @ロハン-q2v
    @ロハン-q2v Месяц назад

    8:40 / 23:12 加賀潜戸、天候が悪くて行けなかったので来年はもう一度チャレンジしてみたいです。 かかは蛇で龍蛇信仰や輝く矢の矢はやっぱり蛇を表していて、玉依姫の丹塗りの矢、連想しますね。 「かが(かか)やいた」で日神の神格もある佐太大神は深く、天岩戸のお話しのモチーフ説もあったりしますね。 佐太神社のご神紋の扇も深いですね。 佐太大神も西から回って忌部系と習合されていくと猿田彦になり、 東に回っていくと伊勢津彦(出雲建子命)とも関係があり天照大神になっていく。 「三輪叢書」では大物主は事代主、猿田彦である記載があり、三輪山の太陽信仰、大神の狼のシリウス、 天地開闢。 シヴァ神が形を変えて降臨するように、今日までいろいろな形でいらっしゃるんだろうなあと、 しみじみと感じました。 ありがとうございます。

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280 Месяц назад

      山陰海岸、特に島根半島には船でしか行く事が出来ない洞窟がいくつもあり 調べれば古代から人間の生活痕跡がいろいろ出て来るだろうと思います 朝鮮半島から、中国沿岸から、更に南の島から黒潮に乗って 長い歴史には複雑で多種多様な人間達の営みがあったのでしょうね そんな中、地球規模の年月で出来た神秘の洞窟、加賀の潜戸で生まれた神話 そのモチーフも地球規模とまでは行かなくても人類史上規模なのかも知れないですね 新旧の潜戸の妙、まさに絶妙、そしてすぐ近くの島根原発 人類史上的な課題と問題の行方も現在進行形で紡がれています 全てが実に広大ですよね、宇宙規模とも言えるような 面白いですね 深味のあるご考察コメントありがとうございました

    • @ロハン-q2v
      @ロハン-q2v Месяц назад

      @@kanji-kun1280  パワーのある所に、 電波塔と原発を置くわかりやすい封じ込めですね。

  • @mayumi3300
    @mayumi3300 Месяц назад

    選択する神社が 素晴らしいですね。 大きな構図が浮き上がって来ます。 ありがとうございます♪ 出雲神話及び、 その後の出雲についての正史の記述は やはり、出雲王国の史実が メタファーにありますね。 事実を連ねることはなく、 あくまでエッセンスを散りばめて、 全く別次元のお話に してありますが…。 大国主の2度の死は、 2回に渡る出雲戦争ですね。 第一次出雲戦争は 銅製品を埋納することになった ヒボコや吉備との戦い。 大黒山を中心に その後が残されます。 第二次出雲戦争は 第二次物部東征で 出雲王国の滅亡時です。 このときは 磯城王朝も滅亡し、 その物語が、 【狭穂姫・狭穂彦の乱】として 正史に記されますから、 ホムチワケの逸話は、 倒された出雲王国と磯城王朝を 暗示してあるわけですね。 磯城王朝が出雲系であったことも、 当時の人たちの 大きな認識であったと思います。 物部を表すヤマトタケルも、 物部と戦った多くの氏族との 関係性を描いています。 【国譲り神話】では、 出雲王国は滅んでもいないし、 譲ったわけでもありません。 ヤマト政権という 出雲王国の分家ができるきっかけを この神話が伝えているのですね。 出雲王国の折り返し地点ですが、 後にこの分家は、 物部勢に倒されても、 全てを吸収しながら、 日本という国家の中枢となってゆきます。 出雲という一地方の企業だったのが、 全国をまとめる大企業へと 昇華出来たのは、 倒されながら、 他部族を全て融合していったからです。 正に【大和】という文字が それを表します。 そして、倒された側は 実は常に倒した側の 新しい形体の中に 生まれ変わっているのですね。 これはもう、 はっきりと日本の歴史が それを如実に表しています。 出雲も磯城王朝も また、サイノカミ信仰も その後の政権の土台に しっかり根付いて 新しい時代の運営をしているわけです。 顔ぶれは変わったようで、 実は変わっていないというか、 新しいエッセンスが増えて、 豊かになっていっている とでも申しましょうか。 それが、【黄泉がえり】であり、 【再生】なんですね。 【佐太大神】も【大国主】も、 何度でも【蘇る】のですよ。 【貝】とは【女陰】であり、 命が誕生するところです。 洞窟は【子宮】です。 黄泉がえるためには 亡くなる必要がありますから、 【賽の河原】とセットになります。 【カカ】とはおそらく、 【ハハ】のことでしょう。 Hの発音は Kになります。 イタリア人は Hを発音できないので、 普通はHを飛ばして 母音だけを発音するのですが、 【YAMAHA 】はHをとると AAが続くので、 【ヤマカ】と言います。 【カカさま】⇋【ハハさま】 【母】でしょう。 そして、 【加加】➕️【貝】です。 貝の女神なのですね。 猿田彦は 貝に挟まれ溺れて亡くなります。 また、子宮に戻り、 黄泉がえりへと続くのです。 【サイノカミ三神】は 正史において 【造化三神】としてアップデートされ、 更に【クナト大神・サイヒメ】は 【伊弉諾・伊奘冉】になり、 【国生み神生み】をしてゆきます。 猿田彦大神は 全てを含む中心的存在でしたが、 物部を受け入れ、 宇受売という伴侶を与えられ、 両者を繋ぐという 新たな役割も得ながら、 その本質的役割も根底に宿し、 全国各地にその要素を散りばめています。 道祖神として 荒神さんとして 民間信仰の中に生き続けています。 人々の暮らしとは、 正史云々よりも 実はこの民間信仰の方が 文化に大きく影響を与えているのでは… とも感じます。

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280 Месяц назад

      人々の営みは豊かであり複雑でもあり何種類もの感情があり 欲も本能もありで、結果だけが無機質に記録された史料文献で 太刀打ち出来るものでは無い と私も思います ゆえに、歴史を考察、洞察する人の人間性によって様々な持論が生まれる 面白いものだと、最近感心しています いろいろありがとうございます 勉強になります

  • @00simaya40
    @00simaya40 Месяц назад

    出雲口伝系譜の 出雲(神門)振根=倭健(日本武)で孫の代で神門氏嫡子の健部氏が神門姓を継ぐと同時に 時の朝廷から日本武の名代部に任じられてて 景行天皇の時代に九州・宮崎県にある神門神社の神主が帝に即位しミカド神社と読むようになった。 これが、景行天皇だとすれば景行天皇は出雲族で天皇に即位し日本武を儲け日本武=倭健=神門振根だった事に成る 私の推察の話を取り上げていただき動画で建部氏神社にロケに行っていただいてたんですね。 ありがとうございます。

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280 Месяц назад

      あの辺はまだまだ奥が深そうですね 一本の線だけではなく何本もの線が絡み合ってる そんな感じがします 結論は当分出そうに無いですが意味のあるものも無いものも 当分は拾って見ようと思っています そのうち塗り潰されて全体像が見えて来る そんな所ですかね 今は火守神社が妙に気になってます 膳夫、がキーワードになりそうですし いろいろ繋がりそうな気もします

  • @TK-bm6cu
    @TK-bm6cu Месяц назад

    ホムチワケですか。確かにマニアックですね。祟る出雲と繋がってるのは確かだと思います。原ヤマト王権の主導権争いなのでしょうか?和風諡号にヒントがあると読んだことがあります。キーワードは「イリ」(物部族)、「タラシ」(神功、応神系?)、イリ以前は、出雲・磯城系になるのかな・・、元々海洋族の物部が権力握っても、神宝を手にしても祭祀王には不向きだった、スピリチャル的、宗教的要素は苦手だった・・と考えましたが。浅はかでしょうか?

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280 Месяц назад

      確かに物部系の祭祀は徐福からですのでシャントン半島、斉国ルーツの神教と 出雲系のクナト系とは融合出来なかったと言う事もあるように思いますね その両方の血を受け継いでいた五十猛系の村雲だから初代大王になれた そんな気がしますが、何せ複雑すぎて一筋縄では行かないですよね そこに宇佐系と新羅系のヒボコが入って来るのですから更に複雑怪奇 逆にだから、百人百通りの考察が出来て面白いとも言えますし ルービックキューブの5分割面に挑戦する気分とも言えますよね コメントありがとうございました

  • @wa33785
    @wa33785 Месяц назад

    石上神社が島根半島の出雲市(旧平田市)塩津浦にあります。ネットブログか何かで読んだのですが、須佐之男上陸地との説があり、布都御魂が主神。塩津浦から市内愛宕山へ移り、現在宇美神社の祭神となったそうです。ブログでは石上神社から吉備國石上布都魂社へ石上神宮へ移ったとの伝承が書かれていました。石上神社の詳しい社伝は失われたそうで現地の言い伝えだそうです。真相は定かではありませんが。

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280 Месяц назад

      平田から日本海側の海岸ラインは景色も地名も雰囲気も思いですよね 石上神社系、徐福、物部から繋がる話があっても不思議では無いですよね 深掘りして見たいです 貴重な情報コメントありがとうございます

  • @wa33785
    @wa33785 Месяц назад

    猿田彦、塩土老翁は鹿児島あたりでは同じ神。大隅半島本土最南端佐多岬(伊予にも佐田岬)。磐長姫は出雲二宮佐太神社の摂社田中神社に妹の木花咲耶姫と祀られています。許曾志神社(猿田彦)と同じ神と言われる佐太大神の母神は枳佐加比賣(加賀神社)、妹が蛤貝比賣(法吉神社)神。加賀の潜戸伝説🏹、大國主の蘇生。遠江國には両女神を祀る岐佐神社があります。

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280 Месяц назад

      塩土老翁は不思議ですよね、丹後真名井神社では3柱の総称のようになっていた様な 解釈の幅が広かった様に思います 磐長姫は大山祇神社摂社として港の先っちょに超ボロボロのお社があったの覚えています 大山祇神社社務所で聞いたら、今は摂社ではないと言ってました 冷たい神社だと思いました 佐太神社、加賀の潜戸、猿田彦大神との絡み、面白いですよね 岐佐神社、面白そうですね 商売上手の所が何とも今風で良いですね 貴重な情報ありがとうございました