【出雲口伝】から辿る宇佐神宮ご祭神、出雲、宮島、宇佐を舞台に姫大神の正体に迫る

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  • Опубликовано: 22 дек 2024

Комментарии • 12

  • @nana.721
    @nana.721 3 месяца назад

    頭がこんがらがってしまいますが、おもしろいです👏

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280  3 месяца назад +1

      ありがとうございます
      私の頭もこんがらがってしまってましたのでこんがらがるのはよく分かります
      そのこんがらがりもまた面白いですよね
      いろいろこんがらがりながら楽しんでください
      コメントありがとうございました

  • @mayumi3300
    @mayumi3300 4 месяца назад +7

    壮大な考察をされていますね。
    時間的、空間的な広がりが大きく、
    コメントがしづらいと思います。
    コメント欄が空白ですね。
    どこから手をつけて良いか
    わたしも迷います。(⁠^⁠^⁠)
    宇佐から行きましょうか。
    まず、本質は
    【比売大神】とは誰か…です。
    これは、ひとりの具体的な姫では
    ありません。
    宇佐は出雲より古く、
    縄文時代から繁栄して来た部族であり、
    その範囲も西日本全体を
    覆っていたようです。
    出雲族が北から南下し、
    次第に圧迫され、
    最終的に北部九州周辺に
    収まったとされていますが、
    とても古くからあった
    大きな勢力であったことは
    事実でありましょう。
    宇佐族は月の女神を仰ぐ
    姫巫女を長として栄えた王国であり、
    【比売大神】とは、
    《月の女神》と
    《歴代の姫巫女》
    が重なってお祀りされています。
    名も残らなかった
    代々の姫巫女を
    お祀りしているわけですが、
    その中で名が残ったのが、
    【市杵島姫】と【豊玉姫】で、
    確実に比売大神の中に
    含まれます。
    豊玉姫が二之御殿に
    お祀りされるのは当然だと思います。
    しかし、この2人は
    正史でぼかして描かれたため、
    宇佐でも曖昧にお祀りされています。
    正史ができてからは、
    それに添った神社と伝承が、
    どんどんできてゆきます。
    神武天皇とは
    複数の人物の功績を
    時代も空間も重ねながら
    ひとりの人物として
    創作されていますので、
    【神武天皇の伝承】は
    記紀ができてから
    それに添った話やキャラクターだと
    考えた方が良いです。
    そして、
    大神比義が応神天皇を
    八幡大神として広めてから、
    【月神と比売大神】は
    表から裏へと
    隠されてゆきます。
    神功皇后と宗像三女神が
    それを隠すように
    表でお祀りされてゆきます。
    名が残った重要な姫である
    市杵島姫と豊玉姫を
    隠さなければならなかったのは、
    市杵島姫は徐福の妃であり、
    豊玉姫は
    魏志倭人伝に記された
    卑弥呼だからです。
    豊玉姫は東征するにあたり、
    魏の後ろ盾を得るために、
    自ら魏に朝貢し、
    魏を宗主国と仰いだのです。
    要するに、
    自ら進んで魏の属国になったのです。
    これは正史に絶対
    記したくなかったことでしょう。
    今なら何とでも言えますが、
    正史編纂の時代、
    白村江の敗戦により、
    今にも唐に攻められる危険もあり、
    属国であったと発信することは、
    相手に攻撃の正当性を
    与えることになります。
    徐福が隠されたのと
    同じ理由です。
    ですので、
    宇佐神宮の一番重要なお社は、
    【比売大神】として
    あえて個人名を出さないように
    お祀りがされています。
    一旦、切ります。

    • @mayumi3300
      @mayumi3300 4 месяца назад +6

      【朝山神社】ありがとうございます♪
      朝に通って来るのは
      不自然ですよね。
      出雲風土記では
      【浅山社】とされているようですから、
      【朝山郷】という地名にちなんで、
      後から付けられた伝承かも
      知れませんね。
      【神在月・神無月】の伝承も
      新しいお話のようです。
      《神嘗→神無月》だったようで、
      本来、収穫の祭りの音が
      神無月となったようです。
      出雲では
      元々、セグロウミヘビを
      お祀りするのが
      その本質であり、
      後世になって神在月の逸話が
      加えられたようです。
      時代が移るにつれて
      新たな景色が現れますね。
      それも含めて歴史であると
      思います。
      万九千神社も興味深いです。
      この境内におられる
      立虫神社は
      徐福族の神社ですね。
      五十猛の足跡が残されています。
      さて、朝山神社の
      【眞玉著玉之邑日女命】は
      【活玉依姫】ではなさそうですね。
      御鎮座地が西王家の敷地です。
      活玉依姫は東王家に嫁いでいますので、
      こちらの方は歴史に残らなかった
      巫女(玉依姫)でしょう。
      大己貴命と言っても、
      どの時代のどの王であったのかも
      はっきりしませんが、
      この地で誰かが
      神祀りをしていたことは確かですね。
      縄文時代から続く
      磐座祭祀の上に
      後世になってお社が重ねられ、
      全く関係のない伝承が
      付け加えられてゆくのも
      沢山あります。
      それもその時代を生きた人たちの
      歴史ですね。
      宮島の【御山神社】は
      江戸時代までは三鬼神
      (追帳鬼神・魔羅鬼神・時眉鬼神)
      を祀る三鬼堂であったが、
      神仏分離令により
      宗像三女神を祀る
      御山神社となり、
      三鬼堂は弥山本堂近くに
      新たに建立された…
      とあります。
      三鬼をお祀りしたのは
      空海でしょうね。
      ここで縄文時代から
      磐座祭祀が行われていたことは
      間違いないですね。
      病気療養の豊玉姫が
      この山頂にまで登ったどうかは
      分かりませんが、
      宇佐家の伝承では、
      宮島の地で亡くなった
      神武天皇と菟狭津媛は
      宇佐家の祖である
      市杵島姫を祀ったと伝えています。
      市杵島姫という名では
      なかったかも知れませんが、
      宇佐の祖神である
      姫神を祀ったのは
      確かでしょう。
      【斎く島】が【厳島】になり、
      【市杵島姫】となったとも
      考えられます。
      ですが、
      これが徐福の妃を表しているのは
      この山が【弥山】と
      呼ばれていることから
      想像できます。
      それだけこの姫は
      宇佐家にとって重要であり、
      祖神とされたと感じます。
      永い歴史の中で、
      徐福渡来は時代が反転し、
      新しい時代を作っていった
      超重要ポイントとなります。
      ですが、何故、重要なのか…が
      正史が出来たことにより
      書けなくなった。
      【眞玉著玉之邑日女命】と宮島は
      共通点は観えないので、
      無関係であろうと思います。
      もう一度、
      宇佐を見てみますね。↓

    • @mayumi3300
      @mayumi3300 4 месяца назад +6

      古事記中つ卷 神武天皇 1東征
      故、
      豐國の宇沙に到りましし時、
      その土人、
      名は宇沙都比古、宇沙都比賣の二人、
      足一騰宮を作りて、
      大御饗獻りき。
      この記述は
      何の意味があるかと言うことです。
      正史では、
      菟狭津媛は【天種子】に侍り、
      子を生みます。
      古事記は永い歴史の中で、
      ほんの僅かな記述を
      残してあるだけです。
      全部意味があり、
      重要事項しか書かれていません。
      この意味は
      「菟狭津媛が神武天皇の種を宿した」
      という意味なのです。
      何故なら、この種は、
      【ウガヤフキアエズ】と言って
      「産屋は葺きあがらなかった」
      つまり、大王にはなれなかったけれど、
      その子孫が、
      応神天皇として、
      屋根を葺き上げたからです。
      この菟狭津媛のエピソードは、
      応神天皇の出自が
      宇佐であることを
      ちゃんと記述したということです。
      この神武天皇は
      【イニエ王(崇神天皇)】であり、
      菟狭津媛は【豊玉姫】です。
      イニエ王は九州で亡くなりますが、
      豊玉姫が宮島へ行って
      亡くなっています。
      宇佐家の伝承では、
      神武天皇と菟狭津媛が宮島へゆき、
      御子を産むが
      天皇と媛はそこで亡くなったと
      伝えられています。
      この御子が
      豊玉姫の子である豊彦であり、
      【ウガヤフキアエズ】です。
      ヤマト入りしてから
      豊城入彦と呼ばれ、
      垂仁天皇との権力争いに敗れ、
      関東に逃れますが、
      子孫に応神天皇が出るのです。
      ですので、
      この出自は絶対に残さなければ
      いけなかった。
      豊玉姫とは書けないので、
      菟狭津媛としたということです。
      神武天皇がこの地に滞在なさったおり
      天皇自ら祭祀を行われ、
      母后玉依姫命を、
      共鑰山(別名 妻垣山)にお祀りし、
      そこを【足一騰宮
      (あしひとつあがりのみや)】と
      名付けられた…
      この逸話は、
      【神武天皇】のお話ですから、
      創作です。
      宮跡が3箇所あっても、
      そこではもっともっと古くから、
      神武天皇と関係ないお祀りが
      されていたと思います。
      この玉依姫は
      宇佐の姫ではありません。
      何故なら、
      【神武天皇の母后】の
      玉依姫だからです。
      これは三島溝杭耳の娘の活玉依姫です。
      何故なら、
      【神武天皇の母】とは
      【初代天皇の母】という意味で、
      【村雲の義母】
      つまり、【皇后の母】である
      活玉依姫なのです。
      天孫降臨から日向神話、
      そして神武東征のお話は、
      第二次東征→第一次東征→村雲の時代
      と時間を遡って描いてあります。
      豊玉姫から玉依姫へ、
      時間を遡り、
      バトンを渡しているのです。
      この玉依姫こそ真の国母で
      絶対に記さねばばならない、
      超重要な姫であり、
      三輪山伝説、丹塗矢伝説と
      何度も何度も繰り返されます。
      全国各地に
      玉依姫(巫女)はいたと思います。
      ですが、神武天皇の母となったのは、
      タタラ五十鈴姫の御母のことです。
      宇佐とは関係ない玉依姫が、
      【神武天皇】を介して、
      豊国にお祀りされるようになるのも、
      正史の影響です。
      それもまた良しですが。

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280  4 месяца назад +3

      最近本業が忙しく失礼していました
      mayumi3300様にはいつもありがとうございます
      暴走的な妄想を優しく窘めてもたってる弟的な安らぎ感が何とも
      心地よいです
      正史が隠したもの、徐福だけではなく卑弥呼も、言われて見れば
      目から鱗ですね、今まで全く気付きませんでした
      あと、宇佐神宮の事、宮島の事、言われる通りで正解だろうと思います
      宇佐神宮については安心院、院内辺りの文字通り裏の話も色々あったり
      宮島も同じですが都市伝説ならぬ山里の草の根伝説も人間臭と言うか
      民の歴史の匂いがして結構面白くて私は好きなんですが
      宮島のご祭神ルートが二つあって、一つは出雲街道ルート
      国道54号線沿いですが、そっちはザックリ纏めれば鹿と共に空を飛んで来たもので
      勿論出雲からの話ですが、もう一つは現在の小瀬川ルートです
      昔は佐伯川と呼ばれてた川ですが山口県との県境の川ですがその源流地域が
      元々の佐伯の元です、佐伯氏が蝦夷達を連れて西日本に分散した五ヶ所の内の
      1ヶ所で、この地域では佐伯クラモトの出身となっています
      その地域は冠、飯野山遺跡があり石器時代の要するに石器が出土している
      相当古くから人が生活していたエリアで、そのご遷座ルートは石見地方から
      その川沿いに下って宮島対岸から宮島の今ある厳島神社からかなりの西海岸
      多々良浜に渡り、そこからなだらかな谷沿いを登って
      中腹辺りに開けた平地があり、そこには現在奥の院が謙虚にあります
      そこから見上げた所の大岩の上に御山神社があります
      で、そこから山道を登ると直ぐに仁王門ですので実は表登山ルートからすれば
      半分くらいの楽なコースです、その奥の院の所までは車が入れますが一般的には
      工事車両用としています
      話逸れましたが、それがご祭神のご遷座ルートとなっています
      要するに山里の草の根伝説では宮島のご祭神は出雲から来た事になっている
      と言うのが言いたかった訳です
      周防大島出身の民俗学者と言われる宮本常一さんにはそれ程魅力は感じていませんでしたが
      何となく民俗学的歴史考察は影響されていたのかも?
      取り留めのない長い話ですいません
      そのような事でこれからもよろしくお願いします
      ありがとうございました

  • @石井健次-h1n
    @石井健次-h1n 4 месяца назад +2

    お早う御座います〜 皆はお盆でまだ忙しいんですかね~ 
      豊玉姫と玉依姫は親子じゃなかったかなぁ~ ニニギは造られた名前だけで、この人崇神天皇なので八代目の神武??? 当時九州に祭祀が居なかったから九州に強い力の勢力の宗像家から姫を迎えています。それが豊玉姫で、この豊玉姫が第2の卑弥呼とされていますね。第1の卑弥呼さんは大和の祭祀、姫巫女さんでこちらは何代もいらっしゃるとか??? そんで、豊玉姫の娘に玉依姫がいて第10代だか第11代だかの垂仁天皇と繋がります。豊玉姫は宇佐神宮の裏山に玉依姫は厳島神社にって書いてあったような… 大元出版の魏志倭国の都。  かなぁ~???

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280  4 месяца назад +4

      残念、私はまだそこまで読んで無かったです
      その一歩手前で、大彦の所で止まってました
      近々進みます、ありがとうございます
      読めば分かるのかも知れませんが、豊玉姫は宇佐神宮の裏山に祀られた?
      口伝のどの本かは忘れましたが、宮島で没して宇佐神宮の
      第二殿に祀られたと書いてあったような、裏山とは何処なのか気になります
      あと、玉依姫派宮島に行った?
      そこの考察は私と同じですね、嬉しいです
      ありがとうございました

    • @mayumi3300
      @mayumi3300 4 месяца назад +4

      健次さま
      Kanji さま
      ちょっと混乱しているようなので、
      整理しますね。
      豊玉姫は
      宗像の姫ではなくて、
      豊国宇佐の姫巫女です。
      豊玉姫の娘は
      玉依姫ではなくて、
      【豊姫】です。
      魏志倭人伝の【台与(とよ)】
      のことですね。
      この姫がヤマトに入ると、
      【豊来入姫】
      (豊国から来て、
      ヤマト入りした姫)と言われ、
      正史では【豊鍬入姫】と
      記述されます。
      疫病が流行ったので、
      崇神天皇が宮中にお祀りしていた
      天照大神と鏡を外に出し、
      豊鍬入姫が【檜原神社】で
      お祀りしたという
      あのエピソードの姫です。
      実際には、
      三輪山から太陽の姫巫女を
      追い出した豊姫が、
      月の祀りを行っていたところです。
      その後、豊国勢と
      イクメ王(垂仁天皇)が
      権力争いをして、
      ヤマトを追い出された豊姫は
      丹波の籠神社さんのお世話になり、
      最終的に猿田彦をお祀りする
      椿大神社へ迎えられます。
      イクメ王から
      常に命を狙われていました。
      皮肉にも、
      自分が追い出した
      出雲族に助けられるのです。
      ここで、豊姫は
      宇佐から来た【宇佐女(ウサメ)】
      と呼ばれ、
      後に猿田彦大神の妻神となります。
      【ウズメ】の誕生です。
      幼いころからずっと、
      戦場を旅して来た豊姫にとって、
      束の間の平穏な日々だったでしょう。
      しかし、ここにも
      イクメ王からの刺客が送られ、
      この地で亡くなります。
      その後、豊国勢によって、
      ヤマトにホケノ山古墳が造られ、
      豊姫の墓とされたと
      伝わっています。
      ホケノ山とは
      【豊家(ほうけ)の山】
      という意味らしいです。
      そして、時代がくだり、
      雄略天皇の御代に、
      豊姫は、
      丹波の宇賀魂と重ねられ
      【豊宇賀→豊受大神】として
      外宮にお迎えされるのです。
      どれだけ重要な姫であったか、
      これで分かりますね。
      丹波の羽衣伝説、
      浦島伝説は
      豊姫の史実がベースにあります。
      籠神社に
      天照大神と豊受大神が
      一緒にお祀りされていた時期がある
      という伝承は、
      豊姫のことを言っています。
      倭姫は
      実際には丹波に行っていないようです。
      実際は
      月神を祀っていた豊姫が
      正史では天照大神をお祀りする
      姫巫女として描かれているので、
      どちらのエピソードも
      残ったのだと思われます。
      豊玉姫の夫である
      山幸彦はイニエ王のことですね。
      山幸彦は徐福ではなく、
      【彦火火出見】です。
      イニエ王は3世紀の人で、
      徐福は紀元前3世紀の人です。
      同じ人ではないですね。
      徐福と市杵島姫の子が
      【彦火火出見】ですが、
      神話では、この名前を、
      山幸彦と神武天皇につけています。
      要するに、
      ニギハヤヒ一族の代表的名前と
      なります。
      山幸彦はイニエ王ですから、
      徐福ではないですが、
      あえて徐福が誰に当たるかを
      想像しますと、
      天照大神と忍穂耳ぐらいでしょうね。
      そして、勿論、
      ニギハヤヒです。
      神話は複合的に出来ており、
      いくつもの時代と
      複数の人物が
      重ねられて作られています。
      全て意味を持って
      わざとそのように
      記されています。
      【神武天皇の母の玉依姫】は、
      【タタラ五十鈴姫の母の
      活玉依姫】のことです。
      独立コメントで
      説明してあります。

  • @110nari8
    @110nari8 Месяц назад

    この日向三代の系図は、記紀の誤魔化し方、圧縮の仕方が解凍できる系図になっています。22:50
    記紀の圧縮のタイミングは、
    東征してない神武(海部の村雲)
    第一次物部東征(磐余彦=佐野命)
    第二次物部東征(崇神=イニエ)
    まず、ウガヤフキアエズは架空の人物で、出雲口伝にも出てきません。名前もヤマトトビモモソヒメと同じく、ヒコナギサタケウガヤフキアエズで、二人の人物の繋がった名前です。
    山幸彦は固定で、豊玉姫の処にイチキシマヒメを入れると、ウガヤフキアエズが物部氏のナギサタケになります。つまり、磐余彦兄弟が物部氏であることが復元できます。
    今度は豊玉姫を固定して山幸彦の処に崇神(ニニギ)を入れると、ウガヤフキアエズの処に宇佐氏の豊彦(豊来入彦=豊鍬入彦)が入ります。
    神代に飛ばした系図と、前妻後妻の系図を一緒にしてあるだけの細工が見て取れます。

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280  Месяц назад

      少し前の事ですので頭がついて行ってないですが、大体そのような事だと私も思います
      結局、徐福を隠す為にいろいろな隠蔽、改竄、捏造のお伽話,それが古事記神話だと思っています
      今に繋がる日本の国の文化の悪しき伝統でしょう
      お陰で目出度い日本人が多い事
      困ったものです