【日本の神様】宇佐神宮の謎をリーディング!

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  • Опубликовано: 22 дек 2024

Комментарии • 11

  • @katumoku10
    @katumoku10 Месяц назад

    そうなんですよ。宇佐神宮の一番立派な二之御殿の比売大神は卑弥呼ですよ。邪馬台国というのはヤマ国に住む女王の国という意味なのです。宇佐市街から駅館川を溯り、山地に入ると安心院町がありますが、宇佐市史(上巻P.324)によれば平安時代に作られた和妙類聚抄の宇佐郡野麻(ヤマ)郷に比定されています。安心院盆地は当時は葦が群生していて、弥生時代後期に人が住んでいたのは三柱山台地の宮ノ原遺跡でした。
    そこに三女神社があり、日本書紀では宗像三女神が降臨した葦原中つ国の宇佐嶋とあります。三女神社の南側は深見川が流れていますが、その間は10m以上の崖になっていて、西側にはV字溝が発見されており、その中から銅鏃が1個発見されています。兵士によって護られた城柵があったと分かります。
    さらに西側約500mのところに魏志倭人伝の卑弥呼の墓とされる径百余歩の冢(直径約150mの土を盛り上げた円形墳墓「三柱山古墳」)がありました(詳細は「宇佐は記紀が隠した秘密が満載だ」参照)。
    話が、長くなったのでブログにしました。よろしければご参照ください。一之御殿の八幡大神の話もありますよ。お邪魔しました(;^ω^) blog.goo.ne.jp/katumoku10

  • @きらやまと-b2p
    @きらやまと-b2p 4 месяца назад +1

    記紀には宇佐神宮のことは書かれてはいないし、建立は701年です。
    それ以前の宇佐神宮については伝承にも残っていないので、700年以前はどちらかというと、土地神の神社であったと推測される。
    その土地神は比賣大神であったのかもしれません。
    比賣大神を宗像三女神とする見方もありますが、大和に伝承される神々とは異なる全く別の神が比賣大神かもしれません。
    701年に大和の勢力下で宇佐神宮に置き換わったのかもしれませんね。
    少なくとも700年以前に大和にとって重要な神社であれば危機に何らかの言及があるはずですから、それがないということは、700年以前の宇佐神宮は大和にとって重要ではない、もしくは大和と敵対する勢力下の神社であったことが容易に想像できます。
    700年以前の宇佐神宮にまつわる記述は何もないし、八幡神の信仰も7世紀末か8世紀初頭に始まったものです。
    7世紀以前に皇統と宇佐神宮を結びつけるものはなさそうです。
    このことより、宇佐が大和勢力下に入ったのは700年頃からと考えられそうです。
    九州は、700年以前には大和勢力以外の影響が広くあったことが考えられるようです。
    これは富士山の周辺も同様な状況が考えられる。関東平野周辺の記録は古くからあるが、富士山周りの記録は平安時代に入ってからになります。

    • @shirocho-rei4791
      @shirocho-rei4791  4 месяца назад

      詳細なコメント、誠にありがとうございます!

    • @katumoku10
      @katumoku10 Месяц назад

      お詳しいですね。わたしも調べましたが、宇佐の地は古代史解明のカギとなる遺跡や遺物や伝承が残された場所ですね。宇佐神宮創建の話は鎌倉時代に作られた八幡宇佐宮御託宣集によるものですが、真相がかなり隠されていますよ。卑弥呼は宇佐市安心院町宮ノ原遺跡の三女神社を宮室とした宗像女神市杵島姫命でしたよ。藤原不比等とその子孫藤原氏が特に念入りに史実を隠したので、邪馬台国が見つからなかったのですよ。しかも、明治政府が記紀神話に基づく国家神道を創設し、国史を学校で教えたので、ほとんどの日本人は記紀神話が日本古来の伝承だと洗脳されています。しかし、記紀神話は江戸時代の国学者本居宣長が発掘し、神道家平田篤胤が復古神道を作ったのが幕末の志士に人気となったからなのです。それまでの神話は720年に完成した日本書紀で、3世紀までの建国の真相を隠すために作られたもので、人代も相当改ざんされていることが考古学や民俗学などの成果から判明しています。江戸時代までは日本書紀が創った神話が神仏習合や修験道の影響を受けた龍蛇神(ナーガ)信仰の中世日本紀に読み替えられていたのですが(斎藤栄喜「読み替えられた日本神話」参照)、明治政府が神仏分離令を出したので、廃仏毀釈運動が全国で起こり、神を祀る仏教寺院が打ち壊されて、僧侶も無理やり還俗させられたのです。日本版文化大革命ということでした。ですから、この事実を理解して記紀が天皇の歴史書だという洗脳から脱すると、謎の古代史が解明できます。詳しくは【刮目天の古代史】をご参照ください。宇佐神宮については先ほどブログ記事にしましたので、よろしければどうぞ(^_-)-☆

  • @森岩光
    @森岩光 4 месяца назад +1

    兎族と号していた
    少なくとも四千年前頃には西日本で繁栄していた
    我が国最古クラスの大族。
    西日本の初期~中期の縄文人?と言える一族。
    そもそも、
    彼らは
    月を信仰した事から
    月に棲むと言う伝説の兎(月兎。玉兎?)に因んで
    【兎(ウサギ)族】
    と号していた。
    また、
    女性優位な母系家族社会。
    いわゆる
    【かかあ天下】であったから
    すると世界中の習いで自ずから
    信仰する月神は
    女神となり、
    【月の女神】
    月の運行、満ち欠けは暦を読むよすがとなる事から
    月の女神は
    【月読神(尊)】
    と崇敬された。
    また、兎族が後には
    ウサ族に変化した。
    一族は兎の文字を大事にしたから
    ウサ族は
    兎佐族。
    同様に一族は
    兎の文字を代々引き継いで名付け、
    また、名乗ったらしい。
    兎佐王家(宗家)当主は勿論、女性。
    月読神(尊)を祀るのが兎佐神宮。
    我が国最古の神宮が
    兎佐神宮。
    元来は今の二の御殿(神殿)だけで、
    月読尊と共に兎佐王家(宗家)歴代の女性当主の御霊(祖霊)が併せ祀られる
    いわば氏神社。
    今の形式となったのには
    神武東征神話の絵空事の闇に絡み
    所謂、邪馬台国の女王卑弥呼。
    こと、親魏倭王。
    兎佐 豊玉姫女王が
    東征に当たり
    全軍を月読尊の兎佐神宮に集結させて
    華々しく
    全国制覇に向けた出陣式を挙行した。
    この際、魏に朝貢してその傘下の属国化していた事から
    兎佐神宮に魏帝国の正規軍旗である
    黄色龍幡が八幡はためいていた。
    紆余曲折は有ったモノの結果的には
    兎佐神宮の月読尊の
    ご神徳、御加護により
    全国制覇(神武東征=物部王朝の成立。(垂仁天皇~成務天皇の三代が物部王朝))
    がなった事から
    これが端緒となり
    後世、兎佐神宮を
    八幡宮。
    月読尊を
    戦神。武神。勝戦の神
    等の信仰が沸き起り
    八幡大神。
    と信奉する事が広まったという。
    古事記は
    自主独立国と言う絵空事を大前提としたから
    所謂、神武東征が魏帝国の傘下によりなった等
    口がさけても言えないし、、、
    削除‼

  • @どうく-p8u
    @どうく-p8u 3 месяца назад

    比売大神とは卑弥呼であり、卑弥呼は殺害されたと言う説があります。

  • @清洲仁志
    @清洲仁志 2 месяца назад

    御祭神の比目大神=卑弥呼?

  • @963チャンネル
    @963チャンネル 4 месяца назад +1

    宇佐、胡散臭いの語源だと、兎に関わる神だと思って^ ^
     こう言う動画好きです。
    ありがとう^ - ^

  • @siraki77
    @siraki77 4 месяца назад

    韓國의 常識
    宇山氣=大新羅王
    宇佐=大新羅
    大酒萬世 = 大新羅王 萬世

    • @どうく-p8u
      @どうく-p8u 3 месяца назад

      そもそも新羅は日本から移住した倭人が建国したのではないでしょうか。

    • @siraki77
      @siraki77 3 месяца назад

      @@どうく-p8u 私は新羅王波瀲武鸕鶿草葺不合卽安波堅多鷄林己知波珍槍の直係です。일본인은 일본에 대해서 아무것도 모릅니다.日本이라는 단어가 무엇을 의미하는지 조차도.