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お疲れ様です。まさかクナトの王が出てくるとは思いませんでした、思わず正座をしてしまいました、配信有り難う御座います。
いつもありがとうございます出雲大社の周りにはまだまだ凄いものがたくさんあります何かのテーマの時においおい上げていきますのでよろしくお願いしますありがとうございました
出雲の磐座‼️初めて拝見しました。大きなエネルギー、生命力を感じます!生き生きとして神々しいですね。巨石に同様な四角い規則的な穴?が穿たれているのを他でも見たことがあったかな、と思いました⛰️
四角の規則的な穴は恐らく人間がつけたものだと思います多分切り出す事を考えたのでは無いですかねあの辺りの石は出雲大社建造時にかなり運ばれたようですし古代はもっとあったのだと思われます磐座のエネルギー感じていただけて嬉しいですありがとうございました
@@kanji-kun1280 さま🌸人がつけた!!ありがとうございます。自分なりにやはり、切り出すためなのかな?と思っていました。ご神域✨貴重な映像ですね。ずっと、巨石磐座への憧れ👀〰️💕があって、なんと昨日RUclipsのおすすめ☺️に、遠野市小友町の巌龍神社の不動岩というのが出てきまして、あらら、遠野市で勤めていた頃には存じ上げなくて、不思議だなあとうれしかったです🎵
はじめまして。GWに、出雲大社→美保神社→厳島神社→大山祇神社(大三島)と巡ってきました。出雲大社は大混雑で、特に素鵞の社は長蛇の列でした。北島國造館から社家通りを歩いて行くと、観光客の方々には全く遭遇せず、静かにのんびりと命主社や真名井の清水へ参拝させていただきました。リアル神社さんの以前の動画で命主社を知りました。ムクの巨木は本当に素晴らしく、地元の方々に大切にされている場所だと実感しました。これからも動画を楽しみにしています。
GWではどこも大変でしたでしょうねお疲れ様でしたそうですか、命主社も行って頂きましたかありがとうございます今の時期だと椋木も若葉が繁って良い感じでしょうね北島家の池辺りもいい感じですし、何より人が少ないのがいいですよね全て錚々たる神様にお参り出来てご利益完璧ですね報告ありがとうございましたこれからもよろしくお願いします
@@kanji-kun1280 返信ありがとうございます♪椋木は若葉が青々と繁って、そよ風と共にご神気を感じた気がしました。素晴らしい神社をご紹介いただき感謝しています。
盃状穴を見ると心躍ります。出雲は岐大神がいたるところに隠されている気がします。整備されている神社や後からできた神社は記紀に合わした後付けの神様で訳が分からなくなっています。塞ノ神や荒神様が祀られているのでわかりやすいですが。出雲市が力を入れていないさびれた神社に大きなヒントがある町ですね。御陵神社の磐座は大好きです。阿須伎社の弥山にある三歳社のある場所も山自体が磐座ですごい自然の力を感じます。神朝山岩根寺の岩山やその周りの岩山も圧巻でパワーを感じますが、日御碕へ行くほうや、その他岩山でいっぱいで山自体が磐座というイメージがあります。素晴らしい配信ありがとうございます。
私も全く同感です出雲には元々の魂のメッセージの様な声が聞こえますのでいくら記紀に合わせた後付けのご祭神があっても違和感で分かりますそれはそれで理解は出来ますが、リアル神社チャンネルでは出来るだけその元々の神社の姿を紹介して行きたいと思っていますのでよろしくお願いしますあと、私はまだ弥山に登れて無くてモヤモヤしていますやはり阿須伎社の所から歩くのが良いのでしょうね?阿須伎社の横の谷沿いのコンクリの細い坂道を車で上ったら車一台分のスペースの所、橋の所から登ったら少しは楽かとも思いましたけどどうなんでしょうか?時間ある時に教えてくださいよろしくお願いしますコメントありがとうございました
返信ありがとうございます。当時出雲市内で住んでいたので自転車で行きました。阿須伎社の駐車場にも車止めさせてもらえたと思います。声をかけておけばいけるような看板がありました。阿須伎社(錦織さん)の方が管理されているので、道もいい道教えてもらえると思います。そこから弥山に入っていきます。登山というより、途中から修行ですね。体力に自信のない人はやめておいたほうがいいと思います。靴はあればトレッキングで杖はあったほうがいいと思います。道がないところなどは「ピンクのひも」で印をつけてくれています。途中の五円ゴーロという石が積まれているところがありますが、古代史好きには圧巻です。でも、登ったり下りたり順路に入れると危ないです。修行していたか、守っていたのか面白いところです。昼頃から行ってgoogle mapではたどりつけなくて、再度ヤマレコで道を確認しなおして朝から行って昼過ぎに下山しました。ヤマップでも見ると経路ありました。慣れると早く行けると思いますが、迷ったりするので時間は長い目にみたほうがいいと思います。大変な道なので、たどり着けると有難さいっぱいです。
クナト大神の子が菅之八耳ですが(国常立大神、船戸神、熊野権現はクナトの同一神で、伊勢外宮の豊受大神もとされて居ますね)菅姓の由来は素戔嗚の「清々しい」と言った事から来ていると言う説ですね。天津神族渡来系はクナトが素戔嗚だと言う根拠としたて居る事柄ですね。西出雲・杵築大社の現・出雲大社は素戔嗚の妻の稲田姫の出生地の神社が元ですね。素鵞(スガ・ソガ)社→菅姓でしょうね。蘇我氏の蘇我姓も、そもそもは、この素鵞社由来の氏姓でしょうね。相撲神事の野見宿禰は富家の裔の弩美宿祢で、野見宿禰の裔の南関東国造の大宮・氷川神社神主家の土師氏の裔に菅原道真・菅本姓の徳川家剣術指南役柳生新陰流の柳生家(柳生十兵衛)や土師氏系譜の大江広元で広元の裔に毛利元就や酒井氏で徳川家康が居る訳です。大江広元の子の滅亡した上田氏の裔に教派神道大本教創始者の出口なおと出口王仁三郎が登場します。(出口王仁三郎は古くに有栖川宮家落胤説で有名な人物)
沢山の磐座をさらっとまとめていただき、ありがとうございます♪やはり、【磐と木と山】ですよね。出雲大社(杵築大社)が造られたのは、とても新しいのです。奈良時代であり、古事記編纂とセットになって、新しい秩序が作られたと思っています。律令国家へと移行し、國造から国司へと権力が移ったため、仕事がなくなったホヒ家が神社の社家となるべく旧王家に頼んで造ってもらったのが始まりだそうです。記紀史観の登場と杵築大社はセットなのです。命主社や真名井は、おそらく、杵築大社が造られる以前から、出雲族によってお祀りがされて来た場所でしょう。天孫族でありながら、出雲の主となったスサノヲと、バリバリの天孫族である出雲國造家は同族です。出雲の中では、後からやって来た渡来人ということになります。ヤマト政権とは、出雲族とこの渡来系の融合でできた政権ですから、その祖に徐福がいたことは決して屈辱ではなかったと思います。むしろ、徐福の子孫であることを誇りに思っていたと感じます。それが忘れられていったのは、正史編纂以降でしょう。何故、徐福が消されたかは、正史が作られた背景が、白村江の敗戦だったからではないでしょうか。今にも唐が攻めてくるような状況で、天皇家の祖が大陸出身であったとなると、攻める口実をわざわざ用意してあげるようなものです。【大陸からの独立】が死活問題として重要事項ではなかったか。同じ理由で、自ら魏に朝貢していたヒミコこと豊玉姫の第二次物部東征も隠されます。唐の大軍と戦い、痛い敗戦を味わったからこそ、国を護る手段として、独立を維持するために、徐福も、天孫・村雲も秘されたのだと感じます。その結果、登場したスサノヲは、徐福とともに、須賀八耳王、更には、クナト王にも被せられていると思っています。出雲大社の裏にある素鵞社は、明治になって建てられた新しいものだと聞いています。國造家も千家家と北島家で争いがあり、元々、北島家があったところに、追い出すために造られたというような経緯だったようです。千家氏は徐福をお祀りしたかったのでしょうが、結果的にわたしもクナト王のエネルギーがピッタリだと思っています。クナト王もスサノヲの一人なので。(^^)
どこのどんな歴史も単純では無いと思います一族でも親子でも兄弟でも同じ意思の元に纏まっていたばかりでも無くそれぞれの思惑もあったでしょうし正に一筋縄では括れないそれが歴史だと思います口伝の本も2冊目の出雲と蘇我王国に入ってから最初の本で難解だった部分も次第に理解できる様になりました同時にmayumi 様のお話も段々に周波数が合ってきて理解できるレベルに近づいている様な気がします明日は(正確には既に今日ですが)は須賀神社奥宮を中心にやはりスサノーと須賀八耳王の話をアップしますがあの二人の微妙な関係から、大和と出雲の、やはり奇妙で微妙な関係が見えてくる様な気がして来たのが面白い感じです今後ともよろしくお願いします
@@kanji-kun1280さま稲田姫のご実家と言われるところですね。ホームページを見ると、【須我神社】となっています。全国に沢山【須賀神社】がありますが、稲田姫のご実家だけは【須我】のようです。八耳・八雲・八重垣・八千矛・八重波津身・八岐大蛇これでもかと続く【八】❇️大国主・八千矛王も第八代主王です。凄いですね。
素我社は寛文遷宮に創建され、蘇我・オホド大王(継体天皇・富家出身)が祭神であったが、後にスサノオ尊に変えられたとの説がある。
出雲の人々は特にスサノウを崇拝しているわけでもなく八百万の神々が日本にはいらっしゃるとあたりまえのように思っているだけです。スサノウは天照信仰の影響で出雲大社にまつられたようです。出雲の一宮の熊野大社が優遇された時代があって出雲大社もスサノウをまつることに。
スサノー様が祀られた経緯は色々あるんでしょうが、私のポイントはその前はどうだったのか?磐座の山である八雲山を拝してお社があった、そこには出雲王国の初代の主王である「菅八つ耳」だとしたら、菅(すが)ですが、素鵞、現在は「そが」と呼んでますが「すが」でも良くないですか? と言う私の妄想的考察です、どう思いますか?コメントありがとうございました
江戸時代迄、本宮はスサノウが祀られていて、明治になり今の大国主に入れ替わった。地元では皆知っているお話しです。
すいません私は地元の人間ではありませんし、その様なお話はどっちかと言うとどうでも良くてあの動画では今の素鵞の社の場所には出雲王国の初代の王、スガの八耳様がお祀りされていたのだとしたら私的にはスッキリするその様なお話のつもりでしたが、私の伝え方に問題がありそうですね一層のブラッシュアップに励みますありがとうございました
御迎社 → 御向社
お疲れ様です。まさかクナトの王が出てくるとは思いませんでした、思わず正座をしてしまいました、配信有り難う御座います。
いつもありがとうございます
出雲大社の周りにはまだまだ凄いものがたくさんあります
何かのテーマの時においおい上げていきますのでよろしくお願いします
ありがとうございました
出雲の磐座‼️初めて拝見しました。大きなエネルギー、生命力を感じます!生き生きとして神々しいですね。
巨石に同様な四角い規則的な穴?が穿たれているのを他でも見たことがあったかな、と思いました⛰️
四角の規則的な穴は恐らく人間がつけたものだと思います
多分切り出す事を考えたのでは無いですかね
あの辺りの石は出雲大社建造時にかなり運ばれたようですし
古代はもっとあったのだと思われます
磐座のエネルギー感じていただけて嬉しいです
ありがとうございました
@@kanji-kun1280 さま
🌸人がつけた!!ありがとうございます。自分なりにやはり、切り出すためなのかな?と思っていました。ご神域✨貴重な映像ですね。ずっと、巨石磐座への憧れ👀〰️💕があって、なんと昨日RUclipsのおすすめ☺️に、遠野市小友町の巌龍神社の不動岩というのが出てきまして、あらら、遠野市で勤めていた頃には存じ上げなくて、不思議だなあとうれしかったです🎵
はじめまして。
GWに、出雲大社→美保神社→厳島神社→大山祇神社(大三島)と巡ってきました。
出雲大社は大混雑で、特に素鵞の社は長蛇の列でした。
北島國造館から社家通りを歩いて行くと、観光客の方々には全く遭遇せず、静かにのんびりと命主社や真名井の清水へ参拝させていただきました。
リアル神社さんの以前の動画で命主社を知りました。
ムクの巨木は本当に素晴らしく、
地元の方々に大切にされている場所だと実感しました。
これからも動画を楽しみにしています。
GWではどこも大変でしたでしょうね
お疲れ様でした
そうですか、命主社も行って頂きましたか
ありがとうございます
今の時期だと椋木も若葉が繁って良い感じでしょうね
北島家の池辺りもいい感じですし、何より人が少ないのがいいですよね
全て錚々たる神様にお参り出来てご利益完璧ですね
報告ありがとうございました
これからもよろしくお願いします
@@kanji-kun1280
返信ありがとうございます♪
椋木は若葉が青々と繁って、そよ風と共にご神気を感じた気がしました。
素晴らしい神社をご紹介いただき感謝しています。
盃状穴を見ると心躍ります。
出雲は岐大神がいたるところに隠されている気がします。
整備されている神社や後からできた神社は記紀に合わした後付けの神様で訳が分からなくなっています。
塞ノ神や荒神様が祀られているのでわかりやすいですが。
出雲市が力を入れていないさびれた神社に大きなヒントがある町ですね。
御陵神社の磐座は大好きです。阿須伎社の弥山にある三歳社のある場所も山自体が磐座で
すごい自然の力を感じます。
神朝山岩根寺の岩山やその周りの岩山も圧巻でパワーを感じますが、
日御碕へ行くほうや、その他岩山でいっぱいで山自体が磐座というイメージがあります。
素晴らしい配信ありがとうございます。
私も全く同感です
出雲には元々の魂のメッセージの様な声が聞こえます
のでいくら記紀に合わせた後付けのご祭神があっても違和感で分かります
それはそれで理解は出来ますが、リアル神社チャンネルでは
出来るだけその元々の神社の姿を紹介して行きたいと思っています
のでよろしくお願いします
あと、私はまだ弥山に登れて無くてモヤモヤしています
やはり阿須伎社の所から歩くのが良いのでしょうね?
阿須伎社の横の谷沿いのコンクリの細い坂道を車で上ったら
車一台分のスペースの所、橋の所から登ったら少しは楽かとも思いましたけど
どうなんでしょうか?
時間ある時に教えてください
よろしくお願いします
コメントありがとうございました
返信ありがとうございます。
当時出雲市内で住んでいたので自転車で行きました。
阿須伎社の駐車場にも車止めさせてもらえたと思います。
声をかけておけばいけるような看板がありました。
阿須伎社(錦織さん)の方が管理されているので、
道もいい道教えてもらえると思います。
そこから弥山に入っていきます。
登山というより、途中から修行ですね。
体力に自信のない人はやめておいたほうがいいと思います。
靴はあればトレッキングで杖はあったほうがいいと思います。
道がないところなどは「ピンクのひも」で印をつけてくれています。
途中の五円ゴーロという石が積まれているところがありますが、
古代史好きには圧巻です。でも、登ったり下りたり順路に入れると危ないです。
修行していたか、守っていたのか面白いところです。
昼頃から行ってgoogle mapではたどりつけなくて、
再度ヤマレコで道を確認しなおして朝から行って昼過ぎに下山しました。
ヤマップでも見ると経路ありました。
慣れると早く行けると思いますが、
迷ったりするので時間は長い目にみたほうがいいと思います。
大変な道なので、たどり着けると有難さいっぱいです。
クナト大神の子が菅之八耳ですが
(国常立大神、船戸神、熊野権現はクナトの同一神で、伊勢外宮の豊受大神もとされて居ますね)
菅姓の由来は素戔嗚の「清々しい」と言った事から来ていると言う説ですね。
天津神族渡来系はクナトが素戔嗚だと言う根拠としたて居る事柄ですね。
西出雲・杵築大社の現・出雲大社は素戔嗚の妻の稲田姫の出生地の神社が元ですね。
素鵞(スガ・ソガ)社→菅姓でしょうね。
蘇我氏の蘇我姓も、そもそもは、この素鵞社由来の氏姓でしょうね。
相撲神事の野見宿禰は富家の裔の弩美宿祢で、野見宿禰の裔の南関東国造の大宮・氷川神社神主家の土師氏の裔に
菅原道真・菅本姓の徳川家剣術指南役柳生新陰流の柳生家(柳生十兵衛)や土師氏系譜の大江広元で広元の裔に
毛利元就や酒井氏で徳川家康が居る訳です。
大江広元の子の滅亡した上田氏の裔に教派神道大本教創始者の出口なおと出口王仁三郎が登場します。
(出口王仁三郎は古くに有栖川宮家落胤説で有名な人物)
沢山の磐座を
さらっとまとめていただき、
ありがとうございます♪
やはり、【磐と木と山】ですよね。
出雲大社(杵築大社)が造られたのは、
とても新しいのです。
奈良時代であり、
古事記編纂と
セットになって、
新しい秩序が作られたと
思っています。
律令国家へと移行し、
國造から国司へと
権力が移ったため、
仕事がなくなったホヒ家が
神社の社家となるべく
旧王家に頼んで
造ってもらったのが始まりだそうです。
記紀史観の登場と
杵築大社はセットなのです。
命主社や真名井は、おそらく、
杵築大社が造られる以前から、
出雲族によって
お祀りがされて来た場所でしょう。
天孫族でありながら、
出雲の主となったスサノヲと、
バリバリの天孫族である
出雲國造家は同族です。
出雲の中では、
後からやって来た渡来人
ということになります。
ヤマト政権とは、
出雲族とこの渡来系の
融合でできた政権ですから、
その祖に徐福がいたことは
決して屈辱ではなかったと思います。
むしろ、
徐福の子孫であることを
誇りに思っていたと感じます。
それが忘れられていったのは、
正史編纂以降でしょう。
何故、徐福が消されたかは、
正史が作られた背景が、
白村江の敗戦だったからでは
ないでしょうか。
今にも唐が攻めてくるような状況で、
天皇家の祖が
大陸出身であったとなると、
攻める口実をわざわざ
用意してあげるようなものです。
【大陸からの独立】が
死活問題として
重要事項ではなかったか。
同じ理由で、
自ら魏に朝貢していた
ヒミコこと豊玉姫の
第二次物部東征も隠されます。
唐の大軍と戦い、
痛い敗戦を味わったからこそ、
国を護る手段として、
独立を維持するために、
徐福も、天孫・村雲も
秘されたのだと感じます。
その結果、登場したスサノヲは、
徐福とともに、
須賀八耳王、
更には、クナト王にも
被せられていると
思っています。
出雲大社の裏にある素鵞社は、
明治になって建てられた
新しいものだと聞いています。
國造家も千家家と北島家で
争いがあり、
元々、北島家があったところに、
追い出すために造られた
というような経緯だったようです。
千家氏は
徐福をお祀りしたかったのでしょうが、
結果的に
わたしもクナト王のエネルギーが
ピッタリだと思っています。
クナト王もスサノヲの一人なので。(^^)
どこのどんな歴史も単純では無いと思います
一族でも親子でも兄弟でも同じ意思の元に纏まっていたばかりでも無く
それぞれの思惑もあったでしょうし正に一筋縄では括れない
それが歴史だと思います
口伝の本も2冊目の出雲と蘇我王国に入ってから最初の本で難解だった部分も
次第に理解できる様になりました
同時にmayumi 様のお話も段々に周波数が合ってきて
理解できるレベルに近づいている様な気がします
明日は(正確には既に今日ですが)は
須賀神社奥宮を中心にやはりスサノーと須賀八耳王の話をアップしますが
あの二人の微妙な関係から、大和と出雲の、やはり奇妙で微妙な関係が見えてくる
様な気がして来たのが面白い感じです
今後ともよろしくお願いします
@@kanji-kun1280さま
稲田姫のご実家と言われる
ところですね。
ホームページを見ると、
【須我神社】となっています。
全国に沢山
【須賀神社】がありますが、
稲田姫のご実家だけは
【須我】のようです。
八耳・八雲・八重垣・
八千矛・八重波津身・八岐大蛇
これでもかと続く【八】❇️
大国主・八千矛王も
第八代主王です。
凄いですね。
素我社は寛文遷宮に創建され、蘇我・オホド大王(継体天皇・富家出身)が祭神であったが、後にスサノオ尊に変えられたとの説がある。
出雲の人々は特にスサノウを崇拝しているわけでもなく八百万の神々が日本にはいらっしゃるとあたりまえのように思っているだけです。スサノウは天照信仰の影響で出雲大社にまつられたようです。出雲の一宮の熊野大社が優遇された時代があって出雲大社もスサノウをまつることに。
スサノー様が祀られた経緯は色々あるんでしょうが、私のポイントはその前はどうだったのか?磐座の山である八雲山を拝してお社があった、
そこには出雲王国の初代の主王である「菅八つ耳」だとしたら、菅(すが)ですが、素鵞、現在は「そが」と呼んでますが「すが」でも
良くないですか? と言う私の妄想的考察です、どう思いますか?
コメントありがとうございました
江戸時代迄、本宮はスサノウが祀られていて、明治になり今の大国主に入れ替わった。地元では皆知っているお話しです。
すいません
私は地元の人間ではありませんし、その様なお話はどっちかと言うとどうでも良くて
あの動画では今の素鵞の社の場所には出雲王国の初代の王、スガの八耳様が
お祀りされていたのだとしたら私的にはスッキリする
その様なお話のつもりでしたが、
私の伝え方に問題がありそうですね
一層のブラッシュアップに励みます
ありがとうございました
御迎社 → 御向社