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高天彦神社大好きです。水車がいいですね。高皇産霊神を見えない神(造化三神)としてみるか、見える神(人でありご先祖様)としてみるかで解釈は変わりますよね。ここでは見えないほうだと思っています。金剛山。小さいころから何回も登ってましたが、神社に興味がなくスルーしていて、今やいけるところにいないので観れてうれしいです。葛城は製鉄が盛んだったと葛木御歳神社の宮司が動画でおっしゃられていました。後は丹も役行者、空海も広めています。丹生川上神社三社や天河神社もあります。土蜘蛛、「まつろわぬたみ」ですね。 個人的にはサンカになっていったと思っています。山蔭の表さんは修験道のお話の中で、サンカの力が強く統治する側は協力してもらえないと、国を治めることが難しかったようなお話をされていたと思います。古本屋えりえなさんが土蜘蛛とハタレ(ホツマ)の動画を上げられていてまとまっていました。ぜひ一度のぞかれてはと思います。今回も楽しかったです。ありがとうございます。
いろいろ貴重な情報ありがとうございます金剛山も念願ですので一度は登ってみたいです土蜘蛛ですが今まで特に興味も無かったでが隼人や熊襲や蝦夷等とは少し違うと言うかやや人間離れ感が強い様なイメージです今回を機会に勉強して見ますコメントありがとうございました
今回の二つの神社はよくお参りします。 蜘蛛窟についてですが、高天彦神社は東側の植物園の中にあります。 一言主は鳥居の近くにあります。 ぜひ次回で良いのでご紹介いただければ土蜘蛛について知って頂ける方も増えるかと。また、高天彦の「蜘蛛塚」とご紹介されていたのは磐座で、葛城、金剛山をご神体、その信仰の対象としての磐座かと思います。磐座は桜井の大神神社にもあります。 ともに山岳信仰がルーツだと思います。
そうですね磐座にもいろいろある様です宮崎駿さんのアニメですが、君達はどう生きる?でしたか石には石の意思があると言っておられました確かに神様の拠り所ですから神の意思もあるでしょうしメカニズム的にはやはりエネルギーでしょうけど古代人にはそんな事が全て分かっていた凄いですよねコメントありがとうございました
高天彦神社への参道はとてもきつかったです。たまに大阪から葛城古道を歩いてます。葛城一族から見る大和の歴史というのは奥深いですね。縄文の名残りを少し感じられます。
私は車でそのまま上ったので全く楽でしたすいません葛城古道とか面白そうですね大阪 と奈良の間には古道とか、なんとかの道とかなんでしたっけ近つ飛鳥の道?サヌカイトライン?楽しみがいっぱいありますよね羨ましいです昔、二上山に登った事あります、大津の御子でしたっけお墓のある方ではない方の峰です太子温泉でしたっけ、昔一軒だけの温泉、あそこ二度泊まったことあります懐かしいですすいません話、横道に逸れてましたコメントありがとうございました
ネット上で聞いた話の土蜘蛛は、鸕鶿草葺不合(ウガヤフキアエズ)王の軍属だった。神武天皇の代で土蜘蛛は討伐対象と成ったと聞いて居ますね。出雲の神社の側に土蜘蛛塚が在るからか、ある人は土蜘蛛も出雲族と言う人も居ますが土蜘蛛の首領だった酒呑童子や手下の茨木童子たちが出雲族とは聞かないので土蜘蛛は出雲族は眉唾ですね。高木神(高御産巣日神)は学者の方の話だと高=高句麗出身の神としていますね。忌部斎部氏の祖の高魂も高木神(高御産巣日神)の事で忌部斎部氏も物部氏と同族だから祭司を司り祭司の氏族の中臣藤原氏と古代に対峙した訳でしょうね。今伊勢・伊勢神宮官職の中臣氏と元伊勢・丹後国の蘇我社家も南北朝時代に争って蘇我社家が負けて佐渡島に島流しと成り滅亡していますからね。
出雲族も記紀編纂期の大和朝廷も土蜘蛛族と協力関係だった事実は隠したかったし隠せなかったとしても高千穂での天孫降臨時に、オオクワ、コクワとして土蜘蛛を登場させて良いイメージを付けたかったのだろうと考えれば辻褄は合う様に思います
あ、丹後って蘇我氏なんですか?だから外宮の度会氏が伊勢神宮の土地を譲ったときに国の名を蘇我国と言ってたのかな?
@@malkotoisu9730様あくまで出雲と蘇我王国からの話ですが丹波と蘇我は直接の関係は無いと思います蘇我始まりは紀伊国造家の武内臣からのようでその後、河内方面を地盤に大和へ入って来たその後、勾玉作りで若狭から北陸、越、更に関東の安房など徐々に出雲族と血縁関係を作りながら地位と勢力を確立して行った様に書かれていましたあくまでザックリですがので紀元前2世紀頃にはまだ蘇我氏は何処にも存在して居なかったみたいです
@@kanji-kun1280 氏族名は土地の名前からとる場合が多いので、蘇我国というのが先にあってそこに竹内宿禰の子孫が来て蘇我氏になることもあるかもしれないとは思う。
ハッキリしたことは言えないんですが、南回り台灣、沖縄経由でドラビダ族が入ってきてますよね。それが隼人族だったりラピュタだったり、多分クナトの一族以前から日本に出たり入ったりしてるってのが土蜘蛛かなぁって思ってます。クナトの一族が渡来してきた時には既に縄文人やアイヌと交じっていたので大きな争いが無い??? 確か古代出雲の(徐福渡来前)は、四国と九州も出雲族の領地だったとか??? 四国南端と九州の南端に猿田彦神に因んだ地名が有るって書いてあったようなぁ~ …クシヒカタ君と徐福の関係が、あれッ 何だか頭が混乱してきた‼️ またクシヒカタ君を出雲の伝承で追って見よう〰
流石、中々の勉強家ですね超がつく古代史も良くご存知ですよね勉強になります奇日方君は一般的には何も知られていないですけど面白い人ですよね出雲族にとっては最初のヤマト開拓者で勲一等的手柄ですよね、まさにヒーローだと思います
出雲の国津神族は、そのルーツを、紀元前16世紀頃に北西の方向からインドへのアーリア人侵入に伴い、敗戦した土着民族がアジアでの戦禍を避けるため、ネパール、キルギス、バイカル湖、極東地域を通り、北海道や東北地域に辿り着き、出雲が終着地となったと見られる。(日本文化やDNAが漢民族とも朝鮮民族とも満州族とも違うのは、この事からも証明される)アーリア人が信仰していたバラモン教の最強の神である「インドラ」が最強の蛇神であるアヒの「ヴリトラ」(土着の龍邪神)を退治したことからも読み取れる。天孫族のスサノオノミコトが出雲族のクシナダヒメノミコに出逢うくだりで、いわゆる脚長手長夫妻が登場するが、7300年前の鬼界カルデラ噴火で九州を捨て、大陸の長江流域に住んでいた倭人が帰国した天孫族からみて、国津神族であるインド人の手足の長さに驚いたのだろう考察もできるし、出雲大社のレリーフには象などのインドにつながる痕跡もある。その後につながるスネナガヒコなどもやはりその名の通り。ちなみにスネナガヒコノミコトは長野の諏訪まで落ち延び、諏訪神社に鎮座した。この地域は国津神が来る以前から、ミシャクジ信仰が存在しており、龍蛇信仰とも重なるヤマタノオロチを退治して、クシナダヒメノミコと天叢雲剣を得た事から類推すると、出雲の川が氾濫し、長江流域をルーツとする天孫族の土木技術で治水工事を完成させ、無血で国津神族を統治した。若しくは、毎年娘たちが奪われる描写から、病を発生させた重金属を垂れ流している川と、生活用水を分けた治水工事かもしれないなんであれ、インドの優れた製鉄技術を手中に収め、天孫族をすべる天照大御神に取って代わると思われるのも、軍事バランスから言えば当然だったのだろう。神話では手のつけられない暴れん坊とされるのは、この事からもよく汲み取れる。手長足長の娘クシナダヒメミコという名前も、クシャナーダというサンスクリット語の意味であれば、【安らぎを与える】【夜】の意味であること、また、出雲大社は黄泉の国を司ることから、夜の世界、すなわち黄泉の世界を収めることとなることも符合する
アイヌと和人から総称される一団が、北海道や東北地方に入ってきたのは、平安時代あたりと、比較的新しいようです
@えなり-h7c 出雲の伝承とは違いますね。出雲の伝承では紀元前にクナトの一族がオホーツクから入って来た時には既にそこにいたって事です。弥生時代ならヒボコや物部から逃げたんじゃないですか???
@@石井健次-h1n 古代縄文人が先住民紀元前 国津神族(トラヴィダ人 千家家)→紀元後 天孫族(弥生人 天皇家)→ 古墳人(古代ユダヤ人の末裔 賀茂家)平安時代 アイヌと言われる一団 シベリアから南下の順で移民の波があったと推測されます
一言の願いはお聞きになる神様、雄略天皇の時大神として神社に祀られたのですね
その様な事なんでしょうけどどうも、一言だけの願いを聞いて貰えるご利益の様に解釈するのもどうかと思いますね神社さんのゲスっぽい解釈の様に思えてしまうのはやはり私の性格に問題があるって事でしょうか?
そんな事はないでしょう、先生出来るだけ簡潔にとは言われますが私も、つい、いろいろ練った事を祈ってしまいます❗️神様はいろんな人々の事を聞いている訳だから、練った細かい事言っても聞き届かないと言われてますから、ドンと太く1つにして参拝するなら神様聞くと思うし、成る程なと思いましたし、天照さま鎮座する伊勢神宮では、一番細かく練った願いではなく、国家の平安の感謝とか大きく参拝する様にと言われますね⁉️
おおくわ、こくわ、二柱(ふたがみ)の土蜘蛛が世を再び明るくした。
お早うございます。徐福のお母ちゃん、タカハタチヂヒメ??? 秦氏のご先祖でも有るって??? 秦の始皇帝の子孫では無いと思います。秦の始皇帝とは親戚関係だろうけど、…
そうそう、それです、ややこしい漢字なので読む時スルーしてたら頭から消えてましたまあ、徐福君のお母さんでいいでしょうって事でご勘弁を・・・
@@kanji-kun1280 💯
出雲は九州なんか譲ってないもんな。出雲が譲ったのは大和と伊勢だもんな。大和や伊勢の話を国譲りとしてもってったのかもしれんな
malkotolsu様おっしゃる様に天孫族は出雲の稲佐の浜に攻めてきてはいませんね。国譲りを迫った武甕槌もホヒさんの血は流れていますが、出雲王家の方ですし。本当の国譲りは大和で起こったのでしょうね。奈良県宇陀市に伊那佐山⛰と言う山があるので本当の国譲りの場所だったのではないか?と言われる方がおられます。自分もそうなのだろうと思います。
@@nihontaro9 神武東征がほんとの九州勢力への国譲りですよね。そして本拠地の島根も譲ってない。
@@nihontaro9 その時大和や伊勢にいた出雲や丹後の勢力が大量に関東に逃げた痕跡が前方後方墳でしょう
はい。前方後円墳が実は関東に多いというのも、その様な理由からなのでしょうね。東国関東に追われたというより、大和と伊勢に居座った田道間守勢を追い払うために、垂仁天皇の要請により出雲軍が田道間守勢を追い払い、物部勢を東国まで追って、そのまま秩父などの関東各地に居座り国造家となった。と出雲の口伝にも書かれていたと思います。
@@nihontaro9 豊城入彦の子孫を群馬に派遣して出雲勢力ににらみを利かしてたのが前方後円墳ですかね。
高天彦神社大好きです。
水車がいいですね。高皇産霊神を見えない神(造化三神)としてみるか、
見える神(人でありご先祖様)としてみるかで解釈は変わりますよね。
ここでは見えないほうだと思っています。
金剛山。小さいころから何回も登ってましたが、
神社に興味がなくスルーしていて、今やいけるところにいないので観れてうれしいです。
葛城は製鉄が盛んだったと葛木御歳神社の宮司が動画でおっしゃられていました。
後は丹も役行者、空海も広めています。丹生川上神社三社や天河神社もあります。
土蜘蛛、「まつろわぬたみ」ですね。 個人的にはサンカになっていったと思っています。
山蔭の表さんは修験道のお話の中で、サンカの力が強く統治する側は協力してもらえないと、国を治めることが難しかったようなお話をされていたと思います。古本屋えりえなさんが土蜘蛛とハタレ(ホツマ)の動画を上げられていてまとまっていました。ぜひ一度のぞかれてはと思います。
今回も楽しかったです。ありがとうございます。
いろいろ貴重な情報ありがとうございます
金剛山も念願ですので一度は登ってみたいです
土蜘蛛ですが今まで特に興味も無かったでが
隼人や熊襲や蝦夷等とは少し違うと言うかやや人間離れ感が強い
様なイメージです
今回を機会に勉強して見ます
コメントありがとうございました
今回の二つの神社はよくお参りします。 蜘蛛窟についてですが、高天彦神社は東側の植物園の中にあります。 一言主は鳥居の近くにあります。 ぜひ次回で良いのでご紹介いただければ土蜘蛛について知って頂ける方も増えるかと。
また、高天彦の「蜘蛛塚」とご紹介されていたのは磐座で、葛城、金剛山をご神体、その信仰の対象としての磐座かと思います。
磐座は桜井の大神神社にもあります。 ともに山岳信仰がルーツだと思います。
そうですね
磐座にもいろいろある様です
宮崎駿さんのアニメですが、君達はどう生きる?でしたか
石には石の意思があると言っておられました
確かに神様の拠り所ですから神の意思もあるでしょうし
メカニズム的にはやはりエネルギーでしょうけど古代人には
そんな事が全て分かっていた
凄いですよね
コメントありがとうございました
高天彦神社への参道はとてもきつかったです。
たまに大阪から葛城古道を歩いてます。
葛城一族から見る大和の歴史というのは奥深いですね。
縄文の名残りを少し感じられます。
私は車でそのまま上ったので全く楽でした
すいません
葛城古道とか面白そうですね
大阪 と奈良の間には古道とか、なんとかの道とかなんでしたっけ
近つ飛鳥の道?サヌカイトライン?
楽しみがいっぱいありますよね
羨ましいです
昔、二上山に登った事あります、大津の御子でしたっけお墓のある方ではない方の峰です
太子温泉でしたっけ、昔一軒だけの温泉、あそこ二度泊まったことあります
懐かしいです
すいません話、横道に逸れてました
コメントありがとうございました
ネット上で聞いた話の土蜘蛛は、鸕鶿草葺不合(ウガヤフキアエズ)王の軍属だった。
神武天皇の代で土蜘蛛は討伐対象と成ったと聞いて居ますね。
出雲の神社の側に土蜘蛛塚が在るからか、ある人は土蜘蛛も出雲族と言う人も居ますが
土蜘蛛の首領だった酒呑童子や手下の茨木童子たちが出雲族とは聞かないので土蜘蛛は出雲族は眉唾ですね。
高木神(高御産巣日神)は学者の方の話だと高=高句麗出身の神としていますね。
忌部斎部氏の祖の高魂も高木神(高御産巣日神)の事で忌部斎部氏も物部氏と同族だから祭司を司り
祭司の氏族の中臣藤原氏と古代に対峙した訳でしょうね。
今伊勢・伊勢神宮官職の中臣氏と元伊勢・丹後国の蘇我社家も南北朝時代に争って蘇我社家が負けて
佐渡島に島流しと成り滅亡していますからね。
出雲族も記紀編纂期の大和朝廷も土蜘蛛族と
協力関係だった事実は隠したかったし
隠せなかったとしても高千穂での天孫降臨時に、
オオクワ、コクワとして
土蜘蛛を登場させて良いイメージを付けたかった
のだろうと考えれば辻褄は合う様に思います
あ、丹後って蘇我氏なんですか?だから外宮の度会氏が伊勢神宮の土地を譲ったときに国の名を蘇我国と言ってたのかな?
@@malkotoisu9730様
あくまで出雲と蘇我王国からの話ですが
丹波と蘇我は直接の関係は無いと思います
蘇我始まりは紀伊国造家の武内臣からのようで
その後、河内方面を地盤に大和へ入って来た
その後、勾玉作りで若狭から北陸、越、更に関東の安房など
徐々に出雲族と血縁関係を作りながら地位と勢力を
確立して行った様に書かれていました
あくまでザックリですが
ので紀元前2世紀頃にはまだ蘇我氏は何処にも存在して居なかった
みたいです
@@kanji-kun1280 氏族名は土地の名前からとる場合が多いので、蘇我国というのが先にあってそこに竹内宿禰の子孫が来て蘇我氏になることもあるかもしれないとは思う。
ハッキリしたことは言えないんですが、南回り台灣、沖縄経由でドラビダ族が入ってきてますよね。それが隼人族だったりラピュタだったり、多分クナトの一族以前から日本に出たり入ったりしてるってのが土蜘蛛かなぁって思ってます。クナトの一族が渡来してきた時には既に縄文人やアイヌと交じっていたので大きな争いが無い??? 確か古代出雲の(徐福渡来前)は、四国と九州も出雲族の領地だったとか??? 四国南端と九州の南端に猿田彦神に因んだ地名が有るって書いてあったようなぁ~ …クシヒカタ君と徐福の関係が、あれッ 何だか頭が混乱してきた‼️ またクシヒカタ君を出雲の伝承で追って見よう〰
流石、中々の勉強家ですね
超がつく古代史も良くご存知ですよね
勉強になります
奇日方君は一般的には何も知られていないですけど
面白い人ですよね
出雲族にとっては最初のヤマト開拓者で勲一等的
手柄ですよね、まさにヒーローだと思います
出雲の国津神族は、そのルーツを、紀元前16世紀頃に北西の方向からインドへのアーリア人侵入に伴い、敗戦した土着民族がアジアでの戦禍を避けるため、ネパール、キルギス、バイカル湖、極東地域を通り、北海道や東北地域に辿り着き、出雲が終着地となったと見られる。(日本文化やDNAが漢民族とも朝鮮民族とも満州族とも違うのは、この事からも証明される)
アーリア人が信仰していたバラモン教の最強の神である「インドラ」が最強の蛇神であるアヒの「ヴリトラ」(土着の龍邪神)を退治したことからも読み取れる。
天孫族のスサノオノミコトが出雲族のクシナダヒメノミコに出逢うくだりで、いわゆる脚長手長夫妻が登場するが、7300年前の鬼界カルデラ噴火で九州を捨て、大陸の長江流域に住んでいた倭人が帰国した天孫族からみて、国津神族であるインド人の手足の長さに驚いたのだろう考察もできるし、出雲大社のレリーフには象などのインドにつながる痕跡もある。その後につながるスネナガヒコなどもやはりその名の通り。
ちなみにスネナガヒコノミコトは長野の諏訪まで落ち延び、諏訪神社に鎮座した。この地域は国津神が来る以前から、ミシャクジ信仰が存在しており、龍蛇信仰とも重なる
ヤマタノオロチを退治して、クシナダヒメノミコと天叢雲剣を得た事から類推すると、出雲の川が氾濫し、長江流域をルーツとする天孫族の土木技術で治水工事を完成させ、無血で国津神族を統治した。若しくは、毎年娘たちが奪われる描写から、病を発生させた重金属を垂れ流している川と、生活用水を分けた治水工事かもしれない
なんであれ、インドの優れた製鉄技術を手中に収め、天孫族をすべる天照大御神に取って代わると思われるのも、軍事バランスから言えば当然だったのだろう。神話では手のつけられない暴れん坊とされるのは、この事からもよく汲み取れる。
手長足長の娘クシナダヒメミコという名前も、クシャナーダというサンスクリット語の意味であれば、【安らぎを与える】【夜】の意味であること、また、出雲大社は黄泉の国を司ることから、夜の世界、すなわち黄泉の世界を収めることとなることも符合する
アイヌと和人から総称される一団が、北海道や東北地方に入ってきたのは、平安時代あたりと、比較的新しいようです
@えなり-h7c 出雲の伝承とは違いますね。出雲の伝承では紀元前にクナトの一族がオホーツクから入って来た時には既にそこにいたって事です。弥生時代ならヒボコや物部から逃げたんじゃないですか???
@@石井健次-h1n
古代縄文人が先住民
紀元前 国津神族(トラヴィダ人 千家家)→
紀元後 天孫族(弥生人 天皇家)→
古墳人(古代ユダヤ人の末裔 賀茂家)
平安時代 アイヌと言われる一団 シベリアから南下
の順で移民の波があったと推測されます
一言の願いはお聞きになる
神様、雄略天皇の時大神として神社に祀られたのですね
その様な事なんでしょうけど
どうも、一言だけの願いを聞いて貰えるご利益の様に解釈するのもどうかと思いますね
神社さんのゲスっぽい解釈の様に思えてしまうのはやはり私の性格に問題があるって事でしょうか?
そんな事はないでしょう、先生
出来るだけ簡潔にとは言われますが
私も、つい、いろいろ練った事を祈ってしまいます❗️神様はいろんな人々の事を聞いている訳だから、練った細かい事言っても聞き届かないと言われてますから、ドンと太く1つにして参拝するなら神様聞くと思うし、成る程なと思いましたし、天照さま鎮座する伊勢神宮では、一番細かく練った願いではなく、国家の平安の感謝とか大きく参拝する様にと言われますね⁉️
おおくわ、こくわ、二柱(ふたがみ)の土蜘蛛が世を再び明るくした。
お早うございます。徐福のお母ちゃん、タカハタチヂヒメ??? 秦氏のご先祖でも有るって??? 秦の始皇帝の子孫では無いと思います。秦の始皇帝とは親戚関係だろうけど、…
そうそう、それです、ややこしい漢字なので
読む時スルーしてたら頭から消えてました
まあ、徐福君のお母さんでいいでしょう
って事でご勘弁を・・・
@@kanji-kun1280 💯
出雲は九州なんか譲ってないもんな。出雲が譲ったのは大和と伊勢だもんな。大和や伊勢の話を国譲りとしてもってったのかもしれんな
malkotolsu様
おっしゃる様に天孫族は出雲の稲佐の浜に攻めてきてはいませんね。国譲りを迫った武甕槌もホヒさんの血は流れていますが、出雲王家の方ですし。
本当の国譲りは大和で起こったのでしょうね。奈良県宇陀市に伊那佐山⛰と言う山があるので本当の国譲りの場所だったのではないか?と言われる方がおられます。自分もそうなのだろうと思います。
@@nihontaro9 神武東征がほんとの九州勢力への国譲りですよね。そして本拠地の島根も譲ってない。
@@nihontaro9 その時大和や伊勢にいた出雲や丹後の勢力が大量に関東に逃げた痕跡が前方後方墳でしょう
はい。前方後円墳が実は関東に多いというのも、その様な理由からなのでしょうね。
東国関東に追われたというより、大和と伊勢に居座った田道間守勢を追い払うために、垂仁天皇の要請により出雲軍が田道間守勢を追い払い、物部勢を東国まで追って、そのまま秩父などの関東各地に居座り国造家となった。と出雲の口伝にも書かれていたと思います。
@@nihontaro9 豊城入彦の子孫を群馬に派遣して出雲勢力ににらみを利かしてたのが前方後円墳ですかね。