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1963年 こういう年だったんですね。因みに僕の生まれた年です。現在(60)
おどろおどろしいBGMはこの時代の定番ですね。
ウルトラQがはじまるかと思った📺
今の事を、思うと世の中が、まだまだゆっくりしている時代ですね!!僕も、ゆっくりしている時代に、生まれたかったですね!!
BGM、非常事態的な音楽ですが、別にどうっていうことなかった内容。ナレーションもオドロオドロ、こわがらせている感。
たしかに当時はドキュメンタリー番組とかにやたら多用されてた内容はなんてこともないのにやたら怖がらせる
小野洋子の最初の夫、一柳慧による前衛音楽。
80歳です。大変懐かしく拝見させていただきました。❤
ウィキペディアによると1963年6月22日の放送ですね。
東南アジア行くとこういう感じだわね。そこに何故か懐かしさを感じる(60年代生まれ)。それと、このようなナレーションって普遍的でいいと思う。堅苦しいが言葉の意味に忠実できちんとした説明を聞いている感じがして、いつになってもこの昭和30年代の現実を伝えられると思う。
妖怪人間ベムが始まりそうなOPBGMとナレーション
旧い車が好きで拝見しましたが、この当時のBGMって、何故かおどろおどろしいんですよね。ごく普通の映像でも、何だか怖く見えてしまいます。
ありがとうございます。荒川線運転士をしていたので、旧三ノ輪橋のあたりはこんなだったのかと感心してみました
言い回しがユーモラスでオシャレだなぁ声の良さも相まっておもしろい
停留所と停留場は区別して使うべき言葉だったんですね。勉強になりました。
まだまだ江戸時代生まれがいた時代やな。
貴重な映像ありがとうございます。過去への旅を楽しんでいます。
人の生活、文化の進み具合が分かるので、とても面白いです。
7:15 岡山の中鉄バスやんw津山行やね
ボンネットバスは子供の頃によく利用し昔は自家用と書かれた車が有ったな。牛にリヤカーも有った
こうやって見ると信号機のない横断歩道はドライバーの良心だけが救い。
11:47歩行者妨害もいいところ…💧
7:46 ボンネットバスの後ろ姿は実に可愛らしいですね。フロントはイカつい感じですが、リアはふっくら癒やし顔。60年代の貴重な映像ありがとうございます。
まだ腕木式方向指示器の時代ですね。7:46 後部は点滅しない矢印型ランプの方向器、テールランプはライセンスランプ兼用のものが1灯のみとルーフのマーカーランプ。バンパー上、左右に横長のブレーキランプ…丸いバックアップランプはありますが、反射鏡はまだ義務化前?
東京オリンピックの、前ぶれですね!!昭和30年代に、入るともはや戦後ではないと、言う言葉が、流行った見たいですね!!
きわめて貴重な番組、ありがとうございます。都電杉並線が残っているので、1962年頃だと思いますが、路面電車史として実に貴重です。玉電のあの恐ろしく高い中扉の補助ステップでの乗降も、しっかりと記録されていますね。
まるで現在のアジアだなぁ~数十年でこれだけ景色と生活が変わったら爺さん婆さんの意識改革は責められないよね!
オープニングBGMから不協和音が..ウルトラQ風的なのが流行りだったのね。
走る車から見て、1960年代初頭の映像でしょうか…。つまりわたしが生まれ育った時代。感慨深い気持ちになります、アップロードありがとうございました。
懐かしいですナ❗ガキの頃?新宿迄都電で30円で行けました⁉️😆✌️
昭和38年より現在の様式の道路標識が使われますがこの映像はそれより前の標識が使われているので昭和38年以前、一方昭和38年デビューの二代目クラウンのタクシーが走っているのでこの映像は昭和38年製作でほぼ間違いないと思います
荒川線だけ残ったのは車との交差や並走が比較的少なかったからみたいですね
@@冨山貴司-e9u さん ウィキペディアで調べたところ1963年6月22日放送分のようです。
地下鉄と道路の整備は偉大だ
当時の東京都電(現在は荒川線のみ)と玉電(東急玉川線)でしたね。玉電は、大半は廃線し渋谷-二子玉川間は新玉川線という鉄道線に整備。現在は田園都市線の一部。専用軌道線のみの三軒茶屋-下高井戸間は、世田谷線として現存。
この時代の車は今ではクラシックカーですね!カッコイイ
横断歩道に歩行者信号が無いから凄い状態だね、道もまだ狭いし側溝に蓋も無い
市電のすぐ後ろを何台もの車が列を成して走っているのが凄い(冒頭部分)
貴重な映像を、ありがとうございます。
何年前になるかNHKアーカイブスでかなり昔の映像再放送されこれ含め自分も全録画保存してますが本当に貴重な記録です
この頃のクラウンタクシーって、電気モーター車のような軽快な音で、軽々と力強く走り出しましたよね。冷房も効いて、素晴らしい現代空間でした。そんな遠い昔ではないと思うのですが、路面電車のあの混みと行列はかなわないな。そのまま地下鉄の車両が満員になりそうですね。
サラリーマンが昼休みに屋上でバレーボールしてた時代な。
8:32の梶並郵便局(岡山県美作市)は建物は新しくなって新道にありますが、旧道に映像にある建物が残ってますね。
動画にあるのは、現在の旧局舎よりもさらに以前のものではないですか?
20:47 西荒川電停。動いている映像は初めて見たかも。貴重です。
この映像は1963年、昭和38年放送みたいですね。
以前にも一度アップされてましたね・・・なので同じ事をまた書く。1:23、1:44ハンチング帽を被った人がスリに見える。
停留所に焦点を当てて記録映画を作ろうとする着眼点に驚かされます。昭和の映像は好きでよく観ているので今回も楽しませてもらいました
日本の道は良くなった。今は雨の日に長靴履いている大人はまずいない。
ナレーションのトーンが最高ですね
22:00 から、三ノ輪橋始め今も残る都電荒川線の様子が見れますね。併用軌道が多かったので廃止を免れたと聞きます。
岡山の停留所は昭和30年頃だと思います。未舗装道路に古いバス、着物姿なのでかなり古いです。
おぉ、この音楽…一柳慧さんによるものだったのか?(挿入されてるBGMもだろうか?)当時の現代音楽・実験音楽を巡る状況が垣間見られて、とても興味深いです。
私は昭和32年生まれで、もうすぐ64歳です。こんなふうに、私が幼少期だつた昭和中期の映像を見せて頂けるとは、大変感激です。ありがとうございます。大いに感謝します!!!(^O^)v
お若いですね…私は25年生まれの71歳になりました…このモノクロ映像しかなかった時代、現在から比べると…それは不便だと思いますが.この時はこれが当たり前の時代。泣けて来ますね…
すみれさん、コメントありがとうございました(^_^) あの時代はスマホや携帯、ポケベルはおろか、固定電話も町や村に一台程度。でもそれが当たり前でしたよね。今が便利になり過ぎて、返って煩わしいことも多々発生してしまっています。 自動車の性能も格段に向上しましたが、楽な運転が最上とばかりAT車だらけとなり、アクセルとブレーキの踏み間違いという、実に下らない事故が毎日々々多発する事態となりました。 私は若い時からAT車は大嫌いで、自分の車を所有して以来42年間、ずっとMT車です。昭和中期のあの頃は、踏み間違いという実に下らない事故は皆無でしたからね! 便利過ぎる時代ですが、すみれさん どうかストレスなくお過ごし下さいね(^o^)
@@キグチハルヒコ ありがとうございます…現在に遅れない様にスマホのインスタなどもやっています。よく言われます…え〜凄い…って(笑)そうかなぁ🤔なぜ若いのにやらないの?そんな事を聞いてもイエイエ☎をかけるだけですよ…なんて勿体ない若者達🤨🗣️
@@すみれ-y1g 私は36年生まれです。先輩方も懐かしいですか。私もです。小さな時から若い時のことがいい思い出になっているのは、やはりいい時代だからだったのでしょうね。
昭和の半ばの生まれなんですね。
この当時信号もゼブラでしたね!
車のナンバー、車種、道行く人々のファッション、看板等…いろいろ総合して、1964年(昭和39年)5月以降、1965年(昭和40年)以前の映像であることがわかります。しかし、新幹線が開通し、東京オリンピックが開催された年に、東京がまだこんな状況だったことが改めて驚愕です。これから2年経つと全く景色が変わりますね。そういえば、雨の日は必ず長靴を履いて出かけたことを懐かしく思い出しました。
懐かしい‼️子供ながら覚えてます。
動画の最初の路面電車、まだ止まりきってないうちにドアが開きお客さんが降りてる😱
たぶん1965年頃の映像と思うのだけど、この時代の恐るべき交通ルールと言えば現在では交差点侵入ルールは「左方優先」ですが1960年代はまだ「先入車両優先」の時代でおそろしいほどの人身事故が多かった時代ですよね。
産まれる前の映像ですが、BGMが独特というか怖いですね。
音楽がこわい((( ;゚Д゚)))
色がついてBGMも変わったらまた違う印象になるんだろうな。この時代のこの表現の感じ好き。
昭和30年代から40年代にかけてですかねー舗装されてない、路面電車がある、ボンネットのある大型車、右からの文字看板
下水道もまだ完備には程遠かった東京でしたね。走ってる車から昭和35年頃でしょうか。青山通りは狭く、三軒茶屋へ行く246号線は広かったですね。あの玉電にまた乗りたいです。
東京オリンピックをきっかけに近代化が一気に進んだと聞いたことがあります。私はこの時代のままでいいなあって思います。賛否両論あるでしょうが。
スマホもないんやで
15:02 竪川人道橋ですね車輪のモニュメントが現地には展示してます
貴重な映像記録です。
このようなナレーションなつかしい‼️当時日本映画見ていると2本立てての合間に休憩時間トイレタイムがあり2本目が始まる前‼️日本ニュースなるこのような映像といろんなニュースがありその時のナレーションの雰囲気が同じようでなつかしい‼️映像も同じような感じでフィルム映像作品でしたねぇ‼️なつかしい‼️モノクロ映像も何かノスタルジツクでいい感じですねぇ‼️いいなぁ‼️なつかしい幼少の頃に戻ったようなやっぱり現実の世界にないような昔の面影映像がいいですねぇ‼️2010年の世界よりこのようなスピード感のないまたいいんじゃあないかな‼️今の現実の世界は時間とスピードに追いかけられながら人生を生きていかなければならない‼️昔の方が人間生きやすかったんじゃあないかな‼️人生有意義に過ごし時が来るとコロっと亡くなるお年寄りが多かったですねぇ‼️前の日まで畑をしていて次日の朝亡くなっている‼️お年寄りが本当に多かったですねぇ‼️昭和30年代本当に多かったですねぇ‼️
ウルトラQの頃かな、現代音楽のようなBGMといい観点や感性が今には無い新鮮な映像
ウルトラQよりもうちょっと古い。3年ほど。
昔は人間も活気があったよね貧しくても楽しかったよね
番組はじめからいきなり不安になるおどろおどろしい音楽バス停留所が何故かいかがわしい場所みたいな印象付け
昔はトロリーバスも走ってましたね。
どこでもタバコが吸えるいい時代だ。今なら『令和なんとか』なるボランティア極道(😊)が徘徊しているからなぁ。
広島の中鉄バスの昔の映像ですね。ボンネットバスの フロントに手書きで 経由地が書かれている 紙が貼り付けてあるのは 昔のバスでよくあったこと。糀谷 災害で本来の終点に行けない場合は 方向幕を 白にして 手書きの行き先 行き先表示を貼ってたバス会社がほとんど。今だったらパソコンで 印刷されたものを LED 方向幕になっているので 追加でデータを入力して表示するだろう。
この映像を見ると、東京の地下鉄建設の緊急性が高かったことを痛感します。都電の多くの路線廃止は、やむを得ないと感じます。
新日本紀行を彷彿させる。ありがとうございます。
21:33 映画のポスターのうち、「空と泥」(フランス)が初公開とすると1963年の映像だね。
自分がこの時代に生まれていたらどんな生活を送って、どんな家庭をもっていたのだろうといつも思う。
自動車のテールランプとボンネットトラックに時代を感じる。
冒頭の都電の停留所が、どうも中目黒だった気がします。「鍋屋横丁」杉並線も地下鉄丸ノ内線で、早期に廃止になったかと思います。それにしても「自動車優先」には恐れ入った。終盤の荒川線もいいです。最終的には、問題提起の社会派の記録映画ですね。
この時代の喫煙率は異常。
これに映ってる人達やナレーションしてる人も今はもうこの世にいないのかもしれないと思うと不思議なものを感じる
3:35で、牛を引きながら歩いてる人の斜め上にある家、今でもあそこにほぼ当時のまま存在している。
今はずいぶん変わりましたね・・・。土手になっていたし
この時代、牛を引いてリヤカーに作物を満載に積んで、町まで売りにいった農家の主人が、町の飲み屋で1杯引っ掛けて、リヤカーに載って寝てると牛が自動運転で家まで帰ってくれました。牛は利口でしたよ。犬が駕篭を首に下げて八百屋、肉や、魚屋3軒で買い物してくれる犬もいました。
@@fumiosoeda6004ある意味 人間より賢いですね。のんびりした時代なのかも…。
現代版(2023年)現代の映像を作ったらどんなだろうね
今にも怪獣が出てきそうなBGMですね。
この映像だと軌道内の立入にも寛容な扱いだけど、現在ではこんな番組は無理だろう。「電車が来なくても危険なので絶対に軌道内には入らないで下さい!」だろうな。
エンジン音とかの効果音は後から入れてるのがわかるな。古典的なドキュメンタリーの音効。
活気溢れてるな〜。
まさに今見て面白いテレビ番組だと思う。その当時見ても普通のことでたいして面白くなかったのでは。
東京や大阪で市電が姿を消したのは1970年頃でしたかね。
私の記憶では、東京が市電が廃止になったのは、1971年6月だったと思います。
@@青田清一 東京は、都電と言う愛称でしたが、私の子どもの頃自宅近所にあった都電25番の西荒川線が廃止になったのは、1969年でした。
そうそう東京は、都電と言いましたね🤗東京都中央区当時の都電の下に現在は地下鉄が走っています。
今どうか知りませんが、子どもの頃は町民大会に部落対抗リレーがあり大会の最後のいちばん盛り上がるイベントでした‼️大川、北川、熱川、片瀬、白田‼️小学生からスタート中学生から父兄につながり学校の先生や町民、商店街、旅館の方々にバトンタッチして大いに盛り上がったのを覚えている‼️
この道の真ん中にある停留所は別名「安全地帯」とも呼ばれていましたね。当時ももちろんあったのでしょうが、昨今池袋で起きたような事故(あれは事件か)を考えると、全く安全とは程遠いものにしか見えませんね。
127歳です。大変懐かしゅうございました。
山間部を走るバスがリアエンジンになってるのにびっくりですね、S38年ごろ私が住んでた徳島ではまだボンネットバスでしたね。自動車整備に携わってきたものでどうしても車などに目が行ってしまいます。母親の親元はバスの終点でした、隣は別の市(郡)でしたから、だから時間に間に合わなくって走ってたら待ってくれてた時代ですね。京都の市電の安全地帯で新車を潰し死にかけました、あまり良い思い出は無いですね。
不安になるBGMで草。
”明るい未来”は期待できなかったのかな?
この時代はこの手のBGM多いですね。だけど、そこがまた良い。
昭和39年産まれだけど、子どもの頃は不穏な音楽に包まれた番組多かった。フォークソングも暗くて嫌いだったなぁ。何が 石鹸カタカタ鳴っただよ。大っ嫌い。(笑)
@@丸くん-y5s と同じく昭和30年代後半の生まれだが、昭和40年代後半に流行ったフォークソングなんか大嫌いだったね、なんか子ども心に、いやらしさ 暗さを感じたものだった。
この時代くらいの映像についている音楽ってどうして怖くて派手なんだろう。
シンセサイザーなど電子楽器が無く(もちろんDTMなどコンピュータ音楽も無い)、生楽器のみ、そしてトランペットやバイオリンなど存在感の強い楽器がメインに使われているからですね。喜怒哀楽のイメージを付与する手法だったのかもしれません。自分は既にいい歳の古い人間ですが、高度成長期のこのようなBGMはどうしても好きになれません。戦前のもっと控えめなBGMや、シンセサイザー以後の機械的で存在感の薄いBGM好きです。
昭和36年に岡山駅前の岡山会館ビルを見て大ビルディングだと驚いた記憶がある。この映像は、昭和36年より大分古い風景だ。
こう言う経緯を経て、いまの日本の交通社会があるんですね。貴重な映像、ありがとうございます。
水洗トイレがまだ普及してない時代だね。
日本人の約半数のお腹の中に、虫(回虫)が住んでいた時代。
23:14都営荒川線熊野前停留場の軌道敷で遊ぶ親子現在は撮影者の頭上に日暮里・舎人ライナーの高架と熊野前駅の入口があるみたいです
郵袋 懐かしいです今の日本郵便の社員はわからないでしょう。旧60代郵政職員
21:00東京都電車25系統小松川線西荒川停留場から日比谷公園行に乗り込む当時のリア充の皆さん
懐かしい、東京の路面電車。私は通勤には使ったことがありません。でも通勤する方はとても大変そうですね。これが全て地下鉄に変わったわけではないのですが、地下鉄の発達で道路も人も楽になっているはず。映像の中で水神森があったのは特に懐かしい。私はここから電車に乗って砂町へ行きました。熊野前にはいとこ一家が住んでいました。今では日暮里舎人ライナーもここは走っています。
ナレーターの冷めたトーンがいいですね今よりも屋根のない停留所が多いだろうから暑いし寒いし雨の日大変
まだ、ボンネットバス🚌が、走っている時代ですね!!🛺
停留所タバコすぱすぱ!愛煙家には最高です。
当時は他にやること無かったし、タバコでも吸いながら待つしか無いがな。
タイムスリップしてあえてフィルムカメラで撮影したい。あっという間にフィルム無くなるだろうけど。
BGMが怖すぎるwww!
止まりそうで止まらない老朽ディーゼルエンジンの響き・・・みい~んな貧しかった時代。電車軌道で遊ぶ・・危っぶね!
昔の口の悪い大人は子供の事を面と向かって「ジャリ」と言ってた。「ジャリ、どこいくんだ?」特に悪気はなくこれでフレンドリーな会話。
この時代の車は事故を起こすと今現在と違い運転席迄完全につぶれてしまいドライバーも即死か重症のどちらかのダメージ受けないと行けない時代だったな。
昔は駅のホームやバスの停留所とか当たり前のように大人がタバコ吸ってて煙モクモクだったですね。しかもそこに吸わない人がいようが学生や子供がいようがお構いなし。今じゃ考えられないですよね
それに線路には吸い殻が当たり前のように捨てられていた。
BGMは黛敏郎さん作曲ですかね?恐怖心をあおるような効果に子供心にとても苦痛だったことを思い出します。
1963年 こういう年だったんですね。因みに僕の生まれた年です。現在(60)
おどろおどろしいBGMはこの時代の定番ですね。
ウルトラQがはじまるかと思った📺
今の事を、思うと世の中が、まだまだゆっくりしている時代ですね!!僕も、ゆっくりしている時代に、生まれたかったですね!!
BGM、非常事態的な音楽ですが、別にどうっていうことなかった内容。ナレーションもオドロオドロ、こわがらせている感。
たしかに
当時はドキュメンタリー番組とかにやたら多用されてた
内容はなんてこともないのにやたら怖がらせる
小野洋子の最初の夫、一柳慧による前衛音楽。
80歳です。大変懐かしく拝見させていただきました。❤
ウィキペディアによると1963年6月22日の放送ですね。
東南アジア行くとこういう感じだわね。そこに何故か懐かしさを感じる(60年代生まれ)。
それと、このようなナレーションって普遍的でいいと思う。堅苦しいが言葉の意味に忠実できちんとした説明を聞いている感じがして、いつになってもこの昭和30年代の現実を伝えられると思う。
妖怪人間ベムが始まりそうなOPBGMとナレーション
旧い車が好きで拝見しましたが、この当時のBGMって、何故かおどろおどろしいんですよね。
ごく普通の映像でも、何だか怖く見えてしまいます。
ありがとうございます。荒川線運転士をしていたので、旧三ノ輪橋のあたりはこんなだったのかと感心してみました
言い回しがユーモラスでオシャレだなぁ
声の良さも相まっておもしろい
停留所と停留場は区別して使うべき言葉だったんですね。勉強になりました。
まだまだ江戸時代生まれがいた時代やな。
貴重な映像ありがとうございます。
過去への旅を楽しんでいます。
人の生活、文化の進み具合が分かるので、とても面白いです。
7:15 岡山の中鉄バスやんw津山行やね
ボンネットバスは子供の頃によく利用し昔は自家用と書かれた車が有ったな。
牛にリヤカー
も有った
こうやって見ると信号機のない横断歩道はドライバーの良心だけが救い。
11:47
歩行者妨害もいいところ…💧
7:46 ボンネットバスの後ろ姿は実に可愛らしいですね。
フロントはイカつい感じですが、リアはふっくら癒やし顔。
60年代の貴重な映像ありがとうございます。
まだ腕木式方向指示器の時代ですね。
7:46 後部は点滅しない矢印型ランプの方向器、テールランプはライセンスランプ兼用のものが1灯のみとルーフのマーカーランプ。
バンパー上、左右に横長のブレーキランプ…
丸いバックアップランプはありますが、反射鏡はまだ義務化前?
東京オリンピックの、前ぶれですね!!昭和30年代に、入るともはや戦後ではないと、言う言葉が、流行った見たいですね!!
きわめて貴重な番組、ありがとうございます。都電杉並線が残っているので、1962年頃だと思いますが、路面電車史として実に貴重です。玉電のあの恐ろしく高い中扉の補助ステップでの乗降も、しっかりと記録されていますね。
まるで現在のアジアだなぁ~
数十年でこれだけ景色と生活が変わったら爺さん婆さんの意識改革は責められないよね!
オープニングBGMから不協和音が..ウルトラQ風的なのが流行りだったのね。
走る車から見て、1960年代初頭の映像でしょうか…。つまりわたしが生まれ育った時代。感慨深い気持ちになります、アップロードありがとうございました。
懐かしいですナ❗ガキの頃?新宿迄都電で30円で行けました⁉️😆✌️
昭和38年より現在の様式の道路標識が使われますがこの映像はそれより前の標識が使われているので昭和38年以前、一方昭和38年デビューの二代目クラウンのタクシーが走っているのでこの映像は昭和38年製作でほぼ間違いないと思います
荒川線だけ残ったのは車との交差や並走が比較的少なかったからみたいですね
@@冨山貴司-e9u さん ウィキペディアで調べたところ1963年6月22日放送分のようです。
地下鉄と道路の整備は偉大だ
当時の東京都電(現在は荒川線のみ)と
玉電(東急玉川線)でしたね。
玉電は、大半は廃線し
渋谷-二子玉川間は新玉川線という
鉄道線に整備。現在は田園都市線の一部。
専用軌道線のみの三軒茶屋-下高井戸間は、
世田谷線として現存。
この時代の車は今ではクラシックカーですね!カッコイイ
横断歩道に歩行者信号が無いから凄い状態だね、道もまだ狭いし側溝に蓋も無い
市電のすぐ後ろを何台もの車が列を成して走っているのが凄い(冒頭部分)
貴重な映像を、ありがとうございます。
何年前になるかNHKアーカイブスでかなり昔の映像再放送されこれ含め自分も全録画保存してますが本当に貴重な記録です
この頃のクラウンタクシーって、電気モーター車のような軽快な音で、軽々と力強く走り出しましたよね。冷房も効いて、素晴らしい現代空間でした。そんな遠い昔ではないと思うのですが、路面電車のあの混みと行列はかなわないな。そのまま地下鉄の車両が満員になりそうですね。
サラリーマンが昼休みに屋上でバレーボールしてた時代な。
8:32の梶並郵便局(岡山県美作市)は建物は新しくなって新道にありますが、
旧道に映像にある建物が残ってますね。
動画にあるのは、現在の旧局舎よりもさらに以前のものではないですか?
20:47 西荒川電停。動いている映像は初めて見たかも。貴重です。
この映像は1963年、昭和38年放送みたいですね。
以前にも一度アップされてましたね・・・なので同じ事をまた書く。
1:23、1:44ハンチング帽を被った人がスリに見える。
停留所に焦点を当てて記録映画を作ろうとする着眼点に驚かされます。昭和の映像は好きでよく観ているので今回も楽しませてもらいました
日本の道は良くなった。今は雨の日に長靴履いている大人はまずいない。
ナレーションのトーンが最高ですね
22:00 から、三ノ輪橋始め今も残る都電荒川線の様子が見れますね。併用軌道が多かったので廃止を免れたと聞きます。
岡山の停留所は昭和30年頃だと思います。未舗装道路に古いバス、着物姿なのでかなり古いです。
おぉ、この音楽…一柳慧さんによるものだったのか?(挿入されてるBGMもだろうか?)
当時の現代音楽・実験音楽を巡る状況が垣間見られて、とても興味深いです。
私は昭和32年生まれで、もうすぐ64歳です。こんなふうに、私が幼少期だつた昭和中期の映像を見せて頂けるとは、大変感激です。ありがとうございます。大いに感謝します!!!(^O^)v
お若いですね…私は25年生まれの71歳になりました…このモノクロ映像しかなかった時代、現在から比べると…それは不便だと思いますが.この時はこれが当たり前の時代。泣けて来ますね…
すみれさん、コメントありがとうございました(^_^) あの時代はスマホや携帯、ポケベルはおろか、固定電話も町や村に一台程度。でもそれが当たり前でしたよね。今が便利になり過ぎて、返って煩わしいことも多々発生してしまっています。
自動車の性能も格段に向上しましたが、楽な運転が最上とばかりAT車だらけとなり、アクセルとブレーキの踏み間違いという、実に下らない事故が毎日々々多発する事態となりました。 私は若い時からAT車は大嫌いで、自分の車を所有して以来42年間、ずっとMT車です。昭和中期のあの頃は、踏み間違いという実に下らない事故は皆無でしたからね!
便利過ぎる時代ですが、すみれさん どうかストレスなくお過ごし下さいね(^o^)
@@キグチハルヒコ ありがとうございます…現在に遅れない様にスマホのインスタなどもやっています。よく言われます…え〜凄い…って(笑)そうかなぁ🤔なぜ若いのにやらないの?そんな事を聞いてもイエイエ☎をかけるだけですよ…なんて勿体ない若者達🤨🗣️
@@すみれ-y1g 私は36年生まれです。先輩方も懐かしいですか。私もです。小さな時から若い時のことがいい思い出になっているのは、やはりいい時代だからだったのでしょうね。
昭和の半ばの生まれなんですね。
この当時信号もゼブラでしたね!
車のナンバー、車種、道行く人々のファッション、看板等…いろいろ総合して、1964年(昭和39年)5月以降、1965年(昭和40年)以前の映像であることがわかります。
しかし、新幹線が開通し、東京オリンピックが開催された年に、東京がまだこんな状況だったことが改めて驚愕です。これから2年経つと全く景色が変わりますね。そういえば、雨の日は必ず長靴を履いて出かけたことを懐かしく思い出しました。
懐かしい‼️子供ながら覚えてます。
動画の最初の路面電車、まだ止まりきってないうちにドアが開きお客さんが降りてる😱
たぶん1965年頃の映像と思うのだけど、この時代の恐るべき交通ルールと言えば
現在では交差点侵入ルールは「左方優先」ですが
1960年代はまだ「先入車両優先」の時代でおそろしいほどの人身事故が多かった時代ですよね。
産まれる前の映像ですが、BGMが独特というか怖いですね。
音楽がこわい((( ;゚Д゚)))
色がついてBGMも変わったらまた違う印象になるんだろうな。この時代のこの表現の感じ好き。
昭和30年代から40年代にかけてですかねー舗装されてない、路面電車がある、ボンネットのある大型車、右からの文字看板
下水道もまだ完備には程遠かった東京でしたね。走ってる車から昭和35年頃でしょうか。青山通りは狭く、三軒茶屋へ行く246号線は広かったですね。あの玉電にまた乗りたいです。
東京オリンピックをきっかけに近代化が一気に進んだと聞いたことがあります。私はこの時代のままでいいなあって思います。賛否両論あるでしょうが。
スマホもないんやで
15:02 竪川人道橋ですね
車輪のモニュメントが現地には展示してます
貴重な映像記録です。
このようなナレーションなつかしい‼️当時日本映画見ていると2本立てての合間に休憩時間トイレタイムがあり2本目が始まる前‼️日本ニュースなるこのような映像といろんなニュースがありその時のナレーションの雰囲気が同じようでなつかしい‼️映像も同じような感じでフィルム映像作品でしたねぇ‼️なつかしい‼️モノクロ映像も何かノスタルジツクでいい感じですねぇ‼️いいなぁ‼️なつかしい幼少の頃に戻ったようなやっぱり現実の世界にないような昔の面影映像がいいですねぇ‼️2010年の世界よりこのようなスピード感のないまたいいんじゃあないかな‼️今の現実の世界は時間とスピードに追いかけられながら人生を生きていかなければならない‼️昔の方が人間生きやすかったんじゃあないかな‼️人生有意義に過ごし時が来るとコロっと亡くなるお年寄りが多かったですねぇ‼️前の日まで畑をしていて次日の朝亡くなっている‼️お年寄りが本当に多かったですねぇ‼️昭和30年代本当に多かったですねぇ‼️
ウルトラQの頃かな、現代音楽のようなBGMといい観点や感性が今には無い新鮮な映像
ウルトラQよりもうちょっと古い。
3年ほど。
昔は人間も活気があったよね
貧しくても楽しかったよね
番組はじめからいきなり不安になるおどろおどろしい音楽
バス停留所が何故かいかがわしい場所みたいな印象付け
昔はトロリーバスも走ってましたね。
どこでもタバコが吸えるいい時代だ。
今なら『令和なんとか』なるボランティア極道(😊)が徘徊しているからなぁ。
広島の中鉄バスの昔の映像ですね。
ボンネットバスの フロントに手書きで 経由地が書かれている 紙が貼り付けてあるのは 昔のバスでよくあったこと。
糀谷 災害で本来の終点に行けない場合は 方向幕を 白にして 手書きの行き先 行き先表示を貼ってたバス会社がほとんど。
今だったらパソコンで 印刷されたものを LED 方向幕になっているので 追加でデータを入力して表示するだろう。
この映像を見ると、東京の地下鉄建設の緊急性が高かったことを痛感します。
都電の多くの路線廃止は、やむを得ないと感じます。
新日本紀行を彷彿させる。
ありがとうございます。
21:33 映画のポスターのうち、「空と泥」(フランス)が初公開とすると1963年の映像だね。
自分がこの時代に生まれていたらどんな生活を送って、どんな家庭をもっていたのだろうといつも思う。
自動車のテールランプとボンネットトラックに時代を感じる。
冒頭の都電の停留所が、どうも中目黒だった気がします。「鍋屋横丁」杉並線も地下鉄丸ノ内線で、早期に廃止になったかと思います。それにしても「自動車優先」には恐れ入った。終盤の荒川線もいいです。最終的には、問題提起の社会派の記録映画ですね。
この時代の喫煙率は異常。
これに映ってる人達やナレーションしてる人も今はもうこの世にいないのかもしれないと思うと不思議なものを感じる
3:35で、牛を引きながら歩いてる人の斜め上にある家、今でもあそこにほぼ当時のまま存在している。
今はずいぶん変わりましたね・・・。土手になっていたし
この時代、牛を引いてリヤカーに作物を満載に積んで、町まで売りにいった農家の主人が、町の飲み屋で1杯引っ掛けて、リヤカーに載って寝てると牛が自動運転で家まで帰ってくれました。牛は利口でしたよ。犬が駕篭を首に下げて八百屋、肉や、魚屋3軒で買い物してくれる犬もいました。
@@fumiosoeda6004ある意味 人間より賢いですね。のんびりした時代なのかも…。
現代版(2023年)現代の映像を作ったらどんなだろうね
今にも怪獣が出てきそうなBGMですね。
この映像だと軌道内の立入にも寛容な扱いだけど、現在ではこんな番組は無理だろう。「電車が来なくても危険なので絶対に軌道内には入らないで下さい!」だろうな。
エンジン音とかの効果音は後から入れてるのがわかるな。古典的なドキュメンタリーの音効。
活気溢れてるな〜。
まさに今見て面白いテレビ番組だと思う。その当時見ても普通のことでたいして面白くなかったのでは。
東京や大阪で市電が姿を消したのは1970年頃でしたかね。
私の記憶では、東京が市電が廃止になったのは、1971年6月だったと思います。
@@青田清一 東京は、都電と言う愛称でしたが、私の子どもの頃自宅近所にあった都電25番の西荒川線が廃止になったのは、1969年でした。
そうそう東京は、都電と言いましたね🤗東京都中央区当時の都電の下に現在は地下鉄が走っています。
今どうか知りませんが、子どもの頃は町民大会に部落対抗リレーがあり大会の最後のいちばん盛り上がるイベントでした‼️大川、北川、熱川、片瀬、白田‼️小学生からスタート中学生から父兄につながり学校の先生や町民、商店街、旅館の方々にバトンタッチして大いに盛り上がったのを覚えている‼️
この道の真ん中にある停留所は別名「安全地帯」とも呼ばれていましたね。当時ももちろんあったのでしょうが、昨今池袋で起きたような事故(あれは事件か)を考えると、全く安全とは程遠いものにしか見えませんね。
127歳です。大変懐かしゅうございました。
山間部を走るバスがリアエンジンになってるのにびっくりですね、S38年ごろ私が住んでた徳島ではまだボンネットバスでしたね。
自動車整備に携わってきたものでどうしても車などに目が行ってしまいます。母親の親元はバスの終点でした、隣は別の市(郡)でしたから、だから時間に間に合わなくって走ってたら待ってくれてた時代ですね。京都の市電の安全地帯で新車を潰し死にかけました、あまり良い思い出は無いですね。
不安になるBGMで草。
”明るい未来”は期待できなかったのかな?
この時代はこの手のBGM多いですね。だけど、そこがまた良い。
昭和39年産まれだけど、子どもの頃は不穏な音楽に包まれた番組多かった。フォークソングも暗くて嫌いだったなぁ。
何が 石鹸カタカタ鳴っただよ。
大っ嫌い。(笑)
@@丸くん-y5s と同じく昭和30年代後半の生まれだが、昭和40年代後半に流行ったフォークソングなんか大嫌いだったね、なんか子ども心に、いやらしさ 暗さを感じたものだった。
この時代くらいの映像についている音楽ってどうして怖くて派手なんだろう。
シンセサイザーなど電子楽器が無く(もちろんDTMなどコンピュータ音楽も無い)、生楽器のみ、そしてトランペットやバイオリンなど存在感の強い楽器がメインに使われているからですね。喜怒哀楽のイメージを付与する手法だったのかもしれません。自分は既にいい歳の古い人間ですが、高度成長期のこのようなBGMはどうしても好きになれません。戦前のもっと控えめなBGMや、シンセサイザー以後の機械的で存在感の薄いBGM好きです。
昭和36年に岡山駅前の岡山会館ビルを見て大ビルディングだと驚いた記憶がある。この映像は、昭和36年より大分古い風景だ。
こう言う経緯を経て、いまの日本の交通社会があるんですね。
貴重な映像、ありがとうございます。
水洗トイレがまだ普及してない時代だね。
日本人の約半数のお腹の中に、虫(回虫)が住んでいた時代。
23:14都営荒川線熊野前停留場の軌道敷で遊ぶ親子
現在は撮影者の頭上に日暮里・舎人ライナーの高架と熊野前駅の入口があるみたいです
郵袋 懐かしいです今の日本郵便の社員はわからないでしょう。旧60代郵政職員
21:00東京都電車25系統小松川線西荒川停留場から
日比谷公園行に乗り込む当時のリア充の皆さん
懐かしい、東京の路面電車。私は通勤には使ったことがありません。でも通勤する方はとても大変そうですね。これが全て地下鉄に変わったわけではないのですが、地下鉄の発達で道路も人も楽になっているはず。
映像の中で水神森があったのは特に懐かしい。私はここから電車に乗って砂町へ行きました。
熊野前にはいとこ一家が住んでいました。今では日暮里舎人ライナーもここは走っています。
ナレーターの冷めたトーンがいいですね
今よりも屋根のない停留所が多いだろうから暑いし寒いし雨の日大変
まだ、ボンネットバス🚌が、走っている時代ですね!!🛺
停留所タバコすぱすぱ!
愛煙家には最高です。
当時は他にやること無かったし、タバコでも吸いながら待つしか無いがな。
タイムスリップしてあえてフィルムカメラで撮影したい。あっという間にフィルム無くなるだろうけど。
BGMが怖すぎるwww!
止まりそうで止まらない老朽ディーゼルエンジンの響き・・・みい~んな貧しかった時代。電車軌道で遊ぶ・・危っぶね!
昔の口の悪い大人は子供の事を面と向かって「ジャリ」と言ってた。
「ジャリ、どこいくんだ?」特に悪気はなくこれでフレンドリーな会話。
この時代の車は事故を起こすと今現在と違い運転席迄完全につぶれてしまいドライバーも即死か重症のどちらかのダメージ受けないと行けない時代だったな。
昔は駅のホームやバスの停留所とか当たり前のように大人がタバコ吸ってて煙モクモクだったですね。しかもそこに吸わない人がいようが学生や子供がいようがお構いなし。今じゃ考えられないですよね
それに線路には吸い殻が当たり前のように捨てられていた。
BGMは黛敏郎さん作曲ですかね?恐怖心をあおるような効果に子供心にとても苦痛だったことを思い出します。