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幼き頃の自分が映ってます。母にこちらの動画を見せたところ、涙ぐみとても懐かしんでいました。動画をアップして頂きありがとうございます。
この場所は、今はどの町名に、なっていますか?また、映画ボクは五才のラストシーンの場所を御存じないですか?
本当に😮😮😮😮!凄い!
映画「わが町」の舞台ですね。30年前埼玉県から辻󠄀調理技術研究所で出て来ました。今は豊中😅
@@ストリングフェローホークさんコメントに気付かず失礼しました。町名は今も山王ですね。父が他界しまだ母が一人で住んでます。映画のラストシーン、映画を見てないので存じ上げませんが機会があれば見てみたいです😊
@@omoya1137さんそうでしたか。地元が舞台の映画は存じ上げませんでした。私は嫁いで今は別の区に住んでます。
昔のテレビは良いよなぁ。誠実さがあるわな
長く探していた映像で今日見つけたとき飛び上がるほど嬉しかったです。この風情を感じたくて毎月この地を訪れています。
Egg Baconさんコメント有難うございます。僕もこの映像が大好きで古いレコーダに入ってたのを古き良き時代を沢山の方に知って貰いたくてUPしてみました。喜んで頂けたなら幸いです(^_^)
大阪が大阪らしかった時代ですね私が小学生だった頃の映像ですが非常に懐かしく拝見させて頂きました
大好きな平和ラッパ師匠が映ってる〜嬉しい〜!そこに居るだけで可笑しく、華のある芸人さんだった
上岡龍太郎さんやビートたけしさんはこういう芸人さんから影響を受けたんだろうな。よくトーク番組で語ってるの聞いたけど、人生経験としてはもの凄く貴重だったろうし、今じゃあり得ない風景だもんね。
団之助芸能社の家屋とお地蔵さん、今でもほぼそのままで現存されてます。
今37歳ですが、大阪での学生時代(20歳頃)この番組の再放送を見て感銘を受け、現平和ラッパさんの店に行った覚えがあります!久しぶりに拝見しました。有難う御座います!
shinjiroさんコメント有難うございます。今の平和ラッパ・ハッパさんは芸風は全く違うけど、現役で活躍されていて、二代目ラッパさんとルーキー新一さんの直のお弟子さんなので、先代の想いは今も受け継がれている事が嬉しいですね。1日でも早く芸人さんが普通に活躍できる世界に戻って欲しいと願います。
のんびりした時の流れを感じさせますね。こうした時代がまた来るかな?
芸人が住む横丁が在るなんて、大阪らしいなぁ。楽しそう。きっと笑いが耐えない毎日だったんだろうな
ノスタルジックな映像は懐かしく胸を締め付けられます
昔の映像はナレーションしかなく、当時の人の言葉はほぼ聞けませんがこれは昔の大阪弁が聞けて嬉しいですありがとうございます😂落語でしか聞かない様なコテコテの大阪弁を皆喋ってたんですね床屋のおじさんもえぇ大阪弁ですわ
ナチュラルな大阪弁聞いてて落ち着くなぁ
これほど、素晴らしい記録が残ってたのですね。タイムスリップしてみたいです。アップ、ありがとうございます😊
昔はよく電車で吉本、松竹芸能の芸人さんを見かけました。懐かしい。
この動画に写っている多くの方はすでに天寿を全うされていることと思います。どんな人生だったのかと考えるととてもノスタルジックな気持ちになります。
からあげさんコメント有難うございます。そうですね。ほぼ亡くなられた方が多いでしょうね。でも今の不穏な世の中と比べたら、幸せな気持ちで旅立たれた人が多かったと信じたいです。
今日再放送されていました。いい番組ですね。
古い記憶に触れることができました。感謝しますありがとうございます
まるこさんコメント有難うございます。喜んで頂けたなら幸いです( ˆ๐ˆ )大阪も日本全体も活気があって明るい未来を信じて疑わなかったあの頃を思うと少し切なくなりますねぇ。
最後の陸橋から橙色の環状線を臨む場面、懐かしすぎて涙が出そうになりました😢
良い時代の日本だ。涙が出そう。
M Yasさんコメント有難うございます。もうあの頃の日本には二度と戻る事が無いと思うと、余計に切なくなりますね(´; ω ;`)
この番組、1971年4月放送だという。あの大阪万博の翌年にあたる……。
おとろしや喜昇さんが出演されていた番組はフジテレビ系列にて生放送されていた「テレビナイトショー」という番組です。火曜日の放送が関西テレビの製作担当で司会がミヤコ蝶々さんだったそうです。(Wikipediaより)おそらく製作局の関西テレビにも当時の映像は無いと思うのでこういうドキュメンタリー番組の中でその一部や裏側が写っているのも貴重な映像かなと思います。
最後の巡業に出発するシーンかっこよかった
この映像の時代に生きていたのですが 改めて気が付いたのですが 中年婦人がかっぽう着を着ている方が多い。いまみなくなったなあ。。
かっぽう着見いひんなりましたね。自分は1970年代生まれですけど、おばあちゃんはよく着てましたし、近所の婦人会で何か作る時は皆さんかっぽう着を着てた記憶ありますけど、現在は皆さんエプロンかな?それにしても、かっぽう着も売ってる所無うなったしね。なんか昭和が遠く感じるなぁ。
懐かしい風景です。近くの阿倍野斎場前で生まれました。本放送の時観た記憶が有ります。当時九歳、ラッパ日左丸のファンでした。 はっはぁっー、さいなら~
芸人さんの「住まい」を取り上げた作品はそうそうないでしょうから、かなり貴重ですね。「鶴瓶・上岡パペポTV」で鶴瓶さんが六代目松鶴師匠のところで過ごした内弟子時代の話をしてはりましたがこの作品を見てやっとその「画」が浮かびました。いや、すごいですね、これは。
自分の父親と同じ喋りです。 涙が出てきました。 自分の子供たちに見せたい番組です。 子供たちの言葉は半分標準語になってもうて時の流れを痛感します。
失われた日本。。。懐古厨と言われてもいいけど昔ってなんか情緒があって良いな。
今も山王はこんな雰囲気残ってます❗レトロな感じがいいですね👍
映画ボクは五才のラストシーンの場所を御存じないですか?
私がまだ2~3歳の頃ですね。ハンチング被ったおっちゃん、毛糸のチョッキ、買い物かご、赤ちゃんおんぶして半纏着てるお母さん。うっすら記憶にあって懐かしい。家にある昭和のアルバムを見返してみよう。
4:38 この場所まだ残っているそうですね。他から仕入れた情報を元にグーグルストリートビューで見てみましたら、確かに残っていました。というか、この周りの古民家も結構残っていて驚きました。時代が戦後すぐのまま止まっているような感覚になりました。空き家で廃墟状態のところもありますが、住民(芸人さんかその家族はわかりませんが)がまだ住んでおられるところも多いようで・・・。てんのじ村の石碑のすぐ横に阪神高速環状線の阿倍野入口がありますが、てっきり高速道路の建設と同時にみんな立ち退きになったものだと思いこんでおりました・・・。
「ぶっちゃけた話」という言葉は若者言葉だと思っていました
画質が鬼のように綺麗
大阪好きです。サラリーマン時代の思いではせつないばかりでしたが大阪がんばれーの思いです。ありがとう
斑目武さんコメント有難うございます。僕は京都生まれの京都育ちですが、大阪大好きです。特に新世界辺りに行くと、活気があって改めて生きてるなぁという思いを実感します(^ω^)早くこの不穏な世の中から抜け出して元の活気のある大阪に戻って欲しいと切に願いますね。
近年の大阪もビルが立ち並ぶ「無機質な街」になりかけている中で、まだまだ風情が残る街があると帰って来たなぁと実感する。こういう風情こそが人が生きて、街を作る。久々になんかほっとした感覚になりました。もう一度、難波利三の「てんのじ村」を読み返したいと思います。
貴重過ぎるなこの映像、動くラッパなんか中々見れんぞ。
嫌韓太郎さんコメント有難うございます。子供の頃動くラッパさんよくテレビで見てました(笑)今のコンプライアンス重視のテレビでは絶対に出てくることの無い芸人さんですよねぇ。
芸人さんって格好良いですね
ありがとうございました。良き昔の大阪天王寺の芸人の下町物語でしたね。風景も芸事も懐かしいですね。
懐かしの関西弁では無い大阪弁が聞けて嬉しい。おばあちゃんを思い出す。
ラッパ師匠の散髪シーンは、ドキドキしました。
半世紀くらい前ですかね。いまとはずいぶんと違う、しかし確かに今と地続きな感じがしてまるっきり違う時代の別世界ではない不思議な感じ。カラーなのもなにか不思議。自分の子供の頃はこんなだったかなぁ、でも大阪の下町のこの空気感はドラマや時代劇にもない独特な柔らかさ。スターやタレントではない「芸人さん」の佇まいも好ましい。
お浜・小浜 や人生幸朗・生恵幸子が住んでました。六代目松鶴、五代目文枝は人生師匠のお宅へ良く通ってたらしいですね😄
素晴らしい映像🎉
感動しました。アップありがとうございました。
懐かしい、子供の頃の大阪の風景やわ。みんな老けて見えるな、当時の古い大阪弁やな。
27:31 阿部野橋から臨む103系が走る環状線と天王寺動物園越しの通天閣かな。今とそこまで変わりない風景で感動した。
その大阪環状線の車両は103系や201系を経て、新型車両の323系に変わってしまった……。時代の流れを感じる。この番組がOAされてから9年後には、あの“漫才ブーム”があったそうだ。
なんかほのぼのしてるなぁ~
懐かしさを通り越した昔の話やけど、面白そうな時代や。
松竹、吉本でない中小の芸能事務所があったんですね🎵うちのお祖父さんは1899年生まれですが特に笑う事もなく死んでいきました。お笑いを見せてあげたかった
20年ちかく前、日曜深夜の「NHKアーカイブス」で放送されたことがあり、その記憶がよみがえってきました。一般庶民のくらしの中で、今のように斜め上を行こうとしない、素直な笑いがあったのだとわかりました。
今と違って多様性とか個の時代とかじゃなくて横のつながりや地域社会で助け合いみたいなのが残ってる時代だよな。そういう時代にはそういう時代のしんどさやわずらわしさがあるんだが。デモなんでこの時代に生きてみたいと俺はこんなに思うんだろう。
80年代中頃まで、おはまこはまの家具屋のチラシが新聞に入っていたのを思い出しました。
砂川捨丸師匠の鼓の漫才は令和の今では「すえひろがりず」ですな。
横丁の将棋の名人こと吉田茂師匠は難波利三氏の小説『てんのじ村』の主人公のモデル。
挨拶が、しっかりしてはる✨✨✨✨🎵
本来の芸人さんってカッコいいんですね。わたしは芸人はVTR観ながら「すげえー」「なんでだよー」と言うだけの仕事だと勘違いしてました。
今のご時世、そんな認識になってしまってますね。「芸人」ですから、本来は「芸を生業にする人」のことです。
3:10 ここだけ見たら2022年でも違和感ないから、麻雀の不変さの凄さを感じる
打ってるオッチャンたちは昭和臭満載だけどね笑
こういう芸人さんはもう出ないでしょう😊
ベースの関西弁は今も同じだけど 語尾が今とはところどころ違うな
貧乏でもエエ、売れんでもエエ、それでも芸人で生きて行く、それぐらいの気概で頑張ってた方々ですね。今の芸人はタレントかぶれしてますね。
古い動画なのに観て頂いてありがとうございます😊昔の芸人さんは皆さん師匠がおられて、海原、若井、中田、太平、上方など屋号が付いてるのが当たり前で、今の芸人みたいに勝手によく分からん芸名付けてるのは弟子修行もしていないからつまらない芸人が多いのが分かりますね。
古チックな感じがたまりません❤
今朝のNHK BSプレミアムの『よみがえる新日本紀行 』という番組で、この回が放送されました。番組では現在の山王町の町並みと合わせて紹介されました。現在もここに住んでおられる芸人さんもいらっしゃるのだとか。
Wikipediaによると1925年(大正14年)4月1日 大阪市第二次市域拡張によって新設の住吉区に編入され、大阪市住吉区天王寺町となる。1929年(昭和4年) 天王寺町より山王町(1 - 4丁目)が成立。1943年(昭和18年)4月1日 区の境界変更によって西成区へ転属。ってなってるから放送時(昭和46年)は西成区山王町やったんかな?今やここは飛田新地のほうで有名ですね。
冨田勲のテーマ音楽にやられる(泣) 中学生の頃、YMOなどの影響でシンセサイザーに興味が湧いて冨田勲を知った。その時よく観ていた「新日本紀行」のテーマ音楽が彼の作曲と知って物凄く感動したのを覚えている。彼のアルバム「展覧会の絵」は必聴ですよ!
クラウスシュルツやマイクオールドフィールドもヨロシクです🎵
アニメ「ジャングル大帝」のオープニング曲もいいですね。
@@kobutamoti 壮大でイイですよね。子供向けのアニメには贅沢な楽曲ですよね。
冨田勲さんは『新日本紀行』の他に、大河ドラマでも大活躍!!『花の生涯』に、『天と地と』『新・平家物語』『勝海舟』『徳川家康』がありました。因みに仲代達矢さんが出演した『新・平家物語』のDVDは小生の手元にある。
こんなん連れてやってます❗苦労しまっせ~!ほなーしゃいなら~!子供の頃、ええ年して、おかしなオッサンやなと。行き付けの床屋、ここでしたか❗
今のおしゃれメガネとこの時のメガネ、一緒なのね!
20:20ごろにミヤコ蝶々さんと写ってるの香川登志緒先生ちゃいますか?
そうですよ 若き蝶々さん香川先生です
山王交差点のちょっと上のとこか天王寺と動物園の間
昭和46年放送みたいですね戦災でも焼けなかったから昔の面影が残っている22:14 左からミヤコ蝶々、 花菱アチャコ、香川登志緒?淡々とした標準語ナレーションが時代を感じる。今の時代ならナレーションも大阪弁かも
花菱アチャコ先生の晩年かもしれない。これはレアもんです。
2:30 あまりにもカメラが近づきすぎてて吹き出しました
飛田新地や新世界ジャンジャン横丁、釜ヶ崎、阿部野橋に隣接する大阪のディープゾーンやね
22:50 演出の範囲内ですw
阿部野橋からだあっと下がってったとこやね
懐かしく何か切ない感じがします、昭和の芸人さんって皆さん芸達者だったんですね、三味線、ヴァイオリン、鼓等言わいる音曲漫才の走りだった、天才漫才師砂川捨丸さんが芸人横丁に居た事初めて知りました、平和ラッパさん懐かしいです、其れと製本会社に就職の息子さん”ミスターオクレ”さんと違うの??
eiji nannkouさんコメントありがとうございますー(^^)昔の芸人さんはしゃべくりにしろ、音曲にしろ、読んで字の如く、芸がある人がホントの芸人さんでしたよねぇ。今の芸人は一部を除いて何も売りに出来る芸を持ってるわけでもなく、ただの立ち話の延長が多くて寂しいですね。ちなみに、印刷工場に就職する息子さんはオクレさんではないですね^_^;
ここに登場してるのは二代目砂川捨丸ですね。天才と呼ばれてたのは初代捨丸で、私らが子供の頃に土曜日の朝日放送道頓堀角座の寄席中継でよく拝見してた「漫才のォー骨董品でございましてねぇ(ポン)」と言ってたおじいさんです。この映像の二代目捨丸さんは初代が戦前に一時期引退した時に二代目を継いだんですが、初代が戦後に舞台復帰してまた人気者になってしまい、捨丸が二人居るのはおかしいので仕方なく、天王寺村に引っ込んで第一線から退いてしまいました。初代が亡くなった後でも表へ出ることもなくこの映像のような生活をされていたんですね。
この番組の本放送当時は初代も健在だったから少しややこしい。中村春代にどつかれてるのが初代。二代目はもろもろの事情があって長い間舞台に出ていなかったのでは?なので、この放送中なぜか一言もしゃべらない。
@@mattandayo 芸達者、芸があることが芸人であるという会話の中にミスターオクレさんの名前が出ているのに興味があるのですが、お二人にとって天然とされる芸人や、取り分けオクレさんは芸人の範疇に入るのですか?( ゚д゚)?
@@ochitarou オクレさんは今でこそ吉本新喜劇でヘタレな感じでやってられますけど、昔、ザ・パンチャーズと言うトリオで歌謡ショーやってた頃から、ギタリストの腕は超一流だそうですよ。能ある鷹は爪を隠すていうやつですね(^ω^)披露される機会が無いのか、あえて自分で封印されてるのかは分からないですけど、世間にあまり知られてないのは勿体ない事だと思います。
この時分のペットの食事は大変。今みたいに色々ないから。
この時代が良かったな~
なやラッパ、タクシーつこうて床屋に乗り付けるんかい、えろう豪気やないか。
たしかこの場所には芸人達が通っていた食堂が現役で残ってるはず。
MDさんコメント有難うございます。そうなんですねぇ。今もそう言うお店が現役で営業してられるのは嬉しい事ですよね(^ω^)昔まだ京都花月があった頃近所の定食屋さんでよく芸人さんを見ました。もうお店はかなり前に無くなりましたけど( ; _ ; )若井こづえさんが安い定食食べてはったり、中田ボタンさんが弟子に説教してるところとかに遭遇した事があります(笑)
つい最近関西ローカルの夕方ワイド番組で昔撮った写真の場所を探すと言うコーナーで西成の芸人横丁が紹介されてました。
兵動氏のコーナーですね☺️
@@ジャムじじぃ さん返信コメントよせて頂き恐縮です。当たりです。カンテレの夕方ワイドの報道ランナーの矢野・兵動の兵動のコーナーです。
@@次郎吉ヨタハチ小僧-x8q さんへやはりそうでしたか😊 私は金曜のこのコーナーが好きなんで😁 しかし最近、裏番組の「ナニバーサリー」のコーナーも気になり、ちょくちょく浮気しちゃいます(笑)
@@ジャムじじぃ さん返信恐縮です。ありますよね‼️そういうの😓
漫才の骨董品さんが真面目に鼓の稽古姿は珍しい。
大阪府の天王寺山王町でググったら、飛田新地とあびこ筋の間にある町がでてきた。グーグルビューで見たらいまだに瓦ぶきの家があって、時間が止まってる感じ。1971年(昭和46年)というと、ダウンタウンの2人が8歳の頃か。
ごんだいなごんだいなごやんさんコメント有難うございます。昭和46年は大阪万博も終わって大阪も日本全体も活気に溢れていた時代でしたねぇ。誰もが明るい未来を信じてた時代が懐かしいです(*´ω`*)ちなみに僕はダウンタウンより2つ歳下なので6歳でした(^ω^)
飛田新地、今は触れてはいけなくなるなりました。なんか嫌な時代生きずらい時代です
自民党前大阪市議の柳本顕さんの地元ですね。
なんでこんな古臭い動画がおすすめに出てきたんだろうおちょやん関係からか?見入ってしまったよ
これが大阪弁
昭和45年頃の映画ボクは五才のラストシーンの場所を探しているのですが、御存じの方いらしゃいませんか?
うちの大学、この動画を見て感想書けっていう課題出たわ
社会共生学で笑う
@@hayao_lol 受講生ですか?
@@睾丸佳浩 受講してますます感想もなにも、ほぇ~しか出えへんから困っとる最中でんがなまんがな
@@hayao_lol 自分、400文字しか書かずに出しました。学部はさすがにあれなんで、学年だけ聞いてもいいですか!
@@睾丸佳浩 ピチピチの1年生です
この時代のコテコテな大阪弁、今は落語家か相当なお年寄りしか喋ってないんだよなぁ……
海原お浜小浜!?やすとものおばあちゃん笑
海原お浜小浜さんの写真一瞬、なんで海原やすよが?と思うくらい😅生き写しや。 孫がM1の審査員やるなんてねぇー。
@@たた-e5w ですね!あれ?と思ったらおばあちゃん笑M-1ちょっと楽しみです!
お笑い芸人も住む所も、すっかり変わってしまった……。
大阪西成辺りに宿泊したさいここらを知らずに歩いた
おとろしやきしょうさん縮められてかわいそうやなぁ
じゃりン子チエの世界やねー
17:25 オクレさんじゃないか。
生まれてへんぞ、あほんだら
というかオクレさんの持ち味がこのころの芸人のノスタルジーなんやろな。
笑福亭松鶴、人生幸郎もてんのじ村にいたそうです。厳密に言えば大阪には下町、横丁という言葉は本来ありません。映る舞台は新花月ですね。
確かに。横丁とは言わずに「すじ」「辻」とかって言ってましたよね。
法善寺横丁は?
@@kkmck_a 元は法善寺横丁とはいいませんでした。長谷川幸延のせいですね。「♪包丁一本 さらしに巻いて」月の法善寺横丁のヒットもあり、東西の入口にある看板も藤山寛美氏や三代目桂春團治師による筆も横丁となっておますが、正しくは法善寺横町です。
今やお笑い芸人は超高級マンション住まい。
当時でも売れっ子の芸人はええ所住んでたよ。
エンディングは明るく締めてはいるが....
メガネの若い子、後のオクレ兄さん。
22:14 香川 登志緒 ミヤコ蝶々 花菱アチャコ お宝映像
BK(NHK大阪)の作品かな?
2:28 顔近っ
ええ時代あなあ。昭和45年前後??
買い物のシーンでは、昔懐かしの“買い物かご”があったそうだ。“レジ袋”や“マイバック”を使っている者にとっては“時代を感じる”思いでたまらない。
幼き頃の自分が映ってます。母にこちらの動画を見せたところ、涙ぐみとても懐かしんでいました。動画をアップして頂きありがとうございます。
この場所は、今はどの町名に、なっていますか?
また、映画ボクは五才のラストシーンの場所を御存じないですか?
本当に😮😮😮😮!
凄い!
映画「わが町」の舞台ですね。30年前埼玉県から辻󠄀調理技術研究所で出て来ました。今は豊中😅
@@ストリングフェローホークさん
コメントに気付かず失礼しました。町名は今も山王ですね。父が他界しまだ母が一人で住んでます。映画のラストシーン、映画を見てないので存じ上げませんが機会があれば見てみたいです😊
@@omoya1137さん
そうでしたか。地元が舞台の映画は存じ上げませんでした。私は嫁いで今は別の区に住んでます。
昔のテレビは良いよなぁ。誠実さがあるわな
長く探していた映像で今日見つけたとき飛び上がるほど嬉しかったです。
この風情を感じたくて毎月この地を訪れています。
Egg Baconさん
コメント有難うございます。
僕もこの映像が大好きで古いレコーダに入ってたのを古き良き時代を沢山の方に知って貰いたくてUPしてみました。
喜んで頂けたなら幸いです(^_^)
大阪が大阪らしかった時代ですね
私が小学生だった頃の映像ですが非常に懐かしく拝見させて頂きました
大好きな平和ラッパ師匠が映ってる〜嬉しい〜!そこに居るだけで可笑しく、華のある芸人さんだった
上岡龍太郎さんやビートたけしさんはこういう芸人さんから影響を受けたんだろうな。よくトーク番組で語ってるの聞いたけど、人生経験としてはもの凄く貴重だったろうし、今じゃあり得ない風景だもんね。
団之助芸能社の家屋とお地蔵さん、今でもほぼそのままで現存されてます。
今37歳ですが、大阪での学生時代(20歳頃)この番組の再放送を見て感銘を受け、現平和ラッパさんの店に行った覚えがあります!
久しぶりに拝見しました。有難う御座います!
shinjiroさん
コメント有難うございます。
今の平和ラッパ・ハッパさんは芸風は全く違うけど、現役で活躍されていて、二代目ラッパさんとルーキー新一さんの直のお弟子さんなので、先代の想いは今も受け継がれている事が嬉しいですね。
1日でも早く芸人さんが普通に活躍できる世界に戻って欲しいと願います。
のんびりした時の流れを感じさせますね。こうした時代がまた来るかな?
芸人が住む横丁が在るなんて、大阪らしいなぁ。楽しそう。きっと笑いが耐えない毎日だったんだろうな
ノスタルジックな映像は懐かしく胸を締め付けられます
昔の映像はナレーションしかなく、
当時の人の言葉はほぼ聞けませんが
これは昔の大阪弁が聞けて嬉しいです
ありがとうございます😂
落語でしか聞かない様なコテコテの大阪弁を皆喋ってたんですね
床屋のおじさんもえぇ大阪弁ですわ
ナチュラルな大阪弁聞いてて落ち着くなぁ
これほど、素晴らしい記録が残ってたのですね。タイムスリップしてみたいです。アップ、ありがとうございます😊
昔はよく電車で吉本、松竹芸能の芸人さんを見かけました。懐かしい。
この動画に写っている多くの方はすでに天寿を全うされていることと思います。
どんな人生だったのかと考えるととてもノスタルジックな気持ちになります。
からあげさん
コメント有難うございます。
そうですね。ほぼ亡くなられた方が多いでしょうね。
でも今の不穏な世の中と比べたら、幸せな気持ちで旅立たれた人が多かったと信じたいです。
今日再放送されていました。
いい番組ですね。
古い記憶に触れることができました。
感謝します
ありがとうございます
まるこさん
コメント有難うございます。
喜んで頂けたなら幸いです( ˆ๐ˆ )
大阪も日本全体も活気があって明るい未来を信じて疑わなかったあの頃を思うと少し切なくなりますねぇ。
最後の陸橋から橙色の環状線を臨む場面、懐かしすぎて涙が出そうになりました😢
良い時代の日本だ。
涙が出そう。
M Yasさん
コメント有難うございます。
もうあの頃の日本には二度と戻る事が無いと思うと、余計に切なくなりますね(´; ω ;`)
この番組、1971年4月放送だという。あの大阪万博の翌年にあたる……。
おとろしや喜昇さんが出演されていた番組はフジテレビ系列にて生放送されていた「テレビナイトショー」という番組です。火曜日の放送が関西テレビの製作担当で司会がミヤコ蝶々さんだったそうです。(Wikipediaより)おそらく製作局の関西テレビにも当時の映像は無いと思うのでこういうドキュメンタリー番組の中でその一部や裏側が写っているのも貴重な映像かなと思います。
最後の巡業に出発するシーンかっこよかった
この映像の時代に生きていたのですが 改めて気が付いたのですが 中年婦人がかっぽう着を着ている方が多い。いまみなくなったなあ。。
かっぽう着見いひんなりましたね。自分は1970年代生まれですけど、おばあちゃんはよく着てましたし、近所の婦人会で何か作る時は皆さんかっぽう着を着てた記憶ありますけど、現在は皆さんエプロンかな?それにしても、かっぽう着も売ってる所無うなったしね。なんか昭和が遠く感じるなぁ。
懐かしい風景です。近くの阿倍野斎場前で生まれました。本放送の時観た記憶が有ります。当時九歳、ラッパ日左丸のファンでした。 はっはぁっー、さいなら~
芸人さんの「住まい」を取り上げた作品はそうそうないでしょうから、かなり貴重ですね。
「鶴瓶・上岡パペポTV」で鶴瓶さんが六代目松鶴師匠のところで過ごした内弟子時代の話をしてはりましたが
この作品を見てやっとその「画」が浮かびました。いや、すごいですね、これは。
自分の父親と同じ喋りです。 涙が出てきました。 自分の子供たちに見せたい番組です。 子供たちの言葉は半分標準語になってもうて時の流れを痛感します。
失われた日本。。。
懐古厨と言われてもいいけど
昔ってなんか情緒があって良いな。
今も山王はこんな雰囲気残ってます❗
レトロな感じがいいですね👍
映画ボクは五才のラストシーンの場所を御存じないですか?
私がまだ2~3歳の頃ですね。
ハンチング被ったおっちゃん、毛糸のチョッキ、買い物かご、赤ちゃんおんぶして半纏着てるお母さん。うっすら記憶にあって懐かしい。
家にある昭和のアルバムを見返してみよう。
4:38 この場所まだ残っているそうですね。
他から仕入れた情報を元にグーグルストリートビューで見てみましたら、確かに残っていました。
というか、この周りの古民家も結構残っていて驚きました。
時代が戦後すぐのまま止まっているような感覚になりました。
空き家で廃墟状態のところもありますが、住民(芸人さんかその家族はわかりませんが)がまだ住んでおられるところも多いようで・・・。
てんのじ村の石碑のすぐ横に阪神高速環状線の阿倍野入口がありますが、てっきり高速道路の建設と同時にみんな立ち退きになったものだと思いこんでおりました・・・。
「ぶっちゃけた話」という言葉は若者言葉だと思っていました
画質が鬼のように綺麗
大阪好きです。サラリーマン時代の思いではせつないばかりでしたが大阪がんばれーの思いです。ありがとう
斑目武さん
コメント有難うございます。
僕は京都生まれの京都育ちですが、大阪大好きです。
特に新世界辺りに行くと、活気があって改めて生きてるなぁという思いを実感します(^ω^)
早くこの不穏な世の中から抜け出して元の活気のある大阪に戻って欲しいと切に願いますね。
近年の大阪もビルが立ち並ぶ「無機質な街」になりかけている中で、まだまだ風情が残る街があると帰って来たなぁと実感する。
こういう風情こそが人が生きて、街を作る。久々になんかほっとした感覚になりました。
もう一度、難波利三の「てんのじ村」を読み返したいと思います。
貴重過ぎるなこの映像、動くラッパなんか中々見れんぞ。
嫌韓太郎さん
コメント有難うございます。
子供の頃動くラッパさんよくテレビで見てました(笑)
今のコンプライアンス重視のテレビでは絶対に出てくることの無い芸人さんですよねぇ。
芸人さんって格好良いですね
ありがとうございました。
良き昔の大阪天王寺の芸人の下町物語でしたね。
風景も芸事も懐かしいですね。
懐かしの関西弁では無い大阪弁が聞けて嬉しい。おばあちゃんを思い出す。
ラッパ師匠の散髪シーンは、ドキドキしました。
半世紀くらい前ですかね。いまとはずいぶんと違う、しかし確かに今と地続きな感じがしてまるっきり違う時代の別世界ではない不思議な感じ。カラーなのもなにか不思議。自分の子供の頃はこんなだったかなぁ、でも大阪の下町のこの空気感はドラマや時代劇にもない独特な柔らかさ。スターやタレントではない「芸人さん」の佇まいも好ましい。
お浜・小浜 や人生幸朗・生恵幸子が住んでました。六代目松鶴、五代目文枝は人生師匠のお宅へ良く通ってたらしいですね😄
素晴らしい映像🎉
感動しました。
アップありがとうございました。
懐かしい、子供の頃の大阪の風景やわ。みんな老けて見えるな、当時の古い大阪弁やな。
27:31 阿部野橋から臨む103系が走る環状線と天王寺動物園越しの通天閣かな。
今とそこまで変わりない風景で感動した。
その大阪環状線の車両は103系や201系を経て、新型車両の323系に変わってしまった……。時代の流れを感じる。この番組がOAされてから9年後には、あの“漫才ブーム”があったそうだ。
なんかほのぼのしてるなぁ~
懐かしさを通り越した昔の話やけど、面白そうな時代や。
松竹、吉本でない中小の芸能事務所があったんですね🎵うちのお祖父さんは1899年生まれですが特に笑う事もなく死んでいきました。お笑いを見せてあげたかった
20年ちかく前、日曜深夜の「NHKアーカイブス」で放送されたことがあり、その記憶がよみがえってきました。
一般庶民のくらしの中で、今のように斜め上を行こうとしない、素直な笑いがあったのだとわかりました。
今と違って多様性とか個の時代とかじゃなくて
横のつながりや地域社会で助け合いみたいなのが
残ってる時代だよな。
そういう時代にはそういう時代のしんどさや
わずらわしさがあるんだが。
デモなんでこの時代に生きてみたいと
俺はこんなに思うんだろう。
80年代中頃まで、おはまこはまの家具屋のチラシが新聞に入っていたのを思い出しました。
砂川捨丸師匠の鼓の漫才は令和の今では「すえひろがりず」ですな。
横丁の将棋の名人こと吉田茂師匠は難波利三氏の小説『てんのじ村』の主人公のモデル。
挨拶が、しっかりしてはる✨✨✨✨🎵
本来の芸人さんってカッコいいんですね。わたしは芸人はVTR観ながら「すげえー」「なんでだよー」と言うだけの仕事だと勘違いしてました。
今のご時世、そんな認識になってしまってますね。
「芸人」ですから、本来は「芸を生業にする人」のことです。
3:10 ここだけ見たら2022年でも違和感ないから、麻雀の不変さの凄さを感じる
打ってるオッチャンたちは昭和臭満載だけどね笑
こういう芸人さんはもう出ないでしょう😊
ベースの関西弁は今も同じだけど 語尾が今とはところどころ違うな
貧乏でもエエ、売れんでもエエ、それでも芸人で生きて行く、それぐらいの気概で頑張ってた方々ですね。今の芸人はタレントかぶれしてますね。
古い動画なのに観て頂いてありがとうございます😊
昔の芸人さんは皆さん師匠がおられて、海原、若井、中田、太平、上方など屋号が付いてるのが当たり前で、今の芸人みたいに勝手によく分からん芸名付けてるのは弟子修行もしていないからつまらない芸人が多いのが分かりますね。
古チックな感じがたまりません❤
今朝のNHK BSプレミアムの『よみがえる新日本紀行 』という番組で、この回が放送されました。番組では現在の山王町の町並みと合わせて紹介されました。現在もここに住んでおられる芸人さんもいらっしゃるのだとか。
映画ボクは五才のラストシーンの場所を御存じないですか?
Wikipediaによると
1925年(大正14年)4月1日 大阪市第二次市域拡張によって新設の住吉区に編入され、大阪市住吉区天王寺町となる。
1929年(昭和4年) 天王寺町より山王町(1 - 4丁目)が成立。
1943年(昭和18年)4月1日 区の境界変更によって西成区へ転属。
ってなってるから放送時(昭和46年)は西成区山王町やったんかな?
今やここは飛田新地のほうで有名ですね。
冨田勲のテーマ音楽にやられる(泣) 中学生の頃、YMOなどの影響でシンセサイザーに興味が湧いて冨田勲を知った。その時よく観ていた「新日本紀行」のテーマ音楽が彼の作曲と知って物凄く感動したのを覚えている。彼のアルバム「展覧会の絵」は必聴ですよ!
クラウスシュルツやマイクオールドフィールドもヨロシクです🎵
アニメ「ジャングル大帝」のオープニング曲もいいですね。
@@kobutamoti 壮大でイイですよね。子供向けのアニメには贅沢な楽曲ですよね。
冨田勲さんは『新日本紀行』の他に、大河ドラマでも大活躍!!『花の生涯』に、『天と地と』『新・平家物語』『勝海舟』『徳川家康』がありました。因みに仲代達矢さんが出演した『新・平家物語』のDVDは小生の手元にある。
こんなん連れてやってます❗苦労しまっせ~!ほなーしゃいなら~!子供の頃、ええ年して、おかしなオッサンやなと。行き付けの床屋、ここでしたか❗
今のおしゃれメガネとこの時のメガネ、一緒なのね!
20:20ごろにミヤコ蝶々さんと写ってるの香川登志緒先生ちゃいますか?
そうですよ 若き蝶々さん香川先生です
山王交差点のちょっと上のとこか
天王寺と動物園の間
昭和46年放送みたいですね
戦災でも焼けなかったから昔の面影が残っている
22:14 左からミヤコ蝶々、 花菱アチャコ、香川登志緒?
淡々とした標準語ナレーションが時代を感じる。今の時代ならナレーションも大阪弁かも
花菱アチャコ先生の晩年かもしれない。これはレアもんです。
2:30 あまりにもカメラが近づきすぎてて吹き出しました
飛田新地や新世界ジャンジャン横丁、釜ヶ崎、阿部野橋に隣接する大阪のディープゾーンやね
22:50 演出の範囲内ですw
阿部野橋からだあっと下がってったとこやね
懐かしく何か切ない感じがします、昭和の芸人さんって皆さん芸達者だったんですね、三味線、ヴァイオリン、鼓等言わいる音曲漫才の走りだった、天才漫才師砂川捨丸さんが芸人横丁に居た事初めて知りました、平和ラッパさん懐かしいです、其れと製本会社に就職の息子さん”ミスターオクレ”さんと違うの??
eiji nannkouさん
コメントありがとうございますー(^^)
昔の芸人さんはしゃべくりにしろ、音曲にしろ、読んで字の如く、芸がある人がホントの芸人さんでしたよねぇ。
今の芸人は一部を除いて何も売りに出来る芸を持ってるわけでもなく、ただの立ち話の延長が多くて寂しいですね。
ちなみに、印刷工場に就職する息子さんはオクレさんではないですね^_^;
ここに登場してるのは二代目砂川捨丸ですね。
天才と呼ばれてたのは初代捨丸で、私らが子供の頃に土曜日の朝日放送道頓堀角座の寄席中継でよく拝見してた「漫才のォー骨董品でございましてねぇ(ポン)」と言ってたおじいさんです。
この映像の二代目捨丸さんは初代が戦前に一時期引退した時に二代目を継いだんですが、初代が戦後に舞台復帰してまた人気者になってしまい、捨丸が二人居るのはおかしいので仕方なく、天王寺村に引っ込んで第一線から退いてしまいました。初代が亡くなった後でも表へ出ることもなくこの映像のような生活をされていたんですね。
この番組の本放送当時は初代も健在だったから少しややこしい。
中村春代にどつかれてるのが初代。
二代目はもろもろの事情があって長い間舞台に出ていなかったのでは?
なので、この放送中なぜか一言もしゃべらない。
@@mattandayo 芸達者、芸があることが芸人であるという会話の中にミスターオクレさんの名前が出ているのに興味があるのですが、お二人にとって天然とされる芸人や、取り分けオクレさんは芸人の範疇に入るのですか?( ゚д゚)?
@@ochitarou
オクレさんは今でこそ吉本新喜劇でヘタレな感じでやってられますけど、昔、ザ・パンチャーズと言うトリオで歌謡ショーやってた頃から、ギタリストの腕は超一流だそうですよ。能ある鷹は爪を隠すていうやつですね(^ω^)
披露される機会が無いのか、あえて自分で封印されてるのかは分からないですけど、世間にあまり知られてないのは勿体ない事だと思います。
この時分のペットの食事は大変。今みたいに色々ないから。
この時代が良かったな~
なやラッパ、タクシーつこうて床屋に乗り付けるんかい、えろう豪気やないか。
たしかこの場所には
芸人達が通っていた食堂が現役で残ってるはず。
MDさん
コメント有難うございます。
そうなんですねぇ。今もそう言うお店が現役で営業してられるのは嬉しい事ですよね(^ω^)
昔まだ京都花月があった頃近所の定食屋さんでよく芸人さんを見ました。もうお店はかなり前に無くなりましたけど( ; _ ; )
若井こづえさんが安い定食食べてはったり、中田ボタンさんが弟子に説教してるところとかに遭遇した事があります(笑)
つい最近関西ローカルの夕方ワイド番組で昔撮った写真の場所を探すと言うコーナーで西成の芸人横丁が紹介されてました。
兵動氏のコーナーですね☺️
@@ジャムじじぃ さん
返信コメントよせて頂き恐縮です。
当たりです。
カンテレの夕方ワイドの報道ランナーの矢野・兵動の兵動のコーナーです。
@@次郎吉ヨタハチ小僧-x8q さんへ
やはりそうでしたか😊 私は金曜のこのコーナーが好きなんで😁 しかし最近、裏番組の「ナニバーサリー」のコーナーも気になり、ちょくちょく浮気しちゃいます(笑)
@@ジャムじじぃ さん
返信恐縮です。
ありますよね‼️
そういうの😓
漫才の骨董品さんが真面目に鼓の稽古姿は珍しい。
大阪府の天王寺山王町でググったら、飛田新地とあびこ筋の間にある町がでてきた。グーグルビューで見たらいまだに瓦ぶきの家があって、
時間が止まってる感じ。
1971年(昭和46年)というと、ダウンタウンの2人が8歳の頃か。
ごんだいなごんだいなごやんさん
コメント有難うございます。
昭和46年は大阪万博も終わって大阪も日本全体も活気に溢れていた時代でしたねぇ。誰もが明るい未来を信じてた時代が懐かしいです(*´ω`*)
ちなみに僕はダウンタウンより2つ歳下なので6歳でした(^ω^)
飛田新地、今は触れてはいけなくなるなりました。なんか嫌な時代生きずらい時代です
自民党前大阪市議の柳本顕さんの地元ですね。
なんでこんな古臭い動画がおすすめに出てきたんだろう
おちょやん関係からか?
見入ってしまったよ
これが大阪弁
昭和45年頃の映画ボクは五才のラストシーンの場所を探しているのですが、御存じの方いらしゃいませんか?
うちの大学、この動画を見て感想書けっていう課題出たわ
社会共生学で笑う
@@hayao_lol 受講生ですか?
@@睾丸佳浩
受講してますます
感想もなにも、ほぇ~しか出えへんから困っとる最中でんがなまんがな
@@hayao_lol 自分、400文字しか書かずに出しました。
学部はさすがにあれなんで、学年だけ聞いてもいいですか!
@@睾丸佳浩
ピチピチの1年生です
この時代のコテコテな大阪弁、今は落語家か相当なお年寄りしか喋ってないんだよなぁ……
海原お浜小浜!?
やすとものおばあちゃん笑
海原お浜小浜さんの写真
一瞬、なんで海原やすよが?
と思うくらい😅
生き写しや。
孫がM1の審査員やるなんてねぇー。
@@たた-e5w ですね!あれ?と思ったらおばあちゃん笑
M-1ちょっと楽しみです!
お笑い芸人も住む所も、すっかり変わってしまった……。
大阪西成辺りに宿泊したさいここらを知らずに歩いた
おとろしやきしょうさん
縮められてかわいそうやなぁ
じゃりン子チエの世界やねー
17:25 オクレさんじゃないか。
生まれてへんぞ、あほんだら
というかオクレさんの持ち味がこのころの芸人のノスタルジーなんやろな。
笑福亭松鶴、人生幸郎もてんのじ村にいたそうです。
厳密に言えば大阪には下町、横丁という言葉は本来ありません。
映る舞台は新花月ですね。
確かに。横丁とは言わずに「すじ」「辻」とかって言ってましたよね。
法善寺横丁は?
@@kkmck_a 元は法善寺横丁とはいいませんでした。
長谷川幸延のせいですね。「♪包丁一本 さらしに巻いて」月の法善寺横丁のヒットもあり、東西の入口にある看板も藤山寛美氏や三代目桂春團治師による筆も横丁となっておますが、正しくは法善寺横町です。
今やお笑い芸人は超高級マンション住まい。
当時でも売れっ子の芸人はええ所住んでたよ。
エンディングは明るく締めてはいるが....
メガネの若い子、後のオクレ兄さん。
22:14 香川 登志緒 ミヤコ蝶々 花菱アチャコ お宝映像
BK(NHK大阪)の作品かな?
2:28 顔近っ
ええ時代あなあ。昭和45年前後??
買い物のシーンでは、昔懐かしの“買い物かご”があったそうだ。“レジ袋”や“マイバック”を使っている者にとっては“時代を感じる”思いでたまらない。