F1史に残る名物弱小チーム なぜ躍進? ミナルディ最盛期を振り返る【F1歴史解説】【ミナルディ M188/M189/M190】
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- Опубликовано: 12 сен 2024
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この頃のミナルディのカラーリングが一番好き
奇跡の予備予選回避は、凄い話題でした。因みに、メインスポンサーのSCMですが材木屋?らしく、偶然飛行機でマルティニの隣の席になったのが、SCMの社長だったとか。「お仕事何ですの?」「F-1ドライバーやってまんねん」「あらま!よかったらウチの会社がスポンサーになったろか?」みたいな会話があったとか。
あらま!ステキなキセキですわね!
コメント欄を見てこんなに心が温かくなるF1動画はあっただろうか…ミナルディ、大好きだ!
1990年のアメリカGPはマルティニの2番手以外にもピレリタイヤ勢が躍進して、かなり混沌としたスターティンググリッドでしたね。
ポールのマクラーレン(タイヤはGY)のベルガーは順当として、2番手マルティニ、3番手スクーデリアイタリアのチェザリス、4番手ティレルのアレジとピレリタイヤ勢が付け、5番手にマクラーレンのセナ、その後方もピレリタイヤ勢が上位に食い込み、8番手オゼッラのグルイヤール、10番手ブラバムのモデナ、11番手ティレルの中嶋と続く・・・あー懐かしい
確か、土曜日は雨でしたよね。アリゾナに雨。ドラマチックな展開の週末で、私自身TVフル観戦スタートの記念すべきレースでした🎉
佐々木氏(ササキーニ)がチームマネージャーで少ない予算でも楽しくやれるように食事や少量のワインを認めていました。デザインも攻めすぎない冒険しすぎない手堅さは氏のお陰です。イタリアのチームでもイギリスのチームに負けない情熱は参加チーム1番。モーターホームのレストランはF1GPの三ツ星レストランと言われただけあります😂
セナも昼食取りに、ミナルディのモーターホームを、訪ねていたぐらいですからね。
@@user-jb2gf4ux1i キャリア最期はミナルディで無給で乗りたいと話半分の事を言わせるくらいミナルディのモーターホームのパスタ🍝が美味しいなんて凄いこと。そんなセナも不慮の事故で亡くなり残念です
3:19 マルティニさんのキラキラした笑顔が素敵だね!「小さなプロスト」とも呼ばれたミスターミナルディは今も元気かなあ・・
面白かった時代🏎️
ミナルディのカラーリングはやっぱりこの頃が一番良いですね。
ピレリタイヤは夏バテタイヤと良く揶揄されてましたね。
パスタレストラン・ミナルディ!
ご飯が美味しいことに定評のあったミナルディ❤
当時、有名でしたね。
モータースポーツ紙でよく書かれていました😅
90年のイモラでマルティニはクラッシュして脚を骨折したのに、次戦のモナコに出走したプロ魂を魅せてくれた。
この時代って、マルティニとかタルキーニとかモレノとかテールエンダーのマシンに乗るにしてはうまいパイロットが大勢いた印象
中段にもレートとかチェザリスとかハーバードとかいたし
中継やってたり、泡沫チーム、とんでもエンジンが居たりしたからか楽しかった
職人😮 もう少し上に ブーちゃんやミケーレ、ブランドルとかがいるイメージかなぁ…😊
みんな2番目にミナルディが好きという逸話があるほど、愛されたチームなのは間違いないですね。
推しのチームはほかにあっても、ミナルディがF1に必要だと思う人がそれだけ多かった。
今のF1ではミナルディみたいな家庭的な雰囲気を持っているチームはないと思うし、あとレインさんの丁寧な解説もあるので見ていても全然飽きないです。
ミナルディは成績はともかくエンブレムがカッコ良かった👍
エンブレムだけだったらフェラーリ以上かも。
P・L・マルティニは実力のあるドライバーにも関わらず、意外と評価が低かった、もっと高評価されてもいいはず。
何年かは忘れたがGPX(F1雑誌 )に上位走ってたがリタイアして悲しそうな顔でレース見ていたマルティニの写真をなんか思い出す
1970年代半ば頃からFerrari Dino V6で当時のヨーロッパF2に参戦していたのを覚えています。大好きだったジャンカルロ&ピエルルイジのマルティニ家の“ホームチーム”だったのも、とても好印象でした。F1はもちろん結果も大事なのでしょうが、愛着という意味では、これほどファンが多いチームも希少ですね。
こういう味のあるチームがたくさんあって好走したり急に車が止まったり今にはない面白みのある時代でした。ティレルやロータスなどB級?C級チームもたくさんありよき時代でした。
当時のピレリと言えば予選の一発と市街地コースの速さに定評がありましたっけ。
あと使い終わったタイヤを皮剥きしたらまた新品同様に使えたとか。
グスタフ ブルナーのデザインのミナルディのM193.M194が好きですね。
こんな弱小チームでもチタンケーシングを最初に採用した事です。
もったいなかったのがパイオニアのスポンサーをフェラーリにもっていかれたことですね。
後のフェラーリでの活躍を考えると、アルド・コスタさんが相当優秀なデザイナーだったのかなと思います。今からでもVCARBに来てくれないかなぁ...。
89年ポルトガルGPはマンセルの暴走よりミナルディが一時トップ走ってたほうが印象的でした。
サムネですぐにマルティニとわかった
当時雑誌レーシンオンで林信次氏がマルティニのこういう一発の集中力を「ナイフエッジ上の曲芸師」と書いてたけどホント予選で見せる集中力は物凄かった
ほんと アライヘルメットの ユーザーが 多かったんだなぁ
今や角田君一人だからね~💦寂しいもんです😭
@@nobby3783
2025年からアルピーヌに乗るジャック・ドゥーハンは、アライユーザーですね!
マルティニって英語が駄目だから、有力チームへ移籍出来なかったとか言われてますよね。イギリスのタブル入賞は中嶋選手の車に捨てバイザーが貼り付いたトラブルだったので、当時残念だった記憶があります。
当時ミナルディ
にゃマルティニさんが
職人的な走りして
まさかルマンで頂点に立つ
とはね〜
以前も紹介された
モトーリモデルニ
F1はダメでも
あえて途中から
F3000やインディー
あたりから
活動をやり直すとか選択肢は
なかったのかな…
もったいない。
スバルとミナルディ
なかなかエンジンロゴが似合う💦
この時代の
ピレリ…やはりグッドイヤータイヤと比べると
主に市街地戦など
何度か好調なところを
見せますが
調子良い時は調子良い
難癖のあるイメージが
あります。
Qタイヤは良質なのは
今でも伝統を感じますね…(タイヤ燃費の悪さ)
スパークの1/43ミニカー1989シルバーストーンバージョン、マルティニとサラを買い揃えて「奇跡のW入賞」を再現してました。
ピレリタイヤを一番上手く使ってたチームだと思う。
今からでもミナルディ製のパスタとエスプレッソ食べられますか?
チェザリスとマルティニのコンビは無かったと思うけど、この2人のドライバーだったらもっとイイ走りが出来たんじゃないかなあ
ケータリングはワールドチャンピオンクラスだったミナルディ、セナがいつも昼食に来ていて「やはり美味い」と言っていたくらいだから。
アルドコスタはまだ大学生だったはず。その後フェラーリに引き抜かれるのもわかりますよね。
1990年の開幕戦デトロイトのマルティニの予選2位覚えています。
フェニックスですね
1990年アメリカグランプリ予選
セナもフェラーリもウィリアムズもベネトンも
マルティニに負ける結果だった
マウロマルティニじゃない方のマルティニのおかげ!
9:43この時フェラーリV12を諦めて同じV12のランボルギーニかV8のフォードHBを載せていたら後の金銭難は無く更なる躍進を果たせていたと思いませんか?><
ヤマハV12も
@@user-wb5wz7nc9u 有りましたよねぇ、92年以降のミナルディに載っていたらその縁で片山右京がレギュラーになっていたでしょうね。^^y
@@零チャンネル-i1f
最後のYAMAHA V10エンジン、アロウズからミナルディーへ搭載先を変え片山右京がドライブしてたら表彰台も狙えたかも…
@@user-wb5wz7nc9u そのベースとなったV10はジャッドでしたからトヨタのル・マンカーのV10エンジンがベースとなっていればもっと良かったと思いませんか?><
資金難がどうなるかは分からないけど、少なくともフェラーリエンジンを搭載していた頃よりは結果は出ないと思います。
PLマルティニ、このマシンで予選2位ですよ!!はっきり言って角田選手より冷遇されたドライバーといえると思います。アルベルトアスカーリ以来のイタリア人ドライバーで最高、故ミケーレアルボレート氏やナニーニ氏以上だと思います。