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この時ってまた保育園行ってたけど、親がF1好きで一緒に眠い目を擦りながら観てた。セナはあの頃の自分にとって1番のヒーローで、父が何とかチケットを取ってくれて日本GPの応援にも行ってブラジルの旗振ってました!あの事故の瞬間は今も鮮明に覚えていて、小さいながらも命の危機を察して「セナが死んじゃうかも」って母親に泣き付いた。翌日のニュースで亡くなった事を知り、そこでまた大泣き。あまりのショックに3~4日保育園行けなかった。その間はずっと録画してたF1のビデオ観てたけど、どのレース見ても泣いてしまっての繰り返しでしたね…母から「セナはお空から皆のこと見てるから、いつまでも泣いてたらセナも悲しいと思うよ。」ってずっと頭撫でられてやっと立ち直りました。セナには夢と興奮、そして命の尊さと儚さを教えてもらいました。
57歳のおじさんですが同じ気持ちでしたありがとうございます😂
幼稚園児で死を理解してたの凄い……と思ったけどそれだけ酷かったってことだもんな……
バリチェロは初優勝した時に『セナに恩返しが出来た』と人目をはばからず大泣きしてましたね😭😭
自分も単身で韓国行ったけど凄かった。旧日本軍による凄惨な虐殺行為が被害者写真とともに資料館に並べられてて戦慄した。日本人として本当に情けない気持ちになったのを覚えてる。韓国人の方々には心から謝罪したい。。。。
@@SP-nt2od それとバリチェロ関係なくね?
@@SP-nt2od この国はグランプリをやった時レッドブルのマシンにかけちゃいけない粉末消火器をかけて今宮さんと森脇さんを呆れさせた国です。そして、ドライバー達はレ−ス終了後直ぐにこの国から逃げました。
バリチェロはセナと同じ🇧🇷国籍だからね。感謝して当たり前です。
@@Moriatsu714たぶんコメ飛びバグやな たまに見る
当時日本のF1ブームはセナの存在が大きく、セナの死とともに日本でのF1ブームが終焉していった感じだった。モータースポーツで社会現象を起こした功績ははかり知れない。
セナが亡くなってから、しばらくF1観ませんでした
@@mariyosida7076 自分も単身で韓国行ったけど凄かった。旧日本軍による凄惨な虐殺行為が被害者写真とともに資料館に並べられてて戦慄した。日本人として本当に情けない気持ちになったのを覚えてる。韓国人の方々には心から謝罪したい。。。。
セナの死によって辛い思いをした人は沢山いる。けど、最も重い十字架を背負ったのはミハエルだったのでは、と思う。本来王様の地位は打倒されて奪われなくてはならない。だけど、ミハエルは、前に立ちはだかっていた壁が、超える前に忽然と消えてしまって、突然皇帝になってしまった。ミハエルの事を「走りがダーティだ」と言う人は多い。だがミハエルにとって「数字」しか王様を超えた証の代わりになるものが無かったからこそ、そこに固執したのかも。元々ミハエルは陽気な性格だったし、セナの生前は2位でも3位でも、表彰台に上がれば全力ではしゃぐ男だったのに、セナの死後は優勝のみにこだわるマシーンの様な性格にまで変容してしまった。グランプリ41勝を上げてセナに並んだ日のインタビューで、あのミハエルが人前で人目もはばからず泣き崩れるシーンは、彼の背負った重荷の重さを察するに余りあるシーンだったのではないだろうか。
必ずしもクリーンなやり方じゃなかったのに朝食でワールドチャンピオン奪回をお祝いしてくれたデーモン・ヒル、何回も危険な目に遭わされたのにほとんどの場合笑顔で接してくれるミカ・ハッキネンなど、ミハエル・シューマッハを引き上げてくれた人たちもいたし、彼らもまたアイルトンの不慮の事故の重さを背負っていた人たちでしょう。
事故当時は中学生でした。あの頃は日曜日にWOWOWで予選をやっていましたが、前日のバリチェロのクラッシュ映像も含めた番組の終わりに「予選中にクラッシュしたローランド・ラッツェンバーガー選手は、搬送先の病院で亡くなりました。ご冥福をお祈りします。」との文言が流れて「はぁ!?」と絶句したのを覚えています。その翌日は深夜放送中に悪夢再び…あの週末は一生忘れないでしょう。数年前にビアンキが亡くなってしまいましたが、これから先は亡くなるドライバーが出ない事を切に願っています。
ラッツェンバーガーのマシンがクラッシュした際に身体にかかった衝撃は500Gでこれはビアンキ(254G)の倍位かかった事になる…
あれから時は流れ、シューマッハの息子がデビューし、アレジの息子は日本で走り、ウィリアムズのフランクが天に召された。かつて組んだHONDAは新たなパートナーと若い才能に満ちたドライバーでワールドチャンピオンを30年振りに獲得した。
唯一ずっと最前線で最速マシンを作り続けるニューウェイ
そして父は爆竹を使った
@@kou46_glock 触れないであげてw
シューマッハの2013年のスキー事故は詳細が報道されてないように思うけど、危険な滑りを楽しんでたようですね。スピード中毒も難儀やな
@@kou46_glock 草
セナだけじゃなくてラッツェンバーガーも認知されて欲しい
認知されたら君になんの得があるの?え!?もしかして身内の方??w
@@MON_MOSO_MON ただ単にラッツエンバーガーが好きだっただけですー!
@@tetsu6286 なんちゅーか、レースみたいな危険な道楽で大金稼いでた香師が勝手に事故して死んだだけやのにここまでしつこく騒げる精神が解らんわwこれがここまで悲劇として涙ながらに語られるんなら、通り魔に理不尽にやられた被害者がいるとかニュースで聞いたらショックで気絶もんやろねw赤の他人のブラジルの運転芸人より気の毒な同胞にもっと目を向けたってなw
@@MON_MOSO_MON でもその危険な道楽で大金稼いでたやつの方がお前より全てにおいて優れてるからなぁ、、あ、クズっていう点においてはお前の方が優れてるけどもww
@@MON_MOSO_MON その前の年まで全日本F3000を走ってて、日本でも認知されてたドライバーだったんだよ。
セナはメンタルで走るドライバーの筆頭でしたね。当時、情熱的な姿に憧れました。今も心に刻まれています。
いっていることの意味が分からんWWWW「メンタルで走る」?????
@@akira__fx4391 比喩表現理解出来んタイプ?
@@redbull_mazda 比喩表現理解できんタイプです。単に情熱的な人だったってこと?
コメ主じゃないから本当の意味はわからんけど「気持ちを全面に押し出して走る」とかみたいな感じだと思うよ、野球でも火の玉ストレートとかあるけど本当に火が出てる訳じゃないでしょ?そんな感じ
ちなみにセナは最後のドライブ直前、何かを察したかは知りませんがマシンに乗るのを非常に嫌がったそうですわよ
このセナの事故死はフジテレビのF1中継の前のニュース番組で速報が出たんだよね。それで中継の冒頭に、解説の今宮さん、ピットレポーターの川井さんと実況の三宅アナが涙をこらえて伝えていたのをオンタイムで見てました。
追記。スタート時のクラッシュで赤旗を出してレースを中止しなかったのは明らかにオーガナイザーの判断ミス。その当時もレギュレーションには「スタートして2周未満の赤旗は、そのスタート自体をノーカウントとしてスタートをやり直す事が出来る」との項目があり、元のグリッドからの再スタートができたはず。なので、本来のスタートのプロセスに従って進行していればセナの事故は防げた………よね。まぁタラレバだけど。
@@Flatout-asario さんそれ以前にラッツウェンバーガー選手が事故死した段階でレース中止するかセナ以下選手全員が棄権していれば良かったんですよ。イタリアの法律ではレース中の事故死=レース中止ですから土曜日の段階でレース中止案件満たしてますよ。
この事故ですが、夜10時過ぎのNHKのサンデースポーツ?でセナが緊急搬送された、との速報が入りました。普段F1を扱わないNHKで伝えるのが何で?と思ったのですが、その後、夜11時台のフジテレビのニュースでは意識不明の状態で搬送されたことが判り事態が深刻である事が判明。その後のF1放送は、レース終了直後の現地から今宮さん、川井さん、三宅アナの3人から改めて事故の状況についての説明、との生中継から入り、いったんその日のレース映像を流しながら、速報が入ればまた改めて伝える、との形式でした。レースが開始してから15週目くらいの映像が流れている際に、カメラが切り替わり、お三方からセナが亡くなったことが伝えられました。この時、印象に残っているのは、堪えきれず取り乱してしまった今宮さんもそうですが、自身の感情を抑えて、視聴者へ事実を伝え、セナへの思いを語っていた川井さん、三宅アナのプロ意識の高さでした。*後に今宮さんはこの中継時の事について、「動揺して取り乱してしまい、事実をしっかりと伝えるというジャーナリストとしての職務を全う出来ず視聴者に大変申し訳なかった」と雑誌のコラムに書かれてました。
ラッツェンバーガーは婚約者がいたのに結婚前に事故死 日本のレースも走ってたので国内のドライバーたちも死を悼んだ
確か、星野さんが「セナの死よりショック」って言っていましたね…
@user-ii5eo7nr6o 確か、全日本F3000にも出走していた。
なんならこの頃のトヨタのルマンチームのエースみたいな扱いじゃなかったっけ?
父がF1好きで小学生の私も眠い目をこすりつつ見てました。大きくなってイタリアに住み始めた時にひとりでこのイモラのサーキット場に行きました。ファンの追悼メッセージやお供物やお花がまだ新しい状態のもので置いてあり未だにファンがいる事に驚きを隠せませんでした。
アイルトンセナって言ったらF1史上最高のレーサーと謳われたからな…《30年経った程度》で彼の名前が色褪せる事は無いよ
セナの国葬はTBSのブロードキャスターでも特集された、英雄達が眠るモルンビー墓地で英雄は消防隊員が担ぐのが決まりでセナの棺を担ぐ先頭の少年が泣きじゃくっていたのが印象的でした
ちなみにセナの命日がその後ブラジルの交通安全の日になっていたりもしますわ
ブラジルで追悼切手も出ました。
お父さんのためのワイドショー講座で2位でしたよね。
コンクリートウォールに突っ込んだ後、セナの首がガクンと落ちた瞬間ダメだと思った。今でもあの瞬間は忘れられない。
セナ…と言えばロータス97Tが一番『乗れていた』マシンだったな~97T搭乗以降、ハンドリングが良いマシンには『it’s just 97!』と言うほど97Tのハンドリングがセナ自身も気に入っていたマシンだったし…94年のFW16はセナが『速い車ならカネなんていらない…』そこまで渇望したウィリアムズのマシンだったが前年までのハイテクデバイスがFIAに禁止されセッティングも上手く決まらないセンシティブなマシンだった。あの週末だけでも、ラツェンバーガーの死亡事故、バリチェロの怪我の他、レース中に落輪したホイールが観客席に飛んで多数の怪我人を出した事。ラツェンバーガーが亡くなった時点で没収レースにすれば良かったのに…
jpsか?
とんねるずの生ダラサーキットにゲストに出だ時は驚いたし、リップサービスで実現はしないとは思ってたけど今度はブラジルの自宅でやってもいいと言ってくれて凄くカッコいい人だなと思った。その分この事故のニュースを聞いた時は信じられないと思った。
セナが自分の帽子と、アイルトン・タカ(貴明)の帽子を素早く取り、交換。 🎓⇔🎓貴明 「おぉ!セナが帽子を取り替えてくれた! 本物(大歓喜)!! 」※『だがスローでもう1度見てみよう。 セナが右手でタカの帽子を取り 左手に持ちかえて、右手で自分の帽子を取る。その帽子を渡すのかと思いきや、左手に持ったタカの帽子をタカに返した。 ☓⇔☓ セナ、手先の方も音速である。 一方、自分の帽子を返してもらって喜ぶこの男の明日はどっちだ。』
とんねるずもこの事故を知って猛烈に凹み収録をキャンセルして服喪したそうです。
タカさんが自身のラジオで話してたけど、94年のブラジルGPと同じ時期にタカさんの映画の仕事がアメリカであって、そこからブラジルに行ってセナとのカート対決第二弾を計画したけど最終的に頓挫して、「秋の鈴鹿のときにやろう」と約束して、結局叶わなかったんだよね。
セナと番組中に鈴鹿で優勝したらヘルメットをあげると約束していて、事故から1年後にセナ財団からタカさんにヘルメットが届いたそうですね。
生ダラではセナは勝つことよりレースの面白さを体現することに徹していて面白く見られた記憶ありますね
昨今大型掲示板では、1レースでトラブルが相次ぐと「マモノ暴れすぎ」なんてジョークが言われたりするけどこのときのサンマリノは、ジョークどころか言葉を発するのをためらわれるほどの悪夢の週末でした…
魔物じゃなく、死神が来た。
「悪いことは立て続けに起こる」の究極だと思う
セナの凄さはあのシューマッハでも破れなかったポールポジション連続8回などの記録を持っている所
F1何も知らなかったのですが、何故かセナのクラッシュの映像が関連動画に出てきました。怖くなって気になって調べてたら分かりやすい解説動画があって助かりました。ありがとうございます。
アイルトン・セナは伝説の人になりましたAIで測定しても最速ドライバーとして認定され、魅せる走りを見せました。とにかく「勝ちしか意味がないんだ」と言う勝負哲学がありました。雨の日に日は速かったので素晴らしいドライビングテクニックがあったのは間違いないです。
雨でファステストラップを出している中嶋もマシンコントロールはうまかった。年齢的体力的に問題があった。当時のマシンはパワステは無かったので。
確か、初優勝した1985年ポルトガルGPの悪天候の中での実績が大きいと、思います。
F1の12年周期の呪い、、、このレースをリアルタイムで観ていた。TV観ながら気が付いたら泣いていた
当時、セナ様の死を知って、膝から崩れ落ちました。。。。。。。どっかの動画で、このレース前にセナ様が『このレースは開催しちゃ駄目だ』的な事を言ってたのを観た記憶が。。安全性に欠けるコースでのレースがどんなに危険かを、主張してたと記憶してます。。。モータースポーツで他界した方々、安らかに眠って下さい。あなた方達の死は、無駄になってません。
音速の貴公子貴方の活躍は永遠に皆の心の中にある
おっ!いい事言うじゃんよー
なんちゅーか、レースみたいな危険な道楽で大金稼いでた香師が勝手に事故して死んだだけやのにここまでしつこく騒げる精神が解らんわwこれがここまで悲劇として涙ながらに語られるんなら、通り魔に理不尽にやられた被害者がいるとかニュースで聞いたらショックで気絶もんやろねw赤の他人のブラジルの運転芸人より気の毒な同胞にもっと目を向けたってなwあ、もしかして身内の方々⁉️
@@MON_MOSO_MON 完全に釣り垢や。
@@1231t1 報告して、垢バンさせてやりましょ。まさしく、BOTなので
いまだにあの日のことを解説している動画や記事、映画を見るたびに涙が止まらないんだよね。保育園のときから変わらず永遠の憧れでありヒーローであり続けているよ。
このレースは、現場で見てました。ラッツエンバーガーは、自分の目の前でクラッシュ。緊急搬送されるまでのすべてを見ていました。トサのスタンドで見てたんですが、ひとつ前のコーナーでクラッシュ。車はトサコーナーの中央で止まりました。合掌。決勝はグランドスタンドにいたので、セナの事故は直接見ていません。でもピットに戻ってきた事故車両を見たときに、やばいな、と感じたのを覚えています。セナが亡くなったのを知ったのは、ホテルに戻って夕食をとっていた時でした。ツアーで一緒だったファンのみんなが泣いていたのを呆然と見ていました。こういうことは、あってはいけない。海外のF1見に行けたのに、つらい思い出です。
このレース中、ピットアウトしようとしたマシンのタイヤが勢いよく外れて他チームのピットクルーに激突して病院送りになった事故も発生してたよね。
凄くわかりやすかったです!これからも頑張ってください!
アイルトンセナは1992ベルギーgpの予選中、エリックコマスがクラッシュしたとき、セナが助けたこともありました。コマスのクラッシュした時、エンジンが壊れてなかったので、アクセルを踏んでいたまま、火災で死ぬところだったと聞いています
そのコマスはサンマリノでセナのクラッシュを聞いて、いても立っても居られず赤旗中断にも関わらずマシンで現場へ向かい、大目玉を食らったそうです
オンボード映像を見ましたが,タンブレロ周辺は路面がツギハギだらけでアクティブサスのないマシンで走るのは怖かったと思います。
あれじゃあ、マシンが跳ねて飛びますよね
当時はプロスト、マンセルら人気でしたが、セナのカリスマ性は圧倒的でした。 15年ほど前、イタリア観光のなかで、イモラサーキットにも行きました。タンブレロ・コーナーにはセナを追悼する石板のほか、銅像もありました。 レース開催時以外は、観客席には自由に入れるようで、一般市民も普通に入っており、公園のような感じでした。 サーキットへは最寄りのイタリア国鉄イモラ駅から徒歩20分くらいです。 ボローニャからは鉄道で30分、フィレンツェからは60分くらいですし、割と簡単に行くことができるので、イタリア観光のついでに訪れるのも良いのではないでしょうか。
嘆きの壁ですかね。
とても興味深くわかりやすかったです。現時点の9本を一気見させていただきました!
エピソードとして若干補足すると、①アルボレートのピット事故もあってF1クルーにも負傷者がいた。②再スタートの時点で事故前のタンブレロでポーポイズ現象が起きている不安定な状態だった(実際事故前に他の車には見られない大きな火花が出ていた)・当時のタンブレロは改修後のせいかカーブに5mm程度の凹凸が顕在していた(当時のVTRでアスファルトの色が無数に変わっているがそれらの継ぎ目が全て凹凸だったらしい)・セナの事故直前のVTRでアスファルトを抜けた直後ハンドルが利かなくなるシーンがある(これの原因が分かっていないが、ジョイントが抜けたような極端な動きではない)・その瞬間、シューのカメラで底着きみたいな火花が散っている(あれだけ派手なエンドプレート火花が散っていた車がその瞬間だけ長く小さい火花になっていた)③昨年亡くなったマレー・ウォーカーが語っていたが、緊急手術後にヘリ搬送する際にワトキンス博士がヘリに同乗しなかった時点でセナが助からない事を悟ったという(望みがあるならワトキンス博士は同乗しただろうと語っていた)長文失礼しました
当時でもセナはホンダ推しだったことはことは広く伝えられたよね..
今回も詳細アップして下さりありがとうございます。類似事故として89年のベルガーの事故がありますので、ご存知でない方は探してみて下さい。翌年95年にブラジルに滞在していましたが、5月1日はどのチャンネルでもセナ追悼番組ばかりやっていました。この日だけはサッカーですらほとんど放送していませんでした。それから指摘で申し訳ございませんが、3:16の画像説明のテロップは間違えていますよ。
リアルタイムで観ていてショックで3日仕事休みました(T . T)その前のパシフィックGP(現岡山国際サーキット)で生で姿を見れたのがせめてもの救いでした。改めてご冥福をお祈りいたします。
これで3日も仕事休むって・・・・wwwww なんちゅーか、レースみたいな危険な道楽で大金稼いでた香師が勝手に事故して死んだだけやのにここまでしつこく騒げる精神が解らんわwこれがここまで悲劇として涙ながらに語られるんなら、通り魔に理不尽にやられた被害者がいるとかニュースで聞いたらショックで気絶もんやろねw赤の他人のブラジルの運転芸人より気の毒な同胞にもっと目を向けたってなwあ、もしかして身内の方々⁉️
誰でも憧れの人が亡くなったらショックでしょ。あなたは、誰が亡くなっても悲しいと思わない薄情な人なんでしょうね
@@MON_MOSO_MON コピペワロスwwww
@@MON_MOSO_MON ち?おる
岡山のセナのコースレコードは永久ですね、再びF1が開催されない限りは。
Hello, my friendを聴くと、セナが思い浮かんで涙が出てきますね。
この動画では触れられなかったが、事故後ピットアウトしたマシンのタイヤが外れて他チームのピットクルーに激突して病院送りになっていたこともありましたね。ほんとに死神が居たのではと思うレースウィークでしたね、、、
5年前に同じコーナーでのクラッシュ、同郷のラッツェンバーガーの事故、かつてのチームメイトという事もあり一番ショックだったのはゲルハルト・ベルガーだったと思います。
イメージとしては、突然ハイテクでの制御を奪われて、人間のコントロールを超えたマシンを抑え込められなかった故に起きた事故というイメージが強いシーズンだったな。只々悲しいシーズンだった。
ハイテク前提で雑な整備調整されたコースをろくなテストもせずにハイテク削除マシンで全力実戦走行なんてさせたらこうなるって話もあったのかも。
200キロで壁に行ったら ひとたまりもない!
シューマッハーみたいに無視してハイテク使いまくればよかったのにね
ハイテクばかりつかえばドライバー間に差が無くなるのをセナが嫌ったのかも
アクティブサスペンションとなぜ言わない?
個人的には、セナよりもラッツェンバーガーの事故死の方がショックでした。ラッツェンバーガーはF1に参戦する前、日本でレース活動をしていたので・・・。
今でも、リアタイで三宅アナと今宮さんの涙声速報を見て呆然としたのを覚えてるわ~
土曜日に、セナが「ここは滑るからすぐ改修してくれ」と言ったのに、運営側は何もしなかった。その場所でセナのマシンは本当に滑ってしまった。
あのシーズンは、おかしかったです。ハイテク禁止で、給油も始まり少ない量で常に予選モードの周回、明らかに人間が手に負えない代物になってるのは分かりました。ラリーのグループBみたいでした。ベンドリンガーのモナコのクラッシュ、翌年のオーストラリアのハッキネンのクラッシュなど、命のキケンを感じるクラッシュを思い出します。
次はビアンキの話になるのかな…ダン・ウェルドンの可能性もあるか…ジルとピローニの確執と2人の末路も作品にはなるか。分かってはいることだけど、モータースポーツって怖いんだよね。
ゲーム界ではセガのスーパーモナコGP2監修したり自動車界ではホンダ初代NSXの開発に参加したり本当に歴史に残る人ですね。
このレースは、高知から大阪に向かう夜行フェリーで観てました。ねむねむでしたが、尋常でないことが起きていると、一発で目が覚めました。サンマリノの一戦前、日本の岡山で行われたパシフィックGPで初めて、生セナを観ることができたのですが、スタート直後にリタイア。これが、セナが、生きてレースを終えられた、最後のレースになりました。勝てなくなったマクラーレンから、勝てるはずのウィリアムズに移籍したのに未だ勝てないまま・・サンマリノでは、そんな微妙な心の揺らぎも影響していたのかもしれません・・
当日リアルタイムで見てました。本当にショックでした。憂いのある表情がすきでした。人間関係も色々あったようでしたが、F1を好きになったのはセナがいたから。ご冥福をお祈りします😂
セナは色々と安全について訴えていた結局自身の死を持ってこれだけ危険なんだという事を訴えることになってしまった非常に残念な結果を迎えてしまったセナの悲報を知った朝 呆然として何も信じられなかったのを覚えているあれほどのカリスマ性を持ったドライバーは以後自分としては見れていない本当に惜しい人が逝ってしまった ただただ残念である
やはり、この年からのリアクティブサスの使用禁止が大きいと思う。プロストは、路面にしっかりとタイヤが吸着できないこんな危ないマシンには乗れない、と引退を宣言した。
改めてセナの凄さを思い知りました、セナ、ローランド、ビアンキのご冥福をお祈りいたします。
ジル・ビルヌーブもですよ
キャメルカラーのロータス、中嶋選手のマシンをすぐ近くで見た事があるけど、小ささ低さ軽さと意外な程前よりにあるドライビングシートに驚愕しました。あれで300kmはやはり異次元な世界。なので原因などを実感として理解出来るとは思えない。本当に機械的なものだったのか、やはりセナは速すぎたのでは?と、この事故を扱った本を読破しながらも考えずにいられなかった。
この年はサンマリノGP 前後で多くの事故が起きていたが、このGP の週末はまさに悪夢のようだった。
そいいえば、それ以降F1が全く興味なくなったんだよな、叶うなら、またセナを見たいな
我々世代はF1=セナだったし、亡くなった事が伝えられてもなにか現実感がなくてふわふわした感じだったけど、今宮純さんが涙ながらコメントしているのを聞いて初めて現実なんだと感じてTVの前で号泣した。
自分も単身で韓国行ったけど凄かった。旧日本軍による凄惨な虐殺行為が被害者写真とともに資料館に並べられてて戦慄した。日本人として本当に情けない気持ちになったのを覚えてる。韓国人の方々には心から謝罪したい
当時は泣きながら中継を観ていました。セナの伝説エピソードは沢山有り過ぎますが、簡単なエピソードを1つ。テレメトリー(コンピューター)でも分からなかったエンジンの異常に気付いてエンジンを止めた事がありましたね。凄い洞察力ですよね。
も
せささょ
当時は空前のF-1ブームでゲーセンの体感ゲーム機はもちろんCDや雑誌、パチンコ屋でもテーマ曲?を流していた時代でしたね。正直自分はあまり興味なかったのですが有名選手はほとんど覚えています。この動画で世界一速い男と言うだけではなく、彼の人間性も知れて良かったです。
F1好きのkinki kidsの堂本光一さんが最も尊敬していた選手だったらしく亡くなったというニュースを聞いたとき、とても仲の良かった先輩が声をかけられないほどにショックを受けて悲しんでいたという話があります。セナはとてもラジコンの腕が高かったそうで日本の模型メーカーのタミヤとも、かなり深いかかわりがあったようです。
ラジコンは空ものだった気がする
@@toskwa3582 空ものはわかりませんがタミヤとはとても仲が良かったそうですよ。(知識不足ですみません)
@@toskwa3582 自分も単身で韓国行ったけど凄かった。旧日本軍による凄惨な虐殺行為が被害者写真とともに資料館に並べられてて戦慄した。日本人として本当に情けない気持ちになったのを覚えてる。韓国人の方々には心から謝罪したい。。。。
1989年にゲルハルト・ベルガーがタンブレロで全く同じ事故を起こし、その時はマシンから炎が上がる大事故だった。にもかかわらず、コンクリートウォールさえ改修せず、タイヤバリアさえ設置せずだった。当時熱心にF1を観ていたが、年間16レース中の最も危険な箇所(コーナー)だったと記憶している。
その2年前には、ネルソン・ピケが予選で大事故を起こしてた。(涙)
当日ベルガーは、アライヘルメット被ってたしたね。
フリー走行初日に、走りながらフランスのテレビ局にコース説明していて、解説にきていたプロストに『君が居なくて寂しいよ』って言ってたのも熱い。
セナは俺にとって永遠のヒーローF1の世界の素晴らしさを教えてくれた。当時も日本人選手がF1に参戦していたけど、応援するのはなぜかセナだった。もちろん右京さんも応援してたけど。とにかくドライバーとして、人間として、すべてが尊敬できる神がかった人だと思う。セナの死は当時生で放送を見ていたけど、何も考えられず呆然としてそのまま朝を迎えた記憶がある。日本人の名前でセナという名を聞くたびに思い出してしまう。
セナは無念だろうけどこの日の事故はF1衰退の重要な一因になったのは間違いない
この時のレースで、ピンチヒッターでフェラーリに乗っていたニコララリー二が生涯最高の2位になっているが、このことはほぼ忘れられた感がある。片山右京も、5位で、生涯最高成績だったが、これもほぼ消しとんでしまった。
本編では取り上げられていませんが、ピットアウト時にタイヤが脱落してピットクルーが大怪我したのも同じ1994年サンマリノGPでしたね。次のモナコGPから速度規制がなされましたが、そのレースでも大事故が発生。さらにその次戦スペインでも・・・事故に限らず疑惑も多々あった1994年は個人的には最悪のシーズンだったと思います(感想は人それぞれでしょうけど)。
初コメです。ローランドは前年まで日本でレース活動していました。グループAオーテックM3を見てファンでした。
ハンドルの溶接はセナがハンドル低いの嫌いで(空力の為に殆んどのマシンが低く設定してた)高くする為に延長パイプを継ぎ足して、そこの強度が足りなくて破断して曲がれなかったって説もあります、テレメーターではハンドル切ってるのに曲がってない…火花はフロアを打たないように擦り板からですので、それでパンクはしないです。
ニューエイは次のように答えた。「実際に何が起きたのかは誰にも分からないだろうというのが本当のところだ。ステアリングコラムが壊れたのは間違いない。問題はそれが事故で壊れたのか、それが事故を引き起こしたのかということだ。疲労亀裂が見られたので、どこかの段階で壊れただろう。デザインが非常によくなかったことは疑問の余地がない。だがあらゆる証拠が指し示すのは、マシンはステアリングコラムのトラブルによってコースオフしたわけではないということだ」 事故の原因についてニューエイは、非常に細かい分析の結果、「おそらく右リヤタイヤがコース上のデブリを踏んでパンクし」、そのためにマシンのリヤが「ステップアウト」したという結論に達したようだ。「最も可能性の高い原因をひとつ選ばなければならないとしたら、それを選ぶ」とニューエイは語った。
事故の直前にバンプでリアがスライドしてオーバーステアが生じたこと、ステアリングをその後も操作しているのはテレメーターから読み取れます。事故はスナップアンダーステア(カウンターステアによる揺り返し)によるもので、300㎞/hのスピードではたとえセナでもコントロールは出来なかったんだと思います。
一番の原因は、前年まで使えたトラクションコントロールの使用禁止。プロストに勝たせる為、当時の会長が下した悪策。ウイリアムズはマシンの開発が間に合わず、それでもセナは速く走る為の苦肉の策が仇になったのは、公然の事実。
@@薬痴寺先輩-v8z 事実誤認かと思います。ハイテク禁止は開発競争から取り残されたフェラーリの要望を当時のFIA会長マックス・モズレーが受け入れたからです。プロストに勝たせる為というなら、技術的優位に立っていたウィリアムズのアドバンテージを失わせるレギュレーションにするはずがありません。ハイテク禁止がマシンバランスを崩してセナや他のドライバーの事故の遠因になったのは事実だと思いますが。
@@thanksforgiving あら、ご存知ない?プロストと当時のFIAの会長とフェラーリとのズブズブの関係を。危険回避の為のエスケープゾーンを通ったセナに対し罰金と翌年のライセンスを半年停止した事実。反論したセナに対し「F1は俺のレースだ。ルールは俺が決める、逆らう奴は走らせない。」って、ドライバーズミーティングで言ってますけど。怒って出て行くセナを会長の横でニヤニヤしながら見ているプロストの動画も有りますよ。当然そのシールズはプロストがチャンピオンで、引退に花を添えた事実。会長は引退後、フェラーリにですよ。正にズブズブの関係。
ラリー派なんですが、セナだけは別です。色々死因について取り沙汰されていますが、そのどれもが要因だと思います。レース運営側の営利主義やイモラサーキットの老朽化及び各レースへの対応が出来ない事情(2輪のGPライダーからも以前から危険だとの声があがっていた。それと各ジャンルのレース開催日等の日程調整不足で満足な路面整備が出来ないetc.)、そして最大の原因と言われるウィリアムズのエンジニアの過失と問題あり過ぎだったらしい。あと、ドクター・ワトキンスはあらゆるレーサーやライダーから信頼を得た人物です。レーサーを一番知る医師が助けられなかった事は非常に残念です。神の子はその才能故に神に召されたと思いたい。
WRCチャンピオンのセバスチャン・オジェはセナに憧れていたそうですね。他にもハミルトンやアロンソなど多くのレーサーにセナは凄く影響を与える存在でした。☺️
以前、Numberの記事かその記事を引用したサイトだったかで読んだ記事では、その方がセナが搬送された病院へ取材に行った際に、関係者と間違われて安置室までたまたま通されたそうです。セナの状態を確認したところ首の後ろが異常に出っ張っていたそうです。当時はHANSも無かったので壁に激突した際の衝撃で頸椎を骨折してほぼ即死に近い状態だったのだろう思いました。200kmものスピードで壁に激突すればかなりの衝撃があったはずで、身体はシートベルトで固定されていますが、頭部はフリーでしたので頸部へは相当なダメージはあっただろうと納得しました。
F1よりも国内レースが好きだった自分としては、ラッツェンバーガーの死のほうがショックだった。JSPCやF3000で活躍していたのに、日本での扱いはほんの少しだった。
そのことをジャック・ビルヌーヴが言ってましたね。「なぜラッツエンの死について追求しないのか?ラッツエンとは同じカテゴリーで戦いライバルでもあり友でもあった。セナなんて会ったこともない!」とかなり強い口調で言ってました。
当時、星野一義もラッツェンバーガーの死亡事故の扱いの酷さに怒りのコメントしてた記憶がある
フジテレビ以外のニュースで「前日にも事故で1人の選手が亡くなっており」と、完全にオマケ程度に扱われたのは悲しかったよ。
モータースポーツは死と隣合わせであると痛感させられるレーシングドライバーはいつも、車に乗り込んだときが人生最後かもせれないと覚悟を持っているんでしょうね
オフシーズンにセナからコース改修の依頼をかけられてたイモラ側の回答「なら引退しろ」あり得ねえな
当時は本当に呪われた週末だったと感じました。レースで事故が起こらないことを祈るばかりです。
右京の5位はただの5位じゃなく2ヒート制になって終盤毎週3位〜5位を行き来しててフジテレビの3人も表彰台イケる!!って大興奮だった。しかもレース中に川井ちゃんからフランクと右京のマネージャーが話してたから次戦からウィリアムズ移籍あるで!!ってさらにワクテカするレポートしてた。
右京が現役時代、じつはベネトンから誘いがあったと雑誌のインタビューで話してましたよ。
TVは人の心を一瞬で凍らせる最強のフリーザーなんだわ。
この時代のサーキット場は高速コーナーでもエスケープゾーンがとても狭くて今から見るととても危ない作りでしたね。
3:18 マシンはFW16だわ、ドライバーはクルサードだわなんだかんなぁ
しかし、カーNoが0という不思議。
確か、セーフティーカーは94年に導入されたはずで、この運用の基準がしっかりしていなかったのではないかと思う。それまでのF1ではスタート直後の大きなアクシデントは赤旗再スタートが基本だった。それが再スタートするには時間をしっかり取らないといけなかったため、TV放送の時間が伸びたり、最後が放送できなかった関係があって、変更したはず。もしスタート直後の事故で赤旗再スタートなら、コース整備もしっかりでき、事故の情報もある程度ドライバーに伝わるから、安心してレースができたと思うけど、セーフティーカーの間でマシンの破片がどうなったのかや、事故にあったドライバーの情報がなく動揺したドライバーもいたかもしれない。
セーフティーカーがF1に導入されたのは前年の1993年では?
音速の貴公子と呼ばれたセナが死んだ日に入れ替わるように最速の機能美と呼ばれるサイレンススズカが生まれ、セナのクラッシュと同じ日曜日に死んだのが印象に残ってる
サイレンススズカの主戦騎手だった武豊は「原因はわからないと言うかないんだ」と言って他馬の邪魔にならないところにスズカを寄せてましたね。
セナはF1見てなかった自分でも知ってるくらい有名ですね!レース中の事故でないですがMotoGPのノリックの事故についても解説出来たらして欲しいです。
当時の報道ではセナのマシンは路面の荒れで浮いてしまい、ギアダウンやブレーキ操作が意味をなさなったっていう話もありましたね。
セナはやっぱり、マクラーレンホンダの時が良かった‼️
3人目の子供を出産し、実家に帰っている時のことでした。夜中の授乳をしている時に父が「セナが衝突した❗️」と言いに来て、子供を抱きながらテレビにかじりついていました。首がガクッとなったのを見て生きる❗️と思ったのですが…。今、子供が30歳になりました。セナが亡くなられて30年経つということですね…😢
当時はフジの中継放送を観ていました。事故当時はセナのすぐ後ろを走っていたシューマッハのオンボード映像が流れていましたが、前方を走っていたセナのマシンがタンブレロで突然右側に消えていくのが見え、「あれ?」と思った直後にセナのマシンがコンクリートウォールに激突した直後の映像に切り替わり、大きな衝撃を受けたのを覚えています。当時は自分はあまりセナは好きでは無かったのですが、F1界のヒーローであるセナの死は大きな出来事でした。
前日のラッツェンバーガーも。全日本選手権走ってたし、V-OPTでマカオのコース紹介してるんだよね😓
このレース、リアルタイムで見てたわ。ヘルメットから広がるものを見たとき、大きな喪失感に襲われたのを覚えてる。
セナが亡くなった時ブラジルではセナの追悼を含め、3日間学校や商業施設が休みになったと父から聞いたことがあります。
私からするとアイルトン・セナより静岡県の三ケ日町に住んでいたローランド・ラッチェンバーの方がショックでした。この年のル・マン24時間レースでトヨタのマシンにローランド・ラッチェンバーの名が書かれていたのは悲しかったです。
シューマッハのベネトンB194は、電子制御を使っていると疑惑があったな。確かにV8のエンジンで異常に速かったな
もしその疑惑が事実と判明したら、どうなると思いますか?
@@零チャンネル-i1f ペナルティくらったよ
セナの死因は車の足回りの部品(サスペンションのスプリング?)が頭部直撃でほぼ即死状態だったらしいが、それ以外の目立った外傷はなかったようでその部品が直撃しなければ命に別状がなかったらしい。そういう意味でも悲運だった。
もげたタイヤの直撃だったと思います。前走車のスプリングが飛んできてメットに刺さった、フェラーリのベルガーの件はあります。
どうも初めまして。悪夢の予兆…となる1987年、1989年、1990年、1992年のサンマリノGPで改修工事を行っておけば…あの1994年シーズンが悪夢のグランプリにならなかったかもしれん…。
'94 5/1は 忘れる事が出来ないあの日の出来事は 今だに 現実と受け止めきれない…私が初めてF1を知ったのは 高3でしたテスト勉強中 TVを付けてたら 聞いた事のない車の音に驚いて 目をやったら赤と白の車が 猛スピードで走ってました マクラーレンMP4/4に乗った セナです 時速100〜300のスピードでの 見事なまでの ハンドル捌きに 私は 見入ってしまいました そのレースは モナコGP!そして プロストとの対決でしたトンネルから どっちが先に出て来るか? 私はセナを応援していたんです勿論 セナが先に出て来て 優勝でした!初めて見たレースが モナコGPなんて今思えば 私は持ってるな❤それから 私はセナのファンになってしまいました。顔も確かに 素敵ですが 私はセナのレース展開が 大好きです! 雨なのに レインタイヤに変えず いつもと変わらずの走りで 優勝しちゃうし 最後尾でも マシンの状態が悪くても ごぼう抜き…セナならではの魅力です!'94 日本GPは 絶対観に行くと決めていました 生のセナが観たい❤ それだけを楽しみに頑張ってました…でも それは永遠に 叶う事は出来ないセナがいないF1なんて 考えられなかった私は 二度とF1を観ることは ありませんでした毎年やって来る5/1 本当はこの日が命日ですが 私は あえてセナの誕生日の3/21に 手を合わせてます!
セナと言えば鈴鹿サーキットの予選通過ポールポジション・ラップを何年か前に光とスピーカーユニットで再現した動画が有った筈確か母国のブラジルで反響が大きくて向こうでバズってたねえ
ホンダのF1復帰前のPRね。あのcm、2013年日本グランプリのとき鈴鹿で流れていて感動したなぁ。聖地で大音響で見たんだもの。今宮さんも鬼籍に入られ、年々セナを覚えている人が少なくなるのが悲しい。
20年シーズンからイモラ復活したけど改修であまり面影を感じられない
1974年、富士スピードウェイで起きた日本レース史上最大級のクラッシュ事故を取り扱ってほしいです。
あの『魔の30度バンク』で6月2日に起きた事故でF1に近いと言われた風戸裕と星野一義の師匠だった鈴木誠一が事故死した事件ですね。以降このバンクは封印されて今はモニュメントとして一部が残されています実際に行けば立ってられないくらいに急なバンクです。
今でも「他のコーナーだったら…」とか「もっと浅い角度で壁に…」とか「ウイリアムズに行かなければ…」なんて助かったかもしれない可能性について考えることがある
初めまして、いつも楽しく見ています。昨日ルマンのメルセデスの事故を取り上げていたんで、さまざまなジャンルを取り上げルマンにしても渋いところ選ぶなと感心していました。さて、今日のセナの特集ですが私はテレビでリアルに見ていまして・・77年富士でのビルヌーヴの観客巻き添え事故以来の衝撃を受けました。内容は合ってますが付け加えて、このレースミナルディのアルポレートがピットストップの際クルーをひいてしまうという事故もありました。タンブレロコーナーに関しては、89年当時フェラーリのベルガーも同じコーナーでクラッシュして炎上事故になっていてその時に改善されていたら…と思ってます。ステアリング関連に関してはセナは太い軸を好んでいましたが、チームがマンセル用に細いのにしていたという話も。長文すいません😅因みに富士の時は7歳でしたがTBSで中継やってたんで観てました。
かつてのモータースポーツに死亡事故は付き物だった。故に勝者は勿論、完走するだけでも讃えられた。数年に一度は大事故があり落命するF1パイロットも珍しく無かった。80年代半ばになるとカーボンモノコックが普及してある程度までは衝撃に耐えられるようになり、90年代を迎える頃にはターボが禁止され極端なエンジン競争が落ち着き、フラットボトムになりグランドエフェクト時代のようにドライバーが制御出来ない事故は減り平和な時代になったと皆が慢心していた。コスト抑制でハイテク装備を規制した途端にこの惨状だった。
セナはぶつかったときに頭にサスペンションが刺さり頭の損傷がひどかったって言われていましたねほんとにそうなんでしょうか?
これは、外れたタイヤが20mも跳ね上がり、偶然にもセナの頭に直撃したからである。
レートとラミーの事故の時点でやめておけばよかったんだよな…
97年10月の富士スピードウェイでのF3クラッシュを解説して欲しいです。
セナ死去のニュース最初に知ったの、「おもいっきりTV」でしたな。みのさん司会のころ。この年は片山右京の快進撃にワクワクしながら見てました。・・・んでシューマッハとハッキネンとヒルのワールドチャンピオン争いですよね。懐かしい。・・・また地上波でやって欲しい。
ミカ・ハッキネンがワールドチャンピオン争いをするのは、1998~2000年です。
この時ってまた保育園行ってたけど、親がF1好きで一緒に眠い目を擦りながら観てた。
セナはあの頃の自分にとって1番のヒーローで、父が何とかチケットを取ってくれて日本GPの応援にも行ってブラジルの旗振ってました!
あの事故の瞬間は今も鮮明に覚えていて、小さいながらも命の危機を察して「セナが死んじゃうかも」って母親に泣き付いた。
翌日のニュースで亡くなった事を知り、そこでまた大泣き。あまりのショックに3~4日保育園行けなかった。
その間はずっと録画してたF1のビデオ観てたけど、どのレース見ても泣いてしまっての繰り返しでしたね…
母から「セナはお空から皆のこと見てるから、いつまでも泣いてたらセナも悲しいと思うよ。」ってずっと頭撫でられてやっと立ち直りました。
セナには夢と興奮、そして命の尊さと儚さを教えてもらいました。
57歳のおじさんですが同じ気持ちでしたありがとうございます😂
幼稚園児で死を理解してたの凄い……と思ったけどそれだけ酷かったってことだもんな……
バリチェロは初優勝した時に『セナに恩返しが出来た』と人目をはばからず大泣きしてましたね😭😭
自分も単身で韓国行ったけど凄かった。旧日本軍による凄惨な虐殺行為が被害者写真とともに資料館に並べられてて戦慄した。日本人として本当に情けない気持ちになったのを覚えてる。韓国人の方々には心から謝罪したい。。。。
@@SP-nt2od それとバリチェロ関係なくね?
@@SP-nt2od
この国はグランプリをやった時レッドブルのマシンにかけちゃいけない粉末消火器をかけて今宮さんと森脇さんを呆れさせた国です。そして、ドライバー達はレ−ス終了後直ぐにこの国から逃げました。
バリチェロは
セナと同じ
🇧🇷国籍だからね。
感謝して
当たり前です。
@@Moriatsu714たぶんコメ飛びバグやな たまに見る
当時日本のF1ブームはセナの存在が大きく、セナの死とともに日本でのF1ブームが終焉していった感じだった。
モータースポーツで社会現象を起こした功績ははかり知れない。
セナが亡くなってから、しばらくF1観ませんでした
@@mariyosida7076 自分も単身で韓国行ったけど凄かった。旧日本軍による凄惨な虐殺行為が被害者写真とともに資料館に並べられてて戦慄した。日本人として本当に情けない気持ちになったのを覚えてる。韓国人の方々には心から謝罪したい。。。。
セナの死によって辛い思いをした人は沢山いる。
けど、最も重い十字架を背負ったのはミハエルだったのでは、と思う。
本来王様の地位は打倒されて奪われなくてはならない。
だけど、ミハエルは、前に立ちはだかっていた壁が、超える前に忽然と消えてしまって、突然皇帝になってしまった。
ミハエルの事を「走りがダーティだ」と言う人は多い。
だがミハエルにとって「数字」しか王様を超えた証の代わりになるものが無かったからこそ、そこに固執したのかも。
元々ミハエルは陽気な性格だったし、セナの生前は2位でも3位でも、表彰台に上がれば全力ではしゃぐ男だったのに、セナの死後は優勝のみにこだわるマシーンの様な性格にまで変容してしまった。
グランプリ41勝を上げてセナに並んだ日のインタビューで、あのミハエルが人前で人目もはばからず泣き崩れるシーンは、彼の背負った重荷の重さを察するに余りあるシーンだったのではないだろうか。
必ずしもクリーンなやり方じゃなかったのに朝食でワールドチャンピオン奪回をお祝いしてくれたデーモン・ヒル、何回も危険な目に遭わされたのにほとんどの場合笑顔で接してくれるミカ・ハッキネンなど、ミハエル・シューマッハを引き上げてくれた人たちもいたし、彼らもまたアイルトンの不慮の事故の重さを背負っていた人たちでしょう。
事故当時は中学生でした。
あの頃は日曜日にWOWOWで予選をやっていましたが、前日のバリチェロのクラッシュ映像も含めた番組の終わりに
「予選中にクラッシュしたローランド・ラッツェンバーガー選手は、搬送先の病院で亡くなりました。ご冥福をお祈りします。」
との文言が流れて
「はぁ!?」
と絶句したのを覚えています。
その翌日は深夜放送中に悪夢再び…
あの週末は一生忘れないでしょう。
数年前にビアンキが亡くなってしまいましたが、これから先は亡くなるドライバーが出ない事を切に願っています。
ラッツェンバーガーのマシンがクラッシュした際に身体にかかった衝撃は500Gでこれはビアンキ(254G)の倍位かかった事になる…
あれから時は流れ、シューマッハの息子がデビューし、アレジの息子は日本で走り、ウィリアムズのフランクが天に召された。かつて組んだHONDAは新たなパートナーと若い才能に満ちたドライバーでワールドチャンピオンを30年振りに獲得した。
唯一ずっと最前線で最速マシンを作り続けるニューウェイ
そして父は爆竹を使った
@@kou46_glock
触れないであげてw
シューマッハの2013年のスキー事故は詳細が報道されてないように思うけど、危険な滑りを楽しんでたようですね。スピード中毒も難儀やな
@@kou46_glock 草
セナだけじゃなくてラッツェンバーガーも認知されて欲しい
認知されたら君になんの得があるの?え!?もしかして身内の方??w
@@MON_MOSO_MON ただ単にラッツエンバーガーが好きだっただけですー!
@@tetsu6286 なんちゅーか、レースみたいな危険な道楽で大金稼いでた香師が勝手に事故して死んだだけやのにここまでしつこく騒げる精神が解らんわw
これがここまで悲劇として涙ながらに語られるんなら、通り魔に理不尽にやられた被害者がいるとかニュースで聞いたらショックで気絶もんやろねw
赤の他人のブラジルの運転芸人より気の毒な同胞にもっと目を向けたってなw
@@MON_MOSO_MON でもその危険な道楽で大金稼いでたやつの方がお前より全てにおいて優れてるからなぁ、、あ、クズっていう点においてはお前の方が優れてるけどもww
@@MON_MOSO_MON
その前の年まで全日本F3000を走ってて、日本でも認知されてたドライバーだったんだよ。
セナはメンタルで走るドライバーの筆頭でしたね。当時、情熱的な姿に憧れました。今も心に刻まれています。
いっていることの意味が分からんWWWW「メンタルで走る」?????
@@akira__fx4391 比喩表現理解出来んタイプ?
@@redbull_mazda 比喩表現理解できんタイプです。単に情熱的な人だったってこと?
コメ主じゃないから本当の意味はわからんけど「気持ちを全面に押し出して走る」とかみたいな感じだと思うよ、野球でも火の玉ストレートとかあるけど本当に火が出てる訳じゃないでしょ?そんな感じ
ちなみにセナは最後のドライブ直前、何かを察したかは知りませんがマシンに乗るのを非常に嫌がったそうですわよ
このセナの事故死はフジテレビのF1中継の前のニュース番組で速報が出たんだよね。
それで中継の冒頭に、解説の今宮さん、ピットレポーターの川井さんと実況の三宅アナが涙をこらえて伝えていたのをオンタイムで見てました。
追記。
スタート時のクラッシュで赤旗を出してレースを中止しなかったのは明らかにオーガナイザーの判断ミス。その当時もレギュレーションには「スタートして2周未満の赤旗は、そのスタート自体をノーカウントとしてスタートをやり直す事が出来る」との項目があり、元のグリッドからの再スタートができたはず。
なので、本来のスタートのプロセスに従って進行していればセナの事故は防げた………よね。
まぁタラレバだけど。
@@Flatout-asario さん
それ以前にラッツウェンバーガー選手が事故死した段階でレース中止するか
セナ以下選手全員が棄権していれば良かったんですよ。
イタリアの法律では
レース中の事故死=レース中止
ですから
土曜日の段階でレース中止案件満たしてますよ。
この事故ですが、夜10時過ぎのNHKのサンデースポーツ?でセナが緊急搬送された、との速報が入りました。
普段F1を扱わないNHKで伝えるのが何で?と思ったのですが、その後、夜11時台のフジテレビのニュースでは意識不明の状態で搬送されたことが判り事態が深刻である事が判明。
その後のF1放送は、レース終了直後の現地から今宮さん、川井さん、三宅アナの3人から改めて事故の状況についての説明、との生中継から入り、いったんその日のレース映像を流しながら、速報が入ればまた改めて伝える、との形式でした。
レースが開始してから15週目くらいの映像が流れている際に、カメラが切り替わり、お三方からセナが亡くなったことが伝えられました。
この時、印象に残っているのは、堪えきれず取り乱してしまった今宮さんもそうですが、自身の感情を抑えて、視聴者へ事実を伝え、セナへの思いを語っていた川井さん、三宅アナのプロ意識の高さでした。
*後に今宮さんはこの中継時の事について、「動揺して取り乱してしまい、事実をしっかりと伝えるというジャーナリストとしての職務を全う出来ず視聴者に大変申し訳なかった」と雑誌のコラムに書かれてました。
ラッツェンバーガーは婚約者がいたのに結婚前に事故死 日本のレースも走ってたので国内のドライバーたちも死を悼んだ
確か、星野さんが「セナの死よりショック」って言っていましたね…
@user-ii5eo7nr6o 確か、全日本F3000にも出走していた。
なんならこの頃のトヨタのルマンチームのエースみたいな扱いじゃなかったっけ?
父がF1好きで小学生の私も眠い目をこすりつつ見てました。大きくなってイタリアに住み始めた時にひとりでこのイモラのサーキット場に行きました。ファンの追悼メッセージやお供物やお花がまだ新しい状態のもので置いてあり未だにファンがいる事に驚きを隠せませんでした。
アイルトンセナって言ったらF1史上最高のレーサーと謳われたからな…《30年経った程度》で彼の名前が色褪せる事は無いよ
セナの国葬はTBSのブロードキャスターでも特集された、英雄達が眠るモルンビー墓地で英雄は消防隊員が担ぐのが決まりでセナの棺を担ぐ先頭の少年が泣きじゃくっていたのが印象的でした
ちなみにセナの命日がその後ブラジルの交通安全の日になっていたりもしますわ
ブラジルで追悼切手も出ました。
お父さんのためのワイドショー講座で2位でしたよね。
コンクリートウォールに突っ込んだ後、セナの首がガクンと落ちた瞬間ダメだと思った。
今でもあの瞬間は忘れられない。
セナ…と言えばロータス97Tが一番『乗れていた』マシンだったな~
97T搭乗以降、ハンドリングが良いマシンには『it’s just 97!』と言うほど97Tのハンドリングがセナ自身も気に入っていたマシンだったし…
94年のFW16はセナが『速い車ならカネなんていらない…』そこまで渇望したウィリアムズのマシンだったが前年までのハイテクデバイスがFIAに禁止されセッティングも上手く決まらないセンシティブなマシンだった。
あの週末だけでも、ラツェンバーガーの死亡事故、バリチェロの怪我の他、レース中に落輪したホイールが観客席に飛んで多数の怪我人を出した事。
ラツェンバーガーが亡くなった時点で没収レースにすれば良かったのに…
jpsか?
とんねるずの生ダラサーキットにゲストに出だ時は驚いたし、リップサービスで実現はしないとは思ってたけど今度はブラジルの自宅でやってもいいと言ってくれて凄くカッコいい人だなと思った。その分この事故のニュースを聞いた時は信じられないと思った。
セナが自分の帽子と、アイルトン・タカ(貴明)の帽子を素早く取り、交換。 🎓⇔🎓
貴明 「おぉ!セナが帽子を取り替えてくれた! 本物(大歓喜)!! 」
※『だがスローでもう1度見てみよう。 セナが右手でタカの帽子を取り 左手に持ちかえて、右手で自分の帽子を取る。その帽子を渡すのかと思いきや、
左手に持ったタカの帽子をタカに返した。 ☓⇔☓ セナ、手先の方も音速である。 一方、自分の帽子を返してもらって喜ぶこの男の明日はどっちだ。』
とんねるずもこの事故を知って猛烈に凹み
収録をキャンセルして服喪したそうです。
タカさんが自身のラジオで話してたけど、94年のブラジルGPと同じ時期にタカさんの映画の仕事がアメリカであって、そこからブラジルに行ってセナとのカート対決第二弾を計画したけど最終的に頓挫して、「秋の鈴鹿のときにやろう」と約束して、結局叶わなかったんだよね。
セナと番組中に鈴鹿で優勝したらヘルメットをあげると約束していて、事故から1年後にセナ財団からタカさんにヘルメットが届いたそうですね。
生ダラではセナは勝つことよりレースの面白さを体現することに徹していて面白く見られた記憶ありますね
昨今大型掲示板では、1レースでトラブルが相次ぐと
「マモノ暴れすぎ」なんてジョークが言われたりするけど
このときのサンマリノは、ジョークどころか言葉を発するのをためらわれるほどの
悪夢の週末でした…
魔物じゃなく、死神が来た。
「悪いことは立て続けに起こる」の究極だと思う
セナの凄さはあのシューマッハでも破れなかったポールポジション連続8回などの記録を持っている所
F1何も知らなかったのですが、何故かセナのクラッシュの映像が関連動画に出てきました。怖くなって気になって調べてたら分かりやすい解説動画があって助かりました。ありがとうございます。
アイルトン・セナは伝説の人になりました
AIで測定しても最速ドライバーとして認定され、魅せる走りを見せました。とにかく「勝ちしか意味がないんだ」と言う勝負哲学がありました。雨の日に日は速かったので素晴らしいドライビングテクニックがあったのは間違いないです。
雨でファステストラップを出している中嶋もマシンコントロールはうまかった。年齢的体力的に問題があった。当時のマシンはパワステは無かったので。
確か、初優勝した1985年ポルトガルGPの悪天候の中での実績が大きいと、思います。
F1の12年周期の呪い、、、
このレースをリアルタイムで観ていた。TV観ながら気が付いたら泣いていた
当時、セナ様の死を知って、膝から崩れ落ちました。。。。。。。
どっかの動画で、このレース前にセナ様が『このレースは開催しちゃ駄目だ』的な事を言ってたのを観た記憶が。。
安全性に欠けるコースでのレースがどんなに危険かを、主張してたと記憶してます。。。
モータースポーツで他界した方々、安らかに眠って下さい。
あなた方達の死は、無駄になってません。
音速の貴公子
貴方の活躍は永遠に皆の心の中にある
おっ!いい事言うじゃんよー
なんちゅーか、レースみたいな危険な道楽で大金稼いでた香師が勝手に事故して死んだだけやのにここまでしつこく騒げる精神が解らんわw
これがここまで悲劇として涙ながらに語られるんなら、通り魔に理不尽にやられた被害者がいるとかニュースで聞いたらショックで気絶もんやろねw
赤の他人のブラジルの運転芸人より気の毒な同胞にもっと目を向けたってなw
あ、もしかして身内の方々⁉️
@@MON_MOSO_MON 完全に釣り垢や。
@@1231t1 報告して、垢バンさせてやりましょ。
まさしく、BOTなので
いまだにあの日のことを解説している動画や記事、映画を見るたびに涙が止まらないんだよね。保育園のときから変わらず永遠の憧れでありヒーローであり続けているよ。
このレースは、現場で見てました。ラッツエンバーガーは、自分の目の前でクラッシュ。
緊急搬送されるまでのすべてを見ていました。トサのスタンドで見てたんですが、
ひとつ前のコーナーでクラッシュ。車はトサコーナーの中央で止まりました。合掌。
決勝はグランドスタンドにいたので、セナの事故は直接見ていません。
でもピットに戻ってきた事故車両を見たときに、やばいな、と感じたのを覚えています。
セナが亡くなったのを知ったのは、ホテルに戻って夕食をとっていた時でした。
ツアーで一緒だったファンのみんなが泣いていたのを呆然と見ていました。
こういうことは、あってはいけない。海外のF1見に行けたのに、つらい思い出です。
このレース中、ピットアウトしようとしたマシンのタイヤが勢いよく外れて他チームのピットクルーに激突して病院送りになった事故も発生してたよね。
凄くわかりやすかったです!これからも頑張ってください!
アイルトンセナは1992ベルギーgpの予選中、エリックコマスがクラッシュしたとき、セナが助けたこともありました。
コマスのクラッシュした時、エンジンが壊れてなかったので、アクセルを踏んでいたまま、火災で死ぬところだったと聞いています
そのコマスはサンマリノでセナのクラッシュを聞いて、いても立っても居られず赤旗中断にも関わらずマシンで現場へ向かい、大目玉を食らったそうです
オンボード映像を見ましたが,タンブレロ周辺は路面がツギハギだらけでアクティブサスのないマシンで走るのは怖かったと思います。
あれじゃあ、マシンが跳ねて飛びますよね
当時はプロスト、マンセルら人気でしたが、セナのカリスマ性は圧倒的でした。
15年ほど前、イタリア観光のなかで、イモラサーキットにも行きました。タンブレロ・コーナーにはセナを追悼する石板のほか、銅像もありました。
レース開催時以外は、観客席には自由に入れるようで、一般市民も普通に入っており、公園のような感じでした。
サーキットへは最寄りのイタリア国鉄イモラ駅から徒歩20分くらいです。
ボローニャからは鉄道で30分、フィレンツェからは60分くらいですし、割と簡単に行くことができるので、イタリア観光のついでに訪れるのも良いのではないでしょうか。
嘆きの壁ですかね。
とても興味深くわかりやすかったです。現時点の9本を一気見させていただきました!
エピソードとして若干補足すると、
①アルボレートのピット事故もあってF1クルーにも負傷者がいた。
②再スタートの時点で事故前のタンブレロでポーポイズ現象が起きている不安定な状態だった(実際事故前に他の車には見られない大きな火花が出ていた)
・当時のタンブレロは改修後のせいかカーブに5mm程度の凹凸が顕在していた(当時のVTRでアスファルトの色が無数に変わっているがそれらの継ぎ目が全て凹凸だったらしい)
・セナの事故直前のVTRでアスファルトを抜けた直後ハンドルが利かなくなるシーンがある(これの原因が分かっていないが、ジョイントが抜けたような極端な動きではない)
・その瞬間、シューのカメラで底着きみたいな火花が散っている(あれだけ派手なエンドプレート火花が散っていた車がその瞬間だけ長く小さい火花になっていた)
③昨年亡くなったマレー・ウォーカーが語っていたが、緊急手術後にヘリ搬送する際にワトキンス博士がヘリに同乗しなかった時点でセナが助からない事を悟ったという(望みがあるならワトキンス博士は同乗しただろうと語っていた)
長文失礼しました
当時でもセナはホンダ推しだったことはことは
広く伝えられたよね..
今回も詳細アップして下さりありがとうございます。
類似事故として89年のベルガーの事故がありますので、ご存知でない方は探してみて下さい。
翌年95年にブラジルに滞在していましたが、5月1日はどのチャンネルでもセナ追悼番組ばかりやっていました。この日だけはサッカーですらほとんど放送していませんでした。
それから指摘で申し訳ございませんが、3:16の画像説明のテロップは間違えていますよ。
リアルタイムで観ていてショックで3日仕事休みました(T . T)
その前のパシフィックGP(現岡山国際サーキット)で生で姿を見れたのがせめてもの救いでした。改めてご冥福をお祈りいたします。
これで3日も仕事休むって・・・・wwwww
なんちゅーか、レースみたいな危険な道楽で大金稼いでた香師が勝手に事故して死んだだけやのにここまでしつこく騒げる精神が解らんわw
これがここまで悲劇として涙ながらに語られるんなら、通り魔に理不尽にやられた被害者がいるとかニュースで聞いたらショックで気絶もんやろねw
赤の他人のブラジルの運転芸人より気の毒な同胞にもっと目を向けたってなw
あ、もしかして身内の方々⁉️
誰でも憧れの人が亡くなったらショックでしょ。あなたは、誰が亡くなっても悲しいと思わない薄情な人なんでしょうね
@@MON_MOSO_MON コピペワロスwwww
@@MON_MOSO_MON ち?おる
岡山のセナのコースレコードは永久ですね、再びF1が開催されない限りは。
Hello, my friendを聴くと、セナが思い浮かんで涙が出てきますね。
この動画では触れられなかったが、事故後ピットアウトしたマシンのタイヤが外れて他チームのピットクルーに激突して病院送りになっていたこともありましたね。
ほんとに死神が居たのではと思うレースウィークでしたね、、、
5年前に同じコーナーでのクラッシュ、同郷のラッツェンバーガーの事故、かつてのチームメイトという事もあり一番ショックだったのはゲルハルト・ベルガーだったと思います。
イメージとしては、突然ハイテクでの制御を奪われて、人間のコントロールを超えたマシンを抑え込められなかった故に起きた事故というイメージが強いシーズンだったな。
只々悲しいシーズンだった。
ハイテク前提で雑な整備調整されたコースをろくなテストもせずにハイテク削除マシンで全力実戦走行なんてさせたらこうなるって話もあったのかも。
200キロで壁に行ったら ひとたまりもない!
シューマッハーみたいに無視してハイテク使いまくればよかったのにね
ハイテクばかりつかえばドライバー間に差が無くなるのをセナが嫌ったのかも
アクティブサスペンションとなぜ言わない?
個人的には、セナよりもラッツェンバーガーの事故死の方がショックでした。
ラッツェンバーガーはF1に参戦する前、日本でレース活動をしていたので・・・。
今でも、リアタイで三宅アナと今宮さんの涙声速報を見て呆然としたのを覚えてるわ~
土曜日に、セナが「ここは滑るからすぐ改修してくれ」と言ったのに、運営側は何もしなかった。その場所でセナのマシンは本当に滑ってしまった。
あのシーズンは、おかしかったです。ハイテク禁止で、給油も始まり少ない量で常に予選モードの周回、明らかに人間が手に負えない代物になってるのは分かりました。ラリーのグループBみたいでした。ベンドリンガーのモナコのクラッシュ、翌年のオーストラリアのハッキネンのクラッシュなど、命のキケンを感じるクラッシュを思い出します。
次はビアンキの話になるのかな…
ダン・ウェルドンの可能性もあるか…
ジルとピローニの確執と2人の末路も作品にはなるか。
分かってはいることだけど、
モータースポーツって怖いんだよね。
ゲーム界ではセガのスーパーモナコGP2監修したり自動車界ではホンダ初代NSXの開発に参加したり本当に歴史に残る人ですね。
このレースは、高知から大阪に向かう夜行フェリーで観てました。
ねむねむでしたが、尋常でないことが起きていると、一発で目が覚めました。
サンマリノの一戦前、日本の岡山で行われたパシフィックGPで
初めて、生セナを観ることができたのですが、スタート直後にリタイア。
これが、セナが、生きてレースを終えられた、最後のレースになりました。
勝てなくなったマクラーレンから、勝てるはずのウィリアムズに移籍したのに
未だ勝てないまま・・
サンマリノでは、そんな微妙な心の揺らぎも影響していたのかもしれません・・
当日リアルタイムで見てました。本当にショックでした。
憂いのある表情がすきでした。
人間関係も色々あったようでしたが、F1を好きになったのはセナがいたから。
ご冥福をお祈りします😂
セナは色々と安全について訴えていた
結局自身の死を持ってこれだけ危険なんだという事を訴えることになってしまった
非常に残念な結果を迎えてしまった
セナの悲報を知った朝 呆然として何も信じられなかったのを覚えている
あれほどのカリスマ性を持ったドライバーは以後自分としては見れていない
本当に惜しい人が逝ってしまった ただただ残念である
やはり、この年からのリアクティブサスの使用禁止が大きいと思う。プロストは、路面にしっかりとタイヤが吸着できないこんな危ないマシンには乗れない、と引退を宣言した。
改めてセナの凄さを思い知りました、セナ、ローランド、ビアンキのご冥福をお祈りいたします。
ジル・ビルヌーブもですよ
キャメルカラーのロータス、
中嶋選手のマシンをすぐ近くで見た事があるけど、小ささ低さ軽さと意外な程前よりにあるドライビングシートに驚愕しました。あれで300kmはやはり異次元な世界。なので原因などを実感として理解出来るとは思えない。本当に機械的なものだったのか、やはりセナは速すぎたのでは?と、この事故を扱った本を読破しながらも考えずにいられなかった。
この年はサンマリノGP 前後で多くの事故が起きていたが、このGP の週末はまさに悪夢のようだった。
そいいえば、それ以降F1が全く興味なくなったんだよな、叶うなら、またセナを見たいな
我々世代はF1=セナだったし、亡くなった事が伝えられてもなにか現実感がなくてふわふわした感じだったけど、
今宮純さんが涙ながらコメントしているのを聞いて初めて現実なんだと感じてTVの前で号泣した。
自分も単身で韓国行ったけど凄かった。旧日本軍による凄惨な虐殺行為が被害者写真とともに資料館に並べられてて戦慄した。日本人として本当に情けない気持ちになったのを覚えてる。韓国人の方々には心から謝罪したい
当時は泣きながら中継を観ていました。セナの伝説エピソードは沢山有り過ぎますが、簡単なエピソードを1つ。テレメトリー(コンピューター)でも分からなかったエンジンの異常に気付いてエンジンを止めた事がありましたね。凄い洞察力ですよね。
も
せささょ
当時は空前のF-1ブームでゲーセンの体感ゲーム機はもちろんCDや雑誌、
パチンコ屋でもテーマ曲?を流していた時代でしたね。
正直自分はあまり興味なかったのですが有名選手はほとんど覚えています。
この動画で世界一速い男と言うだけではなく、彼の人間性も知れて良かったです。
F1好きのkinki kidsの堂本光一さんが最も尊敬していた選手だったらしく亡くなったというニュースを聞いたとき、とても仲の良かった先輩が声をかけられないほどにショックを受けて悲しんでいたという話があります。セナはとてもラジコンの腕が高かったそうで日本の模型メーカーのタミヤとも、かなり深いかかわりがあったようです。
ラジコンは空ものだった気がする
@@toskwa3582 空ものはわかりませんがタミヤとはとても仲が良かったそうですよ。(知識不足ですみません)
@@toskwa3582 自分も単身で韓国行ったけど凄かった。旧日本軍による凄惨な虐殺行為が被害者写真とともに資料館に並べられてて戦慄した。日本人として本当に情けない気持ちになったのを覚えてる。韓国人の方々には心から謝罪したい。。。。
1989年にゲルハルト・ベルガーがタンブレロで全く同じ事故を起こし、その時はマシンから炎が上がる大事故だった。にもかかわらず、コンクリートウォールさえ改修せず、タイヤバリアさえ設置せずだった。当時熱心にF1を観ていたが、年間16レース中の最も危険な箇所(コーナー)だったと記憶している。
その2年前には、ネルソン・ピケが予選で大事故を起こしてた。(涙)
当日ベルガーは、
アライヘルメット被ってたしたね。
フリー走行初日に、走りながらフランスのテレビ局にコース説明していて、解説にきていたプロストに『君が居なくて寂しいよ』って言ってたのも熱い。
セナは俺にとって永遠のヒーロー
F1の世界の素晴らしさを教えてくれた。
当時も日本人選手がF1に参戦していたけど、応援するのはなぜかセナだった。もちろん右京さんも応援してたけど。
とにかくドライバーとして、人間として、すべてが尊敬できる神がかった人だと思う。
セナの死は当時生で放送を見ていたけど、何も考えられず呆然としてそのまま朝を迎えた記憶がある。
日本人の名前でセナという名を聞くたびに思い出してしまう。
セナは無念だろうけど
この日の事故はF1衰退の重要な一因になったのは間違いない
この時のレースで、ピンチヒッターでフェラーリに乗っていたニコララリー二が生涯最高の2位になっているが、このことはほぼ忘れられた感がある。
片山右京も、5位で、生涯最高成績だったが、これもほぼ消しとんでしまった。
本編では取り上げられていませんが、ピットアウト時にタイヤが脱落してピットクルーが大怪我したのも同じ1994年サンマリノGPでしたね。
次のモナコGPから速度規制がなされましたが、そのレースでも大事故が発生。さらにその次戦スペインでも・・・
事故に限らず疑惑も多々あった1994年は個人的には最悪のシーズンだったと思います(感想は人それぞれでしょうけど)。
初コメです。
ローランドは前年まで日本でレース活動していました。
グループAオーテックM3を見てファンでした。
ハンドルの溶接はセナがハンドル低いの嫌いで(空力の為に殆んどのマシンが低く設定してた)高くする為に延長パイプを継ぎ足して、そこの強度が足りなくて破断して曲がれなかったって説もあります、テレメーターではハンドル切ってるのに曲がってない…
火花はフロアを打たないように擦り板からですので、それでパンクはしないです。
ニューエイは次のように答えた。
「実際に何が起きたのかは誰にも分からないだろうというのが本当のところだ。ステアリングコラムが壊れたのは間違いない。問題はそれが事故で壊れたのか、それが事故を引き起こしたのかということだ。疲労亀裂が見られたので、どこかの段階で壊れただろう。デザインが非常によくなかったことは疑問の余地がない。だがあらゆる証拠が指し示すのは、マシンはステアリングコラムのトラブルによってコースオフしたわけではないということだ」
事故の原因についてニューエイは、非常に細かい分析の結果、「おそらく右リヤタイヤがコース上のデブリを踏んでパンクし」、そのためにマシンのリヤが「ステップアウト」したという結論に達したようだ。「最も可能性の高い原因をひとつ選ばなければならないとしたら、それを選ぶ」とニューエイは語った。
事故の直前にバンプでリアがスライドしてオーバーステアが生じたこと、ステアリングをその後も操作しているのはテレメーターから読み取れます。
事故はスナップアンダーステア(カウンターステアによる揺り返し)によるもので、300㎞/hのスピードではたとえセナでもコントロールは出来なかったんだと思います。
一番の原因は、前年まで使えたトラクションコントロールの使用禁止。プロストに勝たせる為、当時の会長が下した悪策。ウイリアムズはマシンの開発が間に合わず、それでもセナは速く走る為の苦肉の策が仇になったのは、公然の事実。
@@薬痴寺先輩-v8z 事実誤認かと思います。
ハイテク禁止は開発競争から取り残されたフェラーリの要望を当時のFIA会長マックス・モズレーが受け入れたからです。
プロストに勝たせる為というなら、技術的優位に立っていたウィリアムズのアドバンテージを失わせるレギュレーションにするはずがありません。
ハイテク禁止がマシンバランスを崩してセナや他のドライバーの事故の遠因になったのは事実だと思いますが。
@@thanksforgiving あら、ご存知ない?プロストと当時のFIAの会長とフェラーリとのズブズブの関係を。危険回避の為のエスケープゾーンを通ったセナに対し罰金と翌年のライセンスを半年停止した事実。反論したセナに対し「F1は俺のレースだ。ルールは俺が決める、逆らう奴は走らせない。」って、ドライバーズミーティングで言ってますけど。怒って出て行くセナを会長の横でニヤニヤしながら見ているプロストの動画も有りますよ。当然そのシールズはプロストがチャンピオンで、引退に花を添えた事実。会長は引退後、フェラーリにですよ。正にズブズブの関係。
ラリー派なんですが、セナだけは別です。色々死因について取り沙汰されていますが、そのどれもが要因だと思います。レース運営側の営利主義やイモラサーキットの老朽化及び各レースへの対応が出来ない事情(2輪のGPライダーからも以前から危険だとの声があがっていた。それと各ジャンルのレース開催日等の日程調整不足で満足な路面整備が出来ないetc.)、そして最大の原因と言われるウィリアムズのエンジニアの過失と問題あり過ぎだったらしい。あと、ドクター・ワトキンスはあらゆるレーサーやライダーから信頼を得た人物です。レーサーを一番知る医師が助けられなかった事は非常に残念です。神の子はその才能故に神に召されたと思いたい。
WRCチャンピオンのセバスチャン・オジェはセナに憧れていたそうですね。他にもハミルトンやアロンソなど多くのレーサーにセナは凄く影響を与える存在でした。☺️
以前、Numberの記事かその記事を引用したサイトだったかで読んだ記事では、その方がセナが搬送された病院へ取材に行った際に、関係者と間違われて安置室までたまたま通されたそうです。セナの状態を確認したところ首の後ろが異常に出っ張っていたそうです。当時はHANSも無かったので壁に激突した際の衝撃で頸椎を骨折してほぼ即死に近い状態だったのだろう思いました。200kmものスピードで壁に激突すればかなりの衝撃があったはずで、身体はシートベルトで固定されていますが、頭部はフリーでしたので頸部へは相当なダメージはあっただろうと納得しました。
F1よりも国内レースが好きだった自分としては、ラッツェンバーガーの死のほうがショックだった。
JSPCやF3000で活躍していたのに、日本での扱いはほんの少しだった。
そのことをジャック・ビルヌーヴが言ってましたね。
「なぜラッツエンの死について追求しないのか?ラッツエンとは同じカテゴリーで戦いライバルでもあり友でもあった。セナなんて会ったこともない!」とかなり強い口調で言ってました。
当時、星野一義もラッツェンバーガーの死亡事故の扱いの酷さに怒りのコメントしてた記憶がある
フジテレビ以外のニュースで「前日にも事故で1人の選手が亡くなっており」と、完全にオマケ程度に扱われたのは悲しかったよ。
モータースポーツは死と隣合わせであると痛感させられる
レーシングドライバーはいつも、車に乗り込んだときが人生最後かもせれないと覚悟を持っているんでしょうね
オフシーズンにセナからコース改修の依頼をかけられてたイモラ側の回答
「なら引退しろ」
あり得ねえな
当時は本当に呪われた週末だったと感じました。レースで事故が起こらないことを祈るばかりです。
右京の5位はただの5位じゃなく2ヒート制になって終盤毎週3位〜5位を行き来しててフジテレビの3人も表彰台イケる!!って大興奮だった。
しかもレース中に川井ちゃんからフランクと右京のマネージャーが話してたから次戦からウィリアムズ移籍あるで!!ってさらにワクテカするレポートしてた。
右京が現役時代、じつはベネトンから誘いがあったと雑誌のインタビューで話してましたよ。
TVは人の心を一瞬で凍らせる最強のフリーザーなんだわ。
この時代のサーキット場は高速コーナーでもエスケープゾーンがとても狭くて今から見るととても危ない作りでしたね。
3:18 マシンはFW16だわ、ドライバーはクルサードだわ
なんだかんなぁ
しかし、カーNoが0という不思議。
確か、セーフティーカーは94年に導入されたはずで、この運用の基準がしっかりしていなかったのではないかと思う。それまでのF1ではスタート直後の大きなアクシデントは赤旗再スタートが基本だった。それが再スタートするには時間をしっかり取らないといけなかったため、TV放送の時間が伸びたり、最後が放送できなかった関係があって、変更したはず。もしスタート直後の事故で赤旗再スタートなら、コース整備もしっかりでき、事故の情報もある程度ドライバーに伝わるから、安心してレースができたと思うけど、セーフティーカーの間でマシンの破片がどうなったのかや、事故にあったドライバーの情報がなく動揺したドライバーもいたかもしれない。
セーフティーカーがF1に導入されたのは前年の1993年では?
音速の貴公子と呼ばれたセナが死んだ日に入れ替わるように最速の機能美と呼ばれるサイレンススズカが生まれ、セナのクラッシュと同じ日曜日に死んだのが印象に残ってる
サイレンススズカの主戦騎手だった武豊は「原因はわからないと言うかないんだ」と言って他馬の邪魔にならないところにスズカを寄せてましたね。
セナはF1見てなかった自分でも知ってるくらい有名ですね!
レース中の事故でないですがMotoGPのノリックの事故についても解説出来たらして欲しいです。
当時の報道ではセナのマシンは路面の荒れで浮いてしまい、ギアダウンやブレーキ操作が意味をなさなった
っていう話もありましたね。
セナはやっぱり、マクラーレンホンダの時が良かった‼️
3人目の子供を出産し、実家に帰っている時のことでした。
夜中の授乳をしている時に父が「セナが衝突した❗️」と言いに来て、子供を抱きながらテレビにかじりついていました。首がガクッとなったのを見て生きる❗️と思ったのですが…。
今、子供が30歳になりました。
セナが亡くなられて30年経つということですね…😢
当時はフジの中継放送を観ていました。
事故当時はセナのすぐ後ろを走っていたシューマッハのオンボード映像が流れていましたが、前方を走っていたセナのマシンがタンブレロで突然右側に消えていくのが見え、「あれ?」と思った直後にセナのマシンがコンクリートウォールに激突した直後の映像に切り替わり、大きな衝撃を受けたのを覚えています。
当時は自分はあまりセナは好きでは無かったのですが、F1界のヒーローであるセナの死は大きな出来事でした。
前日のラッツェンバーガーも。
全日本選手権走ってたし、V-OPTでマカオのコース紹介してるんだよね😓
このレース、リアルタイムで見てたわ。
ヘルメットから広がるものを見たとき、大きな喪失感に襲われたのを覚えてる。
セナが亡くなった時ブラジルではセナの追悼を含め、3日間学校や商業施設が休みになったと父から聞いたことがあります。
私からするとアイルトン・セナより静岡県の三ケ日町に住んでいたローランド・ラッチェンバーの方がショックでした。
この年のル・マン24時間レースでトヨタのマシンにローランド・ラッチェンバーの名が書かれていたのは悲しかったです。
シューマッハのベネトンB194は、電子制御を使っていると疑惑があったな。確かにV8のエンジンで異常に速かったな
もしその疑惑が事実と判明したら、どうなると思いますか?
@@零チャンネル-i1f ペナルティくらったよ
セナの死因は車の足回りの部品(サスペンションのスプリング?)が頭部直撃でほぼ即死状態だったらしいが、それ以外の目立った外傷はなかったようでその部品が直撃しなければ命に別状がなかったらしい。そういう意味でも悲運だった。
もげたタイヤの直撃だったと思います。
前走車のスプリングが飛んできてメットに刺さった、フェラーリのベルガーの件はあります。
どうも初めまして。悪夢の予兆…となる1987年、1989年、1990年、1992年のサンマリノGPで改修工事を行っておけば…あの1994年シーズンが悪夢のグランプリにならなかったかもしれん…。
'94 5/1は 忘れる事が出来ない
あの日の出来事は 今だに 現実と受け
止めきれない…
私が初めてF1を知ったのは 高3でした
テスト勉強中 TVを付けてたら 聞いた
事のない車の音に驚いて 目をやったら
赤と白の車が 猛スピードで走ってました マクラーレンMP4/4に乗った セナです 時速100〜300のスピードでの 見事なまでの ハンドル捌きに 私は 見入ってしまいました そのレースは モナコGP!そして プロストとの対決でした
トンネルから どっちが先に出て来るか? 私はセナを応援していたんです
勿論 セナが先に出て来て 優勝でした!
初めて見たレースが モナコGPなんて
今思えば 私は持ってるな❤
それから 私はセナのファンになって
しまいました。
顔も確かに 素敵ですが 私はセナのレース展開が 大好きです! 雨なのに レインタイヤに変えず いつもと変わらずの走りで 優勝しちゃうし 最後尾でも マシンの状態が悪くても ごぼう抜き…セナならではの魅力です!
'94 日本GPは 絶対観に行くと決めていました 生のセナが観たい❤ それだけを楽しみに頑張ってました…
でも それは永遠に 叶う事は出来ない
セナがいないF1なんて 考えられなかった私は 二度とF1を観ることは ありませんでした
毎年やって来る5/1 本当はこの日が
命日ですが 私は あえてセナの誕生日の
3/21に 手を合わせてます!
セナと言えば鈴鹿サーキットの予選通過ポールポジション・ラップを何年か前に光とスピーカーユニットで再現した動画が有った筈
確か母国のブラジルで反響が大きくて向こうでバズってたねえ
ホンダのF1復帰前のPRね。
あのcm、2013年日本グランプリのとき鈴鹿で流れていて感動したなぁ。
聖地で大音響で見たんだもの。
今宮さんも鬼籍に入られ、年々セナを覚えている人が少なくなるのが悲しい。
20年シーズンからイモラ復活したけど改修であまり面影を感じられない
1974年、富士スピードウェイで起きた日本レース史上最大級のクラッシュ事故を取り扱ってほしいです。
あの『魔の30度バンク』で6月2日に起きた事故でF1に近いと言われた風戸裕と星野一義の師匠だった鈴木誠一が事故死した事件ですね。以降このバンクは封印されて今はモニュメントとして一部が残されています
実際に行けば立ってられないくらいに急なバンクです。
今でも「他のコーナーだったら…」とか「もっと浅い角度で壁に…」とか「ウイリアムズに行かなければ…」なんて
助かったかもしれない可能性について考えることがある
初めまして、いつも楽しく見ています。
昨日ルマンのメルセデスの事故を取り上げていたんで、さまざまなジャンルを取り上げルマンにしても渋いところ選ぶなと感心していました。
さて、今日のセナの特集ですが私はテレビでリアルに見ていまして・・77年富士でのビルヌーヴの観客巻き添え事故以来の衝撃を受けました。
内容は合ってますが付け加えて、このレースミナルディのアルポレートがピットストップの際クルーをひいてしまうという事故もありました。
タンブレロコーナーに関しては、89年当時フェラーリのベルガーも同じコーナーでクラッシュして炎上事故になっていてその時に改善されていたら…と思ってます。
ステアリング関連に関してはセナは太い軸を好んでいましたが、チームがマンセル用に細いのにしていたという話も。
長文すいません😅因みに富士の時は7歳でしたがTBSで中継やってたんで観てました。
かつてのモータースポーツに死亡事故は付き物だった。
故に勝者は勿論、完走するだけでも讃えられた。
数年に一度は大事故があり落命するF1パイロットも珍しく無かった。
80年代半ばになるとカーボンモノコックが普及してある程度までは衝撃に耐えられるようになり、
90年代を迎える頃にはターボが禁止され極端なエンジン競争が落ち着き、
フラットボトムになりグランドエフェクト時代のようにドライバーが制御出来ない事故は減り平和な時代になったと皆が慢心していた。
コスト抑制でハイテク装備を規制した途端にこの惨状だった。
セナはぶつかったときに頭にサスペンションが刺さり頭の損傷がひどかったって言われていましたねほんとにそうなんでしょうか?
これは、外れたタイヤが20mも跳ね上がり、偶然にもセナの頭に直撃したからである。
レートとラミーの事故の時点でやめておけばよかったんだよな…
97年10月の富士スピードウェイでのF3クラッシュを解説して欲しいです。
セナ死去のニュース最初に知ったの、「おもいっきりTV」でしたな。みのさん司会のころ。この年は片山右京の快進撃にワクワクしながら見てました。・・・んでシューマッハとハッキネンとヒルのワールドチャンピオン争いですよね。懐かしい。・・・また地上波でやって欲しい。
ミカ・ハッキネンがワールドチャンピオン争いをするのは、1998~2000年です。