壊れ過ぎたF1初ターボ 先駆者なのに無冠の悲運の参戦計画【解説】【ルノー】
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- Опубликовано: 12 сен 2024
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今回はF1で初めてターボエンジンを搭載し、ターボエンジン車初優勝を飾りながらタイトルを獲得することができなかった、初期のルノーF1活動について解説します。
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5:20~「イエローティーポット」とあったので「毎戦」が「マイセン」に聞こえてしまった。
1977年ターボエンジン先駆者 未知の挑戦しました。オールフランス体制 当初は揶揄されましたが、やり続け結果をだしました。アラン・プロスト 初優勝飾り81年 83年 ブラバムBMWネルソン・ピケとの熾烈なバトル あと一歩及ばずでした。もしもチーム開発力あれば タイトル獲得したかも知れませんね 個人的意見 アラン・プロストがオールフランス Mルノーでの ワールドチャンピオン見てみたった
正直、第一期ルノーに対するバレストル会長の気持ちはよくわかる。自分も応援するメーカーが同じ立場だったら「本当はこっちが勝つはずだったのに」と思ってしまう。でもそれを憚らずに公言した挙げ句、公私混同のようなルール制定をしてしまうのは責任ある立場の人間として最悪。
レース界のシャウシェスクだったからね。
初めて買ったF1のプラモデルがルノーRE20でした
かなり昔のマシンでしたが、カラーも含めてなんだか凄くカッコよく感じたのです
この頃のウイングカーは今でも好きです
偉大なるエンジニアリングドライバー、ジャン・ピエール・ジャブイーユのルノー・ターボエンジンへの貢献は偉大な功績でした。彼は自身の成績よりもエンジンの性能向上を優先した先行策を取っていたが故に成績は低迷していましたが、彼なくしてはルノーのターボエンジンは熟成しなかったと思っています。
先駆者足ることは、チャンピオンになる事以上に偉大な事だと思う。
ゼロからのスタートで優勝できて、プロスト選手とタイトル争いまでできたのはルノーにとって素晴らしいことだと思います……、がプロスト選手が出ていってのがルノーにとって、結果的に最大の失敗でしたね。
プロストがルノーに加入してから所々で優勝するだけで無く本格的にタイトル争い出来る段階にまで引き上げたのが凄いでしたが
ブラバム&BMWターボ&ピケと言う最大難関の敵ライバルが目の前に立ちはだかる。
1983年F1はルノーワークスとプロストにとって天下取り(世界タイトル獲得)最大のチャンスだった。
ルノーはその後、1992年に供給したウィリアムズがダブルチャンピオン(翌年もダブル連覇でコンストラクターチャンピオンは最終的に3連覇!)を獲得してルノーワークスに関しては2005年と2006年にアロンソの手によって連覇でコンストラクターも連覇と時間はかかりましたがルノーの野望はかないました!
それ以降もレッドブルにエンジン供給してそこを4連覇に導く活躍…PUになってからルノーは苦しいですけど、この時代のルノーが戻ることをフランスのモーターファンは待っていることでしょう。
セナの初優勝🏆はロータスルノー。
ルノーのターボエンジンでしたね😎👍🎉
ここでは語られていませんがルノースポールは限定的ながらラリー活動もしており、スタッフは大変な仕事量だったようです。因みにこの動画ではラルースは「更迭」となっていますが、本人曰くプロストの後任にラウダを加入させようとした処、ルノーの組合の横槍に遭い失敗。嫌気がさして「84年末に辞任」しリジェへ移籍したそうです。
実家にサンクアルピーヌターボが有りました。ルノーのターボだからと言うだけで、F1もルノーを応援していました。当時のホンダに肩入れしまくって、ともすれば他メーカーを卑下するようなテレビ中継も嫌いだったからだと思います。私も良いおっさんになった現在では当時のルノーは勢いがある時は良いけど、一度躓いたら責任の押し付け合いをしていそうだし、プロストF1の日本人つまはじきの様相を見るとちょっとなんだかな?と思います。そう言いつつ、今もルノーカングーターボにも乗っています。
個人的には1980年のTAMIYA 1/12 kit にもなったRE20が好きです。グラウンドエフェクトにツインターボ、完走さえできればほぼ優勝というJabouilleのパッケージにワクワクしました。
ルノーターボの活躍はワークスよりなぜかロータスの印象が強いですね👍😅
V10NAではかなり化けたメーカーになりましたね。
ターボではダメだったけど、ノンターボのV10で圧倒的だったルノー!
NAエンジンでタイトルを取ったのは皮肉ですね~。
タイトルには恵まれなかったが参戦数年で王手をかけたことは驚愕に値する
道の技術を完成させたことも称賛に値する
最近でこそメガーヌあたりが完成度高いけどモタスポ参戦の技術がルノー市販車に見えないのはなんでだろう
マーケティングの関係上、ルノーがモータースポーツ部門をアルピーヌに統合してしまったおかげで、今となっては『ルノー・スポール』という部門自体がなくなってしまったのが我々オジサンにはとても悲しいです。
F1で勝っても負けても市販車の売り上げが変わらないという残念めーかーてはあるが
V10エンジン、ニューマチックバルブなど新しいもの入れてきたのはお見事でしたね
長い目で見たら
初期は走るシケインと呼ばれてましたね コーナーではただの1.5Lのマシンでしたからジャブイーユ氏の忍耐に感謝せねば
83年はRE40の熟成が滞ったことが響いたですね。そこが初戦から新車を投入したブラバムとの差だった気がします。
ラルースは更迭されてないですね、プロスト一人に責任を押しつけて保身を図り生き延びてます。
なので私はこの人をその後も信用してなかったですw
ルノーはデュドやテツなど船頭が多すぎて、なおかつ公団上層部の顔を伺いながらという体質もアレだったと思います。
シングルターボだから、速さは、あったけど、ターボラグや、システムが複雑で無かっただろうね。
アルピーヌだけは寂しいし日産自動車もウィリアムズルノーがほしいです。
ベルナール・デュド氏はルノー一筋の人だったんですね。ウイリアムズとのタッグで永らくルノーの現場責任者でしたよね。
82年はPP多かったのにイエローティーポットクオリティ炸裂させたのがなあ・・・。
92年にエンジンサプライヤーとして、
2005年にワークスとしてタイトル
を初獲得しているけどいずれも
自然吸気エンジンというのは
何たる皮肉………
ターボエンジンのクルマがF1で初優勝を飾ったレースなのに、
ヴィルヌーヴとアルヌーの凄まじい2位争いの方が注目されたのはなんか気の毒。
あくまでも『ターボチャージャー』の初優勝です。過給器エンジンはF1創世記に覇権を握ったアルファロメオが『スーパーチャージャー』でシーズン全勝、ファリーナがワールドチャンピオンになっています。
@@tek7388 さん 訂正感謝。修正しておきます。
当時のエンジン規定でスポーツカーは排気量×1.4の係数で、まあそれはそんなに無理な数字ではないと思ってたけど、
F1のエンジン規定では排気量×2の係数だったから(NAが3Lに対し、過給は1.5L)それはいくらなんでも無理なんじゃね? と思ってた。
でもルマンのスポーツカーで開発実績を積んだルノーがターボF1を出して、その後他のエンジンメーカーもチャレンジしていって
ターボ全盛時代を築いたのは、このルノーのチャレンジがあったからこそですね。
トヨタがターボ全盛だった頃のF-1参戦が噂されたのが、当時のルノーF-1を入手し極秘でテストドライブを繰り返していたという話…まあずっと後NAの時代のF-1に出てきたけどね
残念ながらタイトル獲得には至りませんでしたが
エンジン(ターボ)だけでなく車体シャーシも同時に自社開発設計してF1参戦して大変だったと思いますが、辛抱強く続けて初優勝出来たのは凄いと思います。
ホンダのようにエンジンだけの開発に専念してウィリアムズやマクラーレンと組んでいればタイトル獲得出来たかも知れない。
例えばリジェにルノーターボを供給してジャック・ラフィットとジャン・ピエール・ジャブイーユのコンビで参戦していれば?
70年代最後のフランスGPでF1でターボ初優勝を成し遂げたルノー、ターボでの新時代到来を予感させる初優勝だったのですね。^^
休止後のルノーターボをコスワースがチューンしてコスワースエンジンとして参戦していればどうなっていたかが気になりますね、今回も勉強になりました。^^b
ターボ最初期のルノーも、PU時代のマクラーレンHONDAみたいな苦しみ方していたんだね😓
当時は、指揮命令系統自体が回りくどくて、開発が遅々として進まなかったらしいけど、その原因の最たるものはこの当時のルノーはフランスの国営企業だったからなんだよね。
指揮命令系統のシステムもお役所のソレ😅
現場の判断で試行錯誤して、上層部や国は口を出さずにお金を出す…
必要なら政治で援護する…
これが出来てりゃ1度くらいはコンストラクターズタイトル取れていたかも❓
ルノーF1といえば、やっぱりタ-ボのイメージが強いですね
オ-ルフレンチで初優勝もフランスGPなんて、ファンの人達にとってはめっちゃ嬉しかったでしょうね
やっぱりF1は、おフランスセイ、ザマスって言ってたか?どうか?
今回の動画で思い浮かぶ話で、ホンダが第2期のターボ時にレギュレーション規定において、ホンダ除くメーカー中心に1987年規定となったターボ圧4バール規定が決定した際、ホンダ側(確か、当時のホンダF1総監督だった桜井淑敏氏)がFIAへの抗議時にルノーの話を引き合いに出した時、ホンダに対し、あえて書きませんが、差別用語を用いて罵ってきた事があったそうですが、その代わりに1988年の燃料タンク容量を195L→150L規定を追加(ホンダは燃費に関して他メーカーと比較し、マージンがあった為)したという返す刀をやっていたというのは今聞いてもスゴいエピソードですが、最近、他の投稿されていたターボ時代の話を観る事があり、この動画を含め、1980年代に全盛を迎えたターボエンジン時代は改めて、おっかない時代だったんだと思いました💦💦💦💦💦💦。
車体の信頼性以上にスタッフの不仲、人事面における責任のなすりつけ合い、ターボ導入して勝ち始めるまでの雰囲気は良かっただろうが。 現場を知らないトップが口を挟んだり、エンジン開発も人事の回りくどい行程を経ての遅さをセナが指摘していたんじゃないかな。
後々NAで成功したから、ドンマイ。
ホンダに見捨てられたウィリアムズと組んでホンダにリベンジしたのが痛快だった。
ありがとうございます。
コルタンツのデザインしたマシンは見た目が醜いのが多いなw
プジョーの905はキレイなバージョンでは性能悪かったし
燃料噴射に悩まされ、燃料規制が致命的になったかな。
ターボによるハイパワー化と発熱の問題はセットだし、
燃料を多めに吹いて気化熱による冷却は、制御が不完全だと
それこそ燃費の悪化とパワーダウンを招くだけだし。
MX41にSKのボルトオンターボ組んで、100kmも走らないうちにガスケット吹いたのはいい思い出…なのか?
ターボ全盛のF1は、当時熱狂して見てましたね。
バレストル・ミシュラン・ルノー・エアバスお断り。
エアバスって何かやったんですか?
エンジンは一流
チームは二流
空力とシャーシは三流
ルノーといいリジェといい、フランス系コンストラクターが勝利を挙げながらもチャンピオンを獲れなかったのは何が理由なんだろう。両チームとも十分な資金力と優秀な人材を持っていたはずなのに。 チャンピオンチームをいくつも輩出したイギリスとは対照的。
1977富士に来なく がっかりした思い出がある まあっ同じフランスのマトラを
見聞き出来たから良いけどね 何だかんだ言うても ルノーは先駆者さ 今でもね
ハイパーカーにも9X8で(これプジョーだったね すまん) またぞろ先駆者?として挑戦している
これまた問題多いようだが ウイングレスに挑戦してくれるだけで嬉しいよ
フェラーリ433Pか?も成熟するが楽しみですわ それに比べ
キープコンセプト?保守的?なトヨタには何の魅力も感じない
挑戦してこそレーシングカーさ だでホンダも魅力あるエンジンを作って来た
トヨタの保守的は それはそれで良いだろうが 俺は好きでは無い
ルノーやホンダのように先を見た物作りをしてほしいね 話題ソレ過ぎ?すまんすまん
トゥィンゴ?・・せっかく俺の好きなRRなのに 女向け乗用車過ぎる
まあちと過激な車にしてくれよ 不満はそこだけ?だなww
このマシンが出来のはエルフにいたフランソワギテールがいた事だね
彼は結構革新的なマシンを作るチー厶に力を入れてた。
その結果ティレル6輪F1、エルフXというトンデモマシンな副産物も生み出した訳だがw
あれ?85年にルノーワークスは撤退しても86年はロータス、リジェ、ティレルはルノーエンジンよね?
これは85年のエンジンそのまま使ったの?
それともエンジンだけは新型開発してたの?
86年はカスタマー扱いだったので、確かターボでのワークスって意味では85年で最後でしたねっ😄