【永久保存版】偉大すぎるホンダF1 60年の知られざる歴史 総集編【F1歴史解説】【ホンダF1】
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- Опубликовано: 6 июл 2024
- 【目次】
00:00 オープニング
00:25 第1期(1964-1968)
13:10 第2期(1983-1992)
40:09 無限ホンダ(1992-1999)
52:25 2.5期
63:12 第3期(2000-2008)
73:08 第4期(2015-2021)
85:54 その後
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今回は60年にも及ぶホンダF1活動の歴史、総集編をお送りします。
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日本人として「POWERED by HONDA」の文字を見るだけで心躍りますね
ただ2015年以降使われてないのが残念です
一応今INDYCARシリーズに「POWERED by HONDA」は使われてます
そうだったんですね、情報ありがとうございます!!
ホンダはF1において参戦レース数、優勝回数、チャンピオン獲得回数(ドライバーズ、コンストラクターズ)のいずれもエンジンメーカーとして歴代5位の記録
また初参戦は1964年だけど、これは後に一時代を築いたフォード・コスワースやルノーよりも早い。今季もホンダRBPTとして関わりを持っていることを考えると、F1への貢献度は他の欧州メーカーにも引けを取らないし、欧州文化のF1においてこれだけの活動と功績を残しているのは本当に立派だと思う
12気筒で1500CCって、今考えると手先が器用な人が作るミニチュアの工芸品レベル
1気筒125㏄なので普通では?二輪レーサーのRC115は50㏄の並列2気筒。ここまでくると難しくなるとは思いますが。
半世紀以上前、池袋にホンダのショールームがあり、子供が車の玩具で遊べるスペースもありました。近所に住んでいて毎日のように通っていたため、係のおじさんと顔見知りになり、1FのF1マシンのコックピットにナイショで乗せてくれました。白色だけでなく黒っぽい車もあった記憶があります。F2かF3だったのかな?
中村良夫さんの著作面白ったな。イラスト含め独特な言い回しなんか黎明期のホンダの歓びも悲哀も感じ取れて凄く惹かれました
『グランプリ 上・下』ですね。私も読みましたよ😄 中村良夫さんは戦前、中島飛行機の技術者でしたね。スカイライン生みの親 櫻井眞一郎さんもそうでした。
空冷F1は本田宗一郎氏の負の一面ですね
もし現場のエンジニアの要望通り水冷エンジンで開発を進めていたら
第一期ホンダF1はさらなる成功を納めていただろう事は想像に難くない
F1チームの監督だった中村良夫氏の著作や海老沢泰氏のドキュメントを読むと68年は中村氏と現場のチームは前年度から英国で開発してきたRA301をシーズンオフにもっと改良熟成したかった様ですが
日本国内で宗一郎氏直々で開発を進めていた空冷のRA302に人も予算も取られてRA301の改良が進まず結果、シーズン開幕からRA301は信頼性から来る細かいトラブルでリタイヤを繰り返す結果に。
中村氏の著書を見ると穏やかな表現や遠回しな記述ですが現場の意見を聞かず自分の理念理想を押し付けて来る宗一郎氏に対する強い怒りも感じます。(中村氏は著書の中では個人的な憤りは無かったと何度も記述はしていますが)
懐かしい話ですね🇯🇵のHONDAは
素晴らしいです。
アイルトン・セナ
アラン・プロスト
の最強コンビでの
絶頂期は本当に
忘れられません。
ロータスへのエンジン供給が白紙にされたとき、中村良夫さんが『雷鳴轟く、HONDAはHONDAの道を歩む』と電報を打った、と本で読んだ記憶があります。 もう、F1は自分たちでやるんだ!!、という決意がこもってて好き。
出入りは多いが、何から何まで欧州メーカーが優遇されるF1で勝ち続けてるHONDAの凄さよ。
まだ、そんな事言ってる人が居るとは
撤退と復活を繰り返すホンダ。それぞれ事情があるから仕方ないけど、大昔からずっと継続して参戦してるフェラーリは改めて凄いなと思います
あそこはレース資金を稼ぐためだけに車売ってる会社ですから…
日本のF1=ホンダという影響が強い
て言うか、ホンダ以外がダメダメでした。
ホンダの活動がまとめられて、解り易かったです。
市販車開発と両立は厳しいからエンジン供給からと考え、ロータスと手を握り、手のひら返しされたら怒ってやめるのではなく「じゃあ全部自分でやるか」となるのがすごい。働き方改革の今では無理ですね。徹夜で朝シャワー浴びに家帰ってまた出勤とかだろうな。
『電見た。ホンダはホンダの道を歩む。』というコリン・チャップマンへの返信が泣かせる。他人のせいにしないのは,武士道だった。
エンジンがPUに変更になった辺り、地上波放送が無くなったここ15年くらいF1観戦から離れていたのですが、角田くんの活躍をきっかけに今年は開幕からRUclipsで勉強中です。
この動画はホンダと最近のF1の動きが時系列で学習出来て、ありがたかったです。
このあと、日本人初優勝がトピックとして追加されたらいいなぁ😊
第一期F1由来のチャンピオンシップホワイトに赤バッジというタイプRの装いが金ピカになっていた可能性があったんですね…
85年シーズンの終盤 3連勝は翌年の飛躍を感じさせる終わりでしたが
それまで勝てそうで勝てない
勝てそうな時にしくじり自爆を繰り返して来たナイジェル・マンセルに取ってはキャリア初勝利。
マンセルの長いレーサー人生での初めての栄冠でした。(蛇足ですが初勝利まで79戦は当時の最遠初勝利記録)
65年メキシコGPで優勝し日本へ送った電報が『来た・見た・勝った』…現代まで早いようで長い道のりですね。
HONDAの初勝利=1.5リッターの最終戦、R・ギンサーの初勝利(唯一の優勝)、グッドイヤータイヤの初勝利だったんでしたよね?!
それだけにホンダが燃焼エンジンからの撤退宣言が残念。
これからもホンダには可能性を否定しない企業であってほしい。
トヨタと共に日本を牽引する企業であって欲しい
日本の最強のF1メーカーそれが「HONDA」なんだ!
第三期は、シャシーでチャンピオンを獲る挑戦だったんですね。予算がつく訳がわからん制度もHONDAらしい。
第四期のオーストリアは忘れられない。表彰台であの寡黙な田辺さんの喜びようは最高でした!
そして21年の最終戦は、信じられない。第四期はHONDAシンデレラストーリーの有終の美を飾ってくれました。
HONDAは日本の誇りです。
無限の代表は本田博俊さんですね…途中テロップが俊博さんになってるところがあります。
GP2呼ばわりされたホンダを拾ってくれたレッドブルには感謝しかない!
その感謝も込めて今でも疲れた時はレッドブルを飲んでいる。
ホンダの空冷の
RA302😢
これほど悲運なマシンはホンダにはないかもしれない……。
どんなエンジン音してたのでしょうかね。
聞いてみたかったです👍
ロータスのようなJSPカラーのF2ホンダいいですね👍
中嶋さんや全日本の
エントリー中での
ジェフ リースさんの
イメージがあります👍
ヨーロッパ~F2当初
あのナイジェル マンセルさん
タイトルをとった
ジェフ リースさん
そしてマルボロカラーの
このスピリットが次第に登場し
加わり。
のちのF1ドライバーを
2名をF1への駆け足としても育てあげたマシンでもありますね👍
鈴鹿の日本勢との交流戦でも上位で速さを見せました。
そして当時のライバル
ラルトは
カシオをスポンサーに迎え水色と白に。
さらにF1マシンのような
洗練されたデザイン
の
ニューマシンで83年から2年取りましたね👍
チャンピオンは
ジョナサン パーマ氏
とマイク サックウェル氏
タイトルは逃しましたが熾烈なバトルをした相方ロベルト モレノ氏。
FJ1300のMF318
FJマシンなのに
後スバルのFJ1600より
豪華な空力パーツが💦👍かっこいいけど💦
🆒
RC1.0x マクラーレンよりフェラーリに近い見た目ですね👍やはり。
🆒
2.0xはいつかの
ベネトンルノーに 似てます🆒👍
無限代表は本田博俊ですよ。俊博は二階さんです。
F1もモトGPでの活躍も過去のものとなりました。GDPが4位にまで陥落したように、モータースポーツでも日本は衰退の一途を辿っているのです。
Maxでも握りやすく持ちやすい!今までのカメラ重心のバランスとの差。どうしても店頭での確認で14ProMaxまでの持ちにくさがあってMaxはどうかなぁ〜注文後気にはしてはいましたが違和感なく氏がおっしゃる通りでしたね。よかったです。残念な点はアクションボタンはクリックで機能変化できるとよかったかな?とは思いました。
BBCのトップギアで2代目NSXを紹介する時、「最近はおばあちゃんが乗るような車ばかり造ってる」と言われ、そのNSXも日本で1番売れない車になってました。F1のイメージとは真逆の市販車がなんとも淋しい。
26:18 テレメトリーシステム
ターボエンジンなら1cc1馬力って本田宗一郎さんが言ってました
97年のプロストの中野に対するパワハラは酷かったな・・・。
パニスですら、中野へのパワハラをやめるよう訴えてたらしい・・・。
マン島TTレース初出場は1959年(昭和34年)だよ。270は270km/h以上出ると云う意味だよ。
ホンダは撤退と復活を繰り返してきましたけど、また復活の見込み…レッドブルはフォードに鞍替えが決まったもののワークスPUが欲しいアストンマーチンとの提携となります!そこにはアロンソがいますけど、彼はホンダをマクラーレン時代に批判していましたから彼の動向はどうなるのでしょう?ただ、今のアロンソはホンダの強さを外から見て惚れちゃってますからね…恐らく残留すると見ています。
ホンダで屈辱を味わった男がホンダで復活する…なんてドラマも見たいですね!(ただ、アロンソ自身の年齢と新規定のPUにホンダが対応できるかどうかが不安…)
何度撤退しても、最終的には強くなって帰って来るのがホンダがF1大好きな証拠だよね。むしろ改革もせず、低空飛行でダラダラ続けているルノーよりも情熱があるように見える。
政治力で黒を白にするフェラーリ、「何故か」ルール改正の遥か昔からPU開発をしていたメルセデス、勝つ為ならクラッシュゲートをするルノー。
こんなことが罷り通る世界に正攻法で挑み続けるHONDA
第3期ってBARが一時期強かった(とはいえ当時はフェラーリ黄金期)以外は強くなかったぞ、特にBARからチームを買収した後は酷いぞ。
逆にエンジンでは第二期ホンダ撤退後、ルノーは最強エンジンだったし、ベネトンからチームを買収後にルノーはアロンソでチャンピオンになっとる。
今のルノー、アルピーヌは低迷しているが、エンジンサプライヤーとしてもコンストラクターとしてもルノーの方が勝利数は多いし、タイトルは取ってるぞ。
知ったかはやめとけ。
確かに第3期は微妙でしたが、個人的にBGP001が第3期最後の輝きだと思っていたり。「あの速さはホンダの遺産」という前提自体が願望だとはわかっているのですが、子供の時の鮮烈な記録は今更変えられない...
@@millionfilms95712006年ハンガリーGPの1勝だっただけにね👍‼️
@@Railton-bb
ダブルディフューザーやろ?
あれは凄かったが、実際に勝てていたのはメルセデスエンジンあってのものだぞ。
当時、開発凍結された2.4Lエンジンで、ホンダはメルセデス、トヨタに対して劣っていたからな。
ダブルディフューザー+メルセデスエンジンだったからブラウンGPは勝ててた。
参戦、撤退、参戦の繰り返し。継続は力、もし、ずうっと参戦し続けていたらフェラーリと並ぶ、偉大なメーカーだったのに、惜しいね。
参戦、撤退、参戦の繰り返しはルノーも同じ。
実際、近代F1で参戦した第二期から第四期の間で完全撤退したのは第三期から第四期の数年だけで、第二期から第三期は無限ホンダ、第四期からアストンマーチンと組む第五期の間はホンダRBPTで継続している。
継続は力なり
気持ちは分かる。
ただフェラーリはF1やめたら直に売上に響くからね。
でも、やっぱホンダも継続して欲しいよな
日本人ならホンダが好きって考えの人多いですよね・・・
俺はホンダは好きだが、日本人ならホンダが好きって考えの人は多くない。
多ければ普通車がもっと売れてるぞ。
私は乗っているクルマはトヨタですがF1ではホンダを応援しています。
ホンダF1はトヨタF1よりも一生懸命が感じられた。
ただ市販車については(諸事情により)ホンダ車を買いたいという気持ちにはならない
本田最高に良いです今の電気フォーミラつまらない
本田宗一郎が通ってた鰻屋行ったことあるけど
こんなので通うんだ❗とは思った。
好みは人それぞれだけどね。
出たり戻ったりホンダはあんまし好きじゃない
この偉業はバカTには、とうてい出来ない
トヨタのモータースポーツ活動がイマイチだから、日本人ファンはホンダを応援するしかない。
出入りしすぎだな、次は永久追放もあるぞ
永久追放?クラッシュゲートしたり無気力経営してるルノーにピッタリだね!
それはトヨタだろ?
そうトヨタだね。フェラーリから泥棒もしたし
ホンダもルノーも大衆車メーカーなのに頑張っている。むしろマクラーレンの様にエンジン頼みのチームの割に口出しするチームやフェラーリみたいに勝てない老舗はもうどうかと思う。ヨーロッパのレースなんて所詮はオワコンでしょ?昔の名前で出ていますってこと?
@@yukihiro7116フェラーリはF1やるためにロードカー造って売ってるスタンスは今も変わらないから勝ち負けに関わらず参戦してるだけ