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中川の短絡線完成前に10100系で名古屋に行った思い出があります。小学2年生で名古屋の東山動物園にゴリラを見に行きました。見物客に💩を投げつけるというゴリラで、本当💩を投げつけてきた。それはともかく、帰りもビスタカーで子供心に物凄くワクワクしましたね。1枚だけ車内の写真がありますが、シートの背もたれの上部に見えているコードはラジオのイヤホンですよね。こんな設備もワクワクでした。もう一つの思い出。帰りの電車は混雑していて、当時は指定席なしで乗れたようなんですね。通路にも立ちの人がいて。私たちは祖母も入れて5人だったんで、1席だけ別車両の離れた座席になっており、その席に高齢男性が座っていました。母も祖母も、せっかく入手した切符なのに車掌さん言いうのも気が引けた(昭和30年代とはそんな時代)様子で、そんな姿を見て、僕が言ってくると切符を持ってそこに行き、この席は僕の席です、と言って空けてもらいました。そのおじいちゃんも「そうか」と言ってすくっと立ってしっかりとした姿勢で立っておられました。しばらくその姿を見いて「おじいちゃん、僕、みんなのところにいるから、この席座っていていいよ」と言って家族のところに戻り、経緯を離したら、祖母が「それでええねん」と頭をなでてくれました。それくらい近鉄名阪特急は当時、それだけ混雑するほどの人気だったのです。
必要性の低い茶番もなく、列車の特徴をしっかりと伝えてくれるいい構成ですね。これからの動画も楽しみです。
1978年に30000系が登場した時はビスタカーⅢ世であって、ビスタEXじゃないよ!(ビスタEXは、アーバンライナー登場以降に名阪ノンストップ特急から撤退して、伊勢特急メインに運用されることになった際の更新工事実施以降の愛称)
ビスタⅡ世は幼少期に引退直前の阪伊乙特急に一度だけ乗った記憶がありますね余談ですが、30000系ビスタEXの名称は確か車体更新後の名称で、ビスタⅢ世と30000系の登場時は呼称されていたはずです
子供の頃、うちの近所をはしっていた近鉄大阪線にビスタカーが来るたびに、かじりついて見てました。今見ても古さを感じさせないいいデザインの車両だと思います。
佐伯勇氏、さえきいさむですね。近鉄バファローズの名古屋でのホームゲーム、大阪から名古屋への移動は新幹線でなく名阪特急だったそうです。
ビスタカーはいつまで経ってもやっぱり乗りたくなる名特急。大阪行く際に乗りたくてわざわざ伊勢中川で乗り換えたのはいい思い出...
名古屋線の改軌には伊勢湾台風の惨状を克服したことも近鉄の空前の苦労に思いをはせます。
ビスタⅡ世の名で親しまれている10100系は、伊勢湾台風の被害による復興を契機に、近鉄初の名阪直通特急として活躍してくれました!東海道新幹線開業で3両編成となり寂しい晩年でしたが、後輩の特急車両に「低価格と乗り得な設備で勝負するんだ!」と教えてくれた存在といえるでしょうね。
10100系はABC3種類の編成、まさに「理論上考えられるものを全て用意した」という点が面白く、10000系に始まる2階建てを分散した凸凹は10100系や30000系では併結によって引き継がれましたね。でもそれだけじゃない走行性能の強みを初めて知りました。
貫通形先頭車は、初代または2代目エースカーと同じ顔つきです(ここにも逆三角形の「特急」エンブレムが付きます)。但しそれらと異なるのは、貫通形先頭車運転台寄りにパンタグラフがあるかないかの違いだけです。
子供の時に奈良線で回送で目撃し格好いいと一目惚れしたの想い出。
10100系が存在していたからこそ、初代あおぞら20100系(3両とも2階建て・真ん中のT車の1階部分に機器類を全て集約・連接台車は採用せず)の誕生に繋がったのです。この20100系も10100系と同じように、団体旅行(主に修学旅行)の需要に応じて基本的に3両・6両と言った感じで組成されていて、1989年10月のさよなら運転時には9両編成(京都~八木3両・上本町~八木3両・八木で併結・八木~中川6両・名古屋~中川3両・中川でさらに併結・中川~鳥羽9両)による運転が実施されていました。
小生は1977年の夏に、「名阪ノンストップ」の行先札を表示した、つまり名阪甲特急に運用中の10100系C編成を見たことがあります。
本当に近鉄は保存車を原則残さないのは残念。小田急のようにミュージアムを設立すれば絶対行きますよ!新ビスタは間違いなく近鉄で一番格好良かった形式だと思う。最後のACB三重連とか、近年の小田急VSEのような華のある終わり方だった(世代的に一度もみずじまいだったけど😢)
逆に映像記録はしっかり作られてたで。10000系の映像見たら当時としてかなりの力作やったし。毎年人海戦術で補修する現物保管よりフィルム残したほうがエエって当時の近鉄首脳は考えてはったんやろ(=リアリストやで!?)。
近鉄はただでさえ路線網が広いうえに旧型車もかなりの数残存していたから廃車車両から機器流用して旧性能車を置き換えたいぐらいなので、10000系も10100系も足回りをはぎ取って通勤電車にするのは当然のことです。
子供の頃の絵本の『にかいだてでんしゃ』の絵は 決まってこの電車でした。『頭とシッポの形が違う』『A・B・Cの3種類の編成がある』という点では 近鉄と双璧をなす東の大私鉄 東武の『5700系』と似たところがありますね。
両生類のような不気味な車両だなと思った幼稚園の私因みに貫通側は片目の大きい猫ちゃんと思ったわ。ただ新幹線と似てるなと時々おもたが、あながち間違いではなかった。何せ近車の新幹線のプレゼン書類でこの手のトカゲ面も候補に入っていた位だからな。
ビスタカーは幾度となく利用したが、優美な10100系[特急]と無骨な2200[急行]は好対照.
10100系新ビスタカーは子供の頃の私鉄特急の西の横綱というイメージ。東の横綱は小田急NSEか東武DRCかな。
13:10 これはビスタⅢ世かなビスタⅢ世をリニューアルしたのがビスタEX
そうだな、ビスタカーⅢ世だな。確か当時のあだ名はハーモニカ。今も昔も、俺のヒーロー。ビスタEXも良いけど、オリジナルスタイルが最も好ましい。
30000系が全廃される時に、後継車両として二階建て車両が新造されることは素人目に見ても可能性が低いので、全廃される日が永遠に来てほしくない・・・・
事実上しまかぜがビスタの後継車になってるそうですよ
なにがどう事実上の後継なのか、いみふ。
@@SC-e5g 2階建てがあるからなんかね?正直自分でもビスタの後継とはあんまり思わないけどねw
子供の頃、この車輌含め近鉄特急に乗ると何故かリバースしてしまうという車酔いならぬ近鉄特急酔いに悩まされていました。
登場当時は「伊勢湾台風からの復興」のシンボルだったそうですね。
晩年の京都線での運用、京都線橿原線の車両限界解消後だったので活躍した期間は短かったですね。
2:25 A編成とB編成が逆です‼️🫵🏻この10100は2つの顔を持つのもご愛嬌でした♡ 非貫通、貫通、何方の顔も素敵です❣️
近鉄10100系ビスタカーはその2階だて車両連結も魅力ですが、個性的な流線型と貫通形の2つの顔を、それも日常的に見せて走っていたのも魅力的でしたね。次代の30000系ビスタカーも嫌いなモデルではありませんが、やはり流線型の顔が消えたのが個人的にはショックでしたが、その10100系引退から約10年後に本格的な流線型のスタイルを持つアーバンライナーが登場し、以降は汎用モデルで貫通形を採用する一方で、個性的な流線型や非貫通の前面のモデルも沢山登場させ、10100系も安らかな眠りについているのではないでしょうか。懐かしい話題を有難うございます。
子供の頃、家の近くで疾走するビスタカーをよく見た。3両連接車の独特なリズム感あふれる音は今でもハッキリ覚えている。
湯の山特急で爆走していたのを覚えて居ます😃
ああ、面白かった。やはり近鉄のトピックは楽しい。
貫通と流線型を両立柔軟に対応
70年大阪万博の時、行きは近鉄ビスタカー、帰りは新製のスナックカーを利用した。
人気車両なのにかなり短命だったのは、保守に難があったのと居住性も更新が難しい特殊な構造だった為でもあります。それに実はあまり乗り心地は揺れが多くて台車交換したりしてましたね。また一部スナックコーナー化されていたり、テレビカーのテストをしていた編成もありましたね。
3車体4台車の連接車だった為車検の際に専用のジャッキで車体を持ち上げなくてはならなかった事、ビスタドームカーに乗降扉が無かった為、停車駅の多い「乙特急」に向いていなかった事、ビスタドームカーの天井が低い為、空調の機器が悪かった事が欠点でした。
@@ませあきたつ 元々が名阪ノンストップ用に特化した車両ですからね。真ん中の二階建て車両に乗り降りドアは片側対角線状にはありますが、その反対側に重い空調器を置いた為乗り心地が良くなかったのではないかと想像できます。台車に横揺れ防止の必需品であるボルスターアンカーが無いのも致命傷でした。
近鉄は昔から、新しいアイデアを満載した車両や設備を第一人車として送り出すのは上手いんだが、その新しい画期的なアイテムをあまり活かし切れず、他の鉄道会社の方が上手く生かしてお株を奪われてきたのが残念…二階建て車両も⇒その後、旧国鉄(JR)で100系新幹線に、在来線規格の二階建て車両も⇒JR東日本の二階建てグリーン車に、同じ在阪の京阪特急に、列車電話⇒これも旧国鉄旧こだまや新幹線に☎、シートラジオ⇒国鉄末期からJR後に新幹線や他の鉄道会社がシートオーディオサービスに🎧、まっ、列車電話とシートオーディオは、後のアーバンライナーで見事回収復活したが今ではどちらもオワコンサービスに…🙅♀️😅
流線形の先頭車も美しいんですが、貫通形先頭車の高運転台と低運転台を組み合わた正面デザインは現代の電車でよく見られるもので、個人的に好きなポイントだったりします。
うちは子供だったので、帰りに、両先頭貫通型が来た時には、ガックリでした。行きには流線型車に乗れたのですが、その行きは2階に乗車じゃなかった…(笑)
小田急NSE車が平坦線170キロと豪語していますが営業運転いん張力曲線をみる限り近鉄10100系とあまり変わらないと思います。営業運用の違いですがビスタは連続急勾配をかけ上るので加速度は2・5かたやNSE車は勾配がほとんどなく途中停まらないんで加速度1・5で開きがあります。
当時の小田急のひっ迫したダイヤではさすがに宝の持ち腐れでしたね。返す返す思いますが複々線がもう少し早く登戸まで全通していたら…
10100系、非貫通型は勿論貫通型も旧エースカーのベースで十分濃いな!残念ながらリアルでは乗る機会なかったけど・・・・。晩年はスナックカーとの連結もあったんかな?
最初見たときは、私鉄版新幹線と言う印象があったが、後に彼の方が5年先輩(1959年製)で驚いた。成る程、新幹線のモデル候補に成るのも納得、実際に近畿車輛の新幹線のプレゼン構想画像にもこの手のデザインは入っていたからな。
10100系かああ....いい車両だったんだろうけどあの事故のイメ-ジが強すぎてなああ小さい頃に一度だけ乗った事あったけど良く覚えていない;;
2階建て車両は日本ではほぼ全てダブルデッカーですが、初代ビスタカーの10000系の2階建て車両は珍しいドームカーでした。それがカッコ良かった。
今でも高い需要度を誇る名阪甲特急の礎となった近鉄10100系。保存車は無く全て解体されたけど、走行機器や台車は2000系や920系(現在の1010系)に搭載されて今も現役。
10100系は役目終えた後に、大銀行が長野県かどこかのリゾート地に静態保存したがっていたらしいが、結局メカニズムがややこしいので結局重機の餌に😭
流線形前面と貫通型前面の並立は小田急のMSEに採用されていますが、この時代に既に実用化されていたんですね。
物心がついた頃の私にとって憧れの列車でした。2階席、1階席ともに乗ったことがあります。2階席よりも地面スレスレの目線で景色が流れてゆくのが他の列車では味わえない経験でした。一つ気になるのが、1階席は通り抜けできる構造だったか?どなたか覚えてみえる方はいらっしゃらないでしょうか?
アーバンライナーはプラスかネクスト、伊勢志摩ライナーは絶対に伊勢志摩ライナー、ひのとりは絶対にひのとりですが、一般特急車は完全にガチャなのが近鉄特急のすごいところです。汎用性が高いというべきでしょうか。ACEが来たらラッキーで、そうでなければ…な感じです。
ACEは汎用特急と言われているけど、内装や設備は相当考えて造り込まれている名車だと思います。世間はもっと評価してあげてほしい。
ACEは阪神にも神戸三宮まで団体専用として乗り入れてますからね。
10100系1編成でもいいから五位堂か高安車庫どちらかに保存してほしかったですね。そうしたら今頃近鉄まつりで一般公開されていたでしょうし。初代や二代より3代目VISTAが長生きして現役で活躍しているのは驚きです。三代目が今でも現役なのは初代や二代の長所を取り入れて作られたからだと思います。話しはそれますがしまかぜやひのとりは名目上VISTA扱いらしいです。
当時の近鉄は吊り掛け駆動車がわんさかいたので、カルダン駆動車のビスタカーは解体して足回り流用するのは必然的です。
当時本線で吊り掛け駆動車が全くいなかったのは奈良線だけですし、京都線も橿原線も買収会社の引継ぎ車でいっぱいでこれらは大半がボロで8000系だけではこれらの置き換えが出来ない程でしたし、カルダン駆動の車両をもっと欲しいのは当然ですよね?だったら特急型だろうと足回りを引っぺがしてまで通勤車にするのは当たり前。
確かにコストを考えるとそうなるでしょうね。流用の方が安くすむし。あと車両を保存するのも維持費かかりますしね。足回りの流用は京阪8000系が該当しますね。確か旧3000系のを流用しコストカットしたみたいです。車体の方は富山地鉄や大井川鐵道に売却し売却先で別の足回りに履き直したとの事。長文失礼しました。あとお返事ありがとうございました。
デザインの美しさは、21000系アーバンライナーと双璧
次のフラッグシップのビスタカーⅢ世は流線形でない貫通扉付きで汎用特急みたいでしたからね。
最晩年のAーCーBのビスタ二世三重連は、運転区間のあちこちで艶姿を写真撮影しようとするカメラマンが多数現れれました。
カトーからリニューアル発売されるからタイムリーネタダネ。
愛知県に住んでいる自分から見ても、鉄道図鑑に載っているこの車両、地元名鉄7000系パノラマカーよりも感動した。ただ図鑑の時期、昭和47年頃はまだ、「二階建て」「名阪ノンストップ」とフレーズが続いたが、既に後者の方は撤退気味という感じ。昭和51年以降では、「車歴が古くスナックカーに変わられつつある」「将来的には廃止」とあった。ただその頃から国鉄は相次ぐ値上げで近鉄に再び日が当たり始めていた。次の30000系も、アーバンライナーも、この系式での接客の思想が受け継がれているのでは?😊
11000系は 乗った事ないんだよな 30000系ビスタカーって子供の頃のイメージそれでも 京都から伊勢まで 楽しい旅行でしたね近鉄特急と言えば 2階建て 3両編成で よく考えたもんですわ
近鉄10100系と南海20000系は、なんとなく似ている様な気がします。
昭和30年代から40年代の特急車両って、いまでいうレトロフューチャー的なデザイン。ご指摘の二形式や東武デラックスロマンスカー、小田急NSE、国鉄特急各種、EF66…素晴らしい造形をしてますよね。
戦時中統合会社だった頃の名残りでしょうか。
@@対馬裕也 様ご返信ありがとうございます。その影響も有るかと思います。戦時中は混沌としていましたね。近鉄10100系、南海20000系共に好きなデザインです。
@@ケワタガモv9f 様ご返信ありがとうございます。この頃のデザインは優美な雰囲気で良いですね。
どちらも関西人から言わせてもらえば、下ぶくれの「お多福顔」だからね😁その下ぶくれのお多福顔が…旧国鉄の117系(WESTーEXPRESS 銀河)に受け継がれて現在に至るという😊
名阪甲特急は一時期、1両(両運転台)での運用も考えられていた様ですね。
サムネはインパクト大の列車。
3代目ビスタ乗りましたが、2代目は見た時乗りたいと思いましたが、乗れなかったです
10100系便所は階下にあったが垂れ流しを改める際に強引な改造してた
02:27 ずつと前にABC編成のパターンは上本町よりが非貫通の編成をA編成 宇治山田よりが非貫通の編成をB編成と聴いた様な??
101000系は近鉄特急の「看板的象徴」で歌にまでされたほどの名車だったが「東海道新幹線」という宿敵には叶わず甲特急は汎用型2両で事足りるくらいまで凋落したのも束の間。、近鉄は広大な路線網を強みとして新幹線の名古屋~伊勢、京都~奈良・吉野と言う観光地誘致に軸足を変えたのも束の間、国鉄のバク上がりの値上げで甲特急にVista3世の爆誕により汎用型と併結して名阪甲特急は勿論は阪伊・名伊、通勤ライナー的阪奈特急等に使われ、今は改装をしVistaEXとして近鉄特急の一翼を今も担っている。名阪特急は1980年代に「Urban Liner」2020年に「ひのとり」と甲特急の主役が交代したが、乙特急としての「Urban Liner」もその気高さから今では名阪以外の標準軌幹線の特急として走り回ると期待しています。
まぁ、名阪間のシェアを回復させたのはアーバンライナーでした。あの当時ではあまりにも流麗なスタイルと、素晴らしい車内設備。間違いなく近鉄の威信を賭けた車両でした。でも、やっぱ、俺のヒーローはやっぱりビスタⅢ世。当時ホントに憧れで、格好良かったなあ。ビスタⅡ世はなんとか記憶ギリギリで覚えています。最期は東花園車庫や、西大寺車庫に留置されていたような覚えがあります。
名阪甲特急が2両編成まで短くなっても運行をやめなかったのは それでも利用客がゼロではなかったから。国鉄値上げ前でも「新幹線は高くてアホらしい。近鉄がええんや。」というお客さんが少ないながらもいました。一時期 甲特急用『1M方式単行運転』の特急車の開発も 本気で考えていたとか。
@@toriri-serviceさん更に開発費用も勿体無い、として1、1,8000系の新性能化2、1,8200系の専属車化3、680系のオールM化4、683系の新性能、冷房化まで検討されていたそうです。実際46年の総谷トンネル事故後は更に乗客減っていたのですが千日デパート火災後も滅多に起こらん火事に備えて金出せるかあ!こっちは汗水流して稼いだ金転がってメシ食ってるんじゃあ!ワンセット数千万の消防設備より数十万罰金払う方がええわと言う命より目先の金!の大阪人気質と新幹線は東京ー新大阪の輸送がメイン、名阪輸送ぐらいくれてやるわ!の国鉄殿様商法に支えられてましたね。
@@デーブホーさんアーバンライナーの好調も名阪より東京ー新大阪、のJR東海商法に助けられた面が大。実際当時は日航ジャンボ機墜落事故の余波で東京ー大阪では新幹線がメインで線路容量いっぱいまでひかりが運転されていたし、日航をスポンサー企業にしていた巨人軍でさえ広島遠征を新幹線に切り替え、更に年一回の北海道巡業も中止もしくは全日空千歳往復2便利用(但し2便利用は昔からで長嶋茂雄の現役時代は万が一を考えて絶対王と同じ便には乗せなかった)、鉄道会社が親会社の阪神タイガースや阪急ブレーブス、近鉄バファローズや南海ホークスでさえ、東京遠征には個人でさえ飛行機利用厳禁を通達してます(西武ライオンズは国鉄と競合しないのもあって昔から国鉄のチケットを安く回してもらっていた)金村義明が近鉄シブチン伝説のネタにする「名古屋遠征近鉄利用」も遠征費ケチる以上に10100系最晩年の西本監督時代には「正面衝突する会社なんか恐ろしくて使えん」と監督が言い切って名古屋遠征でさえ新幹線、もしくは急行「比叡」利用に切り替えたのが原因。近鉄利用に切り替わったのは急行「比叡」が廃止されて遠征費ケチれなくなったから。あのレジェンド鈴木投手が冷房もない153系のボックスシートに座るんですからね。
@@古家武史-f5d さま680系や683系の甲特急も 見てみたかった気がします。シートなんかもリクライニング💺に改装したりしてたでしょうね。
近鉄沿線にガキの頃住んでたからこのクルマと800系とあおぞら号はなんか好きやったただ修学旅行に行ったときはもう引退してたし、、、このクルマの後継車が大規模更新工事 したっちゅうてもまだまだ現役やわなwもう近鉄はビスタカーの完全な新型こしらえる気がないんやろか?
昭和の頃みたいに機器流用して車体だけ新しく作りますか?今時ないですよねそれ。
近鉄が車両保存をほとんどしてないのが残念ですビスタカーすら保存されてないのが…
現在五位堂にいる創業当時の車両もたまたま玉川工場で入換車として使われてたのが生き残ってただけと聞いたことがある。10000系10100系は言うに及ばず2200系とか800系とか6800系とか、残しておいてくれてもいいようなものだったのに
車両の保存は決して簡単では無いのはご存知ですか?場所の確保や保存後のメンテナンス…とにかく資金が掛かる割には、保存車両は生産性は無いですからね。
関東大手私鉄の様に収益が潤沢にあれば、博物館を造って保存も出来る可能性もあると思いますが、関西私鉄ではそこまでの余裕が無いのでしょうね。
@@えーちゃん-o5n というより近鉄の吊り掛け駆動車が尋常じゃないほどいるから、カルダン駆動車は特急型であろうと通勤型に格下げ改造してまで古い順に吊り掛け駆動車を葬っていった。カルダン駆動車は近鉄にとっては虎の子で、8000系列、2600系列だけでは数が足りんから特急でも何でも足回りよこしやがれって頃です。
@@えーちゃん-o5nそれでもあまりに近鉄は保存車輌が無さ過ぎる(あるのは大軌時代のチン電)から我々は寂し過ぎる…って話してんだよ。そんな車輌保存のなんたらや現場のどうのこうの何てマジレスは期待していない。
[10100系前史]① 名阪間及び阪伊間で、参宮急行電鉄(大阪電気軌道の姉妹関係)・関西急行電鉄(旧・伊勢電気鉄道を吸収合併)が伊勢中川駅を介して1938年に関急名古屋駅まで開業させた事で、事実上電気鉄道線での日本最長路線ネットワークが完成。しかし、その代償で先に参急の手で伊勢中川ー江戸橋間を標準軌で開業させたのを、わざわざ狭軌にせざるを得なかった。② 先の世界大戦で日本が敗戦し、壊滅的な混乱を来した鉄道網だが何とか光明をと、近鉄は全国の民鉄で初めて「座席定員制」特急列車として今の「名阪特急」の運行を計画、1947年に戦前製造の程度が良かった車両を抜擢し再整備をして運転を開始させた。(大阪線側)元・参急2200系(名古屋線側)元・関急6301形③ 戦後の混乱から、奇跡的な復興を続ける社会でようやく落ち着きを見せて、旅行を楽しむ庶民も帰って来た1953年に吊り掛け駆動方式ながら、国内最高性能を誇る専用車両を新造してそれぞれ就役させた。(大阪線側)2250系/回転式クロスシート、近畿車輛製(名古屋線側)6421系/同上、車両長さ19m,日本車輌製造製→ 当時、国鉄四日市駅近傍に近鉄四日市駅も所在して急カーブが在り、その関係で車両長さは最大19mだった。この時、既に佐伯勇・近畿日本鉄道代表取締役社長は名古屋線全線の標準軌化を採択、長期計画で準備工事を始める様に指示していた。同時に、鉄道の可能性を探る為にアメリカへ視察旅行へ。④ 好景気に湧き、人々の生活もゆとりが定着して人気も拡大している名阪特急。いよいよ、付加価値を付けて更なる進化をと冷房装置・公衆電話・シートラジオ装備へ。⑤ 新時代へと、遂に新しいコンセプトの車両が登場。(大阪線側)10000系/2250系と同じ、近畿車輛製(名古屋線側)6431系/車両長さが21mに、日本車輌製造製(同社発注最終)両形式が就役後、1959年9月下旬に伊勢湾台風が襲来して壊滅的な被害を受ける。そこで、佐伯社長の英断で名古屋線の復旧工事を標準軌化工事と同時進行で実施を決定。予定を大幅に繰り上げて、1959年11月には全て竣工させた。それを狙って、待望の10100系「2代目ビスタカー」も伊勢中川駅でのスイッチバックで、1959年12月に名阪甲特急専用車両としてお目見え。[10100系後史]① 東海道新幹線が全線開業後、フィーダーの役割で乗客が激増した「乙特急」とは対称的に大きく落ち込んだ「名阪甲特急」。その穴埋めに使用されたのは、10400系「エースカー」よりも11400系「新エースカー」や12200系「新スナックカー」。10400系「エースカー」・12000系「スナックカー」は、共に前述の試作要素もあって両数は少なかった。② その後、国鉄の相次ぐ値上げで再び近鉄「名阪特急」にチャンス到来。そこで、今度は「名阪特急」全体でビジネス利用が飛躍的に増えた事もあって、1977年に当時の最新設備を備えコンセプトを一新させた12400系「サニーカー」を就役。好評だったので、12410系「サニーカー」を「名阪甲特急」専用車両として。3両固定編成としたが、少しずつ乗客が回復してきたので中間車両を付随車で追加。しかし、重心が足りなくなり設計を大幅に変更して、空調装置をそのまま床下へ配置。③ 1978年9月で全車引退となった10100系「2代目ビスタカー」、その走り装置は30000系「VISTA EX」の当初数編成と一般形式数編成へ。尚、30000系は台車を現在のシュリーレン式台車に換装。大半は走り装置も新造。④ 1980年代に入り、名阪甲特急は加速度的に乗客が回復して「サニーカー」では早くも対応出来なくなった。そこで、当初から密着式自動連結器+電気連結器を備えて分割・併合を容易にした12200系を、名阪甲特急のスジに採用して急場を凌ぐ。時を経て、時代は「アーバンライナー」「ひのとり」へ。
10000系初代ビスタカーの改良型10100系、伊勢湾台風からの復興後の恐るべし近鉄名阪特急の礎を築き上げた車両、今日も10100系の意思を受け継ぎ恐るべし近鉄特急は走り続ける、
近畿車輛製の京阪80系は近鉄11000系のスタイルを継承して大先輩の連接車 京阪びわこ号に敬意を賞したものだった?
KATOで再販リニューアル決定
10100系・・・・・古きドイツ展望車付きBR103型に似てる ような!?
A+C+B編成の9両運転が行われたのは、10100系の引退が決まってからですか?
各座席にイヤホンが、ついていて、ラジオが聞けたよね。
中里毅が走り屋を始めた頃に乗っていた車両…
何らかで保存して欲しかった。
@@t0ragam8ayon 理由はそうではなくて、吊り掛け駆動車を置き換える通勤電車が新規で作れないから流用車で置き換えたいから解体したが正解でしょうね。小田急も当時吊り掛け車を廃車する時に車体だけを新しくして旧式車を葬ったほどですから、私鉄にとって旧型車の置き換えは簡単ではありません。
オールM(車でいえば4WD) 機器流用は京阪スーパーカーと同じ
国鉄の「伊吹」は急行(普通急行)ではなく、準急(準急行)です。
2:32 正しくは、難波方非貫通:A編成、名古屋方非貫通:B編成 です。
青山トンネル事故で被災してしまいましたね
それもいいんだけど、藪から棒に本数を増やすのはマジでやめてほしいわ。蟹江駅前の踏切渋滞マジで半端ないんやから。けっこう開かずの踏切って有名なんやけど、普通、準急に急行に特急って本数多すぎやろって‼️全然踏切開かなくて大渋滞よ🚗🚗🚗🚗🚗🚗🚗
ビスタEXは先代とは違いいつまで使うんだろう状態だね
新車が用意できないから、延命なんでしょうね。昭和の頃は機器流用って手を使ってたけど、現在だと名鉄ぐらいしかしませんよね。
近鉄ビスタ2世、つどいなどの2000系電車として生きています。
虎は死んで皮を残すですね。
三代目登場時はビスタEXじゃないよ。EXは更新後の名称。にわかか。
近鉄は歴史的価値がある車輌でも「消耗品扱い」する所が嫌いなんだよな!せめてカットボディか【生首】で残せなかったのか…?
関東大手私鉄の様に収益が潤沢にあれば、博物館を造って保存も出来る可能性もあると思いますが、関西私鉄ではそこまでの余裕が無いので、残念ながらかなり難しいでしょうね。
戦前製の車両とかわんさかいたもんだから、フル編成丸々とか台車や床下機器丸々そのまま保存させるって訳にもいかないんだと思う。床下機器は次の新型車に流用したいぐらいに残ってるし、お金がないから通勤電車の新型車用意できないからカルダン駆動車だし流用しちゃえって発想にはなる。床下機器がない状態でこの車両を保存するのも、何たる醜い姿になるんだろうなぁ。
解説の声がうっとしい。普通の声で喋れ!
中川の短絡線完成前に10100系で名古屋に行った思い出があります。小学2年生で名古屋の東山動物園にゴリラを見に行きました。見物客に💩を投げつけるというゴリラで、本当💩を投げつけてきた。それはともかく、帰りもビスタカーで子供心に物凄くワクワクしましたね。1枚だけ車内の写真がありますが、シートの背もたれの上部に見えているコードはラジオのイヤホンですよね。こんな設備もワクワクでした。
もう一つの思い出。帰りの電車は混雑していて、当時は指定席なしで乗れたようなんですね。通路にも立ちの人がいて。私たちは祖母も入れて5人だったんで、1席だけ別車両の離れた座席になっており、その席に高齢男性が座っていました。母も祖母も、せっかく入手した切符なのに車掌さん言いうのも気が引けた(昭和30年代とはそんな時代)様子で、そんな姿を見て、僕が言ってくると切符を持ってそこに行き、この席は僕の席です、と言って空けてもらいました。そのおじいちゃんも「そうか」と言ってすくっと立ってしっかりとした姿勢で立っておられました。しばらくその姿を見いて「おじいちゃん、僕、みんなのところにいるから、この席座っていていいよ」と言って家族のところに戻り、経緯を離したら、祖母が「それでええねん」と頭をなでてくれました。それくらい近鉄名阪特急は当時、それだけ混雑するほどの人気だったのです。
必要性の低い茶番もなく、列車の特徴をしっかりと伝えてくれるいい構成ですね。これからの動画も楽しみです。
1978年に30000系が登場した時はビスタカーⅢ世であって、ビスタEXじゃないよ!
(ビスタEXは、アーバンライナー登場以降に名阪ノンストップ特急から撤退して、伊勢特急メインに運用されることになった際の更新工事実施以降の愛称)
ビスタⅡ世は幼少期に引退直前の阪伊乙特急に一度だけ乗った記憶がありますね
余談ですが、30000系ビスタEXの名称は確か車体更新後の名称で、ビスタⅢ世と30000系の登場時は呼称されていたはずです
子供の頃、うちの近所をはしっていた近鉄大阪線にビスタカーが来るたびに、かじりついて見てました。今見ても古さを感じさせないいいデザインの車両だと思います。
佐伯勇氏、さえきいさむですね。
近鉄バファローズの名古屋でのホームゲーム、大阪から名古屋への移動は新幹線でなく名阪特急だったそうです。
ビスタカーはいつまで経ってもやっぱり乗りたくなる名特急。大阪行く際に乗りたくてわざわざ伊勢中川で乗り換えたのはいい思い出...
名古屋線の改軌には伊勢湾台風の惨状を克服したことも近鉄の空前の苦労に思いをはせます。
ビスタⅡ世の名で親しまれている10100系は、伊勢湾台風の被害による復興を契機に、近鉄初の名阪直通特急として活躍してくれました!
東海道新幹線開業で3両編成となり寂しい晩年でしたが、後輩の特急車両に「低価格と乗り得な設備で勝負するんだ!」と教えてくれた存在といえるでしょうね。
10100系はABC3種類の編成、まさに「理論上考えられるものを全て用意した」という点が面白く、10000系に始まる2階建てを分散した凸凹は10100系や30000系では併結によって引き継がれましたね。でもそれだけじゃない走行性能の強みを初めて知りました。
貫通形先頭車は、初代または2代目エースカーと同じ顔つきです(ここにも逆三角形の「特急」エンブレムが付きます)。但しそれらと異なるのは、貫通形先頭車運転台寄りにパンタグラフがあるかないかの違いだけです。
子供の時に奈良線で回送で目撃し格好いいと一目惚れしたの想い出。
10100系が存在していたからこそ、初代あおぞら20100系(3両とも2階建て・真ん中のT車の1階部分に機器類を全て集約・連接台車は採用せず)の誕生に繋がったのです。この20100系も10100系と同じように、団体旅行(主に修学旅行)の需要に応じて基本的に3両・6両と言った感じで組成されていて、1989年10月のさよなら運転時には9両編成(京都~八木3両・上本町~八木3両・八木で併結・八木~中川6両・名古屋~中川3両・中川でさらに併結・中川~鳥羽9両)による運転が実施されていました。
小生は1977年の夏に、「名阪ノンストップ」の行先札を表示した、つまり名阪甲特急に運用中の10100系C編成を見たことがあります。
本当に近鉄は保存車を原則残さないのは残念。小田急のようにミュージアムを設立すれば絶対行きますよ!新ビスタは間違いなく近鉄で一番格好良かった形式だと思う。最後のACB三重連とか、近年の小田急VSEのような華のある終わり方だった(世代的に一度もみずじまいだったけど😢)
逆に映像記録はしっかり作られてたで。10000系の映像見たら当時としてかなりの力作やったし。毎年人海戦術で補修する現物保管よりフィルム残したほうがエエって当時の近鉄首脳は考えてはったんやろ(=リアリストやで!?)。
近鉄はただでさえ路線網が広いうえに旧型車もかなりの数残存していたから廃車車両から機器流用して旧性能車を置き換えたいぐらいなので、10000系も10100系も足回りをはぎ取って通勤電車にするのは当然のことです。
子供の頃の絵本の『にかいだてでんしゃ』の絵は 決まってこの電車でした。
『頭とシッポの形が違う』
『A・B・Cの3種類の編成がある』
という点では 近鉄と双璧をなす東の大私鉄 東武の『5700系』と似たところがありますね。
両生類のような不気味な車両だなと思った幼稚園の私
因みに貫通側は片目の大きい猫ちゃんと思ったわ。
ただ新幹線と似てるなと時々おもたが、あながち間違いではなかった。
何せ近車の新幹線のプレゼン書類でこの手のトカゲ面も候補に入っていた位だからな。
ビスタカーは幾度となく利用したが、優美な10100系[特急]と無骨な2200[急行]は好対照.
10100系新ビスタカーは子供の頃の私鉄特急の西の横綱というイメージ。東の横綱は小田急NSEか東武DRCかな。
13:10 これはビスタⅢ世かな
ビスタⅢ世をリニューアルしたのがビスタEX
そうだな、ビスタカーⅢ世だな。
確か当時のあだ名はハーモニカ。
今も昔も、俺のヒーロー。ビスタEXも良いけど、オリジナルスタイルが最も好ましい。
30000系が全廃される時に、後継車両として二階建て車両が新造されることは素人目に見ても可能性が低いので、全廃される日が永遠に来てほしくない・・・・
事実上しまかぜがビスタの後継車になってるそうですよ
なにがどう事実上の後継なのか、いみふ。
@@SC-e5g 2階建てがあるからなんかね?正直自分でもビスタの後継とはあんまり思わないけどねw
子供の頃、この車輌含め近鉄特急に乗ると何故かリバースしてしまうという車酔いならぬ近鉄特急酔いに悩まされていました。
登場当時は「伊勢湾台風からの復興」のシンボルだったそうですね。
晩年の京都線での運用、京都線橿原線の車両限界解消後だったので活躍した期間は短かったですね。
2:25 A編成とB編成が逆です‼️🫵🏻
この10100は2つの顔を持つのもご愛嬌でした♡ 非貫通、貫通、何方の顔も素敵です❣️
近鉄10100系ビスタカーはその2階だて車両連結も魅力ですが、個性的な流線型と貫通形の2つの顔を、それも日常的に見せて走っていたのも魅力的でしたね。
次代の30000系ビスタカーも嫌いなモデルではありませんが、やはり流線型の顔が消えたのが個人的にはショックでしたが、その10100系引退から約10年後に本格的な流線型のスタイルを持つアーバンライナーが登場し、以降は汎用モデルで貫通形を採用する一方で、個性的な流線型や非貫通の前面のモデルも沢山登場させ、10100系も安らかな眠りについているのではないでしょうか。
懐かしい話題を有難うございます。
子供の頃、家の近くで疾走するビスタカーをよく見た。3両連接車の独特なリズム感あふれる音は今でもハッキリ覚えている。
湯の山特急で爆走していたのを覚えて居ます😃
ああ、面白かった。やはり近鉄のトピックは楽しい。
貫通と流線型を両立
柔軟に対応
70年大阪万博の時、行きは近鉄ビスタカー、帰りは新製のスナックカーを利用した。
人気車両なのにかなり短命だったのは、保守に難があったのと居住性も更新が難しい特殊な構造だった為でもあります。
それに実はあまり乗り心地は揺れが多くて台車交換したりしてましたね。
また一部スナックコーナー化されていたり、テレビカーのテストをしていた編成もありましたね。
3車体4台車の連接車だった為車検の際に専用のジャッキで車体を持ち上げなくてはならなかった事、ビスタドームカーに乗降扉が無かった為、停車駅の多い「乙特急」に向いていなかった事、ビスタドームカーの天井が低い為、空調の機器が悪かった事が欠点でした。
@@ませあきたつ 元々が名阪ノンストップ用に特化した車両ですからね。真ん中の二階建て車両に乗り降りドアは片側対角線状にはありますが、その反対側に重い空調器を置いた為乗り心地が良くなかったのではないかと想像できます。台車に横揺れ防止の必需品であるボルスターアンカーが無いのも致命傷でした。
近鉄は昔から、新しいアイデアを満載した車両や設備を第一人車として送り出すのは上手いんだが、その新しい画期的なアイテムをあまり活かし切れず、他の鉄道会社の方が上手く生かしてお株を奪われてきたのが残念…
二階建て車両も⇒その後、旧国鉄(JR)で100系新幹線に、在来線規格の二階建て車両も⇒JR東日本の二階建てグリーン車に、同じ在阪の京阪特急に、
列車電話⇒これも旧国鉄旧こだまや新幹線に☎、
シートラジオ⇒国鉄末期からJR後に新幹線や他の鉄道会社がシートオーディオサービスに🎧、
まっ、列車電話とシートオーディオは、後のアーバンライナーで見事回収復活したが今ではどちらもオワコンサービスに…🙅♀️😅
流線形の先頭車も美しいんですが、貫通形先頭車の高運転台と低運転台を組み合わた正面デザインは現代の電車でよく見られるもので、個人的に好きなポイントだったりします。
うちは子供だったので、帰りに、両先頭貫通型が来た時には、ガックリでした。行きには流線型車に乗れたのですが、その行きは2階に乗車じゃなかった…(笑)
小田急NSE車が平坦線170キロと豪語していますが営業運転いん張力曲線をみる限り近鉄10100系とあまり変わらないと思います。営業運用の違いですがビスタは連続急勾配をかけ上るので加速度は2・5かたやNSE車は勾配がほとんどなく途中停まらないんで加速度1・5で開きがあります。
当時の小田急のひっ迫したダイヤではさすがに宝の持ち腐れでしたね。
返す返す思いますが複々線がもう少し早く登戸まで全通していたら…
10100系、非貫通型は勿論貫通型も旧エースカーのベースで十分濃いな!
残念ながらリアルでは乗る機会なかったけど・・・・。
晩年はスナックカーとの連結もあったんかな?
最初見たときは、私鉄版新幹線と言う印象があったが、後に彼の方が5年先輩(1959年製)で驚いた。成る程、新幹線のモデル候補に成るのも納得、実際に近畿車輛の新幹線のプレゼン構想画像にもこの手のデザインは入っていたからな。
10100系かああ....いい車両だったんだろうけどあの事故のイメ-ジが強すぎてなああ
小さい頃に一度だけ乗った事あったけど良く覚えていない;;
2階建て車両は日本ではほぼ全てダブルデッカーですが、初代ビスタカーの10000系の2階建て車両は珍しいドームカーでした。それがカッコ良かった。
今でも高い需要度を誇る名阪甲特急の礎となった近鉄10100系。
保存車は無く全て解体されたけど、走行機器や台車は2000系や920系(現在の1010系)に搭載されて今も現役。
10100系は役目終えた後に、大銀行が長野県かどこかのリゾート地に静態保存したがっていたらしいが、結局メカニズムがややこしいので結局重機の餌に😭
流線形前面と貫通型前面の並立は小田急のMSEに採用されていますが、この時代に既に実用化されていたんですね。
物心がついた頃の私にとって憧れの列車でした。
2階席、1階席ともに乗ったことがあります。2階席よりも地面スレスレの目線で景色が流れてゆくのが他の列車では味わえない経験でした。
一つ気になるのが、1階席は通り抜けできる構造だったか?
どなたか覚えてみえる方はいらっしゃらないでしょうか?
アーバンライナーはプラスかネクスト、伊勢志摩ライナーは絶対に伊勢志摩ライナー、ひのとりは絶対にひのとりですが、一般特急車は完全にガチャなのが近鉄特急のすごいところです。汎用性が高いというべきでしょうか。
ACEが来たらラッキーで、そうでなければ…な感じです。
ACEは汎用特急と言われているけど、内装や設備は相当考えて造り込まれている名車だと思います。
世間はもっと評価してあげてほしい。
ACEは阪神にも神戸三宮まで団体専用として乗り入れてますからね。
10100系1編成でもいいから五位堂か高安車庫どちらかに保存してほしかったですね。そうしたら今頃近鉄まつりで一般公開されていたでしょうし。初代や二代より3代目VISTAが長生きして現役で活躍しているのは驚きです。三代目が今でも現役なのは初代や二代の長所を取り入れて作られたからだと思います。話しはそれますがしまかぜやひのとりは名目上VISTA扱いらしいです。
当時の近鉄は吊り掛け駆動車がわんさかいたので、カルダン駆動車のビスタカーは解体して足回り流用するのは必然的です。
当時本線で吊り掛け駆動車が全くいなかったのは奈良線だけですし、京都線も橿原線も買収会社の引継ぎ車でいっぱいでこれらは大半がボロで8000系だけではこれらの置き換えが出来ない程でしたし、カルダン駆動の車両をもっと欲しいのは当然ですよね?だったら特急型だろうと足回りを引っぺがしてまで通勤車にするのは当たり前。
確かにコストを考えるとそうなるでしょうね。流用の方が安くすむし。あと車両を保存するのも維持費かかりますしね。足回りの流用は京阪8000系が該当しますね。確か旧3000系のを流用しコストカットしたみたいです。車体の方は富山地鉄や大井川鐵道に売却し売却先で別の足回りに履き直したとの事。長文失礼しました。あとお返事ありがとうございました。
デザインの美しさは、21000系アーバンライナーと双璧
次のフラッグシップのビスタカーⅢ世は流線形でない
貫通扉付きで汎用特急みたいでしたからね。
最晩年のAーCーBのビスタ二世三重連は、運転区間のあちこちで艶姿を写真撮影しようとするカメラマンが多数現れれました。
カトーからリニューアル発売されるからタイムリーネタダネ。
愛知県に住んでいる自分から見ても、鉄道図鑑に載っているこの車両、地元名鉄7000系パノラマカーよりも感動した。ただ図鑑の時期、昭和47年頃はまだ、「二階建て」「名阪ノンストップ」とフレーズが続いたが、既に後者の方は撤退気味という感じ。昭和51年以降では、「車歴が古くスナックカーに変わられつつある」「将来的には廃止」とあった。ただその頃から国鉄は相次ぐ値上げで近鉄に再び日が当たり始めていた。次の30000系も、アーバンライナーも、この系式での接客の思想が受け継がれているのでは?😊
11000系は 乗った事ないんだよな 30000系ビスタカーって子供の頃のイメージ
それでも 京都から伊勢まで 楽しい旅行でしたね
近鉄特急と言えば 2階建て 3両編成で よく考えたもんですわ
近鉄10100系と南海20000系は、なんとなく似ている様な気がします。
昭和30年代から40年代の特急車両って、いまでいうレトロフューチャー的なデザイン。ご指摘の二形式や東武デラックスロマンスカー、小田急NSE、国鉄特急各種、EF66…素晴らしい造形をしてますよね。
戦時中統合会社だった頃の名残りでしょうか。
@@対馬裕也 様
ご返信ありがとうございます。
その影響も有るかと思います。戦時中は混沌としていましたね。近鉄10100系、南海20000系共に好きなデザインです。
@@ケワタガモv9f 様
ご返信ありがとうございます。
この頃のデザインは優美な雰囲気で良いですね。
どちらも関西人から言わせてもらえば、下ぶくれの「お多福顔」だからね😁
その下ぶくれのお多福顔が…旧国鉄の117系(WESTーEXPRESS 銀河)に受け継がれて現在に至るという😊
名阪甲特急は一時期、1両(両運転台)での運用も考えられていた様ですね。
サムネはインパクト大の列車。
3代目ビスタ乗りましたが、2代目は見た時乗りたいと思いましたが、乗れなかったです
10100系便所は階下にあったが垂れ流しを改める際に強引な改造してた
02:27 ずつと前にABC編成のパターンは上本町よりが非貫通の編成をA編成 宇治山田よりが非貫通の編成をB編成と聴いた様な??
101000系は近鉄特急の「看板的象徴」で歌にまでされたほどの名車だったが「東海道新幹線」という宿敵には叶わず甲特急は汎用型2両で事足りるくらいまで凋落したのも束の間。、近鉄は広大な路線網を強みとして新幹線の名古屋~伊勢、京都~奈良・吉野と言う観光地誘致に軸足を変えたのも束の間、国鉄のバク上がりの値上げで甲特急にVista3世の爆誕により汎用型と併結して名阪甲特急は勿論は阪伊・名伊、通勤ライナー的阪奈特急等に使われ、今は改装をしVistaEXとして近鉄特急の一翼を今も担っている。名阪特急は1980年代に「Urban Liner」2020年に「ひのとり」と甲特急の主役が交代したが、乙特急としての「Urban Liner」もその気高さから今では名阪以外の標準軌幹線の特急として走り回ると期待しています。
まぁ、名阪間のシェアを回復させたのはアーバンライナーでした。
あの当時ではあまりにも流麗なスタイルと、素晴らしい車内設備。間違いなく近鉄の威信を賭けた車両でした。
でも、やっぱ、俺のヒーローはやっぱりビスタⅢ世。当時ホントに憧れで、格好良かったなあ。
ビスタⅡ世はなんとか記憶ギリギリで覚えています。
最期は東花園車庫や、西大寺車庫に留置されていたような覚えがあります。
名阪甲特急が2両編成まで短くなっても運行をやめなかったのは それでも利用客がゼロではなかったから。
国鉄値上げ前でも「新幹線は高くてアホらしい。近鉄がええんや。」というお客さんが少ないながらもいました。
一時期 甲特急用『1M方式単行運転』の特急車の開発も 本気で考えていたとか。
@@toriri-serviceさん
更に開発費用も勿体無い、として
1、1,8000系の新性能化
2、1,8200系の専属車化
3、680系のオールM化
4、683系の新性能、冷房化
まで検討されていたそうです。
実際46年の総谷トンネル事故後は更に乗客減っていたのですが
千日デパート火災後も
滅多に起こらん火事に備えて金出せるかあ!こっちは汗水流して稼いだ金転がってメシ食ってるんじゃあ!ワンセット数千万の消防設備より数十万罰金払う方がええわ
と言う命より目先の金!の大阪人気質と
新幹線は東京ー新大阪の輸送がメイン、名阪輸送ぐらいくれてやるわ!
の国鉄殿様商法に支えられてましたね。
@@デーブホーさん
アーバンライナーの好調も
名阪より東京ー新大阪、のJR東海商法に助けられた面が大。
実際当時は日航ジャンボ機墜落事故の余波で東京ー大阪では新幹線がメインで線路容量いっぱいまでひかりが運転されていたし、日航をスポンサー企業にしていた巨人軍でさえ広島遠征を新幹線に切り替え、更に年一回の北海道巡業も中止もしくは全日空千歳往復2便利用(但し2便利用は昔からで長嶋茂雄の現役時代は万が一を考えて絶対王と同じ便には乗せなかった)、鉄道会社が親会社の阪神タイガースや阪急ブレーブス、近鉄バファローズや南海ホークスでさえ、東京遠征には個人でさえ飛行機利用厳禁を通達してます(西武ライオンズは国鉄と競合しないのもあって昔から国鉄のチケットを安く回してもらっていた)
金村義明が近鉄シブチン伝説のネタにする「名古屋遠征近鉄利用」も遠征費ケチる以上に10100系最晩年の西本監督時代には「正面衝突する会社なんか恐ろしくて使えん」と監督が言い切って名古屋遠征でさえ新幹線、もしくは急行「比叡」利用に切り替えたのが原因。
近鉄利用に切り替わったのは急行「比叡」が廃止されて遠征費ケチれなくなったから。あのレジェンド鈴木投手が冷房もない153系のボックスシートに座るんですからね。
@@古家武史-f5d さま
680系や683系の甲特急も 見てみたかった気がします。
シートなんかもリクライニング💺に改装したりしてたでしょうね。
近鉄沿線にガキの頃住んでたからこのクルマと800系とあおぞら号はなんか好きやった
ただ修学旅行に行ったときはもう引退してたし、、、このクルマの後継車が大規模更新工事 したっちゅうてもまだまだ現役やわなw
もう近鉄はビスタカーの完全な新型こしらえる気がないんやろか?
昭和の頃みたいに機器流用して車体だけ新しく作りますか?今時ないですよねそれ。
近鉄が車両保存をほとんどしてないのが残念です
ビスタカーすら保存されてないのが…
現在五位堂にいる創業当時の車両もたまたま玉川工場で入換車として使われてたのが生き残ってただけと
聞いたことがある。
10000系10100系は言うに及ばず2200系とか800系とか6800系とか、
残しておいてくれてもいいようなものだったのに
車両の保存は決して簡単では無いのはご存知ですか?
場所の確保や保存後のメンテナンス…
とにかく資金が掛かる割には、保存車両は生産性は無いですからね。
関東大手私鉄の様に収益が潤沢にあれば、博物館を造って保存も出来る可能性もあると思いますが、関西私鉄ではそこまでの余裕が無いのでしょうね。
@@えーちゃん-o5n というより近鉄の吊り掛け駆動車が尋常じゃないほどいるから、カルダン駆動車は特急型であろうと通勤型に格下げ改造してまで古い順に吊り掛け駆動車を葬っていった。カルダン駆動車は近鉄にとっては虎の子で、8000系列、2600系列だけでは数が足りんから特急でも何でも足回りよこしやがれって頃です。
@@えーちゃん-o5nそれでもあまりに近鉄は保存車輌が無さ過ぎる(あるのは大軌時代のチン電)から我々は寂し過ぎる…って話してんだよ。
そんな車輌保存のなんたらや現場のどうのこうの何てマジレスは期待していない。
[10100系前史]
① 名阪間及び阪伊間で、参宮急行電鉄(大阪電気軌道の姉妹関係)・関西急行電鉄(旧・伊勢電気鉄道を吸収合併)が伊勢中川駅を介して1938年に関急名古屋駅まで開業させた事で、事実上電気鉄道線での日本最長路線ネットワークが完成。
しかし、その代償で先に参急の手で伊勢中川ー江戸橋間を標準軌で開業させたのを、わざわざ狭軌にせざるを得なかった。
② 先の世界大戦で日本が敗戦し、壊滅的な混乱を来した鉄道網だが何とか光明をと、近鉄は全国の民鉄で初めて「座席定員制」特急列車として今の「名阪特急」の運行を計画、1947年に戦前製造の程度が良かった車両を抜擢し再整備をして運転を開始させた。
(大阪線側)元・参急2200系
(名古屋線側)元・関急6301形
③ 戦後の混乱から、奇跡的な復興を続ける社会でようやく落ち着きを見せて、旅行を楽しむ庶民も帰って来た1953年に吊り掛け駆動方式ながら、国内最高性能を誇る専用車両を新造してそれぞれ就役させた。
(大阪線側)2250系/回転式クロスシート、近畿車輛製
(名古屋線側)6421系/同上、車両長さ19m,日本車輌製造製
→ 当時、国鉄四日市駅近傍に近鉄四日市駅も所在して急カーブが在り、その関係で車両長さは最大19mだった。
この時、既に佐伯勇・近畿日本鉄道代表取締役社長は名古屋線全線の標準軌化を採択、長期計画で準備工事を始める様に指示していた。
同時に、鉄道の可能性を探る為にアメリカへ視察旅行へ。
④ 好景気に湧き、人々の生活もゆとりが定着して人気も拡大している名阪特急。
いよいよ、付加価値を付けて更なる進化をと冷房装置・公衆電話・シートラジオ装備へ。
⑤ 新時代へと、遂に新しいコンセプトの車両が登場。
(大阪線側)10000系/2250系と同じ、近畿車輛製
(名古屋線側)6431系/車両長さが21mに、日本車輌製造製(同社発注最終)
両形式が就役後、1959年9月下旬に伊勢湾台風が襲来して壊滅的な被害を受ける。
そこで、佐伯社長の英断で名古屋線の復旧工事を標準軌化工事と同時進行で実施を決定。
予定を大幅に繰り上げて、1959年11月には全て竣工させた。
それを狙って、待望の10100系「2代目ビスタカー」も伊勢中川駅でのスイッチバックで、1959年12月に名阪甲特急専用車両としてお目見え。
[10100系後史]
① 東海道新幹線が全線開業後、フィーダーの役割で乗客が激増した「乙特急」とは対称的に大きく落ち込んだ「名阪甲特急」。
その穴埋めに使用されたのは、10400系「エースカー」よりも11400系「新エースカー」や12200系「新スナックカー」。
10400系「エースカー」・12000系「スナックカー」は、共に前述の試作要素もあって両数は少なかった。
② その後、国鉄の相次ぐ値上げで再び近鉄「名阪特急」にチャンス到来。
そこで、今度は「名阪特急」全体でビジネス利用が飛躍的に増えた事もあって、1977年に当時の最新設備を備えコンセプトを一新させた12400系「サニーカー」を就役。
好評だったので、12410系「サニーカー」を「名阪甲特急」専用車両として。
3両固定編成としたが、少しずつ乗客が回復してきたので中間車両を付随車で追加。
しかし、重心が足りなくなり設計を大幅に変更して、空調装置をそのまま床下へ配置。
③ 1978年9月で全車引退となった10100系「2代目ビスタカー」、その走り装置は30000系「VISTA EX」の当初数編成と一般形式数編成へ。
尚、30000系は台車を現在のシュリーレン式台車に換装。大半は走り装置も新造。
④ 1980年代に入り、名阪甲特急は加速度的に乗客が回復して「サニーカー」では早くも対応出来なくなった。
そこで、当初から密着式自動連結器+電気連結器を備えて分割・併合を容易にした12200系を、名阪甲特急のスジに採用して急場を凌ぐ。
時を経て、時代は「アーバンライナー」「ひのとり」へ。
10000系初代ビスタカーの改良型10100系、伊勢湾台風からの復興後の恐るべし近鉄名阪特急の礎を築き上げた車両、今日も10100系の意思を受け継ぎ恐るべし近鉄特急は走り続ける、
近畿車輛製の京阪80系は
近鉄11000系のスタイルを継承して大先輩の連接車 京阪びわこ号に敬意を賞したものだった?
KATOで再販リニューアル決定
10100系・・・・・古きドイツ展望車付きBR103型に似てる ような!?
A+C+B編成の9両運転が行われたのは、10100系の引退が決まってからですか?
各座席にイヤホンが、ついていて、ラジオが聞けたよね。
中里毅が走り屋を始めた頃に乗っていた車両…
何らかで保存して欲しかった。
関東大手私鉄の様に収益が潤沢にあれば、博物館を造って保存も出来る可能性もあると思いますが、関西私鉄ではそこまでの余裕が無いのでしょうね。
@@t0ragam8ayon 理由はそうではなくて、吊り掛け駆動車を置き換える通勤電車が新規で作れないから流用車で置き換えたいから解体したが正解でしょうね。小田急も当時吊り掛け車を廃車する時に車体だけを新しくして旧式車を葬ったほどですから、私鉄にとって旧型車の置き換えは簡単ではありません。
オールM(車でいえば4WD) 機器流用は京阪スーパーカーと同じ
国鉄の「伊吹」は急行(普通急行)ではなく、準急(準急行)です。
2:32 正しくは、難波方非貫通:A編成、名古屋方非貫通:B編成 です。
青山トンネル事故で被災してしまいましたね
それもいいんだけど、藪から棒に本数を増やすのはマジでやめてほしいわ。
蟹江駅前の踏切渋滞マジで半端ないんやから。けっこう開かずの踏切って有名なんやけど、普通、準急に急行に特急って本数多すぎやろって‼️
全然踏切開かなくて大渋滞よ
🚗🚗🚗🚗🚗🚗🚗
ビスタEXは先代とは違いいつまで使うんだろう状態だね
新車が用意できないから、延命なんでしょうね。昭和の頃は機器流用って手を使ってたけど、現在だと名鉄ぐらいしかしませんよね。
近鉄ビスタ2世、つどいなどの2000系電車として生きています。
虎は死んで皮を残すですね。
三代目登場時はビスタEXじゃないよ。EXは更新後の名称。にわかか。
近鉄は歴史的価値がある車輌でも「消耗品扱い」する所が嫌いなんだよな!せめてカットボディか【生首】で残せなかったのか…?
関東大手私鉄の様に収益が潤沢にあれば、博物館を造って保存も出来る可能性もあると思いますが、関西私鉄ではそこまでの余裕が無いので、残念ながらかなり難しいでしょうね。
戦前製の車両とかわんさかいたもんだから、フル編成丸々とか台車や床下機器丸々そのまま保存させるって訳にもいかないんだと思う。床下機器は次の新型車に流用したいぐらいに残ってるし、お金がないから通勤電車の新型車用意できないからカルダン駆動車だし流用しちゃえって発想にはなる。床下機器がない状態でこの車両を保存するのも、何たる醜い姿になるんだろうなぁ。
解説の声がうっとしい。
普通の声で喋れ!