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7:10の水飲み場は、蒸気機関車が走っていた時代の名残りですね。当時は冷房が無く、夏場は客車の窓が開いていると蒸気機関車の煙が客車の中に入って、乗客の顔にススがついたりしたので、顔を洗うために水道の蛇口があったのです。
撮影、編集お疲れ様です。この前天王寺駅に行きましたが迷子になってしまいました。これからも頑張ってください!
音楽館の向谷さんにお願いしたら、重なる事で1曲に聞こえるメロディ、みたいなの作ってくれそう…
10:19 近鉄って、本当に伝説の関西鉄道の生まれ変わりなんよなぁ。
昭和の阪和線専用コンコースでは、「手曳き木製屋台」による立ち食いうどんが連日、温かな湯気をあげて人気でした。当時は使い捨てプラ容器での提供でしたので、特に「くろしお・きのくに」で南紀を目指す遠距離客たちが駅弁とは別に購入し、車内持ち込みでの喫食も当たり前だった。現在ならコンプライアンスで大問題でしょうが、とにかく風情がありましたなあ。
1984年の夏に乗った新宮夜行(12系座席車のみ)が懐かしい。EF58機関車が牽引していました。
12:28の「南海天王寺支線に繋がっていた線路跡」との説明ですが、この線路は阪和線からの短絡線を設置した際に新設された安全側線で、旧天王寺支線の遺構はすでに撤去されてから工事されました。唯一残るのは12:37の短い廃線くらいしか残ってないかなあ。もしかしたら線路と一緒にアスファルトで埋められたところが残っているかも。
12:24小学生頃の記憶で恐縮ですが、直通貨物運転がなくなってからは国鉄線と南海線は分断されていました。現在ある分岐部は安全側線として短絡線を増設した時に設置されたもので、オリジナルの連絡分岐跡ではないと思います。
前の方も何人かコメントされててのちに出来た安全側線だったようです。古い天王寺駅の配線図を見てもしやと思ったのですが...ありがとうございます。
楽しく拝見しました。春に天王寺で下車した時の記憶が動画で鮮やかに蘇ります。と同時に再び天王寺あたりで降りてみたくなる動画でした。関西のほうぼうの駅や路線情報の動画はテツカメさんに限りますね。新動画の公開が空いた時でも定期的に観たくなる面白みがあります。今回も動画公開ありがとうございます。
いつも何気なく天王寺駅を利用していましたが、こんなにも歴史の宝庫だったのですね😊解説もすごくわかりやすく、ますます関西は奥深いと感じさせてくれます❤これからもよろしくお願いいたします🎉
阿倍野区阿倍野筋にある近鉄の駅は「阿部野橋」、JRを跨いでかかる橋は「阿倍野橋」、間をとって市バスは「あべの橋」
阪堺電車の駅は阿倍野区にあるのに「天王寺駅前」。
@@makonosuke.v1.0さん、元近畿日本鉄道軌道線ですね。
1番線ホームにキハ81・82系くろしおが停まっていたころは、ホームの端にもう一個改札があって、特急券がないと入れなかったなぁ。その頃は、急行「きのくに」が天王寺からとことこ走って行って、和歌山駅で南海本線を走ってきた車両と連結してたなぁ。和歌山から南に走るときは、運転台が解放されていて、よく、座ってはメーターが動くのを眺めてました。
天王寺、乗り入れは多いけど環状線と関空快速、大和路快速のホームが分かれてるから他の環状の駅よりわかりやすいなという印象です。
今でも天王寺ミオのサンマルクカフェは「南海天王寺店」となっていますね
「阪和○○」という商業施設が多いのも阪和電気鉄道時代の名残ですね。
11:00 動画の奥の方、地下の11番線から地上の9番線に向けて、坂道のような遺構がありますが、かつてはここに短絡線があって、関西線(大和路線)方面から阪和線へ列車を送る働きをしていました。龍華操車場(今の久宝寺駅付近)から回送でおくられてきたきた「はやたま」などがここから9番線に入線して、和歌山方面に出発してました。
その坂道短絡線に、その大昔旧国鉄時代に、たま~に短絡線上で一時停止して待機してた、キハ80時代のくろしお編成を何度か見かけたなぁ…まだまだ幼き頃…まだゴオサントオのダイヤ改正前の、くろしおが名古屋まで走っていて食堂車もあった頃🍽✨️
JR天王寺駅は、大和路線、大阪環状線のターミナル駅でもあるために、行き先もカオス度が高い。
学生時代に阪和線ホームの麺屋に通ってました近年では銀河も入線するようになって更に楽しみが増えた気がします😊
阪和線沿線在住です!普通電車(15分に一本)しか止まらない駅が最寄りなので、天王寺駅での2分乗り換えは毎日ヒヤヒヤします😂😂 不協和音はもう慣れちゃいましたーー!!
11~14番ホームが大阪環状線で、12・13番線は1本の線路の両側。この線路には奈良・和歌山・関空方面から天王寺(17・18番に着発)、そして環状線を1周して天王寺が終着・折り返しの列車が来ます。13番ホームは降車専用で、12番線は天王寺始発の大和路・関空・紀州路快速など(環状内回り線)の乗車ホーム。15~18番ホームは関西本線のホーム。奈良・加茂方面のほか、東方で阪和線との連絡線が分岐し、関空・和歌山方面にもつながります。17・18番は次の新今宮を出たところに大阪環状線(大阪・新大阪方面)への渡り線があり、特急や快速はそこで環状線へ転線します。
阪和4・5番線のズレは、昭和54年頃の改修の際動かした為です。今の阪神梅田同様、綺麗なホームにする為、1線ずつズラして工事しました。昔は大屋根真ん中に4番線が有ったんです。※この工事の際、有効長が6両分から8両分に伸びました。
それは知りませんでした。
その工事の切替日は鳳-南田辺で折り返ししたんですよねえ…しかもキハ58が…
昭和56~58年に快速の8両運転対応に合わせ快速・区間快速の降車用5・6番線ホームを拡張するのと和歌山側に陸橋を設置するため工事が行われました。
4番線は快速・区間快速専用でした。
さっき仕事帰りに天王寺阪和線ホームから乗って帰宅してきて観た動画がこれです。通勤で毎日使ってますね。
確か一番線ホームに入る前(車止めの手前辺り)にヒロタのシュークリームの売店があって、くろしおで和歌山に帰る時に買ってもらってました。今から数十年前の思い出です。
マグロの切身を売ってた店もありました。まさにブラックな感じの国鉄末期。
関西のヒロタの店舗は全滅したのが物悲しい。
たしか天王寺駅阪和線ホームの柱上には国鉄時代に使用されていた発車ベルもまだ残ってますね。
大阪地下駅が開業し梅田貨物線の地上線が地下線に切り替えられた時に工事のため1日だけ京都・新大阪発着の特急くろしおが天王寺発と変更され数年振りに阪和線天王寺1番ホームが使用されていましたね。ちなみに関空特急はるかは運転休止でした。
天王寺支線がまだあれば住ノ江、千代田への甲種輸送が楽だったんだろうなぁ
今もあったら10〜15分早く行けたやろうな
2層構造は上野駅と似てますが、上野東京ライン開業によって地上ホームは閑散としてしまいました天王寺の阪和線ホームがちゃんと活用されてるのは奇跡かもしれません
言われてみると上野とそっくりですよね。
なるほど東京では奇跡など起きないという事ね。
上野地上ホームは、関西人にはむしろ近鉄の上本町に被りますよ。特急はみんな地下ホーム通るから発着が大阪線急行・普通系統ぐらいで。有料優等とローカルしか来なくなった東武浅草も合わせたら、どれが一番悲惨か分かりませんね( ゚Д゚)
@@schimitch3277上野の地上ホームは日中の発着本数0なのでかなり悲惨です...
@@tk_railwaychannel 関西人からしたら、初めて上野駅行った時に天王寺駅似てると思いました
2:59 1番から9番には絶対阪和方面の電車しかこないですが,だからと言って阪和方面の電車は総て1番から9番から出るとは限らないのがカオス的ですね。発車時刻が微妙な時,15,16番線に行くか,3,4番線に行くか迷います。
12:25 これは安全側線として残っていますね。信号盲進でATSが作動しても下り坂なので止まれず大和路線の列車と接触して2重災害になるのを、わざと線路の反対側に脱線させて防ぎます。単線の路線の駅ではしつこいぐらい安全側線があります。(単線だと正面衝突になるから)・でも、この線路、阪和線とのバイパスとして比較的最近出来たので、遺構ではないのかもしれません。
残しているのではなく、短絡線を作ったときに設けた安全側線です。なので、19.20番線にはなんの関係もないものです。
ホームの線路跡については「天王寺駅の怪-天王寺駅に残る阪和電鉄の遺構たち【阪和線歴史紀行】」って記事で詳しく書かれています。
パッと見、別の鉄道会社の天王寺駅が隣り合っているような構造ですね。もともとの土地の高低差で、駅が上下2段になっているのも珍しいんじゃなでしょうか。
南海天王寺線の線路は結構最近まで(5年ほど前?)残っていましたよね~今は剥がされて、コンクリートで埋められていますが。
天王寺駅を取り上げてくれありがとうございます。阪和線の沿線に住んでたのでよく利用しました。昔の阪和線ホームは、人であふれていました。一番線に国鉄色ね特急がよく止まってました。大きな商業施設が出来ても、洗練されないのがこの駅です?一番大阪らしいかも。
四天王寺さんがあるので婆さん爺さんが湧いてくるからな。
階上から地階への短絡線、待避線の紹介もあったら最高な動画になるかもぉがんばってください♫
めちゃめちゃ空も見えてるし開放的だからそんな気なかったけど、そっかこのホームって地下なんだ…w 11:53 19.20まで行けそうなポイントはまだ残ってるんですね!線路だけが切られた感じ…12:48 こっち側覗いたことありませんでした!こういうのを知ったあとに、改めて行くと色々見つけられて楽しいんですよね…😊
18番の和歌山寄りのあれは単なる安全側線です…
天王寺支線懐かしい
78年10月1日日曜日、当時中学生だった自分は撮り鉄のツレに誘われキハ81(ブルドック)くろしおの葬式鉄に参加すべく天王寺へ。最後の雄姿を見届けました。天王寺発着してた頃のくろしおはけっこう乗ったなぁ。その1番線も13年前から定期くろしおがなくなって寂しくなりました。
阪和線ユーザーです。毎日聞いてるから不協和音やとは思ったことないけど…映像で見ると結構不協和音でした😇拡張されたような構造の阪和線降車専用ホームの下にはかつて通路があり環状線11のりばに抜けれたという話を聞いたことがあります。もし調べれそうだったら調べてもらいたいです!
1980年頃。天王寺からなんばへ行くのは、3通りありました。御堂筋線で。関西本線で湊町駅。で、南海で天下茶屋乗り換えで。確か、御堂筋線→関西本線→南海の順で、安かったw2~30円ぐらいねw当時の天下茶屋は急行ですら通過していた地上駅でしたが、それはそれで良かった。
幼稚園の頃、阪和1番ホームからくろしお号に乗せてもらった記憶があります!
私は381系の阪和ライナーが懐かしいです!
5 6番ホームの支柱がずれているのは 1980年代に1番ホーム横にあった側線を廃止してホームを少しづつずらして 拡張したためと思いますよ。おそらく8両の快速が走りだす頃
阪和線の地上ホームは昔、近鉄南大阪線の駅ができる予定だったものが計画変更で現在位置に近鉄阿倍野橋ができ、そのあいたスペースに阪和線のホームができました
あの不協和音を改善しようと思わない所が逆に凄いわ!もう呆れるを通り越して尊敬する!
私は阪和線ユーザーではないですが、毎日聴いてたら慣れてしまうのでしょうか(笑)
@@tk_railwaychannel 毎日乗ると慣れて安心するようになります。
安心はびっくり
阪和線ユーザーですが慣れって怖いですが慣れました(笑)
あのメロディ導入から20年は経ってると思うのですがそのまんまですね不協和音の方が威嚇効果が高いとかでそのまんまなのかな?
ここから23:00発の12系の夜行に乗りました。
9番ホームに到着する新宮(和歌山県新宮市)行きというのが在ったと聞いた事があります。 但し、国鉄時代に阪和線と大阪環状線との短絡線が出来てからは、新大阪駅発に成ったとも。
天王寺駅と言えば、少なくとも僕にとっては南海天王寺支線を連想します。僕は九州人ですけど、天王寺支線は図書館で借りた「私鉄の車両」で読んで知りました。当時は既に廃止数年前で、この本が保育社より出版された頃でさえ天下茶屋駅-今池町駅が廃止されて孤立路線となった状態でした。路線図を見て「なんで途切れてんの?」と、後になってググるまで長年(?)疑問でしたね。
天王寺支線の解説って初めて聞いたかももう知らない人も多いからだろうか?
1:16 谷間線は最高
天王寺始発の大和路快速や関空紀州路快速が発車まで「大阪環状線」を偽装する事によって、誤乗車を防ぐカオス。誤乗車を防ぐには効果的だとは良く分かるけれど、やっぱり発車直後に種別と行き先が変わるのを外から見るとカオスでしかない。
京橋から阪和線方面に帰る時本来なら環状線外回りで天王寺乗り換えで阪和線乗る方が距離は短くなりますが内回りの関空・紀州路快速に乗った方が座れて所要時間も乗り換えがない分変わらないので環状線を半周以上回るこちらを使ってました(近郊区間で大回り可能)
京阪がかかわってたとは意外やなぁ
現在の阪急京都線の一部然り、建設したのに自社線として残っていないのは、ある意味で踏んだり蹴ったりですよね。
南海天王寺支線は利用者の減少の他、地上を走るので天王寺駅を出てすぐに交通量の多い市道今宮平野線を渡るのがネックで地下鉄堺筋線を動物園前(新今宮)から天下茶屋駅まで延伸開通したので廃止になつたはずです。
確か天王寺支線の廃線跡の下を堺筋線が通っていましたね。
新今宮駅が開業した段階で存在意義が著しく低下しましたからね。
河内松原の職業訓練校に南海沿線から通ってた子は新今宮阿部野橋間を徒歩通学してたな
動物園前の商店街は昼間でも薄暗くて、なんというかすごく昭和な空気が漂ってますねw
地下鉄谷間線になってる笑
天王寺駅18番線の和歌山方にある分岐部は、只の安全側線です。阪和線との連絡線建設時に新設されたものです。
12:20 この線路は関西本線(大和路線)の線路ではなく実質阪和線上り、大阪環状線直通列車の連絡線の線路です。なおこの分岐は大和路線、阪和線と南海天王寺支線の連絡用ではなく、おそらく阪和連絡線の安全側線かと思われます。南海天王寺支線と国鉄線の連絡は19番線の引き上げ線から新今宮方面への合流の連絡線しか当時は無かったかと思います。なので、この配線であれば逆になります。なので、大和路線-阪和線連絡線が建設されたときに新設された安全側線かと思われます。
私鉄式というパワーワード
近鉄南大阪線沿線に住んでいたとき、南海住之江までアルバイトに行くのに南海支線を利用していました。
南海そばも忘れないでください
天王寺、あべの橋界隈は今日も行ってきたところで普段からよく行きますがJRの駅の複雑さと阪和線ホームの不協和音は今や完全に名物化していてあらためて面白いですよね!近鉄南大阪線のホームの広大さと日本一高いあべのハルカスもあって天王寺は偉大です✨
この阪和線頭端式ホームに、阪和電気鉄道の爆走電車と紀勢線直通の省線(国鉄)客車が連結したチンドコ編成が入ってたかと思うと…ちなみに客車に電車の引通線を付けて電車でサンドイッチすることもあれば、客車の車掌室にブレーキ弁を付けて杉本町から推進運転もしてた模様マジで尾久〜上野みたいな事もやってたっぽいっすね
9番線ホームにはやたま新宮行きのアスファルトの痕跡がありますね。
客車は関西線の龍華から天王寺、寺田町手前の2回スイッチバックして9番線に入ってきてました。
@@tabibito6330 すげえそんな運用もあったんや
緩急接続も私鉄みたいな感じでやるのが阪和線
それな。
天王寺の環状ホームは地下やのに駅を出ると高架線になり以降それから環状線の線路や駅は全て高架と言うね。「いつもの事」なんで気にする事の無いんですが、考えてみたら面白いですよね。
地元民ですけど、地上ホーム地下ホームって言うのはあんまり意識したことないなあ😊
違和感ありすぎTK最高
広すぎず狭すぎず、利用しやすい駅ですね。自分の人生を語る上で欠かせないのがこの天王寺駅です。
高架が行き止まりで掘割がスルー、上下は逆ですが上野駅っぽいですね!
さらに地下深くにリニアを置けばさらに上野感が出てきます。(無理して新大阪に置かなくてもいい)近鉄南大阪線が近くにありこれも少し上野に似てます。
かつて南海天王寺支線があったことでいまも南海そばが営業しています、その事も紹介してほしかった。
一分前後に出てくるあべの橋をペンキで緑化した部分が南海の部分ですね。駐車場、551、南海蕎麦が名残です。東口麺家のあたりに南海とJRの境界があったりします。あと、阪和電鉄の天王寺駅は二代目大阪鉄道の天王寺駅予定地でした。でMIOのプラザ館は近商でした。地下だけは今も近商。本館やプラザ館の地下以外が台風で閉館でも営業する近鉄クオリティです。
1:11 補足しますと近鉄前交差点以南は「あべの筋」に名前が変わります😀
あべの筋とあびこ筋ややこしいですね、w
大阪鉄道(近鉄南大阪線)開業当初(大正12年4月13日)大阪天王寺駅。その後、大阪阿部野橋駅に改称(大正13年6月)
環状線の大和路快速からスーパー黒潮に乗りかえようとしてパニックりましたが同じホームだったんですか?知らなかった。駅のうどん屋さんに行ったのが不味かったかな。
3:05 ここの車止め激突を覚えております(左側でした)1989年らしい。事故翌朝「いや絶景....」てな感じで通り過ぎて学校行ったのを覚えておりますが、さすがにどれくらいの期間で直ったかまではもう忘れました。
平成元年11月17日でしたっけ? その時はまだ生まれてなかったので分かんない
JR天王寺駅の阪和線ホーム、やたらと広い空間がある。
地下鉄谷町線が、地下鉄谷間線になってますよ
在阪私鉄、まだ行ってないぶらり旅を切に希望します。
阪和線のルーツは、阪和電気鉄道という私鉄。戦前の阪和間45分超特急、南紀直通列車等華やかな時代も有りましたが…。戦時下戦後と時代に翻弄され、阪和→南海→国鉄→JRとなり今や関西国際空港へのアクセス路線という重責も加わり、JR西の中でも最重要路線の一つに成長しました。
阪和線との渡り線、直通運転開始当初は一本だけでダイヤ上のネックになってたのが、いつの間にか二本に増えてる様な………
結構前に増設しましたね。ただ、阪和線に入る時は相変わらず平面交差ですがね。
1:15 谷間線()
冒頭のBGMのタイトルが気になります、、、。
阪和線から環状線内回りに乗り換えるのは未だに迷います
12分26秒に↓で示されてるのは連絡線から18番線への冒進に備えた安全側線。関空・紀州路快速大阪環状線行からの前面展望映像を撮影すれば乗り越し転轍機と判る筈。
JR職員に勇者はいない!カオス初見殺し状態!
南海天王寺支線後の一部(JR天王寺駅側)レールの一部が頭が出ていたりする大和路線難波行きなら天王寺駅から出てから良く見ないと解らない
例えば9番のりばが先に放送がなって8番のりばが後遅れて流れます。
今は線路も撤去されていますが、昔は阪和線8・9番線から大阪環状線に降りる接続線がありました。現在の直通路線の接続線になる以前の話です。あと、直通の接続線のせいで、(天王寺駅直前の) 関空「快速」が、(関西線の到着/発射待ちの為に) 途中で抜かした (天王寺駅止まりの) 「普通」に抜き返されるのは何度経験しても悔しいです。しかもそれが、窓から見えるので...
特急停車線の奥にあった構内居酒屋は、今でもあるのかな?
南海天王寺支線は、たしか、大阪地下鉄(現・大阪メトロ)堺筋線が動物園前から天下茶屋まで延伸したことで、その役目を終えたようです。
一時期大阪に住んでいましたがその直前に片町駅と南海天王寺支線が廃止になってて、今思えばタイミングが惜しかったなと。天王寺はあまり行かない場所でしたが印象としては「谷町線と御堂筋線の乗り換え、遠っ」でした。
まるで現代音楽
ジョンレノンがビートルズ時代に様々なアトラクションから流れる音楽が混じって聞こえるメリーゴーランドのような音楽じゃない音楽を作りたいとめちゃくちゃに演奏した録音テープをズタズタに切ってつなげましたが阪和ホームに来ていたら一発解決してましたね。
複雑過ぎフロアガイドがない、慣れるしかない、こんなんでも関西人の寛大さで成り立ってる、初めての方は絶対迷う!
不協和音、慣れれば日常にy(阪和線ユーザー
慣れたら当たり前になるのは確かだわ(阪和線沿線住民です)
はるか、客もどって来てるね。2.3年前は文字通り空気輸送してたのに、、、
学校帰り遅くなったら、300円足して、阪和ライナー天王寺、和歌山直の特急に乗ったわ!なるべく快速待ったけど!
将来的になにわ筋線ができて名古屋まで特急などが行けるかもしれませんよ!
阪和線ホームはダイヤ乱れた時はきのくに線・関西空港線の列車が来ますよ!
関空快速の朝の始発一本目も上から出ます。
@@tabibito6330 湯浅快速も天王寺ホームからでてましたっけ?
JRと阪急、同じ関西人とはとても思えない!
南海天王寺支線があった頃、初乗り運賃だけで天王寺→天下茶屋→和歌山市(ここまで南海電鉄)→和歌山(ここからJR線)→天王寺の順でぐるっと一周できたと大正生まれの死んだ爺さんが自慢してた(笑)
南海天王寺支線かな?
大阪環状線は「起点が天王寺駅,終点が新今宮駅」となっています。国鉄時代から,慣例的に「東京駅から鉄道営業キロが近い方を起点,遠い方を終点とする」というルールがあります。実際に東京駅からの営業キロを計算しましょう。路線から考えて,大阪駅,京橋駅,天王寺駅が候補になります。常識的に最短であると思われる経路で営業キロを計算します。東京・名古屋間は東海道本線経由で366.0キロです。名古屋・大阪間は米原経由の東海道本線で190.4キロですから,東京・大阪間は東海道本線経由で556.4キロになります。一方,名古屋・天王寺間は関西本線(亀山・木津・奈良経由)で171.4キロです。したがって東京・天王寺間は東海道本線・関西本線経由で537.4キロになります。さらに名古屋・木津間を関西本線経由で126.9キロ,木津・京橋間を片町線経由で44.8キロ,したがって東京・京橋間は東海道本線・関西本線・片町線経由で537.7キロになります。以上から,東京から大阪は556.4キロ,東京から京橋は537.7キロ,東京から天王寺は537.4キロで,天王寺駅が東京駅から最も営業キロが短いという事になります。そのために大阪環状線は,「天王寺駅が起点・終点が新今宮駅」ということになっています。なお歴史的な経緯から天王寺駅と新今宮駅の間は関西本線に所属します。
怖い、阪和線ホーム
天王寺支線は、堺筋線の建設により廃止となったのです。
堺筋線、天王寺支線の用地が足りなかったから動物園前~天下茶屋はトンネルが上下ニ段構造になっています。
7:10の水飲み場は、蒸気機関車が走っていた時代の名残りですね。
当時は冷房が無く、夏場は客車の窓が開いていると蒸気機関車の煙が客車の中に入って、乗客の顔にススがついたりしたので、顔を洗うために水道の蛇口があったのです。
撮影、編集お疲れ様です。
この前天王寺駅に行きましたが迷子になってしまいました。
これからも頑張ってください!
音楽館の向谷さんにお願いしたら、重なる事で1曲に聞こえるメロディ、みたいなの作ってくれそう…
10:19 近鉄って、本当に伝説の関西鉄道の生まれ変わりなんよなぁ。
昭和の阪和線専用コンコースでは、「手曳き木製屋台」による立ち食いうどんが連日、温かな湯気をあげて人気でした。当時は使い捨てプラ容器での提供でしたので、特に「くろしお・きのくに」で南紀を目指す遠距離客たちが駅弁とは別に購入し、車内持ち込みでの喫食も当たり前だった。現在ならコンプライアンスで大問題でしょうが、とにかく風情がありましたなあ。
1984年の夏に乗った新宮夜行(12系座席車のみ)が懐かしい。EF58機関車が牽引していました。
12:28の「南海天王寺支線に繋がっていた線路跡」との説明ですが、この線路は阪和線からの短絡線を設置した際に新設された安全側線で、旧天王寺支線の遺構はすでに撤去されてから工事されました。唯一残るのは12:37の短い廃線くらいしか残ってないかなあ。もしかしたら線路と一緒にアスファルトで埋められたところが残っているかも。
12:24小学生頃の記憶で恐縮ですが、直通貨物運転がなくなってからは国鉄線と南海線は分断されていました。現在ある分岐部は安全側線として短絡線を増設した時に設置されたもので、オリジナルの連絡分岐跡ではないと思います。
前の方も何人かコメントされててのちに出来た安全側線だったようです。古い天王寺駅の配線図を見てもしやと思ったのですが...ありがとうございます。
楽しく拝見しました。春に天王寺で下車した時の記憶が動画で鮮やかに蘇ります。と同時に再び天王寺あたりで降りてみたくなる動画でした。関西のほうぼうの駅や路線情報の動画はテツカメさんに限りますね。新動画の公開が空いた時でも定期的に観たくなる面白みがあります。今回も動画公開ありがとうございます。
いつも何気なく天王寺駅を利用していましたが、こんなにも歴史の宝庫だったのですね😊
解説もすごくわかりやすく、ますます関西は奥深いと感じさせてくれます❤
これからもよろしくお願いいたします🎉
阿倍野区阿倍野筋にある近鉄の駅は「阿部野橋」、JRを跨いでかかる橋は「阿倍野橋」、間をとって市バスは「あべの橋」
阪堺電車の駅は阿倍野区にあるのに「天王寺駅前」。
@@makonosuke.v1.0さん、元近畿日本鉄道軌道線ですね。
1番線ホームにキハ81・82系くろしおが停まっていたころは、ホームの端にもう一個改札があって、特急券がないと入れなかったなぁ。その頃は、急行「きのくに」が天王寺からとことこ走って行って、和歌山駅で南海本線を走ってきた車両と連結してたなぁ。和歌山から南に走るときは、運転台が解放されていて、よく、座ってはメーターが動くのを眺めてました。
天王寺、乗り入れは多いけど環状線と関空快速、大和路快速のホームが分かれてるから他の環状の駅よりわかりやすいなという印象です。
今でも天王寺ミオのサンマルクカフェは「南海天王寺店」となっていますね
「阪和○○」という商業施設が多いのも阪和電気鉄道時代の名残ですね。
11:00 動画の奥の方、地下の11番線から地上の9番線に向けて、坂道のような遺構がありますが、かつてはここに短絡線があって、関西線(大和路線)方面から阪和線へ列車を送る働きをしていました。龍華操車場(今の久宝寺駅付近)から回送でおくられてきたきた「はやたま」などがここから9番線に入線して、和歌山方面に出発してました。
その坂道短絡線に、その大昔旧国鉄時代に、たま~に短絡線上で一時停止して待機してた、
キハ80時代のくろしお編成を何度か見かけたなぁ…
まだまだ幼き頃…
まだゴオサントオのダイヤ改正前の、くろしおが名古屋まで走っていて食堂車もあった頃🍽✨️
JR天王寺駅は、大和路線、大阪環状線のターミナル駅でもあるために、行き先もカオス度が高い。
学生時代に阪和線ホームの麺屋に通ってました
近年では銀河も入線するようになって更に楽しみが増えた気がします😊
阪和線沿線在住です!普通電車(15分に一本)しか止まらない駅が最寄りなので、天王寺駅での2分乗り換えは毎日ヒヤヒヤします😂😂 不協和音はもう慣れちゃいましたーー!!
11~14番ホームが大阪環状線で、12・13番線は1本の線路の両側。この線路には奈良・和歌山・関空方面から天王寺(17・18番に着発)、そして環状線を1周して天王寺が終着・折り返しの列車が来ます。13番ホームは降車専用で、12番線は天王寺始発の大和路・関空・紀州路快速など(環状内回り線)の乗車ホーム。
15~18番ホームは関西本線のホーム。奈良・加茂方面のほか、東方で阪和線との連絡線が分岐し、関空・和歌山方面にもつながります。17・18番は次の新今宮を出たところに大阪環状線(大阪・新大阪方面)への渡り線があり、特急や快速はそこで環状線へ転線します。
阪和4・5番線のズレは、昭和54年頃の改修の際動かした為です。今の阪神梅田同様、綺麗なホームにする為、1線ずつズラして工事しました。昔は大屋根真ん中に4番線が有ったんです。※この工事の際、有効長が6両分から8両分に伸びました。
それは知りませんでした。
その工事の切替日は鳳-南田辺で折り返ししたんですよねえ…しかもキハ58が…
昭和56~58年に快速の8両運転対応に合わせ快速・区間快速の降車用5・6番線ホームを拡張するのと和歌山側に陸橋を設置するため工事が行われました。
4番線は快速・区間快速専用でした。
さっき仕事帰りに天王寺阪和線ホームから乗って帰宅してきて観た動画がこれです。
通勤で毎日使ってますね。
確か一番線ホームに入る前(車止めの手前辺り)にヒロタのシュークリームの売店があって、くろしおで和歌山に帰る時に買ってもらってました。今から数十年前の思い出です。
マグロの切身を売ってた店もありました。まさにブラックな感じの国鉄末期。
関西のヒロタの店舗は全滅したのが物悲しい。
たしか天王寺駅阪和線ホームの柱上には国鉄時代に使用されていた発車ベルもまだ残ってますね。
大阪地下駅が開業し梅田貨物線の地上線が地下線に切り替えられた時に工事のため1日だけ京都・新大阪発着の特急くろしおが天王寺発と変更され数年振りに阪和線天王寺1番ホームが使用されていましたね。
ちなみに関空特急はるかは運転休止でした。
天王寺支線がまだあれば住ノ江、千代田への甲種輸送が楽だったんだろうなぁ
今もあったら10〜15分早く行けたやろうな
2層構造は上野駅と似てますが、上野東京ライン開業によって地上ホームは閑散としてしまいました
天王寺の阪和線ホームがちゃんと活用されてるのは奇跡かもしれません
言われてみると上野とそっくりですよね。
なるほど東京では奇跡など起きないという事ね。
上野地上ホームは、関西人にはむしろ近鉄の上本町に被りますよ。特急はみんな地下ホーム通るから発着が大阪線急行・普通系統ぐらいで。有料優等とローカルしか来なくなった東武浅草も合わせたら、どれが一番悲惨か分かりませんね( ゚Д゚)
@@schimitch3277上野の地上ホームは日中の発着本数0なのでかなり悲惨です...
@@tk_railwaychannel 関西人からしたら、初めて上野駅行った時に天王寺駅似てると思いました
2:59 1番から9番には絶対阪和方面の電車しかこないですが,だからと言って阪和方面の電車は総て1番から9番から出るとは限らないのがカオス的ですね。発車時刻が微妙な時,15,16番線に行くか,3,4番線に行くか迷います。
12:25 これは安全側線として残っていますね。
信号盲進でATSが作動しても下り坂なので止まれず大和路線の列車と接触して2重災害になるのを、わざと線路の反対側に脱線させて防ぎます。
単線の路線の駅ではしつこいぐらい安全側線があります。
(単線だと正面衝突になるから)
・
でも、この線路、阪和線とのバイパスとして比較的最近出来たので、遺構ではないのかもしれません。
残しているのではなく、短絡線を作ったときに設けた安全側線です。
なので、19.20番線にはなんの関係もないものです。
ホームの線路跡については
「天王寺駅の怪-天王寺駅に残る阪和電鉄の遺構たち【阪和線歴史紀行】」って記事で詳しく書かれています。
パッと見、別の鉄道会社の天王寺駅が隣り合っているような構造ですね。もともとの土地の高低差で、駅が上下2段になっているのも珍しいんじゃなでしょうか。
南海天王寺線の線路は結構最近まで(5年ほど前?)残っていましたよね~
今は剥がされて、コンクリートで埋められていますが。
天王寺駅を取り上げてくれありがとうございます。阪和線の沿線に住んでたのでよく利用しました。昔の阪和線ホームは、人であふれていました。一番線に国鉄色ね特急がよく止まってました。大きな商業施設が出来ても、洗練されないのがこの駅です?一番大阪らしいかも。
四天王寺さんがあるので婆さん爺さんが湧いてくるからな。
階上から地階への短絡線、待避線の紹介もあったら最高な動画になるかもぉ
がんばってください♫
めちゃめちゃ空も見えてるし開放的だからそんな気なかったけど、そっかこのホームって地下なんだ…w 11:53
19.20まで行けそうなポイントはまだ残ってるんですね!線路だけが切られた感じ…
12:48 こっち側覗いたことありませんでした!こういうのを知ったあとに、改めて行くと色々見つけられて楽しいんですよね…😊
18番の和歌山寄りのあれは単なる安全側線です…
天王寺支線懐かしい
78年10月1日日曜日、当時中学生だった自分は撮り鉄のツレに誘われキハ81(ブルドック)くろしおの葬式鉄に参加すべく天王寺へ。最後の雄姿を見届けました。天王寺発着してた頃のくろしおはけっこう乗ったなぁ。その1番線も13年前から定期くろしおがなくなって寂しくなりました。
阪和線ユーザーです。
毎日聞いてるから不協和音やとは思ったことないけど…映像で見ると結構不協和音でした😇
拡張されたような構造の阪和線降車専用ホームの下にはかつて通路があり環状線11のりばに抜けれたという話を聞いたことがあります。もし調べれそうだったら調べてもらいたいです!
1980年頃。天王寺からなんばへ行くのは、3通りありました。
御堂筋線で。関西本線で湊町駅。で、南海で天下茶屋乗り換えで。
確か、御堂筋線→関西本線→南海の順で、安かったw2~30円ぐらいねw
当時の天下茶屋は急行ですら通過していた地上駅でしたが、それはそれで良かった。
幼稚園の頃、阪和1番ホームからくろしお号に乗せてもらった記憶があります!
私は381系の阪和ライナーが懐かしいです!
5 6番ホームの支柱がずれているのは 1980年代に1番ホーム横にあった側線を廃止してホームを少しづつずらして 拡張したためと思いますよ。おそらく8両の快速が走りだす頃
阪和線の地上ホームは昔、近鉄南大阪線の駅ができる予定だったものが計画変更で現在位置に近鉄阿倍野橋ができ、そのあいたスペースに阪和線のホームができました
あの不協和音を改善しようと思わない所が逆に凄いわ!もう呆れるを通り越して尊敬する!
私は阪和線ユーザーではないですが、毎日聴いてたら慣れてしまうのでしょうか(笑)
@@tk_railwaychannel 毎日乗ると慣れて安心するようになります。
安心はびっくり
阪和線ユーザーですが慣れって怖いですが慣れました(笑)
あのメロディ導入から20年は経ってると思うのですがそのまんまですね
不協和音の方が威嚇効果が高いとかでそのまんまなのかな?
ここから23:00発の12系の夜行に乗りました。
9番ホームに到着する新宮(和歌山県新宮市)行きと
いうのが在ったと聞いた事があります。
但し、国鉄時代に阪和線と大阪環状線との短絡線が
出来てからは、新大阪駅発に成ったとも。
天王寺駅と言えば、少なくとも僕にとっては南海天王寺支線を連想します。
僕は九州人ですけど、天王寺支線は図書館で借りた「私鉄の車両」で読んで知りました。当時は既に廃止数年前で、この本が保育社より出版された頃でさえ天下茶屋駅-今池町駅が廃止されて孤立路線となった状態でした。路線図を見て「なんで途切れてんの?」と、後になってググるまで長年(?)疑問でしたね。
天王寺支線の解説って初めて聞いたかも
もう知らない人も多いからだろうか?
1:16 谷間線は最高
天王寺始発の大和路快速や関空紀州路快速が発車まで「大阪環状線」を偽装する事によって、誤乗車を防ぐカオス。
誤乗車を防ぐには効果的だとは良く分かるけれど、やっぱり発車直後に種別と行き先が変わるのを外から見るとカオスでしかない。
京橋から阪和線方面に帰る時本来なら環状線外回りで天王寺乗り換えで阪和線乗る方が距離は短くなりますが
内回りの関空・紀州路快速に乗った方が座れて所要時間も乗り換えがない分変わらないので
環状線を半周以上回るこちらを使ってました(近郊区間で大回り可能)
京阪がかかわってたとは意外やなぁ
現在の阪急京都線の一部然り、建設したのに
自社線として残っていないのは、ある意味で
踏んだり蹴ったりですよね。
南海天王寺支線は利用者の減少の他、地上を走るので天王寺駅を出てすぐに交通量の多い市道今宮平野線を渡るのがネックで地下鉄堺筋線を動物園前(新今宮)から天下茶屋駅まで延伸開通したので廃止になつたはずです。
確か天王寺支線の廃線跡の下を堺筋線が通っていましたね。
新今宮駅が開業した段階で存在意義が著しく低下しましたからね。
河内松原の職業訓練校に南海沿線から通ってた子は新今宮阿部野橋間を徒歩通学してたな
動物園前の商店街は昼間でも薄暗くて、なんというかすごく昭和な空気が漂ってますねw
地下鉄谷間線になってる笑
天王寺駅18番線の和歌山方にある分岐部は、只の安全側線です。阪和線との連絡線建設時に新設されたものです。
12:20 この線路は関西本線(大和路線)の線路ではなく実質阪和線上り、大阪環状線直通列車の連絡線の線路です。なおこの分岐は大和路線、阪和線と南海天王寺支線の連絡用ではなく、おそらく阪和連絡線の安全側線かと思われます。
南海天王寺支線と国鉄線の連絡は19番線の引き上げ線から新今宮方面への合流の連絡線しか当時は無かったかと思います。なので、この配線であれば逆になります。
なので、大和路線-阪和線連絡線が建設されたときに新設された安全側線かと思われます。
私鉄式というパワーワード
近鉄南大阪線沿線に住んでいたとき、南海住之江までアルバイトに行くのに南海支線を利用していました。
南海そばも忘れないでください
天王寺、あべの橋界隈は今日も行ってきた
ところで普段からよく行きますがJRの駅の
複雑さと阪和線ホームの不協和音は今や完全に
名物化していてあらためて面白いですよね!
近鉄南大阪線のホームの広大さと日本一高い
あべのハルカスもあって天王寺は偉大です✨
この阪和線頭端式ホームに、
阪和電気鉄道の爆走電車と紀勢線直通の省線(国鉄)客車が連結したチンドコ編成が入ってたかと思うと…
ちなみに客車に電車の引通線を付けて電車でサンドイッチすることもあれば、
客車の車掌室にブレーキ弁を付けて杉本町から推進運転もしてた模様
マジで尾久〜上野みたいな事もやってたっぽいっすね
9番線ホームにはやたま新宮行きのアスファルトの痕跡がありますね。
客車は関西線の龍華から天王寺、寺田町手前の2回スイッチバックして9番線に入ってきてました。
@@tabibito6330 すげえ
そんな運用もあったんや
緩急接続も私鉄みたいな感じでやるのが阪和線
それな。
天王寺の環状ホームは地下やのに駅を出ると高架線になり以降それから環状線の線路や駅は全て高架と言うね。「いつもの事」なんで気にする事の無いんですが、考えてみたら面白いですよね。
地元民ですけど、地上ホーム地下ホームって言うのはあんまり意識したことないなあ😊
違和感ありすぎ
TK最高
広すぎず狭すぎず、利用しやすい駅ですね。自分の人生を語る上で欠かせないのがこの天王寺駅です。
高架が行き止まりで掘割がスルー、上下は逆ですが上野駅っぽいですね!
さらに地下深くにリニアを置けばさらに上野感が出てきます。(無理して新大阪に置かなくてもいい)
近鉄南大阪線が近くにありこれも少し上野に似てます。
かつて南海天王寺支線があったことでいまも南海そばが営業しています、その事も紹介してほしかった。
一分前後に出てくるあべの橋をペンキで緑化した部分が南海の部分ですね。駐車場、551、南海蕎麦が名残です。東口麺家のあたりに南海とJRの境界があったりします。
あと、阪和電鉄の天王寺駅は二代目大阪鉄道の天王寺駅予定地でした。でMIOのプラザ館は近商でした。地下だけは今も近商。本館やプラザ館の地下以外が台風で閉館でも営業する近鉄クオリティです。
1:11
補足しますと近鉄前交差点以南は「あべの筋」に名前が変わります😀
あべの筋とあびこ筋ややこしいですね、w
大阪鉄道(近鉄南大阪線)開業当初(大正12年4月13日)大阪天王寺駅。その後、大阪阿部野橋駅に改称(大正13年6月)
環状線の大和路快速からスーパー黒潮に乗りかえようとしてパニックりましたが同じホームだったんですか?知らなかった。
駅のうどん屋さんに行ったのが不味かったかな。
3:05 ここの車止め激突を覚えております(左側でした)1989年らしい。
事故翌朝「いや絶景....」てな感じで通り過ぎて学校行ったのを覚えておりますが、
さすがにどれくらいの期間で直ったかまではもう忘れました。
平成元年11月17日でしたっけ? その時はまだ生まれてなかったので分かんない
JR天王寺駅の阪和線ホーム、やたらと広い空間がある。
地下鉄谷町線が、地下鉄谷間線になってますよ
在阪私鉄、まだ行ってないぶらり旅を切に希望します。
阪和線のルーツは、阪和電気鉄道という私鉄。
戦前の阪和間45分超特急、南紀直通列車等華やかな時代も有りましたが…。
戦時下戦後と時代に翻弄され、阪和→南海→国鉄→JRとなり
今や関西国際空港へのアクセス路線という重責も加わり、JR西の中でも最重要路線の一つに成長しました。
阪和線との渡り線、直通運転開始当初は一本だけでダイヤ上のネックになってたのが、いつの間にか二本に増えてる様な………
結構前に増設しましたね。
ただ、阪和線に入る時は相変わらず平面交差ですがね。
1:15 谷間線()
冒頭のBGMのタイトルが気になります、、、。
阪和線から環状線内回りに乗り換えるのは未だに迷います
12分26秒に↓で示されてるのは連絡線から18番線への冒進に備えた安全側線。
関空・紀州路快速大阪環状線行からの前面展望映像を撮影すれば乗り越し転轍機と判る筈。
JR職員に勇者はいない!カオス初見殺し状態!
南海天王寺支線後の一部(JR天王寺駅側)レールの一部が頭が出ていたりする
大和路線難波行きなら天王寺駅から出てから良く見ないと解らない
例えば9番のりばが先に放送がなって8番のりばが後遅れて流れます。
今は線路も撤去されていますが、昔は阪和線8・9番線から大阪環状線に降りる接続線がありました。
現在の直通路線の接続線になる以前の話です。
あと、直通の接続線のせいで、(天王寺駅直前の) 関空「快速」が、(関西線の到着/発射待ちの為に) 途中で抜かした (天王寺駅止まりの) 「普通」に抜き返されるのは
何度経験しても悔しいです。しかもそれが、窓から見えるので...
特急停車線の奥にあった構内居酒屋は、今でもあるのかな?
南海天王寺支線は、たしか、大阪地下鉄(現・大阪メトロ)堺筋線が動物園前から天下茶屋まで延伸したことで、その役目を終えたようです。
一時期大阪に住んでいましたがその直前に片町駅と南海天王寺支線が廃止になってて、今思えばタイミングが惜しかったなと。
天王寺はあまり行かない場所でしたが印象としては「谷町線と御堂筋線の乗り換え、遠っ」でした。
まるで現代音楽
ジョンレノンがビートルズ時代に様々なアトラクションから流れる音楽が混じって聞こえるメリーゴーランドのような音楽じゃない音楽を作りたいとめちゃくちゃに演奏した録音テープをズタズタに切ってつなげましたが阪和ホームに来ていたら一発解決してましたね。
複雑過ぎフロアガイドがない、慣れるしかない、こんなんでも関西人の寛大さで成り立ってる、初めての方は絶対迷う!
不協和音、慣れれば日常にy(阪和線ユーザー
慣れたら当たり前になるのは確かだわ
(阪和線沿線住民です)
はるか、客もどって来てるね。2.3年前は文字通り空気輸送してたのに、、、
学校帰り遅くなったら、300円足して、阪和ライナー
天王寺、和歌山直の特急に乗ったわ!
なるべく快速待ったけど!
将来的になにわ筋線ができて名古屋まで特急などが行けるかもしれませんよ!
阪和線ホームはダイヤ乱れた時はきのくに線・関西空港線の列車が来ますよ!
関空快速の朝の始発一本目も上から出ます。
@@tabibito6330 湯浅快速も天王寺ホームからでてましたっけ?
JRと阪急、同じ関西人とはとても思えない!
南海天王寺支線があった頃、初乗り運賃だけで天王寺→天下茶屋→和歌山市(ここまで南海電鉄)→和歌山(ここからJR線)→天王寺の順で
ぐるっと一周できたと大正生まれの死んだ爺さんが自慢してた(笑)
南海天王寺支線かな?
大阪環状線は「起点が天王寺駅,終点が新今宮駅」となっています。国鉄時代から,慣例的に「東京駅から鉄道営業キロが近い方を起点,遠い方を終点とする」というルールがあります。
実際に東京駅からの営業キロを計算しましょう。路線から考えて,大阪駅,京橋駅,天王寺駅が候補になります。常識的に最短であると思われる経路で営業キロを計算します。
東京・名古屋間は東海道本線経由で366.0キロです。名古屋・大阪間は米原経由の東海道本線で190.4キロですから,東京・大阪間は東海道本線経由で556.4キロになります。
一方,名古屋・天王寺間は関西本線(亀山・木津・奈良経由)で171.4キロです。したがって東京・天王寺間は東海道本線・関西本線経由で537.4キロになります。
さらに名古屋・木津間を関西本線経由で126.9キロ,木津・京橋間を片町線経由で44.8キロ,したがって東京・京橋間は東海道本線・関西本線・片町線経由で537.7キロになります。
以上から,東京から大阪は556.4キロ,東京から京橋は537.7キロ,東京から天王寺は537.4キロで,天王寺駅が東京駅から最も営業キロが短いという事になります。
そのために大阪環状線は,「天王寺駅が起点・終点が新今宮駅」ということになっています。なお歴史的な経緯から天王寺駅と新今宮駅の間は関西本線に所属します。
怖い、阪和線ホーム
天王寺支線は、堺筋線の建設により廃止となったのです。
堺筋線、天王寺支線の用地が足りなかったから動物園前~天下茶屋はトンネルが上下ニ段構造になっています。