F1の歴史に残る伝説の名車の誕生秘話が凄すぎる【解説】【マクラーレン MP4/4】
HTML-код
- Опубликовано: 3 окт 2024
- ◆動画について
1988年のF1でアラン・プロスト、アイルトン・セナを擁し16戦15勝を上げた歴史に残る名車、マクラーレン・ホンダMP4/4。
その圧勝劇の裏に隠されたエピソードを解説します。
◆関連コンテンツ
【モーター天国NEXT】
/ @motortengoku_next
F1以外のモータースポーツ、市販車の歴史等解説チャンネル。
【投稿者Twitter】
/ motortengoku
投稿者(ただのレースファン)レインのツイッター
◆動画内の画像について
この動画では解説内容の補足のためテーマに関連する画像を使用しています。
各画像の引用元は下記を御覧ください。
sites.google.c...
また当チャンネルでは引用要件を遵守し著作権を侵害しないよう注意を払っておりますが
万が一使用画像について問題がある場合は大変恐れ入りますが下記までお問い合わせいただけますと幸いです。
logist121212@gmail.com
◆その他の動画もぜひご覧ください!
マクラーレン、ホンダ、セナ、プロスト と今思うと奇跡のような組み合わせでしたね。
アンジェリス懐かしい
大歴史をリアルタイムでこの目で観られて俺は幸せ者だ。
今宮 純「我々は今、歴史の目撃者である」
この時代のマシンはシンプルでかっこいい
更にマルボロカラーが最高!
このMP4/4とFW14Bが未だ脳裏から離れない。
美しいマシンは速い!
マルボロカラーのMP4にはPOWERED by HONDAがよく似合う
ホンダの車にはPOWERED by HONDAのステッカーを必ず貼ってるわ
powerd by HONDAのステッカー貼ってました。本当はいまでも貼りたい。
このマシンは戦績を別にしてもスタイリッシュで大好き。
ヘルメットさえ見えない現行マシンと違い、ドライバーの肩まで露出しているデザインが今見ると鮮烈な印象がある。
シーズン序盤は燃費の苦しさからかドライバーはフィニッシュ直後にコースサイドにマシンを止めて降りてしまい、ウイニングランさえ行わなかった。
エンジンに疑念を持ったセナは、終盤戦の苦戦の理由をホンダのエンジニアと膝を突き合わせて解明し、ドライビングスタイルを変えることで解決したそうな。
開幕戦ブラジルGPでは間に合わなかったのかロールバーが無塗装だったね。
2002年のフェラーリの17戦15勝(二敗の内の1つは旧型マシン)も素晴らしい成績だったと思う。
この車両の運転姿勢に対するドライバー二人のコメントの違いが興味深い。
プロストは「もっと体を起こして欲しい」、対するセナは「こんなに速く走れるならこのままで良い」………やはり何かが違ってたセナだった。
あと、スティーブニコルズやニールオートレイ………懐かしい。ビッグネームのエンジニアだよね。
ホンダ青山本社で同時に展示されていたMP4/4とロータス100Tを見比べると、100Tがリベットむき出しだったり前後のウイングをワイヤーで支えていたりと細部の粗が目に付いたのに対し、MP4/4はそういうのがあまり見当たらず隅々まで美しさを感じた。細部の作り込みにマクラーレンとロータスの技術力の差を感じさせて、セナの言う所の「チームロータスの限界」が如実に表れてるな、と。その後も隆盛を極めることになるマクラーレンと落日のロータスのコントラストを見ているようで切なくなった。
プロストだけでなくセナもホンダが不公平だと文句付けてたっていう事実を知る人は少ない
日本では異常なセナ贔屓でプロストだけがイチャモン付けてたような報道しかされてなかったからなあ
そんなMP4/4をシーズン終盤追いかけ回した水色のマシン、マーチ881。開発したのは今なお第一線で活躍するエイドリアン・ニューウェイ。
正式には、同じ型式だけど、ターボのダクト等で前期型と後期型と区別される。
タミヤの1/20シリーズは前期型。
別チャンネルの話と絡めてあれですけど、ネクストでF1GTRやったと思ったら今回はMP4/4っていう2日連続ゴードン・マレー特集ぶち込むセンス好きです(笑)😅
多少の誤謬はあったとしても、いつもながらこれだけしっかりしたテキストをまとめられる知識と尽力に敬服します。楽しみに拝見しています。これからもどんどんアップお願いします。楽しい^^
本当にこのマシンは速かった!!
セナプロ、ホンダのコンビが最強過ぎたと思えます。
ホンダにとっても最高記録だったと思えます。
後はMP4/4はゴードン・マレーの自信作ですね。
この年のマクラーレンはチーム判断・デザイナーとホンダの連携・そしてなんといってもセナとプロストの最強ドライバーコンビと全てが最高の形でまとまった状態でしたね!
特にゴードン・マレーの要請に見事な形で応えたホンダのRA168Eに施した改良は素晴らしいの一言です!(クランクシャフト位置28mmダウン・エンジン高50mmダウンは絶賛です!)
ただ、これだけ素晴らしい全戦優勝も夢ではないマシンだったのにあのシュレッサーの大ポカがなかったらと今でも思っています・・・。
私的にはこの年の日本グランプリがこのマシンの最高の見せ場でしたね!
ポールのセナがスタートでストールしかけて14位に後退した後の鬼神の走りは今でも鮮明に脳裏に焼き付いています!!
あれはセナとこのMP4/4ホンダの組み合わせでなければ絶対に不可能な走りだったと思います!!
まさに伝説のマシン。いろんなスケールのミニカー集め、キットも組みました(笑)
動画UPお疲れ様です。
子供ながらにBT55はすごくカッコいいマシンだと思っていましたが、悲劇の駄作というレッテルを貼られ、不憫に思っていましたが、
MP4/4を88年の開幕戦で見た時に、直ぐにBT55と同じコンセプトのクルマだ!って思いました。
やっぱりカッコいいクルマは速いんだ、と再認識した記憶があります。
かっこいい!美しい!そして強い!今見ても無駄の無いデザインだなぁ
ロールバーの白塗装が間に合わないくらいギリギリの初戦ブラジルGP
ドライビングスタイルが違う2人でもセッティングがほぼ一緒という懐の深いマシン
未だに昭和シェルのMP4/4のテレホンカード持ってますwww
もう35年前の事なのか!。
そりゃ時代も代わるはずだ。
前年型を使ったフェラーリと違ってナイス判断だった。
MP4/3だったらシャシーの剛性が悪化してた。
ロータス100Tが少し目立ったかも?💦👍
@@457op661 1000馬力級から600馬力級へとはメーカーは結構痛いですね💦
ヨーロッパメーカーもFIAを睨んだ事でしょう。
@@457op661 まあ元々639で行こうとしてたみたいだからねえ
MP4/4にはホンダ本社で座った事があります。一生の想い出です。
当時のHondaはV6、V10、V12と毎年開発していったんですよね。今の方が難しいのかもしれませんが、見ている分には夢がありますよね。今若い人はN-BOXとFREEDのHondaなので、まさかV12でF1の頂点にいたとは思えないかもしれませんね。
この年は私が17歳でした。
レーシングドライバーを目指すためにカートを始めようとしたが、父が癌に侵され病院で父の付き添いを毎日やっていたから知り合いのガレージでのバイトしながらレーシングドライバーになる計画が駄目になり他の仕事をはじめた年だった。
マクラーレンホンダの活躍は全てビデオで見てた。
セナが日本グランプリでワールドチャンピオンになったのも父が亡くなった後から擦り切れるくらい何度も何度も何度も見てた。
凄い記録だった。
母が働けない人だった為レース関係での仕事も諦めた時だった。
低くなったエンジンに合わせて新しいギアボックスを用意したマクラーレンに対してエンジンの下にスペーサー噛ませて従来型のギアボックスの高さに合わせたロータスの差…
BT55の操縦性に苦戦していたデ・アンジェリスがテスト中に亡くなってしまったのは悲劇でした
叶うならば87年に鈴鹿で走る姿を観たかったですね
あの事故がきっかけでポールリカールのフルコースが使われなくなったんだっけ?
同感です、アンジェリスの走り、観たかったです。
ジャンマリーバレストルの憎々しい表情した、への字口の写真をいつも使ってて草
肩口まで丸見えのコクピットが時代を感じさせる。
ホンダがやりすぎて日本車への風当たりが強くなったけど、技術力の違いを見せつけた痛快な年だった。
MP4/4のラジコン持ってましたぁ
閉店してからのスーパーの駐車場や、仕事が終わってからの会社の駐車場で、よく走らせてました。
イタリアGPでセナを阻止したジャンルイ・シュレッサーはホンダの空冷F-1、RA302で事故死したジョー・シュレッサーの甥っ子…
ブラバムBT55は、マクラレーンMP4/4のご先祖様。
ブラバムは間違ってなかった……やはりエン…💦
@@user-td2nr4ni3 BMWのエンジンパワーはすごかったが信頼性があかんかったな
@@phoenix-2827 そうなんですよね💦👍またコスワースを積んだとしてもちょっと分かりませんでしたね。
88年鈴鹿GPシケインでセナがプロストをパスする場面を見ていました。セナが最も輝いていた一年。それを支えたMP4/4は最速であり最も美しいマシンだと思います。
この時代ではたまに名前が出てくるベルガー。おっとこれはMP4/4が主役だった。
私はマクラーレンMP4/4がブラバムBT55のコンセプトをマーレイが諦めず具体化した…と知ったのは、つい数年前でした…MP4/3に比べたら随分スリムになりコンパクトになったな…という印象はありましたがブラバムBT55を踏襲してるとは思ってませんでした。BT55が先鋭的過ぎて私にはMP4 /4がコンサバティブに見えたからです。単純にMP4/3のボテッとした感じをスリムにシンプルにしたんだな…と思ったのです。けど今見ると寝そべった感じや肩が出る位のモノコックの低さはBT55のやり過ぎた感を適正化した物なのかな…?と思えますね。BT55はピケの体格に合わせてデザインした…とマーレイは言ってましたがピケはウイリアムズへ移籍しちゃいましたしレイダウン仕様のBMW直4ターボは潤滑系や熱害の問題もありましたし同軸上に置けなかったギヤボックスなど…メリット以上にデメリットが露見してしまいましたね…。しかし最終的にモノにしたマーレイは凄いです。悲劇も生んでしまったコンセプトを続けたのですから…。ある意味MP4/4が当時の最適解だった訳ですもんね。
因みに…私見ですが……私はブラバムBT55は好きです!やっぱりカッコイイです!
88年のレースは、セナとプロストだけコーナーの立ち上がり加速が異常だったよ。ターボの回転音と野太い炸裂するような排気音が本当に良かった。
ロータス100TのエンジンとウィリアムズFW11のエンジンも生で聴くとなんとなく違いますね👍
88年のほうが少し元気が良さそうです。
88年の鈴鹿の予選の、マクラーレンの2台だけクラスが違うんじゃないかと、思うくらいの加速をしていましたね。 笑
@@ジルヴィルヌーブ もうチームロータスにはアップデート型エンジンはこの時点ではピケにも渡ってなかったということなのかな…それともピケをもってしてもアクセル開けられないくらい性能悪かったのかな100T…💧
@@user-td2nr4ni3
ロータス100Tはサスペンションに問題があったらしいですね。
@@matsuhiro9 ピケさんがちょっと前にプッシュアンダーが出たとか言ってたから、原因はそれかもです💦👍
マシン形状的にはシート高さ以外は低重心でよかったのですが💦
地を這うようなフォルムでかっこE。
戦闘機みたいなフォルムでかっちょ良かったですよねー。大好きでした。
エマニュエル・ピロの功績も忘れません。
ロン・デニスがピロのテスト能力を凄く買ってましたね
全日本F3000にも参戦、1989年シーズン途中からベネトンに加わりましたね。
@@対馬裕也 ピロが加入したのはローラではなくベネトンでは?
@@350A 様。
ご指摘感謝です。修正いたしました。
1989年最終戦オーストラリアGPでは5位でしたね。
2戦目のサンマリノで3位以下を周回遅れにして圧勝した時点でシーズンは終わりました
ターボ仕様MP4/4の後のNA仕様MP4/5もホントに強かったよね
ドライバーの実力もあるけど
今思うとこの頃からマクラーレンもシャーシ等の開発を怠らなければそれこそこのシーズンに成し遂げれられなかったシーズン全勝も夢ではなかった様な気がしてならないのです。><
7:32〜縦置き3軸ギヤボックス(入力軸がインプットシャフト)の製作に関わったピート・ワイズマンとディビッド・ノースはブラバムBT55の入力軸をオフセットさせた横置きギヤボックスを製作したコンビです。
8:14 映像は有名
FISAが義務付けた ポップ オフ バルブ
精度が甘く
HONDAが製作に名乗り出たとか。
マクラーレンと言えば、MP4/4とホンRA168E。
これが1番最初に頭に浮かぶ。全ての時代、全てのマシンがこれの前には霞んでしまう!
最強のマシン😊😊
自分にとってのF 1はやっぱコレかなぁ🏎宗一郎さんもまだ健在だったこの時期が一番感慨深いなぁ✨
エンジン、シャシーとも最高だったこのマシンを頂点に、翌年から徐々にエンジン偏重となり、緩やかな下降線を描いてゆくのですね。
懐かしいですね~
マクラーレンホンダって言う
F1チームは本当にね。
5:51
そのフットボックス規制は前年(1987)型車を引き続き使用する場合は免除されたはず。 この年にターボEng車で参戦したのは6チームだけど、マクラーレン&ロータス以外は前年型での参戦でした。(翌年にはターボEngが使えなくなるわけで、88年のためだけに新車を開発するのは徒労だと考えられたのではないかと)
ホンダEngを使用するチームだけが新車を用意したのは、ホンダマネーの供給があったのでは? (ロータスは前年型がダメ過ぎて新車を投入せざるをえない状況だったのかもですが)
最高のエンジンと洗練された車体のマッチングにより達成された空前の記録
RB19に勝率では抜かれましたが、一敗を喫したレースの内容からみてもセナの凡ミスが無ければ全勝していたクルマ。 1-2Finish率では今なお最高。
MP4/4が一番美しいと思う。
テストで見慣れたMP4/3BからMP4/4をブラジルGPで見たときの衝撃が忘れられない
ベネトンB188やフェラーリF187/88Cも相当美しかったけどこの2台に較べての着座位置の低さよ
隠れた伝説の迷車リジェJS31も実は同じぐらい着座位置が低かったが笑
この当時、
F1も知らなかったw
見たかった😣
久しぶりに
Powered by HONDAのステッカーを貼りたくなったよ。
ホンダバカの自分にとっては嬉しい時代だった。
MP4/4はゴードン・マレーのコンセプト(ブラバムBT55のローライン、フラットフィッシュ)が色濃いマシンと言われていましたがスティーブ・ニコルズが設計した前年度マシンMP4/3の要素も多く取り入れているので、
マレー(60%)+ニコルズ(40%)でブレンドされた合作マシン。
更に言えばニコルズの元上司であったジョン・バーナードのコークボトルラインコンセプトマシン(50%)+マレーのローラインコンセプトマシン(50%)の合作マシンとも言える。
ただオス型成形モノコックにセパレート別体カウルカバーを被せる手法に限界が来ていたのは確か。
一転1989年はホンダエンジンの
パワーに頼りっきりの
駄作だったよなぁ。
フェラーリのF640が
壊れちゃうんだけど
スタイリッシュで
カッコイイ車だったね。
ホンダターボエンジンに関しては、セナの方が先に1987年ロータスで使っていたのでプロストよりもアドバンテージ有りました。
セナとホンダスタッフとのコミュニケーションにプロストが嫉妬していたとか。
対するプロストの方はマクラーレンMP4シリーズのマシンを熟知していて車体のセットアップに関してはセナも一目置いていた。
セナはプロストのセッティングしたMP4/4でプロスト以上に速いタイムを出したのでプロストが焦った?
セナはホンダエンジンがベストでないと「エンジンを替えてくれ」って言う位だったし、プロストはセナがホンダスタッフとのコミニケーションに嫉妬してると言うが、ホンダのスタッフに言わせればプロスト自ら聞きに来る事が殆ど無かったと言ってた。
@@tetsujiitoh4720 様
プロストは車体側のセットアップに夢中でエンジンには無関心とか言われていましたね?
無関心とまでは行かないまでも任せっ切りだったのでは無いかと?
ルノーやTAGポルシェでも同じだったか分からないですが
何故か、フランス人のプロストが日本人とは相性良くない気がする。
その点、セナは積極的でしたね。
当時は「マクラーレンのプロストがホンダエンジンを使っている。」のと「ホンダのセナがマクラーレンに乗っている。」の違い、などと言われたりしてましたね。
@@がらすとんび 様
図星ですね。
1988年までは何とか均衡保ってバランス取れていましたが、翌1989年になるとマクラーレンチームそのものがセナ寄りの体制に傾きつつある状況にマクラーレンを家族同様に思っていたプロスト自身が居心地悪い雰囲気を感じてしまったのでは無いでしょうか?
かってコンビを組んでいたラウダがプロストに引導渡されて引退した様に、今度はプロストがセナにマクラーレンの主を明け渡す時が来た?
それにマクラーレンMP4シリーズの性能にも限界を感じて、以前一緒に組んでいたジョン・バーナードが設計したフェラーリF640系に魅力を感じていたのでは無いかと想像してしまいます。
セナとの確執よりもロン・デニスとの関係がギクシャクしたのでは?
フェラーリに移籍してマクラーレンを倒す事に新しいモチベーションを得た。
10:16 セナ2(ツー)勝は草ww
この年のマクラーレンはあっぱれですね。シーズン勝率93.7%は多分現在まで未だに破られていないだろうし、イタリアGPで優勝逃すまで、全勝が期待出来た史上唯一のチームだと思う。マクラーレン以外で唯一勝ったベルガー擁するフェラーリも、決して実力で勝った訳ではなかったし
9:45 予選で3位以下を3秒以上も引き離す、、、、、😲
もらい事故がなければ16戦16勝か・・
伝説のマシンと呼ぶにふさわしい。むろんプロストとセナの力量あってこそだけど
プロストはこのMP4/4を片手でテストドライブしてタイムを見て仰天したらしいですね。
本気で攻めたらどんなタイムが出るかと。
ターボのエアーインテーク付いてる方が 好きです。
燃料搭載量の150L制限。
つまりは300km走行の本戦では
2km/Lの燃費が必要と言うこと。
当時のグループC耐久マシンでも達成するのが難しい数値でした。
比重が高い燃料にしたんですよ。トルエンが主成分で添加剤少々。
@@がらすとんび
Gr.Cでも似た様な燃費ですね。実際は夜間や悪天候時に速度が大幅に落ちると、20km/Lくらいは走行できたりします。(150〜220km/h程度。夜間や悪天候時は吸気温度も下がるので、ターボカーには特に恩恵があった)
@@redleaf7060
トルエンは引火点が高い(約4℃)ので、エンジン冷却水の配管を燃料タンク周辺に這わせて、燃料を予熱する工夫も必要でした。
14:00 この頃はまだシャンパン掛け合える仲でしたが、このプロストの顔w 一瞬を切り取るとこういうもんでしょうけど、なんか意味のある表情に見えてしまわんでもないです。ないでしょうけど。
MP4/4のエアロコンセプトは「空気抵抗削減&きれいな空気をリアウィングに当てるために車体を低くする」というもの。一見聞くと凄そうだけど、60年代の物干し竿ウイングやロータス72の楔型ボディの時代から何も変わらない発想なんだよね。既に擬似ハイノーズや複雑なディフューザーといった90年代に続くスタイルを備えていたマーチ881やセミATのフェラーリ639とは比較にならない。よくよく考えると、限界は最初から見えていたような気がする。実際89~91年の間、差は詰まるばかりだった。
いやいやこれに加えてバーナードが気づきマレーも後で気づいたフラットボトム面積の広さに加えて
細身の3軸ミッションのおかげでリアディフューザーも理想形に近づいた
モノコックも新スポンサーのコートゥルズの単方向積層のカーボンによる剛性アップを果たした
ということで従来の技術と新技術を上手く融合させたクルマと言えると思う 😉
こいつはリアルタイムで見て居たが早かった。ホンダのエンジンだけじゃなくシャシーも良かった安定して早かった
MP4/3のモノコックはウエストラインまでしかなくプロストのドライビングだったら乗りこなす事が可能だった、セナのドライビングでは不可能だと思う、MP4/4でよかったと思う
スティーブニコルスを忘れてはいけない
ウエストラインまでしかないと可不可ってどういうこと?
シンプルな空力で下手に通用してしまったもんだから後年の開発に悪影響が生じてしまった面も否定できない
モナコ予選でのみ登場したリアのロワーウィングとサイドポンツーン吹き出し口を下げた形状を継続開発できていれば
マクラーレン退屈症候群という言葉を生み出した名車
この車のおかげでスティーブニコルズ評価が以上に上がったという
前年型を継続使用すればフットボックスレギュレーションは免除だったはず(フェラーリF187-88cとか)
MP4/4はほんとに抜きん出て美しい
イタリアグランプリですね。まぁ、フェラーリの本拠地だし、セナもプロストもリタイア!でも、16戦中、15勝でしょう!確率にすると、90%以上でしたからね。
そのイタリアGPは、エンツォ・フェラーリ死後の最初のイタリアGPだったね。
88年F1は俺にも色々なことを経験させてくれたよ
鈴鹿帰りに観たバス乗り場での大群衆”恐怖さへ覚え観たなあっ
でバス諦め 何と近鉄白子まで歩いた(今なら死んでしまうだろう)
年寄りになったわ 若いと言うことは幸せなのだぞ若年どもよ
MP4/4より レイトンマーチ881JUDO これの方が記憶に強く残る
逆バンクから立ち上がって来る レイトンマーチ「かっけえ」ってな
ニューウエイはやはり天才だ”と観たもの 写真ではわからない美しさ?が
レイトンハウスマーチ881にはあったよ 35年前か?
羨ましいだろ?若年どもよ・・・てかwww
覚えがあります。わたしは85年の鈴鹿8耐が最初でした。恐るべき人の波。白子駅までとぼとぼ歩きました〜。8耐とF-1は常に健康的に歩きました😅。
MP4/4/車体から見た目早そうですね、この年の2.4バール化でホンダに厳しいかと思われたバレストリの思惑もこのあとのNAのV10や12までホンダとマクラーレンを止めるマシンは時折フェラーリ、時折ベネトン、そしてマンセルドライブのハイテクマシンのウィリアムズルノーがようやくこの黄金期チームを止め敗れましたが…… 今でも世界中のモータースポーツファンから伝説として語られたわけですね👍👍👍👍👍👌
マクラーレンと言えばマルボローカラーですよ。そしてこのMP4/4とMP4/6。よく覚えてます
カッコよかったですからねー
89年のMP4/5がMP4/5Bでプロストがマクラーレンに居るうちにセミオートマを投入目前で、マクラーレンだけでアクティブサスを3ヶ月で完成出来るんだったらアンリ・デュランが加入時点でセミオートマもアクティブサスも何時でも投入出来れば良かった気が。
マクラーレンはもちろん、セナもプロストも好きでしたが、独走、独走でとにかく観ててつまらなく退屈な88年シーズンでした。モンツァと日本でのカペリに熱くなった記憶があります。はい
F1特有の政治的な力が見え隠れするシーズンでもありましたね😅
12:00
この頃はまだF-1観始める前だったので、最近までジャン・ルイ・シュレッサーが元F-1ドライバーだとは知りませんでした。(パリダカのイメージしかない)
シュレッサー、このレースの20年前のフランスGPでホンダがごり押しで走らせた空冷エンジンにフランス人ならばと選ばれた叔父が乗り、事故死。この時、ジャンは20歳、ホンダに恨みを持っててもおかしくないし、別の動画でスローでセナに絡んでる観ると故意と感じました。
@@user-QHandoru 三菱にもうらみあったようだが
ジョーの未亡人も「本田宗一郎を56したい」とか家族揃って日本に恨みを募らせてた感じですね。
セナのマクラーレンと黄色のヘルメットは直ぐ分かり、Top Gearのセナの追悼番組でもマーティン・ブランドルが周回遅れになると直ぐ分かると言ってたし、周回遅れなら青旗も振られるだろうし、先に行かせればいいはずなのにその意思が見られない。
唯一、ホンダを止めた男、シュレッサー。
この名を忘れるはずがありません。
確か、マンセルが何故か水疱瘡でGPを欠場する事になって、急遽出場したのが、ジャン-ルイ-シュレッサー。
何の因果かホンダの全勝を止めてしまった辺りも、叔父のジョーの怨念としか言いようがない、と当時は思いました。
シュレッサー家は恐らく日本はあまり好きではないかと…
伝説にあぐらをかいた挙げ句 ハイテク導入が大幅に遅れ
徐々に着実にハイテク導入したウィリアムズの後塵に沈む。
セナいわく サラリー要らないからウィリアムズに載りたいと言ったとか。
確かに給料要らないから云々は本人言ってましたね
「赤と白は速いね」
ジャン・マリーバレストルとプロストのおかげで、フランス人の印象が悪くなった😩
大島リのんさんと対談かコラボ
して下さい
アンジェリスの事故死はテストの際にコースマーシャルが十分にいなかったのが原因
比重が高い燃料を使って量を減らされた分をある程度補ってもいましたよ。
この頃はレースガソリンじゃノッキングしまくってパワーでないから(分かりやすく言えば)シンナーで走ってた。
カブった様な黒い排気ガスを撒き散らしながらクッソ速かったなー。
ホンダがあまりにも強過ぎるので、FIAが88年のターボ規制。そして89年のターボ禁止にしたのはホンダへの圧力と報じてたが、アタシはその話を殆ど信じてなかった(笑)
真っ赤なクルマに勝たせようとしたんだけど、赤いクルマがレギュレーションについてこれなかったですからよ。 笑
ここから数年のF-1を見て「やっぱりヨーロッパ」と思わせる話
このローラインコンセプトって結局よかったの?
90年代以降ここまでボディが平べったいマシンじゃなくなったみたいやけど
またまた、ジャン・マリー・バレストルかよ。何か規制返しを喰らわせろよな。
本当の意味での妖怪通せんぼジジイだったな 😁
@@crankyfranky9801 仏国のイメージそのままですね、量産型みたいなのがエアバスに居て似たりよったりした事を言っていた気が。
他チーム全車周回遅れのワンツーフィニッシュを達成してるチームってマクラーレンだけ??
@@njdhjrijdlspkojgmvnhkbuegk1505 さん
なるほど、ありがとう御座います
この車に対抗できたのレイントンハウスマーチのCG881だけだったなエイドリアン・ニューウェイ制作のただエンジンがしょぼくて
ホンダ全盛期。
セナ すごいドライバーというのは知っているけど
噂では走り方が他のドライバーに不評だったとか。
プロストとの紳士協定も破ったりもしたり、
結果を出していたから持て囃されていたけど中身はクソ野郎だったりするのだろうか。
勝利のためならあらゆる手を使ってでもやる勝負師、音速の貴公子なんですよ。
プロストは着実にポイントを積んでいき、それでも勝利のためなら余念のない勝負をしますから、モータースポーツにも人間性での善し悪しは付き物なんです。