【伝説】中嶋悟の偉大すぎるレースキャリアを解説【F1】【ホンダ】

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  • Опубликовано: 25 авг 2024
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    日本人初のF1フル参戦ドライバー、中嶋悟。
    ロータスホンダでアイルトン・セナやネルソン・ピケとともに戦った姿は多くの人の目に焼き付いています。
    1989年には日本人初のファステストラップを記録。
    国内レースで無類の強さを誇った中嶋は一度プロレーサーをあきらめかけた過去がありました。
    今回は中嶋悟のレースキャリアを振り返ります。
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Комментарии • 200

  • @user-fi3ls4il2g
    @user-fi3ls4il2g 2 года назад +103

    中嶋さんはパイオニアだよね。この年代は日本人メジャーリーガーもいないし、サッカーもワールドカップなんて夢のまた夢だった時代。
    中嶋さんは日本を代表として戦っている感じだった。

  • @TheNoridons
    @TheNoridons 2 года назад +102

    89年のオーストラリアはリアルタイムで観てました。
    リタイアしても言い訳や文句を言わず寡黙。
    マシンを降りると優しいオジサン、マシンに乗り込みと鋭い眼光。
    人としても尊敬できるレーシングドライバーでしたね。

  • @user-oi3xr8wo1x
    @user-oi3xr8wo1x 2 года назад +120

    ファステストラップにNAKAJIMAと表示されたのは痺れたなぁ。

    • @user-cn5dp8cr6k
      @user-cn5dp8cr6k 2 года назад +16

      あの時、解説の今宮さんが大興奮してましたよね‼️

    • @vfa-103jollyrogers
      @vfa-103jollyrogers 2 года назад +9

      マジで鳥肌ものでしたね‼️
      中嶋 悟 様はもっと評価されるべきだと思います。
      国民栄誉賞を受賞してもおかしくないですね‼️
      どこかの番組の人間国宝ってヤツですよ❣️

    • @tawarabunpiti
      @tawarabunpiti 2 года назад +4

      @@vfa-103jollyrogers それはない、国民栄誉賞ならインディ2度優勝の佐藤琢磨だろう。

    • @17a55
      @17a55 2 года назад +6

      @@tawarabunpiti 二人共受賞で良くね?

  • @redfive7477
    @redfive7477 2 года назад +70

    当時のF1ブームでは、セナ・プロストなどの活躍の影響が大きかったけど
    やはり中嶋悟選手がいたことも大きかったよな。
    セナファンだけど中嶋も応援、プロストファンだけど中嶋も応援っていう人も多かった。
    もちろん中嶋悟選手の純粋なファンも多かった。

  • @allinch777
    @allinch777 2 года назад +39

    2021年の年越し前に地元に帰ったんですけど、中嶋さんの自宅の前を通ったらたまたま、中嶋さんが車で出て来ました。小さい頃から中嶋さんの家の前を通りまくってましたけど、初めて生の中嶋さん見れて興奮しました笑

  • @ickxjacky5439
    @ickxjacky5439 2 года назад +40

    名伯楽のケン・ティレルがジャッキー・スチュワートと同じかそれ以上に信頼された中嶋さん、引退会見でケンが如何に中嶋さんが素晴らしいレーサーであるかを話してくれた

  • @user-wc1zd7md6m
    @user-wc1zd7md6m 2 года назад +32

    ロータス最後のアデレードが忘れられません。中嶋悟さんの凄さが評価されるのは、これからだと思います。いつも言い訳をせず「これがレースだから、、」の言葉がかっこよかった!1度だけお会いできたことは私の宝物な想い出です。

  • @johnnykuro5635
    @johnnykuro5635 2 года назад +30

    現役バリバリの頃、地元岡崎の一個人がOPENした喫茶店のセレモニーに顔を出す為に帰って来てくれました。確かF1に乗ってる時期でしたから相当な過密スケジュールだったと思います。凄く義理堅い方だと感動した覚えがあります。それ以来大好きになりました。

  • @user-gd6cs8rl6l
    @user-gd6cs8rl6l 2 года назад +22

    コンビを組むドライバーが豪華過ぎた❗️そんな中本当に頑張ったと思う。雨の中のオーストラリアGP、中嶋とセナだけは全くマシンを暴れさせず、完全にコントロールしていた。雨の中のマシンコントロールが、ドライバーの腕の見せ所、テレビ前で泣きながら見守ってたなぁ😭本当に格好良かった‼️

    • @dhkbeans327
      @dhkbeans327 Год назад +4

      あるTV番組で雨のレースでのドライビングのコツを語っていました。「雨が降ると前が見えないから横を見て走るんだよ」(うろ覚え)
      F-1ドライバーってのはどこか神がかっているんだなと思いましたね。

  • @user-wv8ru5ek9m
    @user-wv8ru5ek9m 2 года назад +43

    日本人F1ドライバーのパイオニア。鈴木亜久里が中嶋さんはF1の扉を開けてくれた。その開いた扉をを僕らは通っただけと。鈴鹿でスタート時エンジンストールして止まる寸前だったのを亡くなったお袋さんが押してくれたんだろうというエピソードもなんかいい。

    • @user-om5qi7zt5h
      @user-om5qi7zt5h 2 года назад +5

      予選ではピケと同タイムを叩き出し予選6位。スタートではポールのセナとともにエンストしたけど、ホームストレートの下り坂も幸いし、奇跡的にスタートできたという逸話。最終的には7位までポジションアップ。

  • @user-ob7on8rq3q
    @user-ob7on8rq3q 2 года назад +26

    34歳でのデビューって、当時としてもかなり遅いほうだったし今では引退するような年齢でしたからね。
    それでも当時の6位までしか入賞にならないシステムで毎年ポイント取ってたのは凄いことです。

  • @Type-Y
    @Type-Y Год назад +7

    中嶋悟の言葉でね
    忘れられないシーンがある
    アグリが鈴鹿で日本人で初めて3位表彰台を獲得したあの日
    中嶋はインタビューを受け
    『本当は僕が先にあの場所に立つはずだったんだけどね…』
    と、呟いた表情を観て
    私は泣いた。

    • @Taxi_go_3584
      @Taxi_go_3584 7 месяцев назад +1

      「おめでとう!オレより先に行きやがったな(笑)。でも、来年はオレの方がチャンスあるぞ!」
      しかし、そのチャンス(⇒ホンダエンジンゲット)が空振りになってしまったのは残念でなりませんでした。

  • @takuya0127
    @takuya0127 2 года назад +27

    F1デビューとなった1987年ブラジルGP。フォーメーションラップが終わってスターティンググリッドについたとき涙があふれたと中嶋さんは後に語っていました。そしてデビューレース7位完走はアラン・プロストのデビューレースである1980年アルゼンチンGP6位に次ぐ快挙だったそうです。

  • @shigeo8334
    @shigeo8334 2 года назад +23

    男は黙って、、、そんな性格な方。
    チームを率いてカーナンバー64にこだわっていたのはファステストラップの記録した64周目にちなんで、それだけ誇りにしていたんだし。
    5年間F1マシンに乗り、合計6台駆ったマシン全てでポイントを取ったのは日本人で中嶋さんだけ。 当時の6位以内入賞がどれだけ大変だったのか。6位入賞と7位完走がどれだけ天国と地獄かが思い知らされた時代でしたね。

  • @fjkden7951
    @fjkden7951 2 года назад +14

    セナが中嶋さんの引退の時のインタビューでサトルナカジマさんと言っていたのが印象的で世界チャンピオンのセナも中嶋さんに敬意があったのかなと思います。またピケも中嶋さんに続けるよう説得してやる!と言うインタビューで中嶋さんは沢山の方々に愛されたドライバーだったと思います。中嶋さんの引退から30年以上が経過しても中嶋さんの居たF-1グランプリが最近のように感じます。もっと凄いのは中嶋さんのお子さんがF-1ドライバーになった事ですね。

  • @masayukigoto1477
    @masayukigoto1477 2 года назад +22

    母校(高校)の大先輩、嬉しくて堪りませんでした。鈴鹿もグランドスタンドで観戦。
    ターボ音凄かった。雨の鈴鹿での走りも見たかった〜。
    シルバーストン1-2-3-4、雨のオーストリア別次元のオーバーテイク。
    ワクワクして夜中の放送見てました。

  • @m5m387
    @m5m387 2 года назад +88

    中嶋さんはもっと活躍してほしかった、表彰台に上ってほしかったのですが、かみ合わず結果に結びつかなかったと思う。原因はいろいろあるけどピケが言った「F1でやっていくには人が良すぎた」という言葉にああ、と思いました。

    • @user-rn9sq5jy2s
      @user-rn9sq5jy2s 2 года назад +32

      ロータス時代のチームメイトのセナが、ドライビングについて包み隠さず教えてくれた事について
      「有難いと思う反面、自分は彼のライバルとはなり得ないと思われていたという事であり、そこは本当に申し訳なく思う」
      という趣旨の発言をされてましたしね
      普通なら「悔しい」と言うところを「申し訳ない」と言うあたりがその証左なんでしょうね

  • @dennou777
    @dennou777 2 года назад +47

    大昔中島さんが書いた「レーサー入門」という本がありました。レーサーに憧れてた私は即購入したのですが冒頭に「レーサーは兎に角お金が必要で大体デビューまで1000万円位かかります」と書いてあって「そんなのは無理だ」と思いレーサーを諦めました。中島さんは現実を見せてくれた恩人ですw

    • @vfa-103jollyrogers
      @vfa-103jollyrogers 2 года назад +3

      中嶋悟さんはもっと評価されるべきだと思います。

  • @user-ep6gr3ns2z
    @user-ep6gr3ns2z 2 года назад +18

    気がつけば中嶋選手のF1引退から早30年。息子の一貴くんもレースの一線から退くそうで時代の流れを感じます。

  • @Masaaki-Ito
    @Masaaki-Ito 2 года назад +19

    中嶋さんの日本のモータースポーツ界への貢献は計り知れないほど巨大だ!

    • @user-yu8qw9jq1s
      @user-yu8qw9jq1s Год назад +2

      本当にその通りだとおもいます。重たいF-1の扉を開いてくれました。

  • @vfa-103jollyrogers
    @vfa-103jollyrogers 2 года назад +17

    中嶋は神だよ‼️
    レースの中継見てて何度も泣いた記憶がある。

  • @user-sg2xw4to8r
    @user-sg2xw4to8r 2 года назад +19

    日本人F1ドライバーNo1はやはり中嶋悟です!

    • @user-ux3mr3gd2x
      @user-ux3mr3gd2x Месяц назад

      私も同感です。CMに出演したり、CDを出したりしたF1ドライバーは中嶋さんだけです。歌もなかなか上手いですよね。もうこんな人、二度と出てこないかもしれませんね。

  • @user-cm7gd2bi9i
    @user-cm7gd2bi9i 2 года назад +21

    かつてのチームメイトだったピケがインディ500で大怪我をしたあと、オートポリスでのF3000に招待したんだっけ。それだけ二人の関係は良好な証拠だったと言える。

  • @user-ro6fm3by2b
    @user-ro6fm3by2b 2 года назад +12

    昔も今も尊敬する日本人F1レーサー

  • @icwa2800
    @icwa2800 2 года назад +29

    ラップ遅れにならずに同ラップでフィニッシュしたレースもありましたよね。
    デビュー年齢を考えると凄い事だと思います。

    • @user-nr9up4vj7q
      @user-nr9up4vj7q 2 года назад +3

      アイルトン・セナが事故死したのは中嶋悟さんがデビューしたときの年齢(34歳)です。

    • @350A
      @350A 2 года назад +6

      入賞した1987年と1990年の鈴鹿と1989年アデレードが同一周回フィニッシュ。

  • @kaze9719
    @kaze9719 2 года назад +18

    一番F1に夢中になってた時代、セナやプロストではなく自分の中では中嶋さんがNo.1でした。
    雨のナカジマ伝説は有名だけど、その後スポンサーのEPSONのCMで自ら歌う「雨の水中翼船」て曲のCDをリリースしてましたね。
    CDリリースした現役F1ドライバーなんて中嶋さんだけなのでは?

    • @user-lq2sz7vl4z
      @user-lq2sz7vl4z 2 года назад +2

      今のF1はあらゆるジャンルの1つって位の感覚でしかないけど、当時のF1は正に車界の頂点、憧れの対象だったなあ……

  • @tsuyoshihashimoto595
    @tsuyoshihashimoto595 2 года назад +12

    高校時代に海老沢 泰久の「F1走る魂」を読んで凄く憧れたな。
    普通の少年が耕運機とかダンプカーを操るのが楽しくて、様々な困難に遭いながらも
    好きなことを純粋に極めていった先がF1だったというのがジーンときた。

  • @NOKKO777
    @NOKKO777 2 года назад +23

    鈴鹿の第1コーナーをアウトから抜いていくのが最高にカッコよかった

    • @user-sj5fi4jz6o
      @user-sj5fi4jz6o 2 года назад +2

      抜かれたのは、リジェのベルギー人、テェリー・ブーツェンだったはず。

    • @shinonom459
      @shinonom459 2 года назад +3

      実は冷静に見ると、リジェの時のブーツェンにはストレートで追い越されそうになっていただけで、それをホンダパワーで何とか凌いでいました。アウトから抜いたのは、87年の対ブラバムのパトレーゼ。

    • @user-dd3yz5bf1q
      @user-dd3yz5bf1q Год назад +2

      と、90年のワーウィックですね

  • @user-qv3ux6fg2n
    @user-qv3ux6fg2n 2 года назад +12

    70年代後半に「赤いペガサス」と言う漫画(劇画)がありました。架空の日本人ドライバー アカバケンの活躍を描いた名作だと思ってます。しかし、これは夢物語…そんな日本人ドライバーが現れる事はないと思ってました。でも本当に現れた、男の名は「中嶋悟」日本人の夢がかなったのだ。

  • @TAICYOUG8
    @TAICYOUG8 2 года назад +36

    F1在籍当時のチームスタッフ曰く
    “ナカジマの開発能力はすごかった。ナカジマのアドバイスは的確で驚いた”
    と言われていたそう。
    メカニックの知識を備えたドライバーとしての職人だったんだなと思わされます。
    饒舌ではないけれど、結果で語る職人。
    それが
    中嶋悟
    なんでしょうね。

    • @yama-d1546
      @yama-d1546 2 года назад +8

      日本で昔よく言われたのが、
      日本一速い男は星野一義
      日本一上手い男は中嶋悟
      って言われてましたね。
      そういう意味でも中嶋さんは職人なのかな、って思います。

    • @yoshizokun
      @yoshizokun 2 года назад +4

      ピケがロータス100Tのセッティングに行き詰ってどうにも答えが見つからない状況で中嶋と同じセッティングにしてコースインしたらタイム上がった。って話もありましたね。

    • @indoorReport_RI45
      @indoorReport_RI45 2 года назад +7

      ケン・ティレル御大が「ジャン・アレジが90年シーズン活躍出来たのはナカジマが汗水流してマシンの分析とタイヤ選択したからだ」と語っていた。それでアレジがフェラーリに移籍してから一気にボロが出た

  • @ak1974hama
    @ak1974hama 2 года назад +41

    中嶋さんの時代にはまさか、二十歳でF1に乗る日本人が出るなんて想像だにしなかっただろう。

    • @user-ow3pm2jx3w
      @user-ow3pm2jx3w 2 года назад +1

      角田君の存在がそうですね、まさかそんな若い日本人ドライバーが誕生するなんて想像出来なかったと。右京が29歳、琢磨も25歳、一貴も22歳(もし間違っていたらごめんなさい。)だんだん若くなって行きましたね。

  • @user-dd3yz5bf1q
    @user-dd3yz5bf1q 2 года назад +16

    オーバーテイク連発の1989ホッケンハイム、惜しかったな~

  • @user-jn6bw9iy9s
    @user-jn6bw9iy9s 2 года назад +12

    この頃の34と今の34って精神年齢が違うよね

  • @user-rb6kd1td7b
    @user-rb6kd1td7b 2 года назад +15

    中嶋さんは、参戦中、毎年必ず1ポイントは取ってたので、自分が子供当時から思っていたのですが、すげ〜なって、ずっとテレビにかじりついて観てました。

    • @user-iz3hh2yg5c
      @user-iz3hh2yg5c 2 года назад

      #アイミーブ 想像してみたら腹痛くなってきた()
      テレビはおやつ🍘

  • @TheMasuzoh
    @TheMasuzoh 2 года назад +10

    岡崎のクルマ好きの兄ちゃんがレーサーになって
    34歳でF1デビューだから遅くない
    彼の存在が片山右京を中嶋より5歳早く
    F1デビューさせた

  • @cub50ccrider
    @cub50ccrider 2 года назад +37

    F-1参戦した5年間すべての年でポイントとった日本人レーサーは中嶋さんだけですし、現在の入賞基準で計算するともっとポイント取ってるし、日本人初のファステストラップは一生涯の記録です、セナなんかよりずっと応援してました。

  • @user-zq2sg8cx1m
    @user-zq2sg8cx1m 2 года назад +14

    カペリも速いって言ってたし。ピケが中島は歳の事で引退するんだよ、オレが止めて来るよ言ってたの好きだな。ピケでしたっけ?GP4日間なら中島はトップドライバーになれてた言ってたの。

    • @aiztossy5507
      @aiztossy5507 2 года назад +3

      コースを覚えるのに時間が掛かっていると彼から言われていましたからね。

  • @usamaru.
    @usamaru. 2 года назад +18

    中嶋悟氏は若い頃に様々なマシンを乗っていた経験があったからこそF1で活躍出来たと思います。
    資金面での環境が揃っていれば…

  • @user-kitaikuyo_is_No.1
    @user-kitaikuyo_is_No.1 2 года назад +40

    21世紀生まれかつ亜久里選手が表彰台に乗ったことが印象深かったので正直過小評価になっていたことを恥じました。初年度から毎年ポイント獲得は中嶋選手だけなんですね。6位までの時代なので難易度も今より高かったでしょう。。

  • @user-losinante
    @user-losinante 2 года назад +11

    当時89年のアデレード後の講演会で中嶋さんと今宮純さんに握手して頂きました、あの時の感動は忘れません。

  • @11wildboys
    @11wildboys 2 года назад +12

    二年目のロータス100Tのシャーシーが不出来なのが悔やまれる。
    低重心だったマクラーレンホンダと違って高重心でずんぐりむっくり。

  • @user-wb5wz7nc9u
    @user-wb5wz7nc9u 2 года назад +15

    引退した後に家族と一緒に日本一周のドライブ、その道中で一貴がオシッコ漏れそうなのに一般道でゾーンに入っていたお父さんが無視したら奥様が激怒して下車したエピソードが一番好きw

  • @noboru3637
    @noboru3637 2 года назад +9

    本当はJPSカラーのロータスに乗りたかったとご本人がおっしゃっていたらしいですね。
    私も期待してましたが蓋を開けるとキャメルカラーに変わってしまい少し残念でした。

  • @350A
    @350A 2 года назад +7

    いままで何人もの日本人ドライバーがF1に参戦していますが「さん」付けで呼ばれたり記載されているのが多いのは中嶋さんだけだと思う。

  • @el-h3801
    @el-h3801 2 года назад +39

    自身の腕もあるが、F1チームにとって非常に重要なスポンサー様をきっちり連れて来る腕もあった
    PIAAとかエプソンはその後自分のチーム立ち上げてもずーっと中嶋のスポンサー(パトロン)のままだしね。
    それだけ人を惹きつけるものがあったんだろう、目の周りの笑いジワを見ればわかるよ

  • @MoonWalker1969
    @MoonWalker1969 2 года назад +11

    ♪飛べよ星まで 気持ちをなびかせて 人が言うほど僕はタフじゃないのさ…

  • @tetsujiitoh4720
    @tetsujiitoh4720 2 года назад +3

    引退時中嶋さんのパーソナルスポンサーだったPIAAから限定100個で直筆サイン入りのレプリカヘルメットが発売されてかなり悩んだ末に購入して、今は自宅の押入れに眠らせてる。

  • @sibakuzoe
    @sibakuzoe 2 года назад +5

    日本人F1ドライバーのパイオニアとなった中嶋さん、黙々と仕事をこなす職人を見ているようでした。
    勝負の世界の我の強い人間が集まっていたであろう中で常に周囲との関係を良く保てる人格者でもあった。
    引退の時に何かの企画で出てたCDまだ持ってます笑

  • @keigo5555555
    @keigo5555555 2 года назад +18

    中嶋さんはF1においてはフィジカル的に苦しかったようですね
    ハンドルが重くて仕方ないと引退してから吐露したらホンダのエンジニアがパワステくらい開発できたのにと悔しがったとか。
    今ではパワステは当たり前ですからね

    • @user-is6jw4xk8z
      @user-is6jw4xk8z Год назад +1

      雨だとステアリングが軽くなるから速かったと当時から言われてましたね☔
      ドライビングのセンス自体はそれだけあると
      あと10年、いや5年早くF1に参戦できてたら更なる活躍が…と思います😣

  • @user-oy8qw8ot9j
    @user-oy8qw8ot9j 2 года назад +11

    87年から中嶋さんがフル参戦する時にF1見るようになりました。
    当時はまだ中学生でしたが魅了されていました。
    現役の5年間はきっと人生の財産になったと思えますね。
    89年のオーストラリアGPは凄かったですね。
    一貴も輝かしく現役引退しましたが弟の大祐は寂しい引退でしたね。

  • @user-cn5dp8cr6k
    @user-cn5dp8cr6k 2 года назад +8

    中嶋さんは高校の大先輩です。確かにヒーローズに入ってから激変しましたね。中嶋さんといえば雨のオーストラリアでファステストラップ叩き出しました優勝したパトレーゼより全然速かったですね。雨の中嶋は昔から言われてましたね‼️

  • @user-yd5ng9yk9x
    @user-yd5ng9yk9x 2 года назад +5

    フジテレビで中継するようになってからF1を見始めました。
    チームメイトよりいつも下だったのがすごく悔しかった😠😠
    予選は下の方だったけど確実に順位を上げてくドライバーでした。

  • @user-vt1de1bp4r
    @user-vt1de1bp4r 2 года назад +9

    これを待ってましたー
    中嶋悟さん😃

  • @einsfia
    @einsfia 2 года назад +5

    当時のノンフィクションである「F1・地上の夢」その他によると
    中嶋の本質はクルマを速く走らせるとかレースに勝ちたいというよりも「クルマを自分の思い通りに操りたい」というベクトルのドライバーだったそうな
    それに加えてF1参戦が遅かったために限界ギリギリ領域での攻める走りへの適応が年齢的に不利であり、
    またクルマをぶっ壊してでもタイムを削るというような荒々しさには欠け、トップドライバーなら当たり前とされる攻撃的なオーバーテイクやクルマにダメージを与える行為に抵抗を感じているようだ、とも
    その反面マシンの開発力やデリケートな操作は非常に高いレベルにあって、動画にもあるように限界性能が落ちる雨のレースではめっぽう強くその能力を遺憾なく発揮した
    なんというかこの人は、ブチ切れたところが無いと勝てなかったこの時代じゃなく、現代F1の方が向いていたんじゃないかなあと思う
    幼少期から英才教育が為されてそのままF1にデビューする道筋がある現代に生まれていたら、ひょっとしたらF1でも偉大なドライバーとして君臨するだけの才能があったんじゃないかと
    そんなことを思わせる魅力に溢れたドライバーでしたねえ

  • @Flatout-asario
    @Flatout-asario 2 года назад +8

    チームロータス代表のピーターウォーが「ナカジマサン」って呼んでたのが印象的でした。
    あと、その当時のホンダ総監督の桜井淑敏さんが、中嶋車に車載カメラが搭載されるのを知って激怒し、チームとFIAに怒鳴り込んだって後のインタビューで答えてましたね。

  • @FUZAKENNAMAX
    @FUZAKENNAMAX 2 года назад +1

    オーストラリアGPの雨の中島ですが、シャシーの剛性が弱く、ドライでは戦闘力が劣っていたけど、たまたま、雨が降った事で、他車と比べセッティングが路面状況にドンピシャにマッチしたようです。中嶋悟がF1のレギュラードライバーになった時は本当にびっくりしました。既成概念を壊されました。中島が後に言ってましたが、本田の後押しがあったらいけるかもしれないと言ってました。逆にそれしかないとも言ってました。それにしてもF1ドライバーになる人の過程を見て、聞いているとみなさんとても考え方が素晴らしく、かっこよく、参考になる事がとても多いです。

  • @555kh
    @555kh 2 года назад +1

    中嶋を熱狂的に応援していた時期が高校3年間。
    高校卒業の時、引退でした。
    時が経つのが早い・・・・

  • @user-in6xl1tg3q
    @user-in6xl1tg3q 2 года назад +5

    F1デビュー時、ホンダの連れ子と囁かれマネージャーの福田さんと共に辛い時期を過ごしたとか…雨のオーストラリアは、観ていて悔しかったのを覚えてる。

  • @user-cn5dp8cr6k
    @user-cn5dp8cr6k 2 года назад +11

    今まで日本人が3位に入ると騒いでましたがあれはリザルトには残らないんですよね。中嶋さんが出したファステストラップは残るんですよ‼️

  • @hiroyz2966
    @hiroyz2966 2 года назад +11

    全てはこの人から始まった….

  • @taxchoochoo
    @taxchoochoo 2 года назад +15

    なんだかんだ中嶋悟さんが日本人F1ドライバーで一番安定して結果出していた印象。

  • @xxtetxx
    @xxtetxx 2 года назад +10

    ありがとうございます。今でも私の人生の師です。それにしてもFJ1300で全戦ポール、全周回1位でチャンピオンってチート級。世界的にもこんな記録そうないのでは。

  • @kurorock4087
    @kurorock4087 2 года назад +5

    ロータス2年目はホンダが指定していたガソリンやオイルを使わなかったのでエンジン性能が出ずにメチャメチャでした。
    もし指定のガソリンやオイルを使っていたら表彰台も夢じゃ無かったかも。

  • @keniri4060
    @keniri4060 2 года назад +32

    ティレルがグッドイヤーを履いていれば、最期の2年は、もっと良い結果だったと。。。

    • @user-no7ni8ld5u
      @user-no7ni8ld5u 2 года назад +8

      無償提供だからってなんでピレリ履くんだよ~😣 って当時高校生だったワシはテレビの前で何度も怒鳴りました。😓

    • @user-zi9wr4ck3j
      @user-zi9wr4ck3j 2 года назад +6

      最後のシ-ズンはせめてタイヤがもう少し良ければと見ていて何度も思いました ひどい時には数周しただけでタイヤにブリスターが…😓

    • @66kazukoh.52
      @66kazukoh.52 2 года назад +2

      ケンティレルのドケチのせいでね…

    • @user-ux3mr3gd2x
      @user-ux3mr3gd2x Месяц назад

      ​中嶋さんがF1で活躍してた頃、まだブリジストンはF1に参入していませんでした。

  • @user-qy3xm9ex3l
    @user-qy3xm9ex3l 2 года назад +5

    中島石油は実家!

    • @user-jm8pz7gi6q
      @user-jm8pz7gi6q 2 года назад +3

      お兄さんが創業したと「F-1走る魂」に書いてありましたから、厳密にいうと実家とは違うかな。
      実家は農家だったそうです。

  • @yama-d1546
    @yama-d1546 2 года назад +15

    全盛期の中嶋さんがF1で走っていたらどうなっていたのか見たかった。

    • @user-zi4pe1hf7q
      @user-zi4pe1hf7q 2 года назад +2

      そりゃ、無理ですよ。
      世界で通用するほどのドライバーじゃないから。
      F1に行けたのは、エンジンと資金が欲しかったロータスとの合意があったから。ただの、棚ぼた。

    • @yama-d1546
      @yama-d1546 2 года назад +6

      @@user-zi4pe1hf7q そうかなぁ・・・?
      全盛期の中嶋さんと星野さんは半端なかったからなぁ・・・
      実際にブーツェンは日本で中嶋さんに歯が立たなかったし、アーバインの全日本F3000のチャンピョンを阻んだのは星野さんだしな。
      日本のオヤジたちは案外侮れませんよ。

    • @user-zi4pe1hf7q
      @user-zi4pe1hf7q 2 года назад +2

      @@yama-d1546 アレぇ〜、知らないんだ。FIAからのスポット参戦の招待とライセンス交付を受けていたのは星野一義選手だったけど、本人は家族を残し参戦出来ないし、設立したばかりのIMPULがあったし、エンジン供給のホンダが難色を示し、話しは流れたと星野一義本人も言ってるんだがね。

    • @yama-d1546
      @yama-d1546 2 года назад +2

      @@user-zi4pe1hf7q 必死だな、お前w

    • @user-ps6lf1qq5f
      @user-ps6lf1qq5f 2 года назад +2

      ヨーロッパF2チャンピオンのジェフ リースも 日本では 中島さんには 負けてるしね。

  • @user-om5qi7zt5h
    @user-om5qi7zt5h 2 года назад +2

    雨の中でのファステスト連発には痺れましたね。確か優勝したブーツェンのベストラップより2~3秒早かったかと思います。

  • @user-xg5dm6je6s
    @user-xg5dm6je6s 2 года назад +6

    中嶋も右京も表彰台に上がれるチャンスはあったけど上がれなかった。
    その千載一遇のチャンスをモノにできたのが亜久里。

  • @jiraiya1970
    @jiraiya1970 2 года назад +3

    ブーツェンの「ナカサンの走りはこんなもんじゃない」が物語ってるけど、やはりあと7年ぐらい早く行って欲しかった、が、デビューが早くても加入先が弱小プライベーターチームでは能力を出しきれないからあれで良かったのかもね

  • @hisashi1976
    @hisashi1976 2 года назад +9

    中嶋さんと片山右京さんは乗るマシンにもう少しチャンスがあれば、もっといい成績を上げれたドライバーだと思う。ただ恵まれないマシンであっても、全力で走りその限界を超えて成績を残していたと思う。
    中嶋さんは人柄もよくチームに波風を立てずやっていただけあって、当時の記事でも悪いことをあまり書かれていなかった

  • @harumichael
    @harumichael Год назад +2

    1989年雨のアデレイド。ライバル達が次々とスピンする厳しい状況にもかかわらず
    中嶋の車だけまるでドライのようなスムーズな走り!おんぼろロータスで前車を
    次々と抜き去ってゆく姿はカッコよかった!!!  あと1台抜けば表彰台でした。
    中嶋の車がスリップ入るとミスファイアすることをパトレーゼは知っていたのかな?

  • @supermiki-so138
    @supermiki-so138 2 года назад +6

    中嶋さんのF1デビュータイミングは本当に最悪だったと思います。34歳という年齢、史上最高出力を発揮するマシン、同僚がなんとセナ、そして日本人初のF1ドライバーという重圧。この条件の中で結果を残すなんて至難の技です。
    もし彼の参戦が10年早かったら結果は全然違った物になっていたと思います。せめて富士のインジャパンの時にスポットででも出場出来ていたらなあって思いますが、でもその時は若すぎるんですよね。
    世の中とのタイミングが今ひとつ合わなくって気の毒だったと思います。

    • @user-nr9up4vj7q
      @user-nr9up4vj7q 2 года назад

      アイルトン・セナが事故死したのは34歳でした。つまり、中嶋悟さんがF1デビューした年齢の時です。

  • @potatocola
    @potatocola 2 года назад +2

    ティレル時代はピレリタイヤだったのが惜しまれますね

  • @2st799
    @2st799 2 года назад +5

    BRAUNティレル格好良かった!当時プラモデルを作った。

  • @MrDogpapa
    @MrDogpapa 2 года назад +1

    中島悟選手って1975年頃の国内のレースに出てた気がするけど、ピット要員は何処も真っ白なつなぎ着てたイメージの時代ですね、
    サニー、スターレット、ロータリだとRX3とかいたかな、後年有名になった選手が激しいバトルを繰り広げてましたね。
    RX3で参戦してた写真が出てますが、RX3と言えば寺田陽次郎選手同じ時期出てましたね。

  • @user-lw4ty7wm5d
    @user-lw4ty7wm5d Год назад

    少年時代に中嶋氏を見ていて
    夢があったよ。
    特に雨のレースに感動したよ。
    引退後は後進のために尽力されて素晴らしいです。

  • @studiopapagucchi6569
    @studiopapagucchi6569 2 года назад +2

    確かに全盛期は過ぎてたよな…
    F-1ブームで視始めた輩達に『言い訳の中嶋』と言われるのが辛かった…

  • @aln90125
    @aln90125 2 года назад +3

    おそらく歌手デビューをしたF1ドライバーは中嶋悟さんが世界唯一なんじゃなかろうか?w

  • @osamu8133
    @osamu8133 2 года назад +1

    モナコ完走後のフラフラのインタビューを見てF1の凄さを実感しました

  • @user-vx9hy2ov5k
    @user-vx9hy2ov5k 2 года назад +2

    イギリスF3でクラッシュに巻き込まれマシンが裏返しになったんですよね。よく無事で。

  • @ShanghaiGatto
    @ShanghaiGatto 2 года назад +3

    中嶋さんがF1の歴史に残るドライバーであることは、日本人初の年間出場やFLだけでなく、オンボードカメラをあげたいと思います。これは、ミッドシップでチャンピオンになったブラバムや、ターボのジャブイーユ、セミATのマンちゃんに匹敵することでしょう。
    彼がいなければ、あと数年遅れていたことでしょう。というのも、他の革命とは異なり、レースを有利にするものではなかったからです。当時のカメラの性能は低く、重いだけでなく、電波などがマシンに悪影響を与えかねないシロモノでしたから。こんなもの、他に誰も載せたがらないでしょう(中嶋さんが予選落ちの時は、他のドライバーが載せていましたが)。逆に言えば、車載カメラが無ければもう数ポイント稼げたかも知れません。

  • @KP-td9gh
    @KP-td9gh 2 года назад +3

    ありがとうございます。

  • @shu--satorimas
    @shu--satorimas 2 года назад +2

    ジャニーズのKinKi Kidsの堂本光一さんがF1好きで、2冊のF1本を見たら
    中嶋悟さんを尊敬してると書いてありました‼️
    また、日本人、カミカゼ右京さんあたりとか、鈴木亜久里さんとか見たいです😀

  • @user-rn9sq5jy2s
    @user-rn9sq5jy2s 2 года назад +11

    本当に心から応援してました
    どうしても角田君には、中嶋を応援していたような情熱は持てない

    • @user-sj5fi4jz6o
      @user-sj5fi4jz6o 2 года назад +3

      僕もだ。10年前なら熱心に応援できただろう。だが今のF1には興味がないので。

    • @user-ux3mr3gd2x
      @user-ux3mr3gd2x Месяц назад

      ​@@user-sj5fi4jz6o私も今のF1にはどうもなじめないですし、中嶋さんのほうがはるかに熱くしてくれる人だと思います。

  • @yachan915
    @yachan915 2 года назад +4

    中嶋さんがもっと早くF-1に、しかも速いマシンに乗れていたら、チャンピオンになっていたでしょう。

  • @user-wl3db2fd3s
    @user-wl3db2fd3s 2 года назад +3

    昔テレビでやってたF2を見て星野一義のファンになり、親父によく鈴鹿に連れてってもらった。
    でもなぜかいつも雨。「頑張れ星野!」って必死で応援したけど、行くと必ず星野が負ける。勝つのはいつも中嶋。
    悔しかったなぁ…。
    “雨の中嶋”を身をもって体験したから、今でも雨ならセナやシューマッハにも負けないと思ってる。
    王・猪木・中嶋は俺たち世代の永遠のヒーロー。

    • @user-zx8sy5vc2y
      @user-zx8sy5vc2y 2 года назад +1

      戦績を見ると、雨のレースで強かったのはブーツェンだと思います。

    • @user-wl3db2fd3s
      @user-wl3db2fd3s 2 года назад +2

      @@user-zx8sy5vc2y さん
      いやいやガチならセナでしょ。
      ブーツェンは勝ち星少な過ぎる。まぁそんな事言ったら中嶋は、、、ってなるけど。
      まぁあくまで究極の、妄想/願望を多分に含んだ “ たられば ” の話です。

  • @user-nb7vx7yw5q
    @user-nb7vx7yw5q 2 года назад +2

    F1にステップアップするまで金銭的に苦しかったみたいですねF1に参戦しました87年から91年まで毎年入賞しました雨のレースでも速く走れるドライバーなかなかいません

  • @quakerstatemotoroils
    @quakerstatemotoroils 2 года назад +3

    ウィリアムズのテストドライバーではなく、ウィリアムズの車体を使ったホンダエンジンのテストドライバーが正しいかな。
    いつも楽しく見ていますよー。

  • @ehatovcat7037
    @ehatovcat7037 Год назад

    最強ホンダエンジンのCAMELカラーのかっこいいマシンに乗ってたけど、なかなか表彰台に届かないのにやきもきしていた。
    しかし、この頃のロータスがチーム内のゴタゴタや、あのセナやピケでさえ手を焼くマシンしか作れなかったというのを
    このチャンネルの動画で知りました。
    そんな中で中嶋さんはあれだけ頑張っていたんだなと、今になって知る想いです。

  • @roku_0624
    @roku_0624 2 года назад +2

    昔、遊んでた女の子の修学旅行からの迎えで名古屋駅に行った時、丁度、悟さんも一貴の迎えで来られてて、やっぱホンダ車なのかな?って思ったら、メルセデスのVクラスだった。申し訳ないが、元F1ドライバーでレーシングチームのオーナーだというオーラを微塵も感じれない、良いオジサンでした。

  • @takekun222
    @takekun222 Год назад

    自動車に全く興味が無かった自分に自動車の楽しさを教えてくれたのが中嶋さんでした、あれからもう30年以上も経ってますがドイツでの引退発表や最後の鈴鹿、最後のアデレードでのレースは昨日のように思い出します、これからもお元気でいて頂きたいです

  • @sans_20156
    @sans_20156 2 года назад +4

    雨も得意だからそりゃネルソンピケに走りを称賛されるよ

  • @crabnavi
    @crabnavi 2 года назад +3

    納豆走法と評される所以が分かりました

  • @MONGOL-qc5fb
    @MONGOL-qc5fb 2 года назад +10

    ナンバー2扱いだったとは言え、セナとの差がありすぎて、トップレベルのF1ドライバーとの差を感じずには居られなかった。
    予選落ちを3回食らったけど、3年目の89年が一番頑張ったシーズンだったと思います。

    • @user-zi4pe1hf7q
      @user-zi4pe1hf7q 2 года назад

      正確には、テストドライバー扱いです。
      エンジンと資金のオマケですから。
      セナの為にマシンをセッティングする為のドライバー扱い。
      まァ、それくらいの実力ですね。

    • @geooku2810
      @geooku2810 2 года назад +2

      あの年のロータスのアクティブサスペンションは酷いシロモノでした。シェイクダウンしたときはまともにまっすぐ走らないレベル。ここでほんとに凄いのはそんな車で二勝をあげたセナです。

  • @user-mm3np5sd8p
    @user-mm3np5sd8p Год назад

    子供の頃、よく富士でFポン観戦に行きました。もちろんPIAAを応援してました

  • @strikenoirify
    @strikenoirify 2 года назад +13

    中嶋悟さんは、日本人初のF1レギュラードライバーっていう程度しか知りませんでしたが、F1キャリア以前の成績は凄まじかったんですね。
    そして、チームメイトが錚々たるドライバーばかりで驚きです。

    • @user-nr9up4vj7q
      @user-nr9up4vj7q 2 года назад +3

      アイルトン・セナ、ネルソン・ピケ、ジャン・アレジ、ステファノ・モデナの4名でした。

    • @strikenoirify
      @strikenoirify 2 года назад +2

      @@user-nr9up4vj7q 動画を見ていれば、ジャン・アレジまでは分かるのに、わざわざ解説してくださってありがとうございます。

    • @user-sj5fi4jz6o
      @user-sj5fi4jz6o 2 года назад +1

      F2では(今ならスーパーフォーミュラにあたる)日本一速い男の異名を取っていた星野一義から、恐れられていた。F1引退後はPIAA中嶋としてフォーミュラ日本のチームオーナー、高木虎之助をF1に輩出した。なお、1000キロ耐久ではN1仕様プレリュードで参加、PIAA中嶋として走らせた。フリーセッションでは雇っていた、2人のプロレーサーより速いタイムで周回。「不味いなぁ、2人がやる気なくしたら困るなぁ。無茶しなくていいから」、やはりただ者じゃない人なんだと感じた。星野さんともデモランでF1で鈴鹿で走ってます。星野さんはこんな怪物にいきなり乗れって、これ危なすぎるだろう。よく乗れていたねと。

  • @508gou
    @508gou 2 года назад +3

    83年の原田レーシングに所属した1年だけヘルメットのデザインが違うんだけどなにか理由があったのかな。

  • @jorgetatsuta8073
    @jorgetatsuta8073 2 года назад

    ん‼️中島悟👍。懐かしいドライバーだね😃日本人の初F1ドライバー。ロータスホンダでアイルトンセナと1987年のシーズンをコンビ。1988年ロータスでネルソンピケ。でもやっぱり1989年の第16オーストラリアグランプリでファストラ一プを決めたですねぇ‼️その後はチレ一ル残念が優勝が出来なかった。懐かしい 嬉しい😃⤴️ 中島悟の説明有り難うございました👏👏👏💯💯💯

  • @user-es1de5th8x
    @user-es1de5th8x 2 года назад +3

    中嶋はジャン・アレジの速さに衝撃を受けて引退を決意したように思える。
    アレジとゴクミの息子もレースに出てるし、時代は変わった。

  • @user-lt5cc5ws7r
    @user-lt5cc5ws7r 2 года назад +4

    中島の引退を止めようとしたピケが中島と同い年という
    追記 ピケが1歳上だった

    • @350A
      @350A 2 года назад +1

      ピケの方が1歳歳上ですよ

    • @user-lt5cc5ws7r
      @user-lt5cc5ws7r 2 года назад

      @@350A そうなんですね!すいません!

    • @kichibinntomita9167
      @kichibinntomita9167 2 года назад +2

      イギリスF3参戦初戦、開始直後の多重クラッシュで中嶋は車ごと飛び上がって全然走れなくなったけど、そのクラッシュの原因がチャンピオン争いをしていたピケ。そんな2人が後にチームメート。