Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
87年のポルトガルGP、優勝目前でスピンしたベルガー。スピンした理由を訊かれて「追い上げてくるプロストのプレッシャーに負けた」と、素直に自身の負けを認めた。負けた理由をマシンのせいにしなかった。このベルガーの実直さや憎めない性格が、魅力になっているんだと思いますネ。
ベルガー...大好きなドライバー。高校生の時、初めて我が家に来た子犬に「ベルガー」と名付けてしまうくらい...しかし、数ヶ月後その子犬は「メス犬」であると判明...まあ、いいっかで名前はベルガーのまま。でもその子犬はベルガーと言うより「家のものを事あるごとに破壊する」チェザリスでしたw
セナの事故の後GPDAの音頭を取ったり、面倒見のいい人柄が世界中にファンがいる所以だと思います。97年のホッケンハイム最高でした。大好きです。
シューマッハを抜かさせない微妙なブロックラインが見事でした✨ヽ( ¨̮ ヽ)
エンツォや父親の死にきっちり応える活躍を見せたのは凄い。1994年のサンマリノでセナの事故後の再スタートでトップに躍り出たのも本当に凄い。
カート経験無しでフォーミュラレースに参戦してF1まで登り詰めて、優勝も記録してるなんて何気に凄いドライバー。186㎝の長身はフォーミュラマシンでは不利にも関わらずだ・・・色んな逸話を生み出しポカミスもそれなりにあったけど、ここぞという時はきっちり決めてくれた男!それがベルガー。
マクラーレン移籍最初は背の低いセナとプロストにあわせて作られて186センチのベルガーには狭すぎてブレーキアクセル同時に踏んでしまう❗
大昔、フジテレビの中継で今宮さんが、「ベルガーはサムライですからね」って言っていたのをおもいだした。
20代になってから本格的にレースデビューしたのに、それから5年もたたずにF1にデビュー。そういう非凡ぶりはセナ以上。
ベルガーめっちゃ好きでした。今でもモータースポーツに関わっておられると聞いて嬉しくなります。
ホンダ第4期のテクニカルディレクターであった田辺さんはマクラーレンホンダ時代のベルガーの担当エンジニアでした。2019年のオーストリアOPでホンダが第4期初勝利を上げて表彰台に呼ばれた田辺さんがプレゼンターのベルガーと熱い抱擁を交わしたのがすごく印象に残っています。
あれには伏線があって…2015年の鈴鹿でプレゼンテーターだったベルガーが、パドック裏のイベントに登壇中、会話の中で田辺さん(当時インディ担当だった)がいることを知り、ステージに上げて「君がF1やるんだよ!」といったんですよ。それがきっかけで、田辺さんはF1に戻ってきたとHonda社員から聞いております。
@@渋山田貴光ベルガーの一言で社内人事が動くとは到底思えないけど、夢はあるよね。
レース以外でもフェラーリF40を雨の日はガレージから絶対出すなって周囲に言ったり、ロン・デニスが運転するマクラーレンF1の助手席に座っていたベルガーがいたずらで走行中サイドブレーキを引いてスピンさせたり色んな意味で面白く記憶に残る名ドライバーでした😌❤️
ベルガーのレースにおける紳士さが好きだった。妨害とかしない印象
中嶋さんがF1デビューした87年に鈴鹿でスタートtoフィニッシュの優勝、セナのチームメイトだった頃は同じく鈴鹿の130Rを6速ホールドのまま飛び込んで行くドライビングスタイルが印象に残っています。
夜中にホテルのベランダを伝ってフジテレビのF1中継スタッフ達が 部屋呑み をしている部屋に突然 現れ、「リサの部屋はどこだ?」とたずね、指さされた方向に またベランダ伝いに消えて行ったという、"平子 理沙(※当時 フジテレビの F1情報番組に出演) に夜這いを掛けた" エピソードを入れるべきっ!w
1997年日本GP自らの引退会見の数日前、ベルガーの来季の去就を巡ってパドックではさまざまな憶測が乱れ飛んでいた。フェラーリのアーバインはアレジに呼び止められ、「エディ、大変だ。すぐにピットへ帰れ」と言われ、アーバインが急いでフェラーリのピットへ帰った。すると、そこにはフェラーリのレーシング・スーツを着て報道陣に囲まれ、シューマッハと談笑しているベルガーの姿があった。これはもちろんベルガーの発案によるジョークであった。(笑)
ピットレポーターの川井さんが当時フジテレビのアナウンサーだった有賀さつきさんを紹介したら「でかしたカズ」と言って有賀さんの部屋の方に行った話もある。
マクラーレン時代、セナとヘリコプターで移動中、セナのブリーフケース一式を放り投げたイタズラは傑作。
有名な話ですね、ブリーフケースはコース脇のグリーンに突き刺さっていたそうです。
@@鳥海誠-i4o 後日、セナはしっかり報復したらしいね。
ベルガーは何と言っても最後の勝利がとても印象的。様々な思いを抱え、一回りも歳の違う若手をねじ伏せ、その実力を示した。今でも97年の総集編、ドイツGPは何度も見てしまいます。動画作成有難う御座いました!これからも応援しています😃
長身なので脛がモノコックに当たるため、サッカー選手が使用する脛当て(レガース)を使用してた、ってエンジニアが語ってましたね。あとは1987年の初開催の鈴鹿で、130Rを6速フルスロットル左足ブレーキで速度調整して通過するというキレっぷりだったり、サンマリノのクラッシュ後に入院中の写真を雑誌に掲載させたりとファンを楽しませてくれてました。移籍交渉ではマネージャーや代理人を介さず、本人が直接交渉する唯一(最後?)のドライバーと言われてましたよね。
個人的には引退発表直前にマスコミの前でフェラーリのレーシングスーツをきてシューマッハと談笑してたドッキリが大好き。完全にバラエティーのノリである。
アーバインが顔青ざめてたのは言うまでもない。
自分が使ってた奴着て来たんすかね?
1997年鈴鹿、自らの引退会見の数日前ベルガーの来季の去就を巡ってパドックではさまざまな憶測が乱れ飛んでいた。フェラーリのアーバインはアレジに呼び止められ、「エディ、大変だ。すぐにピットへ帰れ」と言われ、アーバインが急いでフェラーリのピットへ帰った。すると、そこにはフェラーリのレーシング・スーツを着て報道陣に囲まれ、シューマッハと談笑しているベルガーの姿があった。これはもちろんベルガーの発案によるジョークであった。
1993年イタリアGPでは予選中にアレジを避けようとしたベルガーがクラッシュ。メディカルセンターに運ばれる。心配したアレジはベルガーの元へ直行。元気そうに笑顔でアレジを迎えたベルガーにアレジは安心し強く抱きついたと言う。ベルガーは「ジャンは僕の顔を見るなり抱きついてきた。むしろそっちの方が痛かった。あれには参った」と笑顔でコメント。ベルガーは無事決勝に出場した。アレジとベルガーは5年間チームメイトを組むが両者が揃って表彰台に乗ったのは95年サンマリノGPでの1回のみだった❗
ベルガー大好きだった鈴鹿のレコードは今でも鮮明な記憶
1,34,700‼️
マクラーレンホンダとアイルトン・セナにとってゲルハルト・ベルガーはまさにベストパートナーだったと思います。楽天的な性格にレース以外の争いを好まない。セナにとっても公私共に人生に多大な影響を与えた人物ですね。重大事故が相次いだ1994年にはGPDA会長としてF1の安全性や地位向上に尽力してくれた素晴らしいドライバーです👍
何気にベネトンの初優勝と最後の優勝はベルガーなんだよな〜
第二期ホンダエンジンのラストレースで優勝とか、フェラーリの連敗ストップのような、節目節目での優勝が多いんだよね。
まさに記憶に残る勝利ですよね。Wikiで見たのですが、全ての優勝が“初”や“最後”や唯一”の勝利なんですね。
鈴鹿F1初優勝、エンツォ・フェラーリ弔いの優勝、フェラーリ4年ぶりの優勝とかとにかく優勝に肩書きがつく。
マクラーレンシーズン全勝にストップの勝利なんかも肩書きかな
@@LOW-KUSHI この時はマクラーレン以外での“唯一の勝利”であり、それが“エンツォ・フェラーリに捧げるイタリアでの勝利”という、これ以上ないくらいの記憶に残る勝利ですね!
ベルガーとマンセルは『やらかしちゃう』ドライバーという印象でしたが、気難しそうなマンセルに対し、ベルガーは気さくな感じがして好きでした。
人間性の良さが逆に災いして現役ではセナ、プロスト、ピケ、マンセル四天王には及ばなかった。それでもレース後の人生は当時の四天王を遥かに凌ぐ成功を収めた人。
いや、ミスが多かった
だけどベルガーは210戦と当時は256のパトレーゼに次ぐ当時は現役最多だった❗
ベネトンチームの最初の優勝、最後の優勝。鈴鹿初開催の優勝。マクラーレンホンダ最後の優勝。フェラーリを2度復活させる優勝。安定しているとは言えないけど肝心なところでしっかりと勝ち取るベルガーが大好き。
フェラーリ復活は、させてないでしょ
@@山本よしひろ さん初めての鈴鹿サーキットでの日本GPフェラーリのベルガーが初優勝エンツォ・フェラーリが亡くなったイタリアGPでの優勝マクラーレン時代1992年限りでホンダが撤退が決まったホンダの最終戦オーストラリアGPベルガーはだから鈴鹿サーキットで日本GPでの初優勝エンツォ・フェラーリが亡くなったイタリアGPでの優勝で「フェラーリを2回復活させた」と言われてます
自身の初優勝と最後の優勝もベネトン
@@山本よしひろ3年以上優勝してなかった元常勝軍団に戦闘力の劣るマシンで久々に優勝プレゼントしたのは紛れもなくベルガーだよ
そう考えるとベルガーは持ってる男なんだなと思わされるな。
昔読んだ本に「ゲルハルト・ベルガーは天才だ。もしかしたらアイルトン・セナ以上の天才かもしれないセナはF1を目指し、全てをレースに捧げてF1に辿り着いた。ベルガーはなんとなくレースを続け、気が付いたらF1に辿り着いていた」とあって、それもひとつの考え方だなぁと思ったのを覚えている。
幼少期からカートでバリバリやっていたのかと思いきやあのキャリアの少なさでF1参戦て真の天才なんだと思った
ベルガー めちゃくちゃ好きでした。個人的にカーナンバー28はベルガーのイメージです。 レッドブルの系譜がこの頃から続いてますね
「フェラーリ栄光のカーナンバー27」という言葉がありますが、私は「フェラーリ栄光のカーナンバー28」の方が好きです。もちろんジル・ビルヌーブも好きなドライバーですけどね!
ばかっ速、怖いもの知らず不思議な魅力がある天才肌のドライバーでした。今ではプレイボーイの面影はみじんもありませんけどね、 普通のおじいちゃんです
ベルガーは言い方は悪いが、スケベでヤンチャだったけど(笑)何処か憎めなかったし親しみやすい感じがした。
私はF1を見始めた時からベルガーを応援してしてました。当事F1中継でセナがクラッシュしたらマシントラブル、ベルガーがクラッシュしたらドライビングミスという風潮がたまらなく嫌だった。
19年のオーストリアGP、マクラーレン•ホンダ時代にベルガーのエンジニアだった田辺さんとポディウムで抱き合ったあのシーンは忘れもしません。すごく印象的でした。
ベルガーパトレーゼブーツェンは記憶に残るドライバーだ。
関西テレビの馬場さんが実況すると、彼が勝つのでファンからはありがたく思われてました。地方局にも腕の立つアナウンサーがいるので、在京テレビ局もどんどん起用してほしいと思います。
マクラーレンホンダの一強時代、「バースデープレゼントにマクラーレンホンダを1台欲しい」って台詞を今でも覚えているタイミングさえあえばワールドチャンピオンになれるドライバーだったと今でも思ってるそして、悪夢のサンマリノでセナの死ばかり取り上げられている中で、予選中に事故死したラッツェンバーガーの取り上げられ方に怒りをあらわにしていた人間性が好きでした
フェラーリを二度復活させた男。10年レコード。ベルガーはめっちゃ好きでした。88年のモンツァでの優勝や90年エルマノスロドリゲスでの3位をテレビで視たあと興奮して六甲に走りに行った事やベルガーの自伝を当時の彼女に買ってもらったのはええ思い出。
ベルガーのイタズラか面白いんだよなぁ
88年のドイツにて、ロータスホンダのポスター(ピーターウォー氏とピケの顔写真)への落書きがウケました。(なぜか中嶋さんの顔写真には何もしなかった)
セナのパスポートに、セナ自身の写真を剥がしてセクシーな女性の写真を貼り付けて、出国窓口でセナは何時間も足止めをくらったり、ヘリコプターでの移動中にセナのアタッシュケースをいきなり外に投げ捨てたり、逆にセナとロンデニスの逆襲を食らってベルガーの財布(現金もクレジットカードも入ったまま)にドリルで穴を開け、大きな六角ボルトナットで締め上げて、落とし物としてホテルの窓口に届けられた彼がやらかした数々の破茶滅茶かつ愉快なエピソードが忘れられない😁😄😆
@@Lotus107 さんいたずら?もはや犯罪ですがな😱
マクラーレン時代の鈴鹿の予選アタックの車載映像をRUclipsで見たことがありますが、ギアを飛ばしてシケインへ進入する所を見て「そりゃセナよりエンジントラブルが多いワケだ」と妙に納得しました。それでも、第二期ホンダ最後の勝利となったオーストラリアGPなど印象深い勝利もあって、今も好きなドライバーのひとりです。
飛ばし やってましたね。
ホンダは「ベルガーでも壊れないエンジン」が目標だった
できることなら、日本人以外では一番友達になりたい人だなぁ。イタズラはあってもいろんな人と仲が良かったし、特に気難しいと言われたセナとも仲が良かった。またF1解説の川井さん、マクラーレン・ホンダ時代のエンジニアの田辺さんとは今も変わらない特別な関係だし、人情に厚い男だというのが伝わる。俺の拙い英語が通じれば、一度雑談をしてみたいものだ。
確か、セナと一緒になってデニスを池に落として、助けてくれ!と懇願するデニスに給料を上げないと助けない、と見捨てるフリして給料上げさせた事があった様な?
ティフォシとしては、88年のモンツァ。あれは感動的だった。それと86年のベネトン。直線フル加速でホィールスピンするBMWエンジンを抑え込むベルガーはさすがです。
ベルガーはレース以外のところで一つの動画ができる。レーシングスーツ着てる時のネタだと、ホンダがトラコンをテストしてる時にベルガーがピットに帰ってきたら「コーナーでミスファイヤしてる」って言ってきてホンダの安岡さんがずっこけたって話が好きw
マルコおじいちゃん、若い頃から才能を見出す眼力を持ってたなんて
F-1界の江頭2:50、公私共に伝説を作った男。優勝したレースに強いテーマを残したり、数々のイタズラ、当時の人気アナウンサーの有賀さつきを口説いたり、違う意味で伝説のドライバー。後、前髪の後(ry)
ベルガーと言ったら「いたずら」ですよね。私が好きなのは・セナのアタッシュケースをヘリコプターからぶん投げた・逆にセナに財布をボルトで貫通されたです!
セナのアタッシュケースを投げ捨てたあとに「そんなもの持っていても盗まれるだけだよ」と言ったとか。
最初は大人しかったセナもベルガーに染まって、ロン・デニスをワニ園の池に突き落とし、ワニに本気でビビって慌てふためくロンを足蹴にして2人でゲラゲラ笑いながら給料上げろと脅したって悪戯がすき(実際にはそこはワニはいない池って知ってた)
@@chartreux8673 正確には「ワニはいない”はず”の池」ですね(笑)いないと思うけど確実にそうだと確認したわけではないそうで・・・
1987年の鈴鹿サーキットでの日本グランプリで、ホンダが描いたシナリオを(ポール、トゥ、フィニッシュ)フェラーリでそのまま頂いたのが最高でした。
マンセルがクラッシュで欠場⇒ピケの不戦勝でタイトル確定。そのせいか振るわず、ホンダ車全員PPどころかフロントローにすら付けず・・・と大コケ。まさにおいしいところを持ってってしまいました。(それでもセナが2位、中嶋さんも6位になったが・・・)
記念すべき鈴鹿での最初の開催でホンダのお株を奪った。プロストやマンセルでも勝てなかった鈴鹿で、2度も勝っている職人
@@7ShanTen_Arena 当時の四天王でも、鈴鹿で勝利を挙げたのはセナが2勝、ピケ⇒1・・・でしたね。プロスト、マンセル⇒0
@@Taxi_go_3584 後にホンダ・エンジンのドライバーとして鈴鹿での優勝をもたらすのも、何の運命か。モナコと並んで「勝てるドライバーを選ぶサーキット」と呼ばれるのが分かる時代でした
@@7ShanTen_Arena しかもホンダエンジン車でも1勝(セナに譲られる形ではあったが)してますね。(セナはホンダ、フォードコスワースで1勝づつ)一方でマンセルは無敵状態だった92年でもコケたのは意外でした。
ベルガーは天才なんよ。一度ハマるとセナよりも速い。残念なのはそのハマるのがなかなか無かった事。
初コメです。F1観戦歴ン十年ですが,一番好きなドライバーです。特に高速コーナーの異様な速さが印象的でした。むちゃくちゃな逸話が多いですね。
ベルガーこそ天性の才能「だけ」でF1に上り詰めた男。才能だけならセナにも劣らなかったが、セナには「才能+たゆまぬ努力」があったから及ばかなった。でも波に乗った時の走りはだれも追いつけないくらい速かったんだよねえ。すごい男だったよ
何の根拠があってベルガーを「才能だけで努力してないと男」と決めつけられるのだろうね?このキャリアでF1にステップアップ出来た人間が努力してないわけないだろうにそしてベルガーを褒めるだけでいいのになんでセナを引き合いに出す必要があるのかねえ?セナ信者はこれだから幼稚なんだよ自分がどれだけ失礼でバカなこと言ってるか何の自覚も無いんだもの
セカンドドライバーという立場だとリカルド・パトレーゼと比較されがちだった印象がありますね。
職場の先輩が一番好きなドライバーだと話しておられましたが、記録より記憶に残るドライバーだったんですね。ホンダ第4期初勝利となった2019年オーストリアGPの表彰式で、プレゼンターとして登壇され、優勝チームの代表として登壇された田邊さんとハグをしておられたのが印象に残っています。確か、田邊さんがベルガーのマクラーレン時代の担当エンジニアだったと聞いて、今はお互い立場が違えど、かつてともに戦った戦友同士、久しぶりに再会したんだろうかと思ったりしました。
音速の貴公子と言われていたセナも良かったですがゲルハルトのドライビング姿はとても立派で才能があったと思います‼️ドイツGPでは1994、1997年に優勝したこともあり非常に素晴らしかったですね。
セナ没後にGPDAを再結成した時、多くのドライバーは会長にベルガーを推したけど「あと何年F1にいるか分からない俺よりも、これからのF1を支える若い奴がやった方が良い。」って理由でシューマッハを会長に推挙して、同郷の先輩で元王者のラウダにFIAとの仲介役を頼んで自分はドライバーや外部専門家と意見を話し合って、それをシューマッハに伝える裏方仕事に徹したんですよね
スピードと快楽のシンドバッド
'95モナコ予選ベルガーが駆る412t2豪快な慣性ドリフトを披露してましたね!あんなのをやって退けるベルガーさん。他のドライバーでは難しいでしょうね。
ゲルハルト大好きだったー。
昔某掲示板でこんな書き込みがありました。・石橋を叩いて渡るプロスト・石橋を叩かないで渡るマンセル・石橋から落ちるベルガー →言い得て妙
ベルガーは、人事を尽くさず奇跡を待つ
壊すチェザリスってヤツですね(*^^*)
確かそれって、90年代に発行された村山文夫のF1グランプリ天国の4コマの作品のオチでしたね(笑)
@@鈴木土下座右衛門-p5v さんあのチェザリスも、ここぞというときは入賞してましたね。
@@鈴木土下座右衛門-p5vFW14と並ぶ1991年のベストマシン、ジョーダン191を繰って職人と化したチェザリスは、MP4/1をクラッシュしまくったけど、さすがマクラーレンでPPを取っただけある。ベルギーGPでは、最初で最後の優勝チャンスがあった。
未だに1番好きなドライバーです
フジのTV放送と同時にF1を見始めたから最初のころはセナがロータスで低迷していたからプロストとベルガーがホンダの最大の敵で、その中でもマシン性能が1ランク劣るフェラーリで優勝したベルガーが最強なんじゃないかとおもってた。90年にマクラーレンに移籍した時はセナの最大のライバルとなりセナプロ時代を超える大記録を作るのは間違いないとみんな思ってたよ。体格が不利に働いたといわれてはいるがそれよりも89年のサンマリノの事故の影響が大きかったんじゃないかと思う。あの後も豪快にコーナーに飛び込んでいくドライビングは変わらなかったが事故以前はそれこそセナ以上の神がかり的なテクニックを見せていたような気がする。奇しくもその同じコーナーで親友のセナが事故死したのもまた因縁のように思える
セナから勝利を譲られた日本GPは、終了後ベルガーとセナとデニス三者で話し合いをしていて、セナは今までサポートしてくれたお礼の意味で勝ちを譲ったそうですが、ベルガーにもプライドがあって、そんな勝ちはいらない、と激論だったそうです。
当時鈴鹿の130Rを6速全開でクリアした、唯一のドライバーだとか聞いたことある・・・そして、甥(妹さんの息子)が数年前スーパーフォーミュラで走ってた。
ベルガーは節目節目でインパクトのあるリザルトを残す、という印象が強いですね。フェラーリを2度復活させた、第二期ホンダのラストランでの優勝、結果的に最後の勝利となった97年ドイツGPでは、引退が囁かれる中での優勝と、タイトルの通り、「記録よりも記憶」に残るドライバーでした。ただ、一番印象に残っているのは、日本GPで鈴鹿に来た際、フジテレビアナウンサーの有賀さつきを口説いていた、という話ですね。まあ、無類の女好きのベルガーらしい一面ですけど。😁
1991鈴鹿のフジ前夜祭番組で、古舘が有賀アナにそのこと聞いてたな。ベルガーお目当てなひと晩は過ごさなかったが、食事はしたそうな。
エンジンのミスファイアリングによるトラクションコントロールシステムのテストの時、エンジンをミスファイアさせて適切なトラクションを得るんだこのシステムはと説明されたにもかかわらず、数周で戻って来て、おいっ!エンジンがミスファイアを起こしているぜって言ったというエピソードに腹抱えて笑った記憶が。
わしは今でもゲルハルトを愛してる
ベルガーは結構お気に入りのドライバーでした😃👍
しかし、彼が速い同僚と讃えたアレジは通算1勝、ベルガーは2ケタ勝っている。トップドライバーと言われても2ケタ優勝しているのはわずかだから、やっぱり凄いドライバーでした。
この人の自伝持ってました。セナのパスポートの写真をエロい写真に張り替えたりした事とか載ってて読んだら更に好きになったなぁ。取り上げてくれてありがとうございます。
12:03日本の女性が好きだったベルガーなだけに、最後は「歴史解説MONONOFU物語」チャンネルと同じ、和風BGMになるのが面白かったです❗
自分としてはフェラーリはマンセルやプロストやシューマッハよりベルガーが一番似合ってるな。
ベルガーはいつもNO.2だった記憶があります。時々No.1ドライバーを食う走りは凄かったです🏎🏎🏎🏎🏎
91年のベルギーだったっけ?ピット作業をミスって大幅にタイムロスしたベルガーがピット出た途端にスピン解説の今宮さんが「あせらないで、あせらないで」って言ってたのがすごい印象に残ってる
引退後も様々な役職やってる所を見るとレーサーとしてのキャリアだけでなく 人柄も評価されてるんだなと思うそれにしても 現在の老けた画像の前にイケメン時代の画像を載せるのはw
ベルガーはサーキット以外での奔放すぎる逸話が多い。中にはシャレや冗談では済ませられないレベルの話もあり好き嫌いは分かれる人物と思う。
😅
セナのジュラルミンケースをヘリコプターから落とした話はその筆頭ですな😅
@@しろコンニャク セナのパスポートに金玉の写真張り付けたとか(笑
空前のF1ブームの中、セナしか知らない大量のにわかファンが見守る日本グランプリの生中継で、全くお呼びでなかった優勝を決めたのが最高だった。
87年?この時のセナは、同じホンダエンジンユーザーのピケ・マンセルよりニワカF1ファンの知名度は低かったよ。91年なら、セナとチームメイトなベルガーもある程度ニワカにも知名度あったろ。あとセナ時代の日本GPは、生中継していない。
С детства болел за Герхарда, вначале по журналам и VHS, которые были у нас за Железным занавесом, потом 1992 начались трансляции по ТВ. Бергер это яркий, харизматичный пилот, мне нравится его взгляд на жизнь.
私にとっては、今でもフェラーリ640とゲルハルトとカーナンバー28のパッケージがF1ブランドの最高峰です。
流石です!私もそう思います!そう思ってる人多いんじゃないかと思いますよ‼️
1年だけのチームメイトな、マンセルとナンバー27の640パッケージもカッコよかった。奇跡の開幕戦ブラジル640初優勝、ハンガリーGPの予選12位から猛追してトップのセナをブチ抜き優勝。89年、リタイア地獄に苦しんだベルガーも、シーズン後半ポルトガルGPにてほぼ圧勝。640系は641/2が圧倒的に人気あるが、スリムでシンプルなボディラインの640が一番好きだわ。特にインダクションポッドが左右分割タイプな前期型。
ベルガーのいたずらほんと好き
88年のドイツGPでの、ロータスホンダのポスターへの落書き(ピケとピーター・ウォー氏の顔写真に落書き(なぜか中嶋さんの顔写真には何もせず)
シーズン後半に調子上げてくるタイプだった。だが当時は年間16戦と短かった為、真価を発揮しきれなかった。年間22戦と長い21世紀F1ならば、もっと勝利したと思う。あと同世代のグージェルミンもそうだけど軽量コンパクト路線を突き進む当時のF1マシンに対し彼の大柄な体格と体重は大きなハンデキャップだった。
1992カナダGPは、唯一の前半戦勝利だったな。90年カナダGPも十分勝てるチャンスあったのに、フライングスタートでパーに。その時勝ててたら、その後のマクラーレン・ホンダでの実績も良くなってたかも。
初めてテレビで見た、1987年の日本グランプリで優勝したのを見て、セナ・プロストよりもベルガーのファンになりました。
レースやパドックに浪漫が溢れてた頃の古き良きって時代ってやつの最後の一人でしょうレースの神から愛されたとしか思えないような優勝が多いのも頷ける悪戯好きであると同時にプレイボーイとしても有名で日本GPの度にどのタレントやフジ女子アナを口説こうとしたって話題になる人でもありました
自分的には、誰でもチームメイト友好なイメージホンダの記録を止めたり、鈴鹿ウィナー、最後のv12使いや中高速サーキットは速い感じのイメージでチャンピオンには慣れなかったが記憶には残るドライバーでしたね
ベルガーは『無冠の帝王』という言葉が最も似合うドライバーかも知れない。初期のベルガーは短期間でF1に来た事で、見た目にも『アクセルワークが雑』という印象を受けた。故に成績も波が激しかった。速い時は抜群に速いが、その雑なアクセルワークがハマらない時はマシントラブルを招きリタイア。そんな雑なドライビングでありながら、成績を残す。コレはある意味『天才』と呼べる。どことなくジャン・アレジに似たような香りがした。フェラーリでジャンと一緒になった時、『どっちが生き残るんだろう❓』と楽しみになった事を覚えている。晩年はレースキャリアを積んで、自身の雑なドライビングスタイルをジワジワ変化させたベルガー。移籍のタイミングさえ良ければ、もっと勝利を重ねられたろうと感じる🇯🇵
当時子供だった私は、文句ばかり言ってるセナより、チームメートのベルガーの方が好きでしたw 特に92年のアデレードはカッコよかったです!
洒落にならないイタズラっ子でも有名なベルガーマクラーレン入りした時「セナは神経質だからイタズラするなよ」と釘を刺されたがベルガーは「振りだな(*´ω`*)」といろいろセナにイタズラしかけたそうで(^_^;)けどそれが功を奏したかセナとの関係は良好だったとか(一緒にロン・デニスワニ園事件を仕掛けた事も)
その過激なイタズラを超越したことしても、許されるキャラクター。彼には魅力があるのでしょう。
「愛すべき悪ガキ」でしたね。セナにイタズラ仕掛けても憎めないキャラクターでした。
自分は1987年からファンです。顔、スタイル、ヘルメット、ドライビング…大好きです。
トラクションコントロールが採用されたマシンで「なんかこれ調子悪い!元に戻せ!」って言ってた。勝手に出力調整されるのが気に入らなかったベルガー(笑)
でもベルガーは210戦で10勝してるから凄いのだけどアイルトン・セナ、ナイジェル・マンセルアラン・プロスト錚々たるドライバーがいた❗だけど1991年日本GP予選で出した、1分34秒700これは2001年シューマッハに破られるまで鈴鹿サーキットのコースレコード❗またアイルトン・セナの友人だった
鈴鹿でセナにトップを、ゆずってもらったシーンが一番、印象が残ってます😀
プレイボーイと言われながら子供って娘1人だけなのかな、『息子がレースデビューしました』って聞いたことがないし、ピケは愛人の子供が沢山いるのと真逆。 川井さんがフジテレビ女子アナを紹介した時はかなり喜んでアタックをしていたとか。 もしピケとチームメイトになっていたら、ミーティングの半分は下ネタのピーピー放送禁止用語が飛びかって女性をどうやって落とす事しか考えてないかも。 89年中盤以降フェラーリから冷遇されたけど、翌年にマンセルが同じ冷遇された時に「ゲルハトの気持ちが分かった」と話したり、フェラーリ再復帰した初テストの感想は「気に入ったのは無線(パイオニア製)だけ」と遠回りしに批判して撤退したホンダの技術協力を要請した1人、93年はボロボロのレース話ばかりだったが、レース前日までテストをして汗を流して良かったパーツ(特にアクティブサスの部品)を自家用ジェットで運んだりアレジには無理な仕事を献身的に支えてくれた。
夜のマルチシリンダーとか言われていました。
セナに合わせたマシンが合わなかっただけで、それ以外では全盛期と言えるチームメイトに互角か勝ってるんだよね、強いチームに入れるか、もう少しマシン開発の力があったらチャンピンも取れてたでしょうね
ベルガーは高速コーナーが得意。昔の鈴鹿の130Rを全開で駆け抜けたのはベルガーだけ。鈴鹿では予選でセナに勝ったし速いドライバーだった
自分が見た中ではアーバイン(次点は中嶋)が最速だが日本慣れてるのも含めてだからベルガーでいいか
ベルガーも、アーバインも、マッサも、チェコもそうだけど、No.2って切ない😢サンマリノの事故も見てて怖かった😅
当時テレビを観ていてベルガーのサンマリノ事故の時解説の桜井氏があまりビックリもせず火が出ましたねと言われた時は冷静な人だなぁと思いました。マーシャルの迅速な行動でベルガーは助かりましたね。
@@秀和井上 確かにそうですよね😅今見てもやっぱり怖いですよね😅
赤いマシンが火破り……ウィリアムズのピケもあのいまいましいコーナー…とは本人達は思ってはないと思いますが…犠牲に💦そしてしばらくたち、相方だったセナ自身も…
@@user-td2nr4ni3 ホントですね。あの時バーガーさんが亡くなって、本戦をやめて欲しかったのが、本音です😭そしたら、生ダラでまたアイルトンタカとカートレースして欲しかった😥
@@そうまとふうまのパパ ラッツェン…そういえば、最近、芸能人とプロをカートコースに呼んで一緒に走らせる企画が滅多にありませんね。とんねるずはもとより芸能に島田氏がいた時代はモールスポーツブームが少しあったのに。
95年にゲルハルト・ベルガーの盗まれたフェラーリF-512Mが今頃見つかったそうです。
1回のチャンピオンよりも10回の伝説
確かに、優勝回数15回でチャンピオン1回のバトンよりもベルガーの方が記憶に残る優勝が多い。
ベルガーね鈴鹿でポールをとった時たまたま近くでベルガーを見た時スッゴイ 😵オーラは今も鮮明に残っています
マンセルを360度スピンさせたり、無理な追い抜きでマンセル怒らせてメキシコの最終高速コーナーでアウトからぶち抜かれたり、自分以外のレーサーにも見せ場作らせてたよねw
映像には無かったけど、アイルトン=セナと共謀してロン=デニスをワニ池に突き落とした話が好き。
ベルガーはホテルのセナの部屋へ腐った魚とチーズを放置鍵穴から消火器を噴射(笑)その対抗にベルガーの財布がホテルのフロントにボルト締めして放置それには、ロン・デニスのサインがあり「お届け物です」と書かれた(笑)
イタズラと女好きなオーストリア人F1レーサーでも、やる時はやる男でした。
最初のスズカのF1だけ実際に観に行ったので、その時に優勝した人ということで覚えています。この動画で紹介していたことはほとんど知りませんでした。
エンジンとタイヤに負担かかる走りだけど高速コースではチャンピオンドライバーと同等かそれ以上の速さを持つ男93年の鈴鹿予選で一時ポールタイム叩き出してマシンから降りたときのベルガーの目がイッちゃってる野獣のような目をしてたのが印象的だったね。しかもその時Tシャツ裏返しで着ててクルーに指摘されてたのが笑えるw
いわゆる「鈴鹿予選最速番長」的なF1ドライバーで特に1991年F1日本GPでの予選タイム1分34秒700のタイムはその後、向こう10年間は2001年にミハエル・シューマッハのフェラーリに破られるまで、抜かれる事のなかった最速ラップだった。エンジンもよく壊すドライバーだったが、鈴鹿では飛び切りの速さを見せていたドライバーだった。(*^^)v
マクラーレンホンダでセナと組んでた際、予選で鈴鹿の130Rをアクセル全開で突っ込んでたらしい。セナですらアクセルは緩めてたと、ホンダのエンジンモニター解析で表示されてたとか。一週のラップはセナが安定して速かったらしいが。
ひそかにベルガーがツーリングカー選手権で乗ってたBMW・635CSiはタミヤでプラモ化されてた。
87年のポルトガルGP、優勝目前でスピンしたベルガー。スピンした理由を訊かれて「追い上げてくるプロストのプレッシャーに負けた」と、素直に自身の負けを認めた。負けた理由をマシンのせいにしなかった。このベルガーの実直さや憎めない性格が、魅力になっているんだと思いますネ。
ベルガー...大好きなドライバー。高校生の時、初めて我が家に来た子犬に「ベルガー」と名付けてしまうくらい...しかし、数ヶ月後その子犬は「メス犬」であると判明...まあ、いいっかで名前はベルガーのまま。でもその子犬はベルガーと言うより「家のものを事あるごとに破壊する」チェザリスでしたw
セナの事故の後GPDAの音頭を取ったり、面倒見のいい人柄が世界中にファンがいる所以だと思います。
97年のホッケンハイム最高でした。大好きです。
シューマッハを抜かさせない微妙なブロックラインが見事でした✨ヽ( ¨̮ ヽ)
エンツォや父親の死にきっちり応える活躍を見せたのは凄い。
1994年のサンマリノでセナの事故後の再スタートでトップに躍り出たのも本当に凄い。
カート経験無しでフォーミュラレースに参戦してF1まで登り詰めて、優勝も記録してるなんて何気に凄いドライバー。
186㎝の長身はフォーミュラマシンでは不利にも関わらずだ・・・
色んな逸話を生み出しポカミスもそれなりにあったけど、ここぞという時はきっちり決めてくれた男!それがベルガー。
マクラーレン移籍最初は
背の低いセナとプロストにあわせて
作られて
186センチのベルガーには
狭すぎてブレーキアクセル同時に踏んで
しまう❗
大昔、フジテレビの中継で
今宮さんが、
「ベルガーはサムライですからね」
って言っていたのをおもいだした。
20代になってから本格的にレースデビューしたのに、それから5年もたたずにF1にデビュー。
そういう非凡ぶりはセナ以上。
ベルガーめっちゃ好きでした。
今でもモータースポーツに関わっておられると聞いて嬉しくなります。
ホンダ第4期のテクニカルディレクターであった田辺さんはマクラーレンホンダ時代のベルガーの担当エンジニアでした。2019年のオーストリアOPでホンダが第4期初勝利を上げて表彰台に呼ばれた田辺さんがプレゼンターのベルガーと熱い抱擁を交わしたのがすごく印象に残っています。
あれには伏線があって…
2015年の鈴鹿でプレゼンテーターだったベルガーが、パドック裏のイベントに登壇中、会話の中で田辺さん(当時インディ担当だった)がいることを知り、ステージに上げて「君がF1やるんだよ!」といったんですよ。
それがきっかけで、田辺さんはF1に戻ってきたとHonda社員から聞いております。
@@渋山田貴光
ベルガーの一言で社内人事が動くとは到底思えないけど、夢はあるよね。
レース以外でもフェラーリF40を雨の日はガレージから絶対出すなって周囲に言ったり、ロン・デニスが運転するマクラーレンF1の助手席に座っていたベルガーがいたずらで走行中サイドブレーキを引いてスピンさせたり色んな意味で面白く記憶に残る名ドライバーでした😌❤️
ベルガーのレースにおける紳士さが好きだった。妨害とかしない印象
中嶋さんがF1デビューした87年に鈴鹿でスタートtoフィニッシュの優勝、セナのチームメイトだった頃は同じく鈴鹿の130Rを6速ホールドのまま飛び込んで行くドライビングスタイルが印象に残っています。
夜中にホテルのベランダを伝ってフジテレビのF1中継スタッフ達が 部屋呑み をしている部屋に突然 現れ、「リサの部屋はどこだ?」とたずね、指さされた方向に またベランダ伝いに消えて行ったという、"平子 理沙(※当時 フジテレビの F1情報番組に出演) に夜這いを掛けた" エピソードを入れるべきっ!w
1997年日本GP自らの引退会見の数日前、
ベルガーの来季の去就を巡ってパドックではさまざまな憶測が乱れ飛んでいた。
フェラーリのアーバインはアレジに呼び止められ、「エディ、大変だ。すぐにピットへ帰れ」と言われ、アーバインが急いでフェラーリのピットへ帰った。すると、そこにはフェラーリのレーシング・スーツを着て報道陣に囲まれ、シューマッハと談笑しているベルガーの姿があった。これはもちろんベルガーの発案によるジョークであった。(笑)
ピットレポーターの川井さんが当時フジテレビのアナウンサーだった有賀さつきさんを紹介したら「でかしたカズ」と言って有賀さんの部屋の方に行った話もある。
マクラーレン時代、セナとヘリコプターで移動中、セナのブリーフケース一式を放り投げたイタズラは傑作。
有名な話ですね、ブリーフケースはコース脇のグリーンに突き刺さっていたそうです。
@@鳥海誠-i4o 後日、セナはしっかり報復したらしいね。
ベルガーは何と言っても最後の勝利がとても印象的。
様々な思いを抱え、一回りも歳の違う若手をねじ伏せ、その実力を示した。
今でも97年の総集編、ドイツGPは何度も見てしまいます。
動画作成有難う御座いました!
これからも応援しています😃
長身なので脛がモノコックに当たるため、サッカー選手が使用する脛当て(レガース)を使用してた、ってエンジニアが語ってましたね。
あとは1987年の初開催の鈴鹿で、130Rを6速フルスロットル左足ブレーキで速度調整して通過するというキレっぷりだったり、サンマリノのクラッシュ後に入院中の写真を雑誌に掲載させたりとファンを楽しませてくれてました。
移籍交渉ではマネージャーや代理人を介さず、本人が直接交渉する唯一(最後?)のドライバーと言われてましたよね。
個人的には引退発表直前にマスコミの前でフェラーリのレーシングスーツをきてシューマッハと談笑してたドッキリが大好き。完全にバラエティーのノリである。
アーバインが顔青ざめてたのは言うまでもない。
自分が使ってた奴着て来たんすかね?
1997年鈴鹿、自らの引退会見の数日前
ベルガーの来季の去就を巡ってパドックではさまざまな憶測が乱れ飛んでいた。
フェラーリのアーバインはアレジに呼び止められ、「エディ、大変だ。すぐにピットへ帰れ」と言われ、アーバインが急いで
フェラーリのピットへ帰った。すると、
そこにはフェラーリのレーシング・スーツを着て報道陣に囲まれ、シューマッハと談笑しているベルガーの姿があった。
これはもちろんベルガーの発案によるジョークであった。
1993年イタリアGPでは予選中に
アレジを避けようとしたベルガーが
クラッシュ。
メディカルセンターに運ばれる。
心配したアレジはベルガーの元へ直行。
元気そうに笑顔でアレジを迎えたベルガーにアレジは安心し強く抱きついたと言う。ベルガーは「ジャンは僕の顔を見るなり抱きついてきた。むしろそっちの方が痛かった。あれには参った」と笑顔でコメント。ベルガーは無事決勝に出場した。
アレジとベルガーは5年間チームメイトを組むが両者が揃って表彰台に乗ったのは95年サンマリノGPでの1回のみだった❗
ベルガー大好きだった
鈴鹿のレコードは今でも鮮明な記憶
1,34,700‼️
マクラーレンホンダとアイルトン・セナにとってゲルハルト・ベルガーはまさにベストパートナーだったと思います。
楽天的な性格にレース以外の争いを好まない。
セナにとっても公私共に人生に多大な影響を与えた人物ですね。
重大事故が相次いだ1994年にはGPDA会長としてF1の安全性や地位向上に尽力してくれた素晴らしいドライバーです👍
何気にベネトンの初優勝と最後の優勝はベルガーなんだよな〜
第二期ホンダエンジンのラストレースで優勝とか、フェラーリの連敗ストップのような、節目節目での優勝が多いんだよね。
まさに記憶に残る勝利ですよね。Wikiで見たのですが、全ての優勝が“初”や“最後”や唯一”の勝利なんですね。
鈴鹿F1初優勝、エンツォ・フェラーリ弔いの優勝、フェラーリ4年ぶりの優勝とかとにかく優勝に肩書きがつく。
マクラーレンシーズン全勝にストップの勝利なんかも肩書きかな
@@LOW-KUSHI
この時はマクラーレン以外での“唯一の勝利”であり、それが“エンツォ・フェラーリに捧げるイタリアでの勝利”という、これ以上ないくらいの記憶に残る勝利ですね!
ベルガーとマンセルは『やらかしちゃう』ドライバーという印象でしたが、気難しそうなマンセルに対し、ベルガーは気さくな感じがして好きでした。
人間性の良さが逆に災いして現役ではセナ、プロスト、ピケ、マンセル四天王には及ばなかった。それでもレース後の人生は当時の四天王を遥かに凌ぐ成功を収めた人。
いや、ミスが多かった
だけどベルガーは210戦と当時は
256のパトレーゼに次ぐ当時は
現役最多だった❗
ベネトンチームの最初の優勝、最後の優勝。
鈴鹿初開催の優勝。
マクラーレンホンダ最後の優勝。
フェラーリを2度復活させる優勝。
安定しているとは言えないけど肝心なところでしっかりと勝ち取るベルガーが大好き。
フェラーリ復活は、させてないでしょ
@@山本よしひろ さん
初めての鈴鹿サーキットでの
日本GP
フェラーリのベルガーが初優勝
エンツォ・フェラーリが亡くなった
イタリアGPでの優勝
マクラーレン時代
1992年限りで
ホンダが撤退が決まった
ホンダの最終戦
オーストラリアGP
ベルガーはだから
鈴鹿サーキットで日本GPでの初優勝
エンツォ・フェラーリが亡くなった
イタリアGPでの優勝で
「フェラーリを2回復活させた」と
言われてます
自身の初優勝と最後の優勝もベネトン
@@山本よしひろ3年以上優勝してなかった元常勝軍団に戦闘力の劣るマシンで久々に優勝プレゼントしたのは紛れもなくベルガーだよ
そう考えるとベルガーは持ってる男なんだなと思わされるな。
昔読んだ本に
「ゲルハルト・ベルガーは天才だ。もしかしたらアイルトン・セナ以上の天才かもしれない
セナはF1を目指し、全てをレースに捧げてF1に辿り着いた。
ベルガーはなんとなくレースを続け、気が付いたらF1に辿り着いていた」
とあって、それもひとつの考え方だなぁと思ったのを覚えている。
幼少期からカートでバリバリやっていたのかと思いきや
あのキャリアの少なさでF1参戦て
真の天才なんだと思った
ベルガー めちゃくちゃ好きでした。個人的にカーナンバー28はベルガーのイメージです。 レッドブルの系譜がこの頃から続いてますね
「フェラーリ栄光のカーナンバー27」という言葉がありますが、私は「フェラーリ栄光のカーナンバー28」の方が好きです。
もちろんジル・ビルヌーブも好きなドライバーですけどね!
ばかっ速、怖いもの知らず
不思議な魅力がある天才肌のドライバーでした。
今ではプレイボーイの面影はみじんもありませんけどね、 普通のおじいちゃんです
ベルガーは言い方は悪いが、スケベでヤンチャだったけど(笑)何処か憎めなかったし親しみやすい感じがした。
私はF1を見始めた時からベルガーを応援してしてました。
当事F1中継でセナがクラッシュしたらマシントラブル、
ベルガーがクラッシュしたらドライビングミスという風潮がたまらなく嫌だった。
19年のオーストリアGP、マクラーレン•ホンダ時代にベルガーのエンジニアだった田辺さんとポディウムで抱き合ったあのシーンは忘れもしません。すごく印象的でした。
ベルガーパトレーゼブーツェンは記憶に残るドライバーだ。
関西テレビの馬場さんが実況すると、彼が勝つのでファンからはありがたく思われてました。地方局にも腕の立つアナウンサーがいるので、在京テレビ局もどんどん起用してほしいと思います。
マクラーレンホンダの一強時代、
「バースデープレゼントにマクラーレンホンダを1台欲しい」って台詞を今でも覚えている
タイミングさえあえばワールドチャンピオンになれるドライバーだったと今でも思ってる
そして、悪夢のサンマリノでセナの死ばかり取り上げられている中で、予選中に事故死したラッツェンバーガーの取り上げられ方に怒りをあらわにしていた人間性が好きでした
フェラーリを二度復活させた男。
10年レコード。
ベルガーはめっちゃ好きでした。
88年のモンツァでの優勝や90年エルマノスロドリゲスでの3位をテレビで視たあと興奮して六甲に走りに行った事やベルガーの自伝を当時の彼女に買ってもらったのはええ思い出。
ベルガーのイタズラか面白いんだよなぁ
88年のドイツにて、ロータスホンダのポスター(ピーターウォー氏とピケの顔写真)への落書きがウケました。
(なぜか中嶋さんの顔写真には何もしなかった)
セナのパスポートに、セナ自身の写真を剥がしてセクシーな女性の写真を貼り付けて、出国窓口でセナは何時間も足止めをくらったり、
ヘリコプターでの移動中にセナのアタッシュケースをいきなり外に投げ捨てたり、
逆にセナとロンデニスの逆襲を食らってベルガーの財布(現金もクレジットカードも入ったまま)にドリルで穴を開け、大きな六角ボルトナットで締め上げて、落とし物としてホテルの窓口に届けられた
彼がやらかした数々の破茶滅茶かつ愉快なエピソードが忘れられない😁😄😆
@@Lotus107 さん
いたずら?もはや犯罪ですがな😱
マクラーレン時代の鈴鹿の予選アタックの車載映像をRUclipsで見たことがありますが、ギアを飛ばしてシケインへ進入する所を見て「そりゃセナよりエンジントラブルが多いワケだ」と妙に納得しました。それでも、第二期ホンダ最後の勝利となったオーストラリアGPなど印象深い勝利もあって、今も好きなドライバーのひとりです。
飛ばし やってましたね。
ホンダは
「ベルガーでも壊れないエンジン」が
目標だった
できることなら、日本人以外では一番友達になりたい人だなぁ。
イタズラはあってもいろんな人と仲が良かったし、特に気難しいと言われたセナとも仲が良かった。またF1解説の川井さん、マクラーレン・ホンダ時代のエンジニアの田辺さんとは今も変わらない特別な関係だし、人情に厚い男だというのが伝わる。
俺の拙い英語が通じれば、一度雑談をしてみたいものだ。
確か、セナと一緒になってデニスを池に落として、助けてくれ!と懇願するデニスに給料を上げないと助けない、と見捨てるフリして給料上げさせた事があった様な?
ティフォシとしては、88年のモンツァ。
あれは感動的だった。
それと86年のベネトン。
直線フル加速でホィールスピンするBMWエンジンを抑え込むベルガーはさすがです。
ベルガーはレース以外のところで一つの動画ができる。
レーシングスーツ着てる時のネタだと、ホンダがトラコンをテストしてる時にベルガーがピットに帰ってきたら「コーナーでミスファイヤしてる」って言ってきてホンダの安岡さんがずっこけたって話が好きw
マルコおじいちゃん、若い頃から才能を見出す眼力を持ってたなんて
F-1界の江頭2:50、公私共に伝説を作った男。
優勝したレースに強いテーマを残したり、数々のイタズラ、当時の人気アナウンサーの有賀さつきを口説いたり、違う意味で伝説のドライバー。
後、前髪の後(ry)
ベルガーと言ったら「いたずら」ですよね。
私が好きなのは
・セナのアタッシュケースをヘリコプターからぶん投げた
・逆にセナに財布をボルトで貫通された
です!
セナのアタッシュケースを投げ捨てたあとに「そんなもの持っていても盗まれるだけだよ」と言ったとか。
最初は大人しかったセナもベルガーに染まって、ロン・デニスをワニ園の池に突き落とし、ワニに本気でビビって慌てふためくロンを足蹴にして2人でゲラゲラ笑いながら給料上げろと脅したって悪戯がすき
(実際にはそこはワニはいない池って知ってた)
@@chartreux8673
正確には「ワニはいない”はず”の池」ですね(笑)
いないと思うけど確実にそうだと確認したわけではないそうで・・・
1987年の鈴鹿サーキットでの日本グランプリで、ホンダが描いたシナリオを(ポール、トゥ、フィニッシュ)フェラーリでそのまま頂いたのが最高でした。
マンセルがクラッシュで欠場⇒ピケの不戦勝でタイトル確定。
そのせいか振るわず、ホンダ車全員PPどころかフロントローにすら付けず・・・と大コケ。
まさにおいしいところを持ってってしまいました。(それでもセナが2位、中嶋さんも6位になったが・・・)
記念すべき鈴鹿での最初の開催でホンダのお株を奪った。プロストやマンセルでも勝てなかった鈴鹿で、2度も勝っている職人
@@7ShanTen_Arena 当時の四天王でも、鈴鹿で勝利を挙げたのはセナが2勝、ピケ⇒1・・・でしたね。
プロスト、マンセル⇒0
@@Taxi_go_3584 後にホンダ・エンジンのドライバーとして鈴鹿での優勝をもたらすのも、何の運命か。
モナコと並んで「勝てるドライバーを選ぶサーキット」と呼ばれるのが分かる時代でした
@@7ShanTen_Arena しかもホンダエンジン車でも1勝(セナに譲られる形ではあったが)してますね。
(セナはホンダ、フォードコスワースで1勝づつ)
一方でマンセルは無敵状態だった92年でもコケたのは意外でした。
ベルガーは天才なんよ。一度ハマるとセナよりも速い。残念なのはそのハマるのがなかなか無かった事。
初コメです。F1観戦歴ン十年ですが,一番好きなドライバーです。特に高速コーナーの異様な速さが印象的でした。むちゃくちゃな逸話が多いですね。
ベルガーこそ天性の才能「だけ」でF1に上り詰めた男。才能だけならセナにも劣らなかったが、セナには「才能+たゆまぬ努力」があったから及ばかなった。でも波に乗った時の走りはだれも追いつけないくらい速かったんだよねえ。すごい男だったよ
何の根拠があってベルガーを「才能だけで努力してないと男」と決めつけられるのだろうね?
このキャリアでF1にステップアップ出来た人間が努力してないわけないだろうに
そしてベルガーを褒めるだけでいいのになんでセナを引き合いに出す必要があるのかねえ?
セナ信者はこれだから幼稚なんだよ
自分がどれだけ失礼でバカなこと言ってるか何の自覚も無いんだもの
セカンドドライバーという立場だとリカルド・パトレーゼと比較されがちだった印象がありますね。
職場の先輩が一番好きなドライバーだと話しておられましたが、記録より記憶に残るドライバーだったんですね。
ホンダ第4期初勝利となった2019年オーストリアGPの表彰式で、プレゼンターとして登壇され、優勝チームの代表として登壇された田邊さんとハグをしておられたのが印象に残っています。
確か、田邊さんがベルガーのマクラーレン時代の担当エンジニアだったと聞いて、今はお互い立場が違えど、かつてともに戦った戦友同士、久しぶりに再会したんだろうかと思ったりしました。
音速の貴公子と言われていたセナも良かったですがゲルハルトのドライビング姿はとても立派で才能があったと思います‼️ドイツGPでは1994、1997年に優勝したこともあり非常に素晴らしかったですね。
セナ没後にGPDAを再結成した時、多くのドライバーは会長にベルガーを推したけど
「あと何年F1にいるか分からない俺よりも、これからのF1を支える若い奴がやった方が良い。」
って理由でシューマッハを会長に推挙して、同郷の先輩で元王者のラウダにFIAとの仲介役を頼んで自分はドライバーや外部専門家と意見を話し合って、それをシューマッハに伝える裏方仕事に徹したんですよね
スピードと快楽のシンドバッド
'95モナコ予選
ベルガーが駆る412t2
豪快な慣性ドリフトを披露してましたね!
あんなのをやって退けるベルガーさん。他のドライバーでは難しいでしょうね。
ゲルハルト大好きだったー。
昔某掲示板でこんな書き込みがありました。
・石橋を叩いて渡るプロスト
・石橋を叩かないで渡るマンセル
・石橋から落ちるベルガー
→言い得て妙
ベルガーは、人事を尽くさず奇跡を待つ
壊すチェザリスってヤツですね(*^^*)
確かそれって、90年代に発行された
村山文夫のF1グランプリ天国の4コマ
の作品のオチでしたね(笑)
@@鈴木土下座右衛門-p5v さん
あのチェザリスも、ここぞというときは入賞してましたね。
@@鈴木土下座右衛門-p5v
FW14と並ぶ1991年のベストマシン、ジョーダン191を繰って職人と化したチェザリスは、MP4/1をクラッシュしまくったけど、さすがマクラーレンでPPを取っただけある。
ベルギーGPでは、最初で最後の優勝チャンスがあった。
未だに1番好きなドライバーです
フジのTV放送と同時にF1を見始めたから最初のころはセナがロータスで低迷していたからプロストとベルガーがホンダの最大の敵で、その中でもマシン性能が1ランク劣るフェラーリで優勝したベルガーが最強なんじゃないかとおもってた。
90年にマクラーレンに移籍した時はセナの最大のライバルとなりセナプロ時代を超える大記録を作るのは間違いないとみんな思ってたよ。
体格が不利に働いたといわれてはいるがそれよりも89年のサンマリノの事故の影響が大きかったんじゃないかと思う。
あの後も豪快にコーナーに飛び込んでいくドライビングは変わらなかったが事故以前はそれこそセナ以上の神がかり的なテクニックを見せていたような気がする。
奇しくもその同じコーナーで親友のセナが事故死したのもまた因縁のように思える
セナから勝利を譲られた日本GPは、終了後ベルガーとセナとデニス三者で話し合いをしていて、セナは今までサポートしてくれたお礼の意味で勝ちを譲ったそうですが、ベルガーにもプライドがあって、そんな勝ちはいらない、と激論だったそうです。
当時鈴鹿の130Rを6速全開でクリアした、唯一のドライバーだとか聞いたことある・・・
そして、甥(妹さんの息子)が数年前スーパーフォーミュラで走ってた。
ベルガーは節目節目でインパクトのあるリザルトを残す、という印象が強いですね。
フェラーリを2度復活させた、第二期ホンダのラストランでの優勝、結果的に最後の勝利となった97年ドイツGPでは、引退が囁かれる中での優勝と、タイトルの通り、「記録よりも記憶」に残るドライバーでした。
ただ、一番印象に残っているのは、日本GPで鈴鹿に来た際、フジテレビアナウンサーの有賀さつきを口説いていた、という話ですね。
まあ、無類の女好きのベルガーらしい一面ですけど。😁
1991鈴鹿のフジ前夜祭番組で、古舘が有賀アナにそのこと聞いてたな。
ベルガーお目当てなひと晩は過ごさなかったが、食事はしたそうな。
エンジンのミスファイアリングによるトラクションコントロールシステムのテストの時、エンジンをミスファイアさせて適切なトラクションを得るんだこのシステムはと説明されたにもかかわらず、数周で戻って来て、おいっ!エンジンがミスファイアを起こしているぜって言ったというエピソードに腹抱えて笑った記憶が。
わしは今でもゲルハルトを愛してる
ベルガーは結構お気に入りのドライバーでした😃👍
しかし、彼が速い同僚と讃えたアレジは通算1勝、ベルガーは2ケタ勝っている。トップドライバーと言われても2ケタ優勝しているのはわずかだから、やっぱり凄いドライバーでした。
この人の自伝持ってました。セナのパスポートの写真をエロい写真に張り替えたりした事とか載ってて読んだら更に好きになったなぁ。
取り上げてくれてありがとうございます。
12:03日本の女性が好きだったベルガーなだけに、最後は「歴史解説MONONOFU物語」チャンネルと同じ、和風BGMになるのが面白かったです❗
自分としてはフェラーリはマンセルやプロストやシューマッハよりベルガーが一番似合ってるな。
ベルガーはいつもNO.2だった記憶があります。
時々No.1ドライバーを食う走りは凄かったです🏎🏎🏎🏎🏎
91年のベルギーだったっけ?
ピット作業をミスって大幅にタイムロスしたベルガーがピット出た途端にスピン
解説の今宮さんが「あせらないで、あせらないで」って言ってたのが
すごい印象に残ってる
引退後も様々な役職やってる所を見ると
レーサーとしてのキャリアだけでなく 人柄も評価されてるんだなと思う
それにしても 現在の老けた画像の前にイケメン時代の画像を載せるのはw
ベルガーはサーキット以外での奔放すぎる逸話が多い。中にはシャレや冗談では済ませられないレベルの話もあり好き嫌いは分かれる人物と思う。
😅
セナのジュラルミンケースをヘリコプターから落とした話はその筆頭ですな😅
@@しろコンニャク セナのパスポートに金玉の写真張り付けたとか(笑
空前のF1ブームの中、セナしか知らない大量のにわかファンが見守る日本グランプリの生中継で、全くお呼びでなかった優勝を決めたのが最高だった。
87年?この時のセナは、同じホンダエンジンユーザーのピケ・マンセルよりニワカF1ファンの知名度は低かったよ。
91年なら、セナとチームメイトなベルガーもある程度ニワカにも知名度あったろ。
あとセナ時代の日本GPは、生中継していない。
С детства болел за Герхарда, вначале по журналам и VHS, которые были у нас за Железным занавесом, потом 1992 начались трансляции по ТВ. Бергер это яркий, харизматичный пилот, мне нравится его взгляд на жизнь.
私にとっては、今でもフェラーリ640とゲルハルトとカーナンバー28のパッケージがF1ブランドの最高峰です。
流石です!私もそう思います!
そう思ってる人多いんじゃないかと思いますよ‼️
1年だけのチームメイトな、マンセルとナンバー27の640パッケージもカッコよかった。
奇跡の開幕戦ブラジル640初優勝、ハンガリーGPの予選12位から猛追してトップのセナをブチ抜き優勝。
89年、リタイア地獄に苦しんだベルガーも、シーズン後半ポルトガルGPにてほぼ圧勝。
640系は641/2が圧倒的に人気あるが、スリムでシンプルなボディラインの640が一番好きだわ。
特にインダクションポッドが左右分割タイプな前期型。
ベルガーのいたずらほんと好き
88年のドイツGPでの、ロータスホンダのポスターへの落書き
(ピケとピーター・ウォー氏の顔写真に落書き(なぜか中嶋さんの顔写真には何もせず)
シーズン後半に調子上げてくるタイプだった。だが当時は年間16戦と短かった為、真価を発揮しきれなかった。年間22戦と長い21世紀F1ならば、もっと勝利したと思う。あと同世代のグージェルミンもそうだけど軽量コンパクト路線を突き進む当時のF1マシンに対し彼の大柄な体格と体重は大きなハンデキャップだった。
1992カナダGPは、唯一の前半戦勝利だったな。
90年カナダGPも十分勝てるチャンスあったのに、フライングスタートでパーに。
その時勝ててたら、その後のマクラーレン・ホンダでの実績も良くなってたかも。
初めてテレビで見た、1987年の日本グランプリで優勝したのを見て、セナ・プロストよりもベルガーのファンになりました。
レースやパドックに浪漫が溢れてた頃の古き良きって時代ってやつの最後の一人でしょう
レースの神から愛されたとしか思えないような優勝が多いのも頷ける
悪戯好きであると同時にプレイボーイとしても有名で日本GPの度にどのタレントやフジ女子アナを口説こうとしたって話題になる人でもありました
自分的には、誰でもチームメイト友好なイメージ
ホンダの記録を止めたり、鈴鹿ウィナー、最後のv12使いや中高速サーキットは速い感じのイメージでチャンピオンには慣れなかったが記憶には残るドライバーでしたね
ベルガーは『無冠の帝王』という言葉が最も似合うドライバーかも知れない。
初期のベルガーは短期間でF1に来た事で、見た目にも
『アクセルワークが雑』
という印象を受けた。
故に成績も波が激しかった。
速い時は抜群に速いが、その雑なアクセルワークがハマらない時はマシントラブルを招きリタイア。
そんな雑なドライビングでありながら、成績を残す。
コレはある意味『天才』と呼べる。
どことなくジャン・アレジに似たような香りがした。
フェラーリでジャンと一緒になった時、
『どっちが生き残るんだろう❓』
と楽しみになった事を覚えている。
晩年はレースキャリアを積んで、自身の雑なドライビングスタイルをジワジワ変化させたベルガー。
移籍のタイミングさえ良ければ、もっと勝利を重ねられたろうと感じる🇯🇵
当時子供だった私は、文句ばかり言ってるセナより、チームメートのベルガーの方が好きでしたw 特に92年のアデレードはカッコよかったです!
洒落にならないイタズラっ子でも有名なベルガー
マクラーレン入りした時「セナは神経質だからイタズラするなよ」と釘を刺されたが
ベルガーは「振りだな(*´ω`*)」といろいろセナにイタズラしかけたそうで(^_^;)
けどそれが功を奏したかセナとの関係は良好だったとか(一緒にロン・デニスワニ園事件を仕掛けた事も)
その過激なイタズラを超越したことしても、許されるキャラクター。彼には魅力があるのでしょう。
「愛すべき悪ガキ」でしたね。セナにイタズラ仕掛けても憎めないキャラクターでした。
自分は1987年からファンです。顔、スタイル、ヘルメット、ドライビング…大好きです。
トラクションコントロールが採用されたマシンで「なんかこれ調子悪い!元に戻せ!」って言ってた。
勝手に出力調整されるのが気に入らなかったベルガー(笑)
でも
ベルガーは210戦で
10勝してるから
凄いのだけど
アイルトン・セナ、ナイジェル・マンセル
アラン・プロスト
錚々たるドライバーがいた❗
だけど1991年日本GP
予選で出した、
1分34秒700
これは2001年シューマッハに破られるまで
鈴鹿サーキットのコースレコード❗
またアイルトン・セナの友人だった
鈴鹿でセナにトップを、ゆずってもらったシーンが一番、印象が残ってます😀
プレイボーイと言われながら子供って娘1人だけなのかな、『息子がレースデビューしました』って聞いたことがないし、ピケは愛人の子供が沢山いるのと真逆。 川井さんがフジテレビ女子アナを紹介した時はかなり喜んでアタックをしていたとか。
もしピケとチームメイトになっていたら、ミーティングの半分は下ネタのピーピー放送禁止用語が飛びかって女性をどうやって落とす事しか考えてないかも。
89年中盤以降フェラーリから冷遇されたけど、翌年にマンセルが同じ冷遇された時に「ゲルハトの気持ちが分かった」と話したり、フェラーリ再復帰した初テストの感想は「気に入ったのは無線(パイオニア製)だけ」と遠回りしに批判して撤退したホンダの技術協力を要請した1人、93年はボロボロのレース話ばかりだったが、レース前日までテストをして汗を流して良かったパーツ(特にアクティブサスの部品)を自家用ジェットで運んだりアレジには無理な仕事を献身的に支えてくれた。
夜のマルチシリンダーとか言われていました。
セナに合わせたマシンが合わなかっただけで、それ以外では全盛期と言えるチームメイトに互角か勝ってるんだよね、強いチームに入れるか、もう少しマシン開発の力があったらチャンピンも取れてたでしょうね
ベルガーは高速コーナーが得意。昔の鈴鹿の130Rを全開で駆け抜けたのはベルガーだけ。鈴鹿では予選でセナに勝ったし速いドライバーだった
自分が見た中ではアーバイン(次点は中嶋)が最速だが日本慣れてるのも含めてだからベルガーでいいか
ベルガーも、アーバインも、マッサも、チェコもそうだけど、No.2って切ない😢
サンマリノの事故も見てて怖かった😅
当時テレビを観ていてベルガーのサンマリノ
事故の時解説の桜井氏が
あまりビックリもせず
火が出ましたねと言われた時は冷静な人だなぁと
思いました。
マーシャルの迅速な
行動でベルガーは助かりましたね。
@@秀和井上
確かにそうですよね😅今見てもやっぱり怖いですよね😅
赤いマシンが火破り……ウィリアムズのピケもあのいまいましいコーナー…とは本人達は思ってはないと思いますが…犠牲に💦
そしてしばらくたち、相方だったセナ自身も…
@@user-td2nr4ni3
ホントですね。あの時バーガーさんが亡くなって、本戦をやめて欲しかったのが、本音です😭そしたら、生ダラでまたアイルトンタカとカートレースして欲しかった😥
@@そうまとふうまのパパ ラッツェン…そういえば、最近、芸能人とプロをカートコースに呼んで一緒に走らせる企画が滅多にありませんね。
とんねるずはもとより芸能に島田氏がいた時代はモールスポーツブームが少しあったのに。
95年にゲルハルト・ベルガーの盗まれたフェラーリF-512Mが今頃見つかったそうです。
1回のチャンピオンよりも10回の伝説
確かに、優勝回数15回でチャンピオン1回のバトンよりも
ベルガーの方が記憶に残る優勝が多い。
ベルガーね鈴鹿でポールをとった時たまたま近くでベルガーを見た時スッゴイ 😵オーラは今も鮮明に残っています
マンセルを360度スピンさせたり、無理な追い抜きでマンセル怒らせてメキシコの最終高速コーナーでアウトからぶち抜かれたり、自分以外のレーサーにも見せ場作らせてたよねw
映像には無かったけど、アイルトン=セナと共謀して
ロン=デニスをワニ池に突き落とした話が好き。
ベルガーは
ホテルのセナの部屋へ
腐った魚とチーズを放置
鍵穴から
消火器を噴射(笑)
その対抗に
ベルガーの財布がホテルのフロントに
ボルト締めして放置
それには、ロン・デニスのサインがあり
「お届け物です」と書かれた(笑)
イタズラと女好きなオーストリア人
F1レーサー
でも、やる時はやる男でした。
最初のスズカのF1だけ実際に観に行ったので、その時に優勝した人ということで覚えています。この動画で紹介していたことはほとんど知りませんでした。
エンジンとタイヤに負担かかる走りだけど高速コースではチャンピオンドライバーと同等かそれ以上の速さを持つ男
93年の鈴鹿予選で一時ポールタイム叩き出してマシンから降りたときのベルガーの目がイッちゃってる野獣のような目をしてたのが印象的だったね。
しかもその時Tシャツ裏返しで着ててクルーに指摘されてたのが笑えるw
いわゆる「鈴鹿予選最速番長」的なF1ドライバーで特に1991年F1日本GPでの予選タイム1分34秒700のタイムは
その後、向こう10年間は2001年にミハエル・シューマッハのフェラーリに破られるまで、抜かれる事のなかった
最速ラップだった。エンジンもよく壊すドライバーだったが、鈴鹿では飛び切りの速さを見せていたドライバーだった。(*^^)v
マクラーレンホンダでセナと組んでた際、予選で鈴鹿の130Rをアクセル全開で突っ込んでたらしい。セナですらアクセルは緩めてたと、ホンダのエンジンモニター解析で表示されてたとか。一週のラップはセナが安定して速かったらしいが。
ひそかにベルガーがツーリングカー選手権で乗ってたBMW・635CSiはタミヤでプラモ化されてた。