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DFV全盛期にデビューして、ウイングカー時代、ターボ時代を経てハイテク時代まで走ったのに、予選落ちを一回もせず、クラッシュなどによる決勝不出走も1回しかないのがパトレーゼの真のすごさ。今より危険が沢山あった時代なのに、これは立派すぎる。
78年のイタリアグランプリの事故で濡衣を着せられて、次戦を出場停止させられたことはありましたが、あれはパトレーゼ本人には全く非はありませんからね。そもそもピーターソンに最初に接触したのは、パトレーゼを犯人呼ばわりしたハントだったはず。
初優勝の時も、実は1回スピンして危うくリタイアしそうだったんだよねマーシャルがマシンを避けるために押しがけしたらたまたま下りだったのでエンジン再始動できて走り出せたけど
どんな酷いマシンでも一度も予選落ちせず、サーキットの皆勤賞男リカルドパトレーゼは好きなドライバーの一人でした。特にマンセルとのチームメイト時代は輝いてましたね。
91年の活躍が一番脳裏に焼き付いてますね。いぶし銀の走りが大好きでした。
錆びない鉄人。
1993年の日本GPで本物のパトレーゼさんを拝見しました。決勝レースでダンロップコーナーでスピンしタイヤバリアにマシンをぶつけ、グリーンゾーンでリタイヤしました。でもこれがなかったら、マシンを降りたパトレーゼさんを見ることはなかったでしょう。やっぱり現地へ行ってよかったですし、私にとっての一生の思い出になりました。
イタリア人ドライバーは伊達男が多い印象だけど、パトレーゼはその中でもダントツに男前だったね。あのアロウズでポールポジションを取ったというのも地味にすごい。
鉄道模型大好きなパトレーゼ。人柄が素敵です。ハントの批判絶対に許せません。
勿論ハントは悪いですけど、それに賛同したラウダやフィッティパルディにも非があると思います。まぁ、一番悪いのは全車が静止してないのに誤ってスタートさせたマーシャルなんですけどね。それで後方のマシンが割り込んで事故になったんですよ。
しっかり優勝もしてるから、ちゃんと成功してるよね。
ウイリアムズで大活躍してましたね。ブラバム時代にも2回勝ってますし。
パトレーゼの記録は素晴らしいですからね。スキーが非常に得意なセカンドドライバーでしたね。
パトレーゼは鉄人であると同時に鉄男でもあるので、すんごい鉄道模型のコレクション持ってます。
パトレーゼはメルクリンの世界的なコレクターですね
’92年のキャノン主催のイベントでも・・・「日本の最速の新幹線は何か知ってますか?」⇒のぞみ!と即答した・・・らしいです。
是非とも「電車でD」に参戦して欲しい。
マンセルとセナやピケいずれかがリタイアの時は勝率は極めて高いベルガーと同様に影の立役者としての名ドライバーのイメージ👌なによりイケメンでおしとやかな性格そうなのが愛嬌よくイタリア人は伊達男ばかりじゃない〜を日本のファンにも打ちつけた強者と思う👍👍👍👍👍ブラバムやウィリアムズのイメージが強いお人ですね。
パトレーゼはやはり91年が印象的ですね。セカンドドライバーながら時にマンセルを凌ぐスピードを見せ、荒れたレースでも渋い走りできっちり入賞。更にメキシコやポルトガルで優勝するなど、まさに「史上最強のセカンドドライバー」「二百戦錬磨」といった活躍でした。あと、走りとは関係ないですが、年取ると太ったり〇ゲたりしがちなイタリア男性にあって、シャープでカッコいいまま年を重ねていて、そこも憧れます
年が違いますがポルトガルGPというと直線で他車との接触で宙に浮いたクラッシュが💦ウィリアムズのマシンでした。
@@user-td2nr4ni3 古舘「ああーっとパトレーゼがテールトゥノーズから飛び上がってしまったどうしたんだパトレーゼ」~中略~今宮「左にベルガーですよ!」城達也「あの安物のジャッキさえ折れなければ」
@@Mont-l3x 確かそれだったと思います😀ありがとうございます👍いや💦本人達は命に別状がなくよかったですが💦ドライバーは関係ないですが、似たようなクラッシュを違う年でミナルディの二台が同士討ちした映像もどこかで…💧
ウイリアムズルノー初年度の89年ブラジル予選2位はビックリしました。何気に表彰台が多い89年のパトレーゼが好きです。
1000馬力もあるようなマシンをパワステなしでしかも片手でシフトチェンジしながら260戦ですから、本当に鉄人ですよね。
さっそくありがとうございます。マンセル&パトレーゼのコンビが大好きでした。
90年サンマリノの優勝はタナボタではなく実力の優勝だったから泣きそうになりました~😭
二年目のFW13というやつでしたっけ?BかはCかはよくわからないですが💦
@@user-td2nr4ni3 あの当時はFW13Bです👍
@@fukujitakahashi2196 ありがとうございます👍前年の終盤戦で導入されたモデルの発展型のはずですもんね👌
結果より記憶に残るイタリアンいぶし銀の走りを魅せてくれた
パトレーゼ大好きです❕92年のウィリアムズ・ルノーはカーナンバー6で決まり。
なにかとパトレーゼの面倒をみていたのが同じユダヤ人のバーニー。ブラバムのシート獲得→ウイリアムズ移籍もバーニーの計らい。ナニーニはパトレーゼを兄のように慕っていた。1994年にシートを失った時に復帰に向けて相談していたのがセナ。分かる人には分かるパトレーゼの人柄。
実は新旧F1ドライバーの中でパトレーゼとバリチェロが好きです✨自分の与えられた仕事を黙々とこなしながらしっかり結果を出す仕事人的な生き方にはホントに魅了され、ただただ憧れます🏁
実は日本とも縁が深かったパトレーゼ。伝説の78F2鈴鹿GPなども思い出深いです。
シェブロンB48とか乗っていましたね。
ランチアのCカーにも乗ってなかったっけ?
山岸ゆたかさんという方の動画で現在のパトレーゼのインタビュー動画がアップされています。とても紳士的で当時のご自身やチームメイトドライバーの方を冷静に語っていました。本当に素敵な方ですね。
彼は日本人の事をソル・レバンテ(日出る国の人々)と呼んで尊敬してるようですね。
動画ご紹介頂きありがとうございます。とても興味深く見させて頂きました。
山岸ゆたか パトレーゼ と検索しても出てこないのですが、もしよろしければ、どなたかリンクを貼っていただけませんか?
@@MahiruMaki ruclips.net/video/V92H7TbFB6k/видео.html
本名リカルド・ロドリゲス・パトレーゼ。意外ですが、鈴鹿と愛称は抜群で走ったレース、1回除いて全て完走。さらにポイントゲット。ウィリアムズジャドエンジン時代、唯一、鈴鹿で1ポイントゲット。あるシーズンの鈴鹿、パトレーゼ、ベルガー、ブランドルのセカンドドライバーによる表彰台の時もあった。パトレーゼ優勝。モナコでモデナのブローしたエンジンオイルにのり、トンネル内でクラッシュするも、走りながら脱出した。3位から脱落。だがモデナもわざとじゃない、仕方なかったんだ、次頑張るからと。
5:40 「竹ロズベルグ」に爆笑オーバーレブしました。
今でも17年以上F1参戦した人はほんの少ししかいないバリチェロ、シューマッハ、アロンソ、ライコネンあたりかな?バリチェロが鉄人と呼ばれていたのは記憶に新しい
マッサがもしかしたら惜しいところかも💦
パトレーゼ、バリチェロ、アルボレート、主役じゃないけど主役を引き立てる脇役として記憶に残るドライバー。実力はあったけど、運だけが無かった名ドライバーたちだ。
アルボレートはほんとに不幸でした……彼の身内からしても…F1での事ではないですが😞
アルボレートといえば、ターボ全盛になり始めた83年の確かモナコでNAのティレルで優勝したんですよね。いくらマシンの差が出にくいモナコとはいえ、ターボ全盛期にNAで優勝した最後のドライバーですね。
アルボレート氏はフェラーリの総帥エンツォ氏が採用した最後のイタリアンドライバーでした。同じイタリアンであるパトレーゼ氏も次は俺の番だと発奮していたと察します。
堅実な走りとファーストドライバーをサポートする上手さ。特にマンセルとの阿吽の呼吸はまさに「いぶし銀」でした。大きな怪我もなく出走を続けたのはまさに「鉄人」でした。
「赤いペガサス」に出てたドライバーで最後まで現役だったのがパトレーゼ。ぺぺ・ラセールのイカサマコイントスで小遣いを巻き上げられるという役柄でした。
当時読んでいた漫画の劇中で *****するのは熱いイタリア人の血が流れているこの俺さ!って台詞は微かに覚えています。
タンベイくんにパトレーゼくん^^
ジル・ヴィルヌーブと共に大好きなドライバーです。イタリアGPのクラッシュの原因は、スターターが全車停止していない状態でグリーンライトを点灯した事が問題だと今でも思っています。
歳取ってもカッコいいな!
マクラーレン、フェラーリ、ベネトン、そしてウィリアムズ。強豪チームに実力派ドライバーが揃っていた80年代終わりから90年代前半にかけて、地味ながらも堅実な走りを見せていたパトレーゼは一番好きなドライバーでした。着実にポイントを重ね、上位陣が崩れた時には抜け目なく優勝をかっさらう、まさにいぶし銀の走りでしたね
17年生き残っただけでも凄いよね。
初勝利が1982年のモナコ トップに立ったドライバーが次々とトラブルに見舞われタナボタの形で優勝。チェッカー受けた時点でしばらくは自分が勝ったとは思わなかったとか当時はF1ブーム前の頃で、TBSでたまに放送されていた中継で観た覚えがあります。2勝目もピケに譲られての優勝正真正銘の勝利を得るまでかなり時間を要しましたね
頑張ってる人を神様は見捨てません
F3で走っていた頃から注目されていた。F1デビューが鮮烈だったのでいずれチャンピオンを取るだろうと期待されたが動画で紹介された通りチーム・マシンとの巡り合わせが悪かった。リタイアが多いにも関わらず長らくF1のシートを失うことがなかったのも彼の能力が関係者の間で高く評価されていた証明だと思います。笑顔が本当に素敵でした😁。
鈴鹿サーキットでのF1,優勝はリカルド パトレーゼでした。苦労が報われた一勝で有り彼の最後の優勝でした。
今ならパトレーゼは400戦参戦に値するね。
17年だから350くらいじゃない?
待ってました☺️🏁無事是名馬、史上最強のセカンドドライバー等いくつもの形容詞が浮かぶリカルド・パトレーゼ。1991年のメキシコGPでの同僚マンセルとの激しいバトルを制してのポールトゥウィンはお見事でした👍後1992年の日本GPの優勝も印象的でした✌️
趣味が鉄道模型って聞いて「らしくないな」って思うと同時に親近感も覚えたのが印象に残ってる。
F-1好きならば、この人の名を忘れてはならない。ミスターF-1と言っても過言ではないと思っている。
パトレーゼの鉄人だと納得させられるシーンはありましたね。エストリルサーキットでベルガーのマシンに接触して宙に舞った時には「ヤバい」と思ったら、普通にマシンから降りてたのには「何で普通降りれる?」と疑問符が飛んでましたよ。
あのあと・・・「アイツ(ベルガー)はオレが後ろにいるとわかっててインカットしやがった! ありゃ殺人行為だ!!ふざけんじゃねえ!!」とマジギレしていました。ベルガー「んじゃ、今度からピットインする時はお前ん家に電話するよ」と。
F1だけでなく、すべてのアスリートの中で一番好きな選手です。スキーだけでなく、サッカーも確かイタリア3部リーグの試合で出場していましたね。私のベストレースは92年のドイツGPですね。マンセルリタイア後、1位のセナを猛追。最終週でオーバーテイクを試みたもののスピン。そのままキープしていれば楽勝で2位ゲットできたものを、普段の紳士的な態度からは想像もつかないような熱いドライビングでチャレンジしていった様子が、まるで漫画の主人公のようでした。また、ベネトン契約後に、プロストの相棒が決まらないウィリアムズから再度オファーがあったのに、「私は一度交わした契約は破らない」といってベネトンとの契約を守ったこともカッコよかった。あの頃のF1ドライバーの中で、最も人格者だったのではないでしょうか。
パトレーゼ大好き。今でも実家の部屋には、90年か91年にメキシコGPで優勝したレースの大きいパズル飾ってある(笑)
F1界の衣笠と呼ばれていたとか・・・マンセルと組んでた頃は良きパートナーとして最高でしたね。縁の下の力持ちでスキャンダルはなかったように見える凄い人でした。
1982年モナコの初優勝はエピソードだけでも1つの動画が出来るほど荒れに荒れたレースでの初優勝でしたね。
しかもあのレースってジル・ヴィルヌーヴが亡くなったベルギーの次のレースだから、当時見てた人達の情緒がぶっ壊れそう
好きなドライバーでした!どちらがNo1かはコ-ス上で決めよう!と言ったのはかっこ良かったです G.ベルガ-の後輪と自車の前輪が接触して空を飛びクラッシュした時はゾッとしました
渋い走りが魅力だったよなぁ
スキーとサッカーはプロ級の腕前、そして直接関係ないのにジェームス・ハントに批判されまくられた不幸な人
1977 日本GPにも出てるから驚きでした。
個人的にいぶし銀といえばパトレーゼ、バリチェロ、フィジケラ、ペレスの4人
86年にエリオ・デ・アンジェリスが彼の代わりに行ったポール・リカールのテストで、ストレートでフロントウイングが破損して大事故になり翌日に亡くなりました。どんなに注意深いドライバーでも、どうにもならない事故は起こってしまいます。パトレーゼが長年のドライバー人生を全うできたのも、実力はもちろん幸運に恵まれた側面もあるかなと。
百戦練磨ならぬ二百戦練磨リカルド・パトレーゼ
パトレーゼはウィリアムズからフェラーリ移籍話しもあったけどベルガーを獲得してしまったんだよね。本当はベネトンよりも赤い跳ね馬フェラーリに行きたかったんだよね。
パトレーゼ今でも好きな人物です。速いでなく強い人。鉄人が似合ってますね。
11:16この年のマンセルは9勝の誤りですね。輝いた1991年がパトレーゼはキャリアハイでしたね。93年にベネトンに移籍した頃はほとんど存在感がありませんでした…。当時は見ていてシューマッハが際立っていて、パトレーゼがベネトンにいたことを全く知りませんでした。黄色いレーシングスーツも彼には似合っていなかったと思います。12:11セナの死後、ウィリアムズからオファーはあったものの、ショックが大きくて引退してしまいましたね。
黄色のベネトン…前年のブランドルのほうがちょっと印象的です。この人もブラバムとも縁のあるドライバーですね👍
パトーゼこそ、いぶし銀!こんなドライバーが、今は居ないですね。
大好きなドライバーの一人でしたレプリカヘルメットも持ってました昔、インタビューであなたなら、もっと強いチ-ムで走れるのに?なぜアルファロメオに?と、聞かれてイタリア人なら、イタリアのチ-ムで走りたいからさ👍と答えいたのが格好よくて印象に残ってます。
パトレーゼもイモラのタンブレロに突っ込む事故やってるけど生還しましたよねこういう事故はほんと運なんだろうなって思います
ピケもです。ピケ曰く運次第。浅い角度だから助かったと。仲の悪いセナについては、あいつは運がなかっただけさ、でもな、死ぬことなかっただろうによと。89年鈴鹿のシケイン事故については、あれは合法な復帰だ。バックしていたら走ってくる車とぶつかるだろうとドラミで語る。セナはうん、ありがとう。そうだよねと。
ウィングカー、ターボカー、NAエンジン、ハイテクマシンと時代の移ろいに合わせて変化してきた様々なマシンを乗り継いできたパト様。「最高のセカンドドライバー」と揶揄されたことはあっても、彼自身優れたマシンに巡り合ってさえいればワールドチャンピオンになれたドライバーであったと思います。
パトレーゼの鉄人ぶりが良く分かりました。半面、ナンバーワン・ドライバーではなく、セカンドドライバーの印象が強いですね。他のコメントにもあるように、257回も出走して予選落ちが一度も無いのは凄いことだと思います。マシンの信頼性不足があったので、余計にそう感じます。
70年代の頃は何処かあどけない印象のパトレーゼでしたが80年代後半、日本GPが始まった頃にはすっかり歴戦の猛者の顔つきになってました「男の顔は履歴書」。それを体現するかの様な名ドライバーですね
こじんてきにスキだったパイロットはスクーデリア・フェラーリのルカ・バドエルかなあおもて舞台に10数年ぶりに代役として決勝レースにすがたを見せてくれたあの勇気に涙がとまらなかった……もう…本レースの決勝のコースで 戦えるだけの環境から離れて年数が達すぎなのを重々承知でチームFerrariからのオファーを断らなかったそのキモチにほんとに涙がとまんなかたった。コース上にはキミ・ライコネンや若い頃のフェルナンド・アロンソまでいた。両方とも恐ろしいあくまのようなもの。ジャンカルロ・フィジケラやジェンソン・バトンみたいな勝ちに強い執念があろうとも、キケンなマネは絶対おこさないドライバーばかりじゃないのにツバサをもがれて失っても たましいだけであのFerrariのマシンをネジ伏せてゴールをめざして完走させたルカのことはずっとわすれない
2:52 たしか「前年のシャドウ」ではなく「その年デビューするはずのシャドウ」とそっくりのアロウズが現れて裁判沙汰に。トニーサウスゲートの癖強マシンだったもんだからすぐバレた。パトレーゼ、好きですね。偉大なるセカンドドライバー。
個人的にはWilliamsの「6」はピケよりパトレーゼのイメージが強い。二人ともしぶとくクレバーな実力者だった。一方、今シーズンまで居た彼は、よくあのチームで「6」を選んだのか・・・あの番号がいつもテールエンドに居座っていたのが悲しかったな。
パトレーゼはヘルメットコレクターとしても有名で、彼の自宅でのインタビューの時、インタビュアーが1時間以上待っても彼が部屋から出てこないので待ちくたびれて彼の部屋へ行ったらパトレーゼはインタビューを受ける事をすっかり忘れて、何十個もあるヘルメットを1つずつ丁寧に磨いていたそうです。
パトレーゼ、ベルガー、クルサード!真のセカンドドライバーはこの3人だね!
バリチェロ、マッサもですよ。
パトレーゼが1979年にドライブしたアローズA2と言うF1マシンが忘れられません。現在のグラウンドエフェクトカーと違ってフロントウイングもリヤウイングも全く省略して存在しない凄い究極のウイングカーでした(やり過ぎ?)でも車体モノコックがカーボンファイバーでは無くアルミニウム合金だったので今考えるとゾッとします(恐い)
リカルドパトレーゼは1977年11月の鈴鹿JAFGPのF2(当時はF2000)で優勝してるんですよねぇ雨のレースでしたがマシントラブルでリタイヤするまでトップをひた走っていたのは型落ちのマーチに乗っていたディディエピローニとても懐かしく思いますがもう45年も前の話しなんて嘘みたい(笑)
1975年頃からF1に関心を持った身としては、「若くてイキのいいアンちゃん」のイメージを晩年までもっていました。ブラバムでのモナコで初優勝を得たことに感激したことを覚えています(ドゥパイエも初優勝はモナコだったから)。個人的には、赤いペガサスのSHADOW DN8の頃が一番印象的でした。無事これ名馬!
90年代前半からF1を見始めたからパトレーゼがモナコウィナーだったと知ったときは驚いたデビュー時は大学生で大学生F1ドライバーとして話題になったんだよね
正にミスターF1と言っても過言では無い存在かつイケメンさんですね。速さは勿論ですが、何より凄いのは弱小チームであろうがNo1扱いじゃなかろうが、決して腐る事なく勤め結果を残した事でしょう。FW14Bのアクティブサスに馴染める事が早い段階であれば、恐らくマンセルとチャンピオン争いをしてた可能性は大いにあったと思います。何故なら安定性はマンセルより上だからです。偉大な鉄人であり、F1史上最高のセカンドドライバーです。
92年の紹介時に、パトレーゼ最後の優勝が鈴鹿だった事を触れて欲しかった!
パトレーゼはF1でも一流の走りを見せましたが、スキーの腕前は当時のF1界では間違いなくチャンピオンです。
80年代から90年代のF1ではなくてはならない存在でした
「F1の鉄人」の愛称は、広島カープの衣笠祥雄選手に由来しますね。F1で地上波放送が始まった1987年、衣笠が連続試合出場の世界記録を更新したことから後に実況を担当する古舘伊知郎氏に「二百戦錬磨の男」等と同時に名付けられ定着しました。参戦数としては257戦ですが、1979年アルゼンチンGPで出走出来なかった為、出走回数としては256戦が正しくなります。スキーの腕前は少年期に培ったものが大きく、オフシーズンでのF1ドライバー同士でのアルペンスキーの大会では常勝だったようです。ちなみに2位にはアンドレア・デ・チェザリスが入ることが多く、スキーではイタリア人ドライバーのワンツーフィニッシュが80年代から90年代初頭まで続いたそうです。
90年地元サンマリノの勝利は本当に良かったですね。
鉄ヲタ系F1ドライバーのパトレーゼおじ
パトレーゼブーツェんは渋かった。あとチェザリスもツボだった壊し屋チェザリス。
古舘伊知郎のおっさんが彼に付けた「F1界の村田兆治」「F1勤労感謝の日」は、当時なかなか秀逸なフレーズだった。(村田兆治氏のご冥福をお祈りします🙏)
「鉄人」「皆勤賞男」「200戦練磨のパトレーゼ」「錆びない鉄人」「200戦練磨の古タヌキ」「年輪を重ねるバームクーヘン走法」「200戦練磨のパトレーゼ、そうやすやすと尻尾は踏ませまい」「世界一の弟」「万年セカンドドライバー」「いぶし銀」「教育パパ」「フライングイタリアン」わりとあります。
@@スーツインナー それだけ記憶に残ったドライバーだったのですね。当時の曲者揃いだったF1界の中でも、パトさんを嫌う人ってあまり聞いたことがないような気がします
セナ、プロスト、マンセルの影に隠れてしまった感はあるものの、ピケ、パトレーゼ、ベルガーのなんとも言えぬ大人な感じがすきだったなぁ上手く表現出来ないけど、一戦毎の勝負じゃなく、ワンシーズンで戦ってる感じ。
2000年代に富士スピードウェイでの日本GPが復活するまでは、長らくF1で富士と鈴鹿の両方を走った唯一のドライバーだった。確か1992年はマンセルのマシンだけアクティブを調整して速く走らせていて、パトレーゼには知らされてなかったとか。
偉大‼️
パトレーゼ77年古参のアンドレッティやラウダ先輩まだ居るすごい!78年ピーターソン先輩…79年ハントさん引退か早いな80年フッイティバルディ、シェクター先輩引退か、81年ギンザーニ君来たな〜82年ロイテマン先輩引退か83年同期のジャコメリ引退か早いよ…84年セナ君早いな〜ブランドル、ベルガーもなかなか85年ワトソン、ラウダ先輩も引退か86年ラフィット、ジョーンズ先輩引退かいよいよ自分が最古参87年中嶋君そこそこ早いなぁ89年後輩のアルノーやチーバーが先に引退とは、アレジ君早いな90年ナニーニ君惜しいな…91年ピケも引退かシューマッハやハッキネン君早いな92年マンセル君引退か〜頑張ったな、ヒル君も早いなぁ93年パリチェロ、曲者アーバイン君も早いなぁ僕もカペリも引退かワーウィックやプロストも頑張ったな〜後はチェザリス、アルボーレートやマルティニに任せるか現役17年とか、はっ???
イケメン過ぎ。
どうしても鉄道模型のイメージがw
パトレーゼさんとベルガーさんが好きでした
ウイリアムズルノーは最強だったですね😃
94年にセナが事故死した時、パトレーゼが後釜になるという話も出たそうですが、実現しませんでしたね。
95年にはパトレーゼはいませんからね。タイヤを細くする規定が決まり、危ないからと引退。
F1は辞めても他のレースで活躍してましたね。
@@鉄道模型大好きおじさん 95年にはピケもいなければ、エリックコマスもいませんからね。コマスは自分がスパでクラッシュして失神、アクセル全開で停車。唯一、フリー走行中のセナがマシン止めて、キルスイッチ切って、ベルト外してくれた。マシン炎上するかもしれないし、みんなは走り去る。命懸けで助けてくれたんだ。94年サンマリノのセナの事故現場を僕は通りすぎたことに胸が痛い。レースは止めるべきなんだ。そのままに続行なんてね。狂っていると。日本に来てレースしています。
いぶし銀の印象が強いけど、多趣味で鉄道模型の世界的コレクターで、スキーやサッカーも上手く、私生活は華やかな方でしたね⚽️⛷️🚆今でも素敵なイケオジ、憧れの方です👱♂️🧔♂️👨🦰
赤いペガサスを思い出すのはおっさんだから・・・いやもうお爺さんやねw思い出すのは90年だったかな?エストリルでのクラッシュ。セベールのようになってもおかしくない事故で、もしピットまで飛んでいったら背筋が凍るような事態だったかと。最後のシーズンはね・・・仕方ないですよ。
三度目の正直で運命的なウィリアムズ移籍を果たした時エンジンがマクラーレンとトレードする形でポルシェエンジンだったら運命は更に変わっていたかもしれませんね。><リカルドは凄い苦労人だったんだと言う事が良く分かりました、UPありがとうございます。><
アロウズFA1のDFVは3.3リッターとか言われてましたね。スタート後のストレートで片輪ダートに落として土煙あげながらオーバーテイクしてゆく姿が衝撃でした。
DFL説
鉄人リカルド・パトレーゼ スキーの腕前はプロ並らしい。
鈴鹿皆勤賞!!
リタイヤ1回、他8戦以上と思いますが鈴鹿は完走しています。優勝あり。真逆はマンセル。完走4位1回のみ。他はリタイヤか予選中のクラッシュ負傷欠場。プロストは鈴鹿の優勝はありません。
ベストレースは1991年メキシコではないでしょうか
メルクリン、というブランドをパトレーゼを通して知りました。京都には「パトレーゼ」という名前のスナック?ラウンジ?がありますが、やっぱりこのパトレーゼなのかな?とずっと気になってます。
昔、私も気になって行きましたが生憎お休み.かなり前から看板も無いような?
@@淳一田中 さん やっぱりそうやったんですね。少し前に通りかかった時に思い出したんですけど見つからず「通り過ぎたかな?」と思ったんですが、無くなってたようにも感じました。写真に残しておけばよかったです。
出たー‼︎😂😂😂ありがとうございます😭この事件で結局違ったのにハントやパトレーゼを批判した人達は謝罪したのだろうか?
パトレーゼの名前がいまだに忘れないのは、漫画『機動警察パトレーバー』から”パトレ”の部分だけが覚えていたから
初優勝した時のレースがめちゃくちゃカオスな内容で、当時ネットがあったら祭りになりそうなレベルだったんだよねまあ、その前のレースが例の「アレ」だったからそれどころじゃなかったかもしれないけど
78年のモンツァで観客にキレて殴りかかったのが好き
92年のドイツGPは彼の為のレースだった。
ベネトンで足がつったのロベルト・モレノもそうじゃなかったかなあ?
あったかもしれませんね。モレノさんも。
デビュー時にはチャンピオンマテリアルと言われてましたね。イタリア人らしくない冷静さも玄人受けしてました。私がこいつスゴいんじゃね?と思ったのは77年のニュルのF2です。リンクマイスターのマスに2秒差をつけてポールを獲ってたです。チャンピオンこそ獲れなかったけどわるくないレース人生だったのではないでしょうか。あと78年イタリアGPの責任はハントにあるとずっと思ってます。
DFV全盛期にデビューして、ウイングカー時代、ターボ時代を経てハイテク時代まで走ったのに、予選落ちを一回もせず、クラッシュなどによる決勝不出走も1回しかないのがパトレーゼの真のすごさ。今より危険が沢山あった時代なのに、これは立派すぎる。
78年のイタリアグランプリの事故で濡衣を着せられて、次戦を出場停止させられたことはありましたが、あれはパトレーゼ本人には全く非はありませんからね。
そもそもピーターソンに最初に接触したのは、パトレーゼを犯人呼ばわりしたハントだったはず。
初優勝の時も、実は1回スピンして危うくリタイアしそうだったんだよね
マーシャルがマシンを避けるために押しがけしたらたまたま下りだったのでエンジン再始動できて走り出せたけど
どんな酷いマシンでも一度も予選落ちせず、サーキットの皆勤賞男リカルドパトレーゼは好きなドライバーの一人でした。
特にマンセルとのチームメイト時代は輝いてましたね。
91年の活躍が一番脳裏に焼き付いてますね。いぶし銀の走りが大好きでした。
錆びない鉄人。
1993年の日本GPで本物のパトレーゼさんを拝見しました。決勝レースでダンロップコーナーでスピンしタイヤバリアにマシンをぶつけ、グリーンゾーンでリタイヤしました。でもこれがなかったら、マシンを降りたパトレーゼさんを見ることはなかったでしょう。やっぱり現地へ行ってよかったですし、私にとっての一生の思い出になりました。
イタリア人ドライバーは伊達男が多い印象だけど、パトレーゼはその中でもダントツに男前だったね。あのアロウズでポールポジションを取ったというのも地味にすごい。
鉄道模型大好きなパトレーゼ。人柄が素敵です。ハントの批判絶対に許せません。
勿論ハントは悪いですけど、それに賛同したラウダやフィッティパルディにも非があると思います。
まぁ、一番悪いのは全車が静止してないのに誤ってスタートさせたマーシャルなんですけどね。
それで後方のマシンが割り込んで事故になったんですよ。
しっかり優勝もしてるから、ちゃんと成功してるよね。
ウイリアムズで大活躍してましたね。
ブラバム時代にも2回勝ってますし。
パトレーゼの記録は素晴らしいですからね。
スキーが非常に得意なセカンドドライバーでしたね。
パトレーゼは鉄人であると同時に鉄男でもあるので、すんごい鉄道模型のコレクション持ってます。
パトレーゼはメルクリンの世界的なコレクターですね
’92年のキャノン主催のイベントでも・・・「日本の最速の新幹線は何か知ってますか?」⇒のぞみ!と即答した・・・らしいです。
是非とも「電車でD」に参戦して欲しい。
マンセルとセナやピケいずれかがリタイアの時は勝率は極めて高いベルガーと同様に影の立役者としての
名ドライバーのイメージ👌
なによりイケメンでおしとやかな性格そうなのが愛嬌よくイタリア人は伊達男ばかりじゃない〜を日本のファンにも打ちつけた強者と思う👍👍👍👍👍
ブラバムやウィリアムズのイメージが強いお人ですね。
パトレーゼはやはり91年が印象的ですね。セカンドドライバーながら時にマンセルを凌ぐスピードを見せ、荒れたレースでも渋い走りできっちり入賞。
更にメキシコやポルトガルで優勝するなど、まさに「史上最強のセカンドドライバー」「二百戦錬磨」といった活躍でした。
あと、走りとは関係ないですが、年取ると太ったり〇ゲたりしがちなイタリア男性にあって、シャープでカッコいいまま年を重ねていて、そこも憧れます
年が違いますがポルトガルGPというと直線で他車との接触で宙に浮いたクラッシュが💦
ウィリアムズのマシンでした。
@@user-td2nr4ni3
古舘「ああーっとパトレーゼがテールトゥノーズから飛び上がってしまったどうしたんだパトレーゼ」
~中略~
今宮「左にベルガーですよ!」
城達也「あの安物のジャッキさえ折れなければ」
@@Mont-l3x 確かそれだったと思います😀ありがとうございます👍
いや💦本人達は命に別状がなくよかったですが💦
ドライバーは関係ないですが、似たようなクラッシュを違う年でミナルディの二台が同士討ちした映像もどこかで…💧
ウイリアムズルノー初年度の89年ブラジル予選2位はビックリしました。
何気に表彰台が多い89年のパトレーゼが好きです。
1000馬力もあるようなマシンをパワステなしでしかも片手でシフトチェンジしながら260戦ですから、本当に鉄人ですよね。
さっそくありがとうございます。
マンセル&パトレーゼのコンビが大好きでした。
90年サンマリノの優勝はタナボタではなく実力の優勝だったから泣きそうになりました~😭
二年目のFW13というやつでしたっけ?BかはCかはよくわからないですが💦
@@user-td2nr4ni3 あの当時はFW13Bです👍
@@fukujitakahashi2196 ありがとうございます👍
前年の終盤戦で導入されたモデルの発展型のはずですもんね👌
結果より記憶に残るイタリアン
いぶし銀の走りを魅せてくれた
パトレーゼ大好きです❕
92年のウィリアムズ・ルノーはカーナンバー6で決まり。
なにかとパトレーゼの面倒をみていたのが同じユダヤ人のバーニー。
ブラバムのシート獲得→ウイリアムズ移籍もバーニーの計らい。
ナニーニはパトレーゼを兄のように慕っていた。
1994年にシートを失った時に復帰に向けて相談していたのがセナ。
分かる人には分かるパトレーゼの人柄。
実は新旧F1ドライバーの中でパトレーゼとバリチェロが好きです✨自分の与えられた仕事を黙々とこなしながらしっかり結果を出す仕事人的な生き方にはホントに魅了され、ただただ憧れます🏁
実は日本とも縁が深かったパトレーゼ。伝説の78F2鈴鹿GPなども思い出深いです。
シェブロンB48とか乗っていましたね。
ランチアのCカーにも乗ってなかったっけ?
山岸ゆたかさんという方の動画で現在のパトレーゼのインタビュー動画がアップされています。とても紳士的で当時のご自身やチームメイトドライバーの方を冷静に語っていました。本当に素敵な方ですね。
彼は日本人の事をソル・レバンテ(日出る国の人々)と呼んで尊敬してるようですね。
動画ご紹介頂きありがとうございます。
とても興味深く見させて頂きました。
山岸ゆたか パトレーゼ と検索しても出てこないのですが、もしよろしければ、どなたかリンクを貼っていただけませんか?
@@MahiruMaki
ruclips.net/video/V92H7TbFB6k/видео.html
本名リカルド・ロドリゲス・パトレーゼ。意外ですが、鈴鹿と愛称は抜群で走ったレース、1回除いて全て完走。さらにポイントゲット。ウィリアムズジャドエンジン時代、唯一、鈴鹿で1ポイントゲット。あるシーズンの鈴鹿、パトレーゼ、ベルガー、ブランドルのセカンドドライバーによる表彰台の時もあった。パトレーゼ優勝。モナコでモデナのブローしたエンジンオイルにのり、トンネル内でクラッシュするも、走りながら脱出した。3位から脱落。だがモデナもわざとじゃない、仕方なかったんだ、次頑張るからと。
5:40 「竹ロズベルグ」に爆笑オーバーレブしました。
今でも17年以上F1参戦した人はほんの少ししかいない
バリチェロ、シューマッハ、アロンソ、ライコネンあたりかな?
バリチェロが鉄人と呼ばれていたのは記憶に新しい
マッサがもしかしたら惜しいところかも💦
パトレーゼ、バリチェロ、アルボレート、主役じゃないけど主役を引き立てる脇役として記憶に残るドライバー。
実力はあったけど、運だけが無かった名ドライバーたちだ。
アルボレートはほんとに不幸でした……彼の身内からしても…F1での事ではないですが😞
アルボレートといえば、ターボ全盛になり始めた83年の確かモナコでNAのティレルで優勝したんですよね。
いくらマシンの差が出にくいモナコとはいえ、ターボ全盛期にNAで優勝した最後のドライバーですね。
アルボレート氏はフェラーリの総帥エンツォ氏が採用した最後のイタリアンドライバーでした。
同じイタリアンであるパトレーゼ氏も次は俺の番だと発奮していたと察します。
堅実な走りとファーストドライバーをサポートする上手さ。特にマンセルとの阿吽の呼吸はまさに「いぶし銀」でした。
大きな怪我もなく出走を続けたのはまさに「鉄人」でした。
「赤いペガサス」に出てたドライバーで最後まで現役だったのがパトレーゼ。ぺぺ・ラセールのイカサマコイントスで小遣いを巻き上げられるという役柄でした。
当時読んでいた漫画の劇中で *****するのは熱いイタリア人の血が流れているこの俺さ!って台詞は微かに覚えています。
タンベイくんにパトレーゼくん^^
ジル・ヴィルヌーブと共に大好きなドライバーです。
イタリアGPのクラッシュの原因は、スターターが全車停止していない状態でグリーンライトを点灯した事が問題だと今でも思っています。
歳取ってもカッコいいな!
マクラーレン、フェラーリ、ベネトン、そしてウィリアムズ。強豪チームに実力派ドライバーが揃っていた80年代終わりから90年代前半にかけて、地味ながらも堅実な走りを見せていたパトレーゼは一番好きなドライバーでした。着実にポイントを重ね、上位陣が崩れた時には抜け目なく優勝をかっさらう、まさにいぶし銀の走りでしたね
17年生き残っただけでも凄いよね。
初勝利が1982年のモナコ トップに立ったドライバーが次々とトラブルに見舞われタナボタの形で優勝。
チェッカー受けた時点でしばらくは自分が勝ったとは思わなかったとか
当時はF1ブーム前の頃で、TBSでたまに放送されていた中継で観た覚えがあります。
2勝目もピケに譲られての優勝
正真正銘の勝利を得るまでかなり時間を要しましたね
頑張ってる人を神様は見捨てません
F3で走っていた頃から注目されていた。F1デビューが鮮烈だったのでいずれチャンピオンを取るだろうと期待されたが動画で紹介された通りチーム・マシンとの巡り合わせが悪かった。
リタイアが多いにも関わらず長らくF1のシートを失うことがなかったのも彼の能力が関係者の間で高く評価されていた証明だと思います。
笑顔が本当に素敵でした😁。
鈴鹿サーキットでのF1,優勝はリカルド パトレーゼでした。
苦労が報われた一勝で有り彼の最後の優勝でした。
今ならパトレーゼは400戦参戦に値するね。
17年だから350くらいじゃない?
待ってました☺️🏁
無事是名馬、史上最強のセカンドドライバー等いくつもの形容詞が浮かぶリカルド・パトレーゼ。
1991年のメキシコGPでの同僚マンセルとの激しいバトルを制してのポールトゥウィンは
お見事でした👍
後1992年の日本GPの優勝も印象的でした✌️
趣味が鉄道模型って聞いて「らしくないな」って思うと同時に親近感も覚えたのが印象に残ってる。
F-1好きならば、この人の名を忘れてはならない。
ミスターF-1と言っても過言ではないと思っている。
パトレーゼの鉄人だと納得させられるシーンはありましたね。
エストリルサーキットでベルガーのマシンに接触して宙に舞った時には「ヤバい」と思ったら、普通にマシンから降りてたのには「何で普通降りれる?」と疑問符が飛んでましたよ。
あのあと・・・
「アイツ(ベルガー)はオレが後ろにいるとわかっててインカットしやがった! ありゃ殺人行為だ!!ふざけんじゃねえ!!」とマジギレしていました。
ベルガー「んじゃ、今度からピットインする時はお前ん家に電話するよ」と。
F1だけでなく、すべてのアスリートの中で一番好きな選手です。
スキーだけでなく、サッカーも確かイタリア3部リーグの試合で出場していましたね。
私のベストレースは92年のドイツGPですね。マンセルリタイア後、
1位のセナを猛追。最終週でオーバーテイクを試みたもののスピン。
そのままキープしていれば楽勝で2位ゲットできたものを、
普段の紳士的な態度からは想像もつかないような熱いドライビングでチャレンジしていった様子が、
まるで漫画の主人公のようでした。また、ベネトン契約後に、プロストの相棒が決まらないウィリアムズから
再度オファーがあったのに、「私は一度交わした契約は破らない」といってベネトンとの契約を守ったことも
カッコよかった。あの頃のF1ドライバーの中で、最も人格者だったのではないでしょうか。
パトレーゼ大好き。
今でも実家の部屋には、90年か91年にメキシコGPで優勝したレースの大きいパズル飾ってある(笑)
F1界の衣笠と呼ばれていたとか・・・
マンセルと組んでた頃は良きパートナーとして最高でしたね。
縁の下の力持ちでスキャンダルはなかったように見える凄い人でした。
1982年モナコの初優勝はエピソードだけでも1つの動画が出来るほど荒れに荒れたレースでの初優勝でしたね。
しかもあのレースってジル・ヴィルヌーヴが亡くなったベルギーの次のレースだから、当時見てた人達の情緒がぶっ壊れそう
好きなドライバーでした!どちらがNo1かはコ-ス上で決めよう!と言ったのはかっこ良かったです G.ベルガ-の後輪と自車の前輪が接触して空を飛びクラッシュした時はゾッとしました
渋い走りが魅力だったよなぁ
スキーとサッカーはプロ級の腕前、そして直接関係ないのにジェームス・ハントに批判されまくられた不幸な人
1977 日本GPにも出てるから驚きでした。
個人的にいぶし銀といえばパトレーゼ、バリチェロ、フィジケラ、ペレスの4人
86年にエリオ・デ・アンジェリスが彼の代わりに行ったポール・リカールのテストで、ストレートでフロントウイングが破損して大事故になり翌日に亡くなりました。
どんなに注意深いドライバーでも、どうにもならない事故は起こってしまいます。
パトレーゼが長年のドライバー人生を全うできたのも、実力はもちろん幸運に恵まれた側面もあるかなと。
百戦練磨ならぬ二百戦練磨リカルド・パトレーゼ
パトレーゼはウィリアムズからフェラーリ移籍話しもあったけどベルガーを獲得してしまったんだよね。本当はベネトンよりも赤い跳ね馬フェラーリに行きたかったんだよね。
パトレーゼ
今でも好きな人物です。
速いでなく強い人。
鉄人が似合ってますね。
11:16この年のマンセルは9勝の誤りですね。
輝いた1991年がパトレーゼはキャリアハイでしたね。
93年にベネトンに移籍した頃はほとんど存在感がありませんでした…。当時は見ていてシューマッハが際立っていて、パトレーゼがベネトンにいたことを全く知りませんでした。黄色いレーシングスーツも彼には似合っていなかったと思います。
12:11セナの死後、ウィリアムズからオファーはあったものの、ショックが大きくて引退してしまいましたね。
黄色のベネトン…前年のブランドルのほうがちょっと印象的です。
この人もブラバムとも縁のあるドライバーですね👍
パトーゼこそ、いぶし銀!こんなドライバーが、今は居ないですね。
大好きなドライバーの一人でした
レプリカヘルメットも持ってました
昔、インタビューで
あなたなら、もっと強いチ-ムで走れるのに?なぜアルファロメオに?
と、聞かれて
イタリア人なら、イタリアのチ-ムで走りたいからさ👍
と答えいたのが格好よくて印象に残ってます。
パトレーゼもイモラのタンブレロに突っ込む事故やってるけど生還しましたよね
こういう事故はほんと運なんだろうなって思います
ピケもです。ピケ曰く運次第。浅い角度だから助かったと。仲の悪いセナについては、あいつは運がなかっただけさ、でもな、死ぬことなかっただろうによと。89年鈴鹿のシケイン事故については、あれは合法な復帰だ。バックしていたら走ってくる車とぶつかるだろうとドラミで語る。セナはうん、ありがとう。そうだよねと。
ウィングカー、ターボカー、NAエンジン、ハイテクマシンと時代の移ろいに合わせて変化してきた様々なマシンを乗り継いできたパト様。
「最高のセカンドドライバー」と揶揄されたことはあっても、彼自身優れたマシンに巡り合ってさえいればワールドチャンピオンになれたドライバーであったと思います。
パトレーゼの鉄人ぶりが良く分かりました。半面、ナンバーワン・ドライバーではなく、セカンドドライバーの印象が強いですね。他のコメントにもあるように、257回も出走して予選落ちが一度も無いのは凄いことだと思います。マシンの信頼性不足があったので、余計にそう感じます。
70年代の頃は何処かあどけない印象のパトレーゼでしたが
80年代後半、日本GPが始まった頃にはすっかり歴戦の猛者の顔つきになってました
「男の顔は履歴書」。それを体現するかの様な名ドライバーですね
こじんてきにスキだったパイロットはスクーデリア・フェラーリのルカ・バドエルかなあ
おもて舞台に
10数年ぶりに代役として決勝レースにすがたを見せてくれたあの勇気に涙がとまらなかった……
もう…
本レースの決勝のコースで 戦えるだけの環境から離れて年数が達すぎなのを重々承知で
チームFerrariからのオファーを断らなかったそのキモチにほんとに涙がとまんなかたった。
コース上には
キミ・ライコネン
や
若い頃のフェルナンド・アロンソまでいた。
両方とも恐ろしいあくまのようなもの。
ジャンカルロ・フィジケラやジェンソン・バトンみたいな勝ちに強い執念があろうとも、キケンなマネは絶対おこさないドライバーばかりじゃないのに
ツバサをもがれて失っても たましいだけであのFerrariのマシンをネジ伏せてゴールをめざして完走させたルカのことは
ずっとわすれない
2:52 たしか「前年のシャドウ」ではなく「その年デビューするはずのシャドウ」とそっくりのアロウズが現れて裁判沙汰に。トニーサウスゲートの癖強マシンだったもんだからすぐバレた。パトレーゼ、好きですね。偉大なるセカンドドライバー。
個人的にはWilliamsの「6」はピケよりパトレーゼのイメージが強い。
二人ともしぶとくクレバーな実力者だった。
一方、今シーズンまで居た彼は、よくあのチームで「6」を選んだのか・・・
あの番号がいつもテールエンドに居座っていたのが悲しかったな。
パトレーゼはヘルメットコレクターとしても有名で、彼の自宅でのインタビューの時、インタビュアーが1時間以上待っても彼が部屋から出てこないので待ちくたびれて彼の部屋へ行ったらパトレーゼはインタビューを受ける事をすっかり忘れて、何十個もあるヘルメットを1つずつ丁寧に磨いていたそうです。
パトレーゼ、ベルガー、クルサード!真のセカンドドライバーはこの3人だね!
バリチェロ、マッサもですよ。
パトレーゼが1979年にドライブしたアローズA2と言うF1マシンが忘れられません。
現在のグラウンドエフェクトカーと違ってフロントウイングもリヤウイングも全く省略して存在しない凄い究極のウイングカーでした(やり過ぎ?)
でも車体モノコックがカーボンファイバーでは無くアルミニウム合金だったので今考えるとゾッとします(恐い)
リカルドパトレーゼは1977年11月の鈴鹿JAFGPのF2(当時はF2000)で優勝してるんですよねぇ
雨のレースでしたがマシントラブルでリタイヤするまでトップをひた走っていたのは型落ちのマーチに乗っていたディディエピローニ
とても懐かしく思いますがもう45年も前の話しなんて嘘みたい(笑)
1975年頃からF1に関心を持った身としては、「若くてイキのいいアンちゃん」のイメージを晩年までもっていました。ブラバムでのモナコで初優勝を得たことに感激したことを覚えています(ドゥパイエも初優勝はモナコだったから)。個人的には、赤いペガサスのSHADOW DN8の頃が一番印象的でした。無事これ名馬!
90年代前半からF1を見始めたからパトレーゼがモナコウィナーだったと知ったときは驚いた
デビュー時は大学生で大学生F1ドライバーとして話題になったんだよね
正にミスターF1と言っても過言では無い存在かつイケメンさんですね。
速さは勿論ですが、何より凄いのは弱小チームであろうがNo1扱いじゃなかろうが、決して腐る事なく勤め結果を残した事でしょう。
FW14Bのアクティブサスに馴染める事が早い段階であれば、恐らくマンセルとチャンピオン争いをしてた可能性は大いにあったと思います。
何故なら安定性はマンセルより上だからです。
偉大な鉄人であり、F1史上最高のセカンドドライバーです。
92年の紹介時に、パトレーゼ最後の優勝が鈴鹿だった事を触れて欲しかった!
パトレーゼはF1でも一流の走りを見せましたが、スキーの腕前は当時のF1界では間違いなくチャンピオンです。
80年代から90年代のF1ではなくてはならない存在でした
「F1の鉄人」の愛称は、広島カープの衣笠祥雄選手に由来しますね。
F1で地上波放送が始まった1987年、衣笠が連続試合出場の世界記録を更新したことから後に実況を担当する古舘伊知郎氏に「二百戦錬磨の男」等と同時に名付けられ定着しました。
参戦数としては257戦ですが、1979年アルゼンチンGPで出走出来なかった為、出走回数としては256戦が正しくなります。
スキーの腕前は少年期に培ったものが大きく、オフシーズンでのF1ドライバー同士でのアルペンスキーの大会では常勝だったようです。
ちなみに2位にはアンドレア・デ・チェザリスが入ることが多く、スキーではイタリア人ドライバーのワンツーフィニッシュが80年代から90年代初頭まで続いたそうです。
90年地元サンマリノの勝利は本当に良かったですね。
鉄ヲタ系F1ドライバーのパトレーゼおじ
パトレーゼブーツェんは渋かった。あとチェザリスもツボだった壊し屋チェザリス。
古舘伊知郎のおっさんが彼に付けた
「F1界の村田兆治」「F1勤労感謝の日」は、当時なかなか秀逸なフレーズだった。
(村田兆治氏のご冥福をお祈りします🙏)
「鉄人」「皆勤賞男」「200戦練磨のパトレーゼ」「錆びない鉄人」「200戦練磨の古タヌキ」「年輪を重ねるバームクーヘン走法」「200戦練磨のパトレーゼ、そうやすやすと尻尾は踏ませまい」「世界一の弟」「万年セカンドドライバー」「いぶし銀」「教育パパ」「フライングイタリアン」わりとあります。
@@スーツインナー それだけ記憶に残ったドライバーだったのですね。当時の曲者揃いだったF1界の中でも、パトさんを嫌う人ってあまり聞いたことがないような気がします
セナ、プロスト、マンセルの影に隠れてしまった感はあるものの、ピケ、パトレーゼ、ベルガーのなんとも言えぬ大人な感じがすきだったなぁ
上手く表現出来ないけど、一戦毎の勝負じゃなく、ワンシーズンで戦ってる感じ。
2000年代に富士スピードウェイでの日本GPが復活するまでは、長らくF1で富士と鈴鹿の両方を走った唯一のドライバーだった。確か1992年はマンセルのマシンだけアクティブを調整して速く走らせていて、パトレーゼには知らされてなかったとか。
偉大‼️
パトレーゼ
77年古参のアンドレッティやラウダ先輩まだ居るすごい!
78年ピーターソン先輩…
79年ハントさん引退か早いな
80年フッイティバルディ、シェクター先輩引退か、
81年ギンザーニ君来たな〜
82年ロイテマン先輩引退か
83年同期のジャコメリ引退か早いよ…
84年セナ君早いな〜ブランドル、ベルガーもなかなか
85年ワトソン、ラウダ先輩も引退か
86年ラフィット、ジョーンズ先輩引退かいよいよ自分が最古参
87年中嶋君そこそこ早いなぁ
89年後輩のアルノーやチーバーが先に引退とは、アレジ君早いな
90年ナニーニ君惜しいな…
91年ピケも引退かシューマッハやハッキネン君早いな
92年マンセル君引退か〜頑張ったな、ヒル君も早いなぁ
93年パリチェロ、曲者アーバイン君も早いなぁ僕もカペリも引退かワーウィックやプロストも頑張ったな〜後はチェザリス、アルボーレートやマルティニに任せるか
現役17年とか、はっ???
イケメン過ぎ。
どうしても鉄道模型のイメージがw
パトレーゼさんとベルガーさんが好きでした
ウイリアムズルノーは最強だったですね😃
94年にセナが事故死した時、パトレーゼが後釜になるという話も出たそうですが、実現しませんでしたね。
95年にはパトレーゼはいませんからね。タイヤを細くする規定が決まり、危ないからと引退。
F1は辞めても他のレースで活躍してましたね。
@@鉄道模型大好きおじさん 95年にはピケもいなければ、エリックコマスもいませんからね。コマスは自分がスパでクラッシュして失神、アクセル全開で停車。唯一、フリー走行中のセナがマシン止めて、キルスイッチ切って、ベルト外してくれた。マシン炎上するかもしれないし、みんなは走り去る。命懸けで助けてくれたんだ。94年サンマリノのセナの事故現場を僕は通りすぎたことに胸が痛い。レースは止めるべきなんだ。そのままに続行なんてね。狂っていると。日本に来てレースしています。
いぶし銀の印象が強いけど、多趣味で鉄道模型の世界的コレクターで、スキーやサッカーも上手く、私生活は華やかな方でしたね⚽️⛷️🚆
今でも素敵なイケオジ、憧れの方です👱♂️🧔♂️👨🦰
赤いペガサスを思い出すのはおっさんだから・・・いやもうお爺さんやねw
思い出すのは90年だったかな?エストリルでのクラッシュ。セベールのようになってもおかしくない事故で、もしピットまで飛んでいったら背筋が凍るような事態だったかと。
最後のシーズンはね・・・仕方ないですよ。
三度目の正直で運命的なウィリアムズ移籍を果たした時エンジンがマクラーレンとトレードする形でポルシェエンジンだったら運命は更に変わっていたかもしれませんね。><
リカルドは凄い苦労人だったんだと言う事が良く分かりました、UPありがとうございます。><
アロウズFA1のDFVは3.3リッターとか言われてましたね。スタート後のストレートで片輪ダートに落として土煙あげながらオーバーテイクしてゆく姿が衝撃でした。
DFL説
鉄人リカルド・パトレーゼ
スキーの腕前はプロ並らしい。
鈴鹿皆勤賞!!
リタイヤ1回、他8戦以上と思いますが鈴鹿は完走しています。優勝あり。真逆はマンセル。完走4位1回のみ。他はリタイヤか予選中のクラッシュ負傷欠場。プロストは鈴鹿の優勝はありません。
ベストレースは1991年メキシコではないでしょうか
メルクリン、というブランドをパトレーゼを通して知りました。京都には「パトレーゼ」という名前のスナック?ラウンジ?がありますが、やっぱりこのパトレーゼなのかな?とずっと気になってます。
昔、私も気になって行きましたが生憎お休み.かなり前から看板も無いような?
@@淳一田中 さん やっぱりそうやったんですね。少し前に通りかかった時に思い出したんですけど見つからず「通り過ぎたかな?」と思ったんですが、無くなってたようにも感じました。写真に残しておけばよかったです。
出たー‼︎😂😂😂ありがとうございます😭この事件で結局違ったのにハントやパトレーゼを批判した人達は謝罪したのだろうか?
パトレーゼの名前がいまだに忘れないのは、漫画『機動警察パトレーバー』から”パトレ”の部分だけが覚えていたから
初優勝した時のレースがめちゃくちゃカオスな内容で、当時ネットがあったら祭りになりそうなレベルだったんだよね
まあ、その前のレースが例の「アレ」だったからそれどころじゃなかったかもしれないけど
78年のモンツァで観客にキレて殴りかかったのが好き
92年のドイツGPは彼の為のレースだった。
ベネトンで足がつったのロベルト・モレノもそうじゃなかったかなあ?
あったかもしれませんね。モレノさんも。
デビュー時にはチャンピオンマテリアルと言われてましたね。イタリア人らしくない冷静さも玄人受けしてました。
私がこいつスゴいんじゃね?と思ったのは77年のニュルのF2です。リンクマイスターのマスに2秒差をつけてポールを獲ってたです。
チャンピオンこそ獲れなかったけどわるくないレース人生だったのではないでしょうか。あと78年イタリアGPの責任はハントにあるとずっと思ってます。