最強エンジン搭載も低迷 チーム崩壊で3年使い古された悲運のマシン【F1解説】【ティレル020】【ホンダ・ヤマハ】

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  • Опубликовано: 9 фев 2023
  • ◆動画について
    今回は1991年から2年半にわたって使用され、ホンダ、ヤマハエンジンの搭載、中嶋悟、片山右京といった日本人ドライバーもドライブしたことでおなじみ、ティレル020のエピソード、歴史を解説します。
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Комментарии • 222

  • @user-ce8lb6uc6m

    中嶋さん引退ホンダが去った後も片山右京×ヤマハのタッグまでスポンサーを勤めたカルビーはえらいな❗

  • @oku3201
    @oku3201 Год назад +74

    92年は1年落ちにも関わらずエンジンとタイヤが変わったことによってあれだけ活躍出来たのだから、素性は悪くないマシンだったんでしょうね。

  • @puu-san
    @puu-san Год назад +32

    パワーだけじゃ駄目なんだと、本当に思い知らされた一年だった。

  • @ryunosuke9924
    @ryunosuke9924 Год назад +61

    90年の日本GP、亜久里選手の表彰台を見て中嶋悟さんが「来年はオレが有利になる!」と話してましたが、そうはなりませんでしたネ…。当時、ティレルホンダにはワタシも期待していましたし、87年のイギリスGPのホンダ1234の再来を夢見てましたネ…。

  • @Railton-bb
    @Railton-bb Год назад +66

    個人的には今のF1と昔のF1が全く別物だということを嫌でもわからせてくれたマシンだと思ってる。この頃はかなりのチームがハイパワーエンジンを積んで死ぬか、コスワースのまま資金難で死ぬかの二択を迫られた。軽量安価なDFVキットカーで中堅・弱小チームが夢を見た時代は終わって、メーカー系ワークスの総力戦に変わっていくんだなって。

  • @prescott3842
    @prescott3842 Год назад +39

    この年のモナコ予選モデナには痺れたが94年の右京もかっこよかったぜ!

  • @takuya0127
    @takuya0127 Год назад +20

    今宮純さんも当時シーズンの途中でこの020を酷評していました。

  • @usamaru.
    @usamaru. Год назад +31

    お疲れ様です

  • @user-gx5gv1yj9m
    @user-gx5gv1yj9m Год назад +20

    当時はピレリタイヤがやり玉に挙げられていたような記憶があります

  • @wanikenospe
    @wanikenospe Год назад +111

    前年90年の日本GPで亜久里が先に表彰台に上がったとき、中嶋が『でも来年はたぶん俺のほうが可能性上がるから』と悔しさの中に希望を見出だしていたのに、91年は本当に残念でした。

  • @kinokoantonio2516
    @kinokoantonio2516 Год назад +13

    90年の日本Pで、亜久里選手が3位表彰台に立った時、中島選手が「来年は俺の方が良いエンジン来るから」と言ってたことを覚えてます。しかし、エンジンだけ良くてもトータルパッケージが良くなければダメなことを証明してしまいましたね。特にピレリタイヤがひどくて、中島選手が1レースで、何回もタイヤ交換をしていたように記憶しています。

  • @tamaesan34
    @tamaesan34 Год назад +40

    開幕戦フェニックス決勝でいきなりモデナ4位、中嶋5位、亜久里6位完走と出だし良かったから

  • @mannaokyi9191
    @mannaokyi9191 Год назад +14

    キビキビとした走りがウリの019の発展型である020、ハイパワーなHONDAエンジン。この組み合わせに1991年シーズン前はワクワクしたものでした。中嶋悟の初表彰台も見れる期待感もハンパなかった。

  • @tetsujiitoh4720
    @tetsujiitoh4720 Год назад +60

    前年からの飛躍が期待されたにも関わらず、期待外れに終わった91年のティレル。見ていて思ったのはエンジンが良くても、シャシーが良くても、タイヤが良くても、どれかが悪ければ結果が出ない事を痛感してました。

  • @user-dh2mr6oc9f
    @user-dh2mr6oc9f Год назад +5

    ヲサーン世代の当方にとっては懐かしい話ですね・・・。

  • @user-jz4eu6xv9x
    @user-jz4eu6xv9x Год назад +28

    ブラウンカラーのティレルは当時のF1マシンの中でもかなりカッコいい部類だったと思う。

  • @telkor-tzm50r
    @telkor-tzm50r Год назад +6

    一説にはマクラーレン(ワークス扱い)仕様のRA100Eは必要最低限の耐久性(当時は1レースで何回もエンジンを交換していたし、常に新品を使用できた。またワークス仕様だから高価な材料も使えたって話も)で良いから軽く出来た(一説にはルノー並の140キロ台って話も…)が、ティレルのは『無限メンテのカスタマー仕様』だからリビルド前提の設計になったが故に重くなったって話もありましたね。

  • @user-oq3hf5pq6p
    @user-oq3hf5pq6p Год назад +13

    ティレル020ホンダはタラレバでしたね。

  • @user-er4uw7pg1o
    @user-er4uw7pg1o Год назад +11

    92年シーズンのイルモアV10搭載時のデ・チェザリスの快走を応援していました。鈴鹿の走りは、ベテランとなり味のある走りを見せてくれるようになった彼の真骨頂だったと思います。

  • @nwok.7793
    @nwok.7793 Год назад +49

    020の基本設計は018から変わりがないマシンのため、ハーベイ博士がHBエンジン搭載を求める助言をしてもホンダ、ジャパンマネー、久しぶりのメインスポンサーでケンおじさんは聞く耳持たずで予想通りの展開に…