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そういえば、中嶋悟がロータスに在籍してた時に、アデレードGPでファステストラップを記録した時のエンジンがジャッドエンジンだった。
ヤマハと提携してた94年に、当時ニューマチックバルブの開発を進めるもバルブからの空気漏れに悩まされてたヤマハに『空気が漏れる?そんなの漏れた分の空気を補充すれば済む話じゃね?』とジャッドおじさんのアドバイスの下、エンジン後ろに小型のコンプレッサー装着してバルブ迄空気を送り込むパイプ付けたら一気に問題が解決した…と言う如何にも現場主義的なエピソードが好きだったりします。
ヤマハのエンジニアがなぜジャッドのエンジニアにニューマチックバルブシステムを相談したのかというとジャッドにはマツダとの共同開発経験があったから。適合して動作するコンプレッサーシステム一式がその時点でジャッドにあったのはマツダ用に開発していた現物が残っていたため。24時間レースでニューマチックバルブ必要な回転域常用するつもりだったんだよマツダは。現場主義というより直接知ってるニューマチックバルブシステムが耐久レース用だったからというのが理由じゃないかな。
最初の頃は、テールエンダーが搭載、古臭いデザインのヘッドのせいもあって、「DFRすら載せられないチームの使うショボいエンジン」と思い込んでましたが、大人になり、当時のことを深く知るにつれ、その決めつけが間違いやったと思い知りました。今回の動画で、ジャッドにも情熱あふれるストーリーがあることをまたひとつ知ることができました。
私も正直、前年までホンダターボを搭載していたウィリアムズやロータスの成績などを比較して、ジャッドと言うエンジンチューナーを軽んじていました。改めてこの動画を通して、ホンダやヤマハなど、日本系メーカーに多大な貢献を果たしていたと言う事実を知り、これまでの偏見を謝罪撤回したいと思います。
ジャッドはリジェ、ウイリアムズ、レイトン、スクイタとそこそこ予算のあるチームに供給していたし良い仕事をしていたが、チームからは強力なエンジンを手に入れるまでのツナギにしか思われていなかったのが悲劇だった。
ジャッドのエンジンにジャック・ブラバムやホンダが絡んでたなんて全然知りませんでした。お勉強になりました。ありがとうございます。
ブラバム…モータースポーツデベロップメントジャッド…エンジンデベロップメント(動画でも出ていますが)社名はブラバムの系譜を継いでいます。
F1チーム、特に中小のチームにとっては困った時のジャッドエンジンって感じだったよね。
90年のフランスGPでプロストに抜かされなかったらジャッドエンジン搭載のレイトンハウスで初優勝もあった。
コースはポール・リカールですね。 当時、フジテレビのF1中継を観ていましたが、本当に惜しかったです。高速レイアウトかつ景色が好きなコースだったのに、翌年以降はマニクールに変わったのが残念。
あの仏GPは本当に惜しかったです。
ジャッドを特集してくれるとは、何ともカルトで面白い!! 有り難いです。
87年フジTVのモンツァ冒頭のマクラーレンホンダ、ウイリアムズの体制発表の時に、森脇さんが「実質ホンダのエンジンなのですが〜」的な事言ってましたね。
89年の鈴鹿でジョンジャッドさんと握手出来たのはええ思い出😊
当初のCVはNA組の中ではそこそこパワーがあったのと、881やFW12の成績を見るに車体重視の設計思想には最適なエンジンだったっぽいよね。後のイルモアに近い立ち位置。
そんなイルモアもジャッドがヤマハに接触する時期にザウバーの関係もあり彼らはメルセデスとのというしかもヤマハもイルモア同様にV10チョイス。イルモアとジャッドの因縁なかなか燃える展開ですね👍
時折見せる速さがたまらなかったエンジン。普段壊れたり遅かったりなのに、怒涛のスパート力がたまに発揮されるのがたまらなかったなあ。
1988F-1鈴鹿サーキット最終コーナーでアウトからカペリがプロストを瞬間オーバーテイクするシ-ンは、あれは凄く印象的でした。
ジャッドエンジンは80年代後半から90年代ではF1カスタマーエンジンに使用してましたね。ワークスではYAMAHAブランドですね。ル・マンではMAZDAブランドですね。F3000時代の無限HONDAブランドも含めて日本と関係してましたね。良い時代ですね!
ジャッド、イルモアなどなど有名エンジンビルダーのF1参戦はその後の他カテゴリーでの成功の大きな足掛かりになった事は間違いない
80年代末期から90年代初頭の日本のF-1ブームの頃辺りからF-1を見るようになった自分からしたら小規模チームに供給していたエンジンビルダーと言えばコスワース(フォードF-1当時)イルモア(後のメルセデスf-1.インディーカーエンジン)そして今回のジャッドでしたね、現代のF-1は自動車メーカー主体又は資金力のあるプライベーターしか優遇されずテールエンダーのチームでも応援するF-1ファンの気持ちをほったらかしにしてしまった😢
童夢のジオット・キャスピタにもジャッドGV搭載仕様がある等意外と日本にも縁のあるビルダーだったんですね
ジャッドCVは元々ホンダのRA386EエンジンウィリアムズFW12の ジャッドのヘッドカバーはリジェやブラバムと車体側の取り付け方法は違ってました。
92年のSWC、ルマンのマツダはジャッドベースのエンジンという事もあって、日本とは馴染み深いですね😊
ええ!??凄い!!Σ(*゚Д゚*)❤
ジャッドはF1のホンダ・ヤマハもだけど、やっぱりルマンも忘れられないですね〜
F1よりプロトタイプカー向けエンジンを開発していた期間の方が長かったり😅👍
優勝したマツダ787Bの翌年(だったかな?)以降にジャッドエンジン積んでましたね
@@紅しょうが-i3x 3.5LのV10ですね👍この時はローラにもジャッドエンジンが積まれましたね。
@@紅しょうが-i3x マツダとも提携をしてましたね。マツダ MV10名義で(TWRジャガー XJR-14譲りのシャーシ)MXR-01に搭載されてました。
@@user-td2nr4ni3 ですね〜童夢ジャッド S101(ジャッド GV4)が私は好きでしたw
3:53分のインディーの ジャッドエンジン、ブラバムホンダどうゆうエンジン音だっただろうか〜聴いてみたい。V8ならBVやCVとEVだったらEVの方がちょっと甲高い音が好きです👍ヤマハやGVのV10エンジンが音は一番好きですが😅ジャッドV10というとこの派生タイプのスポーツカー耐久いわばル・マンカーのプロトタイプカーの存在もありますよね👍最初は92"年にWSC向けローラにもう一つはマツダに。それぞれ3.5L仕様。その後は世代はLMPクラスになってからも無限のV10エンジンを回収し耐久向けにさらに 排気量拡大型の改良したシリーズが続々とル・マンやル・マンシリーズを台頭していきましたね。無限のMF308シリーズベースエンジンは国際F3000などではザイテックに代わるまでの長い期間にF3000に使われた印象もあります。ザイテックもジャッドや無限と関係ありましたね👍
ジャッド、イルモア、ハート、コスワースは低コストながら汎用性の高いプライベーターには嬉しいエンジンでしたね!
ジャッドブランドとしては大成出来なかったけど、ホンダ、ヤマハと日本メーカーと親和性が高かった事に好感。まぁ、特に89,90年の搭載チームは殆どがいわく付きのところばかりで可哀想なところもありますね。
ジャッドはもっと評価されて然るべきとは思うが、89年のロータスで、CVが頻繁にバルサンしていたイメージが強すぎて…
あれも後のマクラーレンと同じホンダ症候群だったんですかね?とりわけこの2チームはエンジンパワー頼りでシャーシ開発がおざなりだった印象があるので、その癖でCVに無茶させていたのかな。
ジャッドの名は今でも欧州ヒルクライム選手権でタマに聞くなぁ…純レーシングマシンじゃなく箱車に載っててえげつない速さで走ってたりする
当時は新興の弱小ビルダーとしか思ってませんでした。この動画で歴史と技術が有ったのを知りました。
ジャッドのCVエンジンが先か、それとも無限のMF308が先かと言われていたことを思い出す。GVエンジンも「バランスシャフトの無いホンダRA109E?」とか言われてもいたし。
噂ではホンダ(RA109と同系列ねRA101E)を搭載したティレル020にヤマハ OX10A(ジャッドGV)を搭載しようと試みたら、モノコックを改造せずに搭載出来たとか…
ジャッドエンジンが一番輝いていたのはマーチ(レイトンハウス)時代ではないでしょうか?ニューウェイの空力とカペリの手腕がエンジンのパフォーマンスを引き出して表彰台も獲得し安定してほぼ毎回のように入賞してましたからね。しかし、表彰台に立ったという面ではV10エンジンをスクーデリア・イタリアに供給した時代も一瞬ながら輝いてました。ただ、そのエンジンをヤマハが改良したものがティレルに最後の輝きの舞台を与えたことを考えるとジャッドエンジンって良いエンジンだなと思いました。小規模組織の上に供給したチームがあまり良くなかったことを考えるともっとまともな体制だったらなと考えたくなりますね…しかしハートにも言えるように自動車メーカーではないエンジン屋さんには限界がありました。
同感です。ジャッド然りハート然り、エンジンビルダーという技術者集団はこういう力を持っていたんですね。ライフの荒唐無稽なW18エンジンの末路を考えると、まともなエンジンを供給し続けたジャッドやハートは凄かったんだなと思います。カペリが、ほんの一瞬ですが鈴鹿のホームストレートでセナの前に出たのは、奇跡だけではなかったのですね。
それだけに、意気込んでカペリか移籍したフェラーリではエンジンやマシンの問題で、チームではなくカペリの腕が槍玉に上がって1シーズンでの離脱という、詰め腹を切らされる形になったのは無念としか言えません。
ただ…もっと凄かったたのがコスワースやイルモアというだけですね。彼らもフォードやメルセデスがあってこその活動と活躍でしたが💧フランスもメカクロームやマトラなんてのもいますね。
@@そのみどりこ 1990年参戦のライフはW18ではなくW12では?
そうですね。12です。4+8ですから。理想通りに動けばどうなったんでしょう?
ジャッド乗ってたときの中嶋さんはホンダマークつけてた気がする
スポンサーとして
ティレルコスワースのときもつけてましたよ。
個人スポンサーでしたよね。
あ、あれ個人スポンサーなんですね!ありがとうございます
中嶋さんのユニフォームは、すべてホンダのロゴが入っています(ホンダのサポートがあったため)あとは、エプソンとPIAA。
『コベントリー』は地名であって会社名ではないので、「コベントリーからレプコにエンジンを変更」や「コベントリーからブラバムへ移り」の表記は『コヴェントリー・クライマックスから』の方が正確かと…😉
最後に供給してたF1エンジンをベースに4リッター化してル・マン向けエンジンを作ったんですよね。良いパワーでどのシャシーにも合うのでプライベーターの間で大流行してました。ただ元F1エンジンゆえに10000rpm以上まで回さないといけないのと、低回転のトルクがまるっきし無いのでピットからのスタートが毎回ヒヤヒヤものだった様ですが笑
ジャッドV8も1988年のイギリスグランプリでマンセルが2位表彰台に上がりましたね。ウィリアムズホンダからウィリアムズジャッドになってから絶望的な感じがありましたが、開幕戦のブラジルでマンセルが予選2位になっていたのを見ると当時のウィリアムズのシャシー性能も良かったのかな?と思います。後に1991年からウィリアムズの活躍にも繋がる時代だったと思います。また中嶋悟さんが1989年最終戦のオーストラリアグランプリで4位になったエンジンですね!中嶋悟さんのあの走りはカッコ良すぎました!
昔はコースワースDFVさえ載せれば大丈夫という時代でしたね。メンテナンスやチューニングの差はあってもほとんどのチームがDFVを使用。その時代にフォードは圧倒的なエンジン勝利数を築いた。
88年日本GPの現地で生音聞いたけど、鈴鹿の逆バンク駆け上がってく時の音はコスワースDFRと比べても凄いバリバリ音で「こりゃブン回し続けたら壊れるよなぁ」と思わせる危なっかしい音だったな。3.5リッターまでの排気量拡大は基本設計の許容範囲外だったのかも。
今回も良い題材
ジャッドエンジンで評価される点を挙げると①1988年コンストラクターズランキング3位のベネトンのこの年のチーム最高位が3位に対してウィリアムズとマーチには2位入賞がある点。②1989年CVエンジン搭載のロータスが4位入賞4回とEVエンジン搭載のマーチより成績で上回っている点。③イルモアV10は4位が最高(イルモアの名称で使用された91年と92年の2年間)に対してジャッドV10は3位表彰台がある点。④ジャッドEVエンジンが15000RPMまで回しても壊れなかった点。
GVエンジンは92年のル・マンでマツダが信頼性向上の改良を行ったMV10エンジンに化けて、以降そのノウハウでル・マンに出場するマシンへのカスタマーになりましたね。
ジャッドエンジンではマンセルも2位2回記録してましたよね
ジャッドのエンジン、特にGVは当時ジャッドに所属していた日本人技術者の影響を強く受けて完成したエンジンです。
レイトンハウス時代にイヴァン・カペリがコンストラクターチームと張り合ってるのをテレビで見たのを思い出す...違ってたらごめんなさい
11:00~車体に書かれた聖飢魔Ⅱって…悪魔がスポンサーやったんか?(誤爆)
88年~91年にかけて自分がF1チームを率いた場合、フォードDFRとジャッドCV(EV)の2社だけのエンジン選択のみならば、どちらと契約するか、迷うな、、、、可能ならばハートチューンのDFR選ぶかな。 それにカスタマーエンジンにスペシャルガソリンを使ってればどこまでパワーが上がったか気になる。
ハートチューンのコスワースDFRとジャッドEVの出力は620馬力位でほぼ互角。チューンされていないコスワースDFRとジャッドCVが600馬力位と聞いています。
2000年以降はプロトタイプカーでジャッドのエンジン積んだマシンをよく見たなぁ。
ホンダと提携してたエンジンだから中嶋悟がいたロータスに供給されたんですかね?
そんな流れだったと思います。
ロータスのジャッドエンジンもテックフォードの5バルブエンジンを乗せてましたが故障が多くて通常のジャッドCVに戻されてます。
ジャッドエンジンのおかげでF1に参戦するコンストラクターもそれなりにありましたホンダとヤマハがエンジン開発に絡みトラブルがなければ入賞するくらいの性能でした
イルモアとジャッドは別
あの頃のF1には浪漫があったよなぁ。
耐久レースで大成功したメーカー
ジャッドといえば「EV」(76゚bank)同年1989デビューのフォードHB(75゚)と共に、狭角V8の先駆け…なんですかね? この時代のことは能く知らないのですが。 90゚のEng乗せたマシンよりEVとかHBのマシンの方が断然カッコ好いのです。 サムネ画のマーチ891とか901とか。
弱小チームにとっては、無くてはならなかったJUDE。繋ぎで使うにも使い勝手が良かったようですね。『困った時のJUDE』とか、言われていましたっけ。
JUDD
92年のF1グランプリ特集に全チームの車のメーター類の写真が載ってたけど、他所のチームの車が軒並みデジタル式のメーターなのに対しジャッドの2チームだけ時代遅れ感アリアリのスタック製のアナログメーターだったのはチームの財政事情の厳しさも相まって見ていて辛くなったwF1でアナログメーターを使ったのは恐らくこの2チームが最後なのでは。
しかもその財政難の原因が2チームとも😭
何だかんだ言って88~91年まで年1回は表彰台を獲っていましたからね。コストパフォーマンスでは抜群なエンジンでしょう。ちなみにヤマハがジャッドと組んだのは予算を減らされて自分達だけで活動することが難しくなったという背景もあり。一方で「ジャッドはトラブルが起きた時の対応が悪い(森脇元恭さん)」「品質管理に問題があった(ティレルのエンジニア。名前が出てこない)」という証言もあります。
イルモアエンジンに関する動画は、ありますか?
V8のジャッドエンジンの音がうるさかったですね。マーチが当時最強のマクラーレンを鈴鹿で1周だけですが追い抜いた時は感動しました。
ジャッドを取り上げるなら、マツダのルマンカー、MX-R01についても触れて欲しかったです。
ブラバム・ホンダF2時代にF2エンジンを設計した久米さん(元社長)の子分、川本信彦(元社長)がF1やりたさにホンダを辞めてイギリスに渡る時に手土産で持って行ったV8エンジン図面が元ですな。結局、社長に就任した久米さんに、うちでも(F1を)やるんだ!バカ野郎!と叱られ帰って来てF2から始動し第二期F1活動へ繋がるのですがね。
追伸・F2エンジン初走行の時、高回転・高出力エンジンを引っ提げて、意気揚々の久米・川本コンビ、でも、走り出して直ぐにジャック・ブラバムは激怒⁉ジャック・ブラバムとジョン・ジャッドに、これはバイクのエンジンか?自動車レースには使えない。低回転域のトルクとピックアップが宜しくないと説教される始末・・・高回転高出力であれば勝てると思い込んでいた二人は、目から鱗状態。久米さんが日本に帰り、作り直して来るまでメカニック手伝いをしていた川本さんであったが、素人メカマンの為、度々ミスをやらかす・・・それを見ていたロン・トーラナックに香港メカニックのニックネームを頂く始末であった(笑)。
ブライアン・ハートも、特集して欲しいです
こちらです ruclips.net/video/SXsgLS2CI-c/видео.html
ブルンはF1だけでなくSWCでもジャッドを使ってる ブルンC91はジャッドV8を搭載してる
日本に馴染み深いエンジンメーカー
なつかしい、ED社。ホンダの3000のエンジンは、ホンダの手を離れたあとはジャッドと無限に流れていったわけですなぁ。規模が規模ですから、こと3000でいうと、コツコツ開発を進めた無限と、大技投入に活路を見出したジャッド、方向性が異なりました。無限のV8がテスト止まりだったのは、ジャッドが嫌がったことも関係してるとか。
ジャッドや多くのチューナーがF1チームのエンジンを供給していたこの時代は良かったと思います。時代は違えど今も更に複雑なターボ+電気モーターのPUを止め、2026年には少しは簡素化になると思いますけれど、新チームが参戦出来ない、大規模な自動車メーカーしか参戦出来ないところが残念です。もっとシンプルにマシンに依存するよりもドライバーの能力が試されるF1になって欲しい。エンジンはNAになってもいいし、量産できるハイブリッドでもいい。マシンは思い切って、パワステなし、ボタンも少なくしてHパターンのギアボックス、3ペダルにして欲しい。出来ないだろうけれど、シンプルになれば、F1の面白さは増すと感じます。
ジャッドとイルモアだとどちらが評価高かったのかね?
川井さんは当時信頼性という点ではジャッドに分があるとコメントしていました。
ジャッドよりイルモアです、ハッキネンがチャンピオンを取った1998年のベンツのエンジンはイルモアが制作したものです。
ジャッド、ホンダとの関わりもあったんですね。知らなかったです。
ジャッドエンジン懐かしい話ですね個人的にはホンダエンジンを失ったマクラーレンチームにエンジン供給して欲しかった。
80年代初頭、ホンダがヨーロッパF2に参戦し始めた頃全く成果が出ずジョンジャッド氏に指南を仰いだところ、「なんとなくだけど、ここら辺に穴を開ければいいんじゃないか〜」というアドバイス通りにエンジン内数カ所に穴を開けたところ、成績が好転したという逸話を思い出す。今のホンダf1陣営では拒絶される長年の経験と勘の成せるワザか。当時だから可能だったのかなぁ😮あとジャッド氏が鈴鹿に来たら必ず日本の風呂に浸かることを楽しみにしてたことも氏の人柄を印象付ける逸話といえよう♨️
プライベーター1「やっぱりエンジンはJUDD(ジャッド)に限るね」プライベーター2「じゃっど❗(そうですね)」※「じゃっど」とは鹿児島弁で「そうですね」の意味
CG901はノーポイントではなく、7ポイントとっている、、、
ヤマハが手を加えたヤマハv10はティレル側のマシンが信頼性不足で足を引っ張られた。超コンパクトなox11はまだまだ可能性を秘めたエンジンだっただけに残念
ジャッド、1991年頃に日本でF-3000に出るって事で日本ジャッドが出来るって事で先輩がジャッドに行ったけど、その後はどうなった事やら
ジャッド、イルモア、ハート、、、懐かしく当時実態がよくわからないイメージだった(^_^;)
ブラボー❗熱い血潮の時代を彷彿をさせていただきました(*`・ω・)ゞ
ターボで無敵だったHONDAを潰すためレギューション変更してNAにした結果、1cc1馬力という脅威のエンジンを作ったHONDA。その技術力は抜きん出ていた。フェラーリもメルセデスもそんなエンジンは作れなかった。あの頃のHONDAはF-1だけではなく、バイクレース(モトGP)でも凄く強かった。もちろんYAMAHAも素晴らしいメーカーだったけど、F-1ではHONDAが凄かった。
ヤマハと言えば93年シーズンに開発済みだったV12をホンダ休止でワークスエンジンを失ったマクラーレンに供給しても良かったと思いませんか?^^y
ん?ナレーションさんの声低いような感じが、します。
ジャッド?完走できないエンジンですね。マンセルが可哀想だった。トラブルでリタイアしか記憶がないエンジンでは!
ジャット無しでは今のメルセデスPUは無し
それはイルモアじゃないですかね?1993年のザウバーに供給した件のことなら...
イルモアは1991年レイトンハウスのマシンCG911エンジンLH10を供給してました1992年のマシンCG911BでイルモアLH2175でその後にメルセデスのバッジネームでザウバーにエンジンを供給してます。
すがたつ
89年のレイトンハウスのマシンはCG891ですね
ジャットはホンダエンジンと提携しF1やフォーミュラに出ていたんですね。ヤマハフォーミュラエンジンも提携したんですね。
そういえば、中嶋悟がロータスに在籍してた時に、アデレードGPでファステストラップを記録した時のエンジンがジャッドエンジンだった。
ヤマハと提携してた94年に、当時ニューマチックバルブの開発を進めるもバルブからの空気漏れに悩まされてたヤマハに『空気が漏れる?そんなの漏れた分の空気を補充すれば済む話じゃね?』とジャッドおじさんのアドバイスの下、エンジン後ろに小型のコンプレッサー装着してバルブ迄空気を送り込むパイプ付けたら一気に問題が解決した…と言う如何にも現場主義的なエピソードが好きだったりします。
ヤマハのエンジニアがなぜジャッドのエンジニアにニューマチックバルブシステムを相談したのかというとジャッドにはマツダとの共同開発経験があったから。適合して動作するコンプレッサーシステム一式がその時点でジャッドにあったのはマツダ用に開発していた現物が残っていたため。24時間レースでニューマチックバルブ必要な回転域常用するつもりだったんだよマツダは。
現場主義というより直接知ってるニューマチックバルブシステムが耐久レース用だったからというのが理由じゃないかな。
最初の頃は、テールエンダーが搭載、古臭いデザインのヘッドのせいもあって、「DFRすら載せられないチームの使うショボいエンジン」と思い込んでましたが、大人になり、当時のことを深く知るにつれ、その決めつけが間違いやったと思い知りました。
今回の動画で、ジャッドにも情熱あふれるストーリーがあることをまたひとつ知ることができました。
私も正直、前年までホンダターボを搭載していたウィリアムズやロータスの成績などを比較して、ジャッドと言うエンジンチューナーを軽んじていました。
改めてこの動画を通して、ホンダやヤマハなど、日本系メーカーに多大な貢献を果たしていたと言う事実を知り、これまでの偏見を謝罪撤回したいと思います。
ジャッドはリジェ、ウイリアムズ、レイトン、スクイタとそこそこ予算のあるチームに供給していたし良い仕事をしていたが、チームからは強力なエンジンを手に入れるまでのツナギにしか思われていなかったのが悲劇だった。
ジャッドのエンジンにジャック・ブラバムやホンダが絡んでたなんて全然知りませんでした。
お勉強になりました。ありがとうございます。
ブラバム…モータースポーツデベロップメント
ジャッド…エンジンデベロップメント(動画でも出ていますが)
社名はブラバムの系譜を継いでいます。
F1チーム、特に中小のチームにとっては困った時のジャッドエンジンって感じだったよね。
90年のフランスGPでプロストに抜かされなかったらジャッドエンジン搭載のレイトンハウスで初優勝もあった。
コースはポール・リカールですね。
当時、フジテレビのF1中継を観ていましたが、本当に惜しかったです。
高速レイアウトかつ景色が好きなコースだったのに、翌年以降はマニクールに変わったのが残念。
あの仏GPは本当に惜しかったです。
ジャッドを特集してくれるとは、何ともカルトで面白い!! 有り難いです。
87年フジTVのモンツァ冒頭のマクラーレンホンダ、ウイリアムズの体制発表の時に、森脇さんが「実質ホンダのエンジンなのですが〜」的な事言ってましたね。
89年の鈴鹿でジョンジャッドさんと握手出来たのはええ思い出😊
当初のCVはNA組の中ではそこそこパワーがあったのと、881やFW12の成績を見るに車体重視の設計思想には最適なエンジンだったっぽいよね。後のイルモアに近い立ち位置。
そんなイルモアも
ジャッドがヤマハに
接触する時期に
ザウバーの関係もあり
彼らはメルセデスとの
というしかもヤマハもイルモア同様にV10
チョイス。
イルモアとジャッドの因縁
なかなか燃える展開ですね👍
時折見せる速さがたまらなかったエンジン。普段壊れたり遅かったりなのに、怒涛のスパート力がたまに発揮されるのがたまらなかったなあ。
1988F-1鈴鹿サーキット最終コーナーでアウトからカペリがプロストを瞬間オーバーテイクするシ-ンは、あれは凄く印象的でした。
ジャッドエンジンは80年代後半から90年代ではF1カスタマーエンジンに使用してましたね。
ワークスではYAMAHAブランドですね。
ル・マンではMAZDAブランドですね。
F3000時代の無限HONDAブランドも含めて日本と関係してましたね。
良い時代ですね!
ジャッド、イルモアなどなど有名エンジンビルダーのF1参戦はその後の他カテゴリーでの成功の大きな足掛かりになった事は間違いない
80年代末期から90年代初頭の日本のF-1ブームの頃辺りからF-1を見るようになった自分からしたら小規模チームに供給していたエンジンビルダーと言えばコスワース(フォードF-1当時)イルモア(後のメルセデスf-1.インディーカーエンジン)そして今回のジャッドでしたね、現代のF-1は自動車メーカー主体又は資金力のあるプライベーターしか優遇されずテールエンダーのチームでも応援するF-1ファンの気持ちをほったらかしにしてしまった😢
童夢のジオット・キャスピタにもジャッドGV搭載仕様がある等
意外と日本にも縁のあるビルダーだったんですね
ジャッドCVは元々ホンダのRA386Eエンジン
ウィリアムズFW12の ジャッド
のヘッドカバーはリジェやブラバムと車体側の取り付け方法は違ってました。
92年のSWC、ルマンのマツダはジャッドベースのエンジンという事もあって、日本とは馴染み深いですね😊
ええ!??
凄い!!Σ(*゚Д゚*)❤
ジャッドはF1のホンダ・ヤマハもだけど、やっぱりルマンも忘れられないですね〜
F1よりプロトタイプカー向けエンジンを開発していた期間の方が長かったり😅👍
優勝したマツダ787Bの翌年(だったかな?)以降にジャッドエンジン積んでましたね
@@紅しょうが-i3x 3.5LのV10ですね👍
この時はローラにも
ジャッドエンジンが
積まれましたね。
@@紅しょうが-i3x マツダとも提携をしてましたね。マツダ MV10名義で(TWRジャガー XJR-14譲りのシャーシ)MXR-01に搭載されてました。
@@user-td2nr4ni3 ですね〜
童夢ジャッド S101(ジャッド GV4)が私は好きでしたw
3:53分のインディー
の ジャッドエンジン
、ブラバムホンダ
どうゆうエンジン音
だっただろうか〜
聴いてみたい。
V8なら
BVやCVとEVだったら
EVの方がちょっと甲高い音が
好きです👍
ヤマハやGVの
V10エンジンが
音は一番好きですが😅
ジャッドV10というと
この派生タイプの
スポーツカー耐久
いわばル・マンカーの
プロトタイプカーの
存在もありますよね
👍
最初は92"年にWSC向けローラにもう一つは
マツダに。
それぞれ3.5L仕様。
その後は世代は
LMPクラスになってからも無限のV10エンジンを回収し耐久向けにさらに 排気量拡大型の改良したシリーズが
続々とル・マンや
ル・マンシリーズを
台頭していきましたね。
無限のMF308シリーズベースエンジン
は国際F3000などではザイテックに代わるまでの長い期間に
F3000に使われた印象もあります。
ザイテックもジャッドや無限と関係ありましたね👍
ジャッド、イルモア、ハート、コスワースは低コストながら汎用性の高いプライベーターには嬉しいエンジンでしたね!
ジャッドブランドとしては大成出来なかったけど、ホンダ、ヤマハと日本メーカーと親和性が高かった事に好感。まぁ、特に89,90年の搭載チームは殆どがいわく付きのところばかりで可哀想なところもありますね。
ジャッドはもっと評価されて然るべきとは思うが、
89年のロータスで、CVが頻繁にバルサンしていたイメージが強すぎて…
あれも後のマクラーレンと同じホンダ症候群だったんですかね?とりわけこの2チームはエンジンパワー頼りでシャーシ開発がおざなりだった印象があるので、その癖でCVに無茶させていたのかな。
ジャッドの名は今でも欧州ヒルクライム選手権でタマに聞くなぁ…純レーシングマシンじゃなく箱車に載っててえげつない速さで走ってたりする
当時は新興の弱小ビルダーとしか思ってませんでした。この動画で歴史と技術が有ったのを知りました。
ジャッドのCVエンジンが先か、それとも無限のMF308が先かと言われていたことを思い出す。
GVエンジンも「バランスシャフトの無いホンダRA109E?」とか言われてもいたし。
噂ではホンダ(RA109と同系列ねRA101E)を搭載したティレル020にヤマハ OX10A(ジャッドGV)を搭載しようと試みたら、モノコックを改造せずに搭載出来たとか…
ジャッドエンジンが一番輝いていたのはマーチ(レイトンハウス)時代ではないでしょうか?ニューウェイの空力とカペリの手腕がエンジンのパフォーマンスを引き出して表彰台も獲得し安定してほぼ毎回のように入賞してましたからね。しかし、表彰台に立ったという面ではV10エンジンをスクーデリア・イタリアに供給した時代も一瞬ながら輝いてました。
ただ、そのエンジンをヤマハが改良したものがティレルに最後の輝きの舞台を与えたことを考えるとジャッドエンジンって良いエンジンだなと思いました。小規模組織の上に供給したチームがあまり良くなかったことを考えるともっとまともな体制だったらなと考えたくなりますね…しかしハートにも言えるように自動車メーカーではないエンジン屋さんには限界がありました。
同感です。ジャッド然りハート然り、エンジンビルダーという技術者集団はこういう力を持っていたんですね。ライフの荒唐無稽なW18エンジンの末路を考えると、まともなエンジンを供給し続けたジャッドやハートは凄かったんだなと思います。カペリが、ほんの一瞬ですが鈴鹿のホームストレートでセナの前に出たのは、奇跡だけではなかったのですね。
それだけに、意気込んでカペリか移籍したフェラーリではエンジンやマシンの問題で、チームではなくカペリの腕が槍玉に上がって1シーズンでの離脱という、詰め腹を切らされる形になったのは無念としか言えません。
ただ…もっと凄かったたのが
コスワースやイルモアというだけですね。
彼らもフォードや
メルセデスがあってこその活動と活躍でしたが💧
フランスもメカクロームやマトラなんてのも
いますね。
@@そのみどりこ 1990年参戦のライフはW18ではなくW12では?
そうですね。12です。4+8ですから。理想通りに動けばどうなったんでしょう?
ジャッド乗ってたときの中嶋さんはホンダマークつけてた気がする
スポンサーとして
ティレルコスワースのときもつけてましたよ。
個人スポンサーでしたよね。
あ、あれ個人スポンサーなんですね!ありがとうございます
中嶋さんのユニフォームは、すべてホンダのロゴが入っています(ホンダのサポートがあったため)
あとは、エプソンとPIAA。
『コベントリー』は地名であって会社名ではないので、「コベントリーからレプコにエンジンを変更」や「コベントリーからブラバムへ移り」の表記は『コヴェントリー・クライマックスから』の方が正確かと…😉
最後に供給してたF1エンジンをベースに4リッター化してル・マン向けエンジンを作ったんですよね。良いパワーでどのシャシーにも合うのでプライベーターの間で大流行してました。ただ元F1エンジンゆえに10000rpm以上まで回さないといけないのと、低回転のトルクがまるっきし無いのでピットからのスタートが毎回ヒヤヒヤものだった様ですが笑
ジャッドV8も1988年のイギリスグランプリでマンセルが2位表彰台に上がりましたね。ウィリアムズホンダからウィリアムズジャッドになってから絶望的な感じがありましたが、開幕戦のブラジルでマンセルが予選2位になっていたのを見ると当時のウィリアムズのシャシー性能も良かったのかな?と思います。後に1991年からウィリアムズの活躍にも繋がる時代だったと思います。また中嶋悟さんが1989年最終戦のオーストラリアグランプリで4位になったエンジンですね!中嶋悟さんのあの走りはカッコ良すぎました!
昔はコースワースDFVさえ載せれば大丈夫という時代でしたね。
メンテナンスやチューニングの差はあってもほとんどのチームがDFVを使用。
その時代にフォードは圧倒的なエンジン勝利数を築いた。
88年日本GPの現地で生音聞いたけど、鈴鹿の逆バンク駆け上がってく時の音はコスワースDFRと比べても凄いバリバリ音で「こりゃブン回し続けたら壊れるよなぁ」と思わせる危なっかしい音だったな。3.5リッターまでの排気量拡大は基本設計の許容範囲外だったのかも。
今回も良い題材
ジャッドエンジンで評価される点を挙げると
①1988年コンストラクターズランキング3位のベネトンのこの年のチーム最高位が3位に対してウィリアムズとマーチには2位入賞がある点。
②1989年CVエンジン搭載のロータスが4位入賞4回とEVエンジン搭載のマーチより成績で上回っている点。
③イルモアV10は4位が最高(イルモアの名称で使用された91年と92年の2年間)に対してジャッドV10は3位表彰台がある点。
④ジャッドEVエンジンが15000RPMまで回しても壊れなかった点。
GVエンジンは92年のル・マンでマツダが信頼性向上の改良を行ったMV10エンジンに化けて、以降そのノウハウでル・マンに出場するマシンへのカスタマーになりましたね。
ジャッドエンジンではマンセルも2位2回記録してましたよね
ジャッドのエンジン、特にGVは当時ジャッドに所属していた日本人技術者の影響を強く受けて完成したエンジンです。
レイトンハウス時代にイヴァン・カペリがコンストラクターチームと張り合ってるのをテレビで見たのを思い出す...違ってたらごめんなさい
11:00~車体に書かれた聖飢魔Ⅱって…悪魔がスポンサーやったんか?(誤爆)
88年~91年にかけて自分がF1チームを率いた場合、フォードDFRとジャッドCV(EV)の2社だけのエンジン選択のみならば、どちらと契約するか、迷うな、、、、可能ならばハートチューンのDFR選ぶかな。
それにカスタマーエンジンにスペシャルガソリンを使ってればどこまでパワーが上がったか気になる。
ハートチューンのコスワースDFRとジャッドEVの出力は620馬力位でほぼ互角。チューンされていないコスワースDFRとジャッドCVが600馬力位と聞いています。
2000年以降はプロトタイプカーでジャッドのエンジン積んだマシンをよく見たなぁ。
ホンダと提携してたエンジンだから中嶋悟がいたロータスに供給されたんですかね?
そんな流れだったと思います。
ロータスのジャッドエンジンもテックフォードの5バルブエンジンを乗せてましたが故障が多くて通常のジャッドCVに戻されてます。
ジャッドエンジンのおかげでF1に参戦するコンストラクターもそれなりにありましたホンダとヤマハがエンジン開発に絡みトラブルがなければ入賞するくらいの性能でした
イルモアとジャッドは別
あの頃のF1には浪漫があったよなぁ。
耐久レースで大成功したメーカー
ジャッドといえば「EV」(76゚bank)
同年1989デビューのフォードHB(75゚)と共に、狭角V8の先駆け…なんですかね? この時代のことは能く知らないのですが。 90゚のEng乗せたマシンよりEVとかHBのマシンの方が断然カッコ好いのです。 サムネ画のマーチ891とか901とか。
弱小チームにとっては、無くてはならなかったJUDE。繋ぎで使うにも使い勝手が良かったようですね。
『困った時のJUDE』とか、言われていましたっけ。
JUDD
92年のF1グランプリ特集に全チームの車のメーター類の写真が載ってたけど、他所のチームの車が軒並みデジタル式のメーターなのに対しジャッドの2チームだけ時代遅れ感アリアリのスタック製のアナログメーターだったのはチームの財政事情の厳しさも相まって見ていて辛くなったwF1でアナログメーターを使ったのは恐らくこの2チームが最後なのでは。
しかもその財政難の
原因が2チームとも😭
何だかんだ言って88~91年まで年1回は表彰台を獲っていましたからね。コストパフォーマンスでは抜群なエンジンでしょう。ちなみにヤマハがジャッドと組んだのは予算を減らされて自分達だけで活動することが難しくなったという背景もあり。一方で「ジャッドはトラブルが起きた時の対応が悪い(森脇元恭さん)」「品質管理に問題があった(ティレルのエンジニア。名前が出てこない)」という証言もあります。
イルモアエンジンに関する動画は、ありますか?
V8のジャッドエンジンの音がうるさかったですね。マーチが当時最強のマクラーレンを鈴鹿で1周だけですが追い抜いた時は感動しました。
ジャッドを取り上げるなら、
マツダのルマンカー、MX-R01についても触れて欲しかったです。
ブラバム・ホンダF2時代にF2エンジンを設計した久米さん(元社長)の子分、川本信彦(元社長)がF1やりたさにホンダを辞めてイギリスに渡る時に手土産で持って行ったV8エンジン図面が元ですな。結局、社長に就任した久米さんに、うちでも(F1を)やるんだ!バカ野郎!と叱られ帰って来てF2から始動し第二期F1活動へ繋がるのですがね。
追伸・F2エンジン初走行の時、高回転・高出力エンジンを引っ提げて、意気揚々の久米・川本コンビ、でも、走り出して直ぐにジャック・ブラバムは激怒⁉ジャック・ブラバムとジョン・ジャッドに、これはバイクのエンジンか?自動車レースには使えない。低回転域のトルクとピックアップが宜しくないと説教される始末・・・高回転高出力であれば勝てると思い込んでいた二人は、目から鱗状態。久米さんが日本に帰り、作り直して来るまでメカニック手伝いをしていた川本さんであったが、素人メカマンの為、度々ミスをやらかす・・・それを見ていたロン・トーラナックに香港メカニックのニックネームを頂く始末であった(笑)。
ブライアン・ハートも、特集して欲しいです
こちらです ruclips.net/video/SXsgLS2CI-c/видео.html
ブルンはF1だけでなくSWCでもジャッドを使ってる ブルンC91はジャッドV8を搭載してる
日本に馴染み深いエンジンメーカー
なつかしい、ED社。
ホンダの3000のエンジンは、ホンダの手を離れたあとはジャッドと無限に流れていったわけですなぁ。
規模が規模ですから、こと3000でいうと、コツコツ開発を進めた無限と、大技投入に活路を見出したジャッド、方向性が異なりました。
無限のV8がテスト止まりだったのは、ジャッドが嫌がったことも関係してるとか。
ジャッドや多くのチューナーがF1チームのエンジンを供給していたこの時代は良かったと思います。
時代は違えど今も更に複雑なターボ+電気モーターのPUを止め、2026年には少しは簡素化になると思いますけれど、新チームが参戦出来ない、大規模な自動車メーカーしか参戦出来ないところが残念です。
もっとシンプルにマシンに依存するよりもドライバーの能力が試されるF1になって欲しい。エンジンはNAになってもいいし、量産できるハイブリッドでもいい。
マシンは思い切って、パワステなし、ボタンも少なくしてHパターンのギアボックス、3ペダルにして欲しい。
出来ないだろうけれど、シンプルになれば、F1の面白さは増すと感じます。
ジャッドとイルモアだとどちらが評価高かったのかね?
川井さんは当時信頼性という点ではジャッドに分があるとコメントしていました。
ジャッドよりイルモアです、ハッキネンがチャンピオンを取った1998年のベンツのエンジンはイルモアが制作したものです。
ジャッド、ホンダとの関わりもあったんですね。知らなかったです。
ジャッドエンジン
懐かしい話ですね
個人的には
ホンダエンジンを
失った
マクラーレン
チームにエンジン
供給して欲しかった。
80年代初頭、ホンダがヨーロッパF2に参戦し始めた頃全く成果が出ずジョンジャッド氏に指南を仰いだところ、「なんとなくだけど、ここら辺に穴を開ければいいんじゃないか〜」というアドバイス通りにエンジン内数カ所に穴を開けたところ、成績が好転したという逸話を思い出す。今のホンダf1陣営では拒絶される長年の経験と勘の成せるワザか。当時だから可能だったのかなぁ😮
あとジャッド氏が鈴鹿に来たら必ず日本の風呂に浸かることを楽しみにしてたことも氏の人柄を印象付ける逸話といえよう♨️
プライベーター1「やっぱりエンジンはJUDD(ジャッド)に限るね」
プライベーター2「じゃっど❗(そうですね)」
※「じゃっど」とは鹿児島弁で「そうですね」の意味
CG901はノーポイントではなく、7ポイントとっている、、、
ヤマハが手を加えたヤマハv10はティレル側のマシンが信頼性不足で足を引っ張られた。超コンパクトなox11はまだまだ可能性を秘めたエンジンだっただけに残念
ジャッド、1991年頃に日本でF-3000に出るって事で日本ジャッドが出来るって事で先輩がジャッドに行ったけど、その後はどうなった事やら
ジャッド、イルモア、ハート、、、懐かしく当時実態がよくわからないイメージだった(^_^;)
ブラボー❗
熱い血潮の時代を彷彿をさせていただきました(*`・ω・)ゞ
ターボで無敵だったHONDAを潰すためレギューション変更してNAにした結果、
1cc1馬力という脅威のエンジンを作ったHONDA。その技術力は抜きん出ていた。
フェラーリもメルセデスもそんなエンジンは作れなかった。
あの頃のHONDAはF-1だけではなく、バイクレース(モトGP)でも凄く強かった。
もちろんYAMAHAも素晴らしいメーカーだったけど、F-1ではHONDAが凄かった。
ヤマハと言えば93年シーズンに開発済みだったV12をホンダ休止でワークスエンジンを失ったマクラーレンに供給しても良かったと思いませんか?^^y
ん?ナレーションさんの声
低いような感じが、します。
ジャッド?完走できないエンジンですね。マンセルが可哀想だった。トラブルでリタイアしか記憶がないエンジンでは!
ジャット無しでは今のメルセデスPUは無し
それはイルモアじゃないですかね?1993年のザウバーに供給した件のことなら...
イルモアは1991年レイトンハウスのマシンCG911エンジンLH10を供給してました
1992年のマシンCG911BでイルモアLH2175でその後にメルセデスのバッジネームでザウバーにエンジンを供給してます。
すがたつ
89年のレイトンハウスのマシンはCG891ですね
ジャットはホンダエンジンと提携しF1やフォーミュラに出ていたんですね。ヤマハフォーミュラエンジンも提携したんですね。