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Mitsuo Takaoka
Япония
Добавлен 18 сен 2010
阿波千年物語(46) 誰も知らなかった古代の瀬戸内海航路-神功皇后の三韓征伐は本当か?
日本の古代史を紐解くに当たって、高越手段、陸路の発達していない時代の海路についてはあまり記録がありません。古代の瀬戸内海の航行状況も、記紀に具体的な記述があまりなく、どういう人達がどんな船でどのように航行していたかはほとんどわからない状況です。
ただ、現場の海流の流れとか各海域の物理的状況は、海岸線の違いを除き、現在も基本的には二千前も大きな違いはないと思われる為、各地の漁業協同組合や埋蔵文化センター等にヒアリングしてみました。また、瀬戸内海に関する各種研究論文等も色々調べてみましたが、それらの解析によりかなり見えてきた部分があります。
今回は日本書紀の「神功皇后の三韓征伐」について検証してみようと思いました。
BGM:燦々雨 ゆうり(DOVA-SYNDROME)
取材協力機関(ヒアリング) 250112
愛媛県埋蔵文化財センター(愛媛県松山市)
村上海賊ミュージアム (愛媛県今治市)
長門の造船歴史館 (広島県倉橋町)
さとうみ科学館 (広島県江田島市)
蘭島文化振興財団 (広島県呉市)
朝鮮通信使記念庭園 (広島県呉市)
岡山県古代吉備文化財センター(岡山市)
高松市埋蔵文化センター(香川県高松市)
高松市歴史資料館 (香川県高松市)
日本船舶海洋工学会関西支部(大阪府吹田市)
水都大阪コンソーシアム (大阪府)
大阪市教育委員会 (大阪市)
奈良橿原考古学研究所 (奈良県橿原市)
明石浦漁業協同組合 (兵庫県明石市)
鳴門町漁業協同組合 (徳島県鳴門市)
日本海学推進機構 (富山県富山市)
淡路市教育委員会 (兵庫県淡路市)
北淡歴史民俗資料館 (兵庫県淡路市)
明石私立文科...
ただ、現場の海流の流れとか各海域の物理的状況は、海岸線の違いを除き、現在も基本的には二千前も大きな違いはないと思われる為、各地の漁業協同組合や埋蔵文化センター等にヒアリングしてみました。また、瀬戸内海に関する各種研究論文等も色々調べてみましたが、それらの解析によりかなり見えてきた部分があります。
今回は日本書紀の「神功皇后の三韓征伐」について検証してみようと思いました。
BGM:燦々雨 ゆうり(DOVA-SYNDROME)
取材協力機関(ヒアリング) 250112
愛媛県埋蔵文化財センター(愛媛県松山市)
村上海賊ミュージアム (愛媛県今治市)
長門の造船歴史館 (広島県倉橋町)
さとうみ科学館 (広島県江田島市)
蘭島文化振興財団 (広島県呉市)
朝鮮通信使記念庭園 (広島県呉市)
岡山県古代吉備文化財センター(岡山市)
高松市埋蔵文化センター(香川県高松市)
高松市歴史資料館 (香川県高松市)
日本船舶海洋工学会関西支部(大阪府吹田市)
水都大阪コンソーシアム (大阪府)
大阪市教育委員会 (大阪市)
奈良橿原考古学研究所 (奈良県橿原市)
明石浦漁業協同組合 (兵庫県明石市)
鳴門町漁業協同組合 (徳島県鳴門市)
日本海学推進機構 (富山県富山市)
淡路市教育委員会 (兵庫県淡路市)
北淡歴史民俗資料館 (兵庫県淡路市)
明石私立文科...
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阿波千年物語(45) 誰も知らなかった古代の瀬戸内海航路-神話の神武東征は本当か?
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日本の古代史を紐解くに当たって、その交通手段、陸路の発達していない時代の海路についてはあまり記録がありません。古代の瀬戸内海の航行状況も、記紀に具体的な記述があまりなく、どういう人達がどんな船でどのように航行していたかはほとんどわからない状況です。 ただ、現場の海流の流れとか各海域の物理的状況は現在も基本的には二千前も大きな違いはないと思われる為、各地の漁業協同組合や埋蔵文化センター等にヒアリングしてみました。 また、瀬戸内海に関する各種研究論文等も色々調べてみましたが、それらの解析によりかなり見えてきた部分があります。 今回はまず記紀の神武東征の前半の九州遠征の部分から検証してみようと思います。 BGM: BGM:燦々雨 ゆうり(DOVA-SYNDROME) 取材協力機関(ヒアリング) 愛媛県埋蔵文化財センター(愛媛県松山市) 村上海賊ミュージアム (愛媛県今治市) 長門の造船歴...
阿波千年物語(43) 古都探訪ー石井町、国府界隈 豊玉比賣の里、ここが皇都ヤマトの首都だった!!
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阿波千年物語(1)~(24)まで、吉野川南岸の阿波古代史の史跡を探訪してきましたが、第24回 鴨島、石井町の後、しばらく途切れておりました。今回いよいよ、国府に迫ります。今回は皇都ヤマトの神話の時代から欠史八代までの神社、史跡の探訪です。 BGM: BGM:燦々雨 ゆうり(DOVA-SYNDROME) 本編の情報は主に下記の文献より引用しております。 <書籍> 日本書紀 (上) (下) 宇治谷 孟 講談社学術文庫 2005、2020 道は阿波より始まる(一)~(三)岩利 大閑 京屋社会福祉事業団 1985 皇祖の地「高天原」の証明 笹田 孝至 NPO阿波国古代研究書 2022 皇都ヤマトは阿波だった 笹田 孝至 サンロータス研究書 2024 古代史入門 藤井 栄 自費出版 2021 甦る皇都阿波への旅 藤井 栄 自費出...
阿波千年物語(42)なるほどザ聖徳太子!!艱難辛苦の仏教伝来!!
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近畿の多くの日本古代史研究者は、阿波の歴史を全く知らず、なんでもかんでも事蹟を近畿、奈良に結びつけようとしていますが、阿波の事蹟なのに近畿奈良の出来事とこじつけようとすると相当無理、矛盾が生じます。近畿、阿波両方を見る目があれば、事蹟の中身はかなりすっきり理解できると思います。 *古代、大阪に「難波」という地名は存在しなかった(和名抄) *用明天皇の池辺双槻宮は徳島の石川町の桜間神社あたりにあった、 *小墾田宮、豊浦神社はもともと蘇我稲目の邸宅だった、 豊浦神社で推古天皇は即位した、 *百済から造仏工、造寺工を招聘して、日本に本格的仏教寺院が作れるまで、技能工の養成には約十年かかった。飛鳥寺、四天王寺の建築というのは、今で言えば高層マンションを建てるようなのもであり、一戸建ての建築とはまったく技術が異なります。 *聖徳太子はこういった技能工の寺作りの訓練を目の当たりにみて育ったようで...
阿波千年物語(41)なるほどザ聖徳太子 物部氏の滅亡の現場に!!.mp4
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聖徳太子の足跡を詳細に追ってゆくと、以外に讃岐との関わりが頻繁に出てきます。 聖徳太子は32才で阿波から斑鳩に移住しましたが、その前も何度か大阪、奈良と行き来していた様です。今回は物部氏が滅びた14才までの聖徳太子の歴史です。 阿波の歴史を知らない、近畿だけの歴史研究をされている方には理解困難な点が多いかと思いますが、両方の歴史をみてゆくと、新たな歴史が見えてきます。 BGM: BGM:燦々雨 ゆうり(DOVA-SYNDROME) 本編の情報は主に下記の文献より引用しております。 <書籍> 日本書紀 (上) (下) 宇治谷 孟 講談社学術文庫 2005、2020 道は阿波より始まる(一)~(三)岩利 大閑 京屋社会福祉事業団 1985 皇祖の地「高天原」の証明 笹田 孝至 NPO阿波国古代研究書 2022 皇都ヤマトは阿波だった 笹田 孝至 サンロータス研究書 202...
阿波千年物語(40)なるほどザ聖徳太子!消された足跡を追う!!.mp4
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日本書紀では、聖徳太子、推古天皇その他の各天皇の宮の場所を極力ぼかしたり、近畿に阿波と似た地名を多くつけたりして、それらが元は阿波にあった痕跡を徹底的に隠そうとしています。そして全ての天皇の宮は奈良にあったという事にされています。 その為、聖徳太子が何かをしても、「実際にどこでそれをしたのか」ほとんどわからないようになっており、 この検証が実に大変です。とにかく一歩一歩作業を続けていこうと思います。 BGM: BGM:燦々雨 ゆうり(DOVA-SYNDROME) 本編の情報は主に下記の文献より引用しております。 <書籍> 日本書紀 (上) (下) 宇治谷 孟 講談社学術文庫 2005、2020 道は阿波より始まる(一)~(三) 岩利 大閑 京屋社会福祉事業団 1985 皇祖の地「高天原」の証明 笹田 孝至 NPO阿波国古代研究書 2022 皇都ヤマトは阿波だった ...
阿波千年物語(39)聖徳太子は継体天皇の曽孫?240630.mp4
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今回は聖徳太子、(生前の名前は厩戸王子)の生涯を追ってみようと思いました。 26代継体天皇は、ほぼ北陸、越前系の大王というのは、誰も否定しないと思いますが、29代欽明天皇までの実際の繋がりと、29欽明天皇~33推古天皇の間の系譜と宮の所在地が今ひとつ検証出来ていません。まずは継体天皇からの系譜を調べてみました。 日本書紀ではすべて「天皇の宮は奈良である」と成っておりますが、阿波でも天皇の宮跡があり、32代崇峻天皇から42代文武天皇まで、いわゆる飛鳥時代の天皇の宮は阿波にあったと思われます。 BGM: BGM:燦々雨 ゆうり(DOVA-SYNDROME) 本編の情報は主に下記の文献より引用しております。 <書籍> 日本書紀 (上) (下) 宇治谷 孟 講談社学術文庫 2005、2020 道は阿波より始まる(一)~(三) 岩利 大閑 京屋社会福祉事業団 1985 皇祖の地「高...
阿波千年物語(38)聖徳太子の隠された生涯-240329.mp4
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今回は、阿波千年物語(36)に続き、聖徳太子の特集です。古事記、日本書紀等は基本的に天皇もしくは皇太子の記録を中心に書かれており、それ以外の皇族は断片的に出てくるだけです。今回は記紀ではあまり詳細記録のない聖徳太子の生涯がテーマです。 古事記では、31代 用明天皇の項に「また庶妹(ままいも) 間人穴太部王(はしひとのあなほべのみこ)を娶して生みましし御子、上宮 厩戸 豊聡耳命(かみつみや うまやどの とよとみみ のみこと)」という記載が一行あるだけです。日本書紀では用明天皇紀、推古天皇紀の所に散発的に書かれている程度です。 今回は、先代旧事本紀大成経、元興寺伽藍縁起并流記資財帳等も参照しながら阿波の現地を探訪しながらレポートにまとめました。 BGM: BGM:燦々雨 ゆうり(DOVA-SYNDROME) 本編の情報は主に下記の文献より引用しております。 <書籍> 古事記(上、中...
阿波千年物語(33)壬申の乱、実の舞台は阿波だった!!r2-2403011 .mp4
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旧バージョン:視聴回数17,396回視聴 2023/06/09~ 今回も、阿波千年物語(32)に続き、古代日本史最大の内乱、壬申の乱の特集です。日本書紀の解説書では「倭京」を「大和京」と混同されている例が多いですが、当時の一般常識では「倭」は「阿波の国」であり、「大和」は「奈良の国」のことであり、明確に区別されていました。 阿波の事なのに、近畿の同名の地を当てつけても、様々な矛盾を抱えることになります。日本書紀の断片的な各地の記述だけでなく、壬申の乱全体を見通すと、歴史の舞台は阿波であるほうが妥当性がかなりあると思います。 今回はその歴史の渦中で波乱の生涯を送った持統天皇の人生に焦点を当ててみました。 BGM: BGM:燦々雨 ゆうり(DOVA-SYNDROME) 本編の情報は主に下記の文献より引用しております。 <書籍> 古事記(上、中、下) 次田 真幸 講...
阿波千年物語(29) 古代飛鳥の都は阿波にあった!! r1
Просмотров 5 тыс.11 месяцев назад
旧バージョン:視聴回数12,098回 2023.3.25.~ 奈良の都は710年から794年までのわずか百年弱の都です。 それ以前は阿波に約千年間 都がありました。 その歴史は、阿波の現地を訪れて、現地の古文書、伝承を調べない限り見えてきません。 いかなる研究者も阿波の内部を見ない限り本当の姿を知ることはできないと思います。 今回は徳島県小松島市南部の、古代飛鳥の都の探訪です。 奈良平城京遷都の前は、徳島の小松島に593年から710年まで数代にわたり飛鳥の宮がありました。十七条憲法の制定、大化の改新、壬申の乱等激動の時代でした。蘇我一族の専横の政治から、天皇家中心の国家ができるまで、その飛鳥の宮の歴史の足跡を辿ります。 BGM: BGM:燦々雨 ゆうり(DOVA-SYNDROME) 本編の情報は主に下記の文献より引用しております。 <書籍> 古事記(上、中、下) ...
阿波千年物語(14) イザナギが橘湾で禊! 実は橘湾に古代ユダヤの船団が渡来していた!! Rv.1.
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旧Version 視聴回数6872 こんにちは、タカミィの阿波千年物語へようこそ。 古事記には、神話や古いいにしえからの伝承が色々伝えられております。それらの神話は伝承の中だけでの話で、実在感はあまりわかないと思います。 しかし、徳島、阿波の地には、古事記に出てくる記述に関する多くの地名が実在します。それではその史跡を探訪してみましょう。 古事記の黄泉坂ストーリーはイザナギが黄泉の国から逃げてくる話でしたが、実際は山葡萄とか、筍とか桃とか、そのルートの出来事のあった地名を目印にしながら 橘湾にたどり着くルートメモであったのではないかと思われます。今回は、黄泉坂から脱出したイザナギが阿南の橘湾で禊をした時の話です。 BGM: BGM:燦々雨 ゆうり(DOVA-SYNDROME) 本編の情報は主に下記の文献より引用しております。 <書籍> 古事記(上、中、下) 次田...
阿波千年物語(番外編) 古事記は漢字で語れない1!! Rev.1.
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Orig: 視聴回数7,270 2022/03/13~ こんにちは、タカミィの阿波千年物語へようこそ。 古事記には、神話や古いいにしえからの伝承が色々伝えられております。それらの神話は伝承の中だけでの話で、実在感はあまりわかないと思います。 しかし徳島、阿波の地には数多くの伝承の史跡が実在しており、しかも連続したストーリーでその痕跡を追うことが出来ます。 近代、現代の文献研究では、漢字があたかも伝承当時にあったかのような錯覚をして、日本古代史の議論が泥沼化している気がします。 漢字が入ってきて一般に使われ始めたのは6世紀~7世紀以降であり、古事記が編纂された頃以降に、それまで口伝えだけの伝承が文字化されているのです。それでは漢字到来以前の古事記の口伝の世界を覗いてみましょう。 BGM: 風の歌 のる(DOVA-SYNDROME) 本編の情報は主に下記の文献より引用しております。 ...
阿波千年物語(11) 古代祭祀の忌部族もイザナミの子孫だった!! Rev.1.
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Orig: 視聴回数7,421 2022/02/27~ こんにちは、タカミィの阿波千年物語へようこそ。 古事記には、神話や古いいにしえからの伝承が色々伝えられております。それらの神話は伝承の中だけでの話で、実在したものというイメージはあまりわかないと思います。 しかし、徳島、阿波の地には数多くの伝承の史跡が実在しており、しかも連続したストーリーでその痕跡を追うことが出来ます。 阿波千年物語、古事記の世界、今回は第11弾です。 現在も皇室の皇位継承に使われるアラタエを奉納する阿波忌部族の本拠地、吉野川南岸に展開する忌部氏関連神社の探訪です。奈良王朝の二大祭司、中臣氏と並ぶ忌部氏の古代の息吹を探ります。どうも伊射奈美との繋がりが千年以上ある様です。 邇邇藝命を祀る穴吹の白人神社は代々、忌部氏が祭祀を執り行っています。 それでは紀元前7世紀からの阿波の歴史を紐解いてゆきたいと思います。 B...
阿波千年物語(1) 阿波の霊域、イザナミが眠る高越山探訪 Rev.1.
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Orig: 6,723 回視聴 2021/10/17~ 紀元前700年~紀元700年頃まで、いわゆる奈良時代の前、阿波には千年以上、脈々と倭(やまと)の歴史が綴られていました。 徳島、阿波の地には古事記に出てくる数多くの伝承の史跡が実在しており、しかも連続したストーリーでその痕跡を追うことが出来ます。阿波にある遺跡と地名をたどって阿波千年物語を語ってみたいと思います。推測は極力省き、誰もが目で確認できる歴史の足跡を求めての探訪記です。 本編の情報は主に下記の文献より引用しております。 <書籍> 古事記(上、中、下) 次田 真幸 講談社 1989 日本からあわストーリーが始まります 香川宜子 ヒカルランド 2020 倭国創生と阿波忌部 林 博章 多田印刷 2010 オオゲツヒメと倭国創生 林 博章 多田印刷 2...
阿波千年物語(7) 二千年前の美馬の郷に古代ユダヤのメノーラが!!! Ver.2
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Orig: 視聴回数9,850 2022/01/10~ こんにちは、タカミィの阿波千年物語へようこそ。 古事記には、神話や古いいにしえからの伝承が色々伝えられております。それらの神話は伝承の中だけでの話で、実在したものというイメージはあまりわかないと思います。 しかし、徳島、阿波の地には数多くの伝承の史跡が実在しており、しかも連続したストーリーでその痕跡を追うことが出来ます。 阿波千年物語、古事記の世界、今回は第7弾、約二千年前のイザナミの子孫達の超リアルな世界の探訪です。 イザナミを現実の存在として見直すと超リアルなイザナミの姿が浮かび上がってきます。 本編の情報は主に下記の文献より引用しております。 <書籍> 古事記(上、中、下) 次田 真幸 講談社 1989 日本からあわストーリーが始まります 香川宜子 ヒカルランド 2020 倭国創生と阿波忌部 ...
阿波千年物語(37) 古事記の世界は阿波で始まり阿波で完結する!!(美馬編)
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阿波千年物語(37) 古事記の世界は阿波で始まり阿波で完結する!!(美馬編)
徳島県観光地として、人気がないから、もう邪馬台国で宣伝した方が面白いかも。
九州、朝鮮半島倭、関西の大和、関東日高見国。
4世紀の当時は畿内には北九州の邪馬台国が東遷したヤマト王朝があり九州には熊本の狗奴国が九州を統一した九州王朝の貴国があり日本は2つの王朝に分かれていたと思われます。三韓征伐したのはヤマト王朝の神功皇后ではなく九州王朝の大王武内宿禰ではないでしょうか。ヤマト王朝としては九州王朝の武内宿禰の三韓征伐を認めたくないので神功皇后がやった事にしたのではないでしょうか。
神功皇后の時代より前でも、紀元前3世紀の徐福の倭国往来、3世紀の卑弥呼時代の魏国との往来、古代の朝鮮半島からの鉄資源の輸送等の事例から見て、古代の輸送船はかなり発達していたと思われます。世界的に見ても、エジプトのハトシェプスト女王の紅海プント交易(BC15世紀)、古代ギリシャの地中海交易(BC8世紀)の手漕ぎ?大型船などの事例があります。古代の船舶の性能についての更なる調査が望まれます。
難波津は九州です。
具体的に考えるというのは大事ですね。東征神話が如何に荒唐無稽であるか理解できました。 東征があったとしても四国内または四国と大和の間の話と考えるのが妥当なようですね。😅
興味深く拝見しました。次回が楽しみです。
確かに古事記を読む限り、彼らに実戦経験はないし、土地は米も作れない不毛の土地、九州の他部族に見捨てられた土地、先進地域は北九州や大和。
うわ、懐かしの吉野川河口だ
古代人の造船技術、航海技術を低く見積もりすぎてると思うよ。 縄文前期には既に、縄文人が太平洋を横断して中南米まで渡ってるんだから。 太平洋なんて、幕末の咸臨丸でさえ片道40日以上かかって渡ってるから、漂流漂着なんてもので偶然あちらにたどり着いたなんてことは絶対にあり得ない。 天文学海洋学を知り大型構造船を造り、数ヶ月分の水や食糧を積んで確信的に渡航してる。 中南米だけじゃないよ。縄文人ないし他地域の海洋民族が、世界を股にかけて移動していたらしき痕跡がある。 神武時代の造船技術や航海術も、想像よりもっと進んでいたと思うよ。記紀神話の神々の行動範囲、結構広いし。 むしろ遣隋使遣唐使時代の造船技術や航海術は、太古より後退してたかも。 それから上古天皇の時代は、春秋暦(二倍年暦)ね。だから一見、寿命が長いと勘違いされてるだけ。
歴史家の方は漢文を正しくよめず、自説に合わせて読みたいように読むケースが多いようです。神武東征ルートについても同様です。 福永先生の説をご紹介します。通説をひっくり返すものですが、私が知る限り史書や伝承をもっとも正しく読んでいるように思います。 ruclips.net/video/Laez1qK86zs/видео.html
卑弥呼が亡くなったのは紀元後247年です。卑弥呼が天照大御神として、子孫である神武天皇が東征したとしても300年頃と考えられています。東征らしきことは、阿波内で起きたことです。 ですから、九州からの東征は架空のことです。
台は万葉仮名でトと発音します。誤った発音が定着していますが邪馬台はヤマトと読みます。つまり神武の話は卑弥呼より前となります。
@ 邪馬台国は、弥生時代の2〜3世紀に存在しました。それは魏志倭人伝に記されており、卑弥呼が治めていたことで知られています。 また、卑弥呼と天照大御神は同じ人物であるという説が有力です。したがって、どういうことかお分かりですね。
@@iriyaanko4783 ちなみに、邪馬台国は【邪馬臺国】であり、ヤマトコクと読みます。 読みと神武と、どのような関係があるのか、さっぱりわかりません。
@@レブル1号 先代旧事本紀などにも「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊」と明記されているようです。 osanpo.yokohama/yaoyorozu.php?target=%E5%A4%A9%E7%85%A7%E5%9B%BD%E7%85%A7%E5%BD%A6%E5%A4%A9%E7%81%AB%E6%98%8E%E6%AB%9B%E7%8E%89%E9%A5%92%E9%80%9F%E6%97%A5%E5%B0%8A
時系列的に、神武が前で卑弥呼が後。 学校教科書で教える時系列は、戦後学者の捏造。歴史歪曲。ダマされちゃダメだよ。
私も、神武東征に関しては???です。 神武天皇の時代は、紀元前後と考えてます。 漢委奴国王印は、後に神武天皇と言われている大王に送ったものと考えます。 朝貢のために北部九州まで、阿波の日向(阿南市)から出向いて行ったのでしょう。 初めて、中国王朝に朝貢をして、倭国の存在を認知してもらった時の大王を、初代天皇とした、というのが記紀編纂時の共通認識にしたのではないかと思います。 瀬戸内海の、航行については、満潮干潮に伴う潮の流れを利用すれば、スムーズに移動ができます、もちろん、冬場の瀬戸内はそれなりに荒れますが。 丸木舟しか無かったとは思えません、当時の人は、もっと進んだ航海技術を持っていたと思います。
神武東征が紀元前667年なのでその頃は丸木舟しかなかった、ということです。紀元200年頃なら準構造船がありました。
古代の瀬戸内海航路は難所だらけで、風があってもスイスイとは航行できません。
まず5000人規模の移動ですが船より陸地移動を行ったと考える方が自然じゃない? あと瀬戸内海は荒波で。。。との考えも瀬戸内海で潮流の激しいのは四国の西側と東側だけで内海は穏やかな波が多く潮流を利用すれば時速5km/h以上の平均時速は得られるよね。 推測だけれど神武東征は九州からじゃなく奈良県方面へその近辺から船を使わないといけない地域。。四国近辺から→大阪→奈良(戦に負ける)→海路で和歌山→三重→奈良で侵入し闘い東征を果たした。が、自然と感じないかな?部隊も約数百人が行動最大値だと思う。
玄海灘って九州と対馬間の海域だから遣唐使船って関係ないのでは?
それでは、遣唐使船の北路ルートというのはどういうルートだったのでしゃうか?ご教示ください。
お見事です。真の日本国天皇より ブログ名:Wonder_Ryuchanの大人の日記を検索閲覧して下さい。
私は広島県北東部の出身の者です。 現在は合併で庄原市と表記されていますが合併前は比婆郡が島根県と接しており、私は比婆郡の南と接していた庄原市で生まれ育ちました。 比婆郡には比婆山があり山腹に熊野神社がありますが、案内板にはイザナミの命が祀られているとあります。 阿波説の片方は高越山を比婆山と説明されますが、何故なんでしょうか? 広島県の比婆山と高越山(比婆山)の関係が理解できません。 私は阿波説派ですが。 私の疑問に回答くだれば幸甚です。
8:50 東南方面に水行した後、北東方面に水行してますね 狗邪韓国の「從郡至倭 循海岸水行 歷韓國 乍南乍東 到其北岸狗邪韓國 七千餘里」に基づくと、 水行は、海岸に沿う事なので、九州島から出て四国島に着くとした場合、矛盾しますね 島から島だと「海渡」だと、思います 魏志倭人伝の地理の記事は、隋書俀国伝の「裴世清の旅程記事」とは違い、 誰かの旅程記事として書いてないので、「どう行ったか どう行く方がいいか」ではなく、 地理を客観的に書いていそうです
昭和の人間は、かみ紙の聖徳太子が好きだからな!
たまたま目に入りましたのでコメントさせていただきます。 他県で阿波にご関心をお持ちいただき、このように阿波の古代を全国に広めていただき感謝申し上げます。 なかなか他県では阿波のことをお勉強していただくのは大変かと存じます。敬服致します。 少し気になる点がございますので述べさせていただきます。 豊玉比売を祀る神社はご紹介のように徳島市・石井町辺りを中心に結構ございます。ご紹介の「王子神社」とともに徳島市不動西町の「天降(あまたらし)神社」も論社としては有名ですね。東西南北それぞれ500mほど離れた旧村境に鳥居が立っております。広大な境内を誇っていたことが偲ばれます。かつて阿波大尽久次米家が当社を支えておられたそうです。 細かなことで恐縮ですが、王子和多津美神社について「主祭神は須佐之男命」と仰っているのは違和感があります。また西宮神社で祭神を「天石門別豊玉比売神」とされているのは厳密に言うと違和感があります。「天石門別」というのは神陵に用いる冠ですから。西宮神社は豊玉さんの神陵ではなく、徳島中央公園にかつてあった「龍王宮」が豊玉さんの神陵ですね。 それから春日神社境内の豊玉比売神社を式内社の豊玉比売神社としてご紹介し、徳島城址から移されたとご説明されておりますが、恐縮ながらこれは違うのです。 他の方の動画でもご指摘申し上げましたが、ここの豊玉神社はほんのつい最近春日神社の宮司さんとさる女性の方がご相談をされて新たに独自に祀られている神社です。境内の由緒書きもここのことをさしているのではありませんので念の為申し上げます。要は本来の歴史的な経緯のある神社ではございませんので宜しくお願い致します。 歴史的な経緯を申し上げますと、豊玉さんの神陵は上述のとおり徳島城のあった徳島中央公園内の東側に「豊玉龍王宮」があり、ここが延喜式神名帳の式内社「天石門別豊玉比売神社」なのですね。 江戸時代には蜂須賀家が豊玉さんを手厚くお祀りしていたのですが、明治になり蜂須賀家が東京へ転居したためお祀りが出来なくなり、蜂須賀歴代藩主を祀った眉山下(徳島市伊賀町1丁目)の「國瑞彦(くにたまひこ)神社」へ合祀されたわけです。(八幡神社のすぐ北側) 天石門別八倉比売神社のご祭神を「ヒミコ(=天照大御神)」とされていますが、ご祭神は由緒書きにもあるとおりあくまで「大日霊女命(おおひるめのみこと)」なのですね。阿波では古来天照大神などという律令期以降に時の為政者が名付けたような新しい神名は使わないのです。また大日霊女命がなぜ魏志倭人伝にいう卑弥呼であるのかは、私の「古代史塾」の2年前の動画をご覧いただければと存じます。(コヤッキースタジオのロケにも呼ばれて天石門別八倉比売神社のご説明をしておりますのでこちらもよろしかったらどうぞ。) たまたま古代史塾として過日録画撮りをした豊玉比売の動画を一両日中に配信予定ですので、宜しかったらまたご覧下さいませ。 長々とあれこれ申して申し訳ございません。 今後とも阿波にご関心をお寄せ下さいますよう宜しくお願い申し上げます。失礼致しました。
わざわざ藤井先生からご教示頂き、恐縮至極です。まだまだ不勉強ですが宜しくお願い致します。
@@takaokamm いえいえとんでもございません。私は古代史の勉強を本格的に始めて10年ほどの阿波古代史学徒です。 阿波の先覚岩利大閑氏の『道は阿波より始まる』を拠り所として同氏の若き同志の方々にご指導をいただきながら一歩一歩、歩みを進めております。 阿波にご関心をお寄せいただいている全国の皆様と共に古代阿波を中心として研鑽を積むことが出来ればと念願しております。 各々の立ち位置で勉強を進めて情報交換等を行い、お互いを高め合えればと存じます。今後ともどうか宜しくお願い申し上げます。
阿波原理主義者の主張する「伊津面」って全く語源も何も確認できないんですねww どうも、架空の国イ国にあった「はず」の伊津面「だったらいいな」という名前らしい。 全てが架空だったとは驚きですわ 和歌山、奈良、福岡、埼玉、大阪、長崎、大分、新潟、滋賀、山口、三重、京都と島根で13府県に出雲地名がありますが、四国には全く見あたりません。
阿波原理主義者の主張する「伊津面」って全く語源も何も確認できないんですねww どうも、架空の国イ国にあった「はず」の伊津面「だったらいいな」という名前らしい。 全てが架空だったとは驚きですわ 和歌山、奈良、福岡、埼玉、大阪、長崎、大分、新潟、滋賀、山口、三重、京都と島根で13府県に出雲地名がありますが、四国には全く見あたりません。
有難う御座います。年内に、伺ってみようと思っています。
石井町で高速道路工事等をすると埋蔵文化財が出て必ずストップさせられるって社長が 行って無い神社はいくぞ
日本列島は環太平洋火山体🌋その物ですから、開発前の国土は殆ど山地でした。太古の日本は山に人が住んで居る全国至るところ山戸ノ郷でした😇 邪馬台国は特定の地域を指す物では無いのです。
興味深い動画ありがとうございます。古代葛城氏の痕跡や古事記のマヨワ氏の伝承なども阿波にはあるのでしょうか。
邪馬台や卑弥呼などの当て字を使われたのは迷惑ですね。せめて山都・日神子にしてくれればよかったのに・・・
本殿と書かれているのは、全て拝殿ですね❣
ありがとうございます。良く調べていらして感心いたします。
偏りの無い考察に好感が持てます。検証には時間がかかると思いますが、有り難く、楽しく拝聴しています。次回も楽しみです。
次回を楽しみにしております。
一本作るのに、一ヶ月以上かかって
県外の者ですので客観的に拝聴しております。 なるほど、すばらしい堅実な検証ですね。 阿波を考察しないから300年も畿内と九州に執着し水掛け論になっているのですね。 次回動画を楽しみに待ちます。
ぢつは私も県外の者です。(^^);
【素朴な疑問】 天照大神が葦原中国の事を欲しいと思い、天孫が高千穂に天降ります。 その後出雲国譲りのストーリーが展開されます。そうであれば高千穂と出雲の距離が近いのが普通の考え方ですが、高千穂(宮崎県の北にも南にも地名が残ります。どっちやねんと思いますが‥)と出雲(島根県)ってめちゃ離れていませんか?それと高千穂のある日向国は第12代 景行天皇の御代に息子の日本武尊が熊襲征伐を した後に「この地は東から陽が登るのでここを日向(ヒムカ)と名付けよう」と仰った。なのに景行天皇はこの地が天孫降臨の地だと知らなかったのですか? これらのエピソードはただ単に神話だからなんでもありじゃん!では済まされないと思うのですが‥ つまり真実は別なところにあるのだと思います! 【追記】 私は剣山付近の天岩戸神社で十七弁菊花紋の神紋を 見ました!これってかなり畏れ多い事ですよね👍
私が、阿波古事記の神社巡りに、どっぷりとハマるきっかけになった タカミィさんの動画を、 もう一度、拝聴させていただいております。😊 優しい語り口と耳に心地よい音楽、そして美しい映像。 今一度、楽しませていただきますね!💕
万葉集(600年初頭~700年半ば)に天香久山で詠ったものがあります。 東には海原が見えカモメが飛び交い、南西方面を見るとカマドから煙がなびく様を詩っていますが、奈良の香久山ではしっくりしません。 徳島県小松島市にある日峰山=天の香久山ならしっくりするのです。 阿波の海岸部の部族(倭=ヤマト)が現飛鳥地方と往来して後に定住化(遷都)し大和(オオヤマト)となったと思われます。 阿波地方名がそっくりと奈良の吉野地方にありますね。
ウリナラ起源 : 阿波版は日本の恥
江戸時代に編纂した国学者本居宣長が如何に優秀だったかだな 今読まれる古事記は本居宣長解釈本
徳島以外の高天原候補諸説🤔 ①茨城県鹿島市 鹿島神宮の近くに高天原地名が在る説 ②奈良県御所市 葛城山、旧名高天山説 ③宮崎県高千穂 天孫降臨の地説 ④福岡県甘木 邪馬台国九州説 ⑤熊本県阿蘇 火の国説 ⑥長崎県壱岐 天ヶ原の地名が在る説 ⑦鳥取県 氷ノ山、出雲にあった説 ⑧群馬県 犬穴、グンマー帝国領説 ⑨イスラエルタガー高原 発音が似ていると云う 日ユ同祖論者に依る珍説の類説 ⑩ギリシャオリンポス 流れ石に首を傾げる話し説 ⑪中国南部 🐼が住人?動物王国説😂 ⑫宇宙そのもの 哲学的思考で神話を越えてる説
天岩戸は全国に在る 南は沖縄に存在する 有名どこは神話の国伊勢に三箇所 伊勢道路、磯部山中の水穴 常に水が豊富で水垢離の修行者がいる 二見興玉神社境内狐穴 神社入り口近くに存在する浅い洞窟、形状が⭕️陰で在る 狐繋がりか宇迦之御魂神[稲荷大明神]が相殿されている 内宮前倉田山古墳 別宮月読宮の近くに在る天岩戸 岐阜県手力雄神社 天岩戸をこじ開けた有名人 神社境内に古墳が有り天岩戸と呼ばれる 火祭りで有名な神社
奈良の明日香村に存在したのが飛鳥京[飛鳥の宮]で在る 推古天皇が藤原京[現在の橿原市と明日香村の間に位置した]に遷都するまで都であった 尚、藤原京は平城京が出来るまで都であった
奈良に在るのが橿原宮跡に出来た橿原神宮 創建は明治時代で最初から神武天皇が祭神 徳島に在るのが山津波で崩壊した為に掘り起こし再建して同じ読みにあやかり神武天皇を祭神に迎えた樫原神社 創建は江戸時代、橿原神宮の創建後から祭神が神武天皇になったので前の祭神は不詳一座とされた 何故が破壊された爆破されたのデマが全て神社の元宮は阿波と云う🤪信者により拡散された 山陰にあった旧律令制国が通称 雲州出雲国で在る 現在は通称石州石見国と隠岐の島隠岐国も一緒に成り島根県に編入された 山口県は長門国と周防国で成り立つ 石川県は加賀国と能登国で成り立つ 岐阜県は飛騨国と美濃国で成り立つ 三重県は伊勢国、伊賀国、志摩国で成り立つ 四国は旧律令制国そのまま 讃岐国→香川県、伊予国→愛媛県 阿波国→徳島県、土佐国→高知県 他に旧律令制国そのままは 信濃国→長野県 紀伊国→和歌山県 近江国→滋賀県 大和国→奈良県 等が在る
飛鳥時代は奈良の飛鳥または明日香で 第32代崇峻天皇治世に今の奈良県明日香村に飛鳥宮 今の大阪に難波宮が置かれ 第33代推古天皇が藤原京[奈良県橿原市辺り]に遷都 第41代持統天皇治世の約101年間 または第43代元明天皇までの117年間を指す 推古天皇、持統天皇、元明天皇は女帝である
先日件の樫原神社を参拝しましたが、神紋は十六花弁ではなく十五花弁でした。
阿波を隠した理由は、大化改新を美化するためか?
こんにちは 秋田にも物部あったようですよ。私の祖母は秋田出身です。例の総理物部だったかも⁉️🤔 物部は長野諏訪神社と統合されたかも⁉️🤭 だから日本の救世主が東北から出てきてもおかしくないかもです。
物部の地名は各地にありますね。 阿波に近い土佐の東部にも物部の地名があります。 物部氏は神道派の当時の軍隊ですが蘇我氏仏教派との戦いで三度勝ち四度目で敗戦したのち各地に散っていったのでしょう。 戦場は阿波か奈良南部でしょうか。 長野諏訪大社の元宮は阿波にありますよ。
@@かっちん-l3g つばさの党の黒川さんは物部ですね❗️ よく鼓舞するために祝詞を上げます。 よくここ(関東)に来てくれたと思っていますよ。 出雲は竹下登さんだったようです。 私の父は仙台市なので豊受大神(日高見)の考えが心に合いますね。 豊受大神の娘がイザナミさんで孫が天照皇大神でじい様のやり取りがホツマツタエに乗っています。 日本の歴史は非常に奥深いですね。
こんばんは、久しぶりにコメントさせてもらいました、 愛媛県には、聖徳太子の時代に関する言い伝えでは、道後温泉に聖徳太子が立ち寄ったとか、大三島の大山積神社は、推古天皇の時代に島内で現在の場所に鎮座したとか、、、、 新居浜市の八雲町に、宗像神社という神社があります、参道は東に延びて、現在は新居浜高専正門まで、200mほどです。神社発行の書物によれば、西暦590年に、九州の宗像より、宗像次郎が配下を率いて移住して、宗像三神を勧請して、宗像神社という名前になったそうです。 このあたりの瀬戸内海、燧灘は、潮の流れが穏やかで、船旅で朝鮮半島に向かって航行するときに、船を休めるにはもってこいの場所です。 新居浜市、西条市、には、神功皇后時代に朝鮮出兵のために舟を作った、といった言い伝えのある神社もあります。飯積神社、大足智姫神社(神功皇后)また、式内社黒島神社は、白村江の戦いの頃、中大兄皇子が北部九州に都を移す際に、家族郎党を率いて、瀬戸内の燧灘を、船で西進しているときに、身籠った娘(大田皇女)が産気付いて、立ち寄ったとか、、、 古墳時代~飛鳥時代にかけて、愛媛県にも、いろんな言い伝えがあることは興味深いです。
有難うございます。次回も、期待しております。
丁末の乱の舞台は大阪ではなく徳島県の阿波市ではないでしょうか?
残念ながら、今のところ、舞台は河内の八尾ではないという検証はできておりません。
まだ阿波市に物部氏の拠点は確認出来ておりません。讃岐の津田の拠点は検証済みですが。
おはようございます〜知らない事ばかりで大変勉強になりました〜ありがとうございます😊
壬申の乱ぐらいまでは阿波に天皇がいたことは理解しようと思えば理解できますが なぜ 阿波に古都があったことを隠さなければならなかったのか いつ 阿波から奈良に舞台が移ったのかを説明しないと ただの 徳島贔屓でしかなくなると思います。 ダビデの話しばかりしてると 阿波説が胡散臭いものになるので 先ずは阿波から いつそしてなぜ奈良に遷都?されたのかを説明してほしいです
そこなんですなぁ~ 阿波説の方々が根拠を スルーしてしまっているから 妄想の世界にしか思えないのは!・・・ 「記紀」などによれば、 継体も神武も、よそから来たことを ちゃんと記しているのに 何故 阿波から奈良に遷都したことが どこにも記されていない?のか なぜ隠されなければならなかった?のか の理由も有耶無耶にしているのが 今の「阿波説」です! これでは完全にファンタジーの世界観です! 因みに、阿波説を否定したいとは 思っているのではなく興味をもっているのです! しかし、 剣山の「柩」のことなど明治期になって 突然誰かが言い出した完全にファンタジーです! 古文献に記されているというのではなく 一つも証拠を出してきてないのですからね・・・
全ての地に10数年前から3回以上訪れました。書かれている方もいらっしゃるようですが、八多(はた)です❣よく纏まってると思います😍石造物に対する知見については少し足りないと考えます、もう少し調べていただけたらと・・・。「五世之命神社」も是非お参りください😄