阿波千年物語(28) 大国主は阿波の長ノ国の大王だった!

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  • Опубликовано: 6 фев 2025
  • 奈良の都は710年から794年までのわずか百年弱の都です。 それ以前は阿波に約千年間 都がありました。 その歴史は、阿波の現地を訪れて、現地の古文書、伝承を調べない限り見えてきません。 いかなる研究者も阿波の内部を見ない限り本当の姿を知ることはできないと思います。 
    今回は徳島県小松島市北部の、古代で言う阿波の長の国の探訪です。ここが大国主一族の拠点でした。現在の小松島市の航空写真に古代の阿波の地名を当てはめてみました。 奈良時代になって阿波の各地の地名が 大量に近畿の奈良の地にコピーされています。阿波のこちらの地名のほうが元祖なのです。
    <参考文献、ブログ、RUclips等>
    <書籍>
    古事記(上、中、下)       次田 真幸   講談社 1989 
    古事記              梅原 猛  学研M文庫 2001 
    ものがたり日本の神話       島崎 普   長岡書店 2001 
    眠れないほど面白い古事記     由良 弥生  三笠書房 2017
    歩いてみて解けた「古事記」の謎  宮崎 正弘   育鵬社 2021  
    崇神天皇とヤマトタケル      神  一行 学研M文庫 2001 
    古代日本史最前線         文藝春秋   文春文庫 1993  
    古代史を彩った人々        豊田 有恒 講談社文庫 1993  
    日本人とユダヤ人      イザヤ・ベンダサン 角川文庫 2021 
    日本からあわストーリーが始まります 香川宜子 ヒカルランド 2020
    聖書                     日本聖書協会 2006 
    倭国創生と阿波忌部        林  博章   多田印刷 2010 
    オオゲツヒメと倭国創生      林  博章   多田印刷 2012 
    アマテラスの暗号         伊勢谷 武  廣済堂出版 2020 
    出雲国風土記          萩原 千鶴 講談社学術文庫 2021 
    神紋総覧            丹羽 基二 講談社学術文庫 2016  
    家紋と家系辞典         丹羽 基二 講談社+α文庫 2010 
    古代の光通信          横地 勲 図書出版のぶ工房 2004 
    真・古事記の宇宙        竹内 睦泰     青林堂 2021
    国譲り神話の真実        田中 英道    勉誠出版 2022 
    未来記と未然紀       飛鳥昭雄・山上智   徳間文庫 2001  
    日本書紀           宇治谷 孟 講談 社学術文庫 2005 
    日本神話の考古学         森 浩一   朝日新聞社 1993
    日本国紀            百田 尚樹   幻冬舎文庫 2022 
    道は阿波より始まる(一)~(三) 岩利 大閑 京屋社会福祉事業団 1985
    狐の帰る国         坂東 一男 京屋社会福祉事業団 1994
    つるぎやまの三賢者        香川 宜子 ヒカルランド 2020  
    古代史の謎は「海路」で解ける   長野 正孝  PHP新書 2015
    葬られた王朝           梅原 猛    新潮文庫 2012
    大和朝廷は古代の水軍がつくった  武光 誠   JICC出版局 1992
    スピリチュアル古事記入門(上)(下)大川咲也加 幸福の科学出版 2015
    古代史入門            藤井 栄    自費出版 2021  
    出雲の神様 秘伝開封       羽賀ヒカル ヒカルランド 2020 
    他多数
     
    ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
    <Web ページ>
    「延喜式神名帳」  www.genbu.net/...
    「延喜式神名帳」  ja.wikipedia.o...
    神社本庁         www.jinjahonch...
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    徳島県神社庁 awa-jinjacho.jp...
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Комментарии • 37

  • @ひろ-t1c
    @ひろ-t1c 7 месяцев назад

    有り難うございました。

  • @遼子規耕作
    @遼子規耕作 Год назад +2

    勉強になります。神代の昔、四国伊予に来られた少彦名命が卒倒されたとき、なげき悲しんだ大国主命は、海中に樋を通して速見の湯を引き、少彦名命に注ぎかけられたところ、生きかえられたと言う神話があります。これが道後温泉の由来とされているのですが、なんとも気宇壮大な話で、古代の人々の発想の豊かさには、驚かされてしまいます。速見の湯とは、もちろん、別府温泉のことです。(別府での伝承)少彦名命は愛媛県大洲市で亡くなったとの伝承もあります。香久山伝説は伊予松山にもありますカモメも見えます。二つに分かれて、大和と伊予に分かれたとのことですが、阿波にもあったのですね。

    • @takaokamm
      @takaokamm  Год назад +2

      「速見の湯」とは別府温泉のことでしたか。また一つ勉強になりました。
      スクナヒコナは渡来人の可能性があります。相当博識で唐より西の出身かもしれません。

    • @遼子規耕作
      @遼子規耕作 Год назад

      渡来人ですか。勉強になりました。

    • @遼子規耕作
      @遼子規耕作 Год назад

      スクナヒトは渡来人ですか。勉強になりました。

  • @かっちん-l3g
    @かっちん-l3g Год назад +7

    私は、邪馬台国(やまとこく)の謎解きが大好きで、学者さん達の学説を読んでは頭を捻っておりました。
    ところが、RUclipsで徳島の阿波古代史研究家の方々の動画を拝観していくうちに、魏志倭人伝の邪馬台国への道程は阿波を示していると実感しました。
    三木家の当主の方が、ここから奈良に行かれたと聞いている、と言っていらっしゃいますし、奈良や京都(籠神社は?ですが)にある神社の元宮が阿波にあることを教えていただきました。
    島根県の出雲大社は明治政府が名付けたこと、古代から江戸時代には出雲大社とはいわなかったこと、いずもは伊詰、阿波は古代には伊の国(四国西部は予の国)、伊の国の端で詰まる所、伊つまる→伊ずも→出雲で、阿波の東の海岸部をいずもと呼んでいたと。
    万葉集の、天の香久山から海が見えてカモメが飛んでいる歌がありますが、奈良から海は見えません。
    明治政府にとって国家神道を浸透させるには奈良や京都の神社、出雲大社、伊勢神宮等々のような見映えの良い神社を奉るほうが効果的と考えて阿波風土記(やまとこく)を禁書にしたんでしょうか。
    よって、卑弥呼(天照大御神)や神武天皇(春秋暦による)は阿波にいらっしゃたのでしょう。(一般的な神武東征の道程は不可思議です、数ある立ち寄る先を制圧したのでしょうか?、私が神武天皇であれば日向から四国の太平洋側を通り直に熊野に向かいますね、潮流が激しく航海の難しい瀬戸内海はあえて避けます、海賊がいますし)
    阿波が「邪馬台国→やまとこく」ではないでしょうか。台の古字は「と」ですね。卑弥呼の子はたしか台与→「とよ」ですね。

    • @takaokamm
      @takaokamm  Год назад +3

      神武天皇の東征は宮崎の日向からBC660年に始まったと言われていますが、それから数百年たって、12代景行天皇(ヤマトタケル?)が日向の熊襲征伐を行っています。そういう敵地から数百年前に出発して東征をおこなったという事に誰も疑問はもたなかったのでしょうかね? さらに神武東征の百年程前に、その敵地の日向で伊射奈岐が禊ぎをしたというわけのわからない伝承がまかり通っています。

    • @かっちん-l3g
      @かっちん-l3g Год назад

      @@takaokamm ご返信ありがとうございます。
      明治政府が故意にねじ曲げたとしかおもえません。
      18才から京都市に25年間住んでおりましたが勤務先が転勤制度を取り入れたため転々として、徳島支店に五年間勤務しましたが、仕事に追われ古代阿波史に触れずに去ってしまいました。
      今は時間的に余裕ができましたので阿波古代史の勉強を糧にして行きます。畿内や北九州説より魅力がありますね。
      Takaokaさんの動画、楽しみにしております。

    • @takaokamm
      @takaokamm  Год назад

      @@asa01053 和歌山の現地調査まで手が届かず調べきれません。
      なにか参考情報ありましたら是非ともお教えください。

    • @nasubichannel
      @nasubichannel Год назад +2

      阿波の山々を見ていると、邪馬台国(やまとこく) これも本当はもっと単純に、山のくに 山のひと から、山の人の国 やまと国 に思えてきます。

    • @takaokamm
      @takaokamm  Год назад +1

      古代ユダヤの言葉で見れば、「やまと」は「ヤー・ウマト」つまり「神の選民の国」という意味になります。またイザナギ、イザナミの契りの言葉は「アナニヤシ・エオトコ」=「結婚しましょう」
      「アナタ」は貴方、「アリ・ガト」=「ありがとう」、「オハリ」=「終わり」、「タイクァ」=「大化」の改新、「ダマレ」=「沈黙をまもれ」、「ジャンケンポン」=「隠せ、準備せよ、来い」、「シャムライ」=「侍」(守る者)といった意味になります。
      祇園祭の七月十七日は古代ユダヤの祈念日「ノアの箱船が地上に降りた日」です。

  • @rakujin
    @rakujin Год назад +1

    阿波古代史を研究している方で、四国阿波から日本文化が全国に広がっていったとする事に異を唱える人は少ないと思います。
    しかし、細部を検証すると、まったく違った意見をもっておられるので、驚きます。
    自然科学の分野でも、行き詰まった時は、学際に限りますので、歴史においてもよしとした方が賢明かもしれません。
    本居先生もインターネットのある時代に生まれてきたら、交通事情の良い時代に生まれてきたら・・・歴史にイフはダメだと言いますが、ついつい思ってしまいます。

    • @takaokamm
      @takaokamm  Год назад +1

      >細部を検証すると、まったく違った意見をもっておられる
      これには二つの問題があると思います。
      1) 判断材料からある見解を導き出すのに、「誰が見てもそうだ」という結論でなく、主観の強い「まず結論ありき」になっていないか。(自戒でもありますが)
      2) 判断をする案件を単眼的にみているか、総合的にみているか、によっておなじ判断材料をつかっても結論は違ってきます。
      例えば「イザナギが禊ぎをしたのは宮崎のどこそこだ」という論理を展開するときに
      ① 「そもそもイザナギ、イザナミはどこから来て、何処にすんでいたか?」
      ② 「イザナミの墓はどこにあるのか?」
      ③ 「イザナギがイザナミの墓から逃げ出して禊ぎをした地までの古事記に記載された足跡はあるのか?」
      ④「イザナギは禊ぎの地でアマテラスとスサノオ、月読の三貴神を産んだ(出会った?)記録はあるのか」
      ④ 「そのあとイザナギはどこに葬られたのか、」
      ⑤ 「アマテラスとスサノオのその後の足跡はその地に残っているのか」
      といった一連の事項に対して、すべての痕跡がそこに(宮崎とか出雲とかに)あるか?
      出雲の場合は②と③の一部しか実証できてないと思います。つまり前後はつながらない。
      宮崎の場合も③の一部しか実証されてない。
      といった具合に、多くの歴史研究家は「単眼的な検証」が多いので、得られる結果もバラバラになるのではと思います。みんなが全体的な流れの中で検証すればそんなにぶれないと思うのですが。。。

  • @ゼロファイター-i8n
    @ゼロファイター-i8n Год назад +1

    ルネサンス美術の著名日ユ同祖論者の著名な先生がこないだも「葛城襲津彦、秦河勝はユダヤ人だった」と一生懸命拡散してましたがそんな古代の大豪族葛城氏や秦氏がユダヤ人だったら何だって言うんだろうと聞いてましたが、結局。「葛城氏の姫磐之媛は仁徳天皇の后で」以降の天皇家はユダヤの末裔なんだ、と。
    これは間違いなく共産主義者の偽史工作をやってるんだな危険だと思いながら聞いてましたが…。

    • @takaokamm
      @takaokamm  Год назад +1

      秦河勝は明らかに渡来系ですが、「ユダヤ人」と定義してしまうのはどうでしょうか。
      秦河勝が歴史に登場するのは聖徳太子の法隆寺建立(606年)の頃だったかと思いますが、562年の朝鮮の伽耶王国滅亡の時に日本にきたのでしょう。伽耶王国に居た頃ですでにユダヤ人の何世代目かになっていたと思うので、アイデンティティはあっても、相当血は薄いと思います。この頃より天武天皇の時代まで、非常に数多くの渡来人が日本に頻繁に来ており、天皇家の政治の中枢も多数の渡来人とその子息が一杯いたようです。この人は何人だ、とかいう意識はさほどなかったような気がします。日本書紀の記録をみても、現代の日本よりはるかに国際社会だったようです。

    • @ゼロファイター-i8n
      @ゼロファイター-i8n Год назад +2

      @@takaokamm 大正の頃だかに貿易の為に沖縄の久米島に住み着いたオランダ人の曾孫とか玄孫だと言う美しいご婦人が知り合いに居るが、言われたら少し西洋人っぽいけど、たったの数世代で件のご婦人姉妹はどこから見ても普通に暮らしてる日本人ですよ。そんな大昔の歴史上の人物を持ち出してる時点で学術じゃありませんしね。あの先生は本格的に怪しい人物だと感じてますよ。
      奇妙な法律を不可思議なやり方で認可されたばかりだし、共産主義者の45の活動目標なるものの中に偽史工作もこの法律も入ってるので全く無関係でも無いでし~しょう。

    • @asa01053
      @asa01053 Год назад

      田中先生は共産主義を批判してる側ですよ!

  • @anti2awa796
    @anti2awa796 Год назад +3

    大国主は長国造の祖として祀られているだけです。あまりにもな内容で驚きます。『先代旧事本紀』「国造本紀」によれば、成務天皇の御世に、大国主の3世孫の観松彦伊呂止命の9世孫の韓背足尼を国造に定められたとされる。観松彦伊呂止命は御間都比古神社の祭神で事代主を含めて阿南で出雲系が祀られているのは「長国造」の関連です。阿南は出雲神話の舞台ではありません。

  • @鷹の爪団員ジャステス
    @鷹の爪団員ジャステス Год назад +2

    因幡の白兎伝説はどうなる?

    • @takaokamm
      @takaokamm  Год назад

      ここは一応公開の場ですので、言葉使いは丁寧に御願い致します。

    • @takaokamm
      @takaokamm  Год назад +6

      古事記の因幡の白兎の話は、気多前(けたのさき)で「鰐に皮を剥がされた肌は塩水に漬けて風に吹かれて高山の尾の上に伏せていなさい」と大国主の兄たちに騙された白兎が痛くて泣いていている所に大己貴命(大国主命)が遅れて通りかかり、「早く水門(みと)に降りて水で身を洗い、蒲黄(がまのはな)を撒き散らかしてその上に転がれば元の肌にもどるよ」と話したというものです。
      この蒲の草は古来より、貴重な薬草の一つであり、一般人立ち入り切り禁止の天皇専用の薬草園にあるものです。
      万葉集(20)の額田王の歌にある「あかねさす 紫草野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る」という、天智天皇が(薬草園のある)蒲生野に遊猟したときに、愛しい前夫の大海人皇子(後の天武天皇)を思った歌がありますが、この蒲生の薬草園と因幡の白兎の話しは同じ場所と思われます。
      山陰の出雲の国風土記には、この白兎の話は全く記載ありません。当時天皇家はだれも山陰地方には住んでおらず、天皇系専用の薬草園もありませんでした。(そのころの天皇の宮はすべて阿波なので) 
      古事記つまり磯上乃古事記(いそがみのふることふみ)だけの記載です。磯上乃古事記というのは要は「阿波の国風土記」です。
      よって、蒲の花というのは野生を除いて皇室薬草園の蒲の草は中、四国でも小松島市南部の蒲生田岬あたりにしかなかったと思われます。小松島南部の天武天皇の宮である、飛鳥浄御原宮からもすぐ近くです。
      大国主一族の本拠地も勝占神社であり、大国主本人も津乃峰神社東部の八矛神社です。
      大国主と天武天皇は50世代以上(百年以上)の年代差がありますが、蒲生の草についてはすべてが矛盾なく繋がってきます。
      ということで、はからずも「因幡の白兎」の舞台は阿波南部という可能性が濃くなってきました。

  • @asa01053
    @asa01053 Год назад

    長野県

  • @takaokamm
    @takaokamm  Год назад +2

    神武天皇の即位が紀元前660年と言われております。天照大御神の時代はその約100年前なので紀元前760年頃です。
    そこから奈良時代初めまでは1400年あります。しかし神武天皇の実際の即位はもっと何百年かあとになりそうですが、
    各種文献を調査して算定奮闘中です。少なくとも紀元前~紀元1世紀には都としてあったのではとみています。
    どの歴史研究家も時代判定は四苦八苦しているようです。(^^);

  • @haniwa-f4r
    @haniwa-f4r Год назад +1

    メソポタミアのエラム国のAWANという都市から古代の伊の国(阿波)へ賀茂族や忌部族が入植してきたそうですね。

  • @hayek218
    @hayek218 Год назад +1

    阿波国が奈良以前に存在したというのはわかりますが、それが千年も続いたとする根拠は何ですか?

    • @takaokamm
      @takaokamm  Год назад +2

      神武天皇の即位が紀元前600年となっており、系譜からみて天照大御神はその百年ほど前なので紀元前700年頃になります。奈良時代の始まる710年まで約1400年阿波に都があったことになります。 
      15代崇神天皇のころまでは春秋暦を使用し、一年を二回カウントしていたようですので、実際は神武天皇の即位は紀元0年~100年くらいかもしれません。天照大御神はその百年ほど前ですね。この場合、阿波の都は七~八百年だったということになります。 今後、調査を続けてみたいと思っています。

    • @hayek218
      @hayek218 Год назад +1

      @@takaokamm
      崇神天皇を第十代とする理由は何かありますか。
      また、1000年の推論は理解できましたが、考古学的、史学的な証拠はございますか。
      私も阿波にとても興味をもっていますので、よろしくお願いいたします。

    • @takaokamm
      @takaokamm  Год назад +1

      @@hayek218 申しわけありませんが、私が一つ一つ、質問にお答えする余裕はあまりないと思いますので、もし阿波の古代史に関心がおありでしたら、ご自分でも下記の様な書籍、Webサイト、RUclipsを参考にして頂ければ有り難いです。
      <書籍>
      古事記(上、中、下)              次田 真幸  講談社 1989  
      古事記                    梅原 猛  学研M文庫 2001  
      日本からあわストーリーが始まります      香川宜子 ヒカルランド 2020 
      倭国創生と阿波忌部             林  博章   多田印刷 2010  
      オオゲツヒメと倭国創生           林  博章   多田印刷 2012  
      アマテラスの暗号          伊勢谷 武      廣済堂出版 2020 
      出雲国風土記            萩原 千鶴    講談社学術文庫 2021 
      真・古事記の宇宙          竹内 睦泰        青林堂 2021  
      真・古事記の邪馬台国        竹内 睦泰        青林堂 2022 
      国譲り神話の真実          田中 英道       勉誠出版 2022 
      未来記と未然紀           飛鳥昭雄・山上智     徳間文庫 2001  
      道は阿波より始まる(一)~(三)  岩利 大閑   京屋社会福祉事業団 1985  
      狐の帰る国            坂東 一男    京屋社会福祉事業団 1994  
      古代史入門             藤井 栄      自費出版    2021  
      ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
      <Webサイト>
      「延喜式神名帳」     www.genbu.net/engi/
      徳島県神社庁       awa-jinjacho.jp/shrine/list.html?list=011001
      延喜式神社の調査 阜嵐健 engishiki.org/index.html
      國學院大學 古事記学センター kojiki.kokugakuin.ac.jp/
      「ぐーたら気延日記」 goutara.blogspot.com/
      Awa-otoko‘s blog   awa-otoko.hatenablog.com/
      すえドンのフォト日記 sueyasumas.exblog.jp/i15/
      「玄松子の記憶」   genbu.net/
      「たんぽぽろぐ」   momijiaoi.net/izanami-mimanakatori/
      神社と古事記     www.buccyake-kojiki.com/
      阿波と古事記     park17.wakwak.com/~happyend/kojiki/index.html
      千年村プロジェクト
      mille-vill.org/%E5%9C%B0%E5%9B%B3%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%BF%E3%81%A4%E3%81%91%E3%82%8B
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    • @takaokamm
      @takaokamm  Год назад +1

      @@hayek218崇神天皇が第十代といのはWikipediaでも公開されていますが、
      そうでないという文献、資料がありましたらお教えください。

    • @hayek218
      @hayek218 Год назад

      @@takaokamm
      15代の間違いです。あなたの最初のコメントに15代と書いてあります。10代が正解です。