物部の氏神、石上神宮に何故?出雲建雄神社があるの?しかもご祭神は三種の神器の草薙の剣

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  • Опубликовано: 11 янв 2025

Комментарии •

  • @ロハン-q2v
    @ロハン-q2v 2 месяца назад +1

    素晴らしい動画、ありがとうございます。
    磐好きにはたまらないですね!!
    八つ岩、石上神宮には毎年2回くらい関西にいるときは通っていたのに、
    まだそのころは知識が足りず知らなかったので、ぜひ行きたいところに入りました。
    ありがとうございます。
    動画ではなぜか、磐座のすごさが伝わりにくいのが残念ですが、
    3Dで観れたりしたら、もっと磐座のすごさを伝えれそうですね。
    桃は禊や禍を浄化したりすることがが関係していたのかなとも思ったりもしますが、
    白龍はもっと役割が大きいですね!
    最近足高神社に参拝させていただきましたが、磐座と境内社に石上社があり、大山祇(三島)と物部氏。
    宮崎駿監督は深いですね。天理と関係が一緒だなとも思います。
    吉備と大和と出雲。当時の婚姻関係からなる結びつきが複雑だなとも思いますが、
    祭祀一族も担っていった物部氏は磐座とはセットであるのは間違いないなと思いますし磐座も巨大ですね。
    物部氏の考察楽しみにしています。

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280  2 месяца назад

      足高神社、倉敷ですよね知らなかったですね
      今検索してみましたので
      今度行ってみます
      ありがとうございます
      宮崎駿さん、全く同感で凄いとお思います
      先日、広島市美術館で何かの記念展やってまして
      同行支援で視覚障害者の方と同行で行きました
      今までの映画が全部展示されていました
      あらためて凄さも感じました

    • @ロハン-q2v
      @ロハン-q2v 2 месяца назад

      @@kanji-kun1280 「もののけ姫」と「千と千尋の神隠し」は吉備と物部氏が描かれていて、
      面白いですね。
      最近、古事記で履中天皇が石上神宮に難波の宮から石上神宮に逃げているので物部氏の天皇ではないかとか、物部守屋で衰退という人もいれば、石上朝臣麻呂(藤原不比等の時期)が平城京に留守役で取り残されてから表舞台から消えていったとされる人もいますね。
      葛城襲津彦を父に16代 仁徳から24代 仁賢天皇までは葛城氏から皇后や母親である天皇が多く物部氏、葛城氏の力が強かったのがわかりますね。葛城御歳神社の宮司はこのころ鉄の関係を軸に吉備との結びつきも強かったとおっしゃられていました。
      古代は紐解けないですが、記紀にも少なくとも書かざる得なかった理由もあったりするので、年代を逆に下って行っても、物部の謎は少しわかりそうですね。

  • @mayumi3300
    @mayumi3300 2 месяца назад +1

    険しい道のりの中、
    頂上までレポート
    ありがとうございます♪
    コメントがどうしても隠れますので、
    ここで一旦、切って
    送ってみます。
    この続きが読みたい方は、
    新しい順をタッチしてから
    開けてみてください。

    • @mayumi3300
      @mayumi3300 2 месяца назад +3

      【八ツ岩】周辺は、
      ヤマト政権ができる以前から、
      縄文人がお祀りしていた祭祀場ですね。
      クシヒカタらがヤマトへ入り、
      更に村雲を婿に迎え、
      ヤマト政権が創設されても、
      元からいた縄文人は駆逐されることなく、
      ヤマト政権の一員として
      磯城王朝を創ってゆきました。
      何故なら、
      【海部氏・尾張氏・葛木氏】の母は
      元々、この辺りの鉱物資源を支配していた
      丹生族の【井光(井氷鹿)】
      であるからです。
      光る井戸から出て来た【井光】は、
      ヤマト周辺にもお祀りされていますが、
      【伊加里姫】として
      丹波にもお祀りされます。
      【出雲建雄神社】と
      【八ツ岩伝説】ができるのは、
      【天武天皇の御代】です。
      これは、正史編纂の時代です。
      正史編纂とともに、
      【神々の再編成】が行われます。
      新しい秩序とともに、
      【日本と言う国家】を
      《修理固成》したのです。
      そこで、この八ツ岩に
      出雲から飛んで来た
      【天叢雲剣】が降臨する逸話が創られ、
      【出雲建雄神社】がその遙拝所として
      社が建てられます。
      正史ができた時点で、
      天叢雲剣は【草薙剣】と
      名を変えますが、
      おっしゃる通り
      村雲の名を消すことと、
      もう一つ、重要な経緯があって
      【草薙剣】となります。
      これは話が長くなるので、
      またいずれ
      何処かでお話します。
      天村雲が何故、
      出雲建雄命なのか…
      それは、村雲は徐福の孫ですが、
      【大国主八千矛王のひ孫】でも
      あるのです。
      ヤマト政権とは
      【出雲王国の分家】でもありました。
      村雲は西出雲王家の血統であり、
      皇后タタラ五十鈴姫は
      東出雲王家の血統です。
      正史には
      出雲王国は記さないと決定します。
      ですが、
      17代出雲王の系譜は
      しっかり記され、
      出雲王国からヤマト政権への
      受け渡しの様子は、
      出雲神話として綴られています。
      暗号だらけの正史において、
      【徐福と村雲】は
      【剣】として描かれます。
      その名を言わずとも、
      実は各地の神社に
      沢山、お祀りされてゆくのです。
      【八ツ岩】とは
      ヤマト政権以前の縄文人が
      お祀りしていた地域であり、
      その後、物部イクメ王が
      磯城王朝を倒したとき、
      物部陣営の宮を設置し、
      祖である徐福をお祀りします。
      武器庫であったと
      伝えられるのは、
      ご祭神が剣であるのとともに、
      武力で戦いにより
      新しい王朝を作った物部勢の
      その香りを残します。
      日本と言う国家の歴史を
      改めて作ろうとしたとき、
      どのような観点で
      歴史を綴るか…
      その大きな流れを
      全体から俯瞰して見たとき、
      物部も海部も兄弟であるし、
      ヤマト政権は
      海部王朝であるとともに
      出雲王朝の一部でもありました。
      そして、その王朝の母は、
      縄文人であったこと。
      これは井光もそうですが、
      タタラ五十鈴姫の母・活玉依姫も、
      三島と言う縄文の大豪族です。
      全ては繋がっているのです。
      元々、物部勢は
      【徐市(じょふつ)の御魂】を
      お祀りしていたのでは…
      と思います。
      石上神宮のご祭神は
      【布都御魂大神】
      (ふつのみたまのおおかみ)
      【布留御魂大神】
      (ふるのみたまのおおかみ)
      【布都斯魂大神】
      (ふつしみたまのおおかみ)
      の三柱です。
      この内で
      【布都斯魂大神】
      (ふつしみたまのおおかみ) が、
      《八岐大蛇を斬った剣》で、
      徐福にあたります。
      と言うことは、
      【布都御魂大神】
      (ふつのみたまのおおかみ) は
      八ツ岩に降臨した剣として、
      新たな秩序のもとに整備された
      ご祭神となったのではないかと
      想像します。
      村雲の裏には
      徐福が存在します。
      この地には
      【布留遺跡】といって、
      縄文からの集落がありました。
      【布留御魂大神】
      (ふるのみたまのおおかみ)は
      縄文の神々をも
      一緒にお祀りしているように
      感じられます。
      神社の形態は
      歴史の中で幾重にも重なって
      現在の姿となっています。
      この地には
      遥か縄文の神まつりと
      そこへ重なった磯城王朝と
      更に新しくやって来た物部勢が
      同じ地域に共存しながら、
      正史によって綺麗に
      まとめられていった
      そんな映像が観えて来ます。
      【石上神社】とは
      《いしかみ》→石神
      《いそのかみ》→磯の神
      つまり、
      【縄文の石の神】と、
      【磯城王朝の神】とが
      かけられているように観えます。
      【石上神宮】は
      《磯上》であり、
      磯城王朝の上に作られた王朝と、
      磯城王朝を継承しているのだという
      主張が込められていると感じます。
      幾重にも歴史が重なり、
      美しい調和を創っていると思います。

    • @石井健次-h1n
      @石井健次-h1n 2 месяца назад +3

      ​@@mayumi3300
         流石ですね~🎉

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280  2 месяца назад +2

      こちらでは最初のコメントで全て入っていました
      いろいろありがとうございます

    • @mayumi3300
      @mayumi3300 2 месяца назад +1

      ​@@kanji-kun1280さま
      そうなんです。
      投稿者には
      全部、見えていますよね。
      わたしは別アカで
      確認しています。
      3分の1ぐらいは
      隠れますね。
      放っておくのも多いですが、
      今回は知っていただくと
      良い内容だと思ったので…

    • @mayumi3300
      @mayumi3300 2 месяца назад +2

      @石井健次-h1n さま
      いつも読んでくださり、
      ありがとうございます♪

  • @石井健次-h1n
    @石井健次-h1n 2 месяца назад +2

    お早う御座います🎉 この竜神は出雲のニオイがしますね。三つ巴四つ巴で、出雲の人、物部の人は混ざってるでしょうね。滝は白竜、出雲のサイ姫様に繋がると思います。

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280  2 месяца назад +2

      結局、徐福は全ての血脈に絡んでいるし
      勿論、出雲の血脈もですので簡単に判定出来ないですよね
      それぞれ全てが微妙だと思います
      ので、その時の状況把握が大事なのでしょうが
      そこが一番の難題なのがややこしいですね
      考察のしがいがあるとも言えますね

    • @石井健次-h1n
      @石井健次-h1n 2 месяца назад +1

      @kanji-kun1280
       お疲れ3です〰 そうですね。大手を振って暗殺命令出したのが、徐福、物部イクメ、ですね。徐福は出雲の主王と福王、イクメは宇佐の姫巫女さんと武内宿禰(初代タケシウチ)、タケシウチさんはイクメの嫁になってしまった出雲のヒバス姫さんがタケシウチさんに暗殺命令が出てるから逃げてッて教えてくれて出雲の富家でかくまって貰ったと、そう考えると宇佐の人達はイニエやイクメにそそのかされたんじゃないのかって、イクメは出雲の太陽信仰にこれだッて乗っかってるし、もしかしてこれがきっかけでフヒト君は物部にアマテラスッて当てたんでしょうかね〰ン〰

  • @tadayuki-wk7zj
    @tadayuki-wk7zj 2 месяца назад +1

    大変でしたね。有難う御座います。八ツ石=八岐大蛇(鉄文化)の首とする説があり、もしかすると製鉄所があったのかも?(武器庫の近くなので)
    また前回に村屋坐彌冨都比賣神社を少し書きましたが、ここには物部守屋の子孫?かもの守屋筑前守も祀られており、(南側には物部神社もあり)石上神宮前の宗教団体の方も参拝に来る様です。また石上神宮と村屋坐彌冨都比賣神社の真ん中あたりに鎮座する大和神社の御祭神は宮中で天照大神と同殿共床で奉斎されていた日本大国魂大神でありますが、第十代崇神天皇六年に天皇が神威をおそれ、天照大神を笠縫邑に日本大国魂大神をこの地に移し創建したのが大和神社だそうです。石上神宮ー大和神社ー大神神社と出雲族のラインが引かれ、それを遮る形で
    天照大神(笠縫邑)を・・。(意味ありげ)面白い土地です。🤩😁

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280  2 месяца назад +1

      八岐大蛇の首を刎ねたら八つの龍になって天に昇った、八大龍王の話もあるようですが
      合理的解釈と言うか、すんなり受け入れられるお話しだと思います
      村屋神社さん、Google map上には、行ってみたいの旗が立ったままで未だ
      お気に入りのハートマークになっていません
      宮司家が物部氏の末裔なのが凄いですよね
      ヤマト地域にしてはご祭神は事代主ご夫妻と言うややホッコリ感があるのも
      面白いですよね、近々お参りして来ます
      コメントありがとうございました

  • @castleman4502
    @castleman4502 2 месяца назад +1

    意富氏をてなずけ物部氏は勢力拡大したが、尾張氏、紀氏、和邇氏の方についたので、意富氏が反抗したのが倭国大乱だろうと考えてます。
    なので物部と意富は勢力圏は関東など近いところが多い。と考えてます。奈良は和邇氏と賀茂氏で応神天皇以降、渡来系の蘇我氏や葛城が増えてパワーバランスが崩れたのでしょうね。

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280  2 месяца назад +1

      流石のご考察ありがとうございます
      実は恥ずかしながらですが
      私は意富氏なるものがよく分からずちょっと躓いていますので
      教えて頂ければと思います
      昔の本で、消された多氏古事記と言う本を読んだ時に
      殆ど理解できなかったのを思い出して
      どうもその時の記憶から苦手意識があるようです
      確か、チグリス川とか高句麗とか、母音とかの発音がどうのこうのとか
      そんな話だった様です
      目から鱗さんの意富氏とは誰のことなのか
      ザックリで良いですので教えて頂けないでしょうか
      よろしくお願いします

    • @castleman4502
      @castleman4502 2 месяца назад

      @kanji-kun1280 さん
      古代最古の氏族でイズモ族で甕棺墓、甕、亀をトーテムとしている氏族で那賀脛、久那土大神、幸神、猿田彦、龍蛇信仰、太陽信仰の氏族です。大国主も事代主神も意富氏です。
      長いですかね🤣

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280  2 месяца назад +1

      ありがとうございます
      と言う事は更に短く言えば出雲族の祖、と言う解釈でよろしいのでしょうか?
      私の超漠然とした解釈では、そのチグリス川周辺に住んでいた古代氏族が
      シベリア経由で日本へ来たのと朝鮮半島へ入ったのと別れて
      お互い行き来があった、みたいな
      例えば、フヨでしたか、そして新羅、百済と時代が進んで
      更にお互いに行き来があった
      そんな記憶ですが、だとしたらその本は、そのシベリア経由で入って来たのが
      出雲族のルーツと言う感じだとしたら
      その本は結構面白い本だったのでしょうね
      何処かにあるかも?
      何せ数十年前ですが、探してみます
      いろいろありがとうございました
      それにしても流石の目から鱗さんのグローバルでディープな
      歴史の知識力
      これからも頼りにさせて下さい
      よろしくお願いします

    • @castleman4502
      @castleman4502 2 месяца назад +1

      @@kanji-kun1280 人種としては色々あるとは思います☺️私はタミル系ドラビダ族だと考えています。DNAのМの遺伝子ですね。私の長野県の動画でも紹介しています🤗

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280  2 месяца назад

      ありがとうございます
      DNA,とかトラビタ族とかの話になると
      私には「そーなんですか」としか言えないのが情けないです
      のでその分野については目から鱗さんの動画で勉強させて頂きます
      因みに、長野県?じゃないですよね、長崎県の動画で壱岐、対馬の時に
      その様なお話しされてたように思いました
      何れにしてもありがとうございました