【飛鳥古寺手帖 17】坂田寺 ~鞍作氏の尼寺

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  • Опубликовано: 18 окт 2024
  • 帝塚山大学の清水昭博先生が上梓された「飛鳥の古代寺院」を片手に飛鳥をめぐるシリーズ17回目は、坂田寺を訪れます。
    坂田寺は、継体16年2月にわが国にやってきたともいわれる司馬達等という人物が、坂田原に営んだという草堂をもとに造られたとされるお寺です。
    司馬達等の娘・嶋は出家し、日本初の尼とされる善信尼となりました。また、嶋の兄と推定される多須奈が、用明天皇の病気平癒を願って丈六の仏と寺を造営し、自らも出家したことが『日本書紀』に伝えられ、その時期に伽藍が整備された可能性もあります。
    さらに、多須奈の子とされる鞍作止利は、飛鳥大仏を造立した仏師として知られ、飛鳥寺の本堂に丈六の仏を安置した褒美として推古天皇から水田20町を賜り、それを財源として坂田寺はさらに発展したと考えられています。
    天武天皇の時代には、小墾田寺、豊浦寺とともにわが国を代表する尼寺として無遮大会を行い、奈良時代には、東大寺廬舎那仏の脇侍を坂田寺の尼・信勝が寄進したという記録も残っています。
    そんな坂田寺ですが、その後衰退し、現在、伽藍は何も残っていません。
    その跡地を歩き、さらには、坂田寺の法燈を継いだとされる金剛寺にも足を運んでみました。
    #坂田寺
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Комментарии • 21

  • @椿本祐弘
    @椿本祐弘 10 месяцев назад +1

    梅前チャンネル、毎度、ありがとうございます。 梅前さんの「語り」を拝聴していて、発音しずらい古代の人名や神社名などを明晰に発音されることに感心します。また、小生には厳密に評価する知識・知見は備わっていませんが、その古代史についての知識の深さにも感心いたします。
     私は、もう余命もわずかしか残されていないであろう後期高齢者で、古代史については浅学ですが、「我等は紛れもなき日本人として、桜咲く日本の国土の上に、幾千年の歴史の中より、生れ出で、生ひ立ち来つた。我等のあるは、日本あるによる。日本の歴史は、その幾千年養ひ来たつた力を以て今や我等を打出した。我等の人格は、日本の歴史の中に初めて可能である」(平泉澄『国史学の骨髄』)というような文章に接すると、(皇国史観についての評価はともかくとして、また、老人の情動だと嗤われようと)小生の大和人としての血が躍動してきます。 (CAM)

    • @umemaeSakiko
      @umemaeSakiko  10 месяцев назад

      >発音しずらい古代の人名や神社名などを明晰に発音されることに感心します。
      恐れ入ります。実は発声障害があり、編集でかなり修正しています。そのため、お聞き苦しい部分が多々あると思います。

  • @takmak7046
    @takmak7046 10 месяцев назад +1

    今は何も無いところに昔の風情を見るようでなんとも言いがたい余韻があります。本を買って読んでみたいと思います。

    • @umemaeSakiko
      @umemaeSakiko  10 месяцев назад

      ありがとうございます。清水先生の本もぜひお読みくださいませ。

  • @takedaharuki
    @takedaharuki 10 месяцев назад +1

    瓦から見る歴史と、文献から見る歴史が交差するようで、興味深いです。金剛寺の現代の瓦も立派ですね。

    • @umemaeSakiko
      @umemaeSakiko  10 месяцев назад +1

      ハルキー先生ありがとうございます。文献史料や瓦、発掘調査の成果など、さまざまなものを勘案して抽出されるものを大切にしたいと思っています。自説に有利なものだけを抜き出してしまう危険性もはらんでいますが、いろいろな考えを柔軟に受けとめていく姿勢も大切ですよね。

    • @takedaharuki
      @takedaharuki 10 месяцев назад +1

      @@umemaeSakiko 素晴らしい考え方。私もかくありたいです。我田引水。研究者はついついやりがち。私も精進せねば。

  • @志津-z6c
    @志津-z6c 10 месяцев назад +2

    動画ありがとうございます。廃寺シリーズのおかげで「古代瓦」に少〜し興味がでてきたところです。金剛寺さんの軒丸瓦?16弁?の菊の御紋。聖徳太子ゆかりのお寺だからでしょうか?そう思えば菊紋の瓦って多かったような。やはり歴代天皇の住まわれた土地なんだな〜と思いました。次回が最終回。寂しい気がしますが楽しみにしています。

    • @umemaeSakiko
      @umemaeSakiko  10 месяцев назад

      いつもご視聴ありがとうございます。瓦について、今は完全に清水先生のご本の受け売りなので、もっと勉強してみたいです。

  • @椿本祐弘
    @椿本祐弘 10 месяцев назад +2

    今まで、日本史については、司馬遼太郎の小説などを読みながら(全集を保有しています)幕末以降について、また大東亜戦争史を関心の主たる対象としていましたが、梅前さんの当チャンネルに出会い、ご著書を拝読した結果として、あらためて古代史再学習の必要性を感じるに至りました。 もう現在では古いのでしょうが、中公文庫版『日本の歴史』の第1巻、第2巻も読み返しています。 もう、足腰も定かではない後期高齢者である小生としては、現場踏破はかなり困難になりつつありますが、読書ぐらいはまだ可能です。    (CAM)

    • @umemaeSakiko
      @umemaeSakiko  10 месяцев назад

      いつもご視聴ありがとうございます。知識を吸収しようとする姿勢に、心からの敬意を表します。

  • @萩岡規佐子
    @萩岡規佐子 8 месяцев назад +1

    屋根のうえにも、宝珠がありますね。

  • @kamekame_asuka
    @kamekame_asuka 10 месяцев назад +1

    マラ石は、名前や形状はあんなですが、やはり私も坂田寺に関わる何かなのかな、って思ってます。
    いつか、飛鳥時代の伽藍跡も見つかるといいな、と思います😊

    • @umemaeSakiko
      @umemaeSakiko  10 месяцев назад +1

      マラ石についてご賛同ありがとうございます♪ あの石がもとからあそこにあったとしたら、お寺の建設の時に移動していると思うんですよね。

  • @rockin-n5n
    @rockin-n5n 10 месяцев назад +1

    いつも楽しく見させていただいています。坂田寺は、鞍作止利が近江国坂田郡の水田二十町を賜ったことで創建したので坂田寺というのだと思ってました。僕はその坂田郡に住んでいますが、舒明天皇のおばあさん、皇極天皇のひいおばあさんである広姫がこちらの出身ということで、飛鳥には親しみを覚えます。坂田寺が興福寺の末寺という話ですが、出典が椿井政隆の興福寺官務牒疏であれば、偽文書ですので実際は違うのかもしれません。

    • @umemaeSakiko
      @umemaeSakiko  10 месяцев назад +1

      貴重なご教示ありがとうございます。動画内でもご紹介した『扶桑略記』に、司馬達等が「坂田原に草堂を営む」とあるのですが、平安時代末期成立の書ですので、その場所がもとから坂田原と呼ばれていたのか、止利仏師が坂田郡の水田を財源として整備したから坂田寺となったのか、浅学にてちょっと判断しかねます。すみません。また、興福寺の末寺の話は、清水先生の本の受け売りです。
      広姫、興味あります。息長系の血脈は、その後の皇統に大きな影響を与えたと思っています。瀬戸内海航路が確立される前の、日本海航路の時代などを考え合わせ、大変興味深いです。

  • @satomune0114
    @satomune0114 10 месяцев назад +2

    坂田寺は以前の動画で、変なおじさんがいたとこの近くですかね。マラ石の近くだったような😮

    • @umemaeSakiko
      @umemaeSakiko  10 месяцев назад

      変なおじさん、いましたね! 確か、今回紹介した池の横の道から登場されました(笑)

  • @民草1
    @民草1 10 месяцев назад +1

    この辺りは立派な家並ですね。
    結局、坂田の名は土が反り田んぼになったのでしょうか。
    梅の皇女 様 自転車の下り道お気をつけ下さい。

    • @umemaeSakiko
      @umemaeSakiko  10 месяцев назад +1

      いつもありがとうございます。坂の字を避けるようになったのは、土にかえる=死、ということで、武士の時代になってからのようです。

  • @あやっぺこ
    @あやっぺこ 10 месяцев назад

    ぎゃははは(笑)