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飛鳥古代史
Япония
Добавлен 31 май 2020
【飛鳥古代史チャンネル】をご覧いただきありがとうございます。
このチャンネルでは、飛鳥時代を中心とした日本の古代史を、初心者にもわかりやすく、楽しく、そして面白く、解説していきます。
古代史に興味はあるけれどなんだか難しそう、
日本の古代史ってなんだかとっつきにくい、
そんなあなたにこそ観ていただきたいチャンネルです!
一緒に古代史を、飛鳥をめぐる旅に出ましょう!
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【最終回】最後の古墳・中尾山古墳 その構造と墳形について人気講師・来村多加史先生が徹底解説! 近鉄・近畿文化会臨地講座人気講師と行く飛鳥シーズン3最終回
「近鉄・近畿文化会 臨地講座 人気講師と行く飛鳥」シーズン3 最終回となる今回は、「中尾山古墳」後編をお届けします。
先年の発掘調査で、石室の詳細や、墳丘周囲の葺石などが確認されました。最新の発掘成果を踏まえて、来村先生に詳しくご解説いただきます。
また、数百年にわたって続けられてきた「古墳築造」という文化が、そのあとどこへ向かうのかについても解説いただきます。
このシリーズは、近鉄の文化事業・近畿文化会からの講師派遣と企画協力により制作しております。
近畿文化会は、文化冊子『近畿文化』を毎月発行し、専門の先生のご案内で社寺や史跡などを訪ねる現地見学会(臨地講座)を月に2回開催することを軸に活動しています。詳しい情報は下記のリンクからご覧ください。
近畿文化会ホームページ
www.kintetsu-g-hd.co.jp/culture/bunka/
#近鉄
#近畿文化会
#臨地講座
#来村多加史
#中尾山古墳
#八角墳
#天皇陵
#終末期古墳
先年の発掘調査で、石室の詳細や、墳丘周囲の葺石などが確認されました。最新の発掘成果を踏まえて、来村先生に詳しくご解説いただきます。
また、数百年にわたって続けられてきた「古墳築造」という文化が、そのあとどこへ向かうのかについても解説いただきます。
このシリーズは、近鉄の文化事業・近畿文化会からの講師派遣と企画協力により制作しております。
近畿文化会は、文化冊子『近畿文化』を毎月発行し、専門の先生のご案内で社寺や史跡などを訪ねる現地見学会(臨地講座)を月に2回開催することを軸に活動しています。詳しい情報は下記のリンクからご覧ください。
近畿文化会ホームページ
www.kintetsu-g-hd.co.jp/culture/bunka/
#近鉄
#近畿文化会
#臨地講座
#来村多加史
#中尾山古墳
#八角墳
#天皇陵
#終末期古墳
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【Googleマップ検索禁止】観光ガイドマップだけで歩く山の辺の道② 金屋の石仏~大神神社
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わが国でもっとも古い道のひとつとされる「山の辺の道」。 南は古代の交通の要衝・海石榴市から、奈良盆地東部に連なる山々の山裾を縫うように北上し、奈良へと至ります。 ハイキングコースとしても名高い山の辺の道を、桜井駅構内で入手した観光ガイドマップだけを使って踏破します。いつもはグーグルマップ片手にあちこち歩き回っておりますが、このシリーズではグーグルマップを検索しないで歩こうと思います。 第2回目となる今回は、金屋の石仏付近から、大神神社へ向かいます。果たして梅前は迷子にならず歩くことができるのでしょうか。 大和の古墳チャンネルさん「金屋の石仏」 ruclips.net/video/dwcipmu72Iw/видео.html #山の辺の道 #日本最古の道 #マップ検索禁止 #観光ガイドマップ #金屋の石仏 #磯城瑞籬宮 #崇神天皇 #欠史八代 #大神神社 【帝塚山大学考古学研究所ユーチ...
ふたつの尾根に囲まれた【王者の立地】中尾山古墳! その谷の先に存在するのは? 近鉄・近畿文化会 臨地講座 人気講師と行く飛鳥 シーズン3第10回
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「近鉄・近畿文化会 臨地講座 人気講師と行く飛鳥」シーズン3 第10回目の今回は、中尾山古墳からお届けします。 ふたつの尾根に囲まれた、まさしく「中の尾根」に存在する中尾山古墳。尾根を従え、堂々とそびえるその姿は「王者の古墳」の名にふさわしい風格です。今回の動画では、普段は見落とされがちな中尾山古墳の「立地」について、臨地講座でも超人気の講師・来村多加史先生に詳しく解説していただきます。スイートポテトのような形状の中尾山古墳が乗る尾根の先に見えるのは、一体何なのか。 このシリーズは、近鉄の文化事業・近畿文化会からの講師派遣と企画協力により制作しております。 近畿文化会は、文化冊子『近畿文化』を毎月発行し、専門の先生のご案内で社寺や史跡などを訪ねる現地見学会(臨地講座)を月に2回開催することを軸に活動しています。詳しい情報は下記のリンクからご覧ください。 近畿文化会ホームページ www...
【Googleマップ検索禁止】観光ガイドマップだけで歩く山の辺の道 桜井駅~海石榴市
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わが国でもっとも古い道のひとつとされる「山の辺の道」。 南は古代の交通の要衝・海石榴市から、奈良盆地東部に連なる山々の山裾を縫うように北上し、奈良へと至ります。 ハイキングコースとしても名高い山の辺の道を、桜井駅構内で入手した観光ガイドマップだけを使って踏破します。いつもはグーグルマップ片手にあちこち歩き回っておりますが、このシリーズではグーグルマップを検索しないで歩こうと思います。 第1回目となる今回は、桜井駅から、古代の交通の要衝とされる海石榴市付近へ向かいます。果たして梅前は迷子にならず歩くことができるのでしょうか。 【隠国の初瀬をゆく シリーズ】 ruclips.net/p/PLGhoeUWZeiMzIQdXL5TUxg_4XkY0oxots 【藤原京の中軸線を歩く シリーズ】 ruclips.net/p/PLGhoeUWZeiMxvWoKB-FPLfk9lFPJmwqm5 ...
【彼女の視線の先にあるものは】高松塚古墳壁画について来村多加史先生が徹底解説! 近畿文化会 臨地講座 人気講師と行く飛鳥 高松塚古墳【後編】
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「近鉄・近畿文化会 臨地講座 人気講師と行く飛鳥」シーズン3 第9回目の今回は、発見当時日本中を巻き込む大ニュースとなった「高松塚古墳壁画」についてお届けします。 千年以上の眠りからさめ、私たちの前に姿を現した高松塚古墳壁画。その姿を詳細に見ていくと、被葬者の人物像や、生前の暮らしぶりをうかがい知ることができます。残された人々が壁画に託した思いとは。さらに、鎌倉時代と思われる盗掘の際に、盗掘者たちがどのような行動を取ったのかまで、古墳は語ってくれます。 今回も、臨地講座でも超人気の講師・来村多加史先生をお迎えし、高松塚古墳壁画について詳しく解説していただきます。 このシリーズは、近鉄の文化事業・近畿文化会からの講師派遣と企画協力により制作しております。 近畿文化会は、文化冊子『近畿文化』を毎月発行し、専門の先生のご案内で社寺や史跡などを訪ねる現地見学会(臨地講座)を月に2回開催するこ...
【横大路を歩く・後編】古代の幹線道路・横大路を歩きながら藤原京と平城京の造都理念について考える
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古代の幹線道路・横大路。西は難波へ、東は伊勢へと続く、わが国で最も古い道のうちのひとつとされています。 奈良盆地南部では、上ツ道・中ツ道・下ツ道と交差しており、藤原京の時代には、三条大路として機能していました。東西南北10区画に区割りされていた藤原京の、中央の4×4区画は、北は横大路(三条大路)、南は七条大路、東は中ツ道、西は下ツ道という、4本の幹線道路によって区切られていました。 また、中ツ道を北に延ばした先は、平城京の東限(東に出た部分を除く)となっており、下ツ道は平城京の正門である朱雀門へと続いていました。中ツ道と下ツ道は、藤原京と平城京というふたつの都にとって、とても重要な道であったことになります。 それらの道と交差する「横大路」は、現代でも風情ある道路として、近鉄線やJR線と並行して走っています。その横大路を、上ツ道から下ツ道まで歩きます。後編の今回は、中ツ道との交差点から...
【谷の奥から何が見える】高松塚古墳立地の謎を解く 近畿文化会 臨地講座 人気講師と行く飛鳥 高松塚古墳【前編】
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「近鉄・近畿文化会 臨地講座 人気講師と行く飛鳥」シーズン3 第8回目の今回は「高松塚古墳」からお届けします。 同時期に造られたキトラ古墳と同じように、この高松塚古墳も、谷の最奥部から少しだけずれた場所に造られています。雄大な谷の奥から谷の入口を見ると、その先に見えるのは……。 今回も、臨地講座でも超人気の講師・来村多加史先生をお迎えし、今までとは異なる視点で高松塚古墳を探訪します。 このシリーズは、近鉄の文化事業・近畿文化会からの講師派遣と企画協力により制作しております。 近畿文化会は、文化冊子『近畿文化』を毎月発行し、専門の先生のご案内で社寺や史跡などを訪ねる現地見学会(臨地講座)を月に2回開催することを軸に活動しています。詳しい情報は下記のリンクからご覧ください。 近畿文化会ホームページ www.kintetsu-g-hd.co.jp/culture/bunka/ #近鉄 #近...
【無謀】古代の幹線道路・横大路を歩いてみた【前編】~上ツ道交差点から中ツ道交差点まで~
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【天文図に込められた意図】キトラ古墳の天文図を読み解く! 近畿文化会 臨地講座 人気講師と行く飛鳥 キトラ古墳後編
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「近鉄・近畿文化会 臨地講座 人気講師と行く飛鳥」シーズン3 第7回目の今回は、「キトラ古墳」後編をお届けします。 鮮やかな四神の壁画で有名なキトラ古墳。鎌倉時代に盗掘に遭いながら、朱雀や玄武の姿が残ったのはなぜなのか。そして、天井を飾る天文図について、来村先生に詳しくご解説いただきます。 このシリーズは、近鉄の文化事業・近畿文化会からの講師派遣と企画協力により制作しております。 近畿文化会は、文化冊子『近畿文化』を毎月発行し、専門の先生のご案内で社寺や史跡などを訪ねる現地見学会(臨地講座)を月に2回開催することを軸に活動しています。詳しい情報は下記のリンクからご覧ください。 近畿文化会 臨地講座 人気講師と行く飛鳥 キトラ古墳 前編 ruclips.net/video/4OSC-IxYD5U/видео.html 近畿文化会ホームページ www.kintetsu-g-hd.co.j...
【またまた迷子】磐余に秘められた謎を追え!最終回「用明天皇の王宮・池邊雙槻宮の謎に挑む」
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飛鳥に王宮が置かれる以前、つまり飛鳥時代が始まる前まで、数々の王宮が置かれた地・磐余。香久山の北東麓にあたるその場所は、王宮が営まれるにふさわしい、神聖な土地だったことがうかがえます。今回のシリーズでは、その磐余と呼ばれる土地に焦点を当て、そこに秘められた謎の解明に挑みます。 今回は、用明天皇が宮としたという「池邊雙槻宮」について考えます。 『日本書紀』によれば、用明天皇の池邊雙槻宮の南に、厩戸皇子の宮である「上殿」が置かれたとされており、それゆえ厩戸皇子は上宮厩戸豊聡耳太子と呼ばれたと書かれています。つまり、用明天皇の池邊雙槻宮は厩戸皇子の上宮の「北」にあったということになるのですが、現在、厩戸皇子の上宮は「上之宮遺跡」が有力な候補地とされており、その北側には、「双槻(ふたつき)神社」の古名を持つ「石寸山口神社」、さらには、西池田、東池田などに隣接する小字名「君殿」など、王宮を連想...
【谷の最奥部から何が見える?】キトラ古墳に秘められた「ずらしの工夫」 近畿文化会臨地講座人気講師と行く飛鳥 キトラ古墳 前編
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「近鉄・近畿文化会 臨地講座 人気講師と行く飛鳥」シーズン3 第6回目の今回は、「キトラ古墳」前編をお届けします。 キトラ古墳が築かれた谷の最深部から入口を見ると、雄大な風景が広がります。それは、この古墳を築いた人々の思いを乗せたものだったのかもしれません。 キトラ古墳の立地、そしてそこに秘められた工夫。発掘当時の秘話も交えながら、来村先生にご解説いただきます。 このシリーズは、近鉄の文化事業・近畿文化会からの講師派遣と企画協力により制作しております。 近畿文化会は、文化冊子『近畿文化』を毎月発行し、専門の先生のご案内で社寺や史跡などを訪ねる現地見学会(臨地講座)を月に2回開催することを軸に活動しています。詳しい情報は下記のリンクからご覧ください。 近畿文化会ホームページ www.kintetsu-g-hd.co.jp/culture/bunka/ #近鉄 #近畿文化会 #臨地講座 ...
【なぜ同じ名前?】履中天皇磐余稚桜宮の伝承を持つふたつの神社・稚櫻神社と若櫻神社を訪ねる
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飛鳥に王宮が置かれる以前、つまり飛鳥時代が始まる前まで、数々の王宮が置かれた地・磐余。香久山の北東麓にあたるその場所は、王宮が営まれるにふさわしい、神聖な土地だったことがうかがえます。今回のシリーズでは、その磐余と呼ばれる土地に焦点を当て、そこに秘められた謎の解明に挑みます。 今回は、同じ読みを持つ「稚櫻神社」と「若櫻神社」の謎に挑みます。 履中天皇が宮としたという「磐余稚桜宮」は、その名前と伝承から磐余池の近くにあったと推測されますが、現在、磐余稚桜宮の伝承地とされるのは、桜井市池之内にある「稚櫻神社」と、同じく桜井市谷にある「若櫻神社」の二カ所があります。 同じ読みの名前を冠するふたつの神社は、直線距離にして1.6㎞離れています。決して近いとはいえないふたつの神社が、なぜ同じ伝承を有しているのか。どちらが本当の「磐余稚桜宮」だったのか。 磐余池の所在とも絡んで謎多きこの問題を、実...
【村人たちが守った】「ここはあの皇子の古墳!」1000年にわたって村が守り抜いた古墳・束明神古墳
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「近鉄・近畿文化会 臨地講座 人気講師と行く飛鳥」シーズン3 第5回目の今回は、「束明神山古墳」後編をお届けします。 大らかな谷の奥近く、突き出た尾根の上を大規模に整地して造られた束明神古墳。古くから近隣の人々に親しまれ、守られてきたこの古墳の成り立ちや歴史を、来村先生にご解説いただきます。 束明神古墳「前編」ruclips.net/video/gBPf3IbXzaA/видео.html このシリーズは、近鉄の文化事業・近畿文化会からの講師派遣と企画協力により制作しております。 近畿文化会は、文化冊子『近畿文化』を毎月発行し、専門の先生のご案内で社寺や史跡などを訪ねる現地見学会(臨地講座)を月に2回開催することを軸に活動しています。詳しい情報は下記のリンクからご覧ください。 近畿文化会ホームページ www.kintetsu-g-hd.co.jp/culture/bunka/ #近鉄...
【本当にここなのか】大津皇子が慟哭の歌を詠んだ「磐余池」その所在地の謎を追う
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飛鳥に王宮が置かれる以前、つまり飛鳥時代が始まる前まで、数々の王宮が置かれた地・磐余。香久山の北東麓にあたるその場所は、王宮が営まれるにふさわしい、神聖な土地だったことがうかがえます。今回のシリーズでは、その磐余と呼ばれる土地に焦点を当て、そこに秘められた謎の解明に挑みます。 今回は「磐余池」。 『日本書紀』によれば、履中天皇の時代、磐余の地に池が造られ、履中天皇はそこに船を浮かべて皇后と楽しんだとされています。 時代は下り、天武天皇が崩御してのち、謀反の疑いをかけられ死罪を言い渡された大津皇子は、磐余池のほとりで自らの運命を嘆く歌を詠み、それは『万葉集』に残されています。 吉備池の南、東池尻と池之内地区での発掘調査の結果、堤の痕跡が見つかり、そこに大きな池があったことが確認されました。現在、その池こそが、古代の磐余池とする説が有力となっています。 ところが、異説も存在します。平...
【被葬者は誰? 名前の由来は?】束明神古墳・前編 近畿文化会 臨地講座 人気講師と行く飛鳥 シーズン3
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【谷を使って造られた終末期古墳】マルコ山古墳 ③ 近畿文化会 臨地講座 人気講師と行く飛鳥 シーズン3
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シーズン3開幕【なぜ壁画は描かれなかった?】マルコ山古墳 近畿文化会 臨地講座 人気講師と行く飛鳥
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【くいこむように造営されたふたつの古墳】佐紀陵山古墳と佐紀石塚山古墳
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【奈良時代の鹿鳴館?】「松林苑」の築造に翻弄された3つの古墳の謎を追う
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「聖なるライン」に乗っている?それとも偶然?【菖蒲池古墳】近畿文化会臨地講座人気講師と行く飛鳥2
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陪塚より後に築造された?【謎多き古墳・ヒシアゲ古墳】佐紀古墳群レーザ測量の地を歩く3
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【宝来山古墳】佐紀古墳群 航空レーザ測量の地を歩く 垂仁天皇・菅原伏見陵
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自分的には、こちらの古墳も、牽牛子塚古墳や三津屋古墳のように復元整備されたら良いなと思っています。
中尾山古墳を復元したらすごいことになるでしょうね。
壁画の説明に感嘆しきりでした。ありがとうございます。
>壁画の説明に感嘆しきりでした。 嬉しいコメントありがとうございます。来村先生の解説は、本当にわかりやすくて面白いです。
今回のシリーズも楽しく拝見しました☺️ 中尾山古墳は、近くの高松塚古墳が有名すぎて、やや見過ごされがちですが、ほぼ確実に天皇陵ですし、秋🍂には紅葉の名所。もっと注目度が高くてもいいのかな、っていつも思ってます。
いつもありがとうございます。以前、ホームベース紹介されてましたね♪ おお、通だ!と拝見しました。 おっしゃる通り、高松塚古墳に押されていますが、スゴイ古墳ですよね。高松塚から一度谷に下りてまた上るのが、地形を実感できていいと思います。
4月に中尾山古墳に行ったときに、何だろう?と、ホームベースをナデナデして来ました😂 知っていれば違う楽しみ方も出来たのに😭と残念に思いました 無知は罪ですね😭
4月に中尾山古墳にいらしたんですね。そうなんです、ホームベース、説明がないのでなんだかわかりませんよね。次回いらした際にはぜひ確認してみてください♪
ホームベースがあったんですね。飛鳥を再訪する時はしっかり見てみたいです。
ハルキー先生コメントありがとうございます♪ そうなんです、あのホームベース、言われなければわかりませんよね! 確認された場所にしか置かれていないので、数は少ないのですが、古墳の規模を実感できます。
畏れ多いお話です。有難うございます。
コメントありがとうございます。 そうなんです、ここが本当の文武天皇陵だとしたら(ほとんど間違いないと思われますが)、おっしゃる通り、畏れ多いお話ですよね。
@@umemaeSakiko 文武天皇はお隠れをお好みなのでしょうか。この地の文武天皇陵を密かにお護りしたい思いもあります。
古墳の立地と文武天皇の生涯、墳丘の形状、石室と文献の一致等々、 これだけ状況証拠が揃っているのに(本当の)文武天皇陵として認めないというのであれば 宮内庁書陵部の職務放棄に等しいですね。 見瀬丸山古墳も今城塚古墳も・・・
コメントありがとうございます。 おっしゃる通り、宮内庁治定にはあきらかに間違ったものが含まれていますが、今さら変更はできないというのが実情ではないでしょうか。そのあたり、宮内庁も苦しいと思います。 我々歴史ファンからすれば、治定が間違ってくれたおかげで、こうしてずかずかと天皇陵(たぶん)の領域に立ち入れるわけです。
動画の中で特に説明がなかったのですが、柵の内側の墳丘に石が並んで露出しているのは葺石とは違うんですか?
コメントありがとうございます。 ご指摘の件については先生に伺いそびれました。申し訳ありません。
@@umemaeSakiko 了解しました。ありがとうございます。
シャンプーハット部分が意外と広く、高貴な方の古墳であることがよくわかります。 持統天皇も火葬であったと聞いておりますが、こちらの被葬者も火葬なのですね。私の祖父母の田舎では60年くらい前まで土葬だったので、ちょっと驚きました。とはいえ、飛鳥時代に火葬場があるはずもなく、火葬は火葬で大変だったと思います。 天皇の陵墓の可能性大なのにシャンプーハットまで入れてもらえるのはラッキーですね😊ありがとうございました。
コメントありがとうございます。 >飛鳥時代に火葬場があるはずもなく おっしゃる通りです。結構大変だったと思います。石室内を荘厳に飾り立てるほどに御遺体そのものが大切だった時代に、火葬するというのは、かなり勇気が必要だったと思います。
大変勉強になりました。ガイドさんと訪れ、是非復元して頂きたいと思いました。
大変ありがとうございます。楽しく拝見いたしました。次回も楽しみにお待ちしております。
いつもご視聴ありがとうございます。これからもよろしくお願いいたします♪
今回も楽しませて頂きました。「ガイドは必要ですよね」、本当に仰る通りです。 ありがとうございました ♥
コメントありがとうございます。 そうなんです。あんなにすごい中尾山古墳も、先生に解説していただかなかったら「単なる小山」にしか見えなかったと思います。
尾根いっぱいに古墳があったんですね。何度も行きましたが改めてそう感じました。
コメントありがとうございます。 おっしゃる通り、中尾山古墳は、尾根いっぱいに造られていたようです。なんなら、尾根を広げて(造成して)いるようです。すごい古墳だった!という驚きが、皆さまに伝わっていたら嬉しいです。
動画ありがとうございます。来村先生の説明、教えていただかなければわからないことばかりで、細やかで勉強になりました。葺石が丸かったこと、今回知りました。丸い石を集めたのか、削ったのか、大変な量ですよね。当時の方々の例えば石室を造るときとか、八角形とか、発想とか知恵とか、思いを巡らせるとただただ凄いなぁ〜と感心するばかりです。そろそろ「廃寺シリーズvol.2」とかいかがでしょう。次回も楽しみにしております。
コメントありがとうございます。 おっしゃる通り、来村先生の解説は、本当に勉強になりました。私の驚きが皆さんに伝わっていたら嬉しいです。 廃寺シリーズ、やりたいですね♪ やりたいこと、歩いてみたいところがたくさんあって、なかなか体と資金(笑)が追い付きません。
動画拝見させていただきました。歩いていける距離に古墳や東大寺や興福寺などありますけど 恥ずかしながら、いざとなったらいつでも行けるし…みたいな感じで立ち寄ることもなかったのですが 地元にはこんな貴重なものがあるんだと再認識させられました。近くにあるとありがたみってなかなか感じられないものですね… 飛鳥古寺手帖の動画も面白く見させていただいてます
コメントありがとうございます。 歩いていける距離に東大寺や興福寺があるんですね! 羨ましいです。確かに、いつでも行けるとなるとなかなか行かないものですよね。私の家の近くにもちょっと有名な古刹があるのですが、昨年初めて行ったくらいです。 お散歩がてら、あちこちお出かけになってみてください。私の動画がそのお手伝いをできるなら、これ以上の幸せはありません。
さよなら(?)です。 また、何処かでお会いしましょう(^O^)
>さよなら(?)です。 また、何処かでお会いしましょう(^O^) ありがとうございました。お元気で。
なんで中大兄は蘇我日向の告げ口を簡単に信じたのか、義理のお父さんより、その人の異母弟を信じるとは、不自然だ。中大兄は何でも言われると、信じる性格だったのだろうか。死が迫った時に大海人皇子を呼んで、天皇になってくれと言って、皇子を試したという疑い深い人間だったようだが、若いころには、なんでも信じる性格だったのだろうか。
>なんで中大兄は蘇我日向の告げ口を簡単に信じたのか おっしゃる通りです。この事件はとても謎が多いです。『日本書紀』は天武系礼賛の書物ではありますが、成立当時の天皇が中大兄や石川麻呂の血を引いていたことも考慮する必要がありそうです。彼らを無理矢理「善人」にしようとするあまり、ちぐはぐな記述になってしまったのではないかと個人的には考察しています。
大和古墳チャンネルで鳥谷口古墳見ました。あのひげきの皇子大津皇子の古墳ということで興味深く拝見しました。もっと見たいのと、梅前さんの視点で見てみたいです。よろしくお願いします。田舎の夢見る高齢者より。
>大和古墳チャンネルで鳥谷口古墳見ました。 ありがとうございます! 鳥谷口古墳、まだ一度も行ったことがないので、行ってみたいです。
すみません m(__)m。 3:57付近で「うど半島」と言ってらっしゃいますが 地元九州では濁らず「うと半島」と読んでいます 熊本市に次ぐ宇土市も「うとし」と表現しています
ご指摘ありがとうございます。地名は難しいですね。
もう一台、住所設定してナビにすればかなり迷いにくくなることでしょう。
>もう一台、住所設定してナビにすればかなり迷いにくくなることでしょう。 おっしゃる通りです。頑張ります。
私も歩きたい! 次も楽しみにしています
>私も歩きたい! 次も楽しみにしています 嬉しいコメントありがとうございます♪
桜井駅から三輪神社まで歩いた事ないです。私も案内地図を持っているので、こんど、後追いしてみます。
>桜井駅から三輪神社まで歩いた事ないです。私も案内地図を持っているので、こんど、後追いしてみます。 ぜひぜひ! 桜井駅から海石榴市付近までは交通量が多い道があるので、あまり楽しくはないのですが、三輪山がだんだん近づいてくる高揚感がとてもいいです。
雨にもあわず道にも迷わない回ありがとうございます😊 いつも楽しく拝見しています。欠史八代はまさしくその通りと思いました。完全な創作ということはない、研究が進めばいずれ(今までもそうだったように)そのうち分かってくることもあるだろうと思っています。
>欠史八代はまさしくその通りと思いました。完全な創作ということはない、研究が進めばいずれ(今までもそうだったように)そのうち分かってくることもあるだろうと思っています。 まさしく私の言いたかったことを簡潔にまとめていただきありがとうございます。他の方も書かれているように、「八代」にも意味があると思っています。
歴史散歩の好きな退職老人です。臨場感たっぷりの動画がうれしいです。行きたいところも回り切れないのでありがたく思っています。時間を経て逝く頃には、自分が行った記憶になっているかもしれません。
ありがたいコメント、嬉しく拝読いたしました。 おっしゃる通り、人生の時間には限りがあり、すべての場所を歩けるわけではありません。なので、 >自分が行った記憶になっているかもしれません。 というお言葉は、もしもそうなれるのであれば本当に嬉しく、動画を作った甲斐があったと心から思いました。これからも、そんなチャンネルになれるよう頑張ります。本当にありがとうございました。感謝いたします。
明日香周辺を移動する際には東西南北の見極めが本当に難しくて小さな迷いは男でも頻繁に起こります、やはり古墳に葬られる古代支配者方々の魂のイタズラ、あやかしなのでしょうかw
>明日香周辺を移動する際には東西南北の見極めが本当に難しくて小さな迷いは男でも頻繁に起こります ううう、方向音痴に貴重な励ましをありがとうございます。 明日香付近もそうなのですが、奈良盆地の南側は北西へ向かって傾斜しているので、川や道もそれに沿っており、それで方向感覚が狂うのかもしれません。私の場合はひどすぎですが(笑)
この石仏は向かいにある喜多美術館の爺さんが、山の上からここまで下ろしてきたと言ってたよ。と言うことから三輪山に古墳があったと言うことかもです。
>この石仏は向かいにある喜多美術館の爺さんが、山の上からここまで下ろしてきたと言ってたよ。と言うことから三輪山に古墳があったと言うことかもです。 貴重なお話、ありがとうございました! 山の上にあったものなんですね! その労力と実行力にも脱帽です。
欠史は10代です。明治時代に津田左右吉が文献考証して学説を発表、学会にも認められていましたが、昭和の軍国主義時代、天皇対する不敬罪で訴追され、貴族院議員も辞めざるを得ませんでした。考古学史上存在が確実視されているのは今城塚古墳の継体天皇です。
欠史十代は『古事記』に系譜のみが記される第24代仁賢天皇から第33代推古天皇のことを指します。 私が動画の中でお話した欠史八代は、第2代綏靖天皇から第9代開化天皇までのことで、欠史十代の天皇とは異なります。 説明の仕方が稚拙で申し訳ありません。詳しくは以下をご参照ください。 ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AC%A0%E5%8F%B2%E5%8D%81%E4%BB%A3
磯城瑞籬宮跡には寄ってなかったので、参考になりました。大和三山が遠く望めるのですね。古代の旅人も歩を止めて眺めたことと思います。 今秋の奈良旅行は明日香を中心に2泊だけ・・・と考えていましたが、山の辺の道も歩きたくなりました。
山の辺の道、本当に良かったです! 単調でなく、景色が次々と移り変わって、素晴らしいウォーキングコースだと思いました。おっしゃる通り、古代の旅人も足を止めて風景を眺めたことでしょうね。そんな想像もしながら歩くのは本当に楽しかったです。一部分だけでも楽しいので、ぜひお出かけくださいませ。
こんにちは。 金屋の石仏は、何回か観させて頂きましたが光の関係でよく見えなかった覚えがあります。 2月に周られた様ですか、三輪ではにゅうめんを食べられたのかな? この先も楽しみにしてます。
金屋の石仏、何回かいらしたことがあるとのこと、嬉しくコメント拝見しました。引き続きよろしくお願いいたします♪
私も、神武天皇は大和国を勢力範囲に収めたしたローカル王者としての「はつくにしらすすめらみこと」。 崇神天皇は畿内とその周辺を勢力範囲に収めたした統一王者としての「はつくにしらすすめらみこと」。 そのように理解しております。 欠史八代は在位期間等明らかな無理を押して八代にしていることにポイントがあると思います。 完全な作り話ならば、欠史20代ぐらいにすることもできたはず。 それをしなかったのは八代とする理由があるからだと思っております。
なるほどなるほど。貴重なご教示ありがとうございました。八代とする理由があったとのお話、その通りだと思いました。
史跡紹介や背景にある歴史の解説は無論の事、道に迷う、ピントが合わない、その他諸々のあたふたも毎回楽しく拝見させて頂いております❗
>道に迷う、ピントが合わない、その他諸々のあたふたも毎回楽しく拝見させて頂いております そう言っていただけると本当に嬉しいです♪ それが私のチャンネルの最大の「売り」ですかね?(笑)
ピントが合わないと言って、他の動画をお勧めするあたりw梅前さんらしくて 好きです。右側の仏様は少し見えていましたね。続きが楽しみです。😊
>ピントが合わないと言って、他の動画をお勧めするあたりw梅前さんらしくて 好きです。 ありがとうございます。現地では写っていたような気になっていたのですが、帰ってから見返したら全然ダメでした(T_T) 大和の古墳チャンネルさんの動画、素晴らしいのでぜひご覧くださいませ♪
久し振りの 梅前ひとりしゃべり 良いですね! 山野辺の道屈曲していますが分岐・交差には必ず道標有り 如何に迷子名人の梅前さんでもとは思うのですが。 このペースで行きますと相当長いシリーズになりそうですね。 楽しみです!
いつもご視聴ありがとうございます♪ そうなんです、迷いそうになるとちゃんと道標があるんです。本当に助かりました。これからもお楽しみに♪
大神神社では、御札とか記念のグッズを買い求めましたか😉
>大神神社では、御札とか記念のグッズを買い求めましたか 大神神社の荘厳な雰囲気に圧倒されて、グッズを買い求めるのも忘れてしまいました。素晴らしい神社でした。
いつも素敵な動画、ありがとうございます。 ところで、本動画とは直接の関係がありませんが、『詳説日本史』(山川)の英訳本、この3月に発行されていたんですね。 これを知って、さっそく発注しました。4月で、早くも第2刷になっていました。 『詳説世界史』(2019年8月)と併せて精読したいと思います。 日本史は500頁以上あり、なかなかのボリュームです。 (CAM)
「欠史八代」を考えると、「葛城王朝説」を避けることはできないと思います、 梅前さん、「山辺の道」の後は、「葛城古道」にも足をお運びください。 (CAM)
いつもご視聴&コメントありがとうございます。また、貴重なご教示にも感謝申し上げます。
今回も楽しませて頂きました。詳しいご説明・案内ありがとうございます 💛💛💛💛 お風邪は後引きなく完治されましたでしょうか。
ご視聴ありがとうございます。風邪、結構長引いています。夏風邪はしつこいようですね。ご心配ありがとうございます。
民草1号:皇女さま今日も宜しくお願いします。 この時代、石棺の石はよく転用されていますね。 最近、短編が多いですね。 悲し〜 次回、楽しみにいたします。
いつもご視聴ありがとうございます。石棺の石には、何か霊的な力が宿っていると考えられていたのかもしれませんね。
現存する遺跡、奈良、平安時代の寺院、神社、お城、その他ありとあらゆる歴史的遺構は後世の人々の手によって補修、保存、建て替えなどを経て私達現代人の好奇心を満たしてくれている訳です、過去の保守、保存がなければ全て消え去って跡形も無くしてしまったかも知れません、キトラ、高松塚古墳、その他多くの遺構は現代技術による保存がなければ数世紀後の人々の目にとまる事はなかったですよね、過去の人々の努力に敬意をはらいこそすれ、それが迷惑等と私達は思わない。 それが貴方の問いかけに対する未来人からの答えだと思いますよ。
>過去の人々の努力に敬意をはらいこそすれ、それが迷惑等と私達は思わない。 それが貴方の問いかけに対する未来人からの答えだと思いますよ。 貴重なコメント、ありがとうございました。おっしゃる通りですね。
昨日前日に雨が降った梅雨の時期に 蓮の花を見るために行って来ました 北の駐車場から歩いて行くのに 水たまりのないとこ歩いて行くのに苦労しました その時この動画を思い出して帰ってから見ております
コメントありがとうございます♪ 藤原宮跡はいつ行っても何かのお花が咲いていますね。今は蓮とのこと、さぞかし美しかったと拝察します。 宮跡が美しく整備され、花が咲いて人々が集うのを、文武天皇も嬉しく見ているのではないでしょうか。
さすがに今日はグチと泣きのオンパレード😂 だけど、広大な宮域ですね、ご苦労様でした。
コメントありがとうございます♪ 藤原宮跡、冗談抜きで水田かと思いました。
一緒に田植えしましょうか?(^O^) なんて、何事も無かったから言えるんですけどね♪
今回も楽しく拝見しました😄山の辺の道は以前自分も歩きまして、とても印象に残っています。山裾をうねうねと通っているので、古代の湖沿いの道だったかもしれないというのは、大いに考えられると思いました。 ちょっと違う話ですが、磐余池や狂心渠などは、理由はあるにせよ、なんでそんな大変なものを造る気になったのかと疑問でしたが、当時は今よりも湖の名残の湿地が多く、大変ではあるにせよ出来なくはない、という感じだったのかな、などと妄想したりしています。 続編の動画も楽しみにしております!
コメントありがとうございます♪ おっしゃる通り、地形を見ているとあれこれ想像がふくらみますよね。これからもたくさん想像(妄想?)していきたいです。
昨日、拝見しましたら、今日の朝日新聞デジタル版で6日に東京でシンポジウムがあった事が掲載されていました。梅前さんのRUclipsはとても勉強になりました。ありがとうございます。私は明日桜井市図書館での纏向学セミナーに行ってきます。
>昨日、拝見しましたら、今日の朝日新聞デジタル版で6日に東京でシンポジウムがあった事が掲載されていました。 かんだい明日香まほろば講座「最後の天皇陵古墳」ですね! 本当に本当に行きたかったのですが、どうしてもはずせない用事があって、今回は参加を見送りました。中尾山古墳でしたしね~(T_T) 纒向学セミナー、来村多加史先生御登壇ですよね! 羨ましい~私も行きたいです!
@@umemaeSakiko 様 来村先生のお話し、満席でした。これから東京へ行き明日は栃木に行くそうで、ネクタイ・スーツ姿で若々しく見えました。梅前さんのRUclips登場の時とはまた違う北村先生にお会いできて良かったです。
なるほど、飛鳥駅からではなくこちらから登ると分かりやすいのですね。そして先に欽明陵そのまた先に丸山古墳というわけですね。天皇陵として最高の立地だとわかりました。景観を感じながら古墳を歩くのは最高です。本当にいつもありがとうございます。
>なるほど、飛鳥駅からではなくこちらから登ると分かりやすいのですね。そして先に欽明陵そのまた先に丸山古墳というわけですね。天皇陵として最高の立地だとわかりました。 コメントありがとうございます。 県道のほうから上ってくる場合は、「スイートポテトの端」についている階段はけっこう急なので、尾根の端に沿うように上る道を使うのがいいかもしれません。 谷の先に平田梅山古墳というのは、来村先生に説明されて初めて気が付きました。古墳は石室や構造も奥深いですが、立地もまた知れば知るほど興味が尽きません。
失礼ながら雨女の本領発揮といった体ですね。にしても、梅前さんかなりの健脚ですね。札の辻交流館が閉まっていたので横大路と下ツ道の交差点到着は、夕方4時を過ぎていたのではないかと思います。一日2万歩以上歩いてませんか?横大路ウォーク堪能させていただきました。お疲れさまでした。ありがとうございます。
>一日2万歩以上歩いてませんか? 言われてみて初めて気になって、当日の歩数を調べてみました。なんと28,000歩。距離は18㎞でした。あの日は大福駅から出発し、磐余のあたりを散々歩いて(磐余に秘められた謎を追え!シリーズ)、やれやれと桜井駅に戻ろうとしたところ横大路にもらい事故してしまったというわけです。札ノ辻交流館は午後4時までなのですね。今度は4時前にたどり着けるようがんばります!
『飛鳥・藤原まるごと博物館検定公式テキストブック』(2023年10月発行)を取り出して見ました。 これによると、明治22年(1889)に、飛鳥村、高市村、阪合村の三村が成立したこと、阪合村の名は、檜隈坂合陵(ひのくまのさかあいのみささぎ)に拠ったと記されていますね(14頁)。陵の名は「坂」を使っています。 檜隈坂合陵については「平田梅山古墳」(明日香村平田)として説明されています(175頁)。 「中尾山古墳」(明日香村平田)については、176頁。「高松塚古墳」(明日香村平田)については、177頁。
来村先生の仰るように、昔は登って見学できました。懐かしくお聞きしました。 天武の聖なるライン上に乗る古墳ですね。 先日、有楽町朝日ホールで開催されました関西大学・明日香村主催の「かんだい明日香まほろば講座・最後の天皇陵-火葬と改葬ー」で、中尾山古墳が取り上げておられました。拝聴いたしましたが、なかなか有意義な時間でした。 パネラーの方々のお話しをもっと聞きたかったのですが、時間が短くて残念でした。 宮内庁が現在治定されている文武天皇陵が、どのような経緯で現在の場所になったかも取り上げられており、興味深かったです。 五角形の件ですが、治定されている範囲が五角形で、陵墓地形図を見ると、小規模な円墳状の高まり(径15m、高3.5m程度)があり、その後ろが台形上の斜面になっているようです。
コメントありがとうございます♪ かんだい明日香まほろば講座、行かれたんですね。私は所用があり行くことができませんでした。とても残念でした。 宮内庁治定の文武天皇陵は、小規模な円墳なのですね。ただ、火葬されているので古墳の規模で測れないのが難しいところです。来村先生の説でいけば(動画の中でも説明下さっていましたが)、谷を存分に使って造られた中尾山古墳こそが王者の古墳にふさわしい、ということになるのですが、こればかりは断定することができないのがもどかしい限りです。
今回も勉強になりました。 こういう立地になっていたんですね😮 実は先週末にここにも立ち寄ったのですが、いつも逆側から登っていくので、こういう地形がよくわかりませんでした。先にこの動画を拝見してたらなー。まあ、駅からも近いですし、また行って実感してみます。
いつもありがとうございます♪ 中尾山古墳は、歴史公園館側から上ると結構な急登ですよね。来村先生がおっしゃるには、あれが尾根の先っちょ(スイートポテトの美味しいところ)だそうです。先っちょをぐるりと回っていく道もありますよね。今頃は紅葉が青々と茂っているでしょうね。また素敵な写真をよろしくお願いします♪
何度もシツコイようですが、母は明日香村(字平田)出身でした。 明日香村に統合される前は「阪合村」と称していました。「阪合村」であって、「坂合村」ではなかった。 「坂」ではなく「阪」を使ったのは、「大坂」が「大阪」に変わったようなものでしょうかね。 「平田」という字名にしても、「阪合村」という村名にしても、どこにでもありそうな地名ですね。 昔の記憶はもうかなりおぼろげなのですが、高松塚の近くに「阪合小学校」が存していたように思います。小学校は統合されたのか、どなたか、教えてください。 昨年、年下の従弟がなくなり、明日香村には親しい血縁者は無くなりました。(CAM)
コメントありがとうございます。 「坂」という字を避けたのは、「土に返る」すなわち「死」というイメージを払拭するためだったという説があります。言葉遊びのようですけれど、さすが言霊の国という気もします。
中尾山ってそういう語源だったんですね。また、賢くなりました。(^^)
>中尾山ってそういう語源だったんですね。 そうなんです! 私も初めて知りました! こういう「おお」っていう発見があるから古代史はやめられません♪
宮内庁が陵墓と認定する前に掘りに行かなきゃ!
>宮内庁が陵墓と認定する前に掘りに行かなきゃ! まあ、宮内庁はあの南側にある「檜隈安古岡上陵」を文武天皇陵としているので、それを変更することはないと思います。中尾山古墳の発掘調査の成果については、後編での来村先生の解説をお楽しみに♪
中尾山古墳の立地は極めて特徴的ですよね。 生前、持統天皇一族に手厚く庇護されていた状況そのまま 死後の世界でも同様に扱われているように見えます。 文武天皇のイメージそのままです。
>生前、持統天皇一族に手厚く庇護されていた状況そのまま 死後の世界でも同様に扱われているように見えます。 おっしゃる通りですね。ふたつの尾根に守られた、穏やかな場所。文武天皇のありようにこれ以上ふさわしい古墳はないような気がします。いや、そのありようこそが、文武天皇を短命たらしめたのではないかとすら思えてきます。