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「草壁さん」と呼ばれて大切にされていたのですね。村人があの手この手で治定を退けたのは、グッジョブでした。是非、行ってみたいと思います😊
地元の方の思いは重いものです。最初の方が、嘘をつくのは苦しかったと思います。今の自分の立場で思うと嘘つかざるを得ない。埋葬者は許してくださるでしょうか
コメントありがとうございます。皇子の陵墓としての治定を退けたのは、「草壁さん」として大切に守ってきた陵墓を、これからも自分たちの手で守っていきたいという強い意志によるものだと思います。それだけ草壁皇子に寄せる深い思いがあったのでしょうね。
同感です。束明神古墳は、草壁皇子を弔うために作られましたが、後には村人たちの心の拠り所にもなったのですね。千年を超える時のなかで、多くの困難もあったでしょうが、古墳を大切に守ってこられた皆さんに敬意を表したいと思います。
今シリーズも毎回勉強になります。発掘調査で歴史が塗り変えられる古墳、今日の技術で復元されて新たに生まれ変わった古墳、宮内庁管理の下で大切に守らている古墳、朽ち果てて忘れ去られた古墳…。その全てが歴史なんですね。飛鳥時代に思いを馳せれば馳せる程、その魅力の深みから抜け出せない自分が結構好きです。
>発掘調査で歴史が塗り変えられる古墳、今日の技術で復元されて新たに生まれ変わった古墳、宮内庁管理の下で大切に守らている古墳、朽ち果てて忘れ去られた古墳…。その全てが歴史なんですね。まさにおっしゃる通りです。それらの全てが歴史なんですね。どれが大切、どれが不要ということではなく、すべてが深い歴史を内包しているんですね。素敵なコメントありがとうございます。>飛鳥時代に思いを馳せれば馳せる程、その魅力の深みから抜け出せない自分が結構好きです。わかります~♪ どんどんはまっちゃってください飛鳥沼に(笑)
御所市柏原にも神武天皇の宮跡と伝わる神武天皇社があった。同じく明治時代に立ち退きを怖れた住人が、宮跡に繋がる記録を処分してしまったという。「草壁さん」もまたひとつの歴史のエピソードで非常に興味深かったですね。八角形の版築跡の話も傾聴ものでした👍️校庭の築山程度の古墳ながらえらいものが詰めこまれてました😲ありがとうございました🙏
>御所市柏原にも神武天皇の宮跡と伝わる神武天皇社があった。同じく明治時代に立ち退きを怖れた住人が、宮跡に繋がる記録を処分してしまったという。そうなのですね。詳しいご教示ありがとうございます。村の暮らしを守るための、やむを得ない措置だったのでしょうね。また、長年にわたってそこを守ってきたのは自分たちだという自負のようなものもあったのかもしれません。長い歴史と、人々の強い思いを感じさせます。
今回も楽しく拝見しました。元々は、今の姿よりももっと立派な古墳だったのですね。今はひっそりとした感じですが、このゴールデンウィークの明日香巡りにここに立ち寄って、その壮大な姿を想像してみようと思います😊
束明神古墳の平坦面は、サッカーコートの2/3くらいの広さがあったそうです。広いですよね! そこを掘り返して版築して、その上に乗っていた古墳なので、広さ的には石舞台古墳くらいのインパクトがあった古墳だと思います。また素敵なお写真よろしくお願いします♪
前編後編二回に渡り、とても興味深く見せて頂きました。いつか訪れてみたいと思いました。ありがとうございました。
コメントありがとうございます。束明神古墳、駅から少し離れていますが、付近の地形を感じながら歩くととてもいい行程です。ぜひお出かけになってみてください(^-^)
ありがとうございます!
応援ありがとうございます♪ これからも頑張ります!
いつもありがとうございます。小生も、先日(2024年4月29日)、飛鳥を訪ねました。 前日は暑い日であったようですが、当日は曇り空で、助かりました。 しかし、黄金週間にしては、石舞台あたりもそれほどの人出ではなかった。私事になりますが、4月29日は、明日香村出身であった亡母の生誕日です。 ひさしぶりに飛鳥をサイクリングしました。 これからも、自転車でまわりたいですね。 やはり飛鳥には自転車がよく似合う。 (CAM)
飛鳥をサイクリングなさったのですね♪ やはり「飛ぶ鳥の」という感じは、サイクリングが一番体感できますよね。これからもどうかお気を付けてサイクリングなさってくださいませ。>4月29日は、明日香村出身であった亡母の生誕日です。 そうだったのですね。明日香村を楽しんでいるお姿を見て、喜んで下さっているのではないでしょうか。
@@umemaeSakiko 飛鳥駅前の清潔な洋式トイレを使いながら、60年前を思い返していました。あの頃は、上水は井戸、トイレはもちろん汲み取り式でした。現在では、もう生活レベルは都市と変わりない。 母は60代で亡くなり、もう没後40年近くになります。 現在の明日香村の状況を見たら、どう言うだろうかと思います。
お初です。草壁皇子は意外と母ちゃんから逃げたかったりして。何せ従弟を自タヒさしてるでしょ。(呂后に弟を...の景帝みたいに)それに梅前さんが(多分 )お好きな(前回間違えた)牽牛子塚古墳と腰塚御門古墳の女性三人に持統天皇はハブられてたりして。だから野口王墓に無理から火葬してまで天武天皇のストーカー(?)天智天皇の4人の娘の内私が一番(どやぁ❤) でも。腰塚御門の大田皇女(推定)と斉明(皇極)天皇、間人皇后(推定)の三人でキャキャ、うふふ大田皇女(姉だよ!)からすれば.うののさらら(妹の分際で).はこっち見るな❗息子の仇め!かも。斉明天皇からすれば孫の仇でもある。(間接的に)それとQ.亀石は何故あそこに有るのでしょう?近くには大和郡山城、少し離れた場所に和歌山城。転用石で墓石や仏像まで使ってるのに、道端の石などごっつぁんですよね。ましてやアノ松永久秀の領。墓石の出来損ない?知ったこっちゃないってドンドン持ってけ!ドロボーだよ?何がワルいの。古代面白いですね。これからも楽しませて下さい。☔
楽しいコメントありがとうございます♪ 大田皇女と持統天皇の関係性については、想像が膨らみますよね。大津皇子も、お母さん(大田皇女)が長生きしてたらこんな女(持統)にしてやられることなんかなかったのに!と思ったことでしょう。で、亀石がなぜあそこにあるのでしょう?とのお問い合わせ(?)ですが、おっしゃる通り、なぜ中世に転用されなかったのか不思議ですね。何か封印でもかかっていた?とか考えてしまいます。諸説あるのですが、亀石は「人の生きる地域」と「人を葬る地域」を分けていたという説もあります。確かに、亀石から西南方向には古墳が多いですよね。まあ、なぜ転用されなかったのかについての答えにはならないのですがm(_ _)m今後ともよろしくお願いいたします♪
@@umemaeSakiko お返事ありがとうございます。亀石等飛鳥の巨石が残ったのは、私見ですが、時間では。築城ブームの時は破砕するにも技術か足らず加工しやすい素材を選んだ。それは岩屋山古墳の見事までの加工技術。それを後世で出来ないハズはなく。ただ時間では無かったかと。若い頃、狂心渠の前で住んでましたが、当時は知らなかった。黒岩重吾も読んでたのに....
「草壁さん」と呼ばれて大切にされていたのですね。村人があの手この手で治定を退けたのは、グッジョブでした。是非、行ってみたいと思います😊
地元の方の思いは重いものです。最初の方が、嘘をつくのは苦しかったと思います。今の自分の立場で思うと嘘つかざるを得ない。埋葬者は許してくださるでしょうか
コメントありがとうございます。
皇子の陵墓としての治定を退けたのは、「草壁さん」として大切に守ってきた陵墓を、これからも自分たちの手で守っていきたいという強い意志によるものだと思います。それだけ草壁皇子に寄せる深い思いがあったのでしょうね。
同感です。束明神古墳は、草壁皇子を弔うために作られましたが、後には村人たちの心の拠り所にもなったのですね。千年を超える時のなかで、多くの困難もあったでしょうが、古墳を大切に守ってこられた皆さんに敬意を表したいと思います。
今シリーズも毎回勉強になります。発掘調査で歴史が塗り変えられる古墳、今日の技術で復元されて新たに生まれ変わった古墳、宮内庁管理の下で大切に守らている古墳、朽ち果てて忘れ去られた古墳…。その全てが歴史なんですね。飛鳥時代に思いを馳せれば馳せる程、その魅力の深みから抜け出せない自分が結構好きです。
>発掘調査で歴史が塗り変えられる古墳、今日の技術で復元されて新たに生まれ変わった古墳、宮内庁管理の下で大切に守らている古墳、朽ち果てて忘れ去られた古墳…。その全てが歴史なんですね。
まさにおっしゃる通りです。それらの全てが歴史なんですね。どれが大切、どれが不要ということではなく、すべてが深い歴史を内包しているんですね。素敵なコメントありがとうございます。
>飛鳥時代に思いを馳せれば馳せる程、その魅力の深みから抜け出せない自分が結構好きです。
わかります~♪ どんどんはまっちゃってください飛鳥沼に(笑)
御所市柏原にも神武天皇の宮跡と伝わる神武天皇社があった。同じく明治時代に立ち退きを怖れた住人が、宮跡に繋がる記録を処分してしまったという。「草壁さん」もまたひとつの歴史のエピソードで非常に興味深かったですね。八角形の版築跡の話も傾聴ものでした👍️校庭の築山程度の古墳ながらえらいものが詰めこまれてました😲ありがとうございました🙏
>御所市柏原にも神武天皇の宮跡と伝わる神武天皇社があった。同じく明治時代に立ち退きを怖れた住人が、宮跡に繋がる記録を処分してしまったという。
そうなのですね。詳しいご教示ありがとうございます。村の暮らしを守るための、やむを得ない措置だったのでしょうね。また、長年にわたってそこを守ってきたのは自分たちだという自負のようなものもあったのかもしれません。長い歴史と、人々の強い思いを感じさせます。
今回も楽しく拝見しました。
元々は、今の姿よりももっと立派な古墳だったのですね。
今はひっそりとした感じですが、このゴールデンウィークの明日香巡りにここに立ち寄って、その壮大な姿を想像してみようと思います😊
束明神古墳の平坦面は、サッカーコートの2/3くらいの広さがあったそうです。広いですよね! そこを掘り返して版築して、その上に乗っていた古墳なので、広さ的には石舞台古墳くらいのインパクトがあった古墳だと思います。また素敵なお写真よろしくお願いします♪
前編後編二回に渡り、とても興味深く見せて頂きました。いつか訪れてみたいと思いました。ありがとうございました。
コメントありがとうございます。束明神古墳、駅から少し離れていますが、付近の地形を感じながら歩くととてもいい行程です。ぜひお出かけになってみてください(^-^)
ありがとうございます!
応援ありがとうございます♪ これからも頑張ります!
いつもありがとうございます。小生も、先日(2024年4月29日)、飛鳥を訪ねました。 前日は暑い日であったようですが、当日は曇り空で、助かりました。 しかし、黄金週間にしては、石舞台あたりもそれほどの人出ではなかった。私事になりますが、4月29日は、明日香村出身であった亡母の生誕日です。 ひさしぶりに飛鳥をサイクリングしました。 これからも、自転車でまわりたいですね。 やはり飛鳥には自転車がよく似合う。 (CAM)
飛鳥をサイクリングなさったのですね♪ やはり「飛ぶ鳥の」という感じは、サイクリングが一番体感できますよね。これからもどうかお気を付けてサイクリングなさってくださいませ。
>4月29日は、明日香村出身であった亡母の生誕日です。
そうだったのですね。明日香村を楽しんでいるお姿を見て、喜んで下さっているのではないでしょうか。
@@umemaeSakiko 飛鳥駅前の清潔な洋式トイレを使いながら、60年前を思い返していました。あの頃は、上水は井戸、トイレはもちろん汲み取り式でした。現在では、もう生活レベルは都市と変わりない。 母は60代で亡くなり、もう没後40年近くになります。 現在の明日香村の状況を見たら、どう言うだろうかと思います。
お初です。
草壁皇子は意外と母ちゃんから逃げたかったりして。何せ従弟を自タヒさしてるでしょ。(呂后に弟を...の景帝みたいに)それに梅前さんが(多分 )お好きな(前回間違えた)牽牛子塚古墳と腰塚御門古墳の女性三人に持統天皇はハブられてたりして。だから野口王墓に無理から火葬してまで天武天皇のストーカー(?)
天智天皇の4人の娘の内私が一番(どやぁ❤) でも。
腰塚御門の大田皇女(推定)と斉明(皇極)天皇、間人皇后(推定)の三人でキャキャ、うふふ
大田皇女(姉だよ!)からすれば.うののさらら(妹の分際で).はこっち見るな❗息子の仇め!かも。斉明天皇からすれば孫の仇でもある。(間接的に)
それと
Q.亀石は何故あそこに有るのでしょう?近くには大和郡山城、少し離れた場所に和歌山城。転用石で墓石や仏像まで使ってるのに、道端の石などごっつぁんですよね。ましてやアノ松永久秀の領。墓石の出来損ない?知ったこっちゃないってドンドン持ってけ!ドロボーだよ?何がワルいの。
古代面白いですね。これからも楽しませて下さい。☔
楽しいコメントありがとうございます♪ 大田皇女と持統天皇の関係性については、想像が膨らみますよね。大津皇子も、お母さん(大田皇女)が長生きしてたらこんな女(持統)にしてやられることなんかなかったのに!と思ったことでしょう。
で、亀石がなぜあそこにあるのでしょう?とのお問い合わせ(?)ですが、おっしゃる通り、なぜ中世に転用されなかったのか不思議ですね。何か封印でもかかっていた?とか考えてしまいます。
諸説あるのですが、亀石は「人の生きる地域」と「人を葬る地域」を分けていたという説もあります。確かに、亀石から西南方向には古墳が多いですよね。まあ、なぜ転用されなかったのかについての答えにはならないのですがm(_ _)m
今後ともよろしくお願いいたします♪
@@umemaeSakiko お返事ありがとうございます。亀石等飛鳥の巨石が残ったのは、私見ですが、時間では。築城ブームの時は破砕するにも技術か足らず加工しやすい素材を選んだ。それは岩屋山古墳の見事までの加工技術。それを後世で出来ないハズはなく。ただ時間では無かったかと。
若い頃、狂心渠の前で住んでましたが、当時は知らなかった。黒岩重吾も読んでたのに....