【飛鳥古寺手帖13】石川廃寺〜蘇我馬子の石川精舎との関連を探る

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  • Опубликовано: 7 сен 2024
  • 帝塚山大学の清水昭博先生が上梓された「飛鳥の古代寺院」を片手に飛鳥をめぐるシリーズ13回目は、石川廃寺を訪れます。
    蘇我の勢力圏だった石川の地から、瓦や礎石が見つかったことから、そこは蘇我馬子が善信尼ら3人の尼を請けて法会を行い、「仏法之最初」と日本書紀に記される「石川精舎」ではないかと考えられてきました。
    ところが、堂宇の存在が推測された「ウラン坊」付近は、藤原京期になってから整地された可能性が高まり、そこに寺院があった可能性は薄くなったために、堂宇はその東側の「宮ノ下」付近に所在が想定され、今では「石川廃寺」と呼ばれています。
    そこにあった寺院は7世紀後半から8世紀初頭にかけて存続したと考えられ、馬子の石川精舎とは直接の関係はないと推測されています。
    けれども石川精舎の伝承が、そこに寺院を建てさせたのかもしれません。わが国に仏教が根付くか根付かないかの黎明期に、蘇我馬子が法会を行なったという「石川精舎」の面影を求めて、周辺を歩いてみました。
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Комментарии • 19

  • @takedaharuki
    @takedaharuki 10 месяцев назад +4

    ハスの話、ネットで調べると皇極3年6月にその話があるようです。似た話が2回もあるんですね。石川廃寺の近く=石川精舎跡(本明寺)には私も行きました。本明寺も微妙なところですが、このあたりに蘇我稲目や馬子が住んでいたかと思うと、どっぷり空想にふけることができました。

    • @umemaeSakiko
      @umemaeSakiko  10 месяцев назад +3

      ハルキー先生早速のご教示ありがとうございます。
      確認しました。皇極3年に記載がありますね。この「豊浦大臣」は蘇我蝦夷のことですよね。似た記載には何か意味があるのか、それとも単なる重複記載なのか。興味は尽きません✨
      ご教示ありがとうございました♪

    • @takedaharuki
      @takedaharuki 10 месяцев назад +1

      @@umemaeSakiko 私も勉強になりました。この瓜二つの記事があるなんて。

  • @user-mo7nq4cf3v
    @user-mo7nq4cf3v 6 месяцев назад +1

    宮のつく、小字名があるということは、近くに宮があったのだろうか。

  • @youchan-mo3nn
    @youchan-mo3nn 5 месяцев назад +1

    栃木在住です。このシリーズで出ていた川原寺系の瓦が下野薬師寺からも出土しているのですが、わざわざ運んだんですかね。近くにある窯跡で瓦の生産は8世紀後半のようです。

    • @umemaeSakiko
      @umemaeSakiko  5 месяцев назад +1

      川原寺系の瓦が下野薬師寺から出土しているのですね! 運んだのか、笵を持っていき近隣の瓦窯で焼いたのか、不勉強でわかりませんが、興味深いです。瓦についてもっと勉強しなければ。

    • @youchan-mo3nn
      @youchan-mo3nn 5 месяцев назад

      @@umemaeSakiko この時代のことは全くの素人なんですが、このチャンネルで知識を得たので現地に行って色々調べてみます。ありがとうございました。

  • @user-no5fd2me2x
    @user-no5fd2me2x 10 месяцев назад +3

    廃寺シリーズお疲れさまでした。今後も続けていただけると聞いて安堵しました。楽しみです。「飛鳥の古代寺院」には入ってなかったんですが「木之本廃寺」機会があればよろしくお願いします。正倉跡といわれていますが、その昔には高市皇子の香来山宮があったのではないかと妄想してます。万葉集2-202の哭沢神社が畝傍都多本神社とのことで私の中では妄想→確信に変わりつつあります。ただ詠まれた檜隈女王が、高市皇子の妃っぽいのですが記録が見つからず行き詰まってます💦因みに万葉集2-203は穂積皇子の「降る雪は〜」です。先生が以前に紹介されてた但馬皇女を想う感動的な歌です🥲飛鳥のロミジュリ、いいですね🥰次の動画も楽しみにしています。よろしくお願いいたします。

    • @umemaeSakiko
      @umemaeSakiko  10 месяцев назад +2

      木之元廃寺も興味深いです。所在不明の「高市大寺」とする説もあります。檜隈女王についてもご教示ありがとうございます。高市皇子、私の中ではなかなか素敵なお方になっております✨

    • @user-no5fd2me2x
      @user-no5fd2me2x 10 месяцев назад +1

      木下正史先生でしょうか?穏やかな先生ですね。以前に「大安寺歴史講座」で伺いました。先生は埴安池の論文も書いておられて池の側には高市皇子の宮があったはず。宮の話になると思うのですが、もっと建物や瓦の勉強をしないといけない。でもどこから手をつければいいのやら…ずっと考え中です😢

  • @kamekame_asuka
    @kamekame_asuka 10 месяцев назад +1

    私は「ハイジスト」ではなく、実は今回の廃寺のご説明を聞くまで廃寺とは何かよく分かってませんでした😅でも、これでスッキリしました。そして、清水先生の本と、この動画のシリーズでいよいよ「ハイジスト」の第一歩を踏み出してしまうかもしれません🤣

    • @umemaeSakiko
      @umemaeSakiko  10 месяцев назад +1

      「ハイジスト」へようこそ!(笑)
      知れば知るほどハマっていく、それが廃寺沼です。

  • @prince_ITOIGAWA
    @prince_ITOIGAWA 10 месяцев назад +1

    アルプスの少女廃寺シリーズも終わって、次回はカルデラですか。ここもすっかり山チャンネルに………、え、違う?そうじゃない?失礼しました。
    廃寺ってこのように見学できるものがなかったりしますから、わざわざ行こうとはなかなか思わない。それでも史跡巡りをしてると近くを通りかかることも多く、とくに飛鳥のようなところではいくつか見に行ったこともありました。
    今回のような謎解きも楽しいですね。

    • @umemaeSakiko
      @umemaeSakiko  10 месяцев назад

      そうなんです。わざわざ行こうとは思わないですよね。でも、知れば知るほど奥が深い。謎が解けることは永遠にないと思いますが、それでも訪ねずにはいられません。

  • @tabbycat5716
    @tabbycat5716 10 месяцев назад +1

    ・・・こういう状況なのか・・・。
    これは奈良の人が「下手に家の建て替えをしたりできない」と言うのもうなずける。
    どこを掘っても何かしら出てきそうだナ。古のロマンに浸る時間をありがとう。

    • @umemaeSakiko
      @umemaeSakiko  10 месяцев назад +1

      おっしゃる通り、どこを掘っても何かが出てくる場所ですよね。調査して埋め戻す時間を下さる住民の方々に感謝です。

  • @user-qu3wo1hx4i
    @user-qu3wo1hx4i 10 месяцев назад +1

    蘇我の石川麻呂に縁があるのではないでしょうか?

    • @umemaeSakiko
      @umemaeSakiko  10 месяцев назад +1

      おっしゃる通りです。確証はありませんが、石川麻呂の石川も、この地名が由来の可能性があります。

  • @user-mo7nq4cf3v
    @user-mo7nq4cf3v 6 месяцев назад +1

    大和誌は、あてにならないようです。