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本体15000円にディスクソフト入りで2500円店で書き換え500円と初期投資すれば本当にありがたいF1ゲームの全国ランキング参加や中山美穂ゲー裏ゼルダとか今の子供にはわからない時代でしょうね
当時はぼんやりとある意味なんにも考えずにゲームしてたけどゲーム業界は大人のやり取りがいろいろあったんだなぁ それを知れる良い動画
ディスクシステムは当時の友達の大半&親戚のあんちゃんが持っててどビンボーなウチでは買ってもらえず涙をのんだけど、ザナックとかやらせてもらえて楽しかった。あとこの時代のオモチャ屋に行くとお決まりのようにディスクライターのBGMが聞こえてたよね。
内海さんのナレーション、懐かしいです。
ディスクシステムはいくらソフトが安いと言っても高いハードを買う必要があるわけですからね。私も当時小学生でしたが、親にファミコン本体は買ってもらえても、ディスクシステムは買ってもらえませんでした。任天堂は「親への説得」が欠けてたように思います。「ディスクシステム本体を買えばソフトは安いので長期的に見れば得ですよ!」という感じで。
ハドソンの作ったチップ名がC62(社名のもとになったSLの形式名。ちなみにC62ニセコ号の復活運行にもスポンサー参加している)という所に意気込みを感じる
ハドソンのCPUは、ファミコンのCPUがコストを下げるため、意図的に性能を下げていたものを当時の技術で作り直したレベル。小さく作れるようになれば、同じものでも性能は簡単に上がる。ハドソンはチップセットの仕様を決めたにすぎず、ハドソンがチップセットを作ったわけではない。
初代スーチャイがカルブレじゃなくてナムコ表記だった謎がやっと解けました結構アコギな商売してたんですねえ
そのケースで個人的に一番思い出すのが、アトラスの「デジタルデビル物語・女神転生」です。スーファミ「真・女神転生」の1で紙パッケージとなってしまったのが一番の落胆部分でした・・。
ナムコが又貸しみたいな事をしていたんだ
ディスクシステムは何と言ってもゼルダの伝説が衝撃的だった新鬼ヶ島やファミコン探偵倶楽部も面白かったな~本体価格を下げたり、古いゲームは2本以上セットで書き換えできるようにしたり、色々とテコ入れできなかったのかな?それでも衰退は免れないとは思うけど、もう少し延命して多くのソフトを発売して欲しかった
任天堂はディスクが2ヶ月先じゃないと書き換え出来ないのとに空ディスクを売らなかったのがミスったな。パケ版には違う価値を与えるべきなのに先行販売だとディスクライターがマイナスにしかならない。結局裏ライターに隙を与えてしまった。任天堂が当時はサードパーティーに厳しいのはアタリショックのクソゲー乱発で衰退を見てのこの契約システムだから仕方ないのかも知れんが結果、サードに謀反じゃないがハードを自社で作ろうとかナムコみたいに発売元になって作ったりとか反乱が起きるわりとヒット商品を作る任天堂は大ポカも多かった。90年後半の任天堂ショップをフランチャイズしようと色々な小売りに500万で優先的に任天堂商品を提供しますとか,,,今じゃ神対応も昔は結構強引な商売が目立つ会社でしたな(笑)まあ、それだけ魅力的な商品を作る会社だしなぁ
確かにPS1では鉄拳がキラータイトルの1つとして重要な役割を果たしてましたね
ファミ通でスーファミにCDROMがついた次世代機のプレイステーションの記事を見た時は衝撃的だったなまさか最大の敵になるとは…
自分の中だけで?ディスクシステムの心残り作品は任天堂の初公式大会ゴルフジャパンコース⇔景品に無印パンチアウト。 記憶がはっきりしないけどジャパンコースのアンダー26打くらいが無印パンチアウト景品がもらえたラインだったと思うけど当時、中3~高1で結構、大人だったのにどうやってもアンダー20くらいしか出せなくて断念した苦い思い出。無印パンチアウトの景品ゲットしたのって自分よりかなり年上のジジイだと思う。エミュもない時代にジャパンコースをアンダー26って子どもには不可能に思えるし。
ニンテンドーもなあ。今思うとディスクシステムのROMの部分を新しいものにすればよかったのに。過去のソフトと互換性あるものに。
任天堂とナムコの関係は非常に複雑な歴史ですよね
当時任天堂がFC本体のプロテクトを解除するためのキーチップの出荷を制限したのが裁判のきっかけと言う話があった。キーチップの出荷制限は独占禁止法違反とのナムコの訴えに対し任天堂はキーチップの内容、つまりプログラムは任天堂の著作物だと主張。著作権を盾にされ結果ナムコの訴えは退けられてしまったと言うものだった。
ナムコ怖いねファミコン普及のきっかけも任天堂凋落の原因にもなるとかナムコは主に任天堂からの優遇措置廃止には?ファミコン普及したらポイ捨てかよ?とへそを曲げたがそれで自社ハード作りたがったがあとアーケードで競合だからセガに肩入れはしたくなかったからPCエンジン出た時は初期からあからさまにPCエンジンの性能を見せつけるようにファミコンとPCエンジンで同タイトルリリースしてたしそりゃプレステに寄るわなぁ
たくぎんが解散せえへんかったらあの技術屋HUDSONも続いてたんやろか・・・ファミコンベーシックやX1やX68000の基本ソフトの制作もしとったんやで・・・(´ω`)
ナムコ自社ハードプロジェクト語るとは流石コペンさんや久夛良木さんの話も他のブログや動画投稿者はスーパーファミコン迄出さないのにコペン⸜( ' ᵕ ' )⸝
これ、当時の人の考え方とか色々あるんだろうけど。ナムコ人様の事言えるのか?と思ってしまう。そりゃあ競争出来る環境があればそれは成功してると言えるけど、これだけの事をしてそんな綺麗事を言った挙げ句裁判沙汰を起こしてさらに贔屓にしてもらった任天堂に対してわざわざ不利になるような事をやってちょっとどうかと思う。(当時の考え方だから私には分かりませんが。)
ツインファミコン。
しかし、クイックディスクが開発されてなかったらどうなってたんだろう。流石にフロッピーディスクは価格的に無理でしょうし。
あれ?ディスクシステム誕生秘話の後編は?
コメントありがとうございます。ディスクシステム誕生秘話の後編も企画中ですので、お楽しみに。
@@kopengin1 ありがとうございます。お待ちしております!
本体15000円にディスクソフト入りで2500円
店で書き換え500円と初期投資すれば本当にありがたい
F1ゲームの全国ランキング参加や中山美穂ゲー裏ゼルダとか
今の子供にはわからない時代でしょうね
当時はぼんやりとある意味なんにも考えずにゲームしてたけどゲーム業界は大人のやり取りがいろいろあったんだなぁ それを知れる良い動画
ディスクシステムは当時の友達の大半&親戚のあんちゃんが持ってて
どビンボーなウチでは買ってもらえず涙をのんだけど、ザナックとかやらせてもらえて楽しかった。
あとこの時代のオモチャ屋に行くとお決まりのようにディスクライターのBGMが聞こえてたよね。
内海さんのナレーション、懐かしいです。
ディスクシステムはいくらソフトが安いと言っても高いハードを買う必要があるわけですからね。
私も当時小学生でしたが、親にファミコン本体は買ってもらえても、ディスクシステムは買ってもらえませんでした。
任天堂は「親への説得」が欠けてたように思います。「ディスクシステム本体を買えばソフトは安いので長期的に見れば得ですよ!」という感じで。
ハドソンの作ったチップ名がC62(社名のもとになったSLの形式名。ちなみにC62ニセコ号の復活運行にもスポンサー参加している)という所に意気込みを感じる
ハドソンのCPUは、ファミコンのCPUがコストを下げるため、意図的に性能を下げていたものを当時の技術で作り直したレベル。小さく作れるようになれば、同じものでも性能は簡単に上がる。ハドソンはチップセットの仕様を決めたにすぎず、ハドソンがチップセットを作ったわけではない。
初代スーチャイがカルブレじゃなくてナムコ表記だった謎がやっと解けました
結構アコギな商売してたんですねえ
そのケースで個人的に一番思い出すのが、アトラスの「デジタルデビル物語・女神転生」です。
スーファミ「真・女神転生」の1で紙パッケージとなってしまったのが一番の落胆部分でした・・。
ナムコが又貸しみたいな事をしていたんだ
ディスクシステムは何と言ってもゼルダの伝説が衝撃的だった
新鬼ヶ島やファミコン探偵倶楽部も面白かったな~
本体価格を下げたり、古いゲームは2本以上セットで書き換えできるようにしたり、色々とテコ入れできなかったのかな?
それでも衰退は免れないとは思うけど、もう少し延命して多くのソフトを発売して欲しかった
任天堂はディスクが2ヶ月先じゃないと書き換え出来ないのとに空ディスクを売らなかったのがミスったな。パケ版には違う価値を与えるべきなのに先行販売だとディスクライターがマイナスにしかならない。結局裏ライターに隙を与えてしまった。
任天堂が当時はサードパーティーに厳しいのはアタリショックのクソゲー乱発で衰退を見てのこの契約システムだから仕方ないのかも知れんが結果、サードに謀反じゃないがハードを自社で作ろうとかナムコみたいに発売元になって作ったりとか反乱が起きる
わりとヒット商品を作る任天堂は大ポカも多かった。
90年後半の任天堂ショップをフランチャイズしようと色々な小売りに500万で優先的に任天堂商品を提供しますとか,,,
今じゃ神対応も昔は結構強引な商売が目立つ会社でしたな(笑)
まあ、それだけ魅力的な商品を作る会社だしなぁ
確かにPS1では鉄拳がキラータイトルの1つとして重要な役割を果たしてましたね
ファミ通でスーファミにCDROMがついた次世代機のプレイステーションの記事を見た時は衝撃的だったな
まさか最大の敵になるとは…
自分の中だけで?ディスクシステムの心残り作品は
任天堂の初公式大会ゴルフジャパンコース⇔景品に無印パンチアウト。
記憶がはっきりしないけどジャパンコースのアンダー26打くらいが無印パンチアウト景品がもらえたラインだったと思うけど
当時、中3~高1で結構、大人だったのにどうやってもアンダー20くらいしか出せなくて断念した苦い思い出。
無印パンチアウトの景品ゲットしたのって自分よりかなり年上のジジイだと思う。
エミュもない時代にジャパンコースをアンダー26って子どもには不可能に思えるし。
ニンテンドーもなあ。今思うとディスクシステムのROMの部分を新しいものにすればよかったのに。過去のソフトと互換性あるものに。
任天堂とナムコの関係は非常に複雑な歴史ですよね
当時任天堂がFC本体のプロテクトを解除するためのキーチップの出荷を制限したのが裁判のきっかけと言う話があった。
キーチップの出荷制限は独占禁止法違反とのナムコの訴えに対し任天堂はキーチップの内容、つまりプログラムは任天堂の著作物だと主張。
著作権を盾にされ結果ナムコの訴えは退けられてしまったと言うものだった。
ナムコ怖いね
ファミコン普及のきっかけも任天堂凋落の原因にもなるとか
ナムコは主に任天堂からの優遇措置廃止に
は?
ファミコン普及したらポイ捨てかよ?と
へそを曲げたが
それで自社ハード作りたがったが
あとアーケードで競合だからセガに肩入れはしたくなかったから
PCエンジン出た時は初期から
あからさまにPCエンジンの性能を見せつけるようにファミコンとPCエンジンで同タイトルリリースしてたし
そりゃプレステに寄るわなぁ
たくぎんが解散せえへんかったらあの技術屋HUDSONも続いてたんやろか・・・ファミコンベーシックやX1やX68000の基本ソフトの制作もしとったんやで・・・(´ω`)
ナムコ自社ハードプロジェクト語るとは流石コペンさんや
久夛良木さんの話も他のブログや動画投稿者はスーパーファミコン迄出さないのに
コペン
⸜( ' ᵕ ' )⸝
これ、当時の人の考え方とか色々あるんだろうけど。
ナムコ人様の事言えるのか?と思ってしまう。
そりゃあ競争出来る環境があればそれは成功してると言えるけど、
これだけの事をしてそんな綺麗事を言った挙げ句裁判沙汰を起こしてさらに贔屓にしてもらった任天堂に対してわざわざ不利になるような事をやってちょっとどうかと思う。(当時の考え方だから私には分かりませんが。)
ツインファミコン。
しかし、クイックディスクが開発されてなかったらどうなってたんだろう。流石にフロッピーディスクは価格的に無理でしょうし。
あれ?ディスクシステム誕生秘話の後編は?
コメントありがとうございます。ディスクシステム誕生秘話の後編も企画中ですので、お楽しみに。
@@kopengin1 ありがとうございます。お待ちしております!