【PC98物語#1】PC-9800誕生物語、NECのパソコンの未来が決定された御前会議、PC9800、PC8800、PC6001シリーズ
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- Опубликовано: 9 фев 2025
- 【PC98】PC-9800誕生物語、NECのパソコンの未来が決定された御前会議、PC9800、PC8800、PC6001シリーズ
今回のシリーズでは、日本で最も普及した16ビットパソコン、後に国民機とまで呼ばれるようになるPC-9800シリーズの誕生物語をご紹介させて頂きます。
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#PC98 #PC8001 #PC88 #PC6001
私が小学生の時にPC-8001を買って貰って、九十九電機で増設の16KBのメモリーを買った記憶があります。
そのPC-8001は今でも実働し保管しています。(笑)
私が最初に買ったコンピュータが出たばかりのPC6001だった。安月給の私には高価な買い物でしたが、楽しい思い出でもあります。
おいらは高校入学の時にP6を純正ディスプレイと純正データレコーダセットで買ってもらいました。
中学時代の友人にP6ユーザーが居たので、いろいろ聞いたりしながら勉強しましたね。
まさか3ヶ月後にmk2が出るとは思わなかったですがwww
割りと本格的なPC-88とパピコンの愛称までつけてもらったP6の間で、既に影が薄くなってましたね、P8は。
同業の富士通も、この頃FM-8・FM-7とホビー向け商品を発売していて同じように業務用コンピュータも各企業に入れていた筈で、似たような会議をしたんでしょうかねぇ。
PC-9801からPC-9801Vシリーズになった時、大幅に性能が上がり、その後の新機種発表はいつも楽しみに感じていた。32bit化されたPC-9801FAぐらいからPC-9821mateへ変化した時も似たような楽しみがあった。
しかし、世界標準のDOS/VとWindows普及には勝てず伸び悩み、いずれ破れ去る事が当時でもよく分かった。
PC-98NXあたりになると、もはやPC-98らしさを感じなくなった。
これだけ盛り上がったNECのパソコンで、PC-8001のみ小型復刻機があるけど、PC-98シリーズの復刻機を発売したらPC-8001復刻機よりはるかに盛り上がりを見せるに違いないと感じます。
PC98-NXはNECが「PC-98シリーズらしさ」を捨てて開発したAT互換機だから、PC-98らしさを感じないのも当然かと(NECの発表ではPC98-NXはPC-98でもAT互換機でもないとしていたけど、中身はMSが提唱したPC98/97規格準拠の互換機からレガシI/Fを取り除いたもの)。
もっとも、PC-98シリーズも末期になると使用部品の大半が互換機と変わらず、BiosやCバス関連等一部分だけが専用部品という代物になってしまいましたがね...。
日本人のためのPCでした。
NECパソコンの不思議なラインナップはこういう経緯でうまれたんですね
なんで同じ会社で同時期にまちまちの製品を作っていたのか疑問が解けました
コメントありがとうございます。私もNECパソコンのラインナップの経緯は調べるまで知りませんでした。PC98の誕生n舞台裏にはさまざまなドラマがありますね。
P6、P8/88、N5200/98/PC-H98が別部門のパソコンであり、社内対立があったのは有名な話。ちなみに、シャープも部品部門がMZ-80Kシリーズを、ビジネス部門がMZ-80Bシリーズを、電卓部門がPC-3100を、MZ-3500もどっかの部門が作っていたはず。富士通もFM-8/7とFM16Bは違う部門だったはず。当時はパソコンの使い道は曖昧で色々な事に使える事から、同じメーカーでも複数の部門が複数のシリーズを展開していたんだよね。
かっこいいなぁ
そして生まれた事務用のはずだったPC-98はエロゲーマシンとして興隆を極めるのだなぁ
プロジェクトXのテーマになりそうなネタだったのですね
でも、まちがいなく 日本のパソコンの歴史が、ここから始まったのですね
私は元日本電気でPC9801の開発の一員で、昔トランジスタ時代では考えら事です、でもコンピュータのハードウェアの進歩はものすごく早く、私たちは4年に一度新規開発をしてきました、今ではコンピュータのハードウェアが手のひらに乗る時代です、これからはもっとすごいコンピュータのハードウェアができますよ。
old gaming pc's had really cool looking games
NECは法人・オフィス用にPC-9801よりN5200を売りたがっていましたね
ただユーザーには法人向けでもソフト資産があり低価格なPC-9801が人気で、NECの思惑通りにはいかなかったようで
90年頃まではN5200に未練があったのか、当時サラリーマンに人気だった島耕作を使った広告を出したりしていました
昔のPCはかなり高かった。モニター重いし。30万くらいは普通だった(98マルチあたり買ったかな)
私はNECの関係者ではなく 別メーカでコンピュータを販売していたものですが
同時期に販売していた法人向けのビジネスパソコン ワークステーションのN5200シリーズがありました
最初N5200シリーズはPC-9800シリーズをおもちゃと考えていたようなイメージがあったと思う
しかし、PC-9800シリーズが良く売れて、
80年代前半の九十九電気には当時ツクモオリジナルソフトとしてゲーム開発部門があった
闇歴史?を動画にして欲しい気がするw 自分より年上なら大抵
パソコンショップや友人の家でツクモソフトのゲームを1度は触れたことがあるはずだし
数えたことはないけど なんだかんだでツクモは当時300~1000種くらいの作品をリリースしたんじゃないかな?
PC-8001とかそうだったのか~
pc-9800よりpc-100が好きだったなぁ。さすがにあの値段では買えなかったけど、結局pc-9800も買わなかった。
PC-100はショールームに展示してあったのを見つけて、16:00~18:00まで夢中になって触っていた。店員が申し訳なさそうに近づいてきて「あのぉ~もう閉店時刻なんです」「このコンピュータいいね。これ絶対に売れるよ」「あぁ~、申し訳ないんですけどこの子はこれっきりなんですよぉ・・・・値段がねぇ~、それとソフト開発体制なども問題があるみたいでね、いいマシンなんだけど残念です」だと。
Cool
用途に応じて三者で別々に足を引っ張り合うのではなく、PC部門のような物を作ってそこに人と物と金を集中するような事はできなかったのでしょうか?
しかし、PC-6001用の周辺器として売られたデータ‐レコーダーやプロッタプリンタ―は何故か8801デザインになっていた。ww
TK80はパソコンじゃなくてワンボードコンピューターですね。技術的にはワンボードコンピューターとパソコンは連続していますが。日本初のパソコンは日立のベーシックマスターです。忘れられててかわいそう。
i love these nec pc computers!
PC-100と言う異端児も存在したけど。
会社にあったな
国民機はエプソンの98互換機だろ
「大勢」この場合は「たいせい」と読むのが正しいのでは?
過去の栄光ですね…
現在の日本のPC市場ではNECなんて見る影がないですし…
任天堂のファミコンの様な、その後の任天堂の礎を作ったエピソードなら話としても面白いですが、PC-98シリーズで得た利益やノウハウは今のNECになんら影響を与えていない。
むしろ利益なんて。その後のNECの迷走で食い潰した感がありますし…
なんやろう…こう言う過去の栄光にすがっている人が今の日本に多いから、日本は世界市場でどんどん影が薄くなっているんやろうね…
特に半導体なんて、かつては世界の半導体の40%くらいを日本が生産していたのに、今や世界シェアは一桁代。
いい加減、過去の栄光にすがるのはやめましょう。
TK-80の写真が違うのが残念
ごめんなさい、ジョブズがより好きに