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こんな大名がいたのは知らなかった勉強になります
30年位前、松平長七郎のその後を追って、和歌山に行ったことがありますが、当時はわかりませんでした。最近、wikiでその子が鷹司松平家に入り、明治には華族として存続したということを知りました。この動画でさらに解説を聞きすっきりしました。
五摂家でも江戸時代は3000石以下だから、庶子から一万石なら大出世だと思います。
でも、五代将軍徳川綱吉の生母お玉さんの実家である本庄家は5万石まで行ってるから、比べると待遇に差があるなあと思ってしまいますねw (本庄家は松平姓まで貰ってます)将軍の生母の実家だからまあわからなくはないですが、4代家綱の生母お蘭の実家増山家は1万石どまりだし、かなりやりすぎ感があります。
この家は両統迭立が続いた家として知られていますね。鷹司系と紀州系が交互に家督を相続しました。
「公家武者」で小説になっていますね。大廊下は石高ではなく将軍家との親疎で決まる。
ご承知のように家光と孝子は仲の悪い夫婦で、家光がその妻の弟の信平を厚遇するのは不思議に思っていましたが政治的配慮もあったのですね。もっとも家光夫婦に関しては諸説あり、憎んでいたわけではなく孝子は精神疾患で事実上離縁同様だったという話もありますが。公家から武士に転じた人物としては斎藤道三の養子、近衛家の生まれの斎藤正義なども有名ですね。
江戸時代唯一の「公家大名」だ。
動画にちらっと写ってい吉井藩の陣屋門のそばで、昔付き合っていた彼女とよく待ち合わせをしていたなぁ
喜連川氏みたいな感じだったのかな
それは違う。
大廊下(おおろうか)下之間(しものま)ね。
長七郎の説明がわかりにくいと思います。前提である徳川忠長のことを話さないと高貴と言われてもまったく知らない人はピンとこないと思います。あと、最初の方は加賀松平家といい、後半では加賀前田家と言っているのが混乱させるかもしれません。間違いではないですが。信平て大名ではなかったんですね!あの小説はタイトル詐欺じゃ…笑
太政大臣には清華家でもなれたのでは?あくまでも極官として。でも江戸時代は太政大臣は摂関経験者のみだったから間違いでは無いでしょうね極官として大臣家も太政大臣にはなれる資格はあったそうですが希に右大臣までが最高だったようです
全体を同じ調子で早口で話されて居られますが、「大廊カセキ」という言葉など、一般にあまり馴染みの無い言葉を使われる際には、ゆっくりと話し、その言葉の説明もしていただけますともっと分かり易くなるのでは❓️
大廊下は越前家もな
鷹司松平家 って、なんかいやらしい。。。。。摂関家をさりげなく松平姓とか、秀吉より狡い。
戦国時代に「土佐一条氏」がいた。これは関白一条兼良の弟で、同じく関白だった教房を祖とする。
@@ませあきたつもし,鷹司信平が、戦国大名になっていたら、土佐一条氏と同じ運命を辿ったかもしれん
こんな大名がいたのは知らなかった
勉強になります
30年位前、松平長七郎のその後を追って、和歌山に行った
ことがありますが、当時はわかりませんでした。
最近、wikiでその子が鷹司松平家に入り、明治には華族として
存続したということを知りました。
この動画でさらに解説を聞きすっきりしました。
五摂家でも江戸時代は3000石以下だから、庶子から一万石なら大出世だと思います。
でも、五代将軍徳川綱吉の生母お玉さんの実家である本庄家は5万石まで行ってるから、比べると待遇に差があるなあと思ってしまいますねw (本庄家は松平姓まで貰ってます)
将軍の生母の実家だからまあわからなくはないですが、4代家綱の生母お蘭の実家増山家は1万石どまりだし、かなりやりすぎ感があります。
この家は両統迭立が続いた家として知られていますね。鷹司系と紀州系が交互に家督を相続しました。
「公家武者」で小説になっていますね。大廊下は石高ではなく将軍家との親疎で決まる。
ご承知のように家光と孝子は仲の悪い夫婦で、家光がその妻の弟の信平を厚遇するのは不思議に思っていましたが政治的配慮もあったのですね。もっとも家光夫婦に関しては諸説あり、憎んでいたわけではなく孝子は精神疾患で事実上離縁同様だったという話もありますが。公家から武士に転じた人物としては斎藤道三の養子、近衛家の生まれの斎藤正義なども有名ですね。
江戸時代唯一の「公家大名」だ。
動画にちらっと写ってい吉井藩の陣屋門のそばで、昔付き合っていた彼女とよく待ち合わせをしていたなぁ
喜連川氏みたいな感じだったのかな
それは違う。
大廊下(おおろうか)下之間(しものま)ね。
長七郎の説明がわかりにくいと思います。前提である徳川忠長のことを話さないと高貴と言われてもまったく知らない人はピンとこないと思います。
あと、最初の方は加賀松平家といい、後半では加賀前田家と言っているのが混乱させるかもしれません。間違いではないですが。
信平て大名ではなかったんですね!あの小説はタイトル詐欺じゃ…笑
太政大臣には清華家でもなれたのでは?
あくまでも極官として。
でも江戸時代は太政大臣は摂関経験者のみ
だったから間違いでは無いでしょうね
極官として大臣家も太政大臣にはなれる資格
はあったそうですが希に右大臣までが最高だ
ったようです
全体を同じ調子で早口で話されて居られますが、「大廊カセキ」という言葉など、一般にあまり馴染みの無い言葉を使われる際には、ゆっくりと話し、その言葉の説明もしていただけますともっと分かり易くなるのでは❓️
大廊下は越前家もな
鷹司松平家 って、なんかいやらしい。。。。。
摂関家をさりげなく松平姓とか、秀吉より狡い。
戦国時代に「土佐一条氏」がいた。
これは関白一条兼良の弟で、同じく関白だった教房を祖とする。
@@ませあきたつもし,鷹司信平が、戦国大名になっていたら、土佐一条氏と同じ運命を辿ったかもしれん