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訂正「どうする家康」でお万の方を演じているのは、元SKE48の松井玲奈さんですが、誤って元AKB48と紹介しておりました。失礼いたしました。
松井玲奈さん が、SKE48時代の頃からのAKB48Gファンは、グループ間違いは、特にシビアで、厳しいですよ(笑)
コメントありがとうございます。おしゃれられる意味、痛感しているところでした。ファンの皆様には大変失礼いたしました。
広義ではSKE48もAKB48グループ(当時)ですから、あながち間違ってはいませんそれにW松井は、地元名古屋栄愛を声高に言ってましたが、2人のファンの殆どはAKBとの兼任してました卒業間近のイベントで、純粋なSKEファンの人が、「これで推しメンバーの正当な評価が始まる」って言ってましたW松井は、SKE48の顔でありながら、内部は複雑に歪んでいました
SKE推しの自分ですが、玲奈さんはAKBや乃木坂の兼任をしていたので問題ないと思います。一期生であっても今や女優の松井玲奈さん個人。むしろ個人的には玲奈さんのご紹介を入れて頂いているわけだしお気遣いいただき感謝です。
@caran9484 さんそのように言っていただきありがとうございます。演技力が際立っている女優さんでしたので、この動画でも紹介したかったのですが、私の知識不足でした。ありがたいお言葉です。
福井在住です。この度はとても興味深い動画をありがとうございました!!自分は柴田神社の神主さんに、秀康について色々教えて頂いた事があり、「へぇ~」となった記憶があります。なかなか全国的にマイナーな県ですが、ポジティブな気持ちになりました!!来年には新幹線が開通予定なので、皆様一度是非お越しください(笑)。
コメントいただきありがとうございます。地元で代々伝わる話など、非常に興味深いです!越前松平家に関連するところ、是非見に行きたいです!必ず行きます!
初めて拝見しました。血脈系の解説、結構好きだわ黒田、藤堂、真田など、家は続いても初代藩祖の血筋が絶えた大名家は多いはず、ぜひ続編希望します。
コメントありがとうございます。嬉しいです。各家についてあげていきたいと思ってます!ありがとうございます。
生まれも育ちも福井で福井城址(県庁)のお堀の横もしょっちゅう通りますが、恥ずかしながら最近まで結城秀康公と松平春嶽公の名前を知っていたくらいでした。松平家なのになんで結城秀康なんだろうと子どもの頃思った記憶がありましたが理由を知ったのは最近です。越前福井は古の越の国の首都で出雲とも関係が深かったようですが、越前松平家の分家が出雲を治めていたというのは興味深いです。勉強になりました。ありがとうございます😊
コメントいただきありがとうございます。自分は福井に行ったことがなくて、是非一度現地で松平家を感じてみたいです!こちらこそありがとうございます!
幕末迄の本家と各分家の説明、また各家の個々の説明良くわかりました。引っ越し大名直矩を登場させて頂きありがとうございました。徳川家各家の続編楽しみにしております。🙇
コメントいただきありがとうございます✨秀康公の家系はとにかく大きいので、各家についても折を見て動画を出したいと思います。徳川諸家についても紹介していきたいと思います✨
@@kotsubach さん家が大きくなったということはそれなりに家が栄えたということでしょうね。
この家系といえば、松平不昧も存在していて、松江藩につかえていたのが小泉八雲の妻の、小泉せつですよね。不昧しかり、小泉八雲しかり、結城秀康の家系につながる人々が日本文化に寄与しているのは面白いですよね。
コメントありがとうございます。今回は家系図上名前しか登場しませんでしたが、この家系や、小泉家のような松江藩家臣の家などは文化面でも現代に影響を与えているのは興味深いです!色々な角度調べたくなります。
苦労人のお万さんも沢山の孫や曾孫に恵まれてニッコリでしょうね😄
コメントありがとうございます。そうですね、その点は嬉しい出来事です。一部、お万の方、存命中に、忠直の子供も生まれているので曾孫にも出会えてることになります✨
素晴らしい!難しく複な事を細かくきちんと動画にして頂きありがとうございます😊、😊
コメントありがとうございます!そのように言っていただけて嬉しいです☺️
福井に住んでいますが、福井弁は関西系イントネーションの北陸にあって、意外に北関東を思わせる方言なんですよね。もしかして結城家の家臣たちの言葉が影響したのかなと考えるのも面白いです。
コメントありがとうございます。実際にお住まいになっている方が、感じるということは可能性ありそうですね。言葉を通して残っていくのもまた、すごいです!
私の先祖は、直基系の家臣で、福井の時代から前橋の幕末まで仕えていた上士の身分になり 。引っ越し大名と呼ばれるように、主君と一緒に引っ越しを繰り返しました、幕末には彦根藩と一緒に、ペリー来航の際の警備にあたっていました。なかなか越前系の事をこれだけ簡潔にまとめているのは大したものです。最後の藩主、直克は政治総裁職も勤めております。高田のお家騒動で直基系はとばっちりを受けて、引っ越しさせられました。
コメントいただきありがとうございます。ご先祖様が仕えられていらっしゃったんですね。歴史がすごいです。そのようにおしゃっていただきありがとうございます。励みになります。ありがとうございます。
福井城址、養浩館庭園、北ノ庄城趾(柴田神社)、福井神社、大安禅寺、一乗谷朝倉氏遺跡、丸岡城など福井市へ行ってみたいです織田信長のルーツ福井県織田町の剣神社も行きたいですね
コメントいただきありがとうございます。自分も福井県はゆっくり回ってみたいです!剣神社、是非行きたいですね!
結城秀康は花の慶次の印象が強いですね。人質育ちは大変ですよね。
コメントありがとうございます。花の慶次にも出てたんですね、見たこたなかったので見たくなりました!いざとなったら、、、の人質、幼い時は丁重に扱ってもらっても不安でしたでしょうね、、、
神戸西部も昔は明石藩でこの家系だったんですね。結局は幕府も終始遠慮がありご家門として要所に多数配置されたのがわかります、
コメントありがとうございます。西の守りが改めて重要であることがわかりました。
明石藩と尾張藩は、仲が悪かった😢
葵徳川三代では、岡本富士太さんが秀康を演じ、西田敏行さんの秀忠との語らいはいいシーンでしたね。秀康・忠吉と、兄と弟を相次いで亡くした秀忠の号泣シーンなどもありました。
コメントありがとうございます。あのシーンはとにかく印象に残るシーンでした。葵徳川三代、やはり名作です。
秀康が存命だった頃は豊臣家は存命していたのも秀康のおかげでしたね。
コメントありがとうございます。まさに豊臣と徳川を繋いだ、秀康という名の人生だったということですね。
この家系の人々が2025年10月クールからの朝ドラでもクローズアップされました。ここまで来たかなという感じです。
コメントいただきありがとうございます。来年の朝ドラが楽しみです✨
赤穂事件の大石内蔵助は結城の子孫なので、将軍綱吉も秀忠兄秀康ともつながる家系の者の処分に苦慮した面はあったのでしょうね。
コメントありがとうございます。大石家が小山ー結城のラインというのを初めて知りました。ありがとうございます。
見ごたえありました。作州津山出身です。これ程までに養子を供給しそれぞれの血脈維持に貢献していたとは。感動しました。感謝感謝です。
コメントいただきありがとうございます。津山の方なのですね。地元の方にコメントいただけると嬉しいです。いつか、自分の足で津山松平家のゆかりの地を見たり触れたりしたいです。
結城秀康を語るなら名刀石田正宗について経緯を説明してほしかったですwww
コメントありがとうございます。家系図ばっかりで、完全に失念してましたwどこかの機会で触れたいです!
武田旧臣が多い当たり、やはり越前松平家は武勇の家系なんだなと思いました。同じく武田旧臣を多く抱えた徳川家の譜代家臣の井伊家もそうですが、西国との境目を守ってるのはやはり武力で幕府を守れるくらいの実力を買われましたね。
コメントありがとうございます。滅亡してもなお、武田という家はいろんな形で機能する、武田家にそそられるのはそこかも知れません。
お万の方は、鬼の作左に助け出され、浜名湖畔、現湖西市太田の豊田家に匿われます😊
コメントありがとうございます。ということは豊田家にいた後に、中村家に移ったということでしょうか。
松井玲奈さんは元AKB48でなくて元SKE48です。でも彼女はAKB48のイメージが強いですね。
ご指摘ありがとうございます。訂正コメント入れさせていただきました。AKB48として出ていた時のイメージが強く、所属グループを誤って認識していました、、、ありがとうございます。
結城秀康=羽柴秀康=松平秀康数奇な徳川家康の御曹司です。成人後は、徳川家臣団より豊臣家臣団と親しくしていたようですね、結城秀康本人その子孫は、徳川宗家の相続権は、なかったようですが松平宗家の相続は、結城秀康の家系かなと思っています。昔結城秀康の子孫達の総石高調べましたが100万石あったんだと驚きましたわ。
コメントいただきありがとうございます。秀吉の許で過ごした時期は、大切に育てられたからでしょうか。越前松平家の最盛期の石高、相当なものがあります。将軍の兄の家格というのが伝わってきます。
私の先祖は福井から明石についてきた家臣です、その関係か親戚は小泉八雲の子孫と結婚しています
コメントいただきありがとうございます。すごい繋がりです!!明石松平家のご家臣なのですね。来年の朝ドラは、とても近いところがピックアップされたことになりますね。
秀康は梅毒にて34歳の若さで亡くなる事になるけど父の家康は医学に造詣が深かったので家臣や息子達に遊女とは関わらぬように厳命していた影響で徳川方には梅毒の死者が1人も出なかったのに、秀康だけあの最期を遂げたのは父との絆の薄さも相まって不幸としか言いようが無いね…
コメントありがとうございます。父の教えは、命を左右したということですね。
秀康と直接関係ありませんが、彼の生まれた浜松の中村家は浜名湖の水運を任されていた家ですが、家系を遡ると源範頼の末裔ということになっているそうです。邪険に扱っているようでもちゃんとした家柄の元に預けているあたり情がなかった訳でもなさそうですよね。
コメントありがとうございます。邪険に扱うように見せてたのかもしれないですね、築山殿や周りからの見え方のために、、、範頼公の末裔というのは、興味深いです!
😊😊😊😊😊
ありがとうございます✨
越前福井松平家32万石雲州家、前橋家、明石家、津山家、糸魚川家、広瀬家・母里家の7家の宗家徳川家康の次男であり徳川将軍家二代秀忠の兄の家である為、制外や格別の家と言われる御家門筆頭の家上屋敷は当初和田倉門外(現パレスホテル)という江戸城至近の一等地にありましたがのちに二等地の常盤橋門内(現大手町プレイス)に移されます、旧地の和田倉門外は若年寄、老中宅となりますその14代当主、春嶽で知られる慶永は将軍家十一代家斉の弟田安斉匡の八男です家斉二十二男松平斉善の養子に入り越前家田安家から越前家への入養は将軍家継嗣候補からの脱落でもあった越前家は慶永の代は家斉の甥として殿席も下之部屋ではあるが大廊下詰めになっている当時の御三家当主より遥かに将軍家に近い血縁であり将軍継嗣問題に介入出来ると錯覚しても仕方がないですね
コメントありがとうございます。大手町プレイスにあったんですね!今度行ってみます。あの丸の内、大手町あたりの旧上屋敷跡巡りがいつか完全制覇したいと思ってたので嬉しい情報です。越前松平家、本当に興味深いです!
宗家は津山松平家です。おまちがいなく。
秀康は、弟である2代将軍秀忠には、とても慕われていたエピソードが好きです。病気で鼻が落ちて、差し鼻をして父家康の対面の際のエピソードは、やっぱり父家康には疎まれていたのかと、悲しくなるエピソードですね。
コメントありがとうございます。忠直への勝姫の輿入れを見ても繋がりの強さを感じますね。
すごい丁寧で、分かりやすいのですが、やはり、ごちゃごちゃとしてね、難しいですね。ただ、将軍には、ならなかったけれども、越前松平一門として大繁栄したので、将軍家と同等でしょうか。
コメントありがとうございます。一門内での養子が多く、非常に複雑な家系図になっております。繁栄レベルでいうと同じくらいの広がりを見せてると思います。
松井玲奈は元AKB48ではなく元SKE48(&元乃木坂46)
ご指摘ありがとうございます。所属グループを勘違いしておりました。申し訳ありません。
母方は直政公が松本藩主だった時代に登用され、以後代々松江藩士でした。島根県立図書館で先祖を調べてきました。
コメントありがとうございます。松江藩士がご先祖さまなのですね!一緒に付き従って松江まで行かれてすごいです。
うちは先祖代々出雲の国に住んでましたが、松江藩から仕事をいただき郷士として生計をたてさせていただきました。まだまだ家が続いているのも松江藩のお陰でしょうか。
@@小原和文 私は先祖代々出雲かと思ってましたが、松江藩烈士録で調べたら「あー先祖代々転勤族だったか」って感じで。父方は阿波から備前に流れ関ヶ原後伯耆で帰農してます。出雲は田部家等尼子以来の豪農(山林王かな)が藩の財政を支えていらしてましたね。千葉の姉ヶ崎に松江、個人的にも縁の深い場所です。
我が家は松江のお殿様が大社さん参りをする時の休憩所でした。ちゃんとした本陣ではなくて、軽くお食事をされるところだったようで。本物かどうかは判りませんが、木箱に入った飯茶碗と汁茶碗が蔵にあります。一度しっかり調べてみたいとは思うのですが、どこから手を付ければ良いのやらw
そのようなものがあるんですね。調べたら色々なことがわかったら楽しそうです!!
いいね
福井松平の松平康愛氏は、徳川慶喜公の孫久美子さまと結婚されましたが、先の大戦で戦死され、一人娘の智子さまが田安徳川の宗紀氏を婿に迎えられました。
松平ご夫妻が湖西市豊田佐吉記念館を訪れております。
コメントありがとうございます。ここでも繋がりがあるということですね。ありがとうございます。
家門松平筆頭。
コメントありがとうございます。
本人は見ないと思うけど 松井玲奈さんはAKB48ではなく SKE48です 残念! 笑笑
ご指摘ありがとうございます!ご本人は見ないと思いますが、失礼をしてしまいました、、、
瞬く(しばらく
ありがとうございます。
福山藩は、備前ではなく備後ですね。
ご指摘ありがとうございます。誤りました。訂正いたします。
今の福井はまったく城下町感がないのがもったいない
コメントいただきありがとうございました。明治維新以降、近代化が進んでしまったのでしょうか。
越前家一統家名 祖(居城・居所 領知高)松平越前守 太政大臣家康公二男越前中納言秀康卿(越前國福井城 高三十二萬石)┃┃┃┗松平日向守 松平越前守光通朝臣長男松平備中守直堅(越後國糸魚川陣屋 高一萬石)┃┃┣松平中務大輔 松平伊豫守忠昌卿長男松平中務大輔昌勝朝臣(越前國松岡陣屋 高五萬石(絶家))┃┃┗松平兵部大輔 松平伊豫守忠昌卿五男松平兵部大輔昌明朝臣(越前國吉江陣屋 高二萬五千石(絶家))┃┗松平越後守 松平越前守忠直卿長男松平越後守光長卿(美作國津山城 高十萬石)┣松平伊豫守 越前中納言秀康卿二男松平伊豫守忠昌朝臣(越後國高田城 高二十五萬石(絶家))┣松平出羽守 越前中納言秀康卿三男松平出羽守直政朝臣(出雲國松江城 高十八萬六千石)┃┃┗松平民部少輔 松平出羽守綱隆朝臣五男松平民部少輔近憲(出雲國內 高一萬石(絶家))┃┣松平式部少輔 松平出羽守直政朝臣二男松平上野介近榮(出雲國廣瀨陣屋 高三萬石)┃┗松平志摩守 松平出羽守直政朝臣三男松平左近大夫隆政(出雲國母里陣屋 高一萬石)┣松平大和守 越前中納言秀康卿五男松平大和守直基朝臣(上野國前橋城 高十七萬石)┃┗松平主殿頭 松平大和守直矩朝臣四男松平主殿頭知淸(陸奧國內 高一萬石(絶家))┗松平但馬守 越前中納言秀康卿六男松平但馬守直良朝臣(播磨國明石城 高八萬石(十萬石之格))
ありがとうございます。このように載せていただき感謝申し上げます。
幕末、越前藩主松平春嶽公が会津藩主松平容保公に「会津家訓」を引き合いに出して断れない状況に追い込んでまで無理やり京都守護職(貧乏くじ)を押し付けたのは徳川宗家への怨恨?
コメントありがとうございます。非常に難しいですね、、、人材として認めていたのか、、、容保に矢面に立ってもらおうと思ったのか。
「八重の桜」で、村上弘明扮する春嶽公が、綾野剛扮する容保公に、いかにもちょいワルな雰囲気で迫っていたのを思い出す。勿論、春嶽公の政治達者振りを表す話であるが。
本田作衛門が城中を見回っていると、竹藪の中に丸裸で縛られて泣いている女がいて、事情を問うと「築山御前の折檻を受けている」。それなら放っておこうと行きかけると、「腹に家康の子がいる」と言う。となれば、放っておけず、助け出して家康に問い合わせると、「そんな女は知らない」。しかし、妊娠しているのは確かなので、さらに問うと「一夜だけのことだ、それで子などできるか」「(一夜に)幾度召され候ひや」「七度召しき」それは逃げられぬということで、子と認められた話。いよいよ生まれて、幼名を家康に求めると、「不義丸と名付けよ」と言われたが、それではあんまりなので、「於義丸」となった話。親子の対面も行われず、気の毒に思った信康が伴って家康の元へ。「その子はなんじゃ」「弟にございます」顔色を変えた家康が去ろうとするのを、信康が袖をとらえて引き留め、「父上しゃぞ」と親子の名乗りをさせた話。秀康の幼少期の逸話は、気の毒なものばかり。「一夜の交わりで生まれ、父親が認めなかった」というのは、足利尊氏と直冬と同じですね。こちらは弟の直義が親子の対面をさせた後、自分の養子にしたので、兄弟の仲が決裂すると、有力な敵となりました。秀吉没後、家康が扱いを間違えれは、大きな敵となった可能性は高いです。
映像が思い浮かぶようなコメントへの記載、ありがとうございます。尊氏ー直冬のようなっていたら、誰も喜べない悲しき最期になっていたかもしれません。そうならなくて良かったです。
おまんは、湖西市太田の豊田家に匿われたとなってます。豊田家の末裔は今でも本家、新屋共に太田に住んでいます。
コメントいただきありがとうございます。自分の中で中村家と覚えてしまっておりました。情報ありがとうございます。
将軍の兄の家柄ですね。越前藩、高田藩からしたら5代将軍綱吉などは、「綱吉など傍流にすぎん。我々が家康公の嫡流系」と思ってただろうし。家康の曾孫では同格。綱吉は館林25万石だったことも軽くみてただろうし。だから綱吉は、越前藩を領地半減。高田藩を取り潰したと思う。高田藩は津山10万石で再興したけど、世継ぎ断絶で5万石に将軍の名前をもらう特権も失うことに。後に越前、津山ともに11代将軍家斉の子供を養子に迎え、石高加増、家格上昇したけど、秀康、忠直の時代には及ばなかったね。
コメントいただきありがとうございます。将軍との関係、そして、家康公の次男家系というプライドですね。ありがとうございます。
赤穂に行くか 越前か どちらが良いと言われたそうな、そんな中 元朝倉家臣の1人が!越前にと進めたそうな。けど来てみたら!田舎過ぎて!後悔したそうです。激怒して 今みたいに ネットないならね。武田家臣の子孫も うぁー。となったのでしょうね。けど加賀は、能登 越中合わせての石高だけど、越前は一国ての石高 イイと思うんだけどね。結城秀康は福井にそば文化持ってきた人だから好きよ。
コメントありがとうございます。越前のそば文化について初めて知りました!そのような歴史もあるのは、また興味深いです!
明らかに当時は越前より赤穂の方が田舎ですよ
越前松平家とくれば、幕末の松平春嶽だよな~ 殿様クラスでは、相当な切れ者のハズ
コメントいただきありがとうございます!幕末の幕府と朝廷の関係にはなくてはならない人物ですね!
松平家多すぎない?
コメントいただきありがとうございます!秀康から始まる越前松平家でもこれだけあるので、ホントどこの松平か、一瞬で判断出来ない人だらけです、、、
家斉爆弾うぜえ丸岡に始まり現存天守に縁がありますね
コメントいただきありがとうございます。確かに、現存天守に縁ありますね。その角度で初めて見ました。ありがとうございます。
私の本家は福井です。伯父(85)の話では、ウチの先祖は福井藩士だったとか。さらに伯父の話では、2代藩主・忠直は悪事を福井に来た水戸黄門に見られたので、領地を削られたとのこと。😅本気にしないで、面白噺として捉えてください😅
コメントありがとうございます!本家が福井なのですね。いえ!そう言ったお話聞けるだけでも嬉しいです、ありがとうございます✨
水戸黄門は常陸水戸江戸上総下総の付近を漫遊したらしいですが、福井には…
誰が演じてるかは、要らん。
訂正
「どうする家康」でお万の方を演じているのは、元SKE48の松井玲奈さんですが、誤って元AKB48と紹介しておりました。失礼いたしました。
松井玲奈さん が、SKE48時代の頃からのAKB48Gファンは、グループ間違いは、特にシビアで、厳しいですよ(笑)
コメントありがとうございます。
おしゃれられる意味、痛感しているところでした。ファンの皆様には大変失礼いたしました。
広義ではSKE48もAKB48グループ(当時)ですから、あながち間違ってはいません
それにW松井は、地元名古屋栄愛を声高に言ってましたが、2人のファンの殆どはAKBとの兼任してました
卒業間近のイベントで、純粋なSKEファンの人が、「これで推しメンバーの正当な評価が始まる」って言ってました
W松井は、SKE48の顔でありながら、内部は複雑に歪んでいました
SKE推しの自分ですが、玲奈さんはAKBや乃木坂の兼任をしていたので問題ないと思います。一期生であっても今や女優の松井玲奈さん個人。むしろ個人的には玲奈さんのご紹介を入れて頂いているわけだしお気遣いいただき感謝です。
@caran9484 さん
そのように言っていただきありがとうございます。
演技力が際立っている女優さんでしたので、この動画でも紹介したかったのですが、私の知識不足でした。
ありがたいお言葉です。
福井在住です。この度はとても興味深い動画をありがとうございました!!自分は柴田神社の神主さんに、秀康について色々教えて頂いた事があり、「へぇ~」となった記憶があります。なかなか全国的にマイナーな県ですが、ポジティブな気持ちになりました!!来年には新幹線が開通予定なので、皆様一度是非お越しください(笑)。
コメントいただきありがとうございます。
地元で代々伝わる話など、非常に興味深いです!
越前松平家に関連するところ、是非見に行きたいです!必ず行きます!
初めて拝見しました。血脈系の解説、結構好きだわ
黒田、藤堂、真田など、家は続いても初代藩祖の血筋が絶えた大名家は多いはず、
ぜひ続編希望します。
コメントありがとうございます。
嬉しいです。各家についてあげていきたいと思ってます!ありがとうございます。
生まれも育ちも福井で福井城址(県庁)のお堀の横もしょっちゅう通りますが、恥ずかしながら最近まで結城秀康公と松平春嶽公の名前を知っていたくらいでした。
松平家なのになんで結城秀康なんだろうと子どもの頃思った記憶がありましたが理由を知ったのは最近です。
越前福井は古の越の国の首都で出雲とも関係が深かったようですが、越前松平家の分家が出雲を治めていたというのは興味深いです。
勉強になりました。ありがとうございます😊
コメントいただきありがとうございます。
自分は福井に行ったことがなくて、是非一度現地で松平家を感じてみたいです!
こちらこそありがとうございます!
幕末迄の本家と各分家の説明、また各家の個々の説明良くわかりました。
引っ越し大名直矩を登場させて頂きありがとうございました。
徳川家各家の続編楽しみにしております。🙇
コメントいただきありがとうございます✨
秀康公の家系はとにかく大きいので、各家についても折を見て動画を出したいと思います。
徳川諸家についても紹介していきたいと思います✨
@@kotsubach さん
家が大きくなったということはそれなりに家が栄えたということでしょうね。
この家系といえば、松平不昧も存在していて、松江藩につかえていたのが小泉八雲の妻の、小泉せつですよね。不昧しかり、小泉八雲しかり、結城秀康の家系につながる人々が日本文化に寄与しているのは面白いですよね。
コメントありがとうございます。
今回は家系図上名前しか登場しませんでしたが、この家系や、小泉家のような松江藩家臣の家などは文化面でも現代に影響を与えているのは興味深いです!色々な角度調べたくなります。
苦労人のお万さんも沢山の孫や曾孫に恵まれてニッコリでしょうね😄
コメントありがとうございます。
そうですね、その点は嬉しい出来事です。
一部、お万の方、存命中に、忠直の子供も生まれているので曾孫にも出会えてることになります✨
素晴らしい!難しく複な事を細かくきちんと動画にして頂きありがとうございます😊、😊
コメントありがとうございます!
そのように言っていただけて嬉しいです☺️
福井に住んでいますが、福井弁は関西系イントネーションの北陸にあって、意外に北関東を思わせる方言なんですよね。もしかして結城家の家臣たちの言葉が影響したのかなと考えるのも面白いです。
コメントありがとうございます。
実際にお住まいになっている方が、感じるということは可能性ありそうですね。
言葉を通して残っていくのもまた、すごいです!
私の先祖は、直基系の家臣で、福井の時代から前橋の幕末まで仕えていた上士の身分になり 。
引っ越し大名と呼ばれるように、主君と一緒に引っ越しを繰り返しました、幕末には彦根藩と一緒に、ペリー来航の際の警備にあたっていました。
なかなか越前系の事をこれだけ簡潔にまとめているのは大したものです。
最後の藩主、直克は政治総裁職も勤めております。
高田のお家騒動で直基系はとばっちりを受けて、引っ越しさせられました。
コメントいただきありがとうございます。
ご先祖様が仕えられていらっしゃったんですね。歴史がすごいです。
そのようにおしゃっていただきありがとうございます。励みになります。
ありがとうございます。
福井城址、養浩館庭園、北ノ庄城趾(柴田神社)、福井神社、大安禅寺、一乗谷朝倉氏遺跡、丸岡城など福井市へ行ってみたいです
織田信長のルーツ福井県織田町の剣神社も行きたいですね
コメントいただきありがとうございます。
自分も福井県はゆっくり回ってみたいです!
剣神社、是非行きたいですね!
結城秀康は花の慶次の印象が強いですね。
人質育ちは大変ですよね。
コメントありがとうございます。
花の慶次にも出てたんですね、見たこたなかったので見たくなりました!
いざとなったら、、、の人質、
幼い時は丁重に扱ってもらっても不安でしたでしょうね、、、
神戸西部も昔は明石藩でこの家系だったんですね。結局は幕府も終始遠慮がありご家門として要所に多数配置されたのがわかります、
コメントありがとうございます。
西の守りが改めて重要であることがわかりました。
明石藩と尾張藩は、仲が悪かった😢
葵徳川三代では、岡本富士太さんが秀康を演じ、西田敏行さんの秀忠との語らいはいいシーンでしたね。
秀康・忠吉と、兄と弟を相次いで亡くした秀忠の号泣シーンなどもありました。
コメントありがとうございます。
あのシーンはとにかく印象に残るシーンでした。
葵徳川三代、やはり名作です。
秀康が存命だった頃は豊臣家は存命していたのも秀康のおかげでしたね。
コメントありがとうございます。
まさに豊臣と徳川を繋いだ、秀康という名の人生だったということですね。
この家系の人々が2025年10月クールからの朝ドラでもクローズアップされました。ここまで来たかなという感じです。
コメントいただきありがとうございます。
来年の朝ドラが楽しみです✨
赤穂事件の大石内蔵助は結城の子孫なので、将軍綱吉も秀忠兄秀康ともつながる家系の者の処分に苦慮した面はあったのでしょうね。
コメントありがとうございます。
大石家が小山ー結城のラインというのを初めて知りました。ありがとうございます。
見ごたえありました。作州津山出身です。これ程までに養子を供給しそれぞれの血脈維持に貢献していたとは。感動しました。感謝感謝です。
コメントいただきありがとうございます。
津山の方なのですね。地元の方にコメントいただけると嬉しいです。
いつか、自分の足で津山松平家のゆかりの地を見たり触れたりしたいです。
結城秀康を語るなら名刀石田正宗について経緯を説明してほしかったですwww
コメントありがとうございます。
家系図ばっかりで、完全に失念してましたw
どこかの機会で触れたいです!
武田旧臣が多い当たり、やはり越前松平家は武勇の家系なんだなと思いました。
同じく武田旧臣を多く抱えた徳川家の譜代家臣の井伊家もそうですが、西国との境目を守ってるのはやはり武力で幕府を守れるくらいの実力を買われましたね。
コメントありがとうございます。
滅亡してもなお、武田という家はいろんな形で機能する、武田家にそそられるのはそこかも知れません。
お万の方は、鬼の作左に助け出され、浜名湖畔、
現湖西市太田の豊田家に
匿われます😊
コメントありがとうございます。
ということは豊田家にいた後に、中村家に移ったということでしょうか。
松井玲奈さんは元AKB48でなくて元SKE48です。でも彼女はAKB48のイメージが強いですね。
ご指摘ありがとうございます。
訂正コメント入れさせていただきました。
AKB48として出ていた時のイメージが強く、所属グループを誤って認識していました、、、
ありがとうございます。
結城秀康=羽柴秀康=松平秀康
数奇な徳川家康の御曹司です。
成人後は、徳川家臣団より豊臣家臣団と親しくしていたようですね、
結城秀康本人その子孫は、徳川宗家の相続権は、なかったようですが松平宗家の相続は、結城秀康の家系かなと思っています。
昔結城秀康の子孫達の総石高調べましたが100万石あったんだと驚きましたわ。
コメントいただきありがとうございます。
秀吉の許で過ごした時期は、大切に育てられたからでしょうか。
越前松平家の最盛期の石高、相当なものがあります。将軍の兄の家格というのが伝わってきます。
私の先祖は福井から明石についてきた家臣です、その関係か親戚は小泉八雲の子孫と結婚しています
コメントいただきありがとうございます。
すごい繋がりです!!
明石松平家のご家臣なのですね。
来年の朝ドラは、とても近いところがピックアップされたことになりますね。
秀康は梅毒にて34歳の若さで亡くなる事になるけど父の家康は医学に造詣が深かったので家臣や息子達に遊女とは関わらぬように厳命していた影響で徳川方には梅毒の死者が1人も出なかったのに、秀康だけあの最期を遂げたのは父との絆の薄さも相まって不幸としか言いようが無いね…
コメントありがとうございます。
父の教えは、命を左右したということですね。
秀康と直接関係ありませんが、彼の生まれた浜松の中村家は浜名湖の水運を任されていた家ですが、家系を遡ると源範頼の末裔ということになっているそうです。邪険に扱っているようでもちゃんとした家柄の元に預けているあたり情がなかった訳でもなさそうですよね。
コメントありがとうございます。
邪険に扱うように見せてたのかもしれないですね、築山殿や周りからの見え方のために、、、
範頼公の末裔というのは、興味深いです!
😊😊😊😊😊
ありがとうございます✨
越前福井松平家32万石
雲州家、前橋家、明石家、津山家、糸魚川家、広瀬家・母里家の7家の宗家
徳川家康の次男であり徳川将軍家二代秀忠の兄の家である為、制外や格別の家と言われる御家門筆頭の家
上屋敷は当初和田倉門外(現パレスホテル)という江戸城至近の一等地にありましたがのちに二等地の常盤橋門内(現大手町プレイス)に移されます、旧地の和田倉門外は若年寄、老中宅となります
その14代当主、春嶽で知られる慶永は将軍家十一代家斉の弟田安斉匡の八男です
家斉二十二男松平斉善の養子に入り越前家
田安家から越前家への入養は将軍家継嗣候補からの脱落でもあった
越前家は慶永の代は家斉の甥として殿席も下之部屋ではあるが大廊下詰めになっている
当時の御三家当主より遥かに将軍家に近い血縁であり将軍継嗣問題に介入出来ると錯覚しても仕方がないですね
コメントありがとうございます。
大手町プレイスにあったんですね!
今度行ってみます。あの丸の内、大手町あたりの旧上屋敷跡巡りがいつか完全制覇したいと思ってたので嬉しい情報です。越前松平家、本当に興味深いです!
宗家は津山松平家です。おまちがいなく。
秀康は、弟である2代将軍秀忠には、とても慕われていたエピソードが好きです。
病気で鼻が落ちて、差し鼻をして父家康の対面の際のエピソードは、やっぱり父家康には疎まれていたのかと、悲しくなるエピソードですね。
コメントありがとうございます。
忠直への勝姫の輿入れを見ても繋がりの強さを感じますね。
すごい丁寧で、分かりやすいのですが、やはり、ごちゃごちゃとしてね、難しいですね。ただ、将軍には、ならなかったけれども、越前松平一門として大繁栄したので、将軍家と同等でしょうか。
コメントありがとうございます。
一門内での養子が多く、非常に複雑な家系図になっております。
繁栄レベルでいうと同じくらいの広がりを見せてると思います。
松井玲奈は元AKB48ではなく
元SKE48(&元乃木坂46)
ご指摘ありがとうございます。所属グループを勘違いしておりました。
申し訳ありません。
母方は直政公が松本藩主だった時代に登用され、以後代々松江藩士でした。島根県立図書館で先祖を調べてきました。
コメントありがとうございます。
松江藩士がご先祖さまなのですね!
一緒に付き従って松江まで行かれてすごいです。
うちは先祖代々出雲の国に住んでましたが、松江藩から仕事をいただき郷士として生計をたてさせていただきました。まだまだ家が続いているのも松江藩のお陰でしょうか。
@@小原和文 私は先祖代々出雲かと思ってましたが、松江藩烈士録で調べたら「あー先祖代々転勤族だったか」って感じで。父方は阿波から備前に流れ関ヶ原後伯耆で帰農してます。
出雲は田部家等尼子以来の豪農(山林王かな)が藩の財政を支えていらしてましたね。
千葉の姉ヶ崎に松江、個人的にも縁の深い場所です。
我が家は松江のお殿様が大社さん参りをする時の休憩所でした。ちゃんとした本陣ではなくて、軽くお食事をされるところだったようで。
本物かどうかは判りませんが、木箱に入った飯茶碗と汁茶碗が蔵にあります。一度しっかり調べてみたいとは思うのですが、どこから手を付ければ良いのやらw
そのようなものがあるんですね。調べたら色々なことがわかったら楽しそうです!!
いいね
福井松平の松平康愛氏は、徳川慶喜公の孫久美子さまと結婚されましたが、先の大戦で戦死され、一人娘の智子さまが田安徳川の宗紀氏を婿に迎えられました。
松平ご夫妻が湖西市豊田佐吉記念館を訪れております。
コメントありがとうございます。
ここでも繋がりがあるということですね。ありがとうございます。
家門松平筆頭。
コメントありがとうございます。
本人は見ないと思うけど 松井玲奈さんはAKB48ではなく SKE48です 残念! 笑笑
ご指摘ありがとうございます!
ご本人は見ないと思いますが、失礼をしてしまいました、、、
瞬く(しばらく
ありがとうございます。
福山藩は、備前ではなく備後ですね。
ご指摘ありがとうございます。
誤りました。訂正いたします。
今の福井はまったく城下町感がないのがもったいない
コメントいただきありがとうございました。
明治維新以降、近代化が進んでしまったのでしょうか。
越前家一統
家名 祖(居城・居所 領知高)
松平越前守 太政大臣家康公二男越前中納言秀康卿(越前國福井城 高三十二萬石)
┃┃┃┗松平日向守 松平越前守光通朝臣長男松平備中守直堅(越後國糸魚川陣屋 高一萬石)
┃┃┣松平中務大輔 松平伊豫守忠昌卿長男松平中務大輔昌勝朝臣(越前國松岡陣屋 高五萬石(絶家))
┃┃┗松平兵部大輔 松平伊豫守忠昌卿五男松平兵部大輔昌明朝臣(越前國吉江陣屋 高二萬五千石(絶家))
┃┗松平越後守 松平越前守忠直卿長男松平越後守光長卿(美作國津山城 高十萬石)
┣松平伊豫守 越前中納言秀康卿二男松平伊豫守忠昌朝臣(越後國高田城 高二十五萬石(絶家))
┣松平出羽守 越前中納言秀康卿三男松平出羽守直政朝臣(出雲國松江城 高十八萬六千石)
┃┃┗松平民部少輔 松平出羽守綱隆朝臣五男松平民部少輔近憲(出雲國內 高一萬石(絶家))
┃┣松平式部少輔 松平出羽守直政朝臣二男松平上野介近榮(出雲國廣瀨陣屋 高三萬石)
┃┗松平志摩守 松平出羽守直政朝臣三男松平左近大夫隆政(出雲國母里陣屋 高一萬石)
┣松平大和守 越前中納言秀康卿五男松平大和守直基朝臣(上野國前橋城 高十七萬石)
┃┗松平主殿頭 松平大和守直矩朝臣四男松平主殿頭知淸(陸奧國內 高一萬石(絶家))
┗松平但馬守 越前中納言秀康卿六男松平但馬守直良朝臣(播磨國明石城 高八萬石(十萬石之格))
ありがとうございます。
このように載せていただき感謝申し上げます。
幕末、越前藩主松平春嶽公が会津藩主松平容保公に「会津家訓」を引き合いに出して断れない状況に追い込んでまで無理やり京都守護職(貧乏くじ)を押し付けたのは徳川宗家への怨恨?
コメントありがとうございます。
非常に難しいですね、、、
人材として認めていたのか、、、容保に矢面に立ってもらおうと思ったのか。
「八重の桜」で、村上弘明扮する春嶽公が、綾野剛扮する容保公に、いかにもちょいワルな雰囲気で迫っていたのを思い出す。
勿論、春嶽公の政治達者振りを表す話であるが。
本田作衛門が城中を見回っていると、竹藪の中に丸裸で縛られて泣いている女がいて、事情を問うと「築山御前の折檻を受けている」。
それなら放っておこうと行きかけると、「腹に家康の子がいる」と言う。
となれば、放っておけず、助け出して家康に問い合わせると、「そんな女は知らない」。
しかし、妊娠しているのは確かなので、さらに問うと
「一夜だけのことだ、それで子などできるか」
「(一夜に)幾度召され候ひや」
「七度召しき」
それは逃げられぬということで、子と認められた話。
いよいよ生まれて、幼名を家康に求めると、「不義丸と名付けよ」と言われたが、それではあんまりなので、「於義丸」となった話。
親子の対面も行われず、気の毒に思った信康が伴って家康の元へ。
「その子はなんじゃ」
「弟にございます」
顔色を変えた家康が去ろうとするのを、信康が袖をとらえて引き留め、「父上しゃぞ」と親子の名乗りをさせた話。
秀康の幼少期の逸話は、気の毒なものばかり。
「一夜の交わりで生まれ、父親が認めなかった」というのは、足利尊氏と直冬と同じですね。
こちらは弟の直義が親子の対面をさせた後、自分の養子にしたので、兄弟の仲が決裂すると、有力な敵となりました。
秀吉没後、家康が扱いを間違えれは、大きな敵となった可能性は高いです。
映像が思い浮かぶようなコメントへの記載、ありがとうございます。
尊氏ー直冬のようなっていたら、誰も喜べない悲しき最期になっていたかもしれません。
そうならなくて良かったです。
おまんは、湖西市太田の豊田家に匿われたとなってます。豊田家の末裔は今でも本家、新屋共に太田に住んでいます。
コメントいただきありがとうございます。
自分の中で中村家と覚えてしまっておりました。
情報ありがとうございます。
将軍の兄の家柄ですね。
越前藩、高田藩からしたら
5代将軍綱吉などは、「綱吉など傍流にすぎん。我々が家康公の嫡流系」と思ってただろうし。家康の曾孫では同格。
綱吉は館林25万石だったことも
軽くみてただろうし。
だから綱吉は、越前藩を領地半減。高田藩を取り潰したと思う。高田藩は津山10万石で再興したけど、世継ぎ断絶で5万石に
将軍の名前をもらう特権も失うことに。後に越前、津山ともに11代将軍家斉の子供を養子に迎え、石高加増、家格上昇したけど、秀康、忠直の時代には及ばなかったね。
コメントいただきありがとうございます。
将軍との関係、そして、家康公の次男家系というプライドですね。
ありがとうございます。
赤穂に行くか 越前か どちらが良いと言われたそうな、そんな中 元朝倉家臣の1人が!越前にと進めたそうな。
けど来てみたら!田舎過ぎて!後悔したそうです。激怒して 今みたいに ネットないならね。武田家臣の子孫も うぁー。となったのでしょうね。
けど加賀は、能登 越中合わせての石高だけど、越前は一国ての石高 イイと思うんだけどね。結城秀康は福井にそば文化持ってきた人だから好きよ。
コメントありがとうございます。
越前のそば文化について初めて知りました!
そのような歴史もあるのは、また興味深いです!
明らかに当時は越前より赤穂の方が田舎ですよ
越前松平家とくれば、幕末の松平春嶽だよな~ 殿様クラスでは、相当な切れ者のハズ
コメントいただきありがとうございます!
幕末の幕府と朝廷の関係にはなくてはならない人物ですね!
松平家多すぎない?
コメントいただきありがとうございます!
秀康から始まる越前松平家でもこれだけあるので、ホントどこの松平か、一瞬で判断出来ない人だらけです、、、
家斉爆弾うぜえ
丸岡に始まり現存天守に縁がありますね
コメントいただきありがとうございます。
確かに、現存天守に縁ありますね。その角度で初めて見ました。ありがとうございます。
私の本家は福井です。
伯父(85)の話では、ウチの先祖は福井藩士だったとか。
さらに伯父の話では、2代藩主・忠直は悪事を福井に来た水戸黄門に見られたので、領地を削られたとのこと。
😅本気にしないで、面白噺として捉えてください😅
コメントありがとうございます!
本家が福井なのですね。
いえ!そう言ったお話聞けるだけでも嬉しいです、ありがとうございます✨
水戸黄門は常陸水戸江戸上総下総の付近を漫遊したらしいですが、福井には…
誰が演じてるかは、要らん。