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1992年の鈴鹿で観戦していました。早さは、905>TS010>MX-R01 何と905の予選タイムは前年のF1の8番グリッドに相当するとのアナウンスが流れたのを覚えています。音の良さは、905>MX-R01>TS010 でした。🤣良き時代でした。
生でそのアナウンスを聞けるのは当時を行きた人のみ…(当たり前だけど)素直に羨ましい限りです
いいですね〜!トヨタTS010〜!SWC参戦マシンの中で大好きなプロトマシンですが、世界的大企業のトヨタが歯噛みしてもル・マンで勝てなかったってのが痺れるほどカッコイイ!(92年モンツァで勝っちゃいましたが…)トヨタが足掻いてもル・マンで勝てない…そういう状況で作られたトヨタのプロトマシンが一番好きですね〜
2010年の年末にお台場の隅にTS020が置いてあった(飾ってはいないそれはパンクして埃を被った状態で置かれていた 何とも悲しい姿だったな
13:11 トヨタは1995年から80スープラでルマンに投入したが、マクラーレンやメルセデス・ベンツ等の強豪に苦戦した事や戦果を挙げられなかったので、1998年からTS020(GT-one)を投入している。
80スープラは、ワークスでは出て無いのでは??プライベーターでSARDが走ったのではなかったかな?
「これがッ、噂のデグナーなんて、言ってる場合か〜ッ!」TS010と言えば、三宅アナのドッキリ同乗走行のイメージが...そんな状況でもしっかり実況し始めるあたり、やはりプロは凄い。
前の年に川井さんがフロムAカラーのR90CKに乗せられたんだっけ?
リアタイ視聴してたけど、そんなに嫌なら俺が隣に乗りたかった🎉
シャシー開発には童夢も絡んでいて最初の個体は童夢製(レースには使用せず)だったその個体は苫小牧でJSPCのエッソカラーになって展示されています
ts010と言えば小河さんなんだよ。小河、関谷、リース組での優勝見たかった。
ルマン優勝できなかったの、プジョー(ジャントッド)が上手いうのもありましたが、小河等さんが亡くなったのが一番大きかったと思います。。動画の最後に出てますが、小河等さんの代わりにニスモからレンタル(レーシングスーツの腕にはニスモのマークが。)で鈴木利男さんが乗ったのは嬉しかったです。。
この時代の流行り!?の5バルブをTS0101も採用していたのですね!
80スープラの大きめなヘッドライトのデザインははTS010をイメージしたらしい・・・と昔、80スープラ買うとき聞いたような。
92年に2位になった33号車(TS010-003)は翌年Tカーとして持ち込まれており、コックピットや外装にその名残が有ります
エディがバカ速かった1993年❤あんなにポコポコ壊れたんじゃどうにもならないよね😢クラス優勝のSARDの加藤さんは名将だったよね😂
むかし群馬太田市の車屋の看板として、デンソーカラーの010が雨ざらしで展示されてたな。エンジンレスのドンガラだったけど😂いつか店のオヤジと話してみたいと思ってたが廃業してしまった。。
どうやって手に入れたのでしょうかね…?気になる…
プジョー905には、明らかに劣っていましたよ。TS010は、新規定のマシンですが大きなフロントフェンダーラインや大きな開口部のドア等、旧タイプマシンのデザインを引きずっていました。その点、XJR-14や905は、マシン規定を大胆に解釈し、耐久マシンからスプリントマシンへと変貌させています。XJR-14は、91シーズンを席巻し、プジョーは91年はテストと割り切って参戦しデータ取りに専念。プジョーは、オールフランスともいえる参戦体制で、モノコックは航空機メーカーのダッソー製、エンジン開発にはマトラ出身者も関わるなど、勝つために徹底していました。そのプジョーが、92シーズンに勝つのは約束されていました。当時のレース映像を見ると分かりますが、アクシデントが起きなければレースをリードしていたのは905で、それを離されない様なんとか追うのが010というのが定番でした。
全車周回遅れって、排気量もターボもなんでもありの車よりも、3500NAの方が速かったのか
最低重量が全然違う。新規定のマシンは750kgだが、旧規定車は950~1000kg。長いストレートはターボマシンが有利だが、コーナーが絡むような場所ならば新規定車は、旧規定のマシンをどこからでも抜けると言われていたほど運動性能に差があった。
1992年の鈴鹿で観戦していました。
早さは、905>TS010>MX-R01 何と905の予選タイムは前年のF1の8番グリッドに相当するとのアナウンスが流れたのを覚えています。
音の良さは、905>MX-R01>TS010 でした。🤣
良き時代でした。
生でそのアナウンスを聞けるのは当時を行きた人のみ…(当たり前だけど)
素直に羨ましい限りです
いいですね〜!トヨタTS010〜!
SWC参戦マシンの中で大好きなプロトマシンですが、世界的大企業のトヨタが歯噛みしてもル・マンで勝てなかったってのが痺れるほどカッコイイ!(92年モンツァで勝っちゃいましたが…)
トヨタが足掻いてもル・マンで勝てない…そういう状況で作られたトヨタのプロトマシンが一番好きですね〜
2010年の年末にお台場の隅にTS020が置いてあった(飾ってはいない
それはパンクして埃を被った状態で置かれていた 何とも悲しい姿だったな
13:11 トヨタは1995年から80スープラでルマンに投入したが、マクラーレンやメルセデス・ベンツ等の強豪に苦戦した事や戦果を挙げられなかったので、1998年からTS020(GT-one)を投入している。
80スープラは、ワークスでは出て無いのでは??プライベーターでSARDが走ったのではなかったかな?
「これがッ、噂のデグナーなんて、言ってる場合か〜ッ!」
TS010と言えば、三宅アナのドッキリ同乗走行のイメージが...そんな状況でもしっかり実況し始めるあたり、やはりプロは凄い。
前の年に川井さんがフロムAカラーのR90CKに乗せられたんだっけ?
リアタイ視聴してたけど、そんなに嫌なら俺が隣に乗りたかった🎉
シャシー開発には童夢も絡んでいて最初の個体は童夢製(レースには使用せず)だった
その個体は苫小牧でJSPCのエッソカラーになって展示されています
ts010と言えば小河さんなんだよ。小河、関谷、リース組での優勝見たかった。
ルマン優勝できなかったの、プジョー(ジャントッド)が上手いうのもありましたが、小河等さんが亡くなったのが一番大きかったと思います。。動画の最後に出てますが、小河等さんの代わりにニスモからレンタル(レーシングスーツの腕にはニスモのマークが。)で鈴木利男さんが乗ったのは嬉しかったです。。
この時代の流行り!?の5バルブをTS0101も採用していたのですね!
80スープラの大きめなヘッドライトのデザインははTS010をイメージしたらしい
・・・と昔、80スープラ買うとき聞いたような。
92年に2位になった33号車(TS010-003)は翌年Tカーとして持ち込まれており、コックピットや外装にその名残が有ります
エディがバカ速かった1993年❤
あんなにポコポコ壊れたんじゃどうにもならないよね😢
クラス優勝のSARDの加藤さんは名将だったよね😂
むかし群馬太田市の車屋の看板として、デンソーカラーの010が雨ざらしで展示されてたな。エンジンレスのドンガラだったけど😂
いつか店のオヤジと話してみたいと思ってたが廃業してしまった。。
どうやって手に入れたのでしょうかね…?気になる…
プジョー905には、明らかに劣っていましたよ。TS010は、新規定のマシンですが大きなフロントフェンダーラインや大きな開口部のドア等、旧タイプマシンのデザインを引きずっていました。その点、XJR-14や905は、マシン規定を大胆に解釈し、耐久マシンからスプリントマシンへと変貌させています。
XJR-14は、91シーズンを席巻し、プジョーは91年はテストと割り切って参戦しデータ取りに専念。プジョーは、オールフランスともいえる参戦体制で、モノコックは航空機メーカーのダッソー製、エンジン開発にはマトラ出身者も関わるなど、勝つために徹底していました。そのプジョーが、92シーズンに勝つのは約束されていました。
当時のレース映像を見ると分かりますが、アクシデントが起きなければレースをリードしていたのは905で、それを離されない様なんとか追うのが010というのが定番でした。
全車周回遅れって、排気量もターボもなんでもありの車よりも、3500NAの方が速かったのか
最低重量が全然違う。新規定のマシンは750kgだが、旧規定車は950~1000kg。
長いストレートはターボマシンが有利だが、コーナーが絡むような場所ならば新規定車は、旧規定のマシンをどこからでも抜けると言われていたほど運動性能に差があった。