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こんばんわ…この動画見つけてすごーく懐かしくなりました。1980年3月末のある日の早朝、上野午前5時55分発仙台行き旧型客車仕様の普通列車に、学生生活を送ろうと下宿を決めてきた京都から自宅のある山形への帰りに、仙台まで乗車しました。仙台到着が、お昼の1時近くだったような…。この動画と同じパターンの普通列車が、僕の記憶では1日に3本は走っていたような気がします。…東京まではもちろん大垣夜行でした。学生の頃の、ほろ苦くも良き思い出です…
当時、三河島、南千住、天王台通過の他、現在主要駅の北千住、柏通過にはびっくりです。
私も、中学の頃、上野を早朝に出る客車列車に乗りました!仙石線の旧型国電に乗車する為です。当時は、手動ドア、走行中も開けっ放し・・・が当たり前だったんですもんねぇ・・今なら、大問題になってそう・・いい意味で、おおらかな時代でした。帰りは、ひばりの食堂車で、ちょっとした大人気分を味わったものです。社会や鉄道界の変化って、すさまじい・・・あの頃が懐かしく思い出されます。
今の人が乗ったら慣れてないからデッキから落ちる死亡事故が多発するでしょう(笑)
うわ~、なつかしいです!!学生の時、仙台に帰省するのに1回だけこの鈍行を利用してみました。夏の暑い頃ですが、クーラーはなく電車の窓が全て開け放たれていて、海の近くを走る時は潮風が電車の中に入ってきて心地よかったのを覚えています。東北線周りの特急で4時間だったところ、この電車は8時間かかりましたが、いろいろな景色やその土地その土地の人の流れを見ているうちにあっという間に仙台に着いたように思いました。いい思い出です!!
客車鈍行は長時間乗っていても飽きませんでしたね~。何時間でも乗ってられた。
この列車、良く乗りました。松戸駅まえの制動音、鋳鉄のブレーキシューのザーっていう音最高です。ほんとうになつかしい。ありがとうございます。
まさにこの列車、学校が長期休暇の度に、弟の手を引いて入線の一時間前から並んで、駅弁をぶら下げて、ワクワクしながら乗り込んだものです。その頃の情景が思い浮かび、懐かしさいっぱいです。貴重な音源を公開頂きありがとうございます。EF80の音も独特で、好ましいですねぇ❗あぁ、あの頃に戻りたい❗
鉄道の旅が楽しかったですね。新幹線の旅はいまひとつ退屈なので最近はもっぱら飛行機です(笑)
客車の、レールの継目を渡る乾いた音。勇ましくも、悲しくも聴こえる機関車のホイッスル。時代背景も思い出も、何もかもが蘇り、何度聴いても涙出ます。
自分の録音で涙を流してもらえる。これ以上の喜びはありません。
学生時代と社会人時代埼玉草加在住で日比谷線から何時も列車音聞いてました。夜行ではゆうづるや十和田を牽引、特に南千住過ぎ貨物線合流、隅田川陸橋通過から北千住構内迄の加速と列車響音は最高でした。汽笛は旅愁をそそりますね!
予備校からの帰りに乗車していた仙台行。毎日が旅気分でした。
私も当時、松戸に下宿して御茶ノ水の予備校通学に通っており、よく客車に時間を合わせて下宿に帰っていた記憶があります。朝の上りは夏でもエアコンの無い多分415系等の超満員列車に詰め込まれていましたが、昼過ぎくらいに空いた客車に乗れる日は優雅な気分でした。はっきり記憶してないのですが、国鉄が好きで千代田線経由ではなかったのかもしれません。途中の「角海老」のでっかい看板見ながら、あれは何の看板なんだろう?といつも不思議に思ってました。同じ列車に乗り合わせたこともあるかもしれませんね 笑
うちの祖父がこの列車に乗って松戸で降りるつもりが寝過ごして平(いわき)まで連れていかれました
ハチマルの音、良いですねぇ!昭和57年11月14日に到着した426列車で消滅した、私の職場では「一般車」若しくは「在来型一般車」。奇しくもこの録音がされた日も私はその駅におりましたが、確か改札だったかなぁ…一般車で常磐線全区間を抜けたのは団臨で、上野から常磐線を回り仙山線・奥羽本線を経て上野に戻る企画の添乗でした。雑音とされる旅客の会話すら、心地良い効果音です!
驚きました!同じ空間にいたのですね。
ご返事遅れて失礼致しました!!前記事には一部訂正がございまして、常磐全線は1981年夏に221列車で乗り通しておりました(笑)その頃の勤務記録など処分してしまいましたけれども、その時期は改札でした♬クリーンな音が羨ましいです!!本当に、同じ空間にいたのですね♬
偶然、超驚きの発見です!中学2年当時、鉄好きの友人に懇願され、日暮里・松戸間まで付き合いで乗車しました。その当時でも、その客車の古さ戦後間もないままかと?ビックリさせられた記憶がハッキリ残っております。目を瞑って走行音を辿りながら隅田川・荒川・中川・江戸川の鉄橋を順に、しっかり松戸まで目に浮かべられますね!いやぁ、マジに懐かしいし驚嘆しております。主様の録音された腕に非常に感服しております。有り難うございました。
感動で涙がでてきました!ハチマル超かっこいい!このブロアー音と高めの汽笛が特徴ですね。綺麗に録音されてます。直線区間とカーブ区間では音が異なります!音が鮮明なので良く分かりますよ! 懐かしいなぁ~10:09日暮里北側踏切 大カーブ 11:05三河島通過 13:20南千住通過13:37隅田川橋梁14:40北千住通過 15:23荒川橋梁 工事区間のため減速する 16:23東武伊勢崎線交差 18:20時速95~100キロくらい19:38綾瀬~金町間 綾瀬川橋梁20:08新金線へ渡るポイント通過20:20金町通過20:57金町~松戸間 江戸川橋梁21:40千代田線交差 左大カーブ22:30まで23:04制動 現在のE231制動はは23:23辺りです23:18松戸 退避ポイント通過 直進24:00松戸停車急行並みにカッばしてました!元気なEF80時代録音有難うございました。鉄道模型の音源に使わせて頂いても良いでしょうか?
ありがとうございます!ソニーのレコーディングウォークマンで撮りました。
70~80年代に成田線沿線に住んでいました。この仙台行き客車鈍行は乗ったことも見たこともないのですが、我孫子駅で成田線を待っているとEF80牽引貨物列車がこの爆音のモーター音で通過したものです。この爆音が本当に格好よくて、当時の記憶が甦りました。
旧客のデッキから見るEF80は本当に鉄の塊というか迫力がありました。当事の機関士の話(雑誌記事)によれば交流区間ではパワーをもてあますほどだったそうです。
青春まっただ中の青春時代、毎日古い客車に乗って通学してました。走ってる時でさえ、バタンバタンと開けっ放しのドア・・今では考えられませんよね。今では完全なイベント扱いのような列車が、毎日の日常生活の中に当たり前に存在していました。スマホなんか無くていい、時間がかかってもいい、あの頃の鉄道旅行を、もう一度味わってみたい衝動が突き上がってきます。
本当にそう思います。スマホなんかなくてもあの頃は毎日がキラキラ輝いていました。私は磐越西線のスイッチバックでデッキから落ちそうになったことがあります。
1986年生まれなので、ちょうど入れ替わりだったんですね。乗ったことがないのに、モーター音がとても懐かしい。今は長距離を長時間かけて移動できないので味気ないです。
本来なら五月蠅い筈の音が、こんなにも心地良いと思えるのが、我々鉄道ファンですね!^^素晴らしい録音状態です。ありがとうございます。
柏通過なんですね。どおりで記憶にないわけです。この頃常磐線つかってましたが、103系と営団6000系がもっぱらでした。いまや半数の特急が柏に止まり、我孫子は通過する列車が増えました。時代は変わっていきます。貴重な音源ありがとうございました。カーブに車輪が軋む音、甲高い汽笛に涙が出ます。
柏通過に当時柏市民にとっては郷愁漂う列車に乗れず我孫子か取手まで乗り継ぐしかなかった模様。しかも柏は東武野田線の乗り換え駅とあって東葛のターミナルだった。
昭和末期は柏はすでに沿線最大の都会でしたが急行も旧客普通も止まらなかったんですよね。ニーズに対応し始めたのはJR以降です。
当時小学5年生で、この列車で自宅がある神立まで上野から乗車しました。夏休みの頃で冷房が無く、暑かったのでしょうが窓を開け外の風を心地よく感じていました。上野、日暮里、松戸、我孫子、取手... 停車駅は少なくとも、神立に着く頃は二時間位経っていたと思います。 今の常磐線の電車とは比べものにならない環境ですが、この頃の常磐線が大好きです。 この頃に帰りたい...。 思わず涙してしまいました。貴重な音源をありがとうございます。
今の快速の停車駅も、柏駅は通過にして、上野、日暮里、北千住、松戸、安孫子、取手・・・でいいかもしれませんね
本当に涙がでますね。この頃に帰りたい。おじさん寂しいよ。
私が小学生の頃休みの度に茨城県にいた親戚の家に行く時は上野発12:25仙台行きに乗り藤代まで乗りました。他にも上野発15:13発平行に乗ったり。帰る時も藤代発15:00頃かな上野行旧客で帰りました。もしタイムマシーンがあったらあの頃に行って見たいです。
EF80は地元近くの小山駅でよく見かけました。あの独特のブロワー音と何処か哀愁のある汽笛に魅せられました。当時は小学5〜6年だったと思いますお金がなくて上野に行くのに東武線で北千住まで行き、そこから103系上野行きに乗りましたが確か三河島停車中にこの仙台行きが疾走と通過したのを覚えてます。水戸線は2回乗ってますが常磐線は結局乗ることが出来ませんでした。この動画でEF80の音が聴けて当時の記憶が懐かしくて今にも涙が出そうです動画ありがとうございます。
懐かしいです。この列車は地元の駅には停車してくれなかったので、滅多に乗れない憧れの列車でした。実際に乗車出来たのは、親戚を訪問した際と芋堀大会(笑)の帰途の僅か2回。発車時の衝撃が意味が解らず驚きましたね。共に運良く窓際の席を譲ってもらえた記憶があります。UPありがとうございました。
この列車に思い出のある人が多いですね。私もお金がなくて乗れたのはこの時一回限りです。
懐かしい音ありがとうございます。何度か乗車したことが有り当時の想い出が甦りました。機関車の音、客室内のジョイント音もう聞けないのが残念です。
日暮里駅から取手駅まで利用していましたが、下り列車の場合、どちらも前方に出口があったため、自分はよく機関車次位に乗ってました。EF80は1台車1モーター2軸駆動車だけあり、ツリカケ駆動の音が豪快で、惰行時や減速時にもツリカケ駆動の音が鳴り止まず聞こえた機関車でした。その特徴がよく録音された音源ですね。EF80が引退したあと、旧客列車廃止までのわずかな期間、EF81で運用されましたが、惰行時がだいぶ静かになった記憶があります。
この仙台行客車列車大好きでした。毎日学校の昼休みに出発の汽笛を聞いておりいつか全区間制覇と思っておりましたが達成することができず残念でした。
ご拝聴させていただきました。旧型客車の味わいのあるジョイント音ya、EF81のモーター音、鳥肌が立つというか、懐かしくもう戻ってこない音だと思うと涙すら浮かんできます。貴重な音源です。実物は戻りませんが、このような長時間の音源を聞くことができ嬉しく思います。私も音源公開しています。こちらの方も一度お聞きください。
涙ながらに聴いていただいている方が多いことに驚きました。ありがとうございます。私の当時感じた感動を多くの人に共有してもらえうれしいです。
これはもう貴重、EF80のモーター音が聞けるのもこれが唯一。実車はすでに没し、平成・令和に残しておきたいサウンド。走行時にやたらに入る汽笛の音が今の電車列車にはない歴史を物語る。
この時点で、東北本線では黒磯以南で客車鈍行は無くなっているものの、常磐線では何本か客車である故、今の時代に比べたら、まだロマンが残っていますね。
なんて貴重な記録なんだろう!
懐かしゅうございます。終点まで行きたかった。 この時代、富める者には特急があり、貧なるものには長距離普通列車があり、ある意味優しい時代だったった気がする。単なるノスタルジーですかね。
特急->新幹線鈍行->高速バスこんな今どきですかね
まだ客車鈍行が多く残っていた時代。ただし、距離は最盛期に比べて段々と短くなっていますが。この動画の時点で、黒磯から南は客車鈍行は無くなっていますし。でも、今の時代に比べたら、まだロマンが詰まっていますね。
@@uk761新幹線に加えて、飛行機も含まれるかもしれませんね。格安航空もあるので。高速バスも高かったり、安かったりいろいろありますね。
「列車がよく止まるまでお待ちください」って懐かしい放送だなあ・・
よく停まる前に飛び降りてホームでコケている鉄っちゃんとかいました。古き良き時代ですね。
@@ohayuni615861 上野駅では推進で入ってきた回送列車(着後営業列車になる。)が停車する前も「列車がよく止まるまでお待ちください」と放送していました。自由席の座席を早く確保しようと飛び乗る人もいたのでしょう。
@@ohayuni615861 慣性の法則を身を以て体験。
おーっ!懐かしい。この頃は旧客のドア手動だったな~。仙台まで乗車した。EF80、好きだったな~。いい音が響きますね。
懐かしいです。貴重な動画、ありがとうございます。
当時、柏に住んでいました。上野から、松戸まででしたけど、あえてこの列車にを選んでいました。電車には無いジョイント音と、EF80の壊れそうなモーター音、危険でしたが、ドアから身を乗り出して荒川、江戸川の鉄橋を渡る時の風。良かったなー。水戸にある親戚の家に行く時も、我孫子から乗りました。
こればかりは体験した人でないとわからない世界ですよね!
常磐線の勇姿EF80形交直流電気機関車牽引客車列車223レ。素晴らしい貴重な記録です。私も松戸まで乗った記憶があります。
この頃に自分も常磐線普通列車に乗車したことがあります。小学生高学年の頃でしたか。1人で上野発(16時頃だったと思います)、何処に行くあてもないのでたった1駅 日暮里まで乗りました。たったの3~4分位でしたが、今も思い出として忘れることはないです。行き先は平行きか原ノ町行きかのどっちかだと思います。今から40数年前の事です。
上野15時13分発の平行だと思います。松戸に15時33分頃着で降りると間もなく上りの上野行が来て、そっちはEF80の後ろにマニ37、オユ10が続いていました。
@@小高健一-r9i 教えていただきありがとうございます。15時台の普通列車だったんですね。
EF80独特のモーターサウンド、いいですね。EF80はカルダン駆動なのに吊り掛けそのものなのが意外ですね。1モーター2軸駆動1段歯車減速カルダン方式という構造がそうさせているのでしょうが、今では聴く事ができないサウンドに魅了しました。
たしかに吊り掛けの音に聞こえますね。
相鉄でも10000系登場前の車両が直角カルダン駆動となっているが加速時からは釣り掛けの音色を放つ。相鉄を知らない方は釣り掛けモーター的音色の走行音にショックを抱く。
@@岩田康之-c9d いい意味でのショックを受けますよね。昨今相鉄も伝統的な日立式電磁自動ブレーキが過去帳入りしちゃってますね。併せて直角カルダンも近い将来消滅するのでしょう…
非・釣り掛け駆動とは思えない釣り掛け的モーター音が今の電気機関車にはない貴重な音と言える
@@岩田康之-f8t 惰行中もモーターサウンド(というか駆動音)が発してる事が吊掛式とは明らかに違う点ですね^^
小学生の頃に松戸から取手まで乗りました。懐かしい記憶がよみがえりました。😊
鉄道ジャーナルでこの列車のレポートが巻頭に載っている号が、ずば抜けて高いんですよね。今乗っても、勝田辺りでグロッキーかも。
当時、この後の列車、15時13分発、平行きに良く乗車してました。走行中もドアが開きますから子供がみんなぶら下がってましたね。危険な状態でした。
当時私は柏市在住で岩倉高校に通っていました。帰りによく利用させてもらいました。懐かしいサウンドです。
確かに!EF57牽引のときは機関車のデッキにまで子供が乗ってたみたいですよね。今なら緊急停止で鉄道警備隊が出動するところですが。
平成生まれの僕が客車の鈍行列車とは到底想像出来ない…あの頃の長距離客車普通列車や夜行列車の旅をしてみたかった……
電気機関車を意識するようになってから時刻表を見て上野発の機関車牽引の普通列車を発見し、何度か乗りました。EF80の起動時のブロワーモーターの音は62や63、64とは違った優しい感じの音ですよね。EF80は色も音も賑やかな屋根上も大好きなので、天賞堂の模型を買って時々眺めています。
これはEF80のモーター音がよく入っている。
走行音を聞いている間に気づいたら寝てしまっていました。私にとって客車列車の走行音は子守唄のようです。
なんかうれしい
北千住を通過して荒川橋梁を渡ってた後、複々線区間のハチマルのモーター音、ヤバすぎる!
80ですか!子供の頃50号機から後ろの番号だけしか動いた状態は見たことがない!一台車一モーターのクイル駆動が特徴的な存在。前期型は確か今は無くなった武蔵野操車場で廃車になったのを見ただけだ?後期型とは台車構造から駆動装置も違うからすぐにわかった程だ。前期型はこんな音だったんだ!初めてわかった!東京に引っ越したのが翌年だからわからないもしかたない!80の廃車はこの2年前からですね!
当時はね、これイヤだったんですよ。混むし、消毒液臭いし、冷房無いし、近郊区間でもタバコ吸ってるし、何より発車時の連結器のショックが子供には恐かった。あんまり混んでるとドア締まらないで走るんですよね。いや、ホント、昭和57年までそうでしたよ。でも今ならちゃんと座れるなら乗ってみたい気もします。音だけでも貴重です。
懐かしく思い出します。幼少期、茨城にいたので、よく仙台行旧型客車を見てました。覚えてる限りでは、今のいわきが平だった頃、平発の上野行上り客車に乗った記憶があります。
たくさんの人の記憶に残る列車。今はそういう列車も少なくなりましたね。
小さいころ、この各停をよく見ておりました。
このときは私も子供でお金がなくて取手までしか乗れませんでした。
長距離普通列車とか当たり前の様にあった時代でしたね、国鉄時代は地方駅も独特の雰囲気で駅長の趣味なのか駅のホームに木が植えてあったり、ただそれも特定のパターンみたいなのがあって(今から観たら)社会主義時代の特徴でした。JRの駅でも未だに当時の物が残ってたりしますけど。
もういちどJRがひとつに統合されて国鉄に戻って全国に長距離列車が走る時代が来てくれたら・・・なんてつい考えてしまいます。
仙台行きの普通列車って客車列車だったんだ自分は知らなかった
北千住や柏には止まらないのね。代わりに松戸というのがなかなか興味深い。
今の特別快速は北千住や柏も停車する。今回の列車としては北千住や柏を通過する異例の構成で普通列車とは思えない一部快速列車的存在。昭和の常磐線ならでは。
柏は通過なんですよね・・土曜日学校が半ドンの時乗って、短い区間の乗車ですが旅情を味わっていました。
両親の実家が茨城で、よく乗りました。機関車次位か最後尾です。
@@山猫急行 さん、旧客はやはり機関車次位か最後尾が萌えますよね
この列車乗ったことがあります。常磐線回りで仙台までって、生きている内にまた乗ること出来るのかな。。。
長距離普通列車。今だとさしずめ、上野東京ラインとか、湘南新宿ラインでしょうか?あまり魅力的ではありませんね。
2020(R02)10月の仙台出張の際に特急ひたちに乗りました。生きている内にまた常磐線に完乗出来て良かったです。復旧に尽力した関係者に感謝です。
これ全区間乗りました。ほぼ毎週日曜日、これで神立まで行って424で帰ってきたり遊んでたな。学校が短縮授業だと425-424の松戸折り返し。最後の1か月は高崎のオハフ33が連結されてましたね。日暮里出てすぐの踏切の音とか金町のポイントの音、江戸川橋梁の音とか千代田線(常磐線緩行線のことをこう言っていた)の陸橋通る時の音とか懐かしいなぁ。どれだけデッキ乗車してたんだ(笑)
うらやましいです。私は中学一年生で金銭的にも松戸まで乗るのが精いっぱいでした。
@@ohayuni615861 さん 全区間乗ったのは高校生の時です。前の年のお正月に郵便局のアルバイトをしてお金をためて北海道ワイド周遊券を使って北海道に行くときに乗りました。仙台からは八甲田で座れなくて困った覚えがあります。
@@石井清史 北海道ワイド、私もお世話になりました。あの頃は本当にいい時代でした。夜行急行で座れなかった経験も今となっては懐かしい。私も福島の駅で超満員の夜行急行を何本か見送った経験があります。
@@ohayuni615861 さん 懐かしいですね。私は千葉発にして本八幡(地元)で途中下車して切符を手元に残しました。下車印まみれの周遊券、まだ実家にあります。そのころの北海道は旧型客車の宝庫で60系スハ32系、夜行も14系入ってなくてニセコも43系酷寒地向け+スロ62だったころです。夜行のグリーン車はスロ54でどこかで急行券とグリーン券かって乗りました。
仙台まで8時間ぐらいかかりましたよね?。
当時は東武伊勢崎線沿いに住んでいました。北千住でよく常磐線の客車を東武線のホ-ムから眺めていました平行のプレ-トを見て平って何県にあるのかなあ~と思っていました。平(現いわき)現在は我孫子に住んでいます。この列車、我孫子に止まって柏には止まらなかったの?
くまおの友達様 常磐線客車普通列車は三河島・南千住・北千住・柏・天王台は通過でした。
常磐線は、下りはチャイム鳴らしてくれない事が多かったけど、上りはハイケンスを鳴らしてくれる事がありましたね。オハ46(スハ43からの編入)とオハ47の一部にニス塗りがいて、最末期だけ戦前製オハ35(青色、ニス塗り)が連結されることがありました。
貴重な情報ありがとうございます。最後尾だけニス塗りのオハ35ですか。模型で再現したいけどHOのEF80はプラ製完成品が売ってない。
確か、昭和57年11月15日のダイヤ改正で廃止と雑誌で見たことあります。この時に常磐線から上野からの普通客車が廃止ではと聞いたことあります。
EF81でいいから、常磐線にイベントで復活運転して欲しいものです。
@@ohayuni615861 全通したときにやってくれるかもしれません!
JR東さん、お願いしまっす!
今は特急停車駅となった柏を通過していた!!
当時の柏市民にはこの列車に乗る気配がなく都心方面の通勤が主流だった模様。今では柏からいわき仙台へと行けるようになった。
今の常磐線の普通列車は品川や上野からでも遠いところでも高萩までしか行かないですね。
ジョイント音がいいですね乗客の子供の声 今は何歳なんだろうか?
父親が子供の頃乗っていたそうですが、止まりかけの車両からホームに飛び降りて転がり落ちたと言っていました。
旧型客車仙台行き大都会に旧型客車大物列車営団千代田線小田急線電車常磐線各駅 快速 急行 特急凄い時代
神立駅迄乗って、折り返しの上野行きを同じ列車に乗ってたよ! 上野着16:00だった! 15:13発だったかな!? それも、松戸駅折り返しでかなり乗ってた思いでが…… 走行中 ドアが開きっぱなしだったので、デッキで楽しんだ思いでが…!
この動画の写真の右のほうにあるカゴですが、当時婆さんたちが駅でこのカゴを引きずってまわっていたのを覚えていますがこれはなんでしたっけ?
すいません。こどもだったのであまりよく覚えてません。(;^ω^)
水戸辺りで、機関車交換ですか?
鉄道ジャーナル誌の1982/5の記事ですとEF80 28(田端)上野~水戸ED75 7(内郷)水戸~原ノ町 ED75 9(内郷)原ノ町~仙台となってます。
警笛よくなりますね?
昔は機関士が信号確認するたびに鳴らしていたんですよ。進行信号で「ピー」、注意信号で「ピー、ピー」と2回、停止信号だと3回。
発車直前、EF81みたいなブロワー音ですね。
停車駅が、上野日暮里松戸我孫子取手、、、
私は当時より神奈川在住なので停車駅に関する感想が多く投稿されることが新鮮な驚きです。(笑)今とはだいぶ違うみたいですね。
ohayuni615861 やはり柏を飛ばしていたというのは驚きですね。現在では、一部のひたち・ときわが停車するほどですからね。
@@いみのなりせ なるほどー。そういうことですか。柏の地位が向上したのですね。
上野は発車ベルがサイレンじゃなっかったんだんですね
電子音になったのはJR移行前の昭和60年頃。新幹線の上野開業を機にベルから変更した。
やっぱりハチマルは1台車1モーターやから駆動音が違って聞こえるのは気のせいやろか?胴が長い独特のスタイル同じ交直機でも見慣れたパーイチとは一味も二味も違うやっぱり常磐線のヌシやな
これ、確か10両編成だったんだよな(*^_^*)。
この列車昭和60年に引退したんですよね?
引退した日付は思い出せないんです。一人で遠出できる年齢になった時には廃止されていました。残念です。
1982年まで残ってたみたいです。
1982年11月14日、最後の平行425列車の入線案内放送を致しました。在来型一般客車、と呼んでおりましたが、在来型自体は1986年11月末まで東北や北海道で残っておりました。
E531系「北千住、柏も止まらないなんて.......」
北千住、柏は今となってはカジュアルでトレンディーな場所ですからね(笑)ちなみに亡母は北千住出身でした。
@@ohayuni615861 貴重な音源を公開していただきありがとうございます。私もEF80が好きで松戸までよく乗りました。赤電(401系・403系)は北千住と柏に停車していましたよね?客車列車が通過していたのは、小まめに停車すると加速に時間が掛かるからでしょうか?同時代に走っていた高崎線の客車列車も浦和駅を通過していました。
昭和40年代後半の東北線には一ノ関行きなど3本の客車列車がありましたが浦和の他に、東大宮と野木も通過してました。
普通で北千住とか柏通過なら、そいつらは何が止まるの?
★5★
こんばんわ…
この動画見つけてすごーく懐かしくなりました。1980年3月末のある日の早朝、上野午前5時55分発仙台行き旧型客車仕様の普通列車に、学生生活を送ろうと下宿を決めてきた京都から自宅のある山形への帰りに、仙台まで乗車しました。仙台到着が、お昼の1時近くだったような…。
この動画と同じパターンの普通列車が、僕の記憶では1日に3本は走っていたような気がします。…東京まではもちろん大垣夜行でした。
学生の頃の、ほろ苦くも良き思い出です…
当時、三河島、南千住、天王台通過の他、現在主要駅の北千住、柏通過にはびっくりです。
私も、中学の頃、上野を早朝に出る客車列車に乗りました!
仙石線の旧型国電に乗車する為です。
当時は、手動ドア、走行中も開けっ放し・・・が当たり前だったんですもんねぇ・・
今なら、大問題になってそう・・いい意味で、おおらかな時代でした。
帰りは、ひばりの食堂車で、ちょっとした大人気分を味わったものです。
社会や鉄道界の変化って、すさまじい・・・
あの頃が懐かしく思い出されます。
今の人が乗ったら慣れてないからデッキから落ちる死亡事故が多発するでしょう(笑)
うわ~、なつかしいです!!学生の時、仙台に帰省するのに1回だけこの鈍行を利用してみました。夏の暑い頃ですが、クーラーはなく電車の窓が全て開け放たれていて、海の近くを走る時は潮風が電車の中に入ってきて心地よかったのを覚えています。東北線周りの特急で4時間だったところ、この電車は8時間かかりましたが、いろいろな景色やその土地その土地の人の流れを見ているうちにあっという間に仙台に着いたように思いました。いい思い出です!!
客車鈍行は長時間乗っていても飽きませんでしたね~。何時間でも乗ってられた。
この列車、良く乗りました。松戸駅まえの制動音、鋳鉄のブレーキシューのザーっていう音最高です。
ほんとうになつかしい。ありがとうございます。
まさにこの列車、学校が長期休暇の度に、弟の手を引いて入線の一時間前から並んで、駅弁をぶら下げて、ワクワクしながら乗り込んだものです。その頃の情景が思い浮かび、懐かしさいっぱいです。貴重な音源を公開頂きありがとうございます。
EF80の音も独特で、好ましいですねぇ❗
あぁ、あの頃に戻りたい❗
鉄道の旅が楽しかったですね。新幹線の旅はいまひとつ退屈なので最近はもっぱら飛行機です(笑)
客車の、レールの継目を渡る乾いた音。
勇ましくも、悲しくも聴こえる機関車のホイッスル。
時代背景も思い出も、何もかもが蘇り、何度聴いても涙出ます。
自分の録音で涙を流してもらえる。これ以上の喜びはありません。
学生時代と社会人時代埼玉草加在住で日比谷線から何時も列車音聞いてました。夜行ではゆうづるや十和田を牽引、特に南千住過ぎ貨物線合流、隅田川陸橋通過から北千住構内迄
の加速と列車響音は最高でした。汽笛は旅愁をそそりますね!
予備校からの帰りに乗車していた仙台行。毎日が旅気分でした。
私も当時、松戸に下宿して御茶ノ水の予備校通学に通っており、よく客車に時間を合わせて下宿に帰っていた記憶があります。朝の上りは夏でもエアコンの無い多分415系等の超満員列車に詰め込まれていましたが、昼過ぎくらいに空いた客車に乗れる日は優雅な気分でした。
はっきり記憶してないのですが、国鉄が好きで千代田線経由ではなかったのかもしれません。
途中の「角海老」のでっかい看板見ながら、あれは何の看板なんだろう?といつも不思議に思ってました。
同じ列車に乗り合わせたこともあるかもしれませんね 笑
うちの祖父がこの列車に乗って松戸で降りるつもりが寝過ごして平(いわき)まで連れていかれました
ハチマルの音、良いですねぇ!
昭和57年11月14日に到着した426列車で消滅した、私の職場では「一般車」若しくは「在来型一般車」。
奇しくもこの録音がされた日も私はその駅におりましたが、確か改札だったかなぁ…
一般車で常磐線全区間を抜けたのは団臨で、上野から常磐線を回り仙山線・奥羽本線を経て上野に戻る企画の添乗でした。
雑音とされる旅客の会話すら、心地良い効果音です!
驚きました!同じ空間にいたのですね。
ご返事遅れて失礼致しました!!
前記事には一部訂正がございまして、常磐全線は1981年夏に221列車で乗り通しておりました(笑)
その頃の勤務記録など処分してしまいましたけれども、その時期は改札でした♬
クリーンな音が羨ましいです!!
本当に、同じ空間にいたのですね♬
偶然、超驚きの発見です!
中学2年当時、鉄好きの友人に懇願され、日暮里・松戸間まで付き合いで乗車しました。
その当時でも、その客車の古さ戦後間もないままかと?ビックリさせられた記憶がハッキリ残っております。
目を瞑って走行音を辿りながら隅田川・荒川・中川・江戸川の鉄橋を順に、
しっかり松戸まで目に浮かべられますね!
いやぁ、マジに懐かしいし驚嘆しております。主様の録音された腕に非常に感服しております。
有り難うございました。
感動で涙がでてきました!
ハチマル超かっこいい!
このブロアー音と高めの汽笛が特徴ですね。
綺麗に録音されてます。
直線区間とカーブ区間では音が異なります!音が鮮明なので良く分かりますよ!
懐かしいなぁ~10:09日暮里北側踏切 大カーブ
11:05三河島通過
13:20南千住通過
13:37隅田川橋梁
14:40北千住通過
15:23荒川橋梁 工事区間のため減速する
16:23東武伊勢崎線交差
18:20時速95~100キロくらい
19:38綾瀬~金町間 綾瀬川橋梁
20:08新金線へ渡るポイント通過
20:20金町通過
20:57金町~松戸間 江戸川橋梁
21:40千代田線交差 左大カーブ22:30まで
23:04制動 現在のE231制動はは23:23辺りです
23:18松戸 退避ポイント通過 直進
24:00松戸停車急行並みにカッばしてました!元気なEF80時代
録音有難うございました。
鉄道模型の音源に使わせて頂いても良いでしょうか?
ありがとうございます!ソニーのレコーディングウォークマンで撮りました。
70~80年代に成田線沿線に住んでいました。この仙台行き客車鈍行は乗ったことも見たこともないのですが、我孫子駅で成田線を待っているとEF80牽引貨物列車がこの爆音のモーター音で通過したものです。この爆音が本当に格好よくて、当時の記憶が甦りました。
旧客のデッキから見るEF80は本当に鉄の塊というか迫力がありました。当事の機関士の話(雑誌記事)によれば交流区間ではパワーをもてあますほどだったそうです。
青春まっただ中の青春時代、毎日古い客車に乗って通学してました。
走ってる時でさえ、バタンバタンと開けっ放しのドア・・今では考えられませんよね。
今では完全なイベント扱いのような列車が、毎日の日常生活の中に当たり前に存在していました。
スマホなんか無くていい、時間がかかってもいい、
あの頃の鉄道旅行を、もう一度味わってみたい衝動が突き上がってきます。
本当にそう思います。スマホなんかなくてもあの頃は毎日がキラキラ輝いていました。私は磐越西線のスイッチバックでデッキから落ちそうになったことがあります。
1986年生まれなので、ちょうど入れ替わりだったんですね。乗ったことがないのに、モーター音がとても懐かしい。今は長距離を長時間かけて移動できないので味気ないです。
本来なら五月蠅い筈の音が、こんなにも心地良いと思えるのが、我々鉄道ファンですね!^^素晴らしい録音状態です。ありがとうございます。
柏通過なんですね。どおりで記憶にないわけです。
この頃常磐線つかってましたが、103系と営団6000系がもっぱらでした。
いまや半数の特急が柏に止まり、我孫子は通過する列車が増えました。
時代は変わっていきます。
貴重な音源ありがとうございました。
カーブに車輪が軋む音、甲高い汽笛に涙が出ます。
柏通過に当時柏市民にとっては郷愁漂う列車に乗れず我孫子か取手まで乗り継ぐしかなかった模様。しかも柏は東武野田線の乗り換え駅とあって東葛のターミナルだった。
昭和末期は柏はすでに沿線最大の都会でしたが急行も旧客普通も止まらなかったんですよね。ニーズに対応し始めたのはJR以降です。
当時小学5年生で、この列車で自宅がある神立まで上野から乗車しました。夏休みの頃で冷房が無く、暑かったのでしょうが窓を開け外の風を心地よく感じていました。
上野、日暮里、松戸、我孫子、取手... 停車駅は少なくとも、神立に着く頃は二時間位経っていたと思います。 今の常磐線の電車とは比べものにならない環境ですが、この頃の常磐線が大好きです。 この頃に帰りたい...。 思わず涙してしまいました。
貴重な音源をありがとうございます。
今の快速の停車駅も、柏駅は通過にして、上野、日暮里、北千住、松戸、安孫子、取手・・・でいいかもしれませんね
本当に涙がでますね。この頃に帰りたい。おじさん寂しいよ。
私が小学生の頃休みの度に茨城県にいた親戚の家に行く時は上野発12:25仙台行きに乗り藤代まで乗りました。他にも上野発15:13発平行に乗ったり。帰る時も藤代発15:00頃かな上野行旧客で帰りました。もしタイムマシーンがあったらあの頃に行って見たいです。
EF80は地元近くの小山駅でよく見かけました。あの独特のブロワー音と何処か哀愁のある汽笛に魅せられました。
当時は小学5〜6年だったと思います
お金がなくて上野に行くのに東武線で北千住まで行き、そこから103系上野行きに乗りましたが確か三河島停車中にこの仙台行きが疾走と通過したのを覚えてます。水戸線は2回乗ってますが常磐線は結局乗ることが出来ませんでした。
この動画でEF80の音が聴けて当時の記憶が懐かしくて今にも涙が出そうです
動画ありがとうございます。
懐かしいです。この列車は地元の駅には停車してくれなかったので、滅多に乗れない憧れの列車でした。実際に乗車出来たのは、親戚を訪問した際と芋堀大会(笑)の帰途の僅か2回。発車時の衝撃が意味が解らず驚きましたね。共に運良く窓際の席を譲ってもらえた記憶があります。UPありがとうございました。
この列車に思い出のある人が多いですね。私もお金がなくて乗れたのはこの時一回限りです。
懐かしい音ありがとうございます。何度か乗車したことが有り当時の想い出が甦りました。機関車の音、客室内のジョイント音もう聞けないのが残念です。
日暮里駅から取手駅まで利用していましたが、下り列車の場合、どちらも前方に出口があったため、自分はよく機関車次位に乗ってました。
EF80は1台車1モーター2軸駆動車だけあり、ツリカケ駆動の音が豪快で、惰行時や減速時にもツリカケ駆動の音が鳴り止まず聞こえた機関車でした。その特徴がよく録音された音源ですね。
EF80が引退したあと、旧客列車廃止までのわずかな期間、EF81で運用されましたが、惰行時がだいぶ静かになった記憶があります。
この仙台行客車列車大好きでした。
毎日学校の昼休みに出発の汽笛を聞いておりいつか全区間制覇と思っておりましたが達成することができず残念でした。
ご拝聴させていただきました。
旧型客車の味わいのあるジョイント音ya、EF81のモーター音、鳥肌が立つというか、懐かしくもう戻ってこない音だと思うと涙すら浮かんできます。貴重な音源です。実物は戻りませんが、このような長時間の音源を聞くことができ嬉しく思います。
私も音源公開しています。こちらの方も一度お聞きください。
涙ながらに聴いていただいている方が多いことに驚きました。ありがとうございます。私の当時感じた感動を多くの人に共有してもらえうれしいです。
これはもう貴重、EF80のモーター音が聞けるのもこれが唯一。実車はすでに没し、平成・令和に残しておきたいサウンド。走行時にやたらに入る汽笛の音が今の電車列車にはない歴史を物語る。
この時点で、東北本線では黒磯以南で客車鈍行は無くなっているものの、常磐線では何本か客車である故、今の時代に比べたら、まだロマンが残っていますね。
なんて貴重な記録なんだろう!
懐かしゅうございます。終点まで行きたかった。 この時代、富める者には特急があり、貧なるものには長距離普通列車があり、ある意味優しい時代だったった気がする。単なるノスタルジーですかね。
特急->新幹線
鈍行->高速バス
こんな今どきですかね
まだ客車鈍行が多く残っていた時代。ただし、距離は最盛期に比べて段々と短くなっていますが。この動画の時点で、黒磯から南は客車鈍行は無くなっていますし。でも、今の時代に比べたら、まだロマンが詰まっていますね。
@@uk761新幹線に加えて、飛行機も含まれるかもしれませんね。格安航空もあるので。高速バスも高かったり、安かったりいろいろありますね。
「列車がよく止まるまでお待ちください」って懐かしい放送だなあ・・
よく停まる前に飛び降りてホームでコケている鉄っちゃんとかいました。古き良き時代ですね。
@@ohayuni615861 上野駅では推進で入ってきた回送列車(着後営業列車になる。)が停車する前も「列車がよく止まるまでお待ちください」と放送していました。自由席の座席を早く確保しようと飛び乗る人もいたのでしょう。
@@ohayuni615861
慣性の法則を身を以て体験。
おーっ!懐かしい。この頃は旧客のドア手動だったな~。仙台まで乗車した。
EF80、好きだったな~。いい音が響きますね。
懐かしいです。
貴重な動画、ありがとうございます。
当時、柏に住んでいました。
上野から、松戸まででしたけど、あえてこの列車にを選んでいました。
電車には無いジョイント音と、EF80の壊れそうなモーター音、危険でしたが、ドアから身を乗り出して荒川、江戸川の鉄橋を渡る時の風。
良かったなー。水戸にある親戚の家に行く時も、我孫子から乗りました。
こればかりは体験した人でないとわからない世界ですよね!
常磐線の勇姿EF80形交直流電気機関車牽引客車列車223レ。素晴らしい貴重な記録です。私も松戸まで乗った記憶があります。
この頃に自分も常磐線普通列車に乗車したことがあります。小学生高学年の頃でしたか。1人で上野発(16時頃だったと思います)、何処に行くあてもないのでたった1駅 日暮里まで乗りました。たったの3~4分位でしたが、今も思い出として忘れることはないです。行き先は平行きか原ノ町行きかのどっちかだと思います。今から40数年前の事です。
上野15時13分発の平行だと思います。松戸に15時33分頃着で降りると間もなく上りの上野行が来て、そっちはEF80の後ろにマニ37、オユ10が続いていました。
@@小高健一-r9i 教えていただきありがとうございます。15時台の普通列車だったんですね。
EF80独特のモーターサウンド、いいですね。
EF80はカルダン駆動なのに吊り掛けそのものなのが意外ですね。
1モーター2軸駆動1段歯車減速カルダン方式という構造がそうさせているのでしょうが、今では聴く事ができないサウンドに魅了しました。
たしかに吊り掛けの音に聞こえますね。
相鉄でも10000系登場前の車両が直角カルダン駆動となっているが加速時からは釣り掛けの音色を放つ。相鉄を知らない方は釣り掛けモーター的音色の走行音にショックを抱く。
@@岩田康之-c9d いい意味でのショックを受けますよね。昨今相鉄も伝統的な日立式電磁自動ブレーキが過去帳入りしちゃってますね。併せて直角カルダンも近い将来消滅するのでしょう…
非・釣り掛け駆動とは思えない釣り掛け的モーター音が今の電気機関車にはない貴重な音と言える
@@岩田康之-f8t 惰行中もモーターサウンド(というか駆動音)が発してる事が吊掛式とは明らかに違う点ですね^^
小学生の頃に松戸から取手まで乗りました。懐かしい記憶がよみがえりました。😊
鉄道ジャーナルでこの列車のレポートが巻頭に載っている号が、ずば抜けて高いんですよね。
今乗っても、勝田辺りでグロッキーかも。
当時、この後の列車、15時13分発、平行きに良く乗車してました。
走行中もドアが開きますから子供がみんなぶら下がってましたね。危険な状態でした。
当時私は柏市在住で岩倉高校に通っていました。
帰りによく利用させてもらいました。
懐かしいサウンドです。
確かに!EF57牽引のときは機関車のデッキにまで子供が乗ってたみたいですよね。今なら緊急停止で鉄道警備隊が出動するところですが。
平成生まれの僕が客車の鈍行列車とは到底想像出来ない…
あの頃の長距離客車普通列車や夜行列車の旅をしてみたかった……
電気機関車を意識するようになってから時刻表を見て上野発の機関車牽引の普通列車を発見し、何度か乗りました。EF80の起動時のブロワーモーターの音は62や63、64とは違った優しい感じの音ですよね。EF80は色も音も賑やかな屋根上も大好きなので、天賞堂の模型を買って時々眺めています。
これはEF80のモーター音がよく入っている。
走行音を聞いている間に気づいたら寝てしまっていました。私にとって客車列車の走行音は子守唄のようです。
なんかうれしい
北千住を通過して荒川橋梁を渡ってた後、複々線区間のハチマルのモーター音、ヤバすぎる!
80ですか!子供の頃50号機から後ろの番号だけしか動いた状態は見たことがない!一台車一モーターのクイル駆動が特徴的な存在。前期型は確か今は無くなった武蔵野操車場で廃車になったのを見ただけだ?後期型とは台車構造から駆動装置も違うからすぐにわかった程だ。前期型はこんな音だったんだ!初めてわかった!東京に引っ越したのが翌年だからわからないもしかたない!80の廃車はこの2年前からですね!
当時はね、これイヤだったんですよ。混むし、消毒液臭いし、冷房無いし、近郊区間でもタバコ吸ってるし、何より発車時の連結器のショックが子供には恐かった。あんまり混んでるとドア締まらないで走るんですよね。いや、ホント、昭和57年までそうでしたよ。
でも今ならちゃんと座れるなら乗ってみたい気もします。音だけでも貴重です。
懐かしく思い出します。幼少期、茨城にいたので、よく仙台行旧型客車を見てました。覚えてる限りでは、今のいわきが平だった頃、平発の上野行上り客車に乗った記憶があります。
たくさんの人の記憶に残る列車。今はそういう列車も少なくなりましたね。
小さいころ、この各停をよく見ておりました。
このときは私も子供でお金がなくて取手までしか乗れませんでした。
長距離普通列車とか当たり前の様にあった時代でしたね、国鉄時代は地方駅も独特の雰囲気で駅長の趣味なのか駅のホームに木が植えてあったり、ただそれも特定のパターンみたいなのがあって(今から観たら)社会主義時代の特徴でした。JRの駅でも未だに当時の物が残ってたりしますけど。
もういちどJRがひとつに統合されて国鉄に戻って全国に長距離列車が走る時代が来てくれたら・・・なんてつい考えてしまいます。
仙台行きの普通列車って客車列車だったんだ
自分は知らなかった
北千住や柏には止まらないのね。
代わりに松戸というのがなかなか興味深い。
今の特別快速は北千住や柏も停車する。今回の列車としては北千住や柏を通過する異例の構成で普通列車とは思えない一部快速列車的存在。昭和の常磐線ならでは。
柏は通過なんですよね・・土曜日学校が半ドンの時乗って、短い区間の乗車ですが旅情を味わっていました。
両親の実家が茨城で、よく乗りました。機関車次位か最後尾です。
@@山猫急行 さん、旧客はやはり機関車次位か最後尾が萌えますよね
この列車乗ったことがあります。
常磐線回りで仙台までって、生きている内にまた乗ること出来るのかな。。。
長距離普通列車。今だとさしずめ、上野東京ラインとか、湘南新宿ラインでしょうか?あまり魅力的ではありませんね。
2020(R02)10月の仙台出張の際に特急ひたちに乗りました。
生きている内にまた常磐線に完乗出来て良かったです。
復旧に尽力した関係者に感謝です。
これ全区間乗りました。
ほぼ毎週日曜日、これで神立まで行って424で帰ってきたり遊んでたな。
学校が短縮授業だと425-424の松戸折り返し。
最後の1か月は高崎のオハフ33が連結されてましたね。
日暮里出てすぐの踏切の音とか金町のポイントの音、
江戸川橋梁の音とか千代田線(常磐線緩行線のことをこう言っていた)
の陸橋通る時の音とか懐かしいなぁ。
どれだけデッキ乗車してたんだ(笑)
うらやましいです。私は中学一年生で金銭的にも松戸まで乗るのが精いっぱいでした。
@@ohayuni615861 さん 全区間乗ったのは高校生の時です。前の年のお正月に郵便局のアルバイトをしてお金をためて北海道ワイド周遊券を使って北海道に行くときに乗りました。仙台からは八甲田で座れなくて困った覚えがあります。
@@石井清史 北海道ワイド、私もお世話になりました。あの頃は本当にいい時代でした。夜行急行で座れなかった経験も今となっては懐かしい。私も福島の駅で超満員の夜行急行を何本か見送った経験があります。
@@ohayuni615861 さん
懐かしいですね。私は千葉発にして本八幡(地元)で途中下車して切符を手元に残しました。下車印まみれの周遊券、まだ実家にあります。そのころの北海道は旧型客車の宝庫で60系スハ32系、夜行も14系入ってなくてニセコも43系酷寒地向け+スロ62だったころです。夜行のグリーン車はスロ54でどこかで急行券とグリーン券かって乗りました。
仙台まで8時間ぐらいかかりましたよね?。
当時は東武伊勢崎線沿いに住んでいました。北千住でよく常磐線の客車を東武線のホ-ムから眺めていました平行のプレ-トを見て平って何県にあるのかなあ~と思っていました。平(現いわき)現在は我孫子に住んでいます。この列車、我孫子に止まって柏には止まらなかったの?
くまおの友達様 常磐線客車普通列車は三河島・南千住・北千住・柏・天王台は通過でした。
常磐線は、下りはチャイム鳴らしてくれない事が多かったけど、上りは
ハイケンスを鳴らしてくれる事がありましたね。オハ46(スハ43からの編入)とオハ47の一部にニス塗りがいて、最末期だけ戦前製オハ35(青色、ニス塗り)が連結されることがありました。
貴重な情報ありがとうございます。最後尾だけニス塗りのオハ35ですか。模型で再現したいけどHOのEF80はプラ製完成品が売ってない。
確か、昭和57年11月15日のダイヤ改正で廃止と雑誌で見たことあります。この時に常磐線から上野からの普通客車が廃止ではと聞いたことあります。
EF81でいいから、常磐線にイベントで復活運転して欲しいものです。
@@ohayuni615861 全通したときにやってくれるかもしれません!
JR東さん、お願いしまっす!
今は特急停車駅となった柏を通過
していた!!
当時の柏市民にはこの列車に乗る気配がなく都心方面の通勤が主流だった模様。今では柏からいわき仙台へと行けるようになった。
今の常磐線の普通列車は品川や上野からでも遠いところでも高萩までしか行かないですね。
ジョイント音がいいですね
乗客の子供の声 今は何歳なんだろうか?
父親が子供の頃乗っていたそうですが、止まりかけの車両からホームに飛び降りて転がり落ちたと言っていました。
旧型客車仙台行き
大都会に旧型客車大物列車
営団千代田線小田急線電車
常磐線各駅 快速 急行 特急
凄い時代
神立駅迄乗って、折り返しの上野行きを同じ列車に乗ってたよ! 上野着16:00だった! 15:13発だったかな!? それも、松戸駅折り返しでかなり乗ってた思いでが…… 走行中 ドアが開きっぱなしだったので、デッキで楽しんだ思いでが…!
この動画の写真の右のほうにあるカゴですが、当時婆さんたちが駅でこのカゴを引きずってまわっていたのを覚えていますがこれはなんでしたっけ?
すいません。こどもだったのであまりよく覚えてません。(;^ω^)
水戸辺りで、機関車交換ですか?
鉄道ジャーナル誌の1982/5の記事ですとEF80 28(田端)上野~水戸
ED75 7(内郷)水戸~原ノ町 ED75 9(内郷)原ノ町~仙台となってます。
警笛よくなりますね?
昔は機関士が信号確認するたびに鳴らしていたんですよ。進行信号で「ピー」、注意信号で「ピー、ピー」と2回、停止信号だと3回。
発車直前、EF81みたいなブロワー音ですね。
停車駅が、上野日暮里松戸我孫子取手
、、、
私は当時より神奈川在住なので停車駅に関する感想が多く投稿されることが新鮮な驚きです。(笑)今とはだいぶ違うみたいですね。
ohayuni615861 やはり柏を飛ばしていたというのは驚きですね。
現在では、一部のひたち・ときわが停車するほどですからね。
@@いみのなりせ なるほどー。そういうことですか。柏の地位が向上したのですね。
上野は発車ベルがサイレンじゃなっかったんだんですね
電子音になったのはJR移行前の昭和60年頃。新幹線の上野開業を機にベルから変更した。
やっぱりハチマルは1台車1モーターやから
駆動音が違って聞こえるのは気のせいやろか?
胴が長い独特のスタイル
同じ交直機でも見慣れたパーイチとは一味も二味も違う
やっぱり常磐線のヌシやな
これ、確か10両編成だったんだよな(*^_^*)。
この列車昭和60年に引退したんですよね?
引退した日付は思い出せないんです。一人で遠出できる年齢になった時には廃止されていました。残念です。
1982年まで残ってたみたいです。
1982年11月14日、最後の平行425列車の入線案内放送を致しました。
在来型一般客車、と呼んでおりましたが、在来型自体は1986年11月末まで東北や北海道で残っておりました。
E531系「北千住、柏も止まらないなんて.......」
北千住、柏は今となってはカジュアルでトレンディーな場所ですからね(笑)ちなみに亡母は北千住出身でした。
@@ohayuni615861 貴重な音源を公開していただきありがとうございます。私もEF80が好きで松戸までよく乗りました。
赤電(401系・403系)は北千住と柏に停車していましたよね?客車列車が通過していたのは、小まめに停車すると加速に時間が掛かるからでしょうか?同時代に走っていた高崎線の客車列車も浦和駅を通過していました。
昭和40年代後半の東北線には一ノ関行きなど3本の客車列車がありましたが
浦和の他に、東大宮と野木も通過してました。
普通で北千住とか柏通過なら、そいつらは何が止まるの?
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