Japanese National Railway Joban Line (Spring 1983) EF80 traction 12 series passenger cars, etc.

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  • Опубликовано: 13 янв 2025

Комментарии • 35

  • @yakuzenshin
    @yakuzenshin 11 месяцев назад +2

    懐かしい!当時、線路端で眺めていたEF80や赤電が、ココに生きている。貴重な映像のUPありがとうございます!

    • @ZIPANG1067
      @ZIPANG1067  11 месяцев назад +1

      コメントありがとうございます。
      お楽しみいただけたようで、撮影した友人も喜んでいると思います。

  • @TOMO-ub4vo
    @TOMO-ub4vo 11 месяцев назад +2

    貨物列車の最後尾の ヨ が凄く懐かしいです。EF80も引退直前に ゆうづるのヘッドマークを付けて まさに 有終の美を飾った感じでしたね❗

  • @名古屋のよっち
    @名古屋のよっち 11 месяцев назад +3

    80同士のすれ違いが良いです。
    「つくば号」と言う事は筑波鉄道があった時代。
    廃線になり一部がサイクリングロードとして残ってますね。
    私の父親がつくば市の出身(旧豊里町)で車でしたが時々筑波山に行きました。
    たまに単行でゴトゴトと走ってるディーゼルを見ました。
    筑波駅はバスターミナルとして残ってたと思います。
    いや、ほんと懐かしい。

    • @anemone819
      @anemone819 11 месяцев назад +1

      こんなに被ったら罵声大会

  • @やまひこくん
    @やまひこくん 11 месяцев назад +3

    あー415系普通電車が走っている懐かしいですね。それにEFー80も客車~12*系だ昭和時代はこれが、常磐線の日常でした。涙😂

  • @yuuyuu910
    @yuuyuu910 11 месяцев назад +1

    EF80てんこ盛りに加えて81はわずかな期間に関門からやってきた300番台ですね。
    3分間があっという間の動画でした。

  • @beefsteak7173
    @beefsteak7173 11 месяцев назад +1

    片バンと両パンが一緒に走ってるのが良いですね。

  • @九州の茨城出身者
    @九州の茨城出身者 11 месяцев назад +4

    82年代は水戸線や水郡線でスハやオハの客車が普通列車で運行されていました。
    常磐線を走行する12系客車は臨時列車と思いますけど、この時代の茨城は客車天国でしたね。

    • @ZIPANG1067
      @ZIPANG1067  11 месяцев назад +1

      コメントありがとうございます。
      12系客車は、筑波鉄道への臨時列車「筑波号」のようです。

    • @鶴見達也-c2c
      @鶴見達也-c2c 11 месяцев назад +1

      82年11月14日まで(上越新幹線が開業する前日)、上野発仙台行の客車が1日2本走っていました。(午前5時55分発と午後0時36分発)

    • @九州の茨城出身者
      @九州の茨城出身者 11 месяцев назад +1

      @@鶴見達也-c2c
      郡山~青森は客車の普通列車が多かったみたいですね。

    • @鶴見達也-c2c
      @鶴見達也-c2c 11 месяцев назад +1

      @@九州の茨城出身者 さん 客車そのものが50系客車(レッドトレイン)にだんだん置き換えられていきましたね。私は昭和60年から約4年間岩手におりましたので、よく50系客車には乗車いたしました。ちなみにその時代は常磐線の普通列車はすべて電車化され、東北本線は一ノ関から青森までの普通列車が客車(50系か12系の改造)でした。

    • @九州の茨城出身者
      @九州の茨城出身者 11 месяцев назад

      @@鶴見達也-c2c
      青函トンネルを通過する普通列車も12系客車がほとんどだったと思います。
      私は関東の出身で今は九州に住んでいる者ですけどJR九州では 「七つ星」という客車列車があります。夕方頃に博多に到着するので何度か見たことはあります。
      九州では蓄電車をよく見るような感じで特に長崎地区は新幹線開業により非電化区間がほとんどですので蓄電車が活躍されているみたいです。

  • @さにょ-c4f
    @さにょ-c4f 11 месяцев назад +1

    夜行でしたが家族で常磐線経由の急行十和田に乗りました。寝台車かと思いましたが12系でがっかりした思い出があります。
    貴重なフィルムをありがとうございます。

    • @toriri-service
      @toriri-service 11 месяцев назад +1

      82年11月迄は『20系』だったんですよね。
      その後12系→14系座席車と変遷しました。

    • @さにょ-c4f
      @さにょ-c4f 11 месяцев назад +1

      @@toriri-service
      固定式クロスシートで子供ながら全然眠れずきつかったです。
      せめて14系に乗りたかったです(笑)

    • @利-y8w
      @利-y8w 11 месяцев назад

      ​@@さにょ-c4f
      今や、そのボックスシートが貴重品ですね。

  • @bakayarou4545
    @bakayarou4545 11 месяцев назад +3

    赤電と貨物がたまらんね〜(短編成だったけど)

  • @hekkairail
    @hekkairail 11 месяцев назад

    今回も貴重な映像をありがとうございます。楽しませていただきました。
    この日のBさんの行動ですが、筑波鉄道で下りの「筑波」と撮られて鹿島鉄道へ。そこでDD901の貨物などを撮られて再び筑波鉄道へ。
    さらに常磐線の荒川沖付近?へ移動されたのですね。
    筑波鉄道に残っていらしたならば、キハ461(鉄博収蔵車)も動いたのですが、筑波鉄道を離れていらしたタイミングのようですね。
    「筑波」土浦で40分くらい停まったため、十分追い掛け可能であったことでしょう。
    直前に通過する貨物列車が長くて、「早く行け」と願っていました(笑)

    • @ZIPANG1067
      @ZIPANG1067  11 месяцев назад +1

      コメントありがとうございます。
      Bさんに確認しないと正確なことは分かりませんが、映像を編集した者としては、その日の撮影スケジュールは、だいたいご推察の通りではないかと思います。
      筑波鉄道で撮り逃した車両は、ちょっと惜しかったですね。

  • @toriri-service
    @toriri-service 11 месяцев назад +1

    冒頭の グロベン・非冷房の『赤電』8両編成。
    前4両は MT54の音だったので『403系』でしょうが 後ろ4両は『401系』かもしれません。
    当時の常磐線普通電車はクハがモハユニットを挟んだ4両編成を組み合わせて 4〜12両編成で走っていました。
    高価な交直流電車故に 増備はされても置き換えはされず 古い電車も走り続け
    ここには映ってないけど 401系にはオンボロな低運転台の初期型も走っていて これはなんと『新常磐色』に塗り替えられて『つくば博』終了迄こき使わ… もとい活躍しました。
    EF80は『1台車1電動機』のカルダン駆動だったけど 低回転モーター故 音は『吊り掛け駆動』みたいで 交流区間では この動画の『つくば号』のように 1パンで走っている姿も見られました。(高電圧だが電流が少ないので 1パンでも走れる。その際 パンタがすり減った金属粉で 屋根を汚さないよう 必ず後ろ側を上げていた。)
    最後のEF81は 別の動画には映ってましたが 関門用の300番台も走ってましたね。
    初めは『銀釜』でしたが 後にローズピンクに塗られて 後にそのまま 関門に返されました。

    • @ZIPANG1067
      @ZIPANG1067  11 месяцев назад +1

      コメントありがとうございます。
      今回の動画解説は、いつにも増してキレッキレでしたね。
      内容が豊富で引き込まれるように読んでいました。

  • @菅原すばる
    @菅原すばる 11 месяцев назад +1

    赤電カラーが懐かしい!401 403 415系が赤電カラー!
    1985年につくば万博が行われてカラーリングが白をベースに青のラインが入ったカラーに変更されました。
    まだこの頃は機関車牽引の客車列車も多く走ってました。
    国鉄民営化後はステンレスの415系もデビュー!鋼鉄車、ステンレスの415系の混結編成も見れました。

    • @鈴木亨-c6o
      @鈴木亨-c6o 11 месяцев назад +1

      白に青のライン
      確か万博色と言われてたような気が・・・
      懐かしいなぁ 万博中央駅・・・

    • @菅原すばる
      @菅原すばる 11 месяцев назад +1

      @@鈴木亨-c6o 万博中央駅
      !懐かしい!つくば万博も行きました。万博中央駅の後はまさかこの駅の跡地にひたち野うしく駅ができるとは思いませんでした。

    • @鈴木亨-c6o
      @鈴木亨-c6o 11 месяцев назад

      ​@@菅原すばるさん
      自分の実家
      最寄り駅が常磐線三河島駅で
      親戚の家(今も住んでます)が昔の筑波鉄道 常陸北条駅になります
      従兄弟は学校の授業でも個人でも万博行ったと言ってます
      常磐線ですが自分 上野から先頭車に2階建てグリーン車だったのを覚えてます

    • @鶴見達也-c2c
      @鶴見達也-c2c 11 месяцев назад +1

      つくば万博の時に見学客の輸送の為にそれこそ寝台車の車両やらディーゼルカーやらとにかくあちらこちらから車両を集めて、常磐線を走っていたことを覚えています。ちなみに寝台車をホテルみたいにして、土浦駅の引き込み線で止まっていたこともあったな。

    • @鶴見達也-c2c
      @鶴見達也-c2c 11 месяцев назад +1

      現在はE531系で、いわゆる赤電カラー(全面ではないけど)が数編成ですが、走っています。常磐線といえばやっぱり赤電のイメージがあるんですね。(私の知人はあれは梅羊羹色だなんて言っていました。梅羊羹といえばやっぱり水戸ですね。)

  • @利-y8w
    @利-y8w 11 месяцев назад

    赤電に赤い電機、常磐線の二枚看板。赤電は子供心に、バタくさい色だと思っていたのですが、万博を機に白電になってしまいましたね。あか抜けはしましたが、国鉄らしくないと私奴的には、不満たらたらでした。
    常磐線って何か不遇で地味で、上野駅では優等列車は、地平ホームから発着するものの、赤電&青電は高架ホームの一番端っこから発着していた記憶しかありません。現在は品川まで乗り入れ、便利にはなりましたが、上野駅も発着終着駅から、通過駅に変貌してしまいました。上野駅特有の哀愁感が無くなり寂しいかぎりです。

    • @ZIPANG1067
      @ZIPANG1067  11 месяцев назад

      コメントありがとうございます。
      常磐線は、「常磐本線」とはならないのが不思議です。
      その昔の上野駅終着ホームは、独特の匂いがあったような……。
      逆にその匂いがこれからの旅の始まりを感じ、気分が高揚した記憶があります。

  • @jnrlove
    @jnrlove 8 месяцев назад

    最後のEF81は302号機っぽいですね…事故後の補修で側面がツルツルになっていますね…

  • @drop8451
    @drop8451 9 месяцев назад

    EF81が走っていた‼️