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「こころの時代」から来ました。こんにちは。何故為末さんがご出演を・・?と不思議だったんですが、スポーツ科学の世界も色々変わってきているのですかね。これから勉強いたします。20年ほど前でしょうか。一時期オリンピック選手が大変傲慢になり、「自分の実力で出場するんだから自分のためだけに競技するんだ!!」なんて発言する者が出てきて大変問題になっていました。その後、経済の不況や震災を経て最近のアスリートの方は謙虚に感謝する方が増えてきたので安心しております。やはり印象も良いですよね。日本は内戦も無く経済水準が高い。世界から信頼されている国だから世界で一番、沢山の国に入国出来るパスポートが発行される。→出国がままならない国もある。毎日ご飯が食べられる。スポーツが出来る程度に身体も健康。男女関わらずスポーツも習い事も自由に出来る。そもそも学校がある。国から学校に助成金が出ている。スポーツにも沢山の支援金が出ていてボランティアの方も応援団もいる。ジャージやスパイクやユニフォーム、道具やマシンは幾らするのか?体育館を建築し維持するために幾ら掛かるか?シャワーや水道設備を衛生的に保つためには?グラウンドや芝の整地は誰がやってくれる?その人達にもお給料が発生するが・・?凡人では相手にしてもらえない世界には、政治家やらが対応してくれる。適材適所。数え始めたらキリがありませんよね。
レア感、、、普通の人が発見できないことを発見できるようになる感覚、、、有難いこと、、、感謝。為末先生の解説はたいへん聞きやすいと感じているのですが、ご自身のお言葉で解説しておられるからなのでしょうね。聞きやすいのでかなり奥深い面倒なテーマも苦痛を感じません。スポーツとは縁もゆかりもない私ですが、先生のご講義に感謝しております。
さすが走る哲学者だなと思いました!私たちは大人になるにつれて、自分の身のまわりに起こるさまざまな事象に対する感謝の気持ち、有り難いものだという感覚が薄れてしまいがちです。そんなの当たり前であって何とも思わないという事が多くなりますからね。
諸行無常とか刹那とかの話ですよね。全ては同じではなく移り変わっていっているという感覚。なので、その瞬間が全て貴重であるということ。俗世ではそれらの瞬間は「変わりなく退屈」と認識されている。だから、刺激や非日常的な何かを求めてしまう。宇宙の話まで広がるのも、一般的に人はその人が生きている時間の感覚しか持てないので、もっと大きな時間軸で物事を見てみると視野が広がるということで。
自分が記録を出せるに至った全ての人に感謝できるようになれば素晴らしいですね。保護者、顧問、先輩、友達、マネージャー、為末さん、この動画を作ってくれてる人達、、その他たくさんその人達がいなかった場合のマイナスを考えたら、少しでもマイナスがあるならその人達が自分にいかにプラスになっているか、感謝すべき人達なのかに少し気付けますね。保護者がいなかったら競技どころの話ではなく、顧問がいなければ学校でクラブはできない。試合の付き添いもなければ出られないはず。一緒に頑張ってる仲間。一人では出来ないこともたくさん。些細なことでも感謝できる人になりたいものです。
アメリカでは当たり前だと思っていたことが日本では当たり前ではない、逆もしかりです。アメリカの生活の快適な面だけ見て、日本のバリアフリーが遅れてる面とか悪い面ばかり見ていたら留学は悪影響になってしまいます。いつも食べているお菓子も障害を持つ人たちが小さな会社で雇われて、箱詰めの作業をしています。私は手足が早く動かない障がいなので、勤労体験の時点で採用されなかったのですが・・・再就職のことばかり考えていた私が自分中心でした。私も親に心配をかけるわけにはいかないというプレッシャーで生きているので仕方ないかもしれません。梱包の作業をしてくれている人たちのおかげでおにぎりとかお菓子を食べられている、彼らは早く手を動かして頑張ってくれているということに感謝しようと思います。
そう考えると哲学って有難いから始まる学問なのかもですね。そしてスポーツも哲学に通じるものがあると思うと面白いですね。不平不満もでてこなくなるし、感謝のパワーも出てくるし!勉強になりました。ありがとうございました❗️
ずっとありがとうについて考えていました。ありがとう→有難い→今あるものに感謝する→自分や周りのモノを全てに感謝する→怒りやイライラが少なくなる→幸せになる😀という答えに辿り着きました。多くの人の人生のゴールは幸せになることに繋がっていると思いますが、感謝はいつでも誰でも制限なくできるって凄いことだと思います。動画の後ろで義足の方が練習されてましたが、自分は自由に歩けるし、目も耳も不自由ないことに感謝したいですね(障害者だから不幸とは違います)
私は、40年近く前にアマチュアの自転車競技(短距離)を専門におこなっていた者です。現在は、競技を行っていませんが、競技をしていたころに身に付いた自分の体や動かし方を客観的にとらえるという行為は、今も昔と同じように(いや それ以上に)興味をもち続けながら自転車に乗っています。為末さんが言われた「感謝」の感覚は、この10年程、私も強く意識していましたが、為末さんが「レア感」という、うまい言葉に変換してくれたので、すぅーと理解することができました。私の場合、歳が歳なので、帰巣本能みたいな感覚も「感謝」の感覚にアドオンされているように思えます。おそらくあと15年ぐらいすると、為末さんも、自分の中に持っている帰巣本能みたいなものがムクムクと湧いてくるのではないか? と想像します。
競技力向上への具体的な影響にまで考えを昇華するとは、素晴らしいです。そうやって競技力を向上させた結果、本人も一流アスリートになったという実績付きですね。
忘れていた大切なものを思いだす事ができました。ありがとうございます。
感謝の気持ちはとても大切ですね。感謝することにより、多くの事を学べる事を知りました。ありがとうございます♪
関係ないかもしれませんが、TVなどの大食い選手権などを見るたびに、選手やスタッフに「食べられることへの感謝」がすっぽりと抜けていると思います。
この動画シリーズは、再アップしてもいいのではないでしょうか。私のように、3年経って辿り着く人間にとっては、新しい動画の方がお勧めに出てきやすいのではないかと思います。このお話は本当に、その通りだと思います。生きるということは、物質として考えても、とても大変なことを成し遂げているんだと思います。心臓が動いて、血液が流れて、免疫システムが働いて。。それとは別に、私は、一人一人の人間の背後に、その人たちのご先祖様たちが立っているのが見えます(比喩的な意味で)。ある人の発言は、両親、祖父母、ご先祖様、時には兄弟姉妹・友人から発せられている言葉であると、感じます。現在、英国に居住し始めて9年、50歳を過ぎて独り身で、この先英国で家族を持てるのか、骨をこの国に埋める覚悟があるのか、自問自答しています。10代後半に父親に反発して以来、父親との関係が噛み合っていないと感じながら、過ごしてきました。その父親も84歳、未だに安心させてやれていないことに、自分自身焦りを感じています。父親への反発も、ようやく最近心の整理ができたように感じています。父親は、今まで息子を突き放すこともせず、精一杯のことをしてくれたと思います。それは何故なんだろう、なぜ勘当しないんだろう、とさえ感じながら過ごしてきました。自分が誰かに対して、また、社会に対して反発している段階では、周りの応援が得られるはずがありません。いや、応援があったとしても、自分が受け入れられる状態になっていないと思います。人間は不思議なもので、物理的に体が動かせるかどうかは、その瞬間の体の状態ですが、体を思い通りに動かしたり、もっと長い目で言えば、一定期間何かに取り組んだりするためには、心の作用がとても大きいと、素人ながら思っています。家族関係で、または、友達関係で、トラブルがある状態で、スポーツにしても、仕事にしても、力を発揮することは不可能に近いのではないかと思います。私たちは、周りの人たちの「気」の力を集めて、「心」のエネルギーに変えている、そんな風に感じます。やんちゃな選手や若者がいてもいいと思いますが、「心」が無くなった時、人間の活動は全て、AIにとって代わられて、人間はもはや人間に対して(当然AIに対しても)、興味を持たなくなるのだと思います。
当たり前の有り難さに感謝したいです。
感覚器官の構造とか骨の形とかよくよく考えると不思議だもんな
プロ野球のヒーローインタビューでほぼ100%「両親に感謝したい」旨を選手が言うのも案外生存バイアスなのかもですね。投手の癖とか配球の傾向とか毎日みんなが観察しているものに対して発見が生まれやすいのかもしれません。
視点がとても面白い!!良い動画をありがとうございます。
為末さん、ありがとうございます。とても参考になるし、いつも新しい動画がアップされるのが楽しみです話は変わりますが、「シン・ニホン」という本の中に、知り過ぎると気づきが無くなってくるというのがあって、自分も当てはまるなと思ってましたが、今回の感謝によるレア感は解決策になるかもしれません。ありがとうございます。
何故か腑に落ちました。
有り難いと思うと、1つ1つのことに向き合うことができる気がしました。ありがたいです!
ありがたきもの「ありがたきもの、舅にほめらるる婿。また、姑に思はるる嫁の君」 枕草子 &養老孟司さんと同じことを言っている。
🙂💙
僕には理解不能でした
「こころの時代」から来ました。こんにちは。
何故為末さんがご出演を・・?と不思議だったんですが、スポーツ科学の世界も色々変わってきているのですかね。これから勉強いたします。
20年ほど前でしょうか。
一時期オリンピック選手が大変傲慢になり、「自分の実力で出場するんだから自分のためだけに競技するんだ!!」なんて発言する者が出てきて大変問題になっていました。
その後、経済の不況や震災を経て最近のアスリートの方は謙虚に感謝する方が増えてきたので安心しております。やはり印象も良いですよね。
日本は内戦も無く経済水準が高い。世界から信頼されている国だから世界で一番、沢山の国に入国出来るパスポートが発行される。→出国がままならない国もある。
毎日ご飯が食べられる。スポーツが出来る程度に身体も健康。
男女関わらずスポーツも習い事も自由に出来る。
そもそも学校がある。国から学校に助成金が出ている。スポーツにも沢山の支援金が出ていてボランティアの方も応援団もいる。
ジャージやスパイクやユニフォーム、道具やマシンは幾らするのか?体育館を建築し維持するために幾ら掛かるか?シャワーや水道設備を衛生的に保つためには?グラウンドや芝の整地は誰がやってくれる?その人達にもお給料が発生するが・・?
凡人では相手にしてもらえない世界には、政治家やらが対応してくれる。適材適所。
数え始めたらキリがありませんよね。
レア感、、、普通の人が発見できないことを発見できるようになる感覚、、、有難いこと、、、感謝。
為末先生の解説はたいへん聞きやすいと感じているのですが、ご自身のお言葉で解説しておられるからなのでしょうね。聞きやすいのでかなり奥深い面倒なテーマも苦痛を感じません。スポーツとは縁もゆかりもない私ですが、先生のご講義に感謝しております。
さすが走る哲学者だなと思いました!
私たちは大人になるにつれて、自分の身のまわりに起こるさまざまな事象に対する感謝の気持ち、有り難いものだという感覚が薄れてしまいがちです。そんなの当たり前であって何とも思わないという事が多くなりますからね。
諸行無常とか刹那とかの話ですよね。
全ては同じではなく移り変わっていっているという感覚。
なので、その瞬間が全て貴重であるということ。
俗世ではそれらの瞬間は「変わりなく退屈」と認識されている。
だから、刺激や非日常的な何かを求めてしまう。
宇宙の話まで広がるのも、一般的に人はその人が生きている時間の感覚しか持てないので、もっと大きな時間軸で物事を見てみると視野が広がるということで。
自分が記録を出せるに至った全ての人に感謝できるようになれば素晴らしいですね。
保護者、顧問、先輩、友達、マネージャー、為末さん、この動画を作ってくれてる人達、、その他たくさん
その人達がいなかった場合のマイナスを考えたら、少しでもマイナスがあるなら
その人達が自分にいかにプラスになっているか、感謝すべき人達なのかに少し気付けますね。
保護者がいなかったら競技どころの話ではなく、顧問がいなければ学校でクラブはできない。試合の付き添いもなければ出られないはず。
一緒に頑張ってる仲間。
一人では出来ないこともたくさん。
些細なことでも感謝できる人になりたいものです。
アメリカでは当たり前だと思っていたことが日本では当たり前ではない、逆もしかりです。アメリカの生活の快適な面だけ見て、日本のバリアフリーが遅れてる面とか悪い面ばかり見ていたら留学は悪影響になってしまいます。いつも食べているお菓子も障害を持つ人たちが小さな会社で雇われて、箱詰めの作業をしています。私は手足が早く動かない障がいなので、勤労体験の時点で採用されなかったのですが・・・再就職のことばかり考えていた私が自分中心でした。私も親に心配をかけるわけにはいかないというプレッシャーで生きているので仕方ないかもしれません。梱包の作業をしてくれている人たちのおかげでおにぎりとかお菓子を食べられている、彼らは早く手を動かして頑張ってくれているということに感謝しようと思います。
そう考えると哲学って有難いから始まる学問なのかもですね。
そしてスポーツも哲学に通じるものがあると思うと面白いですね。
不平不満もでてこなくなるし、感謝のパワーも出てくるし!
勉強になりました。ありがとうございました❗️
ずっとありがとうについて考えていました。
ありがとう→有難い→今あるものに感謝する→自分や周りのモノを全てに感謝する→怒りやイライラが少なくなる→幸せになる😀という答えに辿り着きました。
多くの人の人生のゴールは幸せになることに繋がっていると思いますが、感謝はいつでも誰でも制限なくできるって凄いことだと思います。
動画の後ろで義足の方が練習されてましたが、自分は自由に歩けるし、目も耳も不自由ないことに感謝したいですね(障害者だから不幸とは違います)
私は、40年近く前にアマチュアの自転車競技(短距離)を専門におこなっていた者です。現在は、競技を行っていませんが、競技をしていたころに身に付いた自分の体や動かし方を
客観的にとらえるという行為は、今も昔と同じように(いや それ以上に)興味をもち続けながら自転車に乗っています。為末さんが言われた「感謝」の感覚は、この10年程、私も
強く意識していましたが、為末さんが「レア感」という、うまい言葉に変換してくれたので、すぅーと理解することができました。
私の場合、歳が歳なので、帰巣本能みたいな感覚も「感謝」の感覚にアドオンされているように思えます。おそらくあと15年ぐらいすると、為末さんも、自分の中に持っている帰巣
本能みたいなものがムクムクと湧いてくるのではないか? と想像します。
競技力向上への具体的な影響にまで考えを昇華するとは、素晴らしいです。
そうやって競技力を向上させた結果、本人も一流アスリートになったという
実績付きですね。
忘れていた大切なものを思いだす事ができました。
ありがとうございます。
感謝の気持ちはとても大切ですね。
感謝することにより、多くの事を学べる事を知りました。ありがとうございます♪
関係ないかもしれませんが、TVなどの大食い選手権などを見るたびに、選手やスタッフに「食べられることへの感謝」がすっぽりと抜けていると思います。
この動画シリーズは、再アップしてもいいのではないでしょうか。私のように、3年経って辿り着く人間にとっては、新しい動画の方がお勧めに出てきやすいのではないかと思います。
このお話は本当に、その通りだと思います。生きるということは、物質として考えても、とても大変なことを成し遂げているんだと思います。心臓が動いて、血液が流れて、免疫システムが働いて。。それとは別に、私は、一人一人の人間の背後に、その人たちのご先祖様たちが立っているのが見えます(比喩的な意味で)。ある人の発言は、両親、祖父母、ご先祖様、時には兄弟姉妹・友人から発せられている言葉であると、感じます。
現在、英国に居住し始めて9年、50歳を過ぎて独り身で、この先英国で家族を持てるのか、骨をこの国に埋める覚悟があるのか、自問自答しています。10代後半に父親に反発して以来、父親との関係が噛み合っていないと感じながら、過ごしてきました。その父親も84歳、未だに安心させてやれていないことに、自分自身焦りを感じています。父親への反発も、ようやく最近心の整理ができたように感じています。父親は、今まで息子を突き放すこともせず、精一杯のことをしてくれたと思います。それは何故なんだろう、なぜ勘当しないんだろう、とさえ感じながら過ごしてきました。
自分が誰かに対して、また、社会に対して反発している段階では、周りの応援が得られるはずがありません。いや、応援があったとしても、自分が受け入れられる状態になっていないと思います。人間は不思議なもので、物理的に体が動かせるかどうかは、その瞬間の体の状態ですが、体を思い通りに動かしたり、もっと長い目で言えば、一定期間何かに取り組んだりするためには、心の作用がとても大きいと、素人ながら思っています。家族関係で、または、友達関係で、トラブルがある状態で、スポーツにしても、仕事にしても、力を発揮することは不可能に近いのではないかと思います。私たちは、周りの人たちの「気」の力を集めて、「心」のエネルギーに変えている、そんな風に感じます。
やんちゃな選手や若者がいてもいいと思いますが、「心」が無くなった時、人間の活動は全て、AIにとって代わられて、人間はもはや人間に対して(当然AIに対しても)、興味を持たなくなるのだと思います。
当たり前の有り難さに感謝したいです。
感覚器官の構造とか骨の形とかよくよく考えると不思議だもんな
プロ野球のヒーローインタビューでほぼ100%「両親に感謝したい」旨を選手が言うのも案外生存バイアスなのかもですね。投手の癖とか配球の傾向とか毎日みんなが観察しているものに対して発見が生まれやすいのかもしれません。
視点がとても面白い!!
良い動画をありがとうございます。
為末さん、ありがとうございます。とても参考になるし、いつも新しい動画がアップされるのが楽しみです
話は変わりますが、「シン・ニホン」という本の中に、知り過ぎると気づきが無くなってくるというのがあって、自分も当てはまるなと思ってましたが、今回の感謝によるレア感は解決策になるかもしれません。ありがとうございます。
何故か腑に落ちました。
有り難いと思うと、1つ1つのことに向き合うことができる気がしました。ありがたいです!
ありがたきもの「ありがたきもの、舅にほめらるる婿。また、姑に思はるる嫁の君」 枕草子 &養老孟司さんと同じことを言っている。
🙂💙
僕には理解不能でした