Train model similar to the one that ran here in Brazil, in the Metropolitan Region of São Paulo on the extinct Estrada de Ferro Sorocaba and Ferrovia Paulista S.A. - FEPASA as series 4800 and 5900. At CPTM, it operated as series 4800, operating until 2010. Some units that belonged to CPTM were sold to the City of Salvador (Bahia -Brazil) and operated there until 2021.
2200系列のFM車は晩年は湯本急行のブツ6編成で走っていましたね。
コメントを頂きありがとうございます。HE車との併結も見られましたね。
この6両に、ぶつ4両を連結したぶつ10両もありました。
@@坂口平作 様、なかなかお目に掛れずで一度だけ雨の中多摩川で撮影したことがありました。
当時小学3年生の沿線住民で、よく乗車しておりました。
ドア下の2つの四角い枠と『プスーガラガラガラガッチャン!』というドア開閉音と、小田急の他の車両では聴くことの出来ない独特なモーター音が印象的でした(改めて聴くと江ノ電最古参の300形に近い音と感じました)
あと、小田急多摩センター駅の『ペェェェェ〜』という発車ブザーが懐かしいです。
2200形の動画はもう二度と観られないと思っていたので、本当に貴重ですね!
コメントを頂きありがとうございます。片開き扉も小田急通勤車では見られなくなってしまったものの一つですね。また、発車合図や肉声の駅や車掌さんの放送も過去のものになりつつあります。そういう視点、忘れていました。
2200の走行シーン拝めるなんて💦
先輩には頭上がりません❗️
ありがとうございました😭
コメントありがとうございます。喜んで頂いて嬉しいです。
今すぐにでも乗りたい‼️懐かし過ぎる!運転席のすぐ後ろのシートは夢の座席でした‼️
コメントを頂きありがとうございます。仰る通りでした。
小田急で一番好きだったネコ電。いつの間にか引退してしまいましたが
相模大野から海老名方面へ行く際は左の窓から当時大野工場に留置されていた
2201+2202の編成をよく観察したものです。
コメントを頂きありがとうございます。暫く小田原方に置いてありましたね。
自分の若かりし頃、多摩線は本線を追われた1800系4連のイメージで終始していたのですが、ネコ四匹(ネコ四連)の運用も在ったのですね。
開業当初は、車輛的には「老兵の余生」的な路線だったような「支線」のイメージでした。
コメントありがとうございます。開業当初のABF4連が2連になった時はビックリでした。
初期なら2連で多摩線を走ってたような
1900系2連が廃車された後に
前にも述べたかもしれませんが 小田急の電車がこの『ネコ』で 並走する京王相模原線の電車が5070系で 多摩センターや永山で発車のタイミングが同じだと 両者の運転士さんは意識しあって競争したそうです。
その際 小田急側は 次の黒川で時間調整したとか。
直角カルダンのモーター音やコンプ作動音も懐かしいです。
この電車から小田急は30年前後『アルストム台車』を使い続けたんですよね。
コメントありがとうございます。京王との競争は見てみたかったです。
うわあ。木床の下から聞こえるコンプレッサー音や片扉がロックされる「カッチャン」って音まで脳内再生される・・・。貴重な映像ありがとうございます。
コメントを頂きありがとうございます。
昭和57年、新百合ヶ丘駅前に麻生区役所が開所して麻生区が誕生した年ですね。黒川から栗平の車窓は空地だらけですが、今は住宅地で、今昔が伺えます。2200系は新潟交通に1編成2両譲渡され、新潟交通電車が廃止されるまで走行しているのが見られた。多摩線は開業から長きに渡り小田急のお古が走っていたが、唐木田延伸と、唐木田車庫開設で千代田線からの直通運転がされるなどの他、ライバル京王線に打ち勝つために急行運転、今や10両の各停が走るまでになりました。
コメントを頂きありがとうございます。仰る通りで時間は掛かりましたが、開通以降の変貌ぶりは大したものです。
この車輌には高校生の頃良く乗りました。
その頃(昭和51年)は本線の急行にも6両編成で使用されていました👍
コメントを頂きありがとうございます。
懐かしいですね😂小田原線の運用も自宅から見る事がありました。2+2+2で6両編成でしたが貫通扉が無いから真ん中の2両は乗務員に会えないなぁなんて思いましたね🤭
足回りのアップがありますがバネサスなんですよね!小田急は空気バネのイメージが強いですが、HEとこいつは無骨な乗り心地😅
見た目がなんとなくパンダっぽくてそう呼んでました🐼
過去の思い出と共にのコメントを頂きありがとうございます。2217+2218だけは空気バネ台車になっていて、台車だけ伊予鉄道に譲渡されました。
デザインが昔ならではって感じで良いですね
コメントを頂きありがとうございます。
懐かしい、貴重な映像をありがとうございます。
コメントありがとうございます。
ネコ電の走行音は独特で貴重ですね。とても加速が良いのですね。
コメントありがとうございます。
全電動車で起動加速度3.0km/sと 後の電車を凌ぐ性能でした。
懐かしいな~
幼児園の時見かけましたね❗
コメントを頂きありがとうございます。
編成は2215-2216-2213-2214でしょうか。
鉄コレ+クロスポイント前面ベースでABFM車4連を作っているのでとても参考になります。
台車の塗装を剥がしている姿も再現する予定です。
貴重な資料を投稿して頂きありがとうございます。
二度と聞けないネコの直角カルダン音はもちろん、まだ空き地だらけの沿線風景も貴重。
コメントを頂きありがとうございます。
可愛い小田急線ですね。片開き扉のガラス下の凹みもオシャレに見えてしまいます。
コメントを頂きありがとうございます。プレスドアという名称でしたね。強度を上げる手法だったのでしょうか。
新百合ヶ丘にはこの年多摩区から独立した麻生区の区役所ができたばかりです
コメントありがとうございます。
片開きドアの窓下縦2列に並んだR付き長方形のプレスリブにも味があります。コレは旧型国電や関東私鉄特有でなぜか他の私鉄ではあまり見られなかったのが不思議でたまりません。
コメントを頂きありがとうございます。確かに仰る通りですね。
小田急では創業以来の慣例としてごく例外を除き三菱電機のモーターを採用してきていますが、2200型は当時狭軌向けのWN継手が開発途上だったので三菱では特例的な直角カルダンをやむなく採用していました。京成3000番台初期車のようなブゥゥゥ〜ンという継手のビビリ音も聞こえます。
コメントを頂きありがとうございます。
13:37 はるひ野駅付近の42年前はこういう風景だったんですね。
コメントを頂きありがとうございます。すっかり近代的な駅が出来てますが、出来る前を見ると想像が出来ないですね。
1985〜1989年と大学への通学で多摩線を利用していましたが、そのころは2400形でした。8000形がどんどん増備されて、卒業のころには2400形より8000形の方が多かった記憶があります。
過渡期の様子のコメントありがとうございます。
2400形の床下機器を4000形に提供するために穴埋めとして8000形が登場し、当初の目的とは裏腹に後輩より長生きしてる8000形は凄いと思いましたね。2200形や1800形について、置き換えを行っていたのは以外にも増備用としてだした旧5000形みたく、5000形の後期車群(1977~1982)までの量産車については、車両を増やすというよりも中型車の置き換えに徹していたようです。でも短命に終わってしまったのが残念でなりません。
旧性能電車みたいなプレスドアが魅了。
当初正面方向幕は箱が出っぱっていて、後年運転席内に後退されました。
コメントを頂きありがとうございます。
この当時は戸閉から発車までの時間が短い。しかも知らせ灯式だったとは初めて知りました。
コメントを頂きありがとうございます。確かに安全確認していないわけではないですが、短いですね。乗務員扉を閉めるタイミングも今とは違っています。
嫌あ~‼️🎵😊‼️。懐かしいですねえ🎵😊‼️。2200系、一枚扉、多摩線では、2両2両の編成だったんですね‼️😶。江の島線では、2両、2両、2両の、6両編成だったのを覚えてます🎵😊‼️。此の「動画」を観ると懐かしいですねえ🎵😊‼️。又、こう言う車両が出来れば良いですね‼️🎵😊。楽しませてもらって有り難う🎵😊‼️。
嬉しいコメントありがとうございます。
ふたつ窓の オバQ 懐かしいですね♪
コメントありがとうございます。
当初2連のまま保存されていたもう1両は惜しくも解体されたがSEロマンスカーなどと共に小田急の車両技術史を物語る資料として末永く大切にしていただきたい。
コメントを頂きありがとうございます。私も同様に思います。
小田急の直角カルダン車は起動、停止時は京王5000系(初代)に音が似ており、WN車に比べ、多彩な音でした。また、同じ直角カルダンで三菱モーターだった向ヶ丘遊園モノレール500形にも近い音でした。
そういえば、ネコ電自体は富士急に譲渡はされたものの、台車やモーターなどは2220形のWN駆動に交換されたため、この音を聞けたのは結局小田急時代だけでした。
詳細説明のコメントありがとうございました。
2200のドアが閉まったときの優しい『カチャッ』音が心地良かったです。
詳細にご視聴頂いたコメントを頂きありがとうございます。そういう音がしてましたね。
直角カルダンの音久々に聴いた!
コメントを頂きありがとうございます。
僕は本線でこの一枚扉乗った記憶が飛んじゃってるんだよな・・・
エンドウ製 2200形はアクリルケースに入って我が家の宝物です・・・
コメントありがとうございます。
小田急のネコ😺ちゃん
可愛かったなあ~😂
1954年登場のカルダン駆動🥳
コメントを頂きありがとうございます。
ネコ顔の車両と4両編成 多摩線 楽しい🤗
コメントを頂きありがとうございます。
百合に住んでいて、よく永山まで乗ったわ。ちょうど大学進学で上京して小田急にも関わってお仕事もしていたんで、この電車や新百合の光景も一致します。今とは全然違いますからね。でも、それはそれで百合は第二の故郷です。
コメントを頂きありがとうございます。
@@odakyu-enoden この電車もそうだけど、冷房がなくて片扉。4200番台の電車かな?記憶が曖昧なんですが、似たような車両が当時急行運用されていて、冬の朝大混雑の遊園で扉がなかなか閉まらなくてダイヤを崩して信号指令からいつも怒られた。着ぶくれして入りきれない。小田急線は、雪に弱くてポイント故障、架線事故が重なると混雑が半端じゃなかった。窓ガラス割れるし、気分を悪くされる方も続出。登戸まで各停やら準急綾瀬行やら急行が数珠つなぎになった。
@@thunderbird1691 様、追加コメントをありがとうございます。大変なご経験をされていたのですね。
客がほとんどいないな。40年でえらく沿線がにぎわってきているね。
コメントを頂きありがとうございます。本当に変わりましたね。
ABFM車には1回しか乗れんかった。たぶん2300系だったと思う。
スピーカーにはOERの文字装飾が施してあって元優等列車専用車の面影が残っていました。
2200系は乗る機会が無かった。残念。
コメントを頂きありがとうございます。
末期の6連運用の中間に封じ込まれ、なかなか先頭で走る列車には乗れませんでした。(新宿からの都内利用者だったので)
それでも昔のHEの代わりに箱根急行の運用に入ると、あの独特なカルダンの高速での走行が楽しめましたね。
コメントを頂きありがとうございます。多摩線の運用に入って暫くこの顔を見られましたが、台車の不具合で早々に戦列から離れて行ってしまいました。
2200形HE車の後継車の8000形、ついに8056Fから本格的な廃車が始まりました。。。
(チョッパ車8251Fと8255F、事故に遭った8264Fは既に廃車済み)
コメントを頂きありがとうございます。4連初の更新車の廃車ですね。
でも1000形よりは長生きですよ?運用が余るようになり廃車を始めたようですが、1000形は8000形よりも車体強度が低いようでw鋼鉄車に負けるステンレス車体って聞いたことありませんよw
昭和50年代、沿線に住んでたけとこの型が一番レアだったな
コメントを頂きありがとうございます。2200形は多摩線で運用されて廃車になる前は他のABFM車6両の中間に入る場合が多く、顔を前に出しての走行は稀でした。そのため、見る機会は少なかったと思われます。
小田急のネコチャンこと2200形、近代的な車体に旧型車のごときプレスドアがいい❤
懐かしい、私、正に1982年のこの年に小田急多摩線に乗って中央大学に通ってました
この2200は当然の事ながら非冷房で、ものすごく暑かったですね、きっと貴方とは、どこかですれ違ってるのでは?と思います
コメントありがとうございます。そうでしたか。何処かでお会いしていたのかもしれないですね。
離合も全て2200!感無量ですm(._.)m
コメントありがとうございます。
前面2枚窓は、国鉄80系等の流線形以外は好き
ではありませんでした。
2300形等の貫通扉があるのが好きです。
コメントを頂きありがとうございます。貫通扉のあるABFM車が残っていないのが残念です。
2200型って引き戸の車両でしたよね?小田急のあとは確か新潟で、走ってたような気がします
コメントを頂きありがとうございます。ABFM車は富士急と新潟交通へ譲渡されてます。台車だけですと伊予鉄道、銚子電鉄にも流れてますね。
かっわいい❤
コメントを頂きありがとうございます。
本線では先頭に立つ事が殆ど無かった2200
多摩センター専属の末期でようやく主役に
短い間だったが
コメントありがとうございます。
この頃の昼間の多摩線は、4連の各停が15分間隔でしょうか?
コメントを頂きありがとうございます。昭和57年7月のダイヤを見ると仰る通り、昼間は15分間隔で多摩センターまで2本の運用で賄っていたようです。
クーラー無くて暑かったなぁ
コメントを頂きありがとうございます。
Train model similar to the one that ran here in Brazil, in the Metropolitan Region of São Paulo on the extinct Estrada de Ferro Sorocaba and Ferrovia Paulista S.A. - FEPASA as series 4800 and 5900. At CPTM, it operated as series 4800, operating until 2010. Some units that belonged to CPTM were sold to the City of Salvador (Bahia -Brazil) and operated there until 2021.
Thank you very much for your valuable information.
Please continue to watch this channel and look forward to your comments.
音は京急旧1000形に似てますね。
コメントを頂きありがとうございます。
制動に
自動半減回路があるのも同じだったりして
焦げ臭い思い出が
コメントありがとうございます。ブレーキのレジンシューの匂いでしょうか?
正面2枚窓、側面3扉車。良い車。
投稿:令和4年9月23日金曜日祝日。
コメントありがとうございます。
昭和40年代かな?昔から2灯ライトとか窓上赤ランプは小田急電鉄の特徴でそれは今の電車にも引き継がれて居ますね。
コメントありがとうございます。
懐かしい動画ありがとうございます。
@@岩田武-q5u 様、こちらこそご視聴ありがとうございました。
貴重な動画ありがとうございます
高校の頃 成城まで通学してましたがその頃は急行運用にも就いていた記憶があります
分割案内板の辺りに乗って先頭車同士の連結面でよく2200系の湘南窓スタイルを見ていた記憶があります
いや、間違いない 懐かしいなぁ〜
嬉しいコメントを頂きありがとうございます。