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自分は山陰人なのでブルートレインといえば出雲のイメージが強いですね😃東京までは乗ったことないですが何回か自由席特急券で乗りました🎵見るだけでテンションが上がる大好きなブルートレインでした❗️
人気にて乗れる営業には審査にて黒字列車創作を四十万人よりファン様には、機関車型牽引客車と定期型?寝台列車増設は団体型車輌連結を製造に牽引?型は新規機関車。
心の支えだったブルートレイン。もう一度走る姿を見たい……
私もみたいです〜💖
新型車両を作る必要がある。
青い車体が、美しい。長距離列車としての貫禄、風格が出ている。私がブルートレインが好きになった理由はこれです。出身地大分県別府まで富士に乗車、朝日を浴びて山陽本線を走る所は、感無量でした✨🙌👍
少し離れていますが東北自動車道岩槻インターそばの民間企業敷地内に客車がおいてあります。敷地内なので近くまで行ったことはありませんが柵もしてあり綺麗に保存されています。表の道路からそんなに離れていないので存在感と迫力を十分味わえます。
ブルートレイン私の好きな部類です。1970年ぐらいからブルトレブームが始まりだし1978年には大ブームになりました。私世代にはドンピシャな時代でした。ブルトレといえばやはりヘットマークとくに東京発のブルトレのヘットマークは特に気に入ってました。
10:46 北海道の函館にもありますよ〜
名古屋から小倉競馬観戦の為に行きは寝台特急はやぶさ、帰りは500系のぞみで帰った思い出!ただ馬券は散々でした。
私もまったく同じだった😁ただし競馬は(爆)勝で帰りは500系のぞみのグリーン車でした😁
ブルートレインとは寝台車を主体とした固定編成前提運用の客車列車。ただ青色ってだけじゃない(色が青い列車なら他にもある)。[あさかぜ]の運転開始は確かに1956/昭和31年11月19日、東海道本線全線電化開業のダイヤ改正からだけど、当初は在来型客車編成だった。個室寝台や3等寝台など画期的な車輛を組み込んでいたとはいえ、一部の車輛に旧世代のものも混ざり特急と言いながら急行と大差ないとの批評もあった。また、京阪神を深夜通過することで需要予測でも不安視されていた。然しそれまでほぼ一昼夜(約20時間40分)かかっていた東京~博多間を17時間強で結びその速達性から大人気となった。すぐに長崎行きの[さちかぜ]が設定されたが[あさかぜ]と[さちかぜ]では名前が紛らわしく乗り間違いも多発したので程なく[平和]に、そして[さくら]に名称変更された。初代ブルートレイン型に変わったのは1958/昭和33年10月01日より。それまでは今でいうグリーン車ですら扇風機が当たり前だったところ全車両冷暖房完備。まだ末端区間は特急と雖もSL牽引だった当時殊に夏場の乗客には福音だった。(それで浮いた客車を使って設定されたのが[はやぶさ])。やがて列車も増発され[さくら][はやぶさ][みずほ][富士]とラインナップが揃い[あさかぜ]に至っては複数本数が設定された。その内元祖[あさかぜ]は編成内に個室A寝台車を多くつなぎグリーン車もはさみ15両編成中半分以上の8両がA寝台・グリーン車となりこれが通称[殿様あさかぜ]と呼ばれた。下りの東京駅発車時刻はダイヤ改正のたびに多少変わったが上り列車の東京到着時刻は廃止されるまでず~っと09時30分で固定されていた。時あたかも佐藤栄作の長期政権時代、お国詣でのセンセイ方御用達列車の側面もあった(らしい)(^^);当初は九州特急と呼ばれていたが諸賢のご指摘にあるように東北初のブルトレ[はくつる]の登場で九州に限らなくなったのでいつしか[ブルートレイン(ブルトレ)]と呼ばれて定着した(然し1964/昭和39年に登場した[はくつる]は早くも1968/昭和43年10月ダイヤ改正で車輛が寝台座席兼用電車583系に置き換えられブルートレインとしては短命に終わった。ただ常磐線経由の[ゆうづる]や奥羽本線経由の[あけぼの]などがあり[上野発の夜行列車]もそこそこ賑わっていた。尚[はくつる]は1984/昭和59年02月改正で再び客車編成になり[ブルトレ]復活となった稀有の列車でもある)。因みに[なは]は元々は昼間の特急でその名前の由来は沖縄県の県庁所在地[那覇市]。最初の登場は1968/昭和43年でまだ沖縄の本土復帰前、アメリカの統治下の時代だった。当初は気動車特急(まだ鹿児島本線南部は未電化)で日豊本線経由の[日向]と併結運転、のちに電車化された(その後は単独運転)。1975/昭和50年3月の山陽新幹線博多開業で昼行特急としての使命は終えたが[なは]の愛称を残して欲しいとの要望に応じ、鹿児島本線の夜行特急[明星]グループの一環として1往復名前が残った。これも当初はブルトレではなく583系電車だった。おっと…この手のネタ語りだすと止まらなくなってしまうから今はこの辺で以下自粛(^^);
人気にて乗れる営業には審査にて黒字列車創作に四十万人よりファン様には、機関車型牽引客車と定期型?寝台列車増設は団体型車輌連結を製造に牽引?型は新規機関車。
ブルートレインが絶滅してしまったのは悲しい。約20年前に、さくら・はやぶさ号と、なは・あかつき号に乗り、終点の東京と京都まで乗った。2009年に富士・はやぶさのラストランを見送って、九州から都会を結ぶ寝台特急が消滅した瞬間は泣ける。
NHKニュース7で武田キャスターが今日でお別れです。とコメントした程。
小さい頃に大阪駅から寝台特急あかつきに乗って佐賀駅まで行ったごとがある。
全て、格安航空会社の参入と夜行高速バスの普及。さらに、ビジネスホテルの増加。
新幹線だね。敵は身内に。
青いEF66に牽引されるはやぶさが印象に残っています。まだ国鉄だった子供時代、伊豆山の祖父の会社の保養所がトンネルの合間にあり、よく二人で眺めていました。開放式B寝台でも学生には料金が高く乗れずじまいでした。ブルートレインに分類されるかわからないけど、急行銀河くらい乗っておけば良かったと思っています。
上野から常磐線経由で青森まで走っていたゆうづるもありました。
学生の頃たまたま最終運行手前の「北斗星」に乗ったなあ。あとは、今年の春にサンライズ出雲、瀬戸に広島の帰りに乗ったよ。やっぱ旅は列車だね😃
東京⇄大阪間で夜行バス使う人多いから今でも格安な寝台列車残ってて欲しかったな…大阪行きはサンライズ出雲が残ってるけど、東京行きがないからね😭新幹線のようにお金で時間を買うような移動でなく、安全に時間通りにゆっくりと到着する移動手段があってもいいと思う!
そういえばかつて東京の馬喰町に寝台列車の設備を再利用したユースホステルがありましたが、今はもう無いんですよね。なんか、物好きな人なんかは埼玉の東川口にあるピュアのアホクズ?みたいな名前の会社がJRから譲渡された北斗星の食堂車車両を使った激マズ食堂で夕食を食べてから馬喰町のユースホステルに泊まりに行く人も居たらしい。
20何年か前に、九州に台風接近し、大雨が降る中、博多駅から『あさかぜ』に乗った事を思い出した。確か、この時は、遅れはあったが、無事に運行しましたね。
ブルートレンは夜中夜明け昼にかけて走るので旅が楽しみです駅弁を食べビールを飲むのが楽しみでした
ブルトレブームがスーパーカーブームに前後してたと記憶してます。ブルトレカードが入ったガムだったかが売っていて、それをよく買いました。東京発以外はヘッドマークのない時代。修学旅行で長崎に行ったときにホームで見たあかつき、同じ高校時代に青函連絡船に乗りに行ったときに見た日本海は忘れられない。就職し、仕事のつながりで秋田支社の方と話したときに、あけぼのの延命時期を伺いました。おなじくカシオペア運行開始も結構前に知ることが出来ました。北斗星の出発式も上野駅14番線で見てました。最寄駅から1,3,5号の通過時間が高校からの下校時間とよく重なってたので羨ましく見てました。最終運行になると大騒ぎする中には入りたくなかったので、唯一北斗星の最終列車を王子駅の跨線橋から見送りましたね。
ブルートレインて聞いて思い出す😃💡のは、ドカベンのブルートレイン高校。夜行列車みたいにナイター戦に強いので明訓高校戦では、時間を稼ぐ為のらりくらりしてナイター戦に特急の様に速く機動力を使う。ブルートレイン高校の選手名前は、ブルートレインと同じ名前の選手だった。
懐かしいもう乗れない伸ばし寂しい
懐かしい、富士で西鹿児島駅まで乗った。確か到着迄24.5hかかった記憶が。八歳だったからキツかった。復路は岡山まで月光→新幹線で東京駅に。東京駅に着いたら爆●騒ぎで山手線止まってた。子供に東京 - 西鹿児島往復はキツくて寝込みました(笑) 中学生の兄上はピンピンしてた。
数年前、タイに時々出張してたころ、ブルートレインにのれないかなと思って、バンコク、チェンマイ間をわざわざ寝台列車で移動したことが何回かあるけど、ブルートレインには当たらなかった。タイ人にのれる方法を聞いたりもしたので、それを覚えてたタイ人が、のる機会があり、普通の寝台車よりも快適だったと連絡をくれたことがあった。コロナが終息したら、またチャレンジに行きたい。
国内のブルートレンでなきゃ意味ないよ
@@kokubuntoshinori1268 意味はあるら。もう日本には無いブルトレ。外国で頑張っている昔の日本のブルトレ客車。会えたらいたわってあげて欲しいって思うよ。
コメント欄が本編に負けず劣らずの知識量でびっくらこいた。
アホアホコメント多くてびっくりだ。
皆様方の重箱をつつく楽しげなまるで学芸会そっくりのお話し合いが微笑ましい。🤗折角のカラフルな絵本をもっとつぶらな瞳で懐かしみましょう。💓私は一世代前の急行寝台列車に乗りたかった。😅新大阪~博多の海星は憧れました。急行なのに1号車は半分が一等寝台A個室、半分は一等B寝台解放式二段ベッドだ。2号車は一等B寝台、B寝台表記でも一等なのだ。後に続くは二等寝台三段式の六人コンパートメント。個室は今のレベルだとグランクラスに匹敵する。無論私は子供だからよだれ垂らすだけ。そもそも寝台が付いている列車だけでまばゆくこの世のスターが乗るものと勝手に決めていた。夜行列車は4人ボックスで頭もたれて寝るが正しい夜行列車の姿である。当時の固定観念だ。修学旅行の12系座席車の熊本~大阪夜行でさえ楽しかった。その反動から社会人になりさくら🌸はやぶさ🐦みずほ🌾富士🗻は御用達列車になりました。北行きも然り日本海🌊は関西弁から東北弁に衣更え列車だ。あかつき・あけぼの・明星のヘッドマークのデザインは違いに知恵を絞ったろう。😔あさかぜのマークは抽象風景ながらもドシンプルさがその筋から高い評価を得た。降りる駅が近づくと悲しくなりゆっくり走れと願ったもんだ。なんか少し若い頃の苦くも楽しい時間をありがとうです。
何年か前にエビスビールにヘッドマークのキーホルダーがおまけでついたときはコンプするまで買ったなぁ。子供の頃のあこがれは彗星でしたが廃止までに乗ることは叶わず。出雲に乗れただけでも幸せだったとしておきます。なおいまだにサンライズ未経験の出雲市民…
以前寝台特急富士は東京から日豊線回りで西鹿児島現在の鹿児島中央まで走っていたので24時間以上走っていました。
…てな訳で、遅延さえ無ければ全線乗車すると「同じ愛称の列車と『2度』」すれ違うのぢゃ。ましてや東海道新幹線開業前など「桜島」「高千穂」などの夜行(と言っても割と日中時間帯が長いので、その表現は果たして妥当なのか?「長距離列車」とすべきか?)急行列車など25〜30時間以上は当たり前な列車など…いかん、ブルトレから脱線してもた…
富士号は1965-1980年まで東京から西鹿児島まで大分から日豊本線経由で西鹿児島まで回ってました。1574キロと日本最長距離を24時間以上掛けて回ってました。その間に機関車を四回交換しての長旅でしたね。しかし余りにも遠く時間が掛かるのと、西鹿児島への需要が少なかった為に、後に宮崎まで短縮し、最終的には大分止まりが終点となりました。機関車の変遷。東京~下関 EF60.65(500番台.P型).66下関~門司 EF30.81(交直両用機関車)門司~大分 ED74.76(大分で客車半分切り離し)大分~宮崎 ED74.76宮崎~西鹿児島 DF50(ディーゼル機関車)※(電化後)ED76そして当時は宮崎から先は非電化区間でしたので、化石とも言えるDF50で客車を牽引しておりました。それが廃止となり一年後に宮崎まで短縮されました。
@@カベの虎キチどこで4回目の交換なのか?
ブルートレイン!その名称を当たり前にしたのは4番目に登場した青森へ向かうはくつる!それが原因なんだよね。つまり最初のあさかぜ!次のはやぶさ!3番目のみずほ!つまりみずほ迄は全て目的地が九州各地!って事で九州特急!って事になっています。そして四番目のはくつる!それが九州!ではなく初の東北の青森!そこ行きの登場!って事になり九州特急!って名前が通じなくなって車両が青く更に夜行列車!って事を兼ねて初めてブルートレイン!って名前がはくつるの青森の登場を皮切りに定着したんだよね!ちなみに5番目は富士です。以上です。
さくらの立場は?
一般的には20系登場時にブルートレインと呼ばれたと言われてるけどな
はくつるが原因と言うより、その後の(翌年)鉄道雑誌でブルートレインという表現が使われるようになったが始めでしょ。。
南アフリカの豪華寝台列車「ブルートレイン」が世間に知られるようになった頃に、ブルートレインの呼称が一般的になったと記憶していますが。
はくつると、富士は昭和39年10月1日で同じ。だが、富士は元はみずほの大分編成として大分へ先に乗り入れていたからどちらと言えば富士が5番目ではくつるは6番目。2番目にさくらが抜けてますよ!
JR門司港駅となりの鉄道記念館にスハネフ14があります。「寝台車」と言うくくりでは元クハネ581のクハ715もあります。但しスハネフ14は宿泊出来ないし、クハ715も715系のままですが。
ソコへいらっしゃったならば、宇都宮照信氏には会えましたか?
@@雅夫大場 会えませんでした
私もです。私も十数年前訪れたのですが、ご多忙中の上、私も気がつくと列車の時刻が迫っていた為断念しました。
日本海B寝台の空調めちゃ寒かった。大阪発函館行きによく乗って北海道旅行しました。
定夫が出雲がすきでしたね
自分は20系客車「さくら」に1歳の時に乗ったと言われているが覚えてない。無念!
子供の頃、親にブルートレインに乗りに行くぞと言われ、駅に行ってみるとそこにいたのは12系の座席車だった。確かにブルートレインだけど何か違う・・・そう思いながら子供の頃を過ごし、12系をずっとブルートレインだと思い込んでいました(笑)
青い客車でブルートレインの昼行バージョンという意味だね?
現在貨物列車の牽引車として運用されてるけど、昔は寝台車を牽引してたディーゼル車はあるのかな
ディーゼルでは機関車ならDF50、DD51、DD54、DE10(DE15)、気動車なら中に挟む形でキハ400・480、キハ183系があります。SLでもC59、C61、C62などがけん引していました。
新造だから貨物牽引歴は無いと思うけど、ななつ星の牽引機はディーセル車ね
なるほど ありがとうございます
貨物列車牽引はDD51は2021年に終了しているでしょう。DF200は昔寝台車牽引してないですね。だから答えは、ナシですね。質問の答えと違いますが、SL牽引では、ブルトレさくら登場時C57後にC60、佐世保乗り入れ時DD51の反対にC11がありました。他にもイレギュラーですがC58やD51などもありました。
寝台特急「日本海」は、やはり有名ですが、余り有名じゃなさそうなのが寝台特急「つるぎ」(大阪~新潟)でしょうか?同一経路の急行「きたぐに」も最初は大阪~青森間を運行してましたが、需要減で「つるぎ」と同じく大阪~新潟間に短縮されてます。「つるぎ」廃止後は581系電車車両で運用されました。普通車は大阪乗車以外は着席出来ない、と言われるほどの「余りにもいい加減な(迷惑)混雑」で有名でしたよ。ついでですが、ブルートレインを牽引する機関車はEF65の500番台が多く、貫通型の1000番台は珍しいです。EF66も鮮魚輸送で有名な「とびうお号」と長距離&長物編成の急ぎ用貨物列車に用いられていました。急がない貨物はEH10が牽引してました。「日本海」や「つるぎ」は直流線内はEF58が牽引してました。
めちゃくちゃだ
一度だけ乗った。いい思い出
青函トンネルの事故で朝出発で12時間近く遅れたけど、北斗星に乗れてよかったと思う。
タイでは、残ってはいるけど使われてはいないですね。基地で放置されています。あとファランポーン駅のホームには豪華に改造された王族用?14、24系が停泊なのか静態保存なのか、されています
王族用なのに日本の営業車両のお下がりなの?
電源車(カニ21、22、24とか)は解体せずに残していてもよかったのではと思います。地震や災害で電気に色々困ってしまう事沢山あった筈。改造して避難所への電力供給とか。
いえいえ、あんな重たくてかさ張るものを災害地に運ぶなんて非現実的です。しかも数も知れていて使いづらいです。しかも日常もメンテナンスなどで動かし続けないと傷みますし割に合いません。非常用電源なら自動車の電源車が最適です。
@@douga9996 私も同意見です。災害だと線路自体がやられ移動出来なくなる。また使えても電源の規格が送配電線と合うのかどうか?? しかも製造から50年60年は経っていて使えるか判らない、これは同じく発電機を持つカニ24やスハフ・スハネフ14、スハネフ15、スハフ12にも言えると思います。それよりも自動車の電源車かポータプル発電機、PHV車が現実的だと思います。
@@douga9996 口で言う程簡単では無いって事ですね。
ブルートレインはさくらが好きだった乗ったことはないですが
ビーデル 様瀬戸大橋開業の年は指定券🈯が難しいと思いわざと翌年に渡りました。小倉~別府~フェリーと宇和島へそして四国から岡山に行き瀬戸大橋初渡り。再度マリンライナーで四国に帰り遠回りしてまた宇和島から別府行きのフェリー、更に小倉へ行き寝台特急さくら🌸で帰りました。ハプニング発生、雨でさくら🌸が遅れ。夕食は食堂車に間に合った!朝の朝食も!3時間遅れだからなんとランチタイムも食堂車に行く始末、でも遅れにより長くさくら🌸に乗れたプラス指向ポジティブの良き経験でした。ちなみに下りはみずほ🌾号で小倉まで、みずほの食堂車のウェイトレスさんにカメラ向けたら鳩に豆鉄砲みたいな顔で恥じらい、とても可愛いお嬢様でした。ヘッドマークがみずほ🌾は金文字、さくら🌸は葉桜の緑色の時代の一場面の切り取りを報告しました。失礼をば
さくらは名前のわりに地味な列車でしたね。富士が一二等特急、さくらは三等特急。つばめ、はとの時代の不定期特急。あさかぜがロネたくさん連結していて、さくらはナロネ22とナロネ21,後に24系25型のオロネ25個室寝台登場もさくらは14系開放A寝台オロネ14。
乗ったことのあるブルートレインは🌃✨あさかぜ、みずほ、富士、さくら、あけぼの、北斗星、はくつる、ゆうづる、(急行)銀河✨でしたね🚃まあ、ブルートレインよりも夜行急行列車を好んで乗ってたから少ないけど🍀ブルートレインが復活するとしたら、上野(高崎、上越、信越、羽越、奥羽本線経由)青森。京都、大阪~下関、熊本、大分方面。JR東海に機関車運転士がいないので❌JR四国も機関車運転士がいない可能性が高いので❌まあ、ブルートレインは20世紀の乗り物でしたし☺️
クルーズトレインとか、もはや富豪の遊び列車だよなぁ。。カシオペアやトワイライトの特A寝台とはレベルが違う。それに、自由な旅じゃなくて束縛されたツアーというのもなぁ。。夜行高速バスも乗ったけど、やはり、三段寝台の最上段のほうが寝心地は良かったな。。
やはり移動手段として利用したいですね。行きたい場所に行き、食べたいものを食べるのが旅だと思います。
もうこんな動画が出るほどブルートレインが「鉄オタでも知らない存在」になりつつあるんですね。。。そりゃ富士ぶさが終わったのが2009年ですもんね。。。仕方ないか。最後の富士ぶさのうち下りはやぶさの先頭のスハネフの一番前の寝台に乗りました。テレビにもいっぱい映りましたが、途中2時間ほど遅れたこともあり、車掌さんたちと語り合ったり、車内にはDQNは乗っていなかった(価格が高いから乗れない)ので、和気藹々とした雰囲気で、社内で記念グッズの販売もありましたが、一人でも多くの人に渡るようにみんながお互いに配慮していて、個数制限などなくても買い占めるようなバカもいませんでした。あの車内は、みんなで最後の列車を楽しもうという思いやりに溢れた素晴らしい空間でした。(立席特急券客が大挙して押し寄せるまでは。。。)
トワイライトエクスプレスの紹介でサロンカーナニワが映像としてでるのはどうかと思います
やっぱEF66が牽引するブルトレは、最高にカッコええな、その為に作られたはずやのに、ずっと貨物ばっかり引っ張っとったんは、何でやろ❓
僕もそう思っていたら実は貨物機関車だった。
こういう旅情あふれる列車を軒並み廃止に追い込んだのも新幹線の発達が大きな要因。その観点で見ると新幹線にはあまり良い印象を持っていません・・。
2016年3月27日にフジテレビ系列『Mr.サンデー』の「NEWSストーリー」で、旧白滝駅を取り上げた時、最後に旧白滝駅に向けた寄せ書きが紹介されたが、その中に「北海道新幹線開業の陰で、多くの大切なものが犠牲になっていく」とがあった。本当にそう思った。新幹線開業と引き換えに、旅情が奪われていく。
出雲が人気あったってのは?富士、はやぶさ、さくら、あさかぜ辺りじゃないかな。
考えてみたら、国鉄時代 東京発九州各地や山陰方面だけで、東北や奥羽、上越はブルートレインと呼ばれなかったのかな? 高校の修学旅行で帰りに金沢~上野に寝台車に乗ったのが唯一
もちろんブルートレインです。ちなみに最初は初代のあさかぜ!2代目のさくら!3代目のはやぶさ!4代目のみずほ!その時代迄は目的地が全て九州エリア!だった事から九州特急!名前でした。そして次の5代目に東北本線の青森行きのはくつる!それがデビューする際に九州特急はダメでは?って事が議論📋になって車体の青いカラーリング!そこから自然にブルートレイン!名前に変わりました。ちなみにだけど当時は東京側の車両が寝台車!ではなく普通の座席シート💺!でした。参考までに!
@@野間光博 はくつる4番目って書いてるじゃん笑富士もはくつるも昭和39年10月1日で同時デビュー。(しかし富士はみずほの大分編成が独立)。なお、20系登場時からブルートレインという言葉はあった様です。一般化したのは、はくつるなどデビュー後鉄道ジャーナル誌での追跡記事、ブルートレイントレイン青い流れ星という言葉を使っていましたので、その影響などもあると思われます。日本海は昭和43年10月でした。訂正しました。
@@野間光博 初代とか2代めとかいうのは変だな。代替わりしたわけじゃないからな。以上とか参考までにとか偉そうにいうわりに。
@@野間光博 初代の富士は戦前の特急、2代目は電車特急、3代目がブルートレインと、このように使う。
だから?マナーの勉強✏️もだね!ガタガタカリカリは身体に悪いぞ!
何故東京から南に向かうブルートレインには食堂車が連結されて居たのに上野から北に向うブルートレインには食堂車が連結されていなかったんだろうか?やっぱり乗車時間ですかね?
食事時間帯にかからない時刻の運転だからということと従業員の確保のことでしょうね。
九州行きは夕方には発車していくのに対し、上野発のブルトレは夕食時を過ぎてからの発車。到着も朝早めだ。深夜の上野にゆうづるが三列車横並びに揃うのは圧巻だったけど、それ見てからだと帰宅の終電に間に合わなかった。
やっぱり夕方上野を出たら早く着きすぎるんですかね、まぁ東北へ向う車内は出張のサラリーマンと言うよりかは出稼ぎの方々で酒盛りが合うのかも
20系時代のはくつると、ゆうづるにはナシ20は連結されていました。電車化された列車もサシ581は連結されていました。(途中から連結していても営業休止になったかもですが)
@@tydeentetuota5514 20系時代には食堂が営業していたのでしょうか? どんなダイヤだったか気になります。583系に食堂車が付いているのは、はつかりとかみちのくと共通運用される事を考えると必然的ですね
明治、民間企業で敷設した私鉄の山陽鉄道が日本で最初の寝台車(食堂車も)の列車を走らせたことは語るべきだと思う。。。
青函トンネルを最初に通過したのは日本海です。
豪華寝台特急列車北斗星とカシオペアも、青函トンネル北海道新幹線改軌工事の為に、2016年夏に運行終了。大阪発札幌行トワイライトエクスプレスは、一足早く、2015年に運行終了。今は、クルーズトレイントワイライトエクスプレス瑞風になっている。カシオペアは、カシオペア紀行というクルーズトレインとして東日本管内を運行している。東京ー博多間の寝台特急列車に使われたら良いのに。ちなみに、定期寝台特急列車は、サンライズ瀬戸出雲しかない。
最後は、現代版殿様列車ななつ星九州。
カシオペアはブルートレインには入りませんよ
トワイライトエクスプレスもブルートレインには入りません
寝台特急という類の中の話では?
@@toki_E2TOHOKU ブルートレインの解説なのにそれ以外の寝台列車を紹介するものかね...。
そもそもブルートレインというのは青い客車(旧型客車を除く)を使った寝台列車のことでカシオペアなんてオールステンレスとか言うブルートレインの外装に縁がないものですよ…。あとななつぼしin九州の77系客車もブルートレインには入りませんね
トワイライトエクスプレスも緑だからブルトレに入らなくね?あんたの言い分だと
男ならC寝台(白目)
海苔高 様意味は通じました。昔の列車編成表を👀見るとC寝台は裕福な御家庭かたまには贅沢旅行するかや新婚旅行向きの華やかな種別で、わたしら庶民には、高嶺の花の存在でした。C寝台が連結されているだけで、もうその列車の格式が高い。しかも僅か1両か2両程度の希少価値だ。2等A寝台は個室。2等B寝台は解放式(プルマン式)二段ベッド。2等C寝台は解放式(プルマン式)二段ベッド。B寝台との違いは昼間使用時の状態、今のロングシートです。上段の人と二人分の仕切り壁はあるが景色は後ろ向きに見る。これとは別にカルテット式の四人用個室タイプもあった。3等寝台が三段式の6人室三段式といえども寝台での旅行だ。羨ましい。もう一度、寝台と言うだけでもお金持ちのイメージがつきまとう。夜行列車は四人ボックスに限るのだ。種別は「ハ」としか記載がない。私はむしろ寝台だと身分相応でないので、興奮して寝られないだろう。その大好きな夜行列車ですら廃止の憂き目になりやがった。残念無念で御座候ですね。(>_
D寝台:床E寝台:連結部分
いくら鉄道好きでもお骨になった後でC寝台に置き去りにされるのは惨め過ぎだ
海苔高 様松本清張先生のゼロの焦点を読んで調べ直した結果、B寝台とC寝台の記述に誤りがありました。急行北陸号が登場します。訂正して書き直ししました。(>_
あくまでシャレだが…「ブルトレ」と云うにはあまりに微妙だが、JR西日本の117系「W.ex銀河」なんてのは如何?ま、コレはワシが勝手に認定している事だが…JR各社も、こういった車両、改造でも良いのだが…もっとも、コレも各社の財政次第なので、ファンの立場で勝手申し上げているのは承知である。JR西の姿勢には拍手モノだが、出来れば予備として、もう1編成!というのは欲張りか?え、ワシ?コロナ禍終息したら乗りに行きますよ!
微妙ではなく完全にブルトレではないぞ。
@@tydeentetuota5514 さようであります。BlueなTrainの意味でありまして、14系等の客車でない事は重々承知であります。お気にさわりましたら御麺あそばせ。w…しかし、そんな見解も伊豆急行の「The Royal Express」もsoなってしまうか…いらぬ誤解をさせてしまいました。
@@tydeentetuota5514 もっとも583系を、ソレというのも抵抗あり…
@@雅夫大場 別に気に障ったわけではない。単にブルトレではないでしょうという話。昭和42年581系電車はニューブルートレインとは言わず昭和46年14系寝台車がニューブルートレインと呼ばれる。
@@tydeentetuota5514 了解しました!!
自分は山陰人なのでブルートレインといえば出雲のイメージが強いですね😃東京までは乗ったことないですが何回か自由席特急券で乗りました🎵見るだけでテンションが上がる大好きなブルートレインでした❗️
人気にて乗れる営業には審査にて黒字列車創作を四十万人よりファン様には、機関車型牽引客車と定期型?寝台列車増設は団体型車輌連結を製造に牽引?型は新規機関車。
心の支えだったブルートレイン。もう一度走る姿を見たい……
人気にて乗れる営業には審査にて黒字列車創作を四十万人よりファン様には、機関車型牽引客車と定期型?寝台列車増設は団体型車輌連結を製造に牽引?型は新規機関車。
私もみたいです〜💖
新型車両を作る必要がある。
青い車体が、美しい。長距離列車としての貫禄、風格が出ている。私がブルートレインが好きになった理由はこれです。出身地大分県別府まで富士に乗車、朝日を浴びて山陽本線を走る所は、感無量でした✨🙌👍
少し離れていますが東北自動車道岩槻インターそばの
民間企業敷地内に客車がおいてあります。
敷地内なので近くまで行ったことはありませんが
柵もしてあり綺麗に保存されています。
表の道路からそんなに離れていないので
存在感と迫力を十分味わえます。
ブルートレイン私の好きな部類です。1970年ぐらいからブルトレブームが始まりだし1978年には大ブームになりました。私世代にはドンピシャな時代でした。ブルトレといえばやはりヘットマークとくに東京発のブルトレのヘットマークは特に気に入ってました。
10:46 北海道の函館にもありますよ〜
名古屋から小倉競馬観戦の為に行きは寝台特急はやぶさ、帰りは500系のぞみで帰った思い出!ただ馬券は散々でした。
私もまったく同じだった😁ただし競馬は(爆)勝で帰りは500系のぞみのグリーン車でした😁
ブルートレインとは寝台車を主体とした固定編成前提運用の客車列車。ただ青色ってだけじゃない(色が青い列車なら他にもある)。[あさかぜ]の運転開始は確かに1956/昭和31年11月19日、東海道本線全線電化開業のダイヤ改正からだけど、当初は在来型客車編成だった。個室寝台や3等寝台など画期的な車輛を組み込んでいたとはいえ、一部の車輛に旧世代のものも混ざり特急と言いながら急行と大差ないとの批評もあった。また、京阪神を深夜通過することで需要予測でも不安視されていた。然しそれまでほぼ一昼夜(約20時間40分)かかっていた東京~博多間を17時間強で結びその速達性から大人気となった。すぐに長崎行きの[さちかぜ]が設定されたが[あさかぜ]と[さちかぜ]では名前が紛らわしく乗り間違いも多発したので程なく[平和]に、そして[さくら]に名称変更された。
初代ブルートレイン型に変わったのは1958/昭和33年10月01日より。それまでは今でいうグリーン車ですら扇風機が当たり前だったところ全車両冷暖房完備。まだ末端区間は特急と雖もSL牽引だった当時殊に夏場の乗客には福音だった。
(それで浮いた客車を使って設定されたのが[はやぶさ])。
やがて列車も増発され[さくら][はやぶさ][みずほ][富士]とラインナップが揃い[あさかぜ]に至っては複数本数が設定された。その内元祖[あさかぜ]は編成内に個室A寝台車を多くつなぎグリーン車もはさみ15両編成中半分以上の8両がA寝台・グリーン車となりこれが通称[殿様あさかぜ]と呼ばれた。下りの東京駅発車時刻はダイヤ改正のたびに多少変わったが上り列車の東京到着時刻は廃止されるまでず~っと09時30分で固定されていた。時あたかも佐藤栄作の長期政権時代、お国詣でのセンセイ方御用達列車の側面もあった(らしい)(^^);
当初は九州特急と呼ばれていたが諸賢のご指摘にあるように東北初のブルトレ[はくつる]の登場で九州に限らなくなったのでいつしか[ブルートレイン(ブルトレ)]と呼ばれて定着した(然し1964/昭和39年に登場した[はくつる]は早くも1968/昭和43年10月ダイヤ改正で車輛が寝台座席兼用電車583系に置き換えられブルートレインとしては短命に終わった。ただ常磐線経由の[ゆうづる]や奥羽本線経由の[あけぼの]などがあり[上野発の夜行列車]もそこそこ賑わっていた。尚[はくつる]は1984/昭和59年02月改正で再び客車編成になり[ブルトレ]復活となった稀有の列車でもある)。
因みに[なは]は元々は昼間の特急でその名前の由来は沖縄県の県庁所在地[那覇市]。最初の登場は1968/昭和43年でまだ沖縄の本土復帰前、アメリカの統治下の時代だった。当初は気動車特急(まだ鹿児島本線南部は未電化)で日豊本線経由の[日向]と併結運転、のちに電車化された(その後は単独運転)。1975/昭和50年3月の山陽新幹線博多開業で昼行特急としての使命は終えたが[なは]の愛称を残して欲しいとの要望に応じ、鹿児島本線の夜行特急[明星]グループの一環として1往復名前が残った。これも当初はブルトレではなく583系電車だった。
おっと…この手のネタ語りだすと止まらなくなってしまうから今はこの辺で以下自粛(^^);
人気にて乗れる営業には審査にて黒字列車創作に四十万人よりファン様には、機関車型牽引客車と定期型?寝台列車増設は団体型車輌連結を製造に牽引?型は新規機関車。
ブルートレインが絶滅してしまったのは悲しい。
約20年前に、さくら・はやぶさ号と、なは・あかつき号に乗り、終点の東京と京都まで乗った。
2009年に富士・はやぶさのラストランを見送って、九州から都会を結ぶ寝台特急が消滅した瞬間は泣ける。
NHKニュース7で武田キャスターが今日でお別れです。とコメントした程。
小さい頃に大阪駅から寝台特急あかつきに乗って佐賀駅まで行ったごとがある。
全て、格安航空会社の参入と夜行高速バスの普及。さらに、ビジネスホテルの増加。
新幹線だね。敵は身内に。
青いEF66に牽引されるはやぶさが印象に残っています。まだ国鉄だった子供時代、伊豆山の祖父の会社の保養所がトンネルの合間にあり、よく二人で眺めていました。
開放式B寝台でも学生には料金が高く乗れずじまいでした。ブルートレインに分類されるかわからないけど、急行銀河くらい乗っておけば良かったと思っています。
上野から常磐線経由で青森まで走っていたゆうづるもありました。
学生の頃たまたま最終運行手前の
「北斗星」に乗ったなあ。
あとは、今年の春にサンライズ出雲、瀬戸に広島の帰りに乗ったよ。
やっぱ旅は列車だね😃
東京⇄大阪間で夜行バス使う人多いから今でも格安な寝台列車残ってて欲しかったな…
大阪行きはサンライズ出雲が残ってるけど、東京行きがないからね😭
新幹線のようにお金で時間を買うような移動でなく、安全に時間通りにゆっくりと到着する移動手段があってもいいと思う!
そういえばかつて東京の馬喰町に寝台列車の設備を再利用したユースホステルがありましたが、今はもう無いんですよね。
なんか、物好きな人なんかは埼玉の東川口にあるピュアのアホクズ?みたいな名前の会社がJRから譲渡された北斗星の食堂車車両を使った激マズ食堂で夕食を食べてから馬喰町のユースホステルに泊まりに行く人も居たらしい。
20何年か前に、九州に台風接近し、大雨が降る中、博多駅から『あさかぜ』に乗った事を思い出した。確か、この時は、遅れはあったが、無事に運行しましたね。
ブルートレンは夜中夜明け昼にかけて走るので旅が楽しみです駅弁を食べビールを飲むのが楽しみでした
ブルトレブームがスーパーカーブームに前後してたと記憶してます。ブルトレカードが入ったガムだったかが売っていて、それをよく買いました。東京発以外はヘッドマークのない時代。修学旅行で長崎に行ったときにホームで見たあかつき、同じ高校時代に青函連絡船に乗りに行ったときに見た日本海は忘れられない。就職し、仕事のつながりで秋田支社の方と話したときに、あけぼのの延命時期を伺いました。おなじくカシオペア運行開始も結構前に知ることが出来ました。北斗星の出発式も上野駅14番線で見てました。最寄駅から1,3,5号の通過時間が高校からの下校時間とよく重なってたので羨ましく見てました。最終運行になると大騒ぎする中には入りたくなかったので、唯一北斗星の最終列車を王子駅の跨線橋から見送りましたね。
ブルートレインて聞いて思い出す😃💡のは、ドカベンのブルートレイン高校。夜行列車みたいにナイター戦に強いので明訓高校戦では、時間を稼ぐ為のらりくらりしてナイター戦に特急の様に速く機動力を使う。ブルートレイン高校の選手名前は、ブルートレインと同じ名前の選手だった。
懐かしいもう乗れない伸ばし寂しい
懐かしい、富士で西鹿児島駅まで乗った。確か到着迄24.5hかかった記憶が。八歳だったからキツかった。復路は岡山まで月光→新幹線で東京駅に。東京駅に着いたら爆●騒ぎで山手線止まってた。子供に東京 - 西鹿児島往復はキツくて寝込みました(笑) 中学生の兄上はピンピンしてた。
数年前、タイに時々出張してたころ、ブルートレインにのれないかなと思って、バンコク、チェンマイ間をわざわざ寝台列車で移動したことが何回かあるけど、ブルートレインには当たらなかった。タイ人にのれる方法を聞いたりもしたので、それを覚えてたタイ人が、のる機会があり、普通の寝台車よりも快適だったと連絡をくれたことがあった。コロナが終息したら、またチャレンジに行きたい。
国内のブルートレンでなきゃ意味ないよ
@@kokubuntoshinori1268
意味はあるら。
もう日本には無いブルトレ。
外国で頑張っている昔の日本のブルトレ客車。
会えたらいたわってあげて欲しいって思うよ。
コメント欄が本編に負けず劣らずの知識量でびっくらこいた。
アホアホコメント多くてびっくりだ。
皆様方の重箱をつつく楽しげなまるで学芸会そっくりのお話し合いが微笑ましい。🤗
折角のカラフルな絵本をもっとつぶらな瞳で懐かしみましょう。💓
私は一世代前の急行寝台列車に乗りたかった。😅
新大阪~博多の海星は憧れました。急行なのに1号車は半分が一等寝台A個室、半分は一等B寝台解放式二段ベッドだ。2号車は一等B寝台、B寝台表記でも一等なのだ。後に続くは二等寝台三段式の六人コンパートメント。
個室は今のレベルだとグランクラスに匹敵する。
無論私は子供だからよだれ垂らすだけ。そもそも寝台が付いている列車だけでまばゆくこの世のスターが乗るものと勝手に決めていた。夜行列車は4人ボックスで頭もたれて寝るが正しい夜行列車の姿である。当時の固定観念だ。
修学旅行の12系座席車の熊本~大阪夜行でさえ楽しかった。その反動から社会人になりさくら🌸はやぶさ🐦みずほ🌾富士🗻は御用達列車になりました。北行きも然り日本海🌊は関西弁から東北弁に衣更え列車だ。
あかつき・あけぼの・明星のヘッドマークのデザインは違いに知恵を絞ったろう。😔
あさかぜのマークは抽象風景ながらもドシンプルさがその筋から高い評価を得た。
降りる駅が近づくと悲しくなりゆっくり走れと願ったもんだ。なんか少し若い頃の苦くも楽しい時間をありがとうです。
何年か前にエビスビールにヘッドマークのキーホルダーがおまけでついたときはコンプするまで買ったなぁ。子供の頃のあこがれは彗星でしたが廃止までに乗ることは叶わず。出雲に乗れただけでも幸せだったとしておきます。なおいまだにサンライズ未経験の出雲市民…
以前寝台特急富士は東京から日豊線回りで西鹿児島現在の鹿児島中央まで走っていたので24時間以上走っていました。
…てな訳で、遅延さえ無ければ全線乗車すると「同じ愛称の列車と『2度』」すれ違うのぢゃ。
ましてや東海道新幹線開業前など「桜島」「高千穂」などの夜行(と言っても割と日中時間帯が長いので、その表現は果たして妥当なのか?「長距離列車」とすべきか?)急行列車など25〜30時間以上は当たり前な列車など…
いかん、ブルトレから脱線してもた…
富士号は1965-1980年まで東京から西鹿児島まで大分から日豊本線経由で西鹿児島まで回ってました。1574キロと日本最長距離を24時間以上掛けて回ってました。その間に機関車を四回交換しての長旅でしたね。しかし余りにも遠く時間が掛かるのと、西鹿児島への需要が少なかった為に、後に宮崎まで短縮し、最終的には大分止まりが終点となりました。機関車の変遷。
東京~下関 EF60.65(500番台.P型).66
下関~門司 EF30.81(交直両用機関車)
門司~大分 ED74.76(大分で客車半分切り離し)
大分~宮崎 ED74.76
宮崎~西鹿児島 DF50(ディーゼル機関車)
※(電化後)ED76
そして当時は宮崎から先は非電化区間でしたので、化石とも言えるDF50で客車を牽引しておりました。それが廃止となり一年後に宮崎まで短縮されました。
@@カベの虎キチ
どこで4回目の交換なのか?
ブルートレイン!その名称を当たり前にしたのは4番目に登場した青森へ向かうはくつる!それが原因なんだよね。つまり最初のあさかぜ!次のはやぶさ!3番目のみずほ!つまりみずほ迄は全て目的地が九州各地!って事で九州特急!って事になっています。そして四番目のはくつる!それが九州!ではなく初の東北の青森!そこ行きの登場!って事になり九州特急!って名前が通じなくなって車両が青く更に夜行列車!って事を兼ねて初めてブルートレイン!って名前がはくつるの青森の登場を皮切りに定着したんだよね!ちなみに5番目は富士です。以上です。
さくらの立場は?
一般的には20系登場時にブルートレインと呼ばれたと言われてるけどな
はくつるが原因と言うより、その後の(翌年)鉄道雑誌でブルートレインという表現が使われるようになったが始めでしょ。。
南アフリカの豪華寝台列車「ブルートレイン」が世間に知られるようになった頃に、ブルートレインの呼称が一般的になったと記憶していますが。
はくつると、富士は昭和39年10月1日で同じ。だが、富士は元はみずほの大分編成として大分へ先に乗り入れていたからどちらと言えば富士が5番目ではくつるは6番目。2番目にさくらが抜けてますよ!
JR門司港駅となりの鉄道記念館にスハネフ14があります。「寝台車」と言うくくりでは元クハネ581のクハ715もあります。但しスハネフ14は宿泊出来ないし、クハ715も715系のままですが。
ソコへいらっしゃったならば、宇都宮照信氏には会えましたか?
@@雅夫大場 会えませんでした
私もです。
私も十数年前訪れたのですが、ご多忙中の上、私も気がつくと列車の時刻が迫っていた為断念しました。
日本海B寝台の空調めちゃ寒かった。
大阪発函館行きによく乗って北海道旅行しました。
定夫が出雲がすきでしたね
自分は20系客車「さくら」に1歳の時に乗ったと言われているが覚えてない。無念!
子供の頃、親にブルートレインに乗りに行くぞと言われ、駅に行ってみるとそこにいたのは12系の座席車だった。確かにブルートレインだけど何か違う・・・そう思いながら子供の頃を過ごし、12系をずっとブルートレインだと思い込んでいました(笑)
青い客車でブルートレインの昼行バージョンという意味だね?
現在貨物列車の牽引車として運用されてるけど、昔は寝台車を牽引してたディーゼル車はあるのかな
ディーゼルでは機関車ならDF50、DD51、DD54、DE10(DE15)、気動車なら中に挟む形でキハ400・480、キハ183系があります。SLでもC59、C61、C62などがけん引していました。
新造だから貨物牽引歴は無いと思うけど、ななつ星の牽引機はディーセル車ね
なるほど ありがとうございます
貨物列車牽引はDD51は2021年に終了しているでしょう。
DF200は昔寝台車牽引してないですね。
だから答えは、ナシですね。
質問の答えと違いますが、
SL牽引では、ブルトレさくら登場時C57後にC60、佐世保乗り入れ時DD51の反対にC11がありました。
他にもイレギュラーですがC58やD51などもありました。
寝台特急「日本海」は、やはり有名ですが、余り有名じゃなさそうなのが寝台特急「つるぎ」(大阪~新潟)でしょうか?同一経路の急行「きたぐに」も最初は大阪~青森間を運行してましたが、需要減で「つるぎ」と同じく大阪~新潟間に短縮されてます。
「つるぎ」廃止後は581系電車車両で運用されました。普通車は大阪乗車以外は着席出来ない、と言われるほどの「余りにもいい加減な(迷惑)混雑」で有名でしたよ。
ついでですが、ブルートレインを牽引する機関車はEF65の500番台が多く、貫通型の1000番台は珍しいです。EF66も鮮魚輸送で有名な「とびうお号」と長距離&長物編成の急ぎ用貨物列車に用いられていました。急がない貨物はEH10が牽引してました。
「日本海」や「つるぎ」は直流線内はEF58が牽引してました。
めちゃくちゃだ
一度だけ乗った。いい思い出
青函トンネルの事故で朝出発で12時間近く遅れたけど、北斗星に乗れてよかったと思う。
タイでは、残ってはいるけど使われてはいないですね。基地で放置されています。あとファランポーン駅のホームには豪華に改造された王族用?14、24系が停泊なのか静態保存なのか、されています
王族用なのに日本の営業車両のお下がりなの?
電源車(カニ21、22、24とか)は解体せずに残していてもよかったのではと思います。地震や災害で電気に色々困ってしまう事沢山あった筈。
改造して避難所への電力供給とか。
いえいえ、あんな重たくてかさ張るものを災害地に運ぶなんて非現実的です。しかも数も知れていて使いづらいです。しかも日常もメンテナンスなどで動かし続けないと傷みますし割に合いません。非常用電源なら自動車の電源車が最適です。
@@douga9996 私も同意見です。災害だと線路自体がやられ移動出来なくなる。また使えても電源の規格が送配電線と合うのかどうか?? しかも製造から50年60年は経っていて使えるか判らない、これは同じく発電機を持つカニ24やスハフ・スハネフ14、スハネフ15、スハフ12にも言えると思います。それよりも自動車の電源車かポータプル発電機、PHV車が現実的だと思います。
@@douga9996
口で言う程簡単では無いって事ですね。
ブルートレインはさくらが好きだった
乗ったことはないですが
ビーデル 様
瀬戸大橋開業の年は指定券🈯が難しいと思いわざと翌年に渡りました。
小倉~別府~フェリーと宇和島へそして四国から岡山に行き瀬戸大橋初渡り。再度マリンライナーで四国に帰り遠回りしてまた宇和島から別府行きのフェリー、更に小倉へ行き寝台特急さくら🌸で帰りました。
ハプニング発生、雨でさくら🌸が遅れ。夕食は食堂車に間に合った!朝の朝食も!3時間遅れだからなんとランチタイムも食堂車に行く始末、でも遅れにより長くさくら🌸に乗れたプラス指向ポジティブの良き経験でした。
ちなみに下りはみずほ🌾号で小倉まで、みずほの食堂車のウェイトレスさんにカメラ向けたら鳩に豆鉄砲みたいな顔で恥じらい、とても可愛いお嬢様でした。
ヘッドマークがみずほ🌾は金文字、さくら🌸は葉桜の緑色の時代の一場面の切り取りを報告しました。
失礼をば
さくらは名前のわりに地味な列車でしたね。
富士が一二等特急、さくらは三等特急。
つばめ、はとの時代の不定期特急。
あさかぜがロネたくさん連結していて、さくらはナロネ22とナロネ21,
後に24系25型のオロネ25個室寝台登場もさくらは14系開放A寝台オロネ14。
乗ったことのあるブルートレインは🌃✨
あさかぜ、みずほ、富士、さくら、あけぼの、北斗星、はくつる、ゆうづる、(急行)銀河✨
でしたね🚃
まあ、ブルートレインよりも夜行急行列車を好んで乗ってたから少ないけど🍀
ブルートレインが復活するとしたら、上野(高崎、上越、信越、羽越、奥羽本線経由)青森。
京都、大阪~下関、熊本、大分方面。
JR東海に機関車運転士がいないので❌
JR四国も機関車運転士がいない可能性が高いので❌
まあ、ブルートレインは20世紀の乗り物でしたし☺️
クルーズトレインとか、もはや富豪の遊び列車だよなぁ。。カシオペアやトワイライトの特A寝台とはレベルが違う。
それに、自由な旅じゃなくて束縛されたツアーというのもなぁ。。
夜行高速バスも乗ったけど、やはり、三段寝台の最上段のほうが寝心地は良かったな。。
やはり移動手段として利用したいですね。行きたい場所に行き、食べたいものを食べるのが旅だと思います。
もうこんな動画が出るほどブルートレインが「鉄オタでも知らない存在」になりつつあるんですね。。。
そりゃ富士ぶさが終わったのが2009年ですもんね。。。仕方ないか。
最後の富士ぶさのうち下りはやぶさの先頭のスハネフの一番前の寝台に乗りました。
テレビにもいっぱい映りましたが、途中2時間ほど遅れたこともあり、車掌さんたちと語り合ったり、車内にはDQNは乗っていなかった(価格が高いから乗れない)ので、和気藹々とした雰囲気で、社内で記念グッズの販売もありましたが、一人でも多くの人に渡るようにみんながお互いに配慮していて、個数制限などなくても買い占めるようなバカもいませんでした。あの車内は、みんなで最後の列車を楽しもうという思いやりに溢れた素晴らしい空間でした。(立席特急券客が大挙して押し寄せるまでは。。。)
トワイライトエクスプレスの紹介でサロンカーナニワが映像としてでるのはどうかと思います
やっぱEF66が牽引するブルトレは、最高にカッコええな、その為に作られたはずやのに、ずっと貨物ばっかり引っ張っとったんは、何でやろ❓
僕もそう思っていたら実は貨物機関車だった。
こういう旅情あふれる列車を軒並み廃止に追い込んだのも新幹線の発達が大きな要因。その観点で見ると新幹線にはあまり良い印象を持っていません・・。
2016年3月27日にフジテレビ系列『Mr.サンデー』の「NEWSストーリー」で、旧白滝駅を取り上げた時、最後に旧白滝駅に向けた寄せ書きが紹介されたが、その中に「北海道新幹線開業の陰で、多くの大切なものが犠牲になっていく」とがあった。本当にそう思った。新幹線開業と引き換えに、旅情が奪われていく。
出雲が人気あったってのは?富士、はやぶさ、さくら、あさかぜ辺りじゃないかな。
考えてみたら、国鉄時代 東京発九州各地や山陰方面だけで、東北や奥羽、上越
はブルートレインと呼ばれなかったのかな? 高校の修学旅行で帰りに金沢~上野
に寝台車に乗ったのが唯一
もちろんブルートレインです。ちなみに最初は初代のあさかぜ!2代目のさくら!3代目のはやぶさ!4代目のみずほ!その時代迄は目的地が全て九州エリア!だった事から九州特急!名前でした。そして次の5代目に東北本線の青森行きのはくつる!それがデビューする際に九州特急はダメでは?って事が議論📋になって車体の青いカラーリング!そこから自然にブルートレイン!名前に変わりました。ちなみにだけど当時は東京側の車両が寝台車!ではなく普通の座席シート💺!でした。参考までに!
@@野間光博
はくつる4番目って書いてるじゃん笑
富士もはくつるも昭和39年10月1日で同時デビュー。(しかし富士はみずほの大分編成が独立)。
なお、20系登場時からブルートレインという言葉はあった様です。
一般化したのは、はくつるなどデビュー後鉄道ジャーナル誌での追跡記事、ブルートレイントレイン青い流れ星という言葉を使っていましたので、その影響などもあると思われます。
日本海は昭和43年10月でした。訂正しました。
@@野間光博
初代とか2代めとかいうのは変だな。
代替わりしたわけじゃないからな。
以上とか参考までにとか偉そうにいうわりに。
@@野間光博
初代の富士は戦前の特急、2代目は電車特急、3代目がブルートレインと、このように使う。
だから?マナーの勉強✏️もだね!ガタガタカリカリは身体に悪いぞ!
何故東京から南に向かうブルートレインには食堂車が連結されて居たのに上野から北に向うブルートレインには食堂車が連結されていなかったんだろうか?
やっぱり乗車時間ですかね?
食事時間帯にかからない時刻の運転だからということと従業員の確保のことでしょうね。
九州行きは夕方には発車していくのに対し、上野発のブルトレは夕食時を過ぎてからの発車。到着も朝早めだ。
深夜の上野にゆうづるが三列車横並びに揃うのは圧巻だったけど、それ見てからだと帰宅の終電に間に合わなかった。
やっぱり夕方上野を出たら早く着きすぎるんですかね、まぁ東北へ向う車内は出張のサラリーマンと言うよりかは出稼ぎの方々で酒盛りが合うのかも
20系時代のはくつると、ゆうづるにはナシ20は連結されていました。
電車化された列車もサシ581は連結されていました。(途中から連結していても営業休止になったかもですが)
@@tydeentetuota5514 20系時代には食堂が営業していたのでしょうか? どんなダイヤだったか気になります。
583系に食堂車が付いているのは、はつかりとかみちのくと共通運用される事を考えると必然的ですね
明治、民間企業で敷設した私鉄の山陽鉄道が日本で最初の寝台車(食堂車も)の列車を走らせたことは語るべきだと思う。。。
青函トンネルを最初に通過したのは日本海です。
豪華寝台特急列車北斗星とカシオペアも、青函トンネル北海道新幹線改軌工事の為に、2016年夏に運行終了。
大阪発札幌行トワイライトエクスプレスは、一足早く、2015年に運行終了。
今は、クルーズトレイントワイライトエクスプレス瑞風になっている。
カシオペアは、カシオペア紀行というクルーズトレインとして東日本管内を運行している。
東京ー博多間の寝台特急列車に使われたら良いのに。
ちなみに、定期寝台特急列車は、サンライズ瀬戸出雲しかない。
最後は、現代版殿様列車ななつ星九州。
カシオペアはブルートレインには入りませんよ
トワイライトエクスプレスもブルートレインには入りません
寝台特急という類の中の話では?
@@toki_E2TOHOKU ブルートレインの解説なのにそれ以外の寝台列車を紹介するものかね...。
そもそもブルートレインというのは青い客車(旧型客車を除く)を使った寝台列車のことでカシオペアなんてオールステンレスとか言うブルートレインの外装に縁がないものですよ…。
あとななつぼしin九州の77系客車もブルートレインには入りませんね
トワイライトエクスプレスも緑だからブルトレに入らなくね?あんたの言い分だと
男ならC寝台(白目)
海苔高 様
意味は通じました。
昔の列車編成表を👀見るとC寝台は裕福な御家庭かたまには贅沢旅行するかや新婚旅行向きの華やかな種別で、わたしら庶民には、高嶺の花の存在でした。
C寝台が連結されているだけで、もうその列車の格式が高い。しかも僅か1両か2両程度の希少価値だ。
2等A寝台は個室。
2等B寝台は解放式(プルマン式)二段ベッド。
2等C寝台は解放式(プルマン式)二段ベッド。B寝台との違いは昼間使用時の状態、今のロングシートです。上段の人と二人分の仕切り壁はあるが景色は後ろ向きに見る。これとは別にカルテット式の四人用個室タイプもあった。
3等寝台が三段式の6人室
三段式といえども寝台での旅行だ。羨ましい。
もう一度、寝台と言うだけでもお金持ちのイメージがつきまとう。
夜行列車は四人ボックスに限るのだ。
種別は「ハ」としか記載がない。私はむしろ寝台だと身分相応でないので、興奮して寝られないだろう。
その大好きな夜行列車ですら廃止の憂き目になりやがった。残念無念で御座候ですね。
(>_
D寝台:床
E寝台:連結部分
いくら鉄道好きでもお骨になった後でC寝台に置き去りにされるのは惨め過ぎだ
海苔高 様
松本清張先生のゼロの焦点を読んで調べ直した結果、B寝台とC寝台の記述に誤りがありました。急行北陸号が登場します。
訂正して書き直ししました。(>_
あくまでシャレだが…
「ブルトレ」と云うにはあまりに微妙だが、JR西日本の117系「W.ex銀河」なんてのは如何?
ま、コレはワシが勝手に認定している事だが…JR各社も、こういった車両、改造でも良いのだが…
もっとも、コレも各社の財政次第なので、ファンの立場で勝手申し上げているのは承知である。
JR西の姿勢には拍手モノだが、出来れば予備として、もう1編成!というのは欲張りか?
え、ワシ?コロナ禍終息したら乗りに行きますよ!
微妙ではなく完全にブルトレではないぞ。
@@tydeentetuota5514
さようであります。
BlueなTrainの意味でありまして、14系等の客車でない事は重々承知であります。
お気にさわりましたら御麺あそばせ。w
…しかし、そんな見解も伊豆急行の「The Royal Express」もsoなってしまうか…
いらぬ誤解をさせてしまいました。
@@tydeentetuota5514
もっとも583系を、ソレというのも抵抗あり…
@@雅夫大場
別に気に障ったわけではない。
単にブルトレではないでしょうという話。
昭和42年581系電車はニューブルートレインとは言わず昭和46年14系寝台車がニューブルートレインと呼ばれる。
@@tydeentetuota5514
了解しました!!