【ワークス勢に匹敵】無限ホンダのF1参戦の歴史が偉大すぎる【解説】
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- Опубликовано: 9 июн 2022
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ホンダF1第二期から第三期の間の期間に参戦した、無限ホンダ。
非ワークスエンジンにも関わらず通算4勝を挙げたその挑戦の歴史はどのようなものだったのでしょうか。
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ワークスでないデーモン・ヒルの優勝は本当に嬉しかった。
プロストはドライバーでは成功したけど中野さんへの冷遇とかオーナーとしては2流だと思う。
人種差別主義者だから、天罰かと
こんにちは。
はじめまして。
おっしゃる通りアランプロストは経営者としての資質は全くなかったですね。
息子も3流ドライバーですし。
無限ホンダを冷遇したプロストは早々に衰退し、新たに契約したジョーダンは躍進すると言う皮肉な結果になりましたね。
98年のベルギーでジョーダン無限ホンダが優勝したレースが、無限ホンダを切り捨ててオールフレンチに拘ったプロストの98年唯一の入賞したレース
94年ポロポロのプジョーをわざわざ積むなんて、オールフレンチとはいえ現実てきには、好調が続いてた無限を捨てたプロストGP嫌いでした。潰れて喜んだ。後の、ジョーダン無限ホンダとヒルの優勝を喜んだ。
一番記憶に残ってるのはやっぱり99年ジョーダン無限ホンダのフレンツェンですね〜
序盤から表彰台に登ってシーズン2勝、終盤はチャンピオンも射程に捉えてましたね
惜しくもランク3位でしたけど、99年はフレンツェンが1番輝いていた
「博俊」か、「俊博」か校閲してくれ。
「博俊」さんですね。
誰も記載していないけど、ジョーダンにデーモン・ヒルが居たことも大きいのではないかな。
ジョーダンと組んだ無限ホンダは確かに速かった。
最終年の2000年にインディアナポリスで開催されたアメリカGPでは、3位表彰台をかけて無限ホンダとワークスホンダがバトルをし、無限ホンダがワークスホンダを抑えて表彰台を勝ち取ったシーンは無限の最後の意地を見た感じがした。
無限の撤退が明らかになったとき、ミナルディやプロストが本気で無限エンジンを欲しがったんだよな。リジェの横槍で無限との関係を反故にされたミナルディはまだしも、無茶苦茶な仕打ちで無限を怒らせたプロストの厚顔無恥ぶりには腹が立った反面、これぐらいでないとF1では戦えないと思い知らされた。結局プロストはオールフレンチ体制に固執して墓穴を掘ってしまったが・・・。
ギ・リジェが、ホンダの申し出を断った事に、プロストは「オールフレンチに拘るのは、無意味だ。」とコメント。しかし、自身がオーナーとなったら、「オールフレンチこそがベストである。」と、見事な手のひら返しを演じて見せた。
ホンダ、無限、YAMAHAエンジンは日本の誇り
ホンダ…
ホンダかぁ…
トヨタエンジンは?
無限ホンダ特集の雑誌で、無限のエンジニアの方々の「パニスへの敬意と愛」がインタビューに溢れてて、非常に感激したのは覚えてます…☺️👍一方、プロストの評判は散々でしたね…というか、ボロクソでした…🤣ホンダ時代にも、プロストはエンジンの扱いも荒いし、エンジニアの意見を聞かないので全然プロフェッサーじゃないと手厳しい意見もあったみたいですね…(逆に、ピケは神レベルで繊細な操作ができる人だったらしいです😌)F1参入前のトヨタが彼を門前払いした背景も、そういう国内の風の噂を耳にしてのことでもあるのかなって…🤣😂
ジョーダン無限ホンダ好きだったなぁ。
あの目立つカラーリングが本当にカッコよくて。
鈴鹿まで行ってHHフレンツェン応援しにいったな。
2001年当時はホンダは簡単に無限を切って冷たいなと感じましたが、無限も役割を自覚して最後まで頑張っていたんですね。この後社長がまさかの事件に巻き込まれ退場させられる事になり、まさに精一杯燃え尽きましたね。今のMテックに生まれ変わる時期と考えると感慨深いですね。
自動車業界の巨人・トヨタがとんでもない予算を投入してただの1勝もできずに撤退したのに、エンジンだけとはいえホンダの分家である無限が4勝もできたのはやはりHONDA DNAはそれだけ凄かったと言うことだったんですかね。
後にプロストは無限エンジンを手放したのは
失敗だったって言ってましたね
1994年のマクラーレンが無限 V10を搭載していたら…セナは喜んでいたかも…。
99年のジョーダン無限ホンダとフレンツェンの活躍は見事でしたね!
私もこの年は無限ホンダをずっと応援していて「本家ホンダ以来のチャンピオンエンジン誕生か」と胸躍らせていました!
ただ、何故マクラーレンと組まなかったのかがちょっと引っ掛かります。
現にセナも無限ホンダを渇望していたと聞いています。
ホンダが技術の橋渡しを望んでいたのなら供給は真っ先に長年にわたり組んできたマクラーレンが筆頭だと思います。
それにしてもプロストの無限ホンダへの仕打ちは決して許せない行為だと思います!!
いくら繋ぎだからといって無限のスタッフに無断でプジョーの人間にエンジンを見せるなんてひどすぎます!!
ドライバーのプロストは偉大でもオーナーしては最低です!!!
個人的なことですが、軽貨物で起業してN-VANを仕事用で導入し何かと文句や雑言を受けていますが、敬意を込めて無限のステッカーを愛車に貼ってアピールしてます。無論、自己満足です。無限HONDAの名に恥じないよう、チャレンジャーとして仕事クオリティを上げて荷主元請けから信頼獲得、無限の名に恥じない仕事ができるよう私は切磋琢磨してます。
佐藤琢磨が入賞した時の鈴鹿の盛り上がりは現地観戦していたので今も記憶に焼き付いています。声援と黄色い旗ががクルマと一緒にコースを回ってました。
琢磨のジョーダンはもうホンダに移行した後だったと思う
でもあの5位は凄かったですね
無限のエンブレムがついたホンダ車は羨ましいかったしカッコよかった!
「無限MUGEN」ていうシンプルなロゴなんだけど妙に凄みがあるというか特別感があるというか…
ジョーダンのプジョーエンジンと無限エンジンの獲得は本当にタイミングが良かったと思う
当時フジTVにかじりついて観ていた自分に想いを馳せてしまいました。たくさんの才能あるドライバーが、無限HONDAエンジンのステアリングを握ってくれました。一方その後の本田博俊氏にふって沸いたビッグトラブル…至極残念でしたね。
無限のスゴイところは、ミッドフィールドのチームと組んで勝利を得たコトですネ。トップチームと組めていたら、チャンピオンになれたと思います。プロスト時代は中野信治さんが冷遇されてしまったのはザンネン…。
なんか、個人的なイメージで
プロストはドライバーとしても
オーナーとしても人間としても
クズなのか?と思ってしまいます。
契約ドライバーを冷遇し、
勝手に他のメーカーにエンジン
内部見せるとか。
損害賠償請求しても良いくらい
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フランス人は人種差別が当たり前だからね
ですの93年以降に無限チューンのV12によるマクラーレン無限ホンダが実現していればそれこそ問題が有ったシャーシ等にも徹底的以上に無限によってメスが入れられ最強ウィリアムズルノーに打ち勝ちWタイトルも夢ではなかったと思いませんか?^^
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無限ホンダ時代を掘り下げる本に出ていたインタビュー取材を読むともっと厳しくなったのでは?
中野の食事だけ用意されてなかったり、やる事が稚拙ですよね
F1ドライバーとしては一番好きだけど‥
無限ホンダエンジンは大荒れのモナコGPベルギーグランプリで優勝しました意外にも信頼性が高いエンジンでした
坂井さんが泣いてましたね
06年からF1を見ている者です。
本家ホンダと無限ホンダの違いがなにか分からなかったのでこの動画で理解と納得ができましたありがとうございます
名ドライバーは名監督にはなれないを当に実証したプロストでしたね。
プロストグランプリが唯一成功したのは参戦初年度だが、リジェが参戦前提で開発した車両を使用。そして無限とのコンビネーションが、ある程度良かった。しかし翌年AP01と組み合わせていたら、悪いけど失敗に終わっていたでしょうね。ジョーダングランプリは3シーズン供給し、優勝3回。最終年は不発だったが、それでも表彰台は最低でも1回は獲得しました。ロータスと無限のコンビネーションは期待していましたが、ノーポイントで終わったのは本当に残念です。
ホンダワークスにもあまり劣らず、良質なエンジンを提供してきた。
とりあえず隠れてはいないが影のホンダワークス👍👍👍👍👍👌
無限ホンダがグランプリで勝っているのって普通に凄いことだよね。メカクローム(スーパーテック)は最強エンジンの系譜にありながら一勝もできなかった。この違いは何だろう……
ワークスから撤退して引き継いだホンダ製PUで今季も何勝かしてフェラーリとバチバチタイトル争いをしているRBPTも普通に凄い
RBPTと言っても、ホンダにおんぶに抱っこですけどね。
PUと関係無い部分まで、さくらに調査してもらうレベル。
当時サクラはまだ無いですが、ホンダの研究所がほとんどのエンジン開発おこなってますから。無限にまかしたら、デチューンしてしまったって言う話があります。
ルノーが最強エンジンだったというのは、私は懐疑的でしてマンセルがセナを下したウィリアムズルノーは単純にニューウェイのシャシが良かったからだと思うし、HONDA撤退後は調子の上がらないフェラーリ&メルセデス(マクラーレン)を尻目に逃げ切っただけだと思うし、元々非力なだけに開発が緩まれば直ぐに馬脚を表したってことだと思う。 エンジンパワーとセナのドラテクだけでチャンピオンをもぎ取ったHONDAとは土台から違うかと…
なんだかんだでホンダからの技術協力はあったかと。欧州では純粋なカスタマーエンジンとは見れておらず、実質ホンダのセミワークスみたいな扱いでしたからね。一方メカクロームは97年で開発が止まったルノーエンジンに申し訳程度のチューニングをしてるのみで、初めからウィリアムズとベネトンに対して次のワークスエンジンを使用するまでのつなぎとしての存在でしかなかったよ。
このMUGENってチーム 初めて知ったけど
持ってる力を全て出した 最後 カッコよすぎる笑
亜久里さんが92年にフットワークに移籍が決まったときは亜久里さんの表彰台を期待して毎回F-1をテレビで見てましたが、結局は入賞が出来ずに終わり残念だったと思います。アルボレートとワーウィックが入賞していたので尚更残念でした。しかし無限ホンダエンジンが優勝まで行った事が素晴らしいと感じてます。でもこの時代のエンジン音っていい音だったですよね。
国際映像でも、ジョーダン・ホンダとテロップがされていたので、関係者も無限はホンダ本社の黒子役であると理解してましたね。92年撤退で無限に引き継がれたRAエンジンの行方は、各チームの注目の的だったようです。何せチャンピオンエンジンでしたから
チーム運営シミュレーションのゲームで、無限ホンダは使いやすかったな
僕はフットワーク無限ホンダのミケーレアルボレート選手の活躍が印象的です、あとはロータスのジョニーハーバート選手のイタリアGPの予選4番手、エディアーバインの追突がなければと思うと悔しいですね。
世界ブランドです。
私のインテグラタイプRにも、細かい部品を使ってました。
パニスがモナコで優勝したときは、嬉しかった〜!
1998年ベルギーGPは皮肉にも、ジョーダン・無限ホンダが勝ち、プロスト・プジョーは
たった1ポイント獲得しただけに終わった
無限ホンダはフットワークでは目立った入賞はなかったものの完走率高かったと思います。
その後にロータス、リジェ、プロスト、ジョーダンと着々と安定していった印象でしたね。
アルボレートが7位を連発して気の毒だったことをよく覚えています。
@@user-xe6mh4tq7c
村山文夫氏の4コマ漫画でのキャラクターの
紹介でも同じ内容の事に触れていて、
『まるでNHKドラマの おしん の様だ』
と例えられてました(苦笑)
アロウズYAMAHA ジョーダン無限HONDA時代のデーモンヒルの開発能力は本当に高かったなあ〜 ほとんどのドライバーはトップチームから中団チームに落ちたらしぼんでしまうがヒルは輝いてたね
しかもヒルと組んだドライバーは例外なく速くなってますもんね。特にアロウズ時代に組んだディニスはそれまでただのペイドライバーだったけど、97年を境に実力のあるチームメイトと遜色ない走りを見せるまでに成長してましたし、ディニス本人もヒルから凄く多くのことを学んだって言ってますし。
@@kazuo6979 ラルフ・シューマッハもそうですね
フィジケラ、モントーヤといった実力者と張り合ってました
アロウズヤマハに至っては、開幕戦で107%ルールぎりぎりで通過のあわや予選落ちでしたからね。
ハンガリーでトップ快走、最終戦で予選4位。
ヒルは過小評価され過ぎ。
@@kazuo6979 さん、それは多分…ラウダ、プロスト、ヒルと優秀な猛者のDNAを受け継いで行った様な気がします。みんな師弟コンビでしたし。特にヒルはプロストがどれほど学んだか?と、思いますが。
@@xxs4740 さん、そう言う面ではヒルはかなりかわいそうなドライバーでしたと思います。ウィリアムズの黄金期はヒル無しではあり得なかったはずです。アロウズ、ジョーダンの…特に97年ハンガリーの奇跡は大感動して見ていましたから、忘れられません。
「無限」って漢字ロゴが良かったですね‼️ あっ、亜久里はもちろん、フランス国旗掲げたパニスやらヒルやらの当時物ミニカー持ってます!🤣
亜久里は棚ボタ表彰台でそれを見ていた中嶋さんの方に表彰台に立ってほしかったなぁw
無限ホンダ最高
もしの話になるんだろうけど、『再参入するまで』ではなく『以降のホンダF1活動を無限に一任する』としてたら撤退と復帰を繰り返さないでいたのかなぁ‥
亜久里選手のフットワーク無限ホンダでの2年間で1度も入賞出来なかったのは本当に残念です😢
チームからの冷遇や確執もあったようです。
でもリジェ無限ホンダに移った1995年ドイツGPで6位入賞を果たしてくれて溜飲を下げてくれました👍
ティレルヤマハの片山右京選手との日本人ドライバー同士のバトルも見応えありました☺️🏁
当時は、チャンネルQ2で速報を聴いてて。
第4位
"ジョニー ハーバート"
は、忘れられない。
子供の頃 お父さんが「無限ホンダ!」を自慢してましたが トヨタより凄かったんですね
どこの教科書にも書かれてない貴重な話と分かりやすい解説に感謝します!毎回楽しみです。
ミナルディに無限エンジンが載っていたら
ある意味現在乗ってるけどね。
翌1996年に井上隆智穂さんが無限ホンダのドライバーになってた可能性もあったわけですね
スポンサー撤退がなければですが……
ホンダV10エンジンがどれだけ完成された素晴らしいエンジンなのか、よく分かったと思います。ホンダV12エンジンは期待した性能が出なかった気がしましたが。無限も国内カテゴリーで経験豊富だったので良いマッチングでしたね。ただホンダ本社の次の参戦のつなぎみたいな終わり方が残念でした。
その前のF3000用エンジンの件もあれば良かったかも
やっぱりプロストと日本って相性悪いよねぇ~
ドライバーだと当時のプロストGPの所属ドライバーであった中野を露骨に干して嫌がらせしてたし
89年のマクラーレンホンダの件といいこの人は心の底は日本嫌いなのかな
マクラーレンホンダ時代に、ホンダがセナを贔屓してセナにだけパワーのあるエンジンを供給していたとプロストが思い込んでいたのが発端みたいですね。実際はドライビングスタイルの違いでエンジンパワーをフルに使うセナに対して、プロストがエンジンパワーにあまり頼らない走りだったのが真相みたいでしたけど。
プロストの本心は自分大好きなだけだと思うよ。
俺がセナより遅いわけない→ホンダはセナ贔屓だ!
自分でチーム作ろう→トヨタさん、TS010のエンジン頂戴
母国のプジョー!→中野?やめるメーカーの奴とかイラネ
こうしてみると、特別日本嫌いって感じはしない。ホンダがたまたま悪い巡り合わせだったんじゃないかな。
81〜83年の母国ルノーワークス在籍時も"あんなひどいエンジンではダメだ"と言ってたくらいですから、冷静沈着なプロフェッサーと呼ばれながら、思った事はすぐに口に出してしまうタイプなんでしょうね。
@@kazuo6979
後藤氏が教授と言われているけど技術的な事は何も理解していないと酷評していましたからね
プロストは、吉野家の牛丼をこよなく愛した。という話が残っている。
モナコを制したときの、坂井さんの男泣き。
参戦した時代が本当に良かったかと思いますね。
恐らく続けていたとしても、2009年以降のMGU関連のシステム・2014年以降のターボ化もあり苦戦していたかと思いますね。
1994年F1イタリアGPでハーバートは
虎の子のエンジンを搭載したマシンで
予選4位獲得したが、レースはアーバインに
ぶつけられ、台無しにされた
無限とトップチームとくんだら、どうなったんでしょうね。
無限はバランスがいいのか、チームがプロストやジョーダンなどへ変わり供給してもなかなか面白い働きをしたと思います
フレンツェンかなり好きだったなw
名前が印象的?なおかげでずっと応援してた
イタリアのフィレンツェみたいで(笑)、
しかもハインツだけに幼少時のアダ名が
ケチャップだったのは有名です😂
鈴鹿の予選で亜久里が2位のタイムを出した事と、、パニスの優勝がめちゃめちゃ残っているw
編集 ありがとございました
プロストがプジョーにエンジンを勝手に見せていた件、発覚した後のGPでは数周走ってエンジンブローでリタイアしてたよね。
今宮さんも「報復ですね。」ってコメントしてた気がする。
後、無限ホンダといえば童夢F-1プロジェクト!当時GPXの連載記事読んでてワクワクしていたなぁ。
1999年ヨーロッパGPでスイッチ操作を間違え無ければチャンピオンを獲得出来ていたかも知れない。
プロストチームで母国オールフレンチ野望のため無限を見捨てたけど、最終的にプロストも母国フランスメーカーに見捨てられたんだよね
しかもお粗末なプジョーに対して無限ホンダとジョーダンが共に大躍進するという皮肉w
@@kazuo6979
あれ?最近も似たような事があったような…
プロストの昔馴染みのチームが…
バチが当たったんです(笑)
無限載せたプロストは速くて勝てる可能性もあったのに、オールフレンチに拘って正直当時無限より良くなかったプジョーにスイッチなんかしたら、そりゃ成績落ちるよね。しかもプロストは無限怒らせる様な事ばかりしてたから、数年後に消滅しても全然残念じゃなかった。
98・99年のジョーダン無限ホンダは見てて気持ちよかったです。
元々直線重視のマシンだったのかも知れませんが、どんなに後ろからつつかれても直線に出てしまえば追いつかれないと安心してられるぐらいにパワフルでした。
ホンダが第3期参戦を決めた際に、このエンジンの設計者の方は設計陣に招かれることなく、それどころか屈辱的というか舐めた台詞を吐かれてしまったこと、その悔しさはいかほどだったかと思います。(出典は『GP Car Story Special Edition 2021 MUGEN HONDA』)
第3期ホンダの不甲斐なさを思い出して「ザマ無いな」と感じてしまったり。あれはあれで悔しいことなのですが。
それは違いますよ。研究所がチューンしなければ、無限のエンジンは、元のホンダエンジンよりパワーーダウンしていたからです。無限デチューンエンジンと呼ばれていた事を知らない人は多いですね。
@@user-tg9qt6gp6k それは1992年ごろの話でしょうか
無限は『童夢』のマシンの頃から大好きです!!
白い人のくだらないプライドを守る場所を黄色いのが席巻してごめんね?
そう言わせたいとしか思えないタイトルだったのでついwww
詰まりは悪魔みたいなツラしたチビ助?ww
実に誇らしい!流石は無限。 ・・・がしかし、無限発足時、FJ-1300の『MF318』は本当ならば 『YF318』筈だったかも・・・?
ホンダの隣の市にあるから出来ることですね
ジョーダン無限ホンダを調べてる
うちに、無限設立には
川本信彦元社長も参加していたのを初めて知りました。
これだからプロストくんは
プロストの冷遇はちょっと知らなかった😅勉強不足でした😥
でもジョーダンのイエローカラーは今でもカッコいいなぁ😁😁
無限のステッカーが
欲しくなるような話ですね😀
終わりの分かる夢幻スッタフの、レースに対する闘いが焦る様な気持であったのではないか?と技術の生き様を知る事ができ、この動画に感謝🥲🥲!
無限ホンダのスタッフのひとりは栃木県でホンダのディーラーの店長になってますね。
跡取り息子でしたね。
あのオシャベリでしょうか
@@alikkosrae その話は知らなかったです。
@@takosuke.. おしゃべりではありますけど。。。
日本で影響を与えたRUclipsrの100人目だかに選出されたそうですけど
今年からホンダが完全にF1から撤退したが、そこでなぜ無限が登場しなかったのか。もうエンジンサプライヤーの出れる時代でななくなったのか。
今のPUでは無理でしょうね
内燃機関だけならまだしも、回生システムなんて技術的にもそして何より資金的に自動車メーカー以外が取り扱える代物ではないですよね
その後、本田博俊氏は脱税で逮捕されてしまった。無限は実質M-TECへ譲渡されたんだよな。
皮肉なのが、「第2期の経験を第3期に引き継ぐ」ための橋渡しのハズだった無限が、当の第3期の開発陣からはガン無視されてたことだよね
ホンダは社内の派閥争いがいろいろややこしくて、それが結果的にF1での成績の足を引っ張ることがよくあるんだが、無限もそういう意味ではむなしい
第3期って何も結果出せなかった
のはそんな根性だからなんだろう。
エリート意識ってやつ。
無限ホンダから第3期へのゴタゴタ 今のSBKみたいだ
初期にV8エンジンを作り走らせていた時点で幻となった『いすゞなどの日本製V12エンジン』より参戦計画の可能性はあったし、『おさがり』のV10を使えての参戦は信頼性の心配をしないで戦えた初年度の92年は経験値的に大きかったけど、基本設計が89年で90年に開発し尽くしたのを94年まで使ったのを今となっては異常にしか思えない。 93年にジャッキー・オリバーは「ムゲンはレースで勝ちたいと思ってないようだと」コメントしていたのも印象的だった。
ジョーダンと組んだ初年度はパワーなら負けてないと自負していた無限は、前年まで使っていたプジョーよりパワーで劣るとデータを見せられてからようやく目の色が変わったようだし。
社長はどの程度本気が知りませんが、参戦の意志アリなこと言ってましたが、現場は経験値を上げるためと割り切ってましたね。
ホンダからもらったF3000のエンジンをもとにスケールアップしたやつでしたが、レイナードに載せて走らせたときもBSのタイヤテストの色合いが強かったですね。エンジンをモディファイしてパワー上げても鈴鹿のタイムはそうそう変わらなかったけど、BSがタイヤ作り変えたら同じ仕様の車でもすぐに秒単位でタイムが詰まってました。
いすゞは、エンジン製作してベンチテストまでの計画だったそうです。それがベンチテストで思ったよりいい数値が出たので、テスト走行する事になり、ロータスに打診して実現しました。ベース車は102でシルバーストンで走行してタイムは、マクラーレンMP4/5の4秒落ちだったそうです。このロータスの車体が102Cです。
ジョーダンからF1デビューして活躍したドライバーは、Mシューマッハ、佐藤琢磨。あと、誰か居たかな?
ルーベンス・バリチェロ、エディ・アーバイン、ラルフ・シューマッハもジョーダンからデビューです。
目的がよくわからないですね。
第二のコスワースを目指し、F1用エンジンサプライヤーとしてエンジンのチューニングや販売を目的としたのか
ホンダの技術の橋渡しが目的だったのか
時代が違うけど、コスワースは偉大だと感じた。
元々は単独でF1エンジンのサプライヤーを目指したみたいだな。
しかし、ホンダ撤退でその資産を引き継いだ方がリスクもなく確実
って事だったのかな。
博俊だからぁ
金はあっても技術がない、後に参戦したTなど無限に比べたら話しにならん
ホンダ技術研究所の社員も
仕事終わってから無限の施設で
只働きしてたみたいだな。
2026年以降もホンダの土台がしっかりするまではカスタマーエンジン供給に専念でいいのでは
5000回転向上してるのに30馬力upじゃぁ燃費最悪エンジンだよ。
8:49 流石に前年度から「5000回転」の向上は無理だったでしょう。
フットワーク無限は大橋の自転車操業運営でダメだった。
ロータス無限が存外の成績だった(´・ω・`)
リジェ→プロスト無限はチームがグダグダで好きになれなかった。
ジョーダン無限は素直に応援出来た。
1998~99年のジョーダン無限は隙あらば当時の2強(フェラーリ・マクラーレン)に割って入って優勝したからなぁ
ワークスじゃないけど速いマシン・パワフルなエンジンで応援し甲斐があった
ポルシェ詐欺の被害者
プロストはレーサーとして現役時代からFIAに擦り寄り政治的な圧力をセナにかけたり良い印象がありません。プロストはレーサーとしても人間としても屑だと思います。
確かに、一般的な日本人の感覚からすると、プロストのキャラは受け入れずらいと思いますが、プロスポーツの世界も国際政治同様に、スポンサーとの関係や資金調達力など、政治力がものをいう世界なので、水面下で時には小狡く、時にはしたたかに立ち回る事もあるのではないでしょうか。
トヨタ?そんなメーカーありました?
プロストは現役時代から人間的に難があったからね。
幼いながらにプロスト嫌いでした。
今もプロスト嫌い。
年齢重ねてさらに彼は嫌味出てきてますよね。
俺思ったんだけど、ホンダとトヨタがF1チームで手を組んだらどうなるんやろ?
刑務所で何かを学んだのか聞いてみたい(笑)
本家ホンダも無限を吸収すればよかったのに
どちらかと言えばHONDAから無限にスタッフが出向してたみたいだから、無限自体に旨味はなかったんでしょうね。
ホンダがf1に戻ったとき、逆に経験を積んた無限プロパーの人材が、ホンダに流出したそうです。
現場の人たちね。
としひろ?ひろとし?
博俊さんですよ!
〆は脱税(笑)
97年のことでプロストやフランス人のこと本当に嫌いになったもんなぁ
ただし、オリビエ・パニスについては
『ナカノにも自分と同じ待遇を与えて
あげてほしい!』とオーナーのプロストに
再三に渡り抗議するも全く聞き入れては
貰えず終いだったそうで、シーズン終盤に
パニスは中野に涙ながらに詫びていたそうで
、数年前に仕事柄かイベントか何かで偶然に
再会した時も未だにこの件の事で御詫びの
言葉を述べられるのだそうです。
それだけ親日家なフランス人も決して少なく
ない訳ですし、パニス、アレジ、アリオー等
は嫌いに成らないでほしい😢🚬
脱税のスペシャリスト(笑)
脱税の旨味も無限ですかね🎵
プロストは、大の日本嫌い。HONDAは、セナと自分を差別してると思いこんでいたとか…そんな人にプロフェッサーなんて誰が名づけたんだろう? 個人的には嫌いだから、どうでもいいけど(ب_ب)