Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
まず、秀吉の織田家乗っ取り=幼主 三法師様を担ぐ が、不可能になるから、歴史は、確実に変わりますね😊
本能寺の変の歴史Ifの中で、「信忠が生存していれば」は一番歴史が変わった事は間違えないでしょう。まず信忠の軍勢は500ほどと少数ですが臨戦態勢の近衛精鋭部隊と考えられますので強硬突破すれば成功したと思います。まず京都脱出に関してはこちらの説明通り、「安土・岐阜ルート」でまず最初に安土城に立ち寄り、ここで現状の戦況と動員兵力を確認し、各軍団には「信忠健在」と「光秀討伐」の軍上洛を命じ、また近隣の武将にも討伐軍への参戦を信忠の命で呼びかければ安土城籠城の兵力確保は可能だったかもしれません。更に確実を求めるなら安土城に一定の兵力を配置し明智軍を足止めさせ自身は岐阜城に帰還しそのまま軍を率いて上洛、信孝軍【状況次第では羽柴軍も参戦】と共同し明智軍を挟撃殲滅できたと思います。なお光秀が頼みにしていた細川・筒井軍は解説通りに動かず、機内の日和見していた武将たちも信忠が討伐軍を挽いて上洛するなら討伐軍に参戦していた可能性は高いので光秀はここでも「三日天下」となっていたのではないでしょうか。 さて、光秀討伐後は各軍団長が集まり「後継者会議」が開催されますが、問題なく信忠がそのまま後継者なります。(信長は生前にすでに信忠を後継ぎを公言してましたのでここでは追認するだけですので家督争いは起こらないでしょう)この時点では信忠の跡継ぎ三法師がおり、信雄・信孝兄弟も健在ですので身内の体制はまず大丈夫でしょう。そして懸念される羽柴・柴田・丹羽・滝川といった軍団長や宿老の処遇ですが、信忠は滝川や羽柴といった新参武将には友好的だったので処遇さえ間違えなければ織田新体制が盤石ならば背くことはないと考えられます。柴田・丹羽といった宿老も現状維持できればこちらも安泰だと思います。正統な長子が後継ぐとスムーズな体制移行ができるのが最大のメリットだと思います。そして信長の時は後年功績のあった重臣達の粛清があり家臣達に将来への不安を抱かせましたが、信忠はすでに御曹司の2代目であり政権も群雄割拠から織田一大勢力の安定期になりますので家臣としても信忠のもとで天下統一が見えてくれば自身の地位を安堵を最優先しますので謀反は起こりにくいでしょう。そして最大の同盟国の家康ですが、信忠が先代同様に同盟継続を維持すれば問題は起こらないと思います。(用心深い家康ですので、すでに大勢が決まっているならなおさらです。)最後に天下統一への足取りですが、勝家の担当する北陸軍団は引き続き上杉と対峙しますが、将来的に討伐されるか条件次第では降伏かの二者択一でしょう。そして関東方面ですが、歴史上では滝川は北条軍に敗北しと闘争を余儀なくされますが、早いうちに「信忠健在」と「光秀討伐」が北条方に伝われば関東での滝川との戦いは起こらなかった可能性があります。(北条家は慎重ですので、事がはっきりするまでは動かないでしょう。)そうなりますとグズグズしているうちに毛利・長曾我部の討伐が完了しましたら或いは、北条討伐で歴史より早く滅亡したかもしれません。(まあいずれにせよ滅亡は免れがたいでしょうが…。)毛利については史実同様、和議が結ばれ信忠政権に臣従していたと思いますし、長曾我部は信孝軍に討伐され滅ぼされた可能性が高いでしょう。九州も討伐軍が派遣され、歴史上と同じく島津降伏で完了。東北も北条家討伐時点で伊達を始めとした大名たちも恭順し天下統一は秀吉より早い時期に完了していたのではないかと思います。
信忠が生きていれば、伝わっているはずだから北条と滝川は戦っていないと思う
信忠は優秀な武将と聞いてるので、織田幕府が開かれた可能性もありかと😮
個人的に信長より信忠を打ち取られたほうが大きかったと思う
逆に信忠の首さえあれば光秀はあんな負け方はしなかった
第二の本能寺の変とか言い出したらきりがないから長益の罪は重い
秀吉は信長だけを恐れていたには同意だけど秀吉に野心があっても信忠が生きてる状態だと秀長、官兵衛が秀吉の独立に協力したようには思えないかな。信忠生きていたら北条が反逆してないで滝川の与力状態だったと思う。もしくは北条が滝川のポジション乗っ取るような形の織田配下ってところじゃないのかな?ともかく滝川と北条が争ってない世界線なら滝川は清洲会議に出れるって事です。秀吉一強にはならないと思う
成人した後継者が生きている以上は諸将も従うわな
いろいろと想像が膨らむifですね!個人的には本能寺の変のポイントは信長よりも信忠が死んでしまったことだと考えてます。家督を相続している信忠が生存していれば細川や筒井は静観できず信忠に加勢し、信孝の四国征伐軍と共に明智光秀を討ち取っていたのではないでしょうか。羽柴秀吉や柴田勝家さんが反目していても抑え込めると思いますし、家康も伊賀越えの取り乱しようを考えると天下を狙うとは思えないため信忠にしたがうと思います。問題は大勢力として地方大名が残る可能性が高く、2人の弟含め連合政権的なものになってしまうので、織田幕府が織田秀信の代に苦労するのでは…?と考えております。明智光秀も信忠が二条城に立て籠ったからこそ京の包囲を緩めただけで、信忠が逃亡していたらガチガチに固めていたでしょうね。
そういえば、信長の首は本能寺で焼かれ出てこなかったと言われていますが信忠の首はどうしたのでしょうかね?
ついに来ましたねこのif個人的には秀吉+信雄VS信忠+勝家になり多分信忠が勝つでしょう。そのあと家康がどう出るか?になると踏んでます多分北条+家康VS信忠+旧織田家臣になり、家康は毛利、伊達、長宗我部と同盟して対抗の感じかな?
キンカ頭はジェノサイトの天才であることを信忠も知っていたから「逃げられない」と思ったと思う。でも、もし「信忠が生きていたら」、ノッブも舌を巻く戦争の天才だから、楽々とキンカ頭を打ち破ってたと思う。ただ、政治についてはどうだろうか。。。ノッブに従って帝王学を学んできているから、無難にこなしていたかもですね。
光秀は軍勢を分けたんじゃないかな本能寺と妙覚寺もしも家康の命を狙っていたなら堺攻撃隊も編制
武田家滅亡を、信長は半年かかると見込んでいたが、信忠は、その半分の3ヶ月で達成。(信長は物見遊山で出陣しただけ)また、信忠の戦後処理を見ても見事である。この動画のIFをみるといつも史実に引っ張られているが、信長が定めた嫡男でしかも優秀。丹羽長秀、柴田勝家、などの織田家に忠誠を誓う信秀以来の古参の重鎮がいる以上、信長が信秀を引き継いだ時より楽に織田家をまとめたと思われる。ちなみに、この時点での家康は100万石程度しかなく、織田家にはまったく対抗できない。おそらく信忠が生きていれは、史実より早く天下統一ができたと思われる。また、毛利、島津、長宗我部、北条、上杉、伊達などのその後の史実を彩った大名は滅亡すると思われ、(情勢によっては徳川も滅ぼされていたか可能性があり)私たちの知る史実は根本から変化していたと思われる。
織田信忠はオール70台のイメージ
信忠には徳川家康が従うし歴史が変わったと思う。天正任午の乱にも着目
この動画と同じ想定の戦国仮想戦記がある。一つは、羽柴秀吉の謀略で信忠公は廃人となってしまった・・・というもの。もう一方は、柴田勝家、滝川一益ら古参の重臣と蒲生賦秀(やすひで、史実では氏郷に改名)ら若手の家臣の助けを借りて逆臣・羽柴秀吉を姫路城で自刃に追い込み、徳川家康をも撃破して天下を平定するというもの。私の先祖は織田家に仕えた国人領主の一人であり、信忠公と二条御新造で運命を共にした伝わっている。私としては、後者の物語が見果てぬ夢の一つとして、今も心に深く残っている。陰湿な私怨か、天下への野望か、室町幕府への憧憬か、はたまた何者かに唆されたかはわからぬが、明智光秀は愚かなことをしたものだ。
信雄も信孝も他家の当主でその地の家臣団を抱えていたわけです。そうなると尾張美濃の織田家譜代は嫡流の三法師を担ぐ秀吉に味方しますよね
織田信忠【四天王】柴田勝家滝川一益丹羽長秀羽柴秀吉【家臣団】池田恒興佐々成政前田利家佐久間盛政森 長可堀 秀政金森長近不破直光
織田信忠が生きていたら、羽柴家天下の為に邪魔だった?羽柴秀勝が秀吉に粛清されること無く 、上様(信忠)の弟として 織田一門でそこそこの地位にいれそうですね。
信長嫡男信忠政権下だからこそ、信忠叔母お市の方の嫁いだ柴田勝家が、史実では秀吉の側に付いた丹羽長秀を味方に秀吉は粛清されたかも。或いは、毛利や德川に亡命家臣化した羽柴秀吉。
誰かが、信忠は充分に撤退の余裕が在あったって、指摘してましたね。オヤジがよく逃げたりするんで、息子は反面教師を見て育ってて結局は義理堅くなっちゃって、逃げずに踏ん張っちゃったってね。やっぱ実戦経験かな?お父ちゃんみたくそこそこ負け戦を経験してたら機転の効き様もあったんだけど、信忠は有能だったみたいで負け知らずだと、義元みたく脇が甘くなっちゃうのかな。
まとめで言われた通りだと推察します…🤔が信忠が生存であれば😱私の考えるに?また戦乱の世に逆戻りだと🙄なんとなく! ただ何となく感じました😂🆘
15:36 そんなところに役不足なんて言葉を使うものじゃない。役不足とは、人物の力量に比べて、与えられた役目が不相応に小さかったり、軽かったりすることをいう。そこに使うなら、力不足だろう。
まぁ、徳川信康の切腹が信長の命令と言っている時点でしらけましたが(それが間違いと言うくらいは勉強してほしい)信忠が存命なら朝廷は光秀に畿内を任せるどころか逆賊扱いしたと思うのでまさしく孤立無援になると考えます。
徳川信康ってなんだァアああッ!松平信康だあああああ!
他の方も言ってますが、役不足の使い方が間違ってますね。その人の実力に比して役の重みが足りないって意味です。
「役不足」の使い方ァアッ!
15:40 卓見だと思います。信忠が秀吉を排除しようとしたら、秀吉は信忠追放を考え始めるので、「第2の本能寺の変」はありうると思います。
史実通りにお市の方を柴田勝家には嫁がせ、史実ではお市の方の娘・茶々は秀吉の側室になったけれど、ここでは茶々は勝家の養女として秀吉の甥であり養子である秀次と結婚させることで、織田が柴田と羽柴の中を政略結婚で仲裁させることになりそう。家康には、三法師を家康の娘(振姫)と結婚させることで、織田と徳川の婚姻同盟を復活させる?
そうなれば、さすがの秀吉も政権簒奪とは簡単に行かず、もうしばらくは織田の天下だろうが、それでも秀吉は天下獲りに動いたと思いますね。でも何が何でも生き延びてやろうとする信長と違い信忠は腰が重いうえに、すぐに自刃という武断的判断をするんですよね。秀吉の様に機を見るに敏のはしこさもないしね。
織田政権は存続するだろうけど、秀吉みたいにハイスピードで全国統一するのはの無理だから、九州島津、中央織田政権、関東北条、奥州伊達と四大政権が持続するだろうね。安土会議では、ボンクラだけど信忠と同母弟の信雄か、異母弟だけど戦の上手い3男信孝と、どちらを信忠の参謀(織田家No.2)にするかで揉めるでしょうね。
多少混乱はすると思うが、むしろ全国統一は早かったのでは、と思う。あの時代、もう信長とその他の戦国大名の差は歴然。信長配下の武将も敵方に寝返るメリットもない。信長ように力に拘らず、朝廷から正式な統治権を得るような働きをすれば全ての大名を配下に組み入れることも容易だったと思う。
立て籠もって戦うべきと進言した奴打ち首
いくらなんでも,明智軍が信忠に負けることはない。しかし,最終的に明智軍は秀吉軍に敗れ、戦国時代は乱世に遡っていたでしょうね
役不足の使い方が違います!
役不足ではなく力不足ですね。
さおりさん、少し肥えましたね。相変わらず可愛いけど笑
は?なんだよ?その終わり方。なんとでも言えるじゃないかよ?
維新が早まった?
「役不足」→「力不足」ですね。
秀吉はあくまでも信長だけを恐れていた訳で信忠が生き残っていてもその野心を剥き出しにして、まるで家康が秀頼を追い詰めていったかのようにいずれは信忠を滅ぼしていたと思う。ただ信忠が生きていたら家康などが利用する可能性もあるから秀吉の天下が成就するのは遅れていたか、または豊臣政権が訪れず先に徳川政権が生まれていたかも知れない。
力不足です
役不足×訳者不足⚪︎
こんばんは。
さおりさん、色白美人で、美しいよ!!足利将軍家も、そうだが、手持ちの兵が、少ないというのは、致命傷だ!まあ、徳川将軍家の直属軍の旗本・御家人は、何の役にも立たなかったが!!
13コメ!
まず、秀吉の織田家乗っ取り=幼主 三法師様を担ぐ が、不可能になるから、歴史は、確実に変わりますね😊
本能寺の変の歴史Ifの中で、「信忠が生存していれば」は一番歴史が変わった事は間違えないでしょう。
まず信忠の軍勢は500ほどと少数ですが臨戦態勢の近衛精鋭部隊と考えられますので強硬突破すれば成功したと思います。
まず京都脱出に関してはこちらの説明通り、「安土・岐阜ルート」でまず最初に安土城に立ち寄り、ここで現状の戦況と動員兵力を確認し、
各軍団には「信忠健在」と「光秀討伐」の軍上洛を命じ、また近隣の武将にも討伐軍への参戦を信忠の命で呼びかければ安土城籠城の兵力確保は
可能だったかもしれません。更に確実を求めるなら安土城に一定の兵力を配置し明智軍を足止めさせ自身は岐阜城に帰還しそのまま軍を率いて上洛、
信孝軍【状況次第では羽柴軍も参戦】と共同し明智軍を挟撃殲滅できたと思います。
なお光秀が頼みにしていた細川・筒井軍は解説通りに動かず、機内の日和見していた武将たちも信忠が討伐軍を挽いて上洛するなら討伐軍に参戦して
いた可能性は高いので光秀はここでも「三日天下」となっていたのではないでしょうか。
さて、光秀討伐後は各軍団長が集まり「後継者会議」が開催されますが、問題なく信忠がそのまま後継者なります。
(信長は生前にすでに信忠を後継ぎを公言してましたのでここでは追認するだけですので家督争いは起こらないでしょう)
この時点では信忠の跡継ぎ三法師がおり、信雄・信孝兄弟も健在ですので身内の体制はまず大丈夫でしょう。
そして懸念される羽柴・柴田・丹羽・滝川といった軍団長や宿老の処遇ですが、信忠は滝川や羽柴といった新参武将には友好的だったので処遇さえ
間違えなければ織田新体制が盤石ならば背くことはないと考えられます。柴田・丹羽といった宿老も現状維持できればこちらも安泰だと思います。
正統な長子が後継ぐとスムーズな体制移行ができるのが最大のメリットだと思います。そして信長の時は後年功績のあった重臣達の粛清があり
家臣達に将来への不安を抱かせましたが、信忠はすでに御曹司の2代目であり政権も群雄割拠から織田一大勢力の安定期になりますので家臣としても
信忠のもとで天下統一が見えてくれば自身の地位を安堵を最優先しますので謀反は起こりにくいでしょう。
そして最大の同盟国の家康ですが、信忠が先代同様に同盟継続を維持すれば問題は起こらないと思います。
(用心深い家康ですので、すでに大勢が決まっているならなおさらです。)
最後に天下統一への足取りですが、勝家の担当する北陸軍団は引き続き上杉と対峙しますが、将来的に討伐されるか条件次第では降伏かの二者択一でしょう。
そして関東方面ですが、歴史上では滝川は北条軍に敗北しと闘争を余儀なくされますが、早いうちに「信忠健在」と「光秀討伐」が北条方に伝われば
関東での滝川との戦いは起こらなかった可能性があります。(北条家は慎重ですので、事がはっきりするまでは動かないでしょう。)
そうなりますとグズグズしているうちに毛利・長曾我部の討伐が完了しましたら或いは、北条討伐で歴史より早く滅亡したかもしれません。
(まあいずれにせよ滅亡は免れがたいでしょうが…。)毛利については史実同様、和議が結ばれ信忠政権に臣従していたと思いますし、
長曾我部は信孝軍に討伐され滅ぼされた可能性が高いでしょう。九州も討伐軍が派遣され、歴史上と同じく島津降伏で完了。
東北も北条家討伐時点で伊達を始めとした大名たちも恭順し天下統一は秀吉より早い時期に完了していたのではないかと思います。
信忠が生きていれば、伝わっているはずだから北条と滝川は戦っていないと思う
信忠は優秀な武将と聞いてるので、織田幕府が開かれた可能性もありかと😮
個人的に信長より信忠を打ち取られたほうが大きかったと思う
逆に信忠の首さえあれば
光秀はあんな負け方はしなかった
第二の本能寺の変とか言い出したらきりがないから
長益の罪は重い
秀吉は信長だけを恐れていたには同意だけど秀吉に野心があっても信忠が生きてる状態だと秀長、官兵衛が秀吉の独立に協力したようには思えないかな。信忠生きていたら北条が反逆してないで滝川の与力状態だったと思う。
もしくは北条が滝川のポジション乗っ取るような形の織田配下ってところじゃないのかな?
ともかく滝川と北条が争ってない世界線なら滝川は清洲会議に出れるって事です。
秀吉一強にはならないと思う
成人した後継者が生きている以上は諸将も従うわな
いろいろと想像が膨らむifですね!
個人的には本能寺の変のポイントは信長よりも信忠が死んでしまったことだと考えてます。
家督を相続している信忠が生存していれば細川や筒井は静観できず信忠に加勢し、信孝の四国征伐軍と共に明智光秀を討ち取っていたのではないでしょうか。
羽柴秀吉や柴田勝家さんが反目していても抑え込めると思いますし、家康も伊賀越えの取り乱しようを考えると天下を狙うとは思えないため信忠にしたがうと思います。
問題は大勢力として地方大名が残る可能性が高く、2人の弟含め連合政権的なものになってしまうので、織田幕府が織田秀信の代に苦労するのでは…?と考えております。
明智光秀も信忠が二条城に立て籠ったからこそ京の包囲を緩めただけで、信忠が逃亡していたらガチガチに固めていたでしょうね。
そういえば、信長の首は本能寺で焼かれ
出てこなかったと言われていますが
信忠の首はどうしたのでしょうかね?
ついに来ましたねこのif
個人的には秀吉+信雄VS信忠+勝家になり多分信忠が勝つでしょう。
そのあと家康がどう出るか?になると踏んでます
多分北条+家康VS信忠+旧織田家臣になり、家康は毛利、伊達、長宗我部と同盟して対抗の感じかな?
キンカ頭はジェノサイトの天才であることを信忠も知っていたから「逃げられない」と思ったと思う。
でも、もし「信忠が生きていたら」、ノッブも舌を巻く戦争の天才だから、楽々とキンカ頭を打ち破ってたと思う。
ただ、政治についてはどうだろうか。。。ノッブに従って帝王学を学んできているから、無難にこなしていたかもですね。
光秀は軍勢を
分けたんじゃないかな
本能寺と妙覚寺
もしも家康の命を
狙っていたなら
堺攻撃隊も編制
武田家滅亡を、信長は半年かかると見込んでいたが、信忠は、その半分の3ヶ月で達成。(信長は物見遊山で出陣しただけ)また、信忠の戦後処理を見ても見事である。この動画のIFをみるといつも史実に引っ張られているが、信長が定めた嫡男でしかも優秀。丹羽長秀、柴田勝家、などの織田家に忠誠を誓う信秀以来の古参の重鎮がいる以上、信長が信秀を引き継いだ時より楽に織田家をまとめたと思われる。ちなみに、この時点での家康は100万石程度しかなく、織田家にはまったく対抗できない。おそらく信忠が生きていれは、史実より早く天下統一ができたと思われる。また、毛利、島津、長宗我部、北条、上杉、伊達などのその後の史実を彩った大名は滅亡すると思われ、(情勢によっては徳川も滅ぼされていたか可能性があり)私たちの知る史実は根本から変化していたと思われる。
織田信忠はオール70台のイメージ
信忠には徳川家康が従うし歴史が変わったと思う。天正任午の乱にも着目
この動画と同じ想定の戦国仮想戦記がある。
一つは、羽柴秀吉の謀略で信忠公は廃人となってしまった・・・というもの。
もう一方は、柴田勝家、滝川一益ら古参の重臣と蒲生賦秀(やすひで、史実では氏郷に改名)ら若手の家臣の助けを借りて逆臣・羽柴秀吉を姫路城で自刃に追い込み、徳川家康をも撃破して天下を平定するというもの。
私の先祖は織田家に仕えた国人領主の一人であり、信忠公と二条御新造で運命を共にした伝わっている。
私としては、後者の物語が見果てぬ夢の一つとして、今も心に深く残っている。
陰湿な私怨か、天下への野望か、室町幕府への憧憬か、はたまた何者かに唆されたかはわからぬが、明智光秀は愚かなことをしたものだ。
信雄も信孝も他家の当主でその地の家臣団を抱えていたわけです。そうなると尾張美濃の織田家譜代は嫡流の三法師を担ぐ秀吉に味方しますよね
織田信忠
【四天王】
柴田勝家
滝川一益
丹羽長秀
羽柴秀吉
【家臣団】
池田恒興
佐々成政
前田利家
佐久間盛政
森 長可
堀 秀政
金森長近
不破直光
織田信忠が生きていたら、羽柴家天下の為に邪魔だった?羽柴秀勝が秀吉に粛清されること無く 、上様(信忠)の弟として 織田一門でそこそこの地位にいれそうですね。
信長嫡男信忠政権下だからこそ、信忠叔母お市の方の嫁いだ柴田勝家が、史実では秀吉の側に付いた丹羽長秀を味方に秀吉は粛清されたかも。或いは、毛利や德川に亡命家臣化した羽柴秀吉。
誰かが、信忠は充分に撤退の余裕が在あったって、指摘してましたね。
オヤジがよく逃げたりするんで、息子は反面教師を見て育ってて結局は義理堅くなっちゃって、逃げずに踏ん張っちゃったってね。
やっぱ実戦経験かな?
お父ちゃんみたくそこそこ負け戦を経験してたら機転の効き様もあったんだけど、信忠は有能だったみたいで負け知らずだと、義元みたく脇が甘くなっちゃうのかな。
まとめで言われた通りだと推察します…🤔が信忠が生存であれば😱私の考えるに?また戦乱の世に逆戻りだと🙄なんとなく! ただ何となく感じました😂🆘
15:36 そんなところに役不足なんて言葉を使うものじゃない。
役不足とは、人物の力量に比べて、与えられた役目が不相応に小さかったり、軽かったりすることをいう。
そこに使うなら、力不足だろう。
まぁ、徳川信康の切腹が信長の命令と言っている時点でしらけましたが(それが間違いと言うくらいは勉強してほしい)
信忠が存命なら朝廷は光秀に畿内を任せるどころか逆賊扱いしたと思うのでまさしく孤立無援になると考えます。
徳川信康ってなんだァアああッ!
松平信康だあああああ!
他の方も言ってますが、役不足の使い方が間違ってますね。
その人の実力に比して役の重みが足りないって意味です。
「役不足」の使い方ァアッ!
15:40 卓見だと思います。
信忠が秀吉を排除しようとしたら、秀吉は信忠追放を考え始めるので、「第2の本能寺の変」はありうると思います。
史実通りにお市の方を柴田勝家には嫁がせ、史実ではお市の方の娘・茶々は秀吉の側室になったけれど、ここでは茶々は勝家の養女として秀吉の甥であり養子である秀次と結婚させることで、織田が柴田と羽柴の中を政略結婚で仲裁させることになりそう。家康には、三法師を家康の娘(振姫)と結婚させることで、織田と徳川の婚姻同盟を復活させる?
そうなれば、さすがの秀吉も政権簒奪とは簡単に行かず、もうしばらくは織田の天下だろうが、それでも秀吉は天下獲りに動いたと思いますね。でも何が何でも生き延びてやろうとする信長と違い信忠は腰が重いうえに、すぐに自刃という武断的判断をするんですよね。秀吉の様に機を見るに敏のはしこさもないしね。
織田政権は存続するだろうけど、秀吉みたいにハイスピードで全国統一するのはの無理だから、九州島津、中央織田政権、関東北条、奥州伊達と四大政権が持続するだろうね。
安土会議では、ボンクラだけど信忠と同母弟の信雄か、異母弟だけど戦の上手い3男信孝と、どちらを信忠の参謀(織田家No.2)にするかで揉めるでしょうね。
多少混乱はすると思うが、むしろ全国統一は早かったのでは、と思う。
あの時代、もう信長とその他の戦国大名の差は歴然。信長配下の武将も敵方に寝返るメリットもない。
信長ように力に拘らず、朝廷から正式な統治権を得るような働きをすれば全ての大名を配下に組み入れることも容易だったと思う。
立て籠もって戦うべきと進言した奴打ち首
いくらなんでも,明智軍が信忠に負けることはない。
しかし,最終的に明智軍は秀吉軍に敗れ、戦国時代は乱世に遡っていたでしょうね
役不足の使い方が違います!
役不足ではなく力不足ですね。
さおりさん、少し肥えましたね。相変わらず可愛いけど笑
は?
なんだよ?
その終わり方。
なんとでも言えるじゃないかよ?
維新が早まった?
「役不足」→「力不足」ですね。
秀吉はあくまでも信長だけを恐れていた訳で信忠が生き残っていてもその野心を剥き出しにして、まるで家康が秀頼を追い詰めていったかのようにいずれは信忠を滅ぼしていたと思う。
ただ信忠が生きていたら家康などが利用する可能性もあるから秀吉の天下が成就するのは遅れていたか、または豊臣政権が訪れず先に徳川政権が生まれていたかも知れない。
力不足です
役不足×
訳者不足⚪︎
こんばんは。
さおりさん、色白美人で、美しいよ!!
足利将軍家も、そうだが、手持ちの兵が、少ないというのは、致命傷だ!まあ、徳川将軍家の直属軍の旗本・御家人は、何の役にも立たなかったが!!
13コメ!