古代史新説チャンネル
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『古事記』序文の謎に迫る!【日本書紀の界隈054】
新年あけましておめでとうございます!
今年最初の動画は、太安万侶による元明天皇への上表文という形式をとる『古事記』序文を読み解いて、「『古事記』序文とは何か?」を考えてみました。
★イベント出演のお知らせ
2025年1月18日(土)吉備(岡山)で開催される楯築ルネッサンスフォーラム「古代三都物語Ⅲ」に、古代史系ユーチューバー合同企画「古代史論争の分かれ道」でコラボしている古荘さん(地図をなぞって日本古代史を考える)、武田さん(燃え盛るように熱い日本古代史)、岡上さん(岡上佑の古代史研究室)とともに私も出演いたします。
ご興味とお時間のある方は、ぜひお申し込みのうえ、ご来場ください! お待ちしております。
(詳細はこちらから)
tatetsuki.com/forum-win2025/
★古代新説チャンネル書籍化!★重版出来!! 新刊好評発売中★
『古代天皇たちの真実 ~「紀年復元法」で浮かび上がる「日本古代史」の新たな地平~』(令和6年9月発行)ワニブックスPLUS新書 1,000円+税
(内容)
本書は、静まりかえった紀年論の沼に一石を投じることを願って書かれました。
天皇一代の平均在位年数や『古事記』崩年干支を用いたり、干支を何巡か繰り下げるような従来の手法とは決別した新しい紀年復元法を提示します。
「『原日本紀』仮説による無事績年削除短縮法」というものです。『日本書紀』編纂者の紀年延長手法を探り出し、余計な文献の援用を排除して、『日本書紀』内で紀年の復元を完結させる画期的な復元法です。
それにより、重大な発見がありました。継体天皇朝と仁賢天皇・武烈天皇朝の並立が発覚したのです。そしてそれは、紀...
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【古代史新説チャンネル】2024年動画のまとめ
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いつもご視聴ありがとうございます! 2024年に、「邪馬台国の界隈」「日本書紀の界隈」「古墳の界隈」で何を語ったのかをまとめてみました。 ★イベント出演のお知らせ 2025年1月18日(土)吉備(岡山)で開催される楯築ルネッサンスフォーラム「古代三都物語Ⅲ」に、古代史系ユーチューバー合同企画「古代史論争の分かれ道」でコラボしている古荘さん(地図をなぞって日本古代史を考える)、武田さん(燃え盛るように熱い日本古代史)、岡上さん(岡上佑の古代史研究室)とともに私も出演いたします。 ご興味とお時間のある方は、ぜひお申し込みのうえ、ご来場ください! お待ちしております。 (詳細はこちらから) tatetsuki.com/forum-win2025/ ★古代新説チャンネルが書籍化!★重版出来!! 新刊好評発売中★ 『古代天皇たちの真実 ~「紀年復元法」で浮かび上がる「日本古代史」の新たな地平~...
「魏志倭人伝」後世書き換え説を時系列で解説!【邪馬台国の界隈053】
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古代史新説チャンネルの邪馬台国論の根幹をなすのが「魏志倭人伝後世書き換え説」です。 陳寿の記した『三国志』の里数が、『後漢書』の誤認によって日数に書き換えられるまでを、順を追って見ていきます。 2025年1月18日(土)吉備(岡山)で開催される楯築ルネッサンスフォーラム「古代三都物語Ⅲ」に、古荘さん(地図をなぞって日本古代史を考える)、武田さん(燃え盛るように熱い日本古代史)、岡上さん(岡上佑の古代史研究室)とともに私も出演いたします。 ご興味とお時間のある方は、ぜひお申し込みのうえ、ご来場ください! お待ちしております。 (詳細はこちらから) tatetsuki.com/forum-win2025/ ★古代新説チャンネルが書籍化!★重版出来!! 新刊好評発売中★ 『古代天皇たちの真実 ~「紀年復元法」で浮かび上がる「日本古代史」の新たな地平~』(令和6年9月発行)ワニブックスPLU...
日本書紀が「古代吉備王国」を消去した理由!〈古代史論争の分かれ道⑥〉【日本書紀の界隈053】
Просмотров 10 тыс.2 месяца назад
吉備はヤマト王権樹立の張本人であり、初期ヤマト王権とともに歩んでいたと思われますが、なぜか『日本書紀』に吉備の活躍や動向は記されません。 消された!といっても過言ではありません。その原因と、楯築墳丘墓時代の吉備を『日本書紀』の記事から探ってみました。 ★☆★祝1周年! 古代史系チャンネル共同企画! ★☆★ <古代史論考の分かれ道!>第6回テーマ:古代吉備 ※以下の4チャンネルでコラボしています。ぜひ見比べてみてください! ▪️地図をなぞって日本古代史を考える ruclips.net/video/LdU7IJxb7LU/видео.html ▪️燃え盛るように熱い日本古代史【ハルキー】 ruclips.net/video/5aMNO8eS-Uc/видео.html ▪️岡上佑の古代史研究室 ruclips.net/video/qzKqPQ-_XuI/видео.html ▪️古代史新...
紀年論解決の最重要ポイントを解説!【日本書紀の界隈052】
Просмотров 3,1 тыс.2 месяца назад
ぜひ紀年復元の共通認識に!と心から訴えたい年代観があります。 安康天皇、雄略天皇、清寧天皇、顕宗天皇、仁賢天皇の即位年です。 この年代が定まれば、きっと紀年論は一気に解決に向けて進み出します! ★新刊好評発売中★重版出来!! 『古代天皇たちの真実 ~「紀年復元法」で浮かび上がる「日本古代史」の新たな地平~』(令和6年8月発売)ワニブックスPLUS新書 1,000円+税 (内容) 本書は、静まりかえった紀年論の沼に一石を投じることを願って書かれました。 天皇一代の平均在位年数や『古事記』崩年干支を用いたり、干支を何巡か繰り下げるような従来の手法とは決別した新しい紀年復元法を提示します。 「『原日本紀』仮説による無事績年削除短縮法」というものです。『日本書紀』編纂者の紀年延長手法を探り出し、余計な文献の援用を排除して、『日本書紀』内で紀年の復元を完結させる画期的な復元法です。 それにより...
天皇陵新発見!真の武烈天皇陵を特定する【古墳の界隈013】
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謎多き武烈天皇陵はどこに? 復元紀年で天皇陵を見渡せば、古墳年代ともピタリと整合する陵墓が見つかります。 あわせて、第21代雄略天皇から第29代欽明天皇までの陵墓を比定してみます。 最新刊『古代天皇たちの真実 ~「紀年復元法」で浮かび上がる「日本古代史」の新たな地平~』 ★9月27日重版出来!!!★全国の書店で好評発売中です★ありがとうございます! (令和6年9月発行)ワニブックスPLUS新書 1,000円+税 ☆アマゾンでも販売中です。どうぞよろしく! amzn.asia/d/0eo0dDV1 (本書の内容) 本書は、静まりかえった紀年論の沼に一石を投じることを願って書かれました。 天皇一代の平均在位年数や『古事記』崩年干支を用いたり、干支を何巡か繰り下げるような従来の手法とは決別した新しい紀年復元法を提示します。 「『原日本紀』仮説による無事績年削除短縮法」というものです。『日本...
【古代天皇たちの真実】「紀年復元法」で浮かび上がる「日本古代史」の新たな地平
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眠れる「紀年論」を呼び醒ます新たな紀年復元法の登場! 【古代史新説チャンネル】が書籍化されました! 『古代天皇たちの真実』筆者による解説動画です。 ★全国の書店で好評発売中です★ありがとうございます! 『古代天皇たちの真実 ~「紀年復元法」で浮かび上がる「日本古代史」の新たな地平~』 (令和6年9月発行)ワニブックスPLUS新書 1,000円+税 ☆アマゾンでも販売中です。どうぞよろしく! amzn.asia/d/0eo0dDV1 (本書の内容) 本書は、静まりかえった紀年論の沼に一石を投じることを願って書かれました。 天皇一代の平均在位年数や『古事記』崩年干支を用いたり、干支を何巡か繰り下げるような従来の手法とは決別した新しい紀年復元法を提示します。 「『原日本紀』仮説による無事績年削除短縮法」というものです。『日本書紀』編纂者の紀年延長手法を探り出し、余計な文献の援用を排除して、...
神功皇后と紀年論〈神功皇后120年繰り下げ説〉【日本書紀の界隈051】
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紀年復元に密接に絡みつく謎の女帝「神功皇后」! まことしやかに、かつ強力に語り継がれる「神功皇后120年繰り下げ説」を検証します。 ★新刊好評発売中★ 『古代天皇たちの真実 ~「紀年復元法」で浮かび上がる「日本古代史」の新たな地平~』(令和6年8月22日発売) ワニブックスPLUS新書 1,000円+税 (内容) 本書は、静まりかえった紀年論の沼に一石を投じることを願って書かれました。 天皇一代の平均在位年数や『古事記』崩年干支を用いたり、干支を何巡か繰り下げるような従来の手法とは決別した新しい紀年復元法を提示します。 「『原日本紀』仮説による無事績年削除短縮法」というものです。『日本書紀』編纂者の紀年延長手法を探り出し、余計な文献の援用を排除して、『日本書紀』内で紀年の復元を完結させる画期的な復元法です。 それにより、重大な発見がありました。継体天皇朝と仁賢天皇・武烈天皇朝の並立が...
【紀年論】日本古代史最大の命題〔新刊発売感謝!〕【日本書紀の界隈050】
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仁徳天皇や雄略天皇は、何年に即位されて何年に崩御されたのでしょう? 紀年復元を抜きにして日本古代史は語れない! 日本古代史の編年表作成は喫緊の課題です。 令和の時代に「紀年論」が再燃することを願って『古代天皇たちの真実』を書きました。 みなさんが知りたいのは、『日本書紀』に書かれている事がいったいいつ起きたのか?その実年代ではないですか? ★新刊発売(8/22)のお知らせ★ 『古代天皇たちの真実 ~「紀年復元法」で浮かび上がる「日本古代史」の新たな地平~』 ワニブックスPLUS新書 1,000円+税 (内容) 本書は、静まりかえった紀年論の沼に一石を投じることを願って書かれました。 天皇一代の平均在位年数や『古事記』崩年干支を用いたり、干支を何巡か繰り下げるような従来の手法とは決別した新しい紀年復元法を提示します。 「『原日本紀』仮説による無事績年削除短縮法」というものです。『日本書...
神武東征★ホデミとコトシロ(彦火火出見尊と事代主神)【日本書紀の界隈049】
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神武東征の原因と目的、その経緯について、本チャンネルの推論をまとめて物語化しました。 主人公は彦火火出見尊(ホデミ)と事代主神(コトシロ)のふたりです。 3世紀の日本では、西日本全体を巻き込んだ壮大な絵巻が展開されていたと考えています。 *チャンネル登録といいね!をクリックお願いいたします。 ★新刊発売(8/22)のお知らせ★ 『古代天皇たちの真実 ~「紀年復元法」で浮かび上がる「日本古代史」の新たな地平~』 ワニブックスPLUS新書 1,000円+税 本書は、静まりかえった紀年論の沼に一石を投じることを願って書かれました。 天皇一代の平均在位年数や『古事記』崩年干支を用いたり、干支を何巡か繰り下げるような従来の手法とは決別した新しい紀年復元法を提示します。 「『原日本紀』仮説による無事績年削除短縮法」というものです。『日本書紀』編纂者の紀年延長手法を探り出し、余計な文献の援用を排除...
吉野ヶ里遺跡と阿蘇ベンガラと狗奴国熊本説【邪馬台国の界隈052】
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吉野ヶ里遺跡・謎エリアの石棺が保存のために埋め戻されました。 調査報告によれば、石棺の赤色顔料のほとんどはベンガラだったようです。 そのベンガラの産地は、阿蘇? すると、何が見えてくるでしょう? 阿蘇の鉄についても少し考えてみました。 *チャンネル登録といいね!をクリックお願いいたします。 #吉野ヶ里遺跡 #邪馬台国 #古代史新説チャンネル #ベンガラ #鉄 #狗奴国 ★紙の本もどうぞよろしく|電子書籍もあります★ 『検証・新解釈・新説で魏志倭人伝の全文を読み解く~卑弥呼は熊本にいた!~』(ワニブックスPLUS新書) 『邪馬台国は熊本にあった!』(扶桑社新書) 『日本書紀「神代」の真実』(ワニブックスPLUS新書) 『ヤマト王権のはじまり』(扶桑社新書) 【邪馬台国の界隈 最近の10動画】 051 「魏志倭人伝」全文◎超現代語訳 ➡ ruclips.net/video/zXmoFtz...
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Комментарии

  • @bbnokoya
    @bbnokoya Час назад

    古事記はキリスト教の聖書と同質。 男系男子による天皇信仰聖書。 聖書を事実と照らし合わせるキリスト教信者はいない。

  • @サイの尾猿田彦
    @サイの尾猿田彦 День назад

    日本による倭国の乗っ取り  藤原京も平城京も藤原不比等の進言によって建設された。その目的は宮崎県にいた百済王を奈良に呼び寄せて倭国王とすり替えるためであった。藤原京は百済王をかくまうのによい場所がなかった。  「藤原不比等は壬申の乱で同行していた高市皇子に平城京の建設を持ち掛け、高市皇子は平城京建設に向けて動き出した」という伝承がある。  不比等は宮崎県に亡命した義慈王(中大兄皇子の兄)の子孫を三笠山の中腹(春日大社)に招きかくまう目的で、春日野の西に平城京を建設するよう高市大王に進言した。  宮崎県美郷町南郷にある神門神社の案内板。  718年は聖武天皇を奈良に呼び寄せる目的で、倉吉にいた大王を見張らせるため、山上憶良を倉吉に行かせていた年である。  正倉院と同一の銅鏡が神門神社に残っていた。正倉院の宝物はすべて聖武天皇の物とされる。聖武天皇はここに住んでいた。  禎嘉王は百済の義慈王の流れである。禎嘉王をここに案内したのは藤原鎌足と言われている。  藤原鎌足の墓とされる阿武山古墳は百済様式なので、藤原鎌足は百済人であった。鎌足の子である不比等は禎嘉王の子孫の聖武天皇を奈良の春日大社に呼び寄せた。  春日大社は藤原五摂家(藤裔会)の聖地でる。春日大社のある場所は、誰かを隠すには絶好の場所である。宮崎県から連れてきた聖武天皇をここでかくまっていた。食材などは710年に藤原不比等が建てた興福寺から持ってきていた。  歴史を強奪することにも喜びを感じる百済人の藤原不比等は百済王が宮崎県から奈良県に移ったことを遷都だとし、主役を倭国初代の神武天皇に置き換えて、神武東遷を日本書紀に書かせた。神武東遷の史実は聖武東遷であった。  百済王が宮崎県から奈良県に移ったことをもって遷都だとし、主人公を倭国初代の神武天皇に置き換えて、神武東遷を国史に書かせた。津田左右吉は「神武東遷はヤマトの都において重要の地位を有するものによって考案せられた」とする。  扶余族の百済人は強奪することに喜びを感ずる一族(三国志魏書・高句麗伝)である。金品だけでなくなんでも強奪する。地名も人名も系譜も歴史も、良い評判も。強奪したものをより支配を固めるために利用する。倭国歴史書原本を入手して、大王を大臣に変えた。新羅を百済に変えた。聖武東遷を神武東遷に変えた。  日本書紀の中にある「大臣」はすべて「大王」であった、として見直してみた。当時は天皇とは言わず大王である。従って、大臣とされている、武内宿禰、蘇我稲目、蘇我馬子、蘇我入鹿(蝦夷)、高市、忍壁、穂積も大王であった。武内宿禰の子、平群都久と葛城之曾都毘古も大王であった。  天皇の生年月日と同じとして共通点を見出そうとするところに「何かおかしい」と違和感を感じた。仁徳天皇は平群都久であり応神天皇は葛城之曾都毘古であった。  また、15代は葛城之曾都毘古で間違いないが6男より4男の方が後に来るのはおかしいと思い、仁徳天皇は14代とした。仁徳と応神を入れ替えると、日本書紀の系譜は、履中は応神(仁徳)の第一王子、反正は応神(仁徳)の第三王子、允恭は応神(仁徳)の第四王子、安康は允恭の第二王子、雄略は允恭の第五王子となる。  すると、倭の五王は、讃は(履中)・珍は(反正)・済は(允恭)・興は(安康)・武は(雄略)となり兄弟・親子関係が中国史書と一致する。  大臣が大王であったのだからその間の、景行・成務・仲哀・顕宗・仁賢・武烈・継体・宣化・欽明・敏達・用明・崇峻・推古・舒明・皇極・孝徳・斉明・天智・持統は倭国王ではなく百済王となる。舒明までは朝鮮半島の百済に住んでいた。  今の天皇が皇太子時代、韓国で、「天皇家のルーツは百済にある」と言った。その通りであった。  そうなると、顕宗・仁賢の舞台は百済であったという説や、欽明の時に仏教が伝来したとするのは年代がおかしいとする説や、崇峻が殺されたのに、蘇我馬子に何のお咎めもないのはおかしいとする説や、遣隋使についての隋書は男王であるのに、日本書紀は女帝の推古であるのはおかしいとする説、の説明ができる。  藤原不比等は大王や側近を徹底的におだて、相手の判断が鈍ったところで毒殺した(六韜による)。不比等と鸕野讃良は多くの要人や大王を暗殺している。高市大王(在位686~696)、忍壁大王(在位696~705)、穂積大王(在位705~715)は在位期間が短いので暗殺されている。  不比等は宮崎県にいた聖武天皇を奈良の春日大社(藤裔会)に呼び寄せるため、715年に穂積大王を殺した後、倉吉にいた次の大王を監視させるため翌年、山上憶良を倉吉に派遣する。憶良が倉吉にいる間に聖武天皇を宮崎県から奈良県の春日大社(藤裔会)に呼び寄せた。721年に倉吉から帰ってきた憶良は春日大社(藤裔会)で倭王朝の儀式(新嘗祭・神嘗祭など)のやり方を聖武天皇に教えて倭国王のように振舞わせた。しかし、親倭派になっていた憶良(歌でわかる)は長屋親王暗殺計画の邪魔になったので726年、筑前に左遷される。729年に長屋親王暗殺。亡命百済王朝(日本)は734年、倭(鳥取県中部)にいた大王(在位715~734)(大伴旅人や山上憶良の表記は大君)を奈良は安全になったと言って帰らせる途中で殺害し、聖武天皇とすり替えた。

  • @麺五郎
    @麺五郎 День назад

    「その山に丹あり」丹とベンガラは全く違います。丹=辰砂=水銀朱=希少高価。ベンガラ=酸化鉄=豊富安価。 中国は建物にベンガラを豊富に使うほど有りました。わざわざ倭人伝にかきますかね? 魏の使者は王の命令で不老不死、死者が蘇るの薬、丹を求めて邪馬台国へ来ました。そこが阿波だったと思います。 話せば長いのでここまでにします。 それにしても色んな人の古代史考察は面白いですね。

  • @宮本孝正
    @宮本孝正 День назад

    孝昭(114)孝安(137)孝霊(128)孝元(116)[ ( )内は宝算です ]について。記の崇神(151-318)の前年150を開始点として上記孝*天皇の宝算を逆の順序で加えてみます。150+116=266,266+128=394,394+137=531,531+114=645です。266:トヨ遣使、394:記の応神末年、531:辛亥の変、645:乙巳の変。これを偶然と呼びたい人は呼んでも良いですが、私は紀の紀年がこのようにして作成されたのだと考えています。

    • @J-history
      @J-history День назад

      コメントありがとうございます。 「崇神の前年150を開始点として」とされていますが、崇神天皇の崩御年が318年というのは確定でしょうか? また、151年とは? 崇神天皇の宝算は記されていましたか?

    • @宮本孝正
      @宮本孝正 День назад

      @J-history 記の崇神は宝算168没年318なので(151-318)になります。実は318説258説の2説があるのですが、記の(19n)を根拠として318であることを述べました。これが私の古代史にかんする唯一の公的論文なのです。記の紀年に関しては何であれ私にご相談下さい🤗

    • @J-history
      @J-history День назад

      @@宮本孝正 ご返信ありがとうございます。 『古事記』の宝算は本文記述ですので、信用されるのはよいことだと思いますが、それと崩年干支を組み合わせてしまうと、雄略天皇の宝算124から誕生年は366年となってしまいます。 とてもではないですが、崇神天皇の崩年318年は無理があるのではないでしょうか。

    • @宮本孝正
      @宮本孝正 День назад

      @@J-history 別の所で書いたように、雄略記:124,紀:64、継体記:42,紀:84(数えと万で数え方は異なる)というように意図的に2:1の比が使われています。注記や後付だから信頼できないではなく、注記後付をも考察に加える必要があります。例えば倭王武の55,66,95国征服の記述がありますが、366,455,460(=366+94)が雄略関連の紀年に用いられてあたかも武=雄略だと思いたくなりますが、これは記紀制作者の策略なのです。古事記をも問題にしだすと収拾がつかなくなる恐れはありますが、私は記紀の関連を調べている最中なのです。

  • @十蘭コメント
    @十蘭コメント 3 дня назад

    明治維新政府は、絶対天皇制の国体を創り上げて、古事記を聖典にした大日本帝国を創設した。

    • @J-history
      @J-history 2 дня назад

      『古事記』『日本書紀』を利用したのは確かなのでしょうが、なんとも・・・。

  • @宮本孝正
    @宮本孝正 3 дня назад

    確かに『古事記』序文には手が加えられているようです。読みの注記にしても確か殆どが上巻に関するもので、上巻にはかなり手が加わっていると思えます。しからば上巻は何を語ろうとしているのか。記は下巻推古で終わっていますが、推古の次の舒明と皇極を上巻のスサノオとアマテラスに配置してみて下さい。やや大まかではありますが、ニニギ・ウガヤフキアヘズ・神武が、草壁・文武・聖武に相似形であることに気付くでしょう。新しい事象を古い時代に移動させるのを「加上説」と称しますが、記の構造は上巻の神話の寄せ集め全体が加上説で成り立っているのです。

    • @J-history
      @J-history 3 дня назад

      「加上説」、すごい説ですね。そういうこともあったかと思ってしまいそうです。 ちなみにですが、相似形が系譜のことであれば、瓊瓊杵尊・彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊・神武天皇の相似形は天武天皇・草壁皇子・文武天皇ではないでしょうか? とにかく、序文を信じるなら、天武天皇記がないのがあまりにも不自然です。

    • @宮本孝正
      @宮本孝正 3 дня назад

      @@J-history 返答有難うございます。更に仮説を追加させて下さい。アマテラス対スサノオは天智系対天武系を表しています。結局天武系は根の国に追いやられて天智系が皇統を独占します。天武主体の古事記のはずが上巻の徹底的改変により天智系のための物語に変えられてしまいました。これが古事記神話の秘密だったのです。稗田阿礼は人麿と不比等の二人を合成した人物像であるという梅原説を私は指示しています。古代史の専門家に支持者がいないことは知っていますが。

    • @山下明彦-v3i
      @山下明彦-v3i 2 дня назад

      屋上、屋を架す。🎉

  • @宮本孝正
    @宮本孝正 4 дня назад

    倭王武は「自ら使持節都督倭百済新羅…倭国王」と称し「海北95国を平らげ」と上表している。武=雄略などはあり得ない。

    • @J-history
      @J-history 3 дня назад

      自称の「百済」は認められませんでしたが、それ以外は認められていますね。

    • @宮本孝正
      @宮本孝正 3 дня назад

      @@J-history 「海北95国を平らげ」の部分は記紀には一字も書かれていないはず。結局「百済」を名乗ったことは妄言ではなく、武が不安定な「倭韓連合王国」の一員であったことを示していると考えます。天動説から地動説まで常識の変化が150年を必要としたように、江上波夫説(但し大幅な修正が必要ですが)が受け入れるまで百年単位の期間が必要と予想します。(J-historyさんの細かな考察には讃辞を惜しみませんが、例えば「辛亥の変」の真相が読み取れないならそこの部分の無事績年削除法による推測は余り評価できないのではないでしょうか、というのが私の疑義です。私も結構細かな計算を試みたので妄言を呈しているかも知れません、ご容赦を🙏)

  • @宮本孝正
    @宮本孝正 4 дня назад

    倭王讃421以前〜=仁徳、珍438=反正433、済443=允恭438、興462=雄略、武(=昆支)478=x473、男弟王494=①清寧490②継体506、になります。xは記の紀年362-473-582の473で、或いは九州王でしょう。5年のズレは、*662橿原奠都起点が*667ウル神武即位起点に変更して紀年ぜんたいが(-5)移動したことに依るものです。『原日本紀』の想定は一仮説として結構ですが、『古事記』全面否定は誤りだと考えます。但し現行『古事記』に対し『原古事記』を想定すると『原日本紀』と同様収拾がつかなくなって、古代史ファンが簇出する恐れはありますが😮‍💨

  • @宮本孝正
    @宮本孝正 5 дней назад

    雄略宝算124を以て記は信頼できないと言われるが、紀の応神(201-310)仁徳(x-399)をどう考えるか。仮にx=250だとしても仁徳宝算150、応神仁徳の誕生年の差49になる。兄弟の年齢差が48。古代人には超能力があったのか。

    • @宮本孝正
      @宮本孝正 4 дня назад

      記の雄略について追加。宝算124の内実は、366-(455)-457or458-(460)-462-489没。458-489の場合、応神363-394との差は95。457-489の場合仁徳395-427との差は62。ここに紀の雄略の宝算62が出てきます。124に1000を加えて1124-711(神武生誕)=413(ウル允恭初年)。雄略95年は460。3(66),4(55),(95)の数字は倭王武の制圧した国(55,66,海北95)を連想させます。これらは紀年作成者が「倭王武=雄略」に確信を持たせるための作為であって、この辺りの記述に問題があることを窺わせます。

    • @J-history
      @J-history 4 дня назад

      いつもコメントありがとうございます。 そろそろこのチャンネルの紀年復元法をご理解いただければと思います。 允恭天皇以前の暦日は文武天皇朝以降に儀鳳暦を用いて推算・創作されたことが、小川清彦氏(および森博達氏)の研究で明らかになっています。 このチャンネルでは、歴代天皇紀の事績・出来事の記されない年は、紀年延長によって生じたと考え、それを削除すれば天武天皇の求めた「実年代に沿って編纂された『原日本紀』」が復元できると考えています。 もちろん、天武天皇の意向によって改変された部分もあると思われますので、その復元紀年をもとにいろいろと考察を進めているわけです。

    • @宮本孝正
      @宮本孝正 4 дня назад

      @@J-history ご著書101頁を見ると、531=継体8年とあり、大問題の辛亥の変は無かったかに見えますが、この箇所の復元法は誤りではないかとの疑念を抱くわけです。吸収すべき解釈があればとてお説を拝見し続けているので気を悪くなさらぬようお願い致します🙏

    • @J-history
      @J-history 4 дня назад

      @@宮本孝正 ご返信&拙著ご購読いただきありがとうございます。 101ページの年表は「原日本紀年表」というものです。 簡単に説明しますと、それは天武天皇の意向によって、継体天皇朝と仁賢・武烈天皇朝の並立を直列化したものです。仁賢天皇即位507年から欽明天皇崩御571年を定点として、その間で並立した19年間を間引いて調整した編年だと考えています。 歴史の真実は156ページの編年表のようであったと推測しています。

    • @宮本孝正
      @宮本孝正 4 дня назад

      @@J-history 返答有難うございます。が156頁の表だと「辛亥の変」と称される紀の注記が意味の無い記述になってしまう(『百済本記』が誤りである)と思われます。(これは誰も解決していない問題なので、返事はなさらなくても結構です。)

  • @lebaronde3204
    @lebaronde3204 5 дней назад

    古市古墳群は応神天皇の母系である息長氏、田道氏(ヒボコ末裔)、百舌鳥古墳群は仁徳の正妃である磐之媛の実家である葛城氏が後援した古墳群という考えが浮かびました。葛城氏の積極的な後援を受けていない応神の陵墓が、百舌鳥に当初予定されたというのは、個人的には否定的です。

    • @J-history
      @J-history 5 дней назад

      百舌鳥古墳群と古市古墳群をまったく同じものと見ずに、lebaronde3204さんのように論理的に解釈することが大事なのだろうと思います。

  • @佐藤裕太-b1o
    @佐藤裕太-b1o 6 дней назад

    確かに、動画中の欠史八代伝承の後世挿入論には説得力を感じます。しかしながら、私はそこから欠史八代伝承が限りなく捏造に近い感じで創作されたものではないと思っています。 それは、例え欠史八代系譜伝承が7世紀後半から『記紀』成立直前に整理されたと仮定してもそのことで後世の造作つまり捏造と断定するのはもったいないでしょう。7世紀の編纂時に7世紀までの系譜伝承特に欠史八代伝承が漸次発見・提供そして分析・集約されたと考えてもいいと思うからです。

    • @J-history
      @J-history 6 дней назад

      あけましておめでとうございます。 神代の具体的な物語(神話)や系譜および東征の経緯、そして崇神天皇以降の事績や出来事が詳細に語られているのに、欠史八代がほぼ系譜のみというのはあまりにも不自然だと思います。

    • @佐藤裕太-b1o
      @佐藤裕太-b1o 6 дней назад

      @J-history あらためましてあけましまておめでとうございます。

  • @nomitake-sf4fm
    @nomitake-sf4fm 6 дней назад

    物語の内容が日本書紀の記述とかなり異なるのに天皇の系図だけは日本書紀と寸分たがわず同じというのが奇妙。このへんに謎を解く鍵がありそうな気がします

    • @J-history
      @J-history 6 дней назад

      あけましておめでとうございます。 おっしゃる通りと思います。 景行天皇と日本武尊、応神天皇と仁徳天皇は、どちらも本来兄弟でしたが、文武天皇朝以降に行われた紀年延長操作によって親子に改変されたと考えていますが、『古事記』でも兄弟になっていますから、同時あるいは『古事記』の方があとに編纂された可能性があると思っています。

  • @小杉武夫-d8b
    @小杉武夫-d8b 6 дней назад

    印綬と共に、下賜された鏡が百枚の銅鏡でないと、読み取れました。そうなると日田で出土した鉄鏡がその時の鏡と推察できますが、如何でしょうか

    • @J-history
      @J-history 6 дней назад

      あけましておめでとうございます。 このチャンネルの考えるように「梯儁たちが届けた鏡が、明帝の下賜した銅鏡100枚とは異なる少帝からの鏡であった」とすれば、その可能性もあるかもしれません。 ただ、日田の鉄鏡については出土状況が不明ですから、判断のしようがないというのが現実ではないでしょうか(後世に誰かが中国から手に入れたというような見方もあるようですから)。

  • @MedakaNoBoo
    @MedakaNoBoo 7 дней назад

    序文で最大の謎は段落下げがあること、冒頭1文字空いていることかな 飛鳥時代の階級には「大・小」がついたので姓(かばね)とわかるようしたかったのかもね、ちなみに、「乾坤(卦の時間、前後や秩序のこと)」「陰陽(卦の空間、左右や土地の広がりのこと)」「小浜で諭[さと]し(言い負かし)」「ひるがえる旗は兵を耀[てら]し」、「日下(前面、陽の当たる側)」、「帯(後背、影のつく側)」だろうね、比較的平易な日常語であって、これらを文字資料があった痕跡とまでは言えない もちろん、四書五経の教養があればこうは読まない、かわりに時代考証がおかしくなるんだよ、例えば、卦(ぼく)は時代ごとに解釈が異なる、乾坤(天地)・陰陽(男女)という八卦が知られるようになったのは江戸以降だったと思うよ、だから序文は「江戸期に書かれた」なんてこと説いたら笑われちまうよ

    • @J-history
      @J-history 7 дней назад

      あけましておめでとうございます。 貴重なご意見をありがとうございます。 「小浜で諭し」だとすっきりしますが、角川ソフィア文庫版は「論」の文字が使われ「あげつらう」と訳されていました。 「日下」「帯」の件は、「日下」という字を「玖沙訶(くさか)」と読み、「帯」という字を「多羅斯(タラシ)」と読むが、その類のものはそのままにした、と書いていますが、では一体、稗田阿礼はどのように憶えていたのか?というのが不思議だったのです。

  • @ohsam4884
    @ohsam4884 7 дней назад

    いやはや、職人からの邪馬台国史!なかなか面白うございました🎉

    • @J-history
      @J-history 7 дней назад

      あけましておめでとうございます。 陳是の製造した紀年銘鏡の銘文を信じれば、こういう説もありかと思いました。 まあ、なぜか、すべて後世の製作という見解が有力視されていますが。。。

  • @masamasaict7312
    @masamasaict7312 7 дней назад

    やっぱり、ふどきさんの動画の方が面白い。是非、見てもらいたい。やっぱ東国。まだまだ余白がある。

    • @J-history
      @J-history 7 дней назад

      あけましておめでとうございます。 東国は『日本書紀』にほとんど書かれていませんので、なかなか考えようがないというところです。

    • @山下明彦-v3i
      @山下明彦-v3i 2 дня назад

      古史古伝の導入は、阿波説への道⁉️😅

    • @J-history
      @J-history 2 дня назад

      @@山下明彦-v3i 阿波説ですか? 『日本書紀』は阿波のことをほとんど書いていませんから、このチャンネルでは研究対象にしようがありません。。

    • @山下明彦-v3i
      @山下明彦-v3i 2 дня назад

      日向の橘の小戸の、阿波岐原は、何処に有りますか?✨…………其れは、福岡市西区の、今宿の、青木ケ原?✨😅

  • @宮本孝正
    @宮本孝正 8 дней назад

    百済の昆支は477内臣左平の位に付き478死んだ、と『三国史記』に書かれている。ここの「死んだ」は今でいう「亡命した」の意味で、倭国王としての地位を得たのであろう。蓋鹵王や昆支は「倭韓連合王国」に属していた。倭王武=昆支である。倭王興=昆支の兄弟。倭王済≒允恭。「≒」としたのは允恭がダミー(合成された人物)だからである。

    • @J-history
      @J-history 8 дней назад

      いつもながら、理解の範囲を超えていますが、コメントありがとうございます。

  • @岡上佑の古代史研究室
    @岡上佑の古代史研究室 8 дней назад

    アップ有難う御座います! 古事記と倭人伝で題材は違いますが、研究手法というのが、極めて近いものを感じますね! 古事記は、正直食わず嫌い状態なのでもっと勉強していきたいです!

    • @J-history
      @J-history 8 дней назад

      岡上さん、あけましておめでとうございます。 『古事記』についてはいつどのように成立したのか、来歴が定かではありませんので、深く研究するのは難しいと思います。そこを無理やり追究すると、あらぬ方向に向かう危険性を感じています。

  • @asunakazuma9166
    @asunakazuma9166 9 дней назад

    明けましておめでとうございます。 突然ですが、魏志倭人伝に那馬壹と書かれているのに、わざわざ “ヤマタイ" と読ませているのは恣意的に感じます。これはどう見ても “ヤマト" ではないですか?そろそろyoutubeだけでも "ヤマト" 表記にしませんか。

    • @J-history
      @J-history 9 дней назад

      あけましておめでとうございます。 「臺」が「タイ」か「ダイ」か「トゥ」か「ドゥ」かわからず、「壹」が「イ」か「ト」か「トゥ」かわからない状況ですので、一般的に定着している「ヤマタイ」を使うのが誤解を招かない方法だと思われているのだと思います。 「ヤマト」というと「大和」のイメージが先行して、畿内説が連想されるのだろうと思い、このチャンネルでは通常「ヤマタイ」と発音しています。

  • @隆一西
    @隆一西 9 дней назад

    あけましておめでとうございます🌅古事記や日本書紀は難しく苦手な分野の為、分かりやすく解説していただき助かります😚なお、6世紀頃の古墳ともなれば、銘文入り鉄剣など文字資料が発掘されても良さそうですよね(¯―¯٥)笑

    • @J-history
      @J-history 9 дней назад

      あけましておめでとうございます。 古墳だけでなく、もっと金石文は発見されてもよいような気がしますが、とても少ないようにみえますね。 今年もよろしくお願いします。

  • @chakumasama
    @chakumasama 9 дней назад

    おそらくは序文は後世の偽作ですね。 古事記の成立は日本書紀の後ですね。

    • @J-history
      @J-history 9 дней назад

      あけましておめでとうございます。 「日本書紀より後」ということは720年より後ということでしょうか? たしかにその可能性もありそうな気がしますね。

    • @chakumasama
      @chakumasama 9 дней назад

      @ わざと古めかしい文語体で書かれてゐるんよ。💦 (日本書=原日本紀→日本紀→続日本紀→日本書紀→古事記)

    • @J-history
      @J-history 9 дней назад

      @@chakumasama 『日本書紀』は『続日本紀』より後の成立説なのですね。

  • @ともみひかりゆわた
    @ともみひかりゆわた 9 дней назад

    ありがとうございます。勉強になりました。唐というか武則天というか、乗っ取られたように感じたのは私だけでしょうか?黄帝、周王、夏禹王、殷湯王を超えたと称えているのは・・・なんとも。日本の王を讃えるなら、私なら、神武に近づき、応神の如し、とかという称え方をするけどな・・・。深掘りいただけると。。

    • @J-history
      @J-history 9 дней назад

      あけましておめでとうございます。 天武天皇当時は、白村江の大敗から立ち直りつつある時期であり、中国と対等な関係を再構築しようと模索している時期だったのではないでしょうか。 『日本書紀』もそうですが、漢文での記述には中国史書からの引用がとても多く見られます。天皇を、そこに記された名君・天子を超えた存在として位置付けたいと考えたのだと思います。

  • @tatsuyafujii7295
    @tatsuyafujii7295 9 дней назад

    今年も楽しみにしております

    • @J-history
      @J-history 9 дней назад

      あけましておめでとうございます。 このようなお心遣いをいただき恐縮です。 少しでもお役に立てる動画発信を目指しますので、今年もよろしくお願いします。

  • @s-yo
    @s-yo 10 дней назад

    いつも素晴らしい妄察! 天武の自身の王朝!ココがキモ!

    • @J-history
      @J-history 7 дней назад

      あけましておめでとうございます。 天武天皇が詔して『古事記』が編纂されたとすると、天武天皇記がないのが不思議です。

  • @山下明彦-v3i
    @山下明彦-v3i 10 дней назад

    明けましておめでとうございます。…………新年第一弾が、「古事記」とは?驚き😲‼ですね。…………「古事記序文」は、多人長による偽作。…………本文の解釈は、本居宣長による「古事記伝」を「元」「基」「本」にするものです。www…………云わば、東日本🗾の古史古伝の王者です。www…………それに対して、日本🗾書紀は、「日本紀」の偽作?✨…………文献史料研究の、スタートですね。今年も、動画を「楽しませて」頂きます✨😌✨

    • @J-history
      @J-history 10 дней назад

      あけましておめでとうございます。 『古事記』序文が気になっていたのは、天武天皇の詔(とされるもの)が引用されているからです。この言葉は『日本書紀』編纂の詔と通底しているものと考えていました。 今回、『原日本紀』の序文を転用したものだと考えるとすっきりするなあと思い、動画化しました。本文まで調べようとは、今のところ考えていませんが、今年もよろしくお願いします。

    • @山下明彦-v3i
      @山下明彦-v3i 9 дней назад

      天武天皇に拘りがあるのは、「真福寺本」が書かれたのが、愛知県の中島郡だからですね。…………大海人皇子の本拠地は?💡海部郡でした。🎉

  • @MrAirrium
    @MrAirrium 10 дней назад

    あけましておめでとうございます。新年早々興味深い投稿ありがとうございます。 古事記本文にばかり目をとらわれていて序文は気にもしていませんでしたが、ここまで考察できるとは目から鱗でした。 たしかにいろいろな疑問が出てきますね。 神武=崇神説にまったく同意します。ウガヤフキアエズと欠史八代で整合性がとれないのはそこに系譜の継ぎはぎがあったためで、もともとウガヤフキアエズは崇神(神武)の九州からの系譜を、欠史八代のニギハヤヒ(物部)系の伝承のあとに足したものだったんじゃないかと仮説を立てています(ニギハヤヒの位置に崇神の前半生(神武)を仮冒)。ただ、系譜は全く興味の範囲外で証明法を考えるのが面倒で面倒で(* ̄- ̄) ちなみに 10:27 の「賢后」を崇神とされていますが、「后」というからには息長帯姫かと思ったのですがどうなんでしょう?

    • @J-history
      @J-history 10 дней назад

      あけましておめでとうございます。 たしかに系譜は面倒ですね。一書(異伝)や古事記を参考にすると収拾がつかなくなりますから、私は『日本書紀』本文のみの系譜を作成して考察に用いています。 初代天皇については、東征以前を彦火火出見尊、主に東征前後を神武天皇、主に即位後を崇神天皇として記述されていると考えるとすっきり腑に落ちます(私見)。 「后」については、魏志倭人伝でも「夏后少康」が出てきますが、「天子」「皇帝」の意味で用いられます。この時期の撰述は中国史書を参考にしていると思われますので、特に女性と考えなくてよいのではと思います。

  • @qwerty-td6qt
    @qwerty-td6qt 10 дней назад

    重大なことに気づきました もしも上表文に記された編纂の経緯が偽装されているとしたら、古事記は古史古伝と同様の「偽書」と定義されますね 日本の史学会は偽書は学問の対象として認めない慣習なため、古事記の内容を引用した過去の論文や書籍や研究者が全て非学問に格下げされてしまいます😂

    • @J-history
      @J-history 10 дней назад

      そのような大それたことを提起する気持ちは毛頭ありません。 よく引用される『古事記』崩年干支は、本文の宝算に付けられた分注でありながら宝算と整合しないものですから、紀年復元に用いるには問題があると考えていますが、『古事記』本文には敬意を払っています。 今回は、『古事記』序文が私の考える『原日本紀』(天武天皇朝でほぼ完成していたと推定)の序文(上表文)からの転用であれば、すっきり腑に落ちると考えた次第です。

    • @qwerty-td6qt
      @qwerty-td6qt 10 дней назад

      はい、私のコメントも古事記を蔑むような畏れ多い意図は全く無く、むしろ古史古伝を偽書と蔑んで無視すべきではないという意図でした 古史古伝には自部族への我田引水的に史実を改ざんした匂いが数多くあるとは思いますが、わざわざ正史と異なる伝承を編纂した背景には、正史に粉飾や改ざんがあることへの強い恨みの念が伺われます 正史と古史古伝を比較して見ると、考古学の出土物からは正史の方の史実性が疑われることも多々ありますので、日本の史学会もそろそろ記紀を聖典扱いした皇国史観から離れ、これまで偽書扱いしてきた古史古伝に記述された裏の歴史にも公平に学問の目を向けるべきだと思っている次第です

    • @J-history
      @J-history 9 дней назад

      @@qwerty-td6qt このチャンネルも、天武天皇の意向によって『原日本紀』は倭の五王を隠蔽し、継体朝と仁賢・武烈朝の並立を直列化したと考えていますし、持統朝以降に大幅な紀年延長が行われたのは確かだと思います。 古史古伝を正しく判断する知見はありませんが、古代史の真実が残っているものもあるかもしれませんね。

  • @journey3451
    @journey3451 10 дней назад

    毎回楽しく拝見しています。 コメントは時々ですが。 今回の仮設に関してつじつまは非常に合いますね。 竹田さんの現代語訳を読んだことがありましたが何か印象が違います。 仮説。正しい気がしますね。

    • @J-history
      @J-history 10 дней назад

      あけましておめでとうございます。 いつもご視聴ありがとうございます。 このチャンネルの根本的なテーマは「紀年論」ですので、『日本書紀』の本文を基本テキストとしています。だから、『古事記』を参照することはあまりないのですが、今回序文をちゃんと読んでみたら、こんな考えに至った次第です。 引き続き今年もよろしくお願いします。

  • @kooota7455
    @kooota7455 10 дней назад

    個人的に気になったのが、クマ、トラ、ウマが出てくることです。 これって大陸系の文化・・・の影響が大きそうです。

    • @J-history
      @J-history 10 дней назад

      あけましておめでとうございます。 たしかに、面白いですね。この時代には編纂者の手元に多くの中国史書があったと思われますから、そこからの引用したのでしょうね。

  • @dolphinthrough6606
    @dolphinthrough6606 10 дней назад

    稗田阿礼は今で言うサヴァン症候群でしょうか? 文章を一瞬で画像記憶してしまう天才。 ニコラ・テスラも画像記憶出来たそうです。

    • @J-history
      @J-history 10 дней назад

      あけましておめでとうございます。 画像で記憶できれば、確かに「日下」「帯」の疑問も解消しますね。

  • @qwerty-td6qt
    @qwerty-td6qt 10 дней назад

    なるほど 確かに、この序文の大部分は古事記の序文ではない匂いがしますね 古事記そのものは稗田阿礼が旧辞や帝紀などを筋が通る様に曲解して繋げた昔話だと思いますので、稗田阿礼が唐突に飛び出した部分が本来の古事記の上表文で、後世に誰かが他の正史の上表文を挿入して改変したのではないですかね 天武天皇の御代に稗田阿礼が創作した古事記が文字になって太安万侶の家に伝承されていたものを、元明天皇の御代に急遽献上することになり、音訓の乱れなどの言い訳を添えて献上した様に感じました

    • @J-history
      @J-history 10 дней назад

      あけましておめでとうございます。 稗田阿礼の『古事記』が文字になって太安万侶の家に伝承されていたというのは面白い説だと思います。 しかし、天武天皇が自身の王朝の正統性を確立するために編纂を命じたとすると、『古事記』の事績・出来事が顕宗天皇記で終了し、系譜も推古天皇で終了していることが不思議なのです。最低限、天武天皇即位までを記す必要があるように思われます。 今年もよろしくお願いします。

    • @qwerty-td6qt
      @qwerty-td6qt 10 дней назад

      ご返信・ご説明をありがとうございます でしたら稗田阿礼は推古天皇の次の舒明天皇の時代に古事記を創作して、文字になって太安万侶の家に残っていた説に改めます😅 蘇我蝦夷が実権を握っていた時代なので、蝦夷のオーダーで創作したのかな

    • @J-history
      @J-history 10 дней назад

      @@qwerty-td6qt ご返信ありがとうございます。 『古事記』は古い時代に著述されていたという説を読んだことがあります。もともとが舒明天皇時代の創作とすれば、筋は通るかもしれませんね。

  • @宮本孝正
    @宮本孝正 10 дней назад

    『国史』という『原日本書紀』又は『古事記』と関連のありそうな史書が714年に撰上されています(『続日本紀』の記事)。無事績年削除法を駆使して『原日本書紀』を想定されていますが、『古事記』→『原日本書紀』→『日本紀』→現行『日本書紀』という道筋もあると思います。神武即位は*667でした(『宋史』引用の「王年代記」)。『古事記』も*667で現行『日本書紀』は*660です(*667→*662→*660という移動があった)。先生の近著を買い求め、人物画像鏡の銘文解釈が拙論と異なることを知りました。今後とも教わると同時に疑問点を投げ掛ける所存です。

    • @J-history
      @J-history 10 дней назад

      あけましておめでとうございます。 秘数術については知識がありませんのでご返事できないことが多いと思いますが、今年もよろしくお願いします。疑問はどんどんご投稿ください。

    • @宮本孝正
      @宮本孝正 10 дней назад

      ​@@J-history幾つかの指摘。①「ヨウ習」は暗記ではなく解読の意味のはず。②稗田阿礼は人麿と不比等のダブルイメージ(梅原説)。③人物画像鏡の解釈は(私は少数説であるところの)坂田隆説に与しています。④数秘術は江口洌『古代天皇の聖数ライン』(河出書房)が手頃でしょう。紀年論には必須と思われます。①〜③は無視して結構。④は紀年論には必須だと思います。

    • @J-history
      @J-history 10 дней назад

      @@宮本孝正 ご返信ありがとうございます。 数秘術については昔、人に薦められて読んだ本がありましたが、どうも数字合わせの趣を感じてしまい、読破を断念した記憶があります。申し訳ありませんが。

    • @宮本孝正
      @宮本孝正 10 дней назад

      @@J-history 江口説を要約すると「暦法の数と三才の数が大きな意味を持っている。17,19,23,26,60,197,235,365がその数である。」私はこれ以外に累乗数や西暦による実年代が数秘術として使われているので「魔法数」と名付けました。貴著126頁に「『春秋』は*722の即位から云々」とありますが、722=2×19×19で魔法数です。『古事記』は19nが優位、『日本書紀』は17nが優位であるように紀年作成がなされています。19年の無事績年の19も聖数であることに意味があるかも知れません(これは臆断です)。

    • @mobnori
      @mobnori 3 дня назад

      宮本某は、人の話を聞けないアフォな人なのかな?😅

  • @きゅーぴーたろう
    @きゅーぴーたろう 10 дней назад

    あけましておめでとうございます。 わたくし 安萬侶が申し上げます。 武田祐吉現代語訳の序文が始まりでした。 古事記の世界はメルヘンでファンタジー溢れるお話が綴られます。 太安万侶を敬愛して止まない所以です。 当チャンネルに出会った頃の仮説にも促されてアッチコッチウロチョロしました。 ホント楽しい時間です。 謎解きの楽しさを提供してもらっているお礼に安万侶のお墓参りや稗田阿礼を祀る賣太(めた)神社お参りしました。 今年も新説期待します。

    • @J-history
      @J-history 10 дней назад

      あけましておめでとうございます。 今年もぼちぼちの動画アップになると思いますが、気長にお付き合いください。 よろしくお願いします。

  • @ノラエモン-w7m
    @ノラエモン-w7m 10 дней назад

    犯人は多人長ちゃいまっか( ゚д゚)

    • @J-history
      @J-history 10 дней назад

      あけましておめでとうございます。 多氏が『古事記』に関わっているとすると、その可能性もあるかもしれませんね。

  • @YO-high
    @YO-high 10 дней назад

    あけましておめでとうございます。 これは「その通り」かと思います。もともとあった史書を編纂し直した「史書」にあったものであってると思います。何故日本書紀ではなく古事記に移植されたのかはわかりませんが。。 陰陽五行説みたいなことも書かれてるし、チナの文献を参考にしてとりあえず付けましたって感じなのでしょうかね。

    • @J-history
      @J-history 10 дней назад

      あけましておめでとうございます。 なぜ『古事記』に序文(上表文)が必要だったのかにも疑念がわきますね。 あと、天武天皇にこだわりすぎている点も気になります。 今年もよろしくお願いします。

  • @takedaharuki
    @takedaharuki 10 дней назад

    序文。あらためて名文のように思います。古事記の序文が実は原日本紀の序文の可能性。確かに可能性としてはあるのかも知れません。

    • @J-history
      @J-history 10 дней назад

      あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。 これまで『古事記』についてあまり深く考えたことがなかったのですが、これを機に少し勉強したいと思っています。まあ、ぼちぼちとですが・・・。

  • @ハリボテ砦
    @ハリボテ砦 10 дней назад

    あけましておめでとうございます。 稗田阿礼については、なぜ文字資料があったのに暗記・暗誦する必要があったのかと、たしかに違和感がありますね。なんとなく日本語を漢字で表す表記方法に統一されたルールが無かったため、それらを読み下せるのが稗田阿礼しかいなかったのだろうな、と漠然と考えていましたけど。

    • @J-history
      @J-history 10 дней назад

      あけましておめでとうございます。 「読み習わす」の定義の問題もありますが、いったい稗田阿礼が『古事記』編纂段階においてどのような役割を果たしたのか? 今回の考察でかなり疑問が深まりました。伝承・口承の在り方も関わってはきますが。

  • @岡将男
    @岡将男 10 дней назад

    なるほど、第五ブロックを取れば、確かに天武天皇で繋がるね。ちなみに、皇帝を天皇というのは、則天武后が一時期採用してますね。最近、資治通鑑翻訳をしていて、気がついた。

    • @J-history
      @J-history 10 дней назад

      岡さん、あけましておめでとうございます。今年も早々からお世話になりますが、よろしくお願い申し上げます。 今回の考察で、ますます『古事記』への疑念が深まりました。『古事記』をより深く勉強したとは思いますが、私のライフワークともいえる紀年復元にはあまり役に立たないように感じています。資治通鑑など中国史書の側から、新たな発見がありましたら、ぜひご教示ください。

  • @dry301
    @dry301 10 дней назад

    新年快乐 序文はファンタジー作家で言えばテンプレでしょう、稗田阿礼は口伝の伝承者か、たった4ヶ月で編纂だから原古事記を持ってたかも知れません!

    • @J-history
      @J-history 10 дней назад

      謹賀新年。 今回、稗田阿礼についてはかなり疑念が深まりました。 稗田阿礼の非実在説なども目にしたことがありますが、その可能性もかなり高いのではないかと思うようになりました。

  • @rx6643
    @rx6643 10 дней назад

    『古事記』の序文を通読(?)したことがなかったので勉強になりました。極めて画期的な新説だという風に感じましたえ。 『日本書紀の謎を解く』のα・Β群や推古朝遺文など断片的な単語しか知りませんが、『古事記』の序文というのは日本書紀と同時期程度に古い特徴を兼ね備えた文章なのでしょうか? 後世に取ってつけたみたいな説も見受けられるので、そこらへんの整合性や妥当性でも補強されるなら更に面白くなってきそうですね。 遅くなりましたがあけましておめでとうございます。本年も楽しみにしております。

    • @J-history
      @J-history 10 дней назад

      あけましておめでとうございます。 『古事記』については、成立時期などについて明確でないことや、基本的に編年体史書でないことから紀年復元に用いることができないので、これまでほぼ考察の参考にはしていませんでした。 今年は少し『古事記』についても勉強していきたいと思っています。 引き続きよろしくお願いします。

  • @setsuna0217
    @setsuna0217 11 дней назад

    C14年代法は、相当数のサンプルで確度を上げていった方が良さそうです。 畿内説でも唐古鍵など他の遺跡の方が可能性が高いように思います。

    • @J-history
      @J-history 11 дней назад

      あけましておめでとうございます。 おっしゃるように、できる限り多くのサンプルを分析することが最優先と思います。 ですが、根本的な部分で、C14年代法はピンポイントで年代特定することができないということを認めることが大事だと思っています。 年代特定という視点からみると、もし確実な標準パターンが確立できるのであれば、年輪年代法の方がよほど信頼に足るものだと思っています。ただ、残念なことに現在の年輪年代法は、その論拠となっている基礎データが奈文研独占の非公開となっていますので、第三者の専門家による追検証が不可能と言う残念な状況になっています。

  • @藤井正昭-j1b
    @藤井正昭-j1b 12 дней назад

    皇統の歴史の中では、私も何度かの王朝並立、または交代、簒奪があったのではないかと考えています。 しかし日本においてはヨーロッパや中国のように王朝交代は歴史に残らず、万世一系という事になっているのはとても面白いです。 反面、この皇統を尊ぶ精神が日本の古代史の真実を拗らせている原因とも考えます。 と言う私も2000年続く皇統に誇りを持つ1人ではありますが。

    • @J-history
      @J-history 11 дней назад

      あけましておめでとうございます このチャンネルはヤマト王権成立は301年、天照大神までさかのぼっても200年ごろと考えていますので、1800年ぐらいと思いますが、『日本書紀』を信じれば(それ以後はいったん無視して)、その血は危機を乗り越えつつもつながっているということになります。今年もよろしくお願いします。

  • @あした-e1j
    @あした-e1j 13 дней назад

    まぁ多分気候変動で寒くなって 不作になって荒れてたんやろな。 中国大陸が荒れてた頃に日本も荒れてたん やろな。

    • @J-history
      @J-history 13 дней назад

      古代の気候については、科学的分析からもかなり明らかになってきているようですね。黄巾の乱も気候をはじめさまざまな天災が原因とか?

  • @あいう工夫
    @あいう工夫 13 дней назад

    外来土器で、云々する纏向・畿内説のダブルスタンダードを示します。 纏向・畿内説の外来土器での主張は以下です ①纏向は、東海系の土器を中心に各地の土器が集まっているから、列島に極めて強い影響力が有った ②北部九州の土器の30%は畿内由来のものである、だから纏向・畿内は北部九州を差配していた と云うものです。 明らかに①と②は、逆の論理であり、 ダブルスタンダードです。 ①ならば、列島に影響に強い影響力が有る畿内・纏向由来の土器が、 北部九州に更に集まっており、纏向以上に列島に強い影響力を持っていたとしても良い事になります。 まあ、しかし、そんな事はどうでも良いのです。 外来土器云々で、影響力とか、 そもそも経済的に云えば?って話なので。 古代ローマ帝国の、ローマ首都圏の土器の20%がガリアの物ですが、 ローマ首都圏はガリアに支配されていたり、強い影響力に有ったの? と これだけで、反例が出来てしましいます。 都会とか交易都市なり先進国と、 田舎や後進国では、時代問わず 前者が人口転入超過、コモディティ輸入超過になるのがおおよそです。 何故なら、都会なり交易都市・先進国はどうしても物価なり人件費が高くなってしまうから、 コモディティを作るのは、経済的に コストが高くなり、後進国や田舎より競争力が無いからです。 現在でも、Made inなんとか、というコモディティが巷に溢れています。 北部九州と纏向が、鉄器の農業・工業への利用と、邪馬台国時代の鉄器の出土の数・量、 絹や楽浪土器の出土など見ても どちらが先進地域で大交易都市・國で都会か、 軍事的に強力か、 また後進地域で田舎かは 明らかですのでそれが答えです。 邪馬台国時代の日本だけ、economicsなり交易経済が働いて居なかった、と言うのは極めて無理筋だと考えます。 アダム・スミス風に言えば 神の見えざる手で勝手にそうなる 経済的に見れば、ただそれだけの事で、 殊更 特殊な事例でも無ければ、 どこにでも有るケースだと思うのですが、、、 😅

  • @潤也藤原
    @潤也藤原 15 дней назад

    漢文で世の次に子が続く例は多いのですが、この文章はかなり漢文的ですし、寄生も良く使われる言葉なので身を寄せ、頼って生きると解釈する方が自然かもしれません。聖朝や聖君は例が多いですが国名の前に聖が来る例は他にあるのでしょうか?百済王世々とか百済王世始もありそうです。聖音だと仏教、聖晋だと晋国、聖朝、聖君だと晋朝(王)、倭王(朝)などが寄生する対象になり、世世、世始だとニュアンスが異なります。百済国号の初出はそんなに古くないと思いますがどうでしょう。百済王は世世、聖◯に頼って生きて行きます、又は百済王の世は聖◯に身を寄せて始まっています。それ故に倭の為に百済王の旨造を後世に博く示す、か倭王の為に旨造を後世に博え示す。前半の年号問題は難しいですね。  泰は横線が長くしっかりしているので年号ではなく奉祝、奉天+四海、四方かもしれません。年なら隷書体だとバランスが悪いので珍しい篆書体なのでしょう。海なら山+电のような感じでしょうか、方だと篆書に階段状の部分になるような書体も有るかもしれません。并にも見えますが四つのものを一つにするという意味で文脈的におかしいです。五とされるバランスの悪い十一はどう頑張っても五にならないように思いますが隷書の壱には見えます。十六日は六もハがくっついていて丙に見えてきました。11月の十干支の丙日かも。音又は晋ですが上の部分が罒のような感じもするので聖徳かなと思ったら宮崎市定氏が採用してました。それなら君にもそのような書体があります。干支だけなら286、346、406、466、526年。四が酉であれば369年も酉年、丙午が11月14日。

    • @J-history
      @J-history 15 дней назад

      銘文を詳細に分析されていくことは素晴らしいことだと思います。 このチャンネルは残念ながら自信を持って断定できるまで漢文を読み込む知識がありません。七支刀銘文については文字の欠落が多いことも問題ですが、百済が漢字を使い始めて間がない時期(370年ごろとすれば)ですから、文案作成者がどれほど漢文に熟達していたかも問題だと思っています。 今後、いろいろな金石文が発見されると、総合的にさまざまなことが見えてくるかもしれませんね。期待したいです。

    • @潤也藤原
      @潤也藤原 15 дней назад

      博とする所はかなり溝が残っているようです。すると百済王世子〜故に倭の為に(百済)王の旨造を後世に博く示す、~故に倭王の為に(百済王世子、聖晋(音)の旨造を教え示すでしょうか⋯誰の立場が上なのかでコロコロ訳が変わってしまうし、日本側の要望ならに記録に残りそうですが。旨造は朝鮮王朝實録でよく出て来ますが、 聖晋が候王と認めているという上意なのか、百済王の上から目線なのか、神仏の思し召しなのか?

  • @katayamamakoto
    @katayamamakoto 15 дней назад

    ここが邪馬台国だと仮定すると、狗奴国は一宮か桑名に比定され、戦いは伊勢平野を舞台に繰り広げられたと想像されます。で、邪馬台国は鈴鹿山脈を越えて伊勢に進出し軍事拠点、前線基地を設けました。それが後々伊勢神宮になったところ。卑弥呼は最後に敗走して天岩戸に追いつめられたと、想像します。

  • @宮本孝正
    @宮本孝正 15 дней назад

    紀元復元は大事だが、初代崇神で良いのか。渡来人が王統に加わった事実が隠されたままではないか、との疑問が湧く。

    • @J-history
      @J-history 15 дней назад

      コメントありがとうございます。 もちろん『日本書紀』の内容が重要なことは承知していますが、紀年復元が可能であれば、まずは紀年復元が最優先されるべきだと考えています。 引き続きよろしくお願いします。

  • @ch-ub3cp
    @ch-ub3cp 17 дней назад

    邪馬台国を九州とするロマンあふれる古代史で想像が膨らんでいきます。来年もよろしくおねがいします。

    • @J-history
      @J-history 17 дней назад

      いつもありがとうございます。 邪馬台国については九州以外に考えられないと思っています。 来年もよろしくお願いします。

  • @どうく-p8u
    @どうく-p8u 17 дней назад

    記紀の天皇系図では天照大神の孫のひ孫が神武天皇となっています。ここで天照大神=卑弥呼とすると天照大神の孫のニニギとは卑弥呼の孫の台与と言う事になります。ニニギは天孫降臨していますから台与も九州山門郡の邪馬台国から畿内に天孫降臨して畿内ヤマト国を建国し初代崇神天皇になったと思われます。するとニニギのひ孫の神武天皇とは台与=崇神天皇のひ孫の成務天皇と言う事になります。また成務天皇は武内宿禰と同日生まれと言う事で武内宿禰同一人物説がありますから結局神武天皇とは武内宿禰ではないでしょうか。武内宿禰は南九州の熊本狗奴国出身と思われ、北九州の佐賀あたりの邪馬台国を征伐し畿内に追い払い九州を統一してから三韓征伐して、その後応神東征で大和も従え全国統一し応神天皇=神武天皇となったのではないでしょうか。

    • @J-history
      @J-history 17 дней назад

      コメントありがとうございます。 ちょっと貴説を理解できておりませんが、(念のため)『日本書紀』の系譜では、天照大神→天忍穂耳尊→瓊瓊杵尊→彦火火出見尊→鸕鷀草葺不合尊→神武天皇となっています。このチャンネルは彦火火出見尊=神武天皇=崇神天皇説ですので、初代天皇は天照大神の曾孫ということになります。

  • @abcdwxyz5678
    @abcdwxyz5678 18 дней назад

    貴方の熊本説拝聴させて頂いております。ただ残念ながら「それは貴方の解釈でしょ」で話が終ります。何にも決定的で納得出来る何かは明らかではないです。逆に大した戦闘で無ければ申し述べる必要はないのです。他国に言わなければならない程大きな戦いだったから表明したと見るべき。ならば双方が鉄器を用いての戦闘と云うのが妥当で従来の考え方がなぜ支持されているかと謂えばそれはそれで納得がいくものだからです。

    • @J-history
      @J-history 17 дней назад

      コメントありがとうございます。 まあ、それもabcdwxyz5678さんの解釈ですから、否定はいたしません。