「分銅形土製品」の謎を解く〈吉備の謎|第二弾〉【古墳の界隈012】

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  • Опубликовано: 12 янв 2025

Комментарии • 45

  • @岡上佑の古代史研究室
    @岡上佑の古代史研究室 6 месяцев назад +5

    アップ有難う御座います。分銅型土製品とは、またマニアックなところ来ましたね!古代史は謎だらけ。私は縄文的な香りを感じますね。

    • @J-history
      @J-history  6 месяцев назад +3

      岡上さん、ありがとうございます。
      けっこう重要な遺物のような気もするのですが、不思議なことにあまり研究されていなさそうなのです。人の顔が描かれているものなど見ていると、愛嬌があって親しみさえ感じます。そういう意味では土偶っぽい感じもしますね。

  • @タルト屋
    @タルト屋 6 месяцев назад +2

    いつも興味深く拝見しています。
    とても面白い発想ですね。塩の交易や分銅形土製品ほぼ知識がないので良いキッカケになります。ありがとうございます。

    • @J-history
      @J-history  6 месяцев назад +1

      コメントありがとうございます。
      お役に立ったのであればなによりです。
      ときには珍説のようなものもあるかと思いますが、引き続きよろしくお願いします。

  • @ああああああ-x5s
    @ああああああ-x5s 5 месяцев назад +1

    塩説は大いに有りだと思います。確かに出土する分銅形土製品はどれもこれも形が違ったり壊れて見つかったりしているので割符(?)や手形(?)説というのも面白いですね

    • @J-history
      @J-history  5 месяцев назад

      コメントありがとうございます。
      分銅形土製品は地域的にも時期的にもかなり限定的なものです。吉備の児島付近で始まる西日本の製塩の拡散経緯とうまく合致するのではと思っています。
      あとは使われ方がもっと具体的にイメージできるようになるとよいのですが。
      引き続きよろしくお願いします。

  • @takedaharuki
    @takedaharuki 6 месяцев назад +3

    分銅型土製品。私も興味があって、いろいろ妄想したことがあります。交易と結びつけるのは、なるほどと思いました。

    • @J-history
      @J-history  6 месяцев назад +3

      武田さん、ありがとうございます。
      分銅形土製品はなんかあまり注目されていないようで、逆に気になってしまいました。

    • @takedaharuki
      @takedaharuki 6 месяцев назад +1

      @@J-history 私も分銅形土製品に心ひかれました。

  • @TAJIRI-123
    @TAJIRI-123 6 месяцев назад +2

    「分銅型土製品」初めて知りました。興味深いです。
    自分が持った印象は、「何らかの差別性を持つ証明書的な物」です。
    ①身分証明証的な「通行手形」か、意図的に割って使うなら「割符」、
    ②貨幣の代用として交換かツケに用いた「約束手形」、、、といった用途に一票。

    • @J-history
      @J-history  6 месяцев назад +1

      コメントありがとうございます。
      「約束手形」のような使い方がされたような気はしています。
      ですが、当時は基本的に物々交換でしょうから、貨幣のような使い方ができたのかどうか・・・。なかなか難しいです。
      引き続きよろしくお願いします。

  • @じじりん
    @じじりん 6 месяцев назад +3

    最初に見た感じは、糸をぐるぐると巻いておくものかなと。それとも髪飾りかなとも。
    割れた状態で見つかるものがとても多いということは日常品で使ってるうちに割れてしまうのかな、
    と思っていたところ、
    10:03 「無事に商取引が完了するたびに廃棄されたのかも知れません」
    すごい!
    いつもただただお話を聞くだけで満足しているだけで、実に申し訳ありません。
    古代史新設チャンネルを心より応援しております。失礼します。

    • @J-history
      @J-history  6 месяцев назад +2

      コメントありがとうございます。
      まあ、専門の先生からしたら「何をふざけた妄想を・・・」と言われそうなことを妄想していますが、今後ともよろしくお願いします。

  • @あまべまろ
    @あまべまろ 6 месяцев назад +2

    割られた分銅ですが、売買完了時に2つに割って双方で1つずつ持ち、塩商人が吉備に持ち帰り、本部に取り引き終了を報告したのではないでしょうか😊
    買った側は、領収書代わりに保管です、二重請求されないようにね😮

    • @J-history
      @J-history  6 месяцев назад +2

      コメントありがとうございます。
      そういうこともありそうですね。
      吉備とどこか別の地域から合致する破片が出土すると面白いですね。
      引き続きよろしくお願いします。

  • @kyupytarou
    @kyupytarou 6 месяцев назад +1

    分銅形土製品からのお話ありがとうございます。
    塩の交易に至る考察は驚きです。思いもよりませんでした。
    塩を巡っては信玄と謙信のエピソードを語るまでもなく重要な資源です。
    手塩にかけると言うように身近で暮らしを支えています。
    分銅形を初めて博物館で見たときベルトのバックルを思い浮かべました。縄でも括ったのかな?とか…
    祭祀に使うと言う発想にしてしまうにはあまりに安易です。
    何の形なんでしょう?謎ですね!
    吉備発のネタは興味深いです。吉備だんごだけじゃありませんね!
    そういえば唐古・鍵遺跡からの出土で吉備発の器台ありましたね…
    交易の匂いがしますね!

    • @J-history
      @J-history  6 месяцев назад +1

      コメントありがとうございます。
      そうですね。なぜこの形なのかも謎です。みな似たり寄ったりですが、両側からくびれているのは同じですから、機能的にくびれていなければいけなかったのでしょうね。
      箸墓古墳にも吉備の痕跡は残されていますから、初期ヤマト王権に吉備勢力がいたことは間違いないと思います。
      引き続きよろしくお願いします。

    • @kyupytarou
      @kyupytarou 6 месяцев назад +1

      @@J-history
      トラックドライバーやってます。
      そうだ!
      荷札だ!
      物を運ぶ時梱包したり養生したり古代でも一緒!
      ムシロやらで覆って縄で括る。どこから来たのかわかるように目印を付ける。両サイドからヒモをくぐらせて表をむけて荷札…
      なーんてね!
      荷札 荷札…

    • @J-history
      @J-history  6 месяцев назад +1

      @@kyupytarou ご返信ありがとうございます。
      荷札の可能性は高そうですね。

  • @YO-high
    @YO-high 6 месяцев назад +3

    全くの当てずっぽうですが、「配達伝票」のような感じがいたしました。
    品物の移動に際してこれを一緒に持って行って、届けたら割ってたんじゃないかなぁ。
    または、最初から2つに割っておいて、届けたら「合わせる」ことで確認。(室町時代の「勘合貿易」のような感じ?)
    うーん、古代にそれほどのことがあったのかも疑問ですが、正直よくわかりません。(※封泥のような概念はあったはずです。)

    • @J-history
      @J-history  6 месяцев назад +2

      コメントありがとうございます。
      おっしゃるような感じですよね。ですが、なかなかしっくりくる想定ができないので悩んでいます。
      ただ、今回、塩について考えていて、塩の商人はいただろうという確信めいたものは感じることができました。

  • @鈴木二郎-x6l
    @鈴木二郎-x6l 6 месяцев назад +2

    或いは割符みたいに割った土器を販売と購入で分けて持っていたとか?

    • @J-history
      @J-history  6 месяцев назад +1

      コメントありがとうございます。
      おっしゃるように割符みたいな用途は考えられますよね。ただ、商人の存在を想定すると、生産者と商人と顧客の三者がどのように分銅形土製品を使ったのかが、なかなかイメージできません。。。
      引き続きよろしくお願いします。

  • @橋本博之-k6i
    @橋本博之-k6i 6 месяцев назад +1

    後の時代の荷札説は有力かなと思います。
    最初は吉備地域を中心としたコメや塩の流通に用いた重量計測用の分銅かなと思いましたが、大きさがそんなに不ぞろいではないから重量計測用「文字通りの天秤に使った重し・分銅」の役には立たない。
    重さが100グラム程度や10㎏程度まで様々有ればそれこそ分銅なんですがね。
    仮に新設のように荷札だったら相手を識別できる文字や記号が彫られていないと役に立たないから、このような土製品をさらに発掘出来たらもっとも古い文字が発見できるかもですね。

    • @J-history
      @J-history  6 месяцев назад +2

      コメントありがとうございます。
      おそらくこれからもたくさん出土すると思いますので、解明につながる一枚が出土するのを楽しみにしておきましょう。
      引き続きよろしくお願いします。

  • @elelsse
    @elelsse 5 месяцев назад +1

    古代の吉備が塩を独占ですか・・🤔 
    日本がもし内陸の国であれば特定の地域が塩を独占的に製造、販売する事も出来るかもしれませんが生憎日本列島は海に囲まれてますからねぇ・・。
    塩の製造を特定地域が独占するのは日本の環境下では難しいんじゃないでしょうか?

    • @J-history
      @J-history  5 месяцев назад +1

      コメントありがとうございます。
      たばこと塩の博物館の製塩土器の編年表と、分銅形土製品の出土分布が対応しているのではないかと思われます。
      ずっと吉備が塩を独占できたわけではなく、独占は弥生中期から後期のある時期までであって、ほかの地域が製塩をはじめると自然消滅するような感じで考えています。
      引き続きよろしくお願いします。

  • @隆一西
    @隆一西 6 месяцев назад +2

    こんにちは!楽しく拝見させて頂きました😚分銅形土製品、大変興味深いですね( ・ิω・ิ)出土分布は九州では福岡までという共通点から、土笛文化圏と何かしら深い関係ありそうですね(¯―¯٥)

    • @J-history
      @J-history  6 месяцев назад +1

      コメントありがとうございます。
      土笛の分布の詳細は理解しておりませんが、弥生時代に、国々(クニグニ)の枠を越えて商人が活動していたのは確かだろうと思います。
      土笛もまだ用途が確定されていない謎の遺物ですよね。

    • @隆一西
      @隆一西 6 месяцев назад +1

      土笛も九州では宗像市で1つしか出土例無く貴重ですよね🙄なお分銅形土製品の九州出土は奴国比定地の須玖岡本遺跡のみみたいですが、邪馬台国時代で重要な伊都国の交易都市機能を持った今宿五郎江遺跡や御床松原遺跡などからは出土してないのも気になります(¯―¯٥)

    • @J-history
      @J-history  6 месяцев назад +1

      @@隆一西 コメントありがとうございます。
      北部九州は、中国・朝鮮半島ルートから塩が入ってきていたのでしょうかね。

    • @隆一西
      @隆一西 6 месяцев назад +1

      ご返信ありがとうございます。御床松原遺跡から中国の貨泉も出土してますんで、水銀朱などと同様に塩も中国と直接取引していたのかもですね( ・ิω・ิ)なお、LIVEで皆様と古代史共有させて頂きあっという間でしたwまた来週も楽しみですね😚

    • @J-history
      @J-history  6 месяцев назад

      @@隆一西
      古荘さんのライブ、いつも楽しいですね。古荘さんの仕切りもうまいので、いい意味で盛り上がっていると思います。

  • @ancientJapanesehistorywithMAP
    @ancientJapanesehistorywithMAP 6 месяцев назад

    古代の塩。いやあ忘れてました。アフリカから出た人類が発展したのは塩を大量に食べるようになったからだとか。ないと死ぬし、製塩による吉備の影響というのは、纏向につながる古代史の大国柱かもしれないですね

    • @J-history
      @J-history  6 месяцев назад +1

      古荘さん、ありがとうございます。
      そうなのです。西日本の製塩(土器)発祥が弥生中期の児島というのが、吉備勢力伸長の原動力だったように思えてきました。

  • @s-yo
    @s-yo 6 месяцев назад +1

    塩!それだ( ゜д ゜)ノ!!砂糖!!
    三国志の関羽も塩商人だったはず!!
    塩が無ければ生きて行けない。
    同じように砂糖もサトウキビは沖縄が有名ですが当時九州でも採れたかも知れない!
    鉄だけじゃなくて塩、砂糖は金になるはず。
    明石の塩?伯方の塩?
    海塩は日本各地採れたかもだけど砂糖は難しかったと思われる。
    日本も戦前とか砂糖は高級品だったと聞いています。

    • @J-history
      @J-history  6 месяцев назад +2

      コメントありがとうございます。
      そのうち塩と関係するものと一緒に分銅形土製品が出土すると面白いのですが。

  • @谷地利徳
    @谷地利徳 6 месяцев назад

    4:15 遅ればせながら。
    この運動型土星人の「うらの絵」に「上に光を放ち、岩を見ていて、饒速日命の絵のような格好で、短髪気味で、懿徳天皇の様に2つ団子の髪型のキリストみたいな顔した🧔」が見えませんか?
    説明下手ですいません!

    • @谷地利徳
      @谷地利徳 6 месяцев назад

      すいません運動型土星人ではなく分銅形土製品でした。わけわからん冗談半分の陰謀論に出てきそうな奴、古代史さんが紹介する訳ありません。

    • @谷地利徳
      @谷地利徳 6 месяцев назад

      後、その🧔?の右足元のところに◎がありますがこれは塩取引後のはんこみたいなものと妄想できません?

    • @J-history
      @J-history  6 месяцев назад +1

      @@谷地利徳 コメントありがとうございます。
      運動型土星人はキャプテンウルトラとかに出てきそうですね。
      ◎、言われるとたしかにそのようにも見えますね。いろいろ妄想が広がります。分銅形土製品について、これまであまり真剣に研究されてこなかったような気もしますので、総合的に考えてほしいですね。

  • @masamasaict7312
    @masamasaict7312 6 месяцев назад +1

    分かった!そもそも邪馬台国と記紀を同列に並べるのが、間違い。現代と戦国時代くらいの差がある。だから畿内だー九州だーっていう無限ループに陥る。

    • @J-history
      @J-history  6 месяцев назад +1

      コメントありがとうございました。