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何度観ても面白いですねー。それぞれの氏族黎明期は興味深いです。
いつもご視聴ありがとうございます!コメント遅くなって申し訳ありません。氏族黎明期だけで幾つ動画になるのか、見当もつきません!沼です笑
今回も大変勉強になりました!このシリーズ大好きです♪
いつもご視聴ありがとう御座います!氏族シリーズ、好評のようで嬉しいです!古代氏族だけであと幾つもあるので、楽しみにしていてください!!
アップ待ち焦がれてました!😆
いつもご視聴ありがとう御座います!なかなか動画のアップ頻度が上がらず申し訳ございません。待ち焦がれて下さっていると聞くと、もっと頑張る気力に繋がります!!
また面白そうなCh見つけたぞ!
ご視聴ありがとう御座います!結城屋の動画を見つけてくれて有難うございます!!
大伴氏ではないけど史学科のゼミ講義で日本三代実録の伴善男の応天門の変を読んだ時、応天門は元々中国風の名前になる前は大伴門であったという説、そこをガードしてたのが大伴氏(伴氏)だ という先生の話を思い出した
海行かば 水漬く屍 山行かば 草生す屍 大君の辺に こそ死なめ かへり見はせじ
ご視聴ありがとう御座います!大伴家持!!
侍とは侍る者ですね。大伴氏、カッコいい!
大伴氏はカッコいいですよね!僕も特に好きな氏族です!
この時代、本当にそそられます!
いつもご視聴ありがとう御座います!!古代史は面白いですよね!ああ、古墳とか遺跡に旅行に行きたい!笑
高校の日本史の教師がグレート伴造と教えてくれてましたな。
ご視聴ありがとう御座います!グレート伴造!笑記憶に残る教え方ですね!その先生の授業、面白そうですね!
大伴氏が大君の親衛隊。武士のルーツなのでしょうか。かっこいいです。氏族の黎明期は興味深い
ご視聴ありがとう御座います!武士のルーツというと語弊があるかもしれませんが、武士という概念的な精神集団の元祖とは言えるのではないでしょうか。
配信ありがとうございます✨大伴氏かっこいいです✨準国歌とも言われる『海ゆかば』は、万葉集の大伴家持の長歌から歌詞が抜粋されてますね。武士のルーツは桓武朝の健児制度(?)だと思っていますが、「武士道」の精神の素地を築いたのは大伴氏だったのではないかと思います。
いつもご視聴ありがとう御座います!さすが、大伴家持が出てきますね!家持は大伴氏後編でエピローグ担当なので、ここでは控えめにしておきます笑武士の始まりは、制度としては平安時代の「北面」からかと思います。概念としては荘園を守るために武装を始めた地方豪族が「武士」のはじめと言われることが多いですが、武士の本貫を鑑みれば、元祖は大伴氏だと考えて差し支えないと思います!
@@nihonshi さん私の感想ですと、『北面の武士』は貴人に仕える『侍』の始まりで、武士=戦闘の専門 家は平安時代の中期ぐらいには出現していたんじゃないかと想像してます。理由としては、平安末期に大江匡房?の『闘戦経』がある事と、鎌倉初期の大鎧の完成度が凄く高い事です。(機能性と装飾美の両方兼ね備えてる!👀)大混乱の源平合戦中には鎧の品質向上させてる余裕は無かったと思うし、鎌倉幕府が成立して落ち着いてからだと、そんなに武具の性能アップに知恵絞る必要あるかなぁ?と。一般的には『荘園』を護る為と言われてますけど、荘園を襲う“盗賊”と戦う為だけに、あんな武装が必要だろうか?と疑問に思うわけで、、、偏見かもしれないけど、盗賊は貧乏だから、大した武器体持って無さそうで、体力も無さそうだし🤔それが、あんな重装備で武士が歴史に登場して来るのだから、平安の都で貴族達が和歌詠んでいた一方で、地方では武闘集団どうしの土地の奪い合いが始まっていたのではないか?と妄想膨らませております。大伴氏◦◦王君の剣とも盾とも忠誠を尽くした大伴氏の衰退は、とても残念で悲しいのですが、どうしてそうなってしまったのか?気になるところです。後編楽しみにお待ちしてます✨🤗
@@雨の菫 さま中世の武士団に関しては、古代史並みに語るべきことが多すぎて、一言では言えないです笑武具の発展は、戦乱時というのが常です。派手に飾るのは武家貴族のみで、坂東武者などは鎌倉樹立後におもむろに飾り始めます。武家貴族が飾る理由も、動画2~3本ぐらいの理由があって、これは古代史とは違って明確に説明が出来るのですが、これもその時代の動画まで楽しみに待っていてください!平安後期あたりからはあまり考察を挟まないでもすらすら原稿が書けるようになるでしょうから、動画もスピードアップできるかもしれないです笑武具の歴史なんて動画も、面白いかもしれませんね!
@@nihonshi さん『武具の歴史』面白そうです✨武人埴輪の武装は、古代中国の武装と同じに見えます。いったい、いつ頃から武具も“国風”になったのか?興味あります!未だ未だ先の配信になりそうですが🤭、悠長に古代史を噛み締めつつ…武士の時代を待ちたいと思います。
初めて拝見させて頂きました!すごく内容が面白くて、画像も美しくて凝ってて素晴らしい!! と感動致しました👑✨ あと、大伴のプリンス?と他の命(ミコト)たちのキャラが本当にカッコよくて、見惚れました…💖
ご視聴ありがとう御座います!楽しんで頂けたなら嬉しいです!イラストを褒めていただけると、恥ずかしながら嬉しいです笑是非、他の動画も見ていって下さい!今後ともよろしくお願いいたします!!
@@nihonshi イラスト、ご本人様が描いてらっしゃるのですね❗😆 私、趣味でイラストやマンガ描いているのですが、この動画のキャラ達の、髪型、クールな表情、装束、立ち姿やポーズ(あ、ちびキャラもカワイイ♡) 、古代人のイラストって描くのがむずかしい気がするのですが、すっかり気に入ってしまいました💖 他のも見させて頂きます🙏ありがとうございました✨
@@norikom.763 さま僕は動画に使いたい古代の人物や神様のイラストが著作権フリーで存在しないことが多いので、仕方なく描き始めたぐらいなので、イラストは全く素人に毛が生えた程度のものです。ですので気に入ってくださったならとても嬉しいです!服装など「その時代にあり得ないだろ!」というお叱りをよく受けますが、イラストは素人なので許してください!って感じで描いてます。笑以前は「女性キャラの露出が多すぎる!」って怒られたので、最近は控えめにしています。笑noriko m.さんはイラストや漫画を描いてらっしゃるのでしたら、今後ともアドバイスをお願いします!
@@nihonshi さま、アドバイスなんてとんでもございません! おそれ多いです!😂 結城屋さまの描く古代人や神々の装束は、オリジナリティがあって私は好きです。(ちょっと今風💫な感じもありますよね。まだ他の動画見れてないのですが…) 私は装束に関してはあまり細かいことは気にせず、イマジネーションふくらませて、楽しく描くのが一番かな~って気がします。(だって描いて、彩色するのって大変💦) だから好きな風に描いていいのではないかと。なんといっても結城屋さまの世界なので✨長くなってすみません!過去の動画もすごく面白そうなので、少しずつ見ていきますね。また、コメントいれるかも。よろしくお願いいたします🌝
@@norikom.763 さま有難うございます!そう言ってもらえると、心強いです!ぜひ他の動画も見て、感想を聞かせてください。今後ともよろしくお願いいたします!!
神の時代である神話から人の時代である歴史へ・・・浪漫の塊の時代ですね。
いつもご視聴ありがとう御座います!その通りですね!氏族をテーマに動画を作ってゆくと、そうした移り変わりも表現できることに気が付きました!
氏族のことはほとんど知らなかったので、氏族深掘りシリーズを聞いていると、いつもいくつも示唆を受けます。ニギハヤヒやヤマトタケル、仏教や景教などに関わり、ああっこういうことなのか!?と思うことが多いのです。今回の大伴氏もそうでした。大伴氏二つあるやん!!なんかおかしいな、って違和感を感じてたのに、言われるまで気が付かなかった!!あと、ライダーキック!!もしかしたらオトウカシと関係があるかもしれませんね。・・・ないかww
いつもご視聴ありがとう御座います!ライダーキック、有難うございます!笑氏族に分けて動画にした方が分かり易いのかもしれないですね!今までは時期に区切って動画を作ったり、テーマに沿って作っていたのですが、一度重要どころの氏族をピックアップして動画にしてしまおうと思っています。オトウカシとの関連も、無いとは言えないと思います!同じ纏向周辺の地元民ですからね!
大伴といえば、三十六歌仙のひとりで奈良時代の大伴家持しか知らなかったので、もしかしたら古代から続いていたのでしょうか?
ご視聴ありがとう御座います!大伴家持は今回の動画の大伴氏の末裔です!
阿蘇にも、水が溜まっていた阿蘇カルデラを阿蘇大明神が蹴破って水を抜き、稲作ができるようにしたと言う伝説がありますよ!湯布院にも蹴破って水抜き系の伝承があるとは知らなかったです。おもしろい!
ご視聴ありがとう御座います!阿蘇にもそうした伝承があるのですね!もしかしたら九州にはおなじみのストーリーなのかもしれません。因みに由布院の伝承は、地質学的には湖であったという事実は無いそうです。ですのでもしかしたら、阿蘇の伝承が大元なのかもしれません。
大伴氏の深掘り考察ありがとうございます!大伴氏のルーツは出雲口伝では天孫族が来る以前からいた出雲族という説は聞いた事あります。神話から天孫族を先導し、親衛隊としても大王家を支えた名族ですね!大伴氏(神別氏族)から派生した同族の空海を生んだ佐伯氏などと共に奈良時代ぐらいまで親衛隊または随身として大王家を支えた歴史がありますね!
ご視聴ありがとう御座います!出雲族は神武東征以前から奈良盆地に多く移住していた可能性があるので、あり得るお話しだと思います。大伴氏は古代の武士道の元祖的な立ち位置に居て、カッコいいですよね!
とても面白かったです。信濃の武家、真田の先祖である楢原氏(平安遷都後は滋野朝臣と名乗る)と同族の紀氏の紹介を希望します。
ご視聴ありがとう御座います!面白く見ていただけたのであれば、幸いです。楢原氏は少し時代が下っての豪族というよりは武士なので、その時代になったら考察の候補に入れさせてください。木氏は掘り下げるのがとても難しい氏族なので時間が必要ですが、トライしてみます!
地元は膳の大伴の方で丸に三つ柏、神代文字の埴が30枚ぐらいあったのを聖徳太子が持って行った…とかいうヘンテコな噂が有り、ググっていたら大神宮(安房神社)に秦河勝が取りに来て神様から直に託された的な現代語訳が学芸員大学の論文?リポジトリとかいうのが以前は読めて書いてあり、耳のつく名前の皇子と推古天皇の会話が書かれていた記憶です。偽書らしいですが…爺さん婆さんしか居ない田舎に何時から伝わっている噂だろうとビックリしました。原実さんの先代旧事本紀と大成経はまだネットで見れて大成経出現の段落にある泡輪宮?と書いてあるのが安房大神宮の事です。表向きは忌部氏の地になってます何故だろう?論文はたぶん女性の方。面白かったのに今はみれなくて残念。
ご視聴ありがとう御座います!興味深いお話ですね!ちょっと調べてみます!忌部氏というか、忌部は有力どころの豪族、特にヤマト王権サイドの豪族にはどこでも持っていたであろう部民なので、全国にその末裔の方々は存在します。中臣氏に追いやられてしまうので、中臣氏や藤原氏の勢力圏では姿を消しますが、皇室系などの豪族の元には残っていたのだと思います。
ご返事ありがとうございます!めっちや田舎の神社なのにずっと綺麗な神社で好きな所です「Tateyama Field Museum」ページのmoreをクリックすると洞窟遺跡の発掘記や干潮時に砂浜に現れる特殊遺跡について見れます😊先代旧事本紀は東京学芸大学のリポジトリで『神代皇代大成経序』というのが読めたのですが今は『聖徳太子を中心に』の一つ前の番号のしか見れないです😢
@@uchinopc2620 さま貴重な情報ありがとうございます!見てみます!!
続きが気になりますね。任那事件で国史で永久に罵られるあの人出ますかね、
ご視聴ありがとう御座います!もちろん!大伴氏黄金期のお方ですから!!ご期待に添えるよう、頑張ります!
@@nihonshi もち、聖徳太子の嫁もたのむ
承知しました笑マニアックですね笑飛鳥時代はちょっと先になりますが、いずれトライします!
丁寧な説明で知的好奇心をくすぐられて面白いです。できれば、コテンラジオさんとかみたいにどんな書籍を参考にしてるかなど概要に書いてくれればもっといいかな、と。
ご視聴ありがとう御座います!このご希望はよくコメントで頂くのですが、実は決まった参考図書はいつも無いんです笑テーマに沿って、色々な書籍やネットのブログ、地元のブログ、当該地域のHP、寺社のHP、グーグルアースでの散策などをまとめて動画にしています。書籍も教科書や資料集的な物ばかりで、どなたかの論文的書籍は先入観が入ってしまうのでパラパラ程度にしか読まないです。あまりお役に立てず、申し訳ないです。
大伴・佐伯!!待ってました!動画有り難う御座います。動画みて120%納得しました。大伴と佐伯の伝承が被るから、同一人物と妄想してたんですけど、同じグループだったんですね。動画の補足にならない?かもですが、伊賀の大彦命の家系図には、美濃の金山姫の第2王子の武伊賀津彦の子孫が、膳部【後の高橋氏】になり、天智天皇に繫がるようです。推測では、伊賀采女と繫がる意味では?無いかと。30年前に読んだ書籍には、16代様の高津宮の頃、佐伯氏は、住吉浜から通いで近衛と壬生【家庭教師】をしてと書いてあり、その壬生の佐伯氏が空海さんで、空海さんは、兄弟、従兄弟、などから、文字を習いサンスクリット語まで習得したのだとか?時代考証すると、関東の人達は、富士山の噴火で壊滅的な被害があったから、瀬戸内に引越させて貰えたのかも?楽楽福神社の伝承や十市姫の歯黒皇子の伝承にも、自然災害で山陰や瀬戸内が乱れ、歯黒皇子から吉備津彦の活躍に変わり讃岐鎮圧のストーリーとなりますから。【忍】系統は、太郎坊、天之忍穂耳の系統と推測します。熊野大社の氏神は、天之火明。天之忍穂耳の第1皇子ですから。【忍】を持ってますよね。12代様と五十河姫の第1皇子が神櫛皇子で初代、讃岐公になり、第2皇子が佐伯氏になりますから、大伴や佐伯氏に入り婿したのでは?無いでしょうか?伊予の神社の宮司さん、佐伯さんが務めてるようで、希に喜多氏が宮司になった時もあり、越智喜多古系統の喜多氏?四国・喜多郡由来なのかも?しれません。主と別々で調べてるのに、伝承や歴史が繫がるのが、日本古代史の魅力。尤も記紀の時代にセットされた、子孫達のメッセージボックスと考えれば、同じストーリーへと、昇華していくんですけど(笑)名張、夏見、春日大社の奥の宮の積田神社と湖南・夏見新田・石部・近所に天兒屋根の神社。謎探偵困難は、今日も謎推理して古代史を楽しんでいます(笑)
いつもご視聴ありがとう御座います!そしていつも深いお話をありがとうございます!じっくり読んで、知識にさせていただきます!
天孫降臨に従軍してきたのに、最期が残念、
ご視聴ありがとう御座います!まあ大伴氏は滅亡したわけでは無いので、勝ち組じゃないですかね?
いつもありがとうございます。古代史を見事にストーリーにして本当にすごいと思います。「佐伯」の地名は中四国にいくつか残っていますが、まさかそんな由来だったとは驚きです。
いつもご視聴ありがとう御座います!そう言って下さると嬉しいです!原稿を書き上げるのが一番力を入れるパートなので、ストーリーを褒めていただけると嬉しいです!これからも応援よろしくお願いいたします!!
大変興味深い内容でした。私自身の家系が応天門の変で流罪となった伴善男の末裔にあたると伝わっているので、大伴氏のことについての色々と知れて良かったです。さらなる深ぼり解説があればまた見たいです。
ご視聴ありがとう御座います!大伴氏の本荘筋なのですね、凄い!何か家に伝わる秘伝などはありませんか?あったらこっそり教えて下さい!!大伴氏の活躍は続編以降でも続々とご紹介していきますので、よろしくお願いいたします!
上記(うえつふみ)鸕鶿草葺不合系譜参考。①物部氏=天皇家男天照の天照国照彦天火明櫛玉饒速日の物部開祖饒速日(彦火明=火照=海幸彦)と市杵島姫の子彦穂穂出見(山幸彦)の子彦渚武=鸕鶿草葺不合の子嫡子、彦五瀬、次男、新羅建国王の稲飯(稲氷)、三男、三毛入野、末子、神日本磐余彦(神武天皇)和田氏系譜統合②和田氏男天照の天照国照彦天火明櫛玉饒速日の物部開祖饒速日(彦火明=火照=海幸彦)と市杵島姫の子彦穂穂出見(山幸彦)の子彦渚武=鸕鶿草葺不合の子嫡子、彦五瀬、次男、宇摩志麻冶‥熊野本宮大社旧神主家、和田氏(和田氏系譜に鈴木氏が居ます。)(和田氏では宇摩志麻冶は饒速日と磯城登美家の登美長髄彦の妹の登美夜毘売との子とされて居ます。)(伊勢で饒速日が朝廷の命で息子の宇摩志麻冶の手で殺害されるお話ですね。だから伊勢に天照が祀られてる訳です。)(今だと饒速日が長髄彦を殺害し神武天皇に下るとか宇摩志麻冶が長髄彦を殺害し神武天皇に投降などに成ってますねw)(とっ言う事は饒速日は伊勢で死なず丹後国の比沼麻奈爲神社の元伊勢で亡くなり比沼麻奈爲神社から籠神社や今伊勢の伊勢神宮に御魂分けが正しいんでしょうねっ!)(伊勢で饒速日が死んだは元伊勢と今伊勢が南北朝時代争い勝った時に男天照の御霊の場所を今伊勢としたデッチ上げか)(そりゃあ、これまで天皇家が伊勢神宮に参拝しなかった訳だぁ‥。)(コメントしながら謎が解けてスッキリしました。)出雲族酋長富家口伝伝承にある海部氏系譜参考。③大伴氏男天照の天照国照彦天火明櫛玉饒速日の物部開祖饒速日(彦火明)と高照姫の子香語山(五十猛は尾張氏始祖)の子天村雲(渡会氏始祖)の子嫡男、天御影(海部氏始祖)、次男、神八井耳(中臣鎌足祖)、末子、沼川耳の子八井耳(意富・多氏始祖)意富・多氏で意富多々沼古で大田田根子が大伴氏始祖ですね。※女性の持統天皇が男天照を自身の権威を高める為に祖先を女神天照大御神に性転換させたのです。
何度観ても面白いですねー。それぞれの氏族黎明期は興味深いです。
いつもご視聴ありがとうございます!
コメント遅くなって申し訳ありません。
氏族黎明期だけで幾つ動画になるのか、見当もつきません!沼です笑
今回も大変勉強になりました!このシリーズ大好きです♪
いつもご視聴ありがとう御座います!
氏族シリーズ、好評のようで嬉しいです!
古代氏族だけであと幾つもあるので、楽しみにしていてください!!
アップ待ち焦がれてました!😆
いつもご視聴ありがとう御座います!
なかなか動画のアップ頻度が上がらず申し訳ございません。
待ち焦がれて下さっていると聞くと、もっと頑張る気力に繋がります!!
また面白そうなCh見つけたぞ!
ご視聴ありがとう御座います!
結城屋の動画を見つけてくれて有難うございます!!
大伴氏ではないけど史学科のゼミ講義で日本三代実録の伴善男の応天門の変を読んだ時、
応天門は元々中国風の名前になる前は大伴門であったという説、そこをガードしてたのが大伴氏(伴氏)だ という先生の話を思い出した
海行かば 水漬く屍 山行かば 草生す屍 大君の辺に こそ死なめ かへり見はせじ
ご視聴ありがとう御座います!
大伴家持!!
侍とは侍る者ですね。大伴氏、カッコいい!
大伴氏はカッコいいですよね!
僕も特に好きな氏族です!
この時代、本当にそそられます!
いつもご視聴ありがとう御座います!!
古代史は面白いですよね!
ああ、古墳とか遺跡に旅行に行きたい!笑
高校の日本史の教師がグレート伴造と教えてくれてましたな。
ご視聴ありがとう御座います!
グレート伴造!笑
記憶に残る教え方ですね!
その先生の授業、面白そうですね!
大伴氏が大君の親衛隊。武士のルーツなのでしょうか。かっこいいです。
氏族の黎明期は興味深い
ご視聴ありがとう御座います!
武士のルーツというと語弊があるかもしれませんが、武士という概念的な精神集団の元祖とは言えるのではないでしょうか。
配信ありがとうございます✨
大伴氏かっこいいです✨
準国歌とも言われる『海ゆかば』は、万葉集の大伴家持の長歌から歌詞が抜粋されてますね。
武士のルーツは桓武朝の健児制度(?)だと思っていますが、「武士道」の精神の素地を築いたのは大伴氏だったのではないかと思います。
いつもご視聴ありがとう御座います!
さすが、大伴家持が出てきますね!
家持は大伴氏後編でエピローグ担当なので、ここでは控えめにしておきます笑
武士の始まりは、制度としては平安時代の「北面」からかと思います。
概念としては荘園を守るために武装を始めた地方豪族が「武士」のはじめと言われることが多いですが、武士の本貫を鑑みれば、元祖は大伴氏だと考えて差し支えないと思います!
@@nihonshi さん
私の感想ですと、『北面の武士』は貴人に仕える『侍』の始まりで、武士=戦闘の専門 家は平安時代の中期ぐらいには出現していたんじゃないかと想像してます。
理由としては、平安末期に大江匡房?の『闘戦経』がある事と、鎌倉初期の大鎧の完成度が凄く高い事です。(機能性と装飾美の両方兼ね備えてる!👀)
大混乱の源平合戦中には鎧の品質向上させてる余裕は無かったと思うし、鎌倉幕府が成立して落ち着いてからだと、そんなに武具の性能アップに知恵絞る必要あるかなぁ?と。
一般的には『荘園』を護る為と言われてますけど、荘園を襲う“盗賊”と戦う為だけに、あんな武装が必要だろうか?と疑問に思うわけで、、、
偏見かもしれないけど、盗賊は貧乏だから、大した武器体持って無さそうで、体力も無さそうだし🤔
それが、あんな重装備で武士が歴史に登場して来るのだから、平安の都で貴族達が和歌詠んでいた一方で、地方では武闘集団どうしの土地の奪い合いが始まっていたのではないか?と妄想膨らませております。
大伴氏◦◦王君の剣とも盾とも忠誠を尽くした大伴氏の衰退は、とても残念で悲しいのですが、どうしてそうなってしまったのか?気になるところです。後編楽しみにお待ちしてます✨🤗
@@雨の菫 さま
中世の武士団に関しては、古代史並みに語るべきことが多すぎて、一言では言えないです笑
武具の発展は、戦乱時というのが常です。
派手に飾るのは武家貴族のみで、坂東武者などは鎌倉樹立後におもむろに飾り始めます。
武家貴族が飾る理由も、動画2~3本ぐらいの理由があって、これは古代史とは違って明確に説明が出来るのですが、これもその時代の動画まで楽しみに待っていてください!
平安後期あたりからはあまり考察を挟まないでもすらすら原稿が書けるようになるでしょうから、動画もスピードアップできるかもしれないです笑
武具の歴史なんて動画も、面白いかもしれませんね!
@@nihonshi さん
『武具の歴史』面白そうです✨
武人埴輪の武装は、古代中国の武装と同じに見えます。
いったい、いつ頃から武具も“国風”になったのか?興味あります!
未だ未だ先の配信になりそうですが🤭、悠長に古代史を噛み締めつつ…
武士の時代を待ちたいと思います。
初めて拝見させて頂きました!すごく内容が面白くて、画像も美しくて凝ってて素晴らしい!! と感動致しました👑✨ あと、大伴のプリンス?と他の命(ミコト)たちのキャラが本当にカッコよくて、見惚れました…💖
ご視聴ありがとう御座います!
楽しんで頂けたなら嬉しいです!
イラストを褒めていただけると、恥ずかしながら嬉しいです笑
是非、他の動画も見ていって下さい!
今後ともよろしくお願いいたします!!
@@nihonshi イラスト、ご本人様が描いてらっしゃるのですね❗😆 私、趣味でイラストやマンガ描いているのですが、この動画のキャラ達の、髪型、クールな表情、装束、立ち姿やポーズ(あ、ちびキャラもカワイイ♡) 、古代人のイラストって描くのがむずかしい気がするのですが、すっかり気に入ってしまいました💖
他のも見させて頂きます🙏ありがとうございました✨
@@norikom.763 さま
僕は動画に使いたい古代の人物や神様のイラストが著作権フリーで存在しないことが多いので、仕方なく描き始めたぐらいなので、イラストは全く素人に毛が生えた程度のものです。
ですので気に入ってくださったならとても嬉しいです!
服装など「その時代にあり得ないだろ!」というお叱りをよく受けますが、イラストは素人なので許してください!って感じで描いてます。笑
以前は「女性キャラの露出が多すぎる!」って怒られたので、最近は控えめにしています。笑
noriko m.さんはイラストや漫画を描いてらっしゃるのでしたら、今後ともアドバイスをお願いします!
@@nihonshi さま、アドバイスなんてとんでもございません! おそれ多いです!😂 結城屋さまの描く古代人や神々の装束は、オリジナリティがあって私は好きです。(ちょっと今風💫な感じもありますよね。まだ他の動画見れてないのですが…) 私は装束に関してはあまり細かいことは気にせず、イマジネーションふくらませて、楽しく描くのが一番かな~って気がします。(だって描いて、彩色するのって大変💦) だから好きな風に描いていいのではないかと。なんといっても結城屋さまの世界なので✨長くなってすみません!過去の動画もすごく面白そうなので、少しずつ見ていきますね。また、コメントいれるかも。よろしくお願いいたします🌝
@@norikom.763 さま
有難うございます!
そう言ってもらえると、心強いです!
ぜひ他の動画も見て、感想を聞かせてください。
今後ともよろしくお願いいたします!!
神の時代である神話から
人の時代である歴史へ・・・
浪漫の塊の時代ですね。
いつもご視聴ありがとう御座います!
その通りですね!
氏族をテーマに動画を作ってゆくと、そうした移り変わりも表現できることに気が付きました!
氏族のことはほとんど知らなかったので、氏族深掘りシリーズを聞いていると、いつもいくつも示唆を受けます。
ニギハヤヒやヤマトタケル、仏教や景教などに関わり、ああっこういうことなのか!?と思うことが多いのです。
今回の大伴氏もそうでした。
大伴氏二つあるやん!!なんかおかしいな、って違和感を感じてたのに、言われるまで気が付かなかった!!
あと、ライダーキック!!もしかしたらオトウカシと関係があるかもしれませんね。・・・ないかww
いつもご視聴ありがとう御座います!
ライダーキック、有難うございます!笑
氏族に分けて動画にした方が分かり易いのかもしれないですね!
今までは時期に区切って動画を作ったり、テーマに沿って作っていたのですが、一度重要どころの氏族をピックアップして動画にしてしまおうと思っています。
オトウカシとの関連も、無いとは言えないと思います!
同じ纏向周辺の地元民ですからね!
大伴といえば、三十六歌仙のひとりで奈良時代の大伴家持しか知らなかったので、もしかしたら古代から続いていたのでしょうか?
ご視聴ありがとう御座います!
大伴家持は今回の動画の大伴氏の末裔です!
阿蘇にも、水が溜まっていた阿蘇カルデラを阿蘇大明神が蹴破って水を抜き、稲作ができるようにしたと言う伝説がありますよ!湯布院にも蹴破って水抜き系の伝承があるとは知らなかったです。おもしろい!
ご視聴ありがとう御座います!
阿蘇にもそうした伝承があるのですね!
もしかしたら九州にはおなじみのストーリーなのかもしれません。
因みに由布院の伝承は、地質学的には湖であったという事実は無いそうです。
ですのでもしかしたら、阿蘇の伝承が大元なのかもしれません。
大伴氏の深掘り考察ありがとうございます!
大伴氏のルーツは出雲口伝では天孫族が来る以前からいた出雲族という説は聞いた事あります。神話から天孫族を先導し、親衛隊としても大王家を支えた名族ですね!
大伴氏(神別氏族)から派生した同族の空海を生んだ佐伯氏などと共に奈良時代ぐらいまで親衛隊または随身として大王家を支えた歴史がありますね!
ご視聴ありがとう御座います!
出雲族は神武東征以前から奈良盆地に多く移住していた可能性があるので、あり得るお話しだと思います。
大伴氏は古代の武士道の元祖的な立ち位置に居て、カッコいいですよね!
とても面白かったです。
信濃の武家、真田の先祖である楢原氏(平安遷都後は滋野朝臣と名乗る)と同族の紀氏の紹介を希望します。
ご視聴ありがとう御座います!
面白く見ていただけたのであれば、幸いです。
楢原氏は少し時代が下っての豪族というよりは武士なので、その時代になったら考察の候補に入れさせてください。
木氏は掘り下げるのがとても難しい氏族なので時間が必要ですが、トライしてみます!
地元は膳の大伴の方で丸に三つ柏、神代文字の埴が30枚ぐらいあったのを聖徳太子が持って行った…とかいうヘンテコな噂が有り、ググっていたら大神宮(安房神社)に秦河勝が取りに来て神様から直に託された的な現代語訳が学芸員大学の論文?リポジトリとかいうのが以前は読めて書いてあり、耳のつく名前の皇子と推古天皇の会話が書かれていた記憶です。偽書らしいですが…爺さん婆さんしか居ない田舎に何時から伝わっている噂だろうとビックリしました。原実さんの先代旧事本紀と大成経はまだネットで見れて大成経出現の段落にある泡輪宮?と書いてあるのが安房大神宮の事です。表向きは忌部氏の地になってます何故だろう?論文はたぶん女性の方。面白かったのに今はみれなくて残念。
ご視聴ありがとう御座います!
興味深いお話ですね!
ちょっと調べてみます!
忌部氏というか、忌部は有力どころの豪族、特にヤマト王権サイドの豪族にはどこでも持っていたであろう部民なので、全国にその末裔の方々は存在します。
中臣氏に追いやられてしまうので、中臣氏や藤原氏の勢力圏では姿を消しますが、皇室系などの豪族の元には残っていたのだと思います。
ご返事ありがとうございます!めっちや田舎の神社なのにずっと綺麗な神社で好きな所です「Tateyama Field Museum」ページのmoreをクリックすると洞窟遺跡の発掘記や干潮時に砂浜に現れる特殊遺跡について見れます😊先代旧事本紀は東京学芸大学のリポジトリで『神代皇代大成経序』というのが読めたのですが今は『聖徳太子を中心に』の一つ前の番号のしか見れないです😢
@@uchinopc2620 さま
貴重な情報ありがとうございます!
見てみます!!
続きが気になりますね。任那事件で国史で永久に罵られるあの人出ますかね、
ご視聴ありがとう御座います!
もちろん!
大伴氏黄金期のお方ですから!!
ご期待に添えるよう、頑張ります!
@@nihonshi もち、聖徳太子の嫁もたのむ
承知しました笑
マニアックですね笑
飛鳥時代はちょっと先になりますが、いずれトライします!
丁寧な説明で知的好奇心をくすぐられて面白いです。できれば、コテンラジオさんとかみたいにどんな書籍を参考にしてるかなど概要に書いてくれればもっといいかな、と。
ご視聴ありがとう御座います!
このご希望はよくコメントで頂くのですが、実は決まった参考図書はいつも無いんです笑
テーマに沿って、色々な書籍やネットのブログ、地元のブログ、当該地域のHP、寺社のHP、グーグルアースでの散策などをまとめて動画にしています。
書籍も教科書や資料集的な物ばかりで、どなたかの論文的書籍は先入観が入ってしまうのでパラパラ程度にしか読まないです。
あまりお役に立てず、申し訳ないです。
大伴・佐伯!!待ってました!
動画有り難う御座います。
動画みて120%納得しました。
大伴と佐伯の伝承が被るから、同一人物と妄想してたんですけど、同じグループだったんですね。
動画の補足にならない?かもですが、伊賀の大彦命の家系図には、
美濃の金山姫の第2王子の武伊賀津彦の子孫が、膳部【後の高橋氏】になり、天智天皇に繫がるようです。推測では、伊賀采女と繫がる意味では?無いかと。
30年前に読んだ書籍には、16代様の高津宮の頃、佐伯氏は、住吉浜から通いで近衛と壬生【家庭教師】をしてと書いてあり、その壬生の佐伯氏が空海さんで、空海さんは、兄弟、従兄弟、などから、文字を習いサンスクリット語まで習得したのだとか?
時代考証すると、関東の人達は、富士山の噴火で壊滅的な被害があったから、瀬戸内に引越させて貰えたのかも?楽楽福神社の伝承や十市姫の歯黒皇子の伝承にも、自然災害で山陰や瀬戸内が乱れ、歯黒皇子から吉備津彦の活躍に変わり讃岐鎮圧のストーリーとなりますから。
【忍】系統は、太郎坊、天之忍穂耳の系統と推測します。熊野大社の氏神は、天之火明。天之忍穂耳の第1皇子ですから。
【忍】を持ってますよね。
12代様と五十河姫の第1皇子が神櫛皇子で初代、讃岐公になり、第2皇子が佐伯氏になりますから、
大伴や佐伯氏に入り婿したのでは?無いでしょうか?
伊予の神社の宮司さん、佐伯さんが務めてるようで、希に喜多氏が宮司になった時もあり、越智喜多古系統の喜多氏?四国・喜多郡由来なのかも?しれません。
主と別々で調べてるのに、伝承や歴史が繫がるのが、日本古代史の魅力。
尤も記紀の時代にセットされた、子孫達のメッセージボックスと考えれば、同じストーリーへと、昇華していくんですけど(笑)
名張、夏見、春日大社の奥の宮の積田神社と
湖南・夏見新田・石部・近所に天兒屋根の神社。
謎探偵困難は、今日も謎推理して古代史を楽しんでいます(笑)
いつもご視聴ありがとう御座います!
そしていつも深いお話をありがとうございます!
じっくり読んで、知識にさせていただきます!
天孫降臨に従軍してきたのに、最期が残念、
ご視聴ありがとう御座います!
まあ大伴氏は滅亡したわけでは無いので、勝ち組じゃないですかね?
いつもありがとうございます。古代史を見事にストーリーにして本当にすごいと思います。
「佐伯」の地名は中四国にいくつか残っていますが、まさかそんな由来だったとは驚きです。
いつもご視聴ありがとう御座います!
そう言って下さると嬉しいです!
原稿を書き上げるのが一番力を入れるパートなので、ストーリーを褒めていただけると嬉しいです!
これからも応援よろしくお願いいたします!!
大変興味深い内容でした。
私自身の家系が応天門の変で流罪となった伴善男の末裔にあたると伝わっているので、大伴氏のことについての色々と知れて良かったです。
さらなる深ぼり解説があればまた見たいです。
ご視聴ありがとう御座います!
大伴氏の本荘筋なのですね、凄い!
何か家に伝わる秘伝などはありませんか?
あったらこっそり教えて下さい!!
大伴氏の活躍は続編以降でも続々とご紹介していきますので、よろしくお願いいたします!
上記(うえつふみ)鸕鶿草葺不合系譜参考。
①物部氏=天皇家
男天照の天照国照彦天火明櫛玉饒速日の物部開祖饒速日(彦火明=火照=海幸彦)と市杵島姫の子
彦穂穂出見(山幸彦)の子
彦渚武=鸕鶿草葺不合の子
嫡子、彦五瀬、次男、新羅建国王の稲飯(稲氷)、三男、三毛入野、末子、神日本磐余彦(神武天皇)
和田氏系譜統合
②和田氏
男天照の天照国照彦天火明櫛玉饒速日の物部開祖饒速日(彦火明=火照=海幸彦)と市杵島姫の子
彦穂穂出見(山幸彦)の子
彦渚武=鸕鶿草葺不合の子
嫡子、彦五瀬、次男、宇摩志麻冶‥熊野本宮大社旧神主家、和田氏(和田氏系譜に鈴木氏が居ます。)
(和田氏では宇摩志麻冶は饒速日と磯城登美家の登美長髄彦の妹の登美夜毘売との子とされて居ます。)
(伊勢で饒速日が朝廷の命で息子の宇摩志麻冶の手で殺害されるお話ですね。だから伊勢に天照が祀られてる訳です。)
(今だと饒速日が長髄彦を殺害し神武天皇に下るとか宇摩志麻冶が長髄彦を殺害し神武天皇に投降などに成ってますねw)
(とっ言う事は饒速日は伊勢で死なず丹後国の比沼麻奈爲神社の元伊勢で亡くなり比沼麻奈爲神社から籠神社や今伊勢の伊勢神宮に御魂分けが正しいんでしょうねっ!)
(伊勢で饒速日が死んだは元伊勢と今伊勢が南北朝時代争い勝った時に男天照の御霊の場所を今伊勢としたデッチ上げか)
(そりゃあ、これまで天皇家が伊勢神宮に参拝しなかった訳だぁ‥。)(コメントしながら謎が解けてスッキリしました。)
出雲族酋長富家口伝伝承にある海部氏系譜参考。
③大伴氏
男天照の天照国照彦天火明櫛玉饒速日の物部開祖饒速日(彦火明)と高照姫の子
香語山(五十猛は尾張氏始祖)の子
天村雲(渡会氏始祖)の子
嫡男、天御影(海部氏始祖)、次男、神八井耳(中臣鎌足祖)、末子、沼川耳の子
八井耳(意富・多氏始祖)
意富・多氏で意富多々沼古で大田田根子が大伴氏始祖ですね。
※女性の持統天皇が男天照を自身の権威を高める為に祖先を女神天照大御神に性転換させたのです。