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クオリティーが高すぎて驚きまくっています。
ご視聴ありがとう御座います!お褒め頂き、光栄です!他の動画も楽しんでくだされば幸いです!
謀小説から『和邇は彦坐王』とういうイメージです。琵琶湖線に和邇駅があるので和邇一族ってあの辺りに関係していたのかなぁと思っていましたが、奈良にも和邇という地名があるのですね。大津にある石坐神社には天智天皇と大友皇子のほか彦坐王も祀られています。
ご視聴ありがとう御座います!その某小説、恐らく僕も読んだと思います。他の視聴者様に教えていただいたのですが、面白いですよね。和邇=彦坐王というのは、僕は正しい解釈だと考えています。滋賀県の和邇関連の地域、ぜひ行ってみたいです!石坐神社は結城屋の動画「日子坐王~後編~」でも取り上げさせていただきました。良かったらご覧になってください!
彦坐王は記紀では開化天皇の皇子で、和珥氏とは一概に言えないのですよね氷室冴子さんは、彦坐王の母親が和珥氏の姫だから和珥氏だと言う事にしたのでしょう。彼が実在の人物であるかどうか議論があるのですが。多分、氷室さんの言う通り和珥氏の長だったと思います「臣」の姓の氏族は、大和朝廷初期に大王の一族と連合を組んだ。かつての国の王の一族と考えられていますし彦坐王自身が、実際に大王と血縁関係があったかどうかは疑わしいと思います。記紀編纂時には豪族たちは、どのように天皇家と関係があるかが、その格を決めるのに重要でしたから古代の有力豪族だった和珥氏を天皇家の分家とするために彦坐王を開化天皇の御子ということにしたのだろうな。
自分のルーツの話はとても興味深いです。この動画を見つけられてよかった。
ご視聴ありがとう御座います!和邇氏をルーツにお持ちなのですね!素晴らしいです!!和邇氏は今後もしばしば登場すると思いますので、楽しみにしていてください!
イラスト素敵ですね
古代の日本海側って重要な役割が与えられてるはずなのになんか記載が少ないような気がしてたのですが、ヤマトとは別の王国、彦坐王の登場で納得しました。武烈天皇のあとに継体天皇が選ばれ、またヤマト入りに時間がかかったのもこの辺りに理由がありそうですね。
ご視聴ありがとう御座います!その後徐々にヤマト王権へと統合されていったのでしょうが、記紀には大王は常に一人でないと都合が悪いので、他の王国の詳細は記録されなかったのではないかと思います。継体天皇の大和入りも、恐らくそのあたりが関係していると思います。いずれ深掘り動画で掘り下げたいと思っています!
今回も非常に楽しませていただきました。ありがとうございます。応神、雄略、継体、欽明と古代でポイントになりそうな天皇に嫁いでいるのは気になりますね。次回も楽しみです。
いつもご視聴ありがとう御座います!そのポイントになりそうな大王たちの深掘りも、また奥深いんですよね!古代氏族シリーズが概ね出し終わったら、本編で深掘りしてゆきたいと思っています!
和邇氏と聞いて因幡の白兎が思い浮かんだんですがあれも古代の勢力争いが関係したお話なんですかね?
いつもご視聴ありがとう御座います!他のかたのコメントにも書いたので重複してしまいますが、因幡の素兎のお話しには色々な考察がありまして、その一つに「和邇族」と「宇佐族」の対立と描いたのではないかという説があります。ということは、出雲は「宇佐族」を助けたということになりますね。
@@nihonshi いつも丁寧な返信ありがとうございます♪
今日もありがとう御座います。😃✌️💞
いつもご視聴ありがとう御座います!こちらこそ、ありがとう御座います!!
理にかなった推察に惹かれます。大和王権と対立せず対等な付き合いをしていた氏族がいてもおかしくないですね。和邇と聞くと因幡の白兎を思い出します。
ご視聴ありがとう御座います!楽しいで頂けたのなら嬉しいです!ヤマト王権と対等な国は、多く存在したと思います。それが自然ですし。ちょうど最新動画が稲羽之素莵なので、よかったらそちらもご覧ください!
どうもありがとうございます。テキストがあって、素晴らしい映画です。とても役になります。
ご視聴ありがとう御座います!こちらこそ、楽しんで頂けたなら嬉しいです!他の動画も是非、ご覧になってください!
今回もたまりませんね❤この時代こんなにも惹かれてしまうのはなぜだろう。このシリーズ映画化してほしいです。キャラクターイメージ結城屋さんのイラストのままで!
いつもご視聴ありがとう御座います!そんなに褒められると!照れますね笑!ありがとうございます!!古代史は無限に妄想できることが、最大の魅力では無いでしょうか!!
永久保貴一先生のカルラ舞う、で和邇氏がでてきたので、めっちゃ嬉しいです!永久保先生の推理と、結城さんの推理が古代史では一番好きです。
こちらもご視聴ありがとう御座います!「カルラ舞う」は気になっていたのですが、まだ読んだことが無くって。ちょっと読んでみようかな!良かったら他の氏族の動画も、ご覧になってくださいね!
関西に住んでいます。今度、滋賀県の和邇に行ってみます!DNAを刺激する動画配信ありがとうございます!もしお願い出来れば、平安京遷都以前の京都の状況などおわかりでしたら教えてください。賀茂氏と秦氏や他の豪族と天皇家の関係など気になってます。
いつもご視聴ありがとう御座います!滋賀県の和邇、羨ましいです!僕も行ってみたい!!京都が都になる前の深掘りですね、承知しました!賀茂氏の動画で深掘りできればと思います!
ありがとうございます。賀茂氏と秦氏の繋がりなんかも気になってます。また、聖徳太子も訪れてますし、その辺もあって色々と妄想しています。
@@SA-ql8nl さまご期待に添えるよう、考察しっかり頑張ります!次回は中臣氏を考えているのですが、そこでもちょっと京都に触れると思います。秦氏も賀茂氏も、もちろん個別で作ります!
@@nihonshi ありがとうございます!そこも京都繋がりで、気になっていました。たしか山科が拠点だったような?楽しみにしています。
何だか今回の動画の雰囲気…心地良い✨リズム?が夢の中で動く時と一緒かも❤
いつもご視聴ありがとう御座います!心地いいっていうのは、最上級の誉め言葉ですね!(勝手に解釈)嬉しいです!もしかしたら、uchinopc2620さんも、遥か古代の先祖は和邇族なのかも!
和爾下神社の近くに住んでいます。東大寺山古墳の剣が意味深です。また突然いなくなったのも不思議です。
ご視聴ありがとう御座います!羨ましい場所にお住いですね!東大寺山古墳の鉄剣は、それだけで動画に出来そうな遺物ですよね!和邇氏がどうなったのかは、続編にて深掘りしてゆきたいと思っていますので、楽しみにしていてください!
和邇近くに住んでいます。図書館でチラと小野氏を追ったりもしましたご、頭がゴチャって理解を拒否してしまいました。こちらの一連の動画はイメージもつきやすく面白くてとても好きです。滋賀県も歴史が深くて嬉しくなりました。
ご視聴ありがとうございます!返信が遅くなって申し訳ありません!!面白いと思って頂けて、光栄です!滋賀県はもう歴史ロマンの宝庫ですよ!!他の動画も楽しんで頂ければ嬉しいです。今後ともよろしくお願いいたします!!
今後のご活躍を楽しみにしています。ホントに‼️
@@knyaru さま嬉しいです!ご期待に添えるよう、頑張ります!!
因幡の白兎に出てくるワニも和邇氏と関係があるのでしょうか。継体天皇は近江出身で北陸の治めていた王でした和邇氏と関係があるのか気になります。
ご視聴ありがとう御座います!因幡の白兎はいろいろな考察がありまして、例えば「和邇族」と「宇佐族」の対立の物語などとも言われたりしています。両方とも海洋民ですからね。そのような古代の民族の物語を擬人化した動物で表したのかもしれませんね。深掘りの余地ありです!オホドノオオキミ継体天皇のお話しはいずれ深掘り動画を作りますので期待していて欲しいのですが、関係があるかないかでいえば、有ると思います!
継体天皇は越前だよ。北陸納めた?ワニ氏?知らんよ。納めてだのは継体であり 違う氏やで
更新ありがとうございます。わ〜一コメ、偶然AIが出してきました。じっくり拝聴いたします
いつもご視聴ありがとう御座います!深夜だったのにご視聴第1号!有難いです!!
地元の古墳は和邇氏か尾張氏の系類が祀られていたと見て興味を持ってた
ご視聴ありがとう御座います!良いですね!地元にそうした古代氏族の遺物があるのは、そそられますね!!
尾張と和邇は建国時代の確執がありますよ!四世紀ごろから和邇氏が尾張を支配した模様です!さるカニ合戦は建国時代の仇討ち話を民話にしたものです。詳しくは拙ブログをご参照ください。お邪魔しました😊
大阪府枚方市に王仁公園(わにこうえん)という場所がある。和邇氏と関係がありそうに思っています。
ご視聴ありがとう御座います!こちらは渡来系氏族の雰囲気が醸し出されていると感じています。秦氏などで触れられたら掘り下げてみます!
奈良県の天理市にも和爾町という「和爾氏」の名が残る集落が残っています。
ご視聴ありがとう御座います!動画中でもご紹介している、赤土山古墳などの地域ですよね?
なるほど!!!すごくなっとくしました。
ご視聴ありがとう御座います!このお話は僕の古代妄想解釈も大いに含まれておりますが、納得して頂けて嬉しいです!
滋賀県湖西線の和邇駅の隣り駅 小野一族の特集もお願いします。ちなみに滋賀県滋賀郡志賀町は大津市になりました。
ご視聴ありがとう御座います!淡海は細かく深掘ってゆきたいと思っているので、いずれ考察したいと思います!大津市ってでかくなりすぎじゃないですか!笑
秀真伝では、山陰山陽の地域はサホコチタルと呼ばれていました。サホコとは三鉾、チタルとは、血足るへと繋がり、海人族へと繋がっている様に感じます…。
ご視聴ありがとう御座います!これは興味深いお話をありがとうございます!ちょっと調べてみます!!
有難うございます。とてもいい解説です。和邇氏はヤマト王権成立の過程を調べていてその正体が分かりました。ヒントは東大寺山古墳群付近にある和邇坐赤坂比古神社の御祭神二柱が宗像氏が祀る神々だったことで確信できました。つまり主祭神がアタカタスノミコトとイチキシマヒメだったのです。前者が宋史王年代紀第17代王伊弉諾尊の妃となったイザナミの父だと推理しました。つまり和邇氏はムナカタの一族で玄界灘を主な活動域とした縄文系の海人族だったのです。この後にイチキシマヒメが卑弥呼だったという話まで行こうと思ったのですが、そこに至るまでにちょっと説明が長くなり過ぎたので、拙ブログにて記事にしました。よろしければ、お越しいただき、疑問点などをコメントしてくださるとありがたいです。
ご視聴ありがとう御座います!やはり宗像と繋がってきますよね。宇佐との関連も気になるし。九州の古代史を掘り下げると、底なし沼に陥りますね!是非、ブログを拝見したいです。URLとか、タイトルなどお教えいただければ嬉しいです!よろしくお願いいたします!
和爾氏ってもしかして、元は女系氏族だったんじゃないかな。なんだか天津神と国津神に、もう一つ綿津神って分けてもいいのかもしれませんね!🦈…あれ…、もしかしてワニゴン?ワニゴンじゃない久しぶりー!!一瞬バラゴンかと思った見違えたよーやだー今までどこで何してたの~?🤣
いつもご視聴ありがとう御座います!そうなんですよ。同族の三上氏や春日氏には、女系氏族の痕跡も多く見られますからね。そして何より、息長氏といえば、女帝のパイオニアですから。ワニゴンに声をかけてくれるなんて!こっそり最後に数秒なのに!ありがたや~!!バラゴンもびっくり大喜びです!!
っていうより。古代日本は母系社会であり。男系はそれほど重視される社会ではなかったのでしょう。魏志倭人伝には倭人は数人の妻がいたと記録されています。これは一夫多妻というより、多夫多妻であったと考えられ。結婚という制度が現在のわれわれが考えるより、ずっと緩い社会だったのでしょう記紀編纂時の七世紀になれば、中国の影響で男系が重視されるようになり。伝承されている史実もそれに合わせて変化したのだと思います崇神天皇や景行天皇の時代は文章のような資料はなかったでしょうしもともと記紀に先立つ帝辞・旧辞などに書かれた内容も口伝で伝えられた伝承が頼りだったでしょうしだから余計に変化が生じたのではないかとも思いますが
天孫降臨以来の同盟国っていう立ち位置ですか?
ご視聴ありがとう御座います!天孫降臨が神話なのでいつのことか不明確ですが、はるか以前の海洋民と農耕民としての時代から、隣国同士の付き合いがあったとしたら素敵ですよね。同盟というよりも、数百年かけて共存してきたんじゃないでしょうか?
確かに航海の民ですね。彼ら一歩早く来倭した天孫族か、はたまた、辰韓と山陰、若狭が近い事を考えると辰王の系譜なのか、興味尽きません。辰王系譜なら権威王朝として后妃を出し続けたのも納得なのですが。
いつもご視聴ありがとう御座います!辰王などの系譜というのも、浪漫が尽きないですね!!和邇氏は本当に幅の広い考察が出来る氏族です!!後編の原稿は実はできているのですが、もっと見直しが必要かもしれません。
滋賀県の湖西線の駅に和邇駅あります。湖西といえば、小野妹子とか継体天皇の出生地です。どちらも渡来系の強い人物だと思います。小野氏は和邇氏の血筋ですし。やっぱり、大陸から渡来系氏族なんでしょうか?
先祖だから繋がりある話あるわ
ご視聴ありがとう御座います!何か伝わっているお話などありますか?興味あります!
@@nihonshi 土地の境界を先祖がずっと守っていたらしいです。シュメール語だかアッカド語でアモンとか言うらしいです。先祖がいた場所が神田さんしかいない不思議な場所です。槍が大量にあって、西郷隆盛とか黒田清隆と繋がりがあったらしいです。変なサビサビの剣みたいのをずっと大事にしていて、長男しか相続出来ない変な仕組みがあります
和邇氏は尾張氏です。
ご視聴ありがとう御座います!同じ海洋系の民族ですからね。尾張氏も、いずれ掘り下げてゆきたいお思っています!
@@user-ikesan さま素晴らしい見識をお持ちですね!動画にしたら面白い動画になると思います!
継体天皇は滋賀県高島の産まれで、父は彦主人王。和邇氏と関係ありそうな?
意味深なところに気が付いちゃいましたね!!いずれ継体天皇は単体で深掘りしようと思っています。ご期待ください!
ありがとうございます。期待して待ってます!
継体天皇の妃にワニ氏の娘いるわ
大王を出さないという選択があったんですか
いつも大変興味深く視聴させて頂いております。今回の代々妃を送っている件、私は人質としての性格が強いのではないかと考えます。人質だから外戚にもなれない。如何でしょうか。
いつもご視聴ありがとう御座います!なるほど、一理ありますね。代々人質に妃を出しているということは、その習わし以前に対立や従属関係になる出来事があったのかもしれません。和邇氏は王権内の継承問題に深く絡んでくるので、考察の幅が広くて、浪漫の尽きない氏族ですね!
安曇族との関係は?
ご視聴ありがとう御座います!安曇氏との関連はいずれ深掘りしてみたいと思っています。和邇氏や安曇氏だけでなく、古代海洋氏族にフォーカスした深掘りが出来たらと思っています。
和邇氏は本来的に葛城氏と並ぶ軍事氏族であって、葛城氏との軍事的対立に敗退してしまい、天皇家の婚姻氏族化してしまったのではないでしょうか?逆にそのおかげで、滅亡せず大伴氏、物部氏に系統を用いられ存続出来た?
こちらもご視聴ありがとう御座います!和邇氏に関しては、むしろ最大のライバルは大王家や同族だったと僕は考えています。それが後の誉田別や神功皇后、延いては継体天皇のお話しに複雑に絡んでくるのではないかと。古代日本史は、海洋民と農耕民のお話しで、「海と太陽の物語」といったタイトルが相応しいと思っています。海の代表が素戔嗚尊であり、その素戔嗚尊を頂く民族の代表こそ和邇氏で、太陽の代表が天照大御神であり、ヤマト王権だと考えています。和邇氏の続編は和邇氏だけにとどまらず、「息長氏」「安氏」「河上氏」など、同族海洋民たちの絡みも見え隠れしています。他にも海洋民は日本にはたくさんいるので、他種族海洋民も絡んで、なかなかの歴史ドラマになってきます。なるべく分かり易く動画に出来るよう、頑張ります!
以前は半島とのどうこうを刺激的に感じましたが、色々読んでみると本当の説得力はあんまり。古代からあれだけ皇統に拘ったのをみると現代の我々が考えるように誤魔化せる話ではなかったと思うようになりました。海洋やサメの話なら南西諸島方面は無視出来ませんし、西部日本海での対馬海流の影響は大きい。日本は人類発祥地ではないですから、人種や民族が固定する前にあちこち経由したり色んな場所から来て混血したのでしょうけど、敢えてメインを考えるなら西か南なんかなと思います。
ご視聴ありがとう御座います!人類が長い年月をかけて世界中をあらゆるルートで移動して、今の日本列島にたどり着いた人々がいたのだと思います。しかも日本がゴールとなった民族もいれば、通過点になった民族もいたはずです。おっしゃる通り、そういったあらゆる人類の足跡と、自然災害などの要因が絡み合って、今の日本に繋がる雛形が出来上がっていったのでは無いでしょうか。半島からの流入ももちろんあったでしょうが、逆に半島や大陸、南海、極東ロシアへの流出もあったはずです。矢印は常に同じ方向を向いていたはずはないと、僕は思っています。
@@nihonshi ご丁寧な返信有り難う存じます。一方的でないのは特に有史以前はそうだと思いますよ。例えば土器の発明はどちらかといえば多元的と思えますけど、東アジアでの発祥と中心は日本列島で、逆に大陸沿岸に伝わった可能性の方が強くて、諸事実に照らすと合理的だと私は思います。
視聴させて頂いて思ったんですが、仮にヤマトと和邇の両王国並立体制が的を得てらした場合、ローマが史実においてエトルリア人の王国に支配されてた過去のいわゆる汚点をローマ人が手ずから選挙でエトルリア人の王を推戴したと改竄して歴史に残した事よろしく古事記において、さも和邇氏はヤマトに従う氏族の一派で、その流れを汲む崇神帝も特に問題なく登極に至った様に描写されているのが、実は史実では開化帝の治世で和邇(入彦)王朝と根子彦朝大和王国との間で戦争が起こってて、結果的に前者が勝利を収めてウィリアム征服王よろしく崇神帝ないしは彦坐王が和邇に加えて大和の玉座も手に入れた、あるいは彦坐王が和邇朝そのものの権威を高からしめようと一族から適当な一人を見出して大和の王位に着けて、それが崇神帝だったみたいな経緯があってもおかしくなさそうだなぁと…海運を司っているなら必然的に大陸側の先進技術もいち早く知覚して取り入れ得た訳ですから当時の大和に対して技術的軍事的優位にあってもおかしくありませんし、開化帝がいきなり北に遷都したのも対和邇王朝に備える為だったとすれば筋が通りますし、四道将軍の活躍で領土が急拡大したのも農耕国家大和のマンパワーと和邇の先進技術と造船・操船技術の融和の賜物と見れば納得いきますそうなると崇神帝がいきなり万世一系宣言なさる、あるいは、なししめられるのも色々何かしらのきな臭い意図を感じざるを得ませんね…
その後手前勝手に深掘りしてみればなんかいい感じの考察が出来たのでここに開化帝討たれ和邇系の崇神朝到来↓仲哀帝まで続くも天皇が熊襲に討たれたことにより権威を失墜し、つもりに積もった大和系氏族の反乱、首魁は神功皇后↓忍熊皇子率いる中央政府が鎮圧にあたるも失敗(即ち大和側の反乱の成就)、結果和邇はここにて大和の諸侯の一つとして臣従を余儀なくされた他ホムダワケ(応神帝)の出生により新たにワケ(葛城)朝が成立し彼の成人までは神功皇后が摂政として事実上の元首を担う↓王朝交替に伴う朝鮮諸国との外交関係の再確定の為に神功皇后が同半島へ出征(※以上二つの事績は記紀では逆に記されていて、特に三韓征伐の際は神功皇后は身籠ったままだったとされてるのは有名だが、和邇勢力が政権を維持してるか否やに問わず、自明な反対勢力が国内に存在しているにも関わらず外征を試みるのは言うまでもなく無理がある上に、古事記では362年に朝鮮に攻め入ったとあるのに対して朝鮮側の三国史記では364年に倭に攻め入られたとある他、そもそも身籠ったまま指揮を執って大勝を挙げたというのがファンタジーが過ぎるので、恐らく直前の仲哀帝の愚昧な様を演出する託宣のエピソードも含めて中国由来の易姓革命の理念に倣い王朝交替を正当性する為に後代に改竄されたものと思われる)↓結果が芳しくなかったので後年において改めて腹心の襲津彦始めとする遠征軍を派遣し今度は朝貢関係を取り付けるに至る倭奴国→和邇国?(中国は非漢人国家についてめいめいの支配民族の名称をそのまま国名として扱う習わしがあった)↓金印は代々王家の間でレガリアとして伝承されてきたが熊襲遠征途中に紛失or熊襲の手に渡った?(古事記による仲哀帝の没地は筑前、金印の出土地も筑前)↓よって中国の封臣としての王朝の権威を失い反乱勃発、しかし大陸との盛んな接触によりいち早く取り入れた父系社会の伝統は継承に都合が良かったのでその後も大和に残った
ご視聴ありがとう御座います!これは筋の通ったストーリーだと思います。僕の考察とちょっとだけ違うところがありますが、話は納得の筋立てでした。大いにあり得るお話ですよね。僕は倭と淡海の共存と考察しましたが、対立と併呑というストーリーも納得できます。近いうちにホンダワケ応神天皇の皇位継承のお話しや継体天皇のお話しも深掘りしますので、そのときは是非またご意見をお聞かせください!!
まったく違和感ないですね。ホンダワケや神功皇后を、僕は和邇氏側だと解釈していますが、このストーリーも違和感が無いです。ありがとうございます!
@@nihonshi逐一の丁寧なご返信ありがとうございます当動画の次回や神功皇后と応神帝編全裸待機させて頂きます🙇
@@Taizongdoingexercise さま頑張って全裸制作いたします!!
崇神天皇と彦坐王の関係性彼らに似ているような気がします。山幸彦と海幸彦そして山幸彦は綿津見大神に出会い・・・綿津見=龍神ワニ=サメ=龍そういえば、因幡の白兎もワニ=サメを騙して酷い目にあっていますよね。
いつもご視聴ありがとう御座います!そういう解釈もできますね。記紀の物語は繰り返しの物語なので、海洋民と農耕民の物語がそのように繰り返し綴られているのかもしれません。やはり和邇氏にインスパイアされるのは因幡の素兎が多いですね。このお話も、深掘りしてみようか考えてみます。
近江は秦氏の勢力範囲ではなかったのしょうか?古くは都怒我阿羅斯等であったり、神功皇后の九州侵攻の出発点であった様に覚えています。王仁(わに)と言う学者が応神天応の末息子の教育係として半島から呼ばれたのは記憶しています。儒教を学んだ末息子が仁徳天皇part1で、3年で長子に殺されその長子が仁徳天皇part2になるわけですが、、。part1菟道稚郎子皇子 part2大鷦鷯皇子
ご視聴ありがとう御座います。それはこの動画の時代とは違う時代のお話しですね。秦氏の動画もいずれ作りますので、良かったら見てください。
皇后ですか?
和邇氏は海洋民族の末裔だとするご意見にはある程度同意します。滋賀県大津市「元の志賀町」に有る和邇地域は海運「湖運」に秀でた人達が琵琶湖内に於いて湖運を営んでいたのでしょう。後にはやや南方の堅田に移動した。何れにしても、日本海で生計を立てていた渡来系の末裔だったと推測します。朝鮮半島には大和民族の小国が有った様ですし、敦賀や小浜・若狭・越前地域は半島から近い。海運は必要な職業。古代は道路と言っても里道や山の麓道だったから、大量の物品搬送は船でしょうから、琵琶湖の水運は重要な位置を占めていたと思います。当時の湖西志賀町地域は農耕には狭すぎる地形でもありますしね!和邇駅の近くには「蓬莱」の地名も有りますし、大陸由来の名前の様に感じますし、六世紀には越前と高島市に由緒の有る継体天皇も琵琶湖を経て大和地域にお渡りになった。和邇氏は重要な役割を持っていたが、大王輩出までは行かなかったのは、水運担当だったのではないかと思います。
ご視聴ありがとう御座います!ご同意いただき、嬉しいです。今後とも結城屋の動画をよろしくお願いいたします!
クオリティーが高すぎて驚きまくっています。
ご視聴ありがとう御座います!
お褒め頂き、光栄です!
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謀小説から『和邇は彦坐王』とういうイメージです。
琵琶湖線に和邇駅があるので和邇一族ってあの辺りに関係していたのかなぁと思っていましたが、奈良にも和邇という地名があるのですね。
大津にある石坐神社には天智天皇と大友皇子のほか彦坐王も祀られています。
ご視聴ありがとう御座います!
その某小説、恐らく僕も読んだと思います。
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和邇=彦坐王というのは、僕は正しい解釈だと考えています。
滋賀県の和邇関連の地域、ぜひ行ってみたいです!
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良かったらご覧になってください!
彦坐王は記紀では開化天皇の皇子で、和珥氏とは一概に言えないのですよね
氷室冴子さんは、彦坐王の母親が和珥氏の姫だから和珥氏だと言う事にしたのでしょう。
彼が実在の人物であるかどうか議論があるのですが。
多分、氷室さんの言う通り和珥氏の長だったと思います
「臣」の姓の氏族は、大和朝廷初期に大王の一族と連合を組んだ。かつての国の王の一族と考えられていますし
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記紀編纂時には豪族たちは、どのように天皇家と関係があるかが、その格を決めるのに重要でしたから
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自分のルーツの話はとても興味深いです。この動画を見つけられてよかった。
ご視聴ありがとう御座います!
和邇氏をルーツにお持ちなのですね!
素晴らしいです!!
和邇氏は今後もしばしば登場すると思いますので、楽しみにしていてください!
イラスト素敵ですね
古代の日本海側って重要な役割が与えられてるはずなのになんか記載が少ないような気がしてたのですが、
ヤマトとは別の王国、彦坐王の登場で納得しました。
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ご視聴ありがとう御座います!
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応神、雄略、継体、欽明と古代でポイントになりそうな天皇に嫁いでいるのは気になりますね。
次回も楽しみです。
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和邇氏と聞いて因幡の白兎が思い浮かんだんですがあれも古代の勢力争いが関係したお話なんですかね?
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他のかたのコメントにも書いたので重複してしまいますが、因幡の素兎のお話しには色々な考察がありまして、その一つに「和邇族」と「宇佐族」の対立と描いたのではないかという説があります。
ということは、出雲は「宇佐族」を助けたということになりますね。
@@nihonshi いつも丁寧な返信ありがとうございます♪
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ご視聴ありがとう御座います!
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ヤマト王権と対等な国は、多く存在したと思います。
それが自然ですし。
ちょうど最新動画が稲羽之素莵なので、よかったらそちらもご覧ください!
どうもありがとうございます。
テキストがあって、素晴らしい映画です。とても役になります。
ご視聴ありがとう御座います!
こちらこそ、楽しんで頂けたなら嬉しいです!
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永久保貴一先生のカルラ舞う、で和邇氏がでてきたので、めっちゃ嬉しいです!
永久保先生の推理と、結城さんの推理が古代史では一番好きです。
こちらもご視聴ありがとう御座います!
「カルラ舞う」は気になっていたのですが、まだ読んだことが無くって。
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関西に住んでいます。
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いつもご視聴ありがとう御座います!
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次回は中臣氏を考えているのですが、そこでもちょっと京都に触れると思います。
秦氏も賀茂氏も、もちろん個別で作ります!
@@nihonshi ありがとうございます!
そこも京都繋がりで、気になっていました。たしか山科が拠点だったような?
楽しみにしています。
何だか今回の動画の雰囲気…心地良い✨リズム?が夢の中で動く時と一緒かも❤
いつもご視聴ありがとう御座います!
心地いいっていうのは、最上級の誉め言葉ですね!(勝手に解釈)
嬉しいです!
もしかしたら、uchinopc2620さんも、遥か古代の先祖は和邇族なのかも!
和爾下神社の近くに住んでいます。東大寺山古墳の剣が意味深です。また突然いなくなったのも不思議です。
ご視聴ありがとう御座います!
羨ましい場所にお住いですね!
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和邇氏がどうなったのかは、続編にて深掘りしてゆきたいと思っていますので、楽しみにしていてください!
和邇近くに住んでいます。
図書館でチラと小野氏を追ったりもしましたご、頭がゴチャって理解を拒否してしまいました。
こちらの一連の動画はイメージもつきやすく面白くてとても好きです。
滋賀県も歴史が深くて嬉しくなりました。
ご視聴ありがとうございます!
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面白いと思って頂けて、光栄です!
滋賀県はもう歴史ロマンの宝庫ですよ!!
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ホントに‼️
@@knyaru さま
嬉しいです!
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ご視聴ありがとう御座います!
因幡の白兎はいろいろな考察がありまして、例えば「和邇族」と「宇佐族」の対立の物語などとも言われたりしています。
両方とも海洋民ですからね。
そのような古代の民族の物語を擬人化した動物で表したのかもしれませんね。
深掘りの余地ありです!
オホドノオオキミ継体天皇のお話しはいずれ深掘り動画を作りますので期待していて欲しいのですが、関係があるかないかでいえば、有ると思います!
継体天皇は越前だよ。北陸納めた?ワニ氏?知らんよ。納めてだのは継体であり 違う氏やで
更新ありがとうございます。
わ〜一コメ、偶然AIが出してきました。じっくり拝聴いたします
いつもご視聴ありがとう御座います!
深夜だったのにご視聴第1号!
有難いです!!
地元の古墳は和邇氏か尾張氏の系類が祀られていたと見て興味を持ってた
ご視聴ありがとう御座います!
良いですね!地元にそうした古代氏族の遺物があるのは、そそられますね!!
尾張と和邇は建国時代の確執がありますよ!四世紀ごろから和邇氏が尾張を支配した模様です!さるカニ合戦は建国時代の仇討ち話を民話にしたものです。詳しくは拙ブログをご参照ください。お邪魔しました😊
大阪府枚方市に王仁公園(わにこうえん)という場所がある。
和邇氏と関係がありそうに思っています。
ご視聴ありがとう御座います!
こちらは渡来系氏族の雰囲気が醸し出されていると感じています。
秦氏などで触れられたら掘り下げてみます!
奈良県の天理市にも和爾町という「和爾氏」の名が残る集落が残っています。
ご視聴ありがとう御座います!
動画中でもご紹介している、赤土山古墳などの地域ですよね?
なるほど!!!すごくなっとくしました。
ご視聴ありがとう御座います!
このお話は僕の古代妄想解釈も大いに含まれておりますが、納得して頂けて嬉しいです!
滋賀県湖西線の和邇駅の隣り駅 小野一族の特集もお願いします。ちなみに滋賀県滋賀郡志賀町は大津市になりました。
ご視聴ありがとう御座います!
淡海は細かく深掘ってゆきたいと思っているので、いずれ考察したいと思います!
大津市ってでかくなりすぎじゃないですか!笑
秀真伝では、山陰山陽の地域はサホコチタルと呼ばれていました。サホコとは三鉾、チタルとは、血足るへと繋がり、海人族へと繋がっている様に感じます…。
ご視聴ありがとう御座います!
これは興味深いお話をありがとうございます!
ちょっと調べてみます!!
有難うございます。とてもいい解説です。和邇氏はヤマト王権成立の過程を調べていてその正体が分かりました。ヒントは東大寺山古墳群付近にある和邇坐赤坂比古神社の御祭神二柱が宗像氏が祀る神々だったことで確信できました。つまり主祭神がアタカタスノミコトとイチキシマヒメだったのです。前者が宋史王年代紀第17代王伊弉諾尊の妃となったイザナミの父だと推理しました。つまり和邇氏はムナカタの一族で玄界灘を主な活動域とした縄文系の海人族だったのです。
この後にイチキシマヒメが卑弥呼だったという話まで行こうと思ったのですが、そこに至るまでにちょっと説明が長くなり過ぎたので、拙ブログにて記事にしました。よろしければ、お越しいただき、疑問点などをコメントしてくださるとありがたいです。
ご視聴ありがとう御座います!
やはり宗像と繋がってきますよね。
宇佐との関連も気になるし。
九州の古代史を掘り下げると、底なし沼に陥りますね!
是非、ブログを拝見したいです。
URLとか、タイトルなどお教えいただければ嬉しいです!
よろしくお願いいたします!
和爾氏ってもしかして、元は女系氏族だったんじゃないかな。
なんだか天津神と国津神に、もう一つ綿津神って分けてもいいのかもしれませんね!
🦈
…あれ…、もしかしてワニゴン?ワニゴンじゃない久しぶりー!!一瞬バラゴンかと思った見違えたよーやだー今までどこで何してたの~?🤣
いつもご視聴ありがとう御座います!
そうなんですよ。
同族の三上氏や春日氏には、女系氏族の痕跡も多く見られますからね。
そして何より、息長氏といえば、女帝のパイオニアですから。
ワニゴンに声をかけてくれるなんて!
こっそり最後に数秒なのに!ありがたや~!!
バラゴンもびっくり大喜びです!!
っていうより。
古代日本は母系社会であり。男系はそれほど重視される社会ではなかったのでしょう。
魏志倭人伝には倭人は数人の妻がいたと記録されています。これは一夫多妻というより、多夫多妻であったと考えられ。
結婚という制度が現在のわれわれが考えるより、ずっと緩い社会だったのでしょう
記紀編纂時の七世紀になれば、中国の影響で男系が重視されるようになり。
伝承されている史実もそれに合わせて変化したのだと思います
崇神天皇や景行天皇の時代は文章のような資料はなかったでしょうし
もともと記紀に先立つ帝辞・旧辞などに書かれた内容も口伝で伝えられた伝承が頼りだったでしょうし
だから余計に変化が生じたのではないかとも思いますが
天孫降臨以来の同盟国っていう立ち位置ですか?
ご視聴ありがとう御座います!
天孫降臨が神話なのでいつのことか不明確ですが、はるか以前の海洋民と農耕民としての時代から、隣国同士の付き合いがあったとしたら素敵ですよね。
同盟というよりも、数百年かけて共存してきたんじゃないでしょうか?
確かに航海の民ですね。彼ら一歩早く来倭した天孫族か、はたまた、辰韓と山陰、若狭が近い事を考えると辰王の系譜なのか、興味尽きません。辰王系譜なら権威王朝として后妃を出し続けたのも納得なのですが。
いつもご視聴ありがとう御座います!
辰王などの系譜というのも、浪漫が尽きないですね!!
和邇氏は本当に幅の広い考察が出来る氏族です!!
後編の原稿は実はできているのですが、もっと見直しが必要かもしれません。
滋賀県の湖西線の駅に和邇駅あります。
湖西といえば、小野妹子とか継体天皇の出生地です。
どちらも渡来系の強い人物だと思います。
小野氏は和邇氏の血筋ですし。
やっぱり、大陸から渡来系氏族なんでしょうか?
先祖だから繋がりある話あるわ
ご視聴ありがとう御座います!
何か伝わっているお話などありますか?
興味あります!
@@nihonshi 土地の境界を先祖がずっと守っていたらしいです。シュメール語だかアッカド語でアモンとか言うらしいです。先祖がいた場所が神田さんしかいない不思議な場所です。槍が大量にあって、西郷隆盛とか黒田清隆と繋がりがあったらしいです。
変なサビサビの剣みたいのをずっと大事にしていて、長男しか相続出来ない変な仕組みがあります
和邇氏は尾張氏です。
ご視聴ありがとう御座います!
同じ海洋系の民族ですからね。
尾張氏も、いずれ掘り下げてゆきたいお思っています!
@@user-ikesan さま
素晴らしい見識をお持ちですね!
動画にしたら面白い動画になると思います!
継体天皇は滋賀県高島の産まれで、父は彦主人王。
和邇氏と関係ありそうな?
意味深なところに気が付いちゃいましたね!!
いずれ継体天皇は単体で深掘りしようと思っています。
ご期待ください!
ありがとうございます。
期待して待ってます!
継体天皇の妃にワニ氏の娘いるわ
大王を出さないという選択があったんですか
いつも大変興味深く視聴させて頂いております。
今回の代々妃を送っている件、私は人質としての性格が強いのではないかと考えます。人質だから外戚にもなれない。如何でしょうか。
いつもご視聴ありがとう御座います!
なるほど、一理ありますね。
代々人質に妃を出しているということは、その習わし以前に対立や従属関係になる出来事があったのかもしれません。
和邇氏は王権内の継承問題に深く絡んでくるので、考察の幅が広くて、浪漫の尽きない氏族ですね!
安曇族との関係は?
ご視聴ありがとう御座います!
安曇氏との関連はいずれ深掘りしてみたいと思っています。
和邇氏や安曇氏だけでなく、古代海洋氏族にフォーカスした深掘りが出来たらと思っています。
和邇氏は本来的に葛城氏と並ぶ軍事氏族であって、葛城氏との軍事的対立に敗退してしまい、天皇家の婚姻氏族化してしまったのではないでしょうか?
逆にそのおかげで、滅亡せず大伴氏、物部氏に系統を用いられ存続出来た?
こちらもご視聴ありがとう御座います!
和邇氏に関しては、むしろ最大のライバルは大王家や同族だったと僕は考えています。
それが後の誉田別や神功皇后、延いては継体天皇のお話しに複雑に絡んでくるのではないかと。
古代日本史は、海洋民と農耕民のお話しで、「海と太陽の物語」といったタイトルが相応しいと思っています。
海の代表が素戔嗚尊であり、その素戔嗚尊を頂く民族の代表こそ和邇氏で、太陽の代表が天照大御神であり、ヤマト王権だと考えています。
和邇氏の続編は和邇氏だけにとどまらず、「息長氏」「安氏」「河上氏」など、同族海洋民たちの絡みも見え隠れしています。
他にも海洋民は日本にはたくさんいるので、他種族海洋民も絡んで、なかなかの歴史ドラマになってきます。
なるべく分かり易く動画に出来るよう、頑張ります!
以前は半島とのどうこうを刺激的に感じましたが、色々読んでみると本当の説得力はあんまり。古代からあれだけ皇統に拘ったのをみると現代の我々が考えるように誤魔化せる話ではなかったと思うようになりました。海洋やサメの話なら南西諸島方面は無視出来ませんし、西部日本海での対馬海流の影響は大きい。日本は人類発祥地ではないですから、人種や民族が固定する前にあちこち経由したり色んな場所から来て混血したのでしょうけど、敢えてメインを考えるなら西か南なんかなと思います。
ご視聴ありがとう御座います!
人類が長い年月をかけて世界中をあらゆるルートで移動して、今の日本列島にたどり着いた人々がいたのだと思います。
しかも日本がゴールとなった民族もいれば、通過点になった民族もいたはずです。
おっしゃる通り、そういったあらゆる人類の足跡と、自然災害などの要因が絡み合って、今の日本に繋がる雛形が出来上がっていったのでは無いでしょうか。
半島からの流入ももちろんあったでしょうが、逆に半島や大陸、南海、極東ロシアへの流出もあったはずです。
矢印は常に同じ方向を向いていたはずはないと、僕は思っています。
@@nihonshi ご丁寧な返信有り難う存じます。一方的でないのは特に有史以前はそうだと思いますよ。例えば土器の発明はどちらかといえば多元的と思えますけど、東アジアでの発祥と中心は日本列島で、逆に大陸沿岸に伝わった可能性の方が強くて、諸事実に照らすと合理的だと私は思います。
視聴させて頂いて思ったんですが、仮にヤマトと和邇の両王国並立体制が的を得てらした場合、ローマが史実においてエトルリア人の王国に支配されてた過去のいわゆる汚点をローマ人が手ずから選挙でエトルリア人の王を推戴したと改竄して歴史に残した事よろしく
古事記において、さも和邇氏はヤマトに従う氏族の一派で、その流れを汲む崇神帝も特に問題なく登極に至った様に描写されているのが、実は史実では開化帝の治世で和邇(入彦)王朝と根子彦朝大和王国との間で戦争が起こってて、結果的に前者が勝利を収めてウィリアム征服王よろしく崇神帝ないしは彦坐王が和邇に加えて大和の玉座も手に入れた、あるいは彦坐王が和邇朝そのものの権威を高からしめようと一族から適当な一人を見出して大和の王位に着けて、それが崇神帝だったみたいな経緯があってもおかしくなさそうだなぁと…
海運を司っているなら必然的に大陸側の先進技術もいち早く知覚して取り入れ得た訳ですから当時の大和に対して技術的軍事的優位にあってもおかしくありませんし、開化帝がいきなり北に遷都したのも対和邇王朝に備える為だったとすれば筋が通りますし、四道将軍の活躍で領土が急拡大したのも農耕国家大和のマンパワーと和邇の先進技術と造船・操船技術の融和の賜物と見れば納得いきます
そうなると崇神帝がいきなり万世一系宣言なさる、あるいは、なししめられるのも色々何かしらのきな臭い意図を感じざるを得ませんね…
その後手前勝手に深掘りしてみればなんかいい感じの考察が出来たのでここに
開化帝討たれ和邇系の崇神朝到来
↓
仲哀帝まで続くも天皇が熊襲に討たれたことにより権威を失墜し、つもりに積もった大和系氏族の反乱、首魁は神功皇后
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忍熊皇子率いる中央政府が鎮圧にあたるも失敗(即ち大和側の反乱の成就)、結果和邇はここにて大和の諸侯の一つとして臣従を余儀なくされた他ホムダワケ(応神帝)の出生により新たにワケ(葛城)朝が成立し彼の成人までは神功皇后が摂政として事実上の元首を担う
↓
王朝交替に伴う朝鮮諸国との外交関係の再確定の為に神功皇后が同半島へ出征
(※以上二つの事績は記紀では逆に記されていて、特に三韓征伐の際は神功皇后は身籠ったままだったとされてるのは有名だが、和邇勢力が政権を維持してるか否やに問わず、自明な反対勢力が国内に存在しているにも関わらず外征を試みるのは言うまでもなく無理がある上に、古事記では362年に朝鮮に攻め入ったとあるのに対して朝鮮側の三国史記では364年に倭に攻め入られたとある他、そもそも身籠ったまま指揮を執って大勝を挙げたというのがファンタジーが過ぎるので、恐らく直前の仲哀帝の愚昧な様を演出する託宣のエピソードも含めて中国由来の易姓革命の理念に倣い王朝交替を正当性する為に後代に改竄されたものと思われる)
↓
結果が芳しくなかったので後年において改めて腹心の襲津彦始めとする遠征軍を派遣し今度は朝貢関係を取り付けるに至る
倭奴国→和邇国?(中国は非漢人国家についてめいめいの支配民族の名称をそのまま国名として扱う習わしがあった)
↓
金印は代々王家の間でレガリアとして伝承されてきたが熊襲遠征途中に紛失or熊襲の手に渡った?(古事記による仲哀帝の没地は筑前、金印の出土地も筑前)
↓
よって中国の封臣としての王朝の権威を失い反乱勃発、しかし大陸との盛んな接触によりいち早く取り入れた父系社会の伝統は継承に都合が良かったのでその後も大和に残った
ご視聴ありがとう御座います!
これは筋の通ったストーリーだと思います。
僕の考察とちょっとだけ違うところがありますが、話は納得の筋立てでした。
大いにあり得るお話ですよね。
僕は倭と淡海の共存と考察しましたが、対立と併呑というストーリーも納得できます。
近いうちにホンダワケ応神天皇の皇位継承のお話しや継体天皇のお話しも深掘りしますので、そのときは是非またご意見をお聞かせください!!
まったく違和感ないですね。
ホンダワケや神功皇后を、僕は和邇氏側だと解釈していますが、このストーリーも違和感が無いです。
ありがとうございます!
@@nihonshi
逐一の丁寧なご返信ありがとうございます
当動画の次回や神功皇后と応神帝編全裸待機させて頂きます🙇
@@Taizongdoingexercise さま
頑張って全裸制作いたします!!
崇神天皇と彦坐王の関係性
彼らに似ているような気がします。
山幸彦と海幸彦
そして山幸彦は綿津見大神に出会い・・・
綿津見=龍神
ワニ=サメ=龍
そういえば、因幡の白兎もワニ=サメを騙して酷い目にあっていますよね。
いつもご視聴ありがとう御座います!
そういう解釈もできますね。
記紀の物語は繰り返しの物語なので、海洋民と農耕民の物語がそのように繰り返し綴られているのかもしれません。
やはり和邇氏にインスパイアされるのは因幡の素兎が多いですね。
このお話も、深掘りしてみようか考えてみます。
近江は秦氏の勢力範囲ではなかったのしょうか?古くは都怒我阿羅斯等であったり、神功皇后の九州侵攻の出発点であった様に覚えています。王仁(わに)と言う学者が応神天応の末息子の教育係として半島から呼ばれたのは記憶しています。儒教を学んだ末息子が仁徳天皇part1で、3年で長子に殺されその長子が仁徳天皇part2になるわけですが、、。part1菟道稚郎子皇子 part2大鷦鷯皇子
ご視聴ありがとう御座います。
それはこの動画の時代とは違う時代のお話しですね。
秦氏の動画もいずれ作りますので、良かったら見てください。
皇后ですか?
和邇氏は海洋民族の末裔だとするご意見にはある程度同意します。
滋賀県大津市「元の志賀町」に有る和邇地域は海運「湖運」に秀でた人達が琵琶湖内に於いて湖運を営んでいたのでしょう。
後にはやや南方の堅田に移動した。
何れにしても、日本海で生計を立てていた渡来系の末裔だったと推測します。
朝鮮半島には大和民族の小国が有った様ですし、敦賀や小浜・若狭・越前地域は半島から近い。
海運は必要な職業。
古代は道路と言っても里道や山の麓道だったから、大量の物品搬送は船でしょうから、琵琶湖の水運は重要な位置を占めていたと思います。当時の湖西志賀町地域は農耕には狭すぎる地形でもありますしね!
和邇駅の近くには「蓬莱」の地名も有りますし、大陸由来の名前の様に感じますし、六世紀には越前と高島市に由緒の有る継体天皇も琵琶湖を経て大和地域にお渡りになった。和邇氏は重要な役割を持っていたが、大王輩出までは行かなかったのは、水運担当だったのではないかと思います。
ご視聴ありがとう御座います!
ご同意いただき、嬉しいです。
今後とも結城屋の動画をよろしくお願いいたします!