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神社の歴史を語る小名木先生は、まるで寄席に来ている様に臨場感たっぷりで引き込まれた!鳥居⛩️や八咫烏の秘密を知って、神様の表す表現の多様性にも気づき、日本の歴史は神社に続く道でもあると思わずにいられない!
こういうすっと入ってくる文章に憧れる。
小名木先生のお話はいつも分かりやすくて面白くて最高です☺️✨
母方の祖母が三嶋大社の代々神官の娘と聞いております。北条政子さんと下賀茂神社の加茂家とは繋がりがあるのかも〜とロマンが膨らみます。素晴らしい動画を上げて下さいまして感謝申し上げます。
偶然かもしれませんが本日の世界遺産でスペインにあるイビス島のフェニキア人遺跡がテーマでした。彼らは八重事代主同様に鰐の船に乗り例の頭巾を被っていました。
三島に住んでます三島大社は伊豆忌部氏が昔は祭司をし三島暦を作っていました またすぐ隣りの祓いど神社(祓ど4神を祀る)は地元の人は浦島さんと呼んでおり伊豆忌部氏と深い関わりがあるみたいです 今でも加茂 加茂川の地名があり伊豆忌部氏の子孫 河合家と繋がりがあるみたいです 河合家 後 三島暦資料館になっており河合家神棚には磐長姫が祀られています又 母方の旧姓が「加茂」と言う事もあり賀茂神社の事少しでも知れると嬉しいです ありがとうございます
一昨年江戸時代後期の先祖が分かり天皇家に関わる為、ネットで家系が確認出来ます。上賀茂神社の神官の賀茂成継の娘からと成継の4代後の能久、能継からと繋がり先祖です。能継が、「くらべうま」で競っていたとの資料を見つけたので去年5月に観に行きました。感動しました。☺️下鴨神社のお話なのに申し訳有りません。先祖達は敵同士が多く平清盛、源義朝が先祖です。頼朝の弟妹と政子の親弟妹達が先祖なので縁も有る為、三嶋大社に機を見て参拝したいです。鳥居の意味を初めて知り驚きです。😊八咫烏、烏は好きです!詳しいお話を有難う御座いました。😃
縄文人は以前、小名木先生の講義で芦で船を建造し島々を渡っていたという講義を伺いました。 その当時、海図もないのにどうやって寄港したのか疑問でした。なるほど!!鳥を利用して座標を定めていたのですね。 あと大切なのは神社に参る時は、合掌して誓願と感謝をすることは肝に銘じてます。
日本の過去の真実が、小名木先生のお陰で少しずつ分かり始めてきました😊 ありがとうございます。
ヤタガラスの意味、鳥居の意味が大変よくわかりました、ありがとうございます。
鳥居の語源は利にもかなっており、勉強になりました。
"理にかなう" では、ないでしょうか?
なるほど。いろいろと考えさせていただく材料を提供いただきましてありがとうございます。😊
高い境域に昇られた先祖霊様は、土地や国の守護霊になられることがありますので、氏族関係なく私は、広く神仏様に感謝いたします。
現在でもパラオでは日本語が公用語の一つになっていますね。
奈良にはもう一つの神話が有ります。ミカヅチの神が先ず葛城の地に降り立ちカモの名をつけた(実際現地に沢山の賀茂町がある)。次に木津川の出口に飛び山城への水量をコントロールしたと。ここには京都府加茂町と加茂神社(の跡)が有ります。序でですが、奈良には沢山の出雲系と思われる神社が有ります。ご参考迄。
私の名前は「三嶋」で御先祖は「海賊」だと聞いていました。関西からはるか東北へ転居して、家のすぐ近くには偶然にも「加茂神社」が有り初詣に行っています。小名木さんの話で「もしかして導かれていたのかも」と思う気になりました。
余りにもお話お上手で引きこまれました。ありがとうございます。神様、仏様、神社は大好きですので参拝する方だと思いますが、お願い事は致しません、するとしましたら世界平和でしょうか?通常は感謝のみです。
縄文時代には、神津島から上質な黒曜石を採取するために、船で往復していましたよね。それと三嶋の由来が御島であること、そして神津島にまさに神という字がついていること。この辺りのつながりもあるのではと、想像いたしました。
いつも気付きを頂ける配信をありがとうございます。私も賀茂氏=渡来系という勘違いをしていました。その勘違いのせいで、「ちはやぶる賀茂のやしろの姫小松」という歌を見たときに違和感を持ってしまいました。「ちはやぶる」は、荒ぶる国つ神、特に川を象徴する龍神様か蛇(へび)神様につなぐ枕詞です。縄文の神様への案内役になります。下鴨神社は玉依姫という水の神様、龍神様を祀る神社ですね。すぐ近くを賀茂川が流れ、その上流の貴船神社は、高龗神(水の神様_文字通り龍神様)を祀っています。どちらも「ちはやぶる」がピッタリ合う神様です。(以下蛇足です。)岩波の古語辞典では、道(ち=風の道_東風「こち」の「ち」)速(はや=速い)振(ぶる_荒ぶると同じ様子を表す)と解釈していますが、水の道(川)が風の道にもなるので、大きな違いはないと思います。ちはやぶるは、「春日」にも繋がります。元々瀬織津姫=龍神様を祀っていた春日の地に藤原氏が自分たちの神様を持ち込んで来ました。それを非難する歌が万葉集に沢山詠まれています。万葉集は藤原氏の政敵の大伴氏が作ったものなので。
鳥居のお話 大変 勉強になりました。カモは、渡り鳥と聞いた事があります。三嶋大社の三島暦 大神神社の三輪暦 賀茂朝臣の陰陽家は、暦道で造暦してましたね。
御所市にある高鴨神社の由緒には鴨一族の発祥の地であり高鴨神社は守護の社として信仰されてたとあります。また、中でも京都の賀茂大社は有名ですが、本社はそれら賀茂社の総社にあたります、とあります。このあたりを先生はどのようにお考えなのでしょうか?
ほんとにそれが知りたいですね上賀茂神社の神職の人に聞いたら同じ鴨族でも系統が違うと言ってられましたけど
御所なんて曰く付きでマイナーな地域は無視無視。数の勘定にも入らない。
関東から西日本の流れが見えてきますね。三嶋大社から賀茂神社ですね。黒曜石の取れた神津島、興味深いです。神の島かな?
知人に下賀茂神社の関係者がいますが、苗字に鴨の一字があり、家紋は菊の御紋、ご主人様はとても背が高くユダヤ系?かなと思っています。
事代主が釣りをしていたのは、確か美保関では?(美保⛩🎣)。氣多岬は因幡の白兎。氣多神社は山陰から北陸(越)に多いです。
今は知らないのですが、土佐国風土記の逸文では土佐高賀茂大社の説明があって、一事主神鎮座国記によれば雄略天皇即位二年に郷を移し奉ったとあるので阿波や四国が邪馬台国とか、天孫族が元々住んでた説が濃く見えて来たりもします
古事記も淡路島が最初ですよね。天皇の先祖は淡路島と読むのが正解かと思っています。粟の穂狭を別けた島。
そうや上賀茂神社大昔から周辺ではすぐきや色々漬けたはります!しきたり大事にされてますえ!
小名木先生。貴重なお話をありがとうございます。上賀茂下賀茂の両宮は今も賀茂一族の末裔がお祀りを続けて居られるのでしょうか。そして、三嶋神社のご祭神とされる・事代主の大神さまは正しくは美保ヶ関で美保神社ではありませんでしたでしょうか。もし、三嶋神社にも事代主の大神様が奉られて居るとして、兵庫県西宮神社の恵比寿神の異名同体神さまなのでしょうか。
小名木先生のお話の様に秦氏は2000年位前の渡来系ですが、賀茂氏は元々出雲から移住した人達の様なので遡ればそもそも4000年位前に最初に出雲に渡来した人達になってしまいますが、ご説明にありました様に、賀茂氏は秦氏と一緒に渡来して日本に文明を授けてあげた人達。という事を今だに言われる人達がいるのは相当疑問を感じてしまいますし、残念な事だと思います。出雲の口伝によると、東出雲の事代主の息子奇日方と娘蹈鞴五十鈴姫、五十鈴依姫兄妹が摂津三島溝杭耳の協力を得て大和葛城山の東麓御所市を開拓し事代主を祭る一言主神社や鴨都波神社を建てた。古代出雲では神のことをカモと言った。それで出雲の神には鴨や加茂の字が当てられた。西出雲からは南葛城方面を開拓して、大国主の子アジスキ高彦を祭る高鴨神社や大年神や大国主の娘高照姫を祭る御歳神社を建てた。やがて葛城の人達は山城に移り西出雲の人達は鴨川の上流に住み上鴨神社を建て、東出雲の人達は下流に住み下鴨神社を建てた。様です。自分も、およそその様な流れであっただろうと思います。また下鴨神社の御祭神西殿賀茂建角身は出雲口伝の系図によると、大和に移住した東出雲王家富家の少名彦事代主の息子奇日方と西出雲王家郷戸家の美良姫との息子建飯勝(磯城登美家)と渡来系天穂日の娘沙麻奈姫との子建甕槌の子建御気主と紀伊家名草畔との子大御食主から建角身(賀茂家)と三輪大君八咫烏太田タネヒコ(太田家)となり、東出雲王家富家の奇日方の母で東出雲王家少名彦事代主の后で三島溝杭耳の娘三島溝杭姫、活玉依姫が東殿に祭られていると思います。出雲国造家ホヒ家と春日大社の武甕槌の系統でもある様です。日本の歴史上重要な位置を占める賀茂一族が生まれた経緯の分かりやすい解説をありがとうございます。
賀茂氏はユダヤ人のセム族ではないかと言われ、稲荷神社の創設者達で八咫烏は太陽神ホルスではないかと言われますね。
そもそも、古代ユダヤ人は倭人と血縁があります。
京都の上・下鴨神社は奈良の高鴨神社、鴨都波神社、葛城御歳神社などの後進であり、元々は出雲から逃れてきた鴨氏の末裔だと思っていました。出雲王家末裔の斎木雪州氏の著作には、信じられないような古代の歴史が事細かく述べられていますが、本当なのでしょうか。日本書紀が、如何に歴史を神話化し虚偽の歴史を構築したかが示されてます。現代においては、真の日本の歴史こそが求められると思いますが、どうでしょうか。
出雲の口伝はぶっ飛びすぎていて、本当かどうか疑問だ。と言われる方がまだ多いですが、自分は、大元出版のー伝承の古代史ーの本を読んで、『記紀』では、わざと神話としてほやかして書かれているために、時系列的に辻褄が合わなくなっている内容や、一つの出来事を細分化して、その後何代にも渡って、または、遡って、繰り返し同じような出来事があった。かのようにわざと散りばめて書かれている内容も、両方を照らし合わせてみることにより、『記紀』の作者が正史に意図的に仕込んだ謎が解けていく場合が多いと思いますし、現在のところ、両方から見えてくる出来事が、一番納得ができる日本の歴史の経緯だろうと思っています。大元出版の出雲の伝承本は、出版社が出来たのがごく最近であるため、今後更に内容の検証が進むと思いますので、もしそれが偽説ということであれば、様々な専門家の先生たちにより、その具体的な根拠が示されるのではないでしょうか。当然、今の様に、あえて無視される専門家の先生方も多いとは思いますがW。
靖国神社に賀茂百聞宮司がおられたとか?その賀茂氏でしょうか?
三島大社には何度も行っていますが、そんなに広くないですよ。境内摂社全て回っても半日も掛かりません。
"葛野" の読みは、"くずの" ではなく、"かどの" ではないでしょうか?
かどのだと思います。
事代主は大国主の子で本来の帝(ミカド)であり、国譲りで、それまでの政権が別の勢力に変わり、息子の事代主は別の地域に移動したのでしょう。その後、奈良に大和で、二つの政権が一緒になったので大が和合した当て字で大和としたのでしょう。事代主がジョーと読めば、日本をジョホン、ニホンである由縁でしょう。因みに、賀茂建角身の文字には「ミカド・ケン」の文字が使われています。
森自体が信仰の対象なのか
伊勢もそうじゃないですか。内宮がある山全部が御神体です。
「鴨がネギを背負ってくる」のカモですね、渡来人が日本の寺社を乗っ取るお話。
そのネギとは禰宜にひっかけているのでしょうか。鴨長明の父親、長継も下鴨神社の正禰宜惣管になっており、最高位となりますし。
箸がトング型であったメリットを聞いた覚えが無いのですが、その辺に引っ掛けて置けるという理由でしょうか?
バラバラにならないと言う事では?
小名木さんいいんだけど扇子持つようになってから芝居口調の時に慌てるから何を言ってるのかかわからなくなる落語でも始めたのかな?昔の方が話が入ってきやすかったな。
教育が、どんどん可怪しく変になっていますね。教職者の出自を考えたほうが良い。
詐欺しは、どうやって、あの手この手で思い込ませて騙す。知ったかぶりのオレオレ詐欺は、その端的な例です。
🙏🙏🙏
神が日本に残した指紋1.2
最近、ソウルで日本の埴輪が出土したそうですね。これは、何を物語るのでしょうね。
姫と記載の宮と日売とどう違うのでしょう古来から何かを販売してきている方なのですか?この文字利用の意味合いは何ですか?女性尊厳として現代では売るとの文字利用の古代史に違和感が出てしまいました。おおよそ古代分は聞いていた可母氏可茂氏賀茂氏についてで縄文時代からの村であったとの事を正しく器で食べ方迄説明されていて良かったです。
大陸から間違いなく渡来人はきています。但し、朝鮮半島は経由地として。いまエジプトの古代史を勉強してますが、非常に日本の歴史に似通うものが多く、シュメール界隈からも多くの人民が時間をかけてやってきていると思われます。縄文人も素晴らしいですが、古墳の建造技術などみているとやはり縄文だけではない。日本の建国の国譲りはなかなか考察が難しいですが、海外勢力によって国在り方が変わったのは否めないかと思います。ここを否定していると新たな展開は見えてこないでしょう。
よしさんチャンネルの考察が現実的だと考えています😂曰くイスラエル民族は、エジプト🇪🇬で一神教改革を目指したグループが😅既存の宗教勢力から逃げて、パレスチナに移住して作ったエジプト人が起源だと考えます😅その昔、現在の東京を「江戸」と呼んでいましたが😂エドフ(江戸府?)由来かなぁと考えます🤗
クズノじゃなくカドノじゃないの?
学術的に話していただければそれでいいので、日韓の古代にまでマウントの取り合いを持ち込まなくてもいいと思います。そこは譲れない、という方々が一定数いることも理解しますが、それ踏まえても“伝え方として”マウントを取ろうという話し方は聞いててしんどいので。学術的な裏付けがあるのであれば、その出典、および専門研究者による学術論文(一次情報)へのガイドを示していただければ十分です。それが抜けていると逆側の人の行いと差して変わらないように映ってしまいます。
マウンド云々なんかじゃなく、根拠に基ずいた事実を説明しているだけでしょ。
これまでの専門研究者の論文が完全か、または正しいか?と、疑ってみる時期に来ているかも(カモ)と。時代、因縁、氏族の命の危険などから氏子さん以外には、なかなか口伝も含めて証さなかったのではと。なので今の時代は一人一人が口伝も含めて学術研究者になるかもしれないと思います。
冒頭であちらの主張をわざわざ言葉にしなくて良いと思います。語尾で否定するにしても、繰り返し聞かされるのは気分が悪いです。切り取られて放送されたら危険ですよ。
神社の歴史を語る小名木先生は、まるで寄席に来ている様に臨場感たっぷりで引き込まれた!
鳥居⛩️や八咫烏の秘密を知って、神様の表す表現の多様性にも気づき、日本の歴史は神社に続く道でもあると思わずにいられない!
こういうすっと入ってくる文章に憧れる。
小名木先生のお話はいつも分かりやすくて面白くて最高です☺️✨
母方の祖母が三嶋大社の代々神官の娘と聞いております。
北条政子さんと下賀茂神社の加茂家とは繋がりがあるのかも〜とロマンが膨らみます。
素晴らしい動画を上げて下さいまして感謝申し上げます。
偶然かもしれませんが本日の世界遺産でスペインにあるイビス島のフェニキア人遺跡がテーマでした。彼らは八重事代主同様に鰐の船に乗り例の頭巾を被っていました。
三島に住んでます
三島大社は伊豆忌部氏が昔は祭司をし三島暦を作っていました またすぐ隣りの祓いど神社(祓ど4神を祀る)は地元の人は浦島さんと呼んでおり伊豆忌部氏と
深い関わりがあるみたいです 今でも加茂 加茂川の地名があり伊豆忌部氏の
子孫 河合家と繋がりがあるみたいです 河合家 後 三島暦資料館になっており
河合家神棚には磐長姫が
祀られています
又 母方の旧姓が「加茂」と言う事もあり賀茂神社の事少しでも知れると嬉しいです
ありがとうございます
一昨年江戸時代後期の先祖が分かり天皇家に関わる為、ネットで家系が確認出来ます。
上賀茂神社の神官の賀茂成継の娘からと成継の4代後の能久、能継からと繋がり先祖です。能継が、「くらべうま」で競っていたとの資料を見つけたので去年5月に観に行きました。感動しました。☺️
下鴨神社のお話なのに申し訳有りません。
先祖達は敵同士が多く平清盛、源義朝が先祖です。頼朝の弟妹と政子の親弟妹達が先祖なので縁も有る為、三嶋大社に機を見て参拝したいです。
鳥居の意味を初めて知り驚きです。😊
八咫烏、烏は好きです!
詳しいお話を有難う御座いました。😃
縄文人は以前、小名木先生の講義で芦で船を建造し島々を渡っていたという講義を伺いました。 その当時、海図もないのにどうやって寄港したのか疑問でした。
なるほど!!鳥を利用して座標を定めていたのですね。 あと大切なのは神社に参る時は、合掌して誓願と感謝をすることは肝に銘じてます。
日本の過去の真実が、小名木先生のお陰で少しずつ分かり始めてきました😊
ありがとうございます。
ヤタガラスの意味、鳥居の意味が大変よくわかりました、ありがとうございます。
鳥居の語源は利にもかなっており、勉強になりました。
"理にかなう" では、ないでしょうか?
なるほど。いろいろと考えさせていただく材料を提供いただきましてありがとうございます。😊
高い境域に昇られた先祖霊様は、土地や国の守護霊になられることがありますので、氏族関係なく私は、広く神仏様に感謝いたします。
現在でもパラオでは日本語が公用語の一つになっていますね。
奈良にはもう一つの神話が有ります。ミカヅチの神が先ず葛城の地に降り立ちカモの名をつけた(実際現地に沢山の賀茂町がある)。次に木津川の出口に飛び山城への水量をコントロールしたと。ここには京都府加茂町と加茂神社(の跡)が有ります。序でですが、奈良には沢山の出雲系と思われる神社が有ります。ご参考迄。
私の名前は「三嶋」で御先祖は「海賊」だと聞いていました。関西からはるか東北へ転居して、家のすぐ近くには偶然にも「加茂神社」が有り初詣に行っています。小名木さんの話で「もしかして導かれていたのかも」と思う気になりました。
余りにもお話お上手で引きこまれました。ありがとうございます。神様、仏様、神社は大好きですので参拝する方だと思いますが、お願い事は致しません、するとしましたら世界平和でしょうか?通常は感謝のみです。
縄文時代には、神津島から上質な黒曜石を採取するために、船で往復していましたよね。それと三嶋の由来が御島であること、そして神津島にまさに神という字がついていること。この辺りのつながりもあるのではと、想像いたしました。
いつも気付きを頂ける配信をありがとうございます。
私も賀茂氏=渡来系という勘違いをしていました。
その勘違いのせいで、「ちはやぶる賀茂のやしろの姫小松」という歌を見たときに違和感を持ってしまいました。
「ちはやぶる」は、荒ぶる国つ神、特に川を象徴する龍神様か蛇(へび)神様につなぐ枕詞です。縄文の神様への案内役になります。
下鴨神社は玉依姫という水の神様、龍神様を祀る神社ですね。すぐ近くを賀茂川が流れ、その上流の貴船神社は、高龗神(水の神様_文字通り龍神様)を祀っています。どちらも「ちはやぶる」がピッタリ合う神様です。
(以下蛇足です。)
岩波の古語辞典では、道(ち=風の道_東風「こち」の「ち」)速(はや=速い)振(ぶる_荒ぶると同じ様子を表す)と解釈していますが、水の道(川)が風の道にもなるので、大きな違いはないと思います。
ちはやぶるは、「春日」にも繋がります。
元々瀬織津姫=龍神様を祀っていた春日の地に藤原氏が自分たちの神様を持ち込んで来ました。
それを非難する歌が万葉集に沢山詠まれています。
万葉集は藤原氏の政敵の大伴氏が作ったものなので。
鳥居のお話 大変 勉強になりました。カモは、渡り鳥と聞いた事があります。三嶋大社の三島暦 大神神社の三輪暦 賀茂朝臣の陰陽家は、暦道で造暦してましたね。
御所市にある高鴨神社の由緒には鴨一族の発祥の地であり高鴨神社は守護の社として信仰されてたとあります。また、中でも京都の賀茂大社は有名ですが、本社はそれら賀茂社の総社にあたります、とあります。このあたりを先生はどのようにお考えなのでしょうか?
ほんとにそれが知りたいですね
上賀茂神社の神職の人に聞いたら同じ鴨族でも系統が違うと言ってられましたけど
御所なんて曰く付きでマイナーな地域は無視無視。数の勘定にも入らない。
関東から
西日本の流れが見えてきますね。三嶋大社から賀茂神社ですね。
黒曜石の取れた神津島、興味深いです。神の島かな?
知人に下賀茂神社の関係者がいますが、苗字に鴨の一字があり、家紋は菊の御紋、ご主人様はとても背が高くユダヤ系?かなと思っています。
事代主が釣りをしていたのは、確か美保関では?(美保⛩🎣)。氣多岬は因幡の白兎。氣多神社は山陰から北陸(越)に多いです。
今は知らないのですが、土佐国風土記の逸文では
土佐高賀茂大社の説明があって、一事主神鎮座
国記によれば雄略天皇即位二年に郷を移し奉った
とあるので阿波や四国が邪馬台国とか、天孫族が元々住んでた説が濃く見えて来たりもします
古事記も淡路島が最初ですよね。
天皇の先祖は淡路島と読むのが正解かと思っています。
粟の穂狭を別けた島。
そうや上賀茂神社大昔から周辺ではすぐきや色々漬けたはります!しきたり大事にされてますえ!
小名木先生。貴重なお話をありがとうございます。
上賀茂下賀茂の両宮は今も賀茂一族の末裔がお祀りを続けて居られるのでしょうか。
そして、三嶋神社のご祭神とされる・事代主の大神さまは正しくは美保ヶ関で美保神社ではありませんでしたでしょうか。もし、三嶋神社にも事代主の大神様が奉られて居るとして、兵庫県西宮神社の恵比寿神の異名同体神さまなのでしょうか。
小名木先生のお話の様に
秦氏は2000年位前の渡来系ですが、賀茂氏は元々出雲から移住した人達の様なので
遡ればそもそも4000年位前に最初に出雲に渡来した人達になってしまいますが、
ご説明にありました様に、賀茂氏は秦氏と一緒に渡来して日本に文明を授けてあげた人達。
という事を今だに言われる人達がいるのは相当疑問を感じてしまいますし、残念な事だと思います。
出雲の口伝によると、東出雲の事代主の息子奇日方と娘蹈鞴五十鈴姫、五十鈴依姫兄妹が摂津三島溝杭耳の協力を得て
大和葛城山の東麓御所市を開拓し事代主を祭る一言主神社や鴨都波神社を建てた。
古代出雲では神のことをカモと言った。それで出雲の神には鴨や加茂の字が当てられた。
西出雲からは南葛城方面を開拓して、大国主の子アジスキ高彦を祭る高鴨神社や大年神や
大国主の娘高照姫を祭る御歳神社を建てた。やがて葛城の人達は山城に移り
西出雲の人達は鴨川の上流に住み上鴨神社を建て、東出雲の人達は下流に
住み下鴨神社を建てた。様です。自分も、およそその様な流れであっただろうと思います。
また下鴨神社の御祭神西殿賀茂建角身は出雲口伝の系図によると、大和に移住した東出雲王家富家の少名彦事代主の息子奇日方と西出雲王家郷戸家の美良姫との息子建飯勝(磯城登美家)と渡来系天穂日の娘沙麻奈姫との子建甕槌の子建御気主と紀伊家名草畔との子大御食主から建角身(賀茂家)と三輪大君八咫烏太田タネヒコ(太田家)となり、東出雲王家富家の奇日方の母で東出雲王家少名彦事代主の后で三島溝杭耳の娘三島溝杭姫、活玉依姫が東殿に祭られていると思います。
出雲国造家ホヒ家と春日大社の武甕槌の系統でもある様です。
日本の歴史上重要な位置を占める賀茂一族が生まれた経緯の分かりやすい解説をありがとうございます。
賀茂氏はユダヤ人のセム族ではないかと言われ、稲荷神社の創設者達で八咫烏は太陽神ホルスではないかと言われますね。
そもそも、古代ユダヤ人は倭人と血縁があります。
京都の上・下鴨神社は奈良の高鴨神社、鴨都波神社、葛城御歳神社などの後進であり、元々は出雲から逃れてきた鴨氏の末裔だと思っていました。出雲王家末裔の斎木雪州氏の著作には、信じられないような古代の歴史が事細かく述べられていますが、本当なのでしょうか。日本書紀が、如何に歴史を神話化し虚偽の歴史を構築したかが示されてます。現代においては、真の日本の歴史こそが求められると思いますが、どうでしょうか。
出雲の口伝はぶっ飛びすぎていて、本当かどうか疑問だ。と言われる方がまだ多いですが、
自分は、大元出版のー伝承の古代史ーの本を読んで、『記紀』では、わざと神話としてほやかして書かれているために、
時系列的に辻褄が合わなくなっている内容や、一つの出来事を細分化して、その後何代にも渡って、または、遡って、
繰り返し同じような出来事があった。かのようにわざと散りばめて書かれている内容も、
両方を照らし合わせてみることにより、『記紀』の作者が正史に意図的に仕込んだ謎が解けていく場合が多いと思いますし、
現在のところ、両方から見えてくる出来事が、一番納得ができる日本の歴史の経緯だろうと思っています。
大元出版の出雲の伝承本は、出版社が出来たのがごく最近であるため、今後更に内容の検証が進むと思いますので、
もしそれが偽説ということであれば、様々な専門家の先生たちにより、その具体的な根拠が示されるのではないでしょうか。
当然、今の様に、あえて無視される専門家の先生方も多いとは思いますがW。
靖国神社に賀茂百聞宮司がおられたとか?その賀茂氏でしょうか?
三島大社には何度も行っていますが、そんなに広くないですよ。境内摂社全て回っても半日も掛かりません。
"葛野" の読みは、"くずの" ではなく、"かどの" ではないでしょうか?
かどのだと思います。
事代主は大国主の子で本来の帝(ミカド)であり、国譲りで、それまでの政権が別の勢力に変わり、息子の事代主は別の地域に移動したのでしょう。
その後、奈良に大和で、二つの政権が一緒になったので大が和合した当て字で大和としたのでしょう。
事代主がジョーと読めば、日本をジョホン、ニホンである由縁でしょう。
因みに、賀茂建角身の文字には「ミカド・ケン」の文字が使われています。
森自体が信仰の対象なのか
伊勢もそうじゃないですか。内宮がある山全部が御神体です。
「鴨がネギを背負ってくる」のカモですね、渡来人が日本の寺社を乗っ取るお話。
そのネギとは禰宜にひっかけているのでしょうか。鴨長明の父親、長継も下鴨神社の正禰宜惣管になっており、最高位となりますし。
箸がトング型であったメリットを聞いた覚えが無いのですが、その辺に引っ掛けて置けるという理由でしょうか?
バラバラにならないと言う事では?
小名木さんいいんだけど
扇子持つようになってから芝居口調の時に慌てるから
何を言ってるのかかわからなくなる
落語でも始めたのかな?
昔の方が話が入ってきやすかったな。
教育が、どんどん可怪しく変になっていますね。
教職者の出自を考えたほうが良い。
詐欺しは、どうやって、あの手この手で思い込ませて騙す。知ったかぶりのオレオレ詐欺は、その端的な例です。
🙏🙏🙏
神が日本に残した指紋1.2
最近、ソウルで日本の埴輪が出土したそうですね。
これは、何を物語るのでしょうね。
姫と記載の宮と日売とどう違うのでしょう
古来から何かを販売してきている方なのですか?
この文字利用の意味合いは何ですか?
女性尊厳として現代では売るとの文字利用の古代史に違和感が出てしまいました。
おおよそ古代分は聞いていた可母氏可茂氏賀茂氏についてで縄文時代からの村であったとの事を正しく器で食べ方迄説明されていて良かったです。
大陸から間違いなく渡来人はきています。但し、朝鮮半島は経由地として。いまエジプトの古代史を勉強してますが、非常に日本の歴史に似通うものが多く、シュメール界隈からも多くの人民が時間をかけてやってきていると思われます。縄文人も素晴らしいですが、古墳の建造技術などみているとやはり縄文だけではない。日本の建国の国譲りはなかなか考察が難しいですが、海外勢力によって国在り方が変わったのは否めないかと思います。ここを否定していると新たな展開は見えてこないでしょう。
よしさんチャンネルの考察が現実的だと考えています😂曰くイスラエル民族は、エジプト🇪🇬で一神教改革を目指したグループが😅既存の宗教勢力から逃げて、パレスチナに移住して作ったエジプト人が起源だと考えます😅その昔、現在の東京を「江戸」と呼んでいましたが😂エドフ(江戸府?)由来かなぁと考えます🤗
クズノじゃなくカドノじゃないの?
学術的に話していただければそれでいいので、日韓の古代にまでマウントの取り合いを持ち込まなくてもいいと思います。
そこは譲れない、という方々が一定数いることも理解しますが、それ踏まえても“伝え方として”マウントを取ろうという話し方は聞いててしんどいので。
学術的な裏付けがあるのであれば、その出典、および専門研究者による学術論文(一次情報)へのガイドを示していただければ十分です。
それが抜けていると逆側の人の行いと差して変わらないように映ってしまいます。
マウンド云々なんかじゃなく、根拠に基ずいた事実を説明しているだけでしょ。
これまでの専門研究者の論文が完全か、または正しいか?と、疑ってみる時期に来ているかも(カモ)と。
時代、因縁、氏族の命の危険などから氏子さん以外には、なかなか口伝も含めて証さなかったのではと。
なので今の時代は一人一人が口伝も含めて学術研究者になるかもしれないと思います。
冒頭であちらの主張をわざわざ言葉にしなくて良いと思います。語尾で否定するにしても、繰り返し聞かされるのは気分が悪いです。切り取られて放送されたら危険ですよ。